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No.408 天草四郎  
ヒーリング 引用
遠隔ヒーリング1回、10000円。10000円稼ぐのにどんなに大変な思いをしてると思ってんの。いいかげんにしとかないと怒りますよ。まけてください。お願いします。

11/07/2006(火) 16:33:45


No.409  すなめり
Re: ヒーリング 引用
お金は大事ですよね。でも、安心感も大事ですよね。
それなりの安心感があれば、それなりのお金は稼げますよね。
それなりのお金が有れば、それなりの安心感も得られますよね。
今の世の中、ごくシンプルに考えれば、こんな感じでしょうか?。

それでも、お金を持ち過ぎて苦労している人が大勢みえますよね。
お金に振り回されるみたいに。
それを知っていても、お金が欲しいですよね。
私もお金が欲しいですよ。
このままでは、将来、どうなることやら心配で仕方ありません。

人徳って言葉をご存知ですか?。
私は決して人徳が高い人間では有りません。
でも、そう有りたいとして生きてきました。
待っていたのは心の病でした。

私は、悠々塾は飯沼さんと喧嘩みたいなことをしました。
しかし、分かってくれた。分かってくれていたのかも知れません。
現在、私の遠隔ヒーリングは無料です。
少しでも払うと申し出ましたが、強く断られました。
現在、私はお金を稼げていないからと言います。

それでも、納得いきませんでした。
おそらく、私は人に甘えるのが嫌なタイプの人間なのです。
お金は労です。
私は、人徳ある人として生きたいと労を積み重ねてきました。
私は、その対価として、現在、無料で遠隔ヒーリングを受けていると勝手に解釈して、自分を許しています。

どうか、人徳ある人として生きようと思ってみて下さい。
人を認め、人に認められると、人は輝きだします。
お金は労ですが、その労は、さほど辛いものでは無くなります。
私には、この体験が有ります。

しかし、私の場合、待っていたのは、私の足を引っ張る人間でした。私の弱さと私の変化が、人の嫉妬を招いたのでしょう。

再度。
人を認め、人に認められると、人は輝きだします。
お金は労ですが、その労は、さほど辛いものでは無くなります。
上手くやってくださいね。

まけて欲しかったら、事情を説明して、上手く折り合いをつければいいのですよ(笑)。

私は、別に悠々塾は飯沼さんに媚びているワケでは有りません。
主義・主張の違いは有りますし、
「無料での遠隔ヒーリングを断って、神なる摂理と勝負したい」
なんて計画中の私ですから(笑)

11/07/2006(火) 20:47:14

No.410  山田
Re: ヒーリング 引用
私も遠隔ヒーリングを事あるごとに受けています。
この間もお願いしました。

そのたびに自分自身、考えさせられることしきりです。
そしてその結果が、受信どおりでないにしろ、それを受けた
ところから自分がどう動くか(心も身体も)によって事態が
変わってきていることを感じています。
結果がすべてではなく、メッセージを受けて、感じ、動くことが
大切なのだと考えています。

気軽に受けられる金額ではないと思いますが、それだけに
受けるヒーリングに対する自分の真剣さが問われていると
私自身は考えています。

いつも受信をお願いするときには、どうしようもない事柄について駆け込み寺のようにお願いしています。
この掲示板でも悠々塾のホームページでもどう心を動かして、どう生きていけばいいか、書いてあります。また、他でもいろいろと学びながら過ごしていますが、それでもままならない時にお願いしようと決めています。

また、ホームページにも料金については、相談してくださいと書いてあります。
何度もヒーリングを受けなければいけないような身体の症状には、大変なことかもしれませんので、そのときはきっと、相談にのってくださると思います。
でも、受け取る側もそれだけの心構えが必要だと私は思っています。見当違いなことを書いていたらすみません。

目に見えないものに対する価値の評価はさまざまです。
高いと感じる方もおられれば、これ以上にもっと価値があると
考える方もおられるはずです。

すみません、何だかまとまりのない文章になってしまいましたが
「大変な思い」をして得たお金とわかっていて、悠々塾さんも「大変な思い」をしてヒーリングやメッセージをしてくださっていると私は思っていますので、思わず書き込みをさせて頂きました。

そして、すなめりさんのおっしゃっておられるように、どうしても必要があればご相談されればよいのに。。。とも思います。

以上、失礼なことがあればお許しください。

12/07/2006(水) 07:51:21

No.411  飯沼 E-mail
Re: ヒーリング 引用
☆天草四郎さま

こんにちは。
悠々塾を主宰し、ヒーリングを担当している飯沼です。
「一回」とおっしゃっていますが、その内容をご存知でしょうか?
一日8時間、ぶっ通しでできる仕事でもありません。

私自身が、ずっと経済的な余裕を持たずに生きてきました。
それゆえに、庶民的な経済状態の人でも、その気になればお申し込みいただける程度の金額にこだわってきました。
それに、経済的に非常に厳しい状況にある方は、お申し出いただけば無料でさせていただいています。

私のところは基本的に「後払い」です。
もちろん、お申し込みと同時にお振り込みくださる方もおられるのですが、「先払い」を要求することはありません。
非常に稀にはそのままお支払いくださらない方もおられます。
堀江は几帳面な性格でしたから、そういう方には葉書でお知らせしていましたが、私は一切催促もしていません。
お金のことに関しても、その人の良識と自由意志にお任せしています。

私も霊界の道具として為すヒーリングの働きというものは、料金の設定などはしないのが本来の姿だと思います。
しかし、私の場合は他の仕事をしていたのに、依頼者が増えてこれが仕事になってしまいました。
「他の仕事で収入を得ながら、霊的な仕事をすべきだ」との主張もあります。
が、私(たち)のヒーリングのスタイルは、他の仕事をしながら片手間でできるような内容ではありませんから、それは致し方ないと思っています。
堀江とは、「何かの間違いでお金持ちになったら、ヒーリングを無料にしたいね」とよく話していました。
しかし、実際には今もかなりの低所得です。
それに不満があるわけでも、誇りにしているわけでもありません。
自分が自分らしい仕事をさせていただき、多少なりともお役に立ちながら、仲間にも支えられてこの地上で暮らしていけることに感謝しているだけです。

私は元々、お金や物にはほとんど関心がありません。
どうしても必要なのに足りない場合は、「関心がない」では済まされませんから大変ですが・・・。
「こういう仕事は、無料でなければいけない。霊的な道具に過ぎないのにお金を取るのはインチキだ」という主張をよく目にします。
しかし、シルバーバーチは、芸術家なども霊界からのインスピレーションによって働きを為している、と伝えています。
では、芸術家をはじめ、自分の「才能」を発揮して仕事をいる人たちも、無料で働くべきなのでしょうか?
金銭を受け取る芸術家はインチキなのでしょうか?
(これはあなたの投稿の趣旨とは違っていますが・・・)

あなたの真意が分からないのですが、私は終生、財産や多額の預金を持たずに生きていこうと決めています。
そういう人間に対して、こういう言われ方はやはり嬉しくないものですよ。
繰り返しますが、私もできれば無料でこの働きをしていきたいと思っていますが、私の場合は現状では無理です。
しかし、決してお金を儲けるために働いているのではありません。
少し格好をつけた言い方をすれば、「より良い働きを維持継続するため」です。

そして、いわゆる「霊能者・ヒーラー」がどれほどの金額を設定するのか、得た金銭をどのように使うのかは、その人の良識を表しているのだと思います。
もちろん、無料だから本物だとは限りません。
無料を餌にして、巧妙に自分たちの「霊格の高さ」をアピールしたり、サプリメントやグッズを購入するように誘導したりしている「無料ヒーラー」もいます。
「無料霊能者」に無責任で出鱈目な「霊言」を授けられて、精神のバランスを崩した人もいます。

>遠隔ヒーリング1回、10000円。10000円稼ぐのにどんなに大変な思いをしてると思ってんの。いいかげんにしとかないと怒りますよ。まけてください。お願いします。<

ですから、あなたのこの書き込みは、ひとつのご意見としては受け止めますが、私からは「見当違いではないでしょうか?」と申し上げるほかありません。
もしもあなたに何らかの悪意があったのであれば、いずれあなたが背負うことになるのですから、お気の毒に思います。

どうしようかと思ったのですが、一応真面目に返信しました。

12/07/2006(水) 12:27:31

No.412  すなめり
Re: ヒーリング 引用
<私のところは基本的に「後払い」です>

うわぁ、そしたら、無茶苦茶ツケがたまってる・・・。
借りを作ることが嫌いな私でも、全額は払えない・・・。
そのうち、気持ち収めます。
あてにしないで待っていてください(笑)。

一応、半分、真面目。半分、不真面目に返答しました。

12/07/2006(水) 17:47:10

No.413  飯沼 E-mail
Re: ヒーリング 引用

☆すなめりさん

こんばんは。
いや、そういう意味じゃなくて、ですよ(笑)
それでもいいですけどね(笑)

一応、半分、真面目。半分、不真面目に返答しました。

フフフ、半分真面目が怖いよね。

12/07/2006(水) 20:55:21


No.373 飯沼  E-mail
☆☆ お知らせです ☆☆ 引用
          
  ☆☆ お知らせです ☆☆


いろいろな方から「直接のヒーリングを受けたい」「会って直接話がしたい」というお話をいただいています。
定例会の2部(懇親会)でもヒーリングをしたり、個人的にお話しているのですが、なかなかゆっくりとはできません。
それで、定例会の前の日曜日の午後に、「直接ヒーリングとお話の会」を持つことにしました。
ただし、個別にというのではなく、集まった人たちのなかでになります。

スピリチュアルヒーラー・スピリチュアルカウンセラーの養成も兼ねますから、意欲のある方は参加してください。
定例会の2部でも、話の流れのなかで「ヒーリングをしましょうか?」ということになって、その場でお話しながらエネルギーを通すことがよくあります。
近くにいる人や、特定のエネルギーの強い人を指名して手伝ってもらうのですが、そういう形でヒーリング・カウンセリングをしたいと思います。
実際にヒーリングの現場に立会い参加することで、ヒーラー志望の人には「実習」になると思います。

ヒーリングを受けることを希望される方は、あらかじめ参加をお知らせください。
たくさんの方とお話したり、ヒーリングをするのは時間的に無理ですので、調整させていただきます。
(「実習」として参加の方は、「行きます」と一声かけてくださいね)

どうしても他の方に聞かれたくないお話があれば、参加お申し込みの時にお伝えください。
ただ、「人払い」はしませんので、他の人に知られたくない内容の場合は遠隔ヒーリングの方がよろしいかと思います。


☆日時は、定例会の前の週の日曜日(定例会は第4土曜ですから、ほとんどの場合は第3日曜日になります。今月は16日です)、午後1時から5時

☆参加費・ヒーリング料金は不要です。(カンパ箱を用意しますので、お気持ちに応じてカンパしてくださればありがたいです)

☆遠隔ヒーリングとの併用をお勧めします。(HPの「遠隔ヒーリング」をお読みください)

☆難病・難症でも、治癒・改善される方はたくさんおられますが、全員に効果があるというわけではありませんのでご了承ください。たとえ治癒には至らなくても何らかのお役には立てると思います。

☆毎月第4土曜日の「定例会」は今まで通り開催しますので、こちらの方にもご参加くださると嬉しいです。

お申し込みは、メールでお願いいたします。
ヒーリングは3〜4人が限度ですから、お申し込み時に一杯になっている場合はお断りすることがあります。

地図の必要な方はFAX番号かご住所をお知らせください。
最寄り駅はJR福知山線「篠山口」駅  徒歩7分程度です。
大阪駅から1時間程度です。

02/07/2006(日) 18:16:58


No.374  カピバット
Re: ☆☆ お知らせです ☆☆ 引用
こんばんは。1つだけ気になったのですが、定例会は毎月第3土曜日、と書き込まれていますが、第4土曜日の事でしょうか?てっきり今月は22日に開催されると思っていましたので、よろしければ教えて下さい。

02/07/2006(日) 20:03:27

No.375  飯沼 E-mail
カピバットさん 引用

すみません。
定例会は第4土曜です。
今月は22日になります。

私の打ち込みミスを修正しておきました。

02/07/2006(日) 20:58:05

No.377  飯沼 E-mail
Re: ☆☆ お知らせです ☆☆ 引用

突然の思い付きだったのでどうかなと思っていたのですが、「実習・見学(?)」希望の方数名から、さっそくメールをいただいています。
どんなふうになるのか、もしかしたら「実習」の人にモデルになっていただくようになるのかもしれませんが、とにかく始めてみましょう。
以前の定例会で一度やりましたが、頭と仙骨に手を当てるリラックス療法などもしたいので、女性の方もズボンの方がよいかもしれません。
できれば、という程度ですが。

「ヒーリングとお話の会」という感じで、お茶でも飲みながら気楽にやりましょう。

前日は「天地悠々」の印刷発送をして、祐造&さきさんはそのまま泊まることになっています。

メールで、「行きます」と知らせてくださった皆さん、こんな感じでよろしければどうぞいらしてくださいね。

ヒーリングをご希望の方もどうぞお知らせください。

03/07/2006(月) 18:20:09

No.402  飯沼 E-mail
Re: ☆☆ お知らせです ☆☆ 引用

☆7月16日の「ヒーリングとお話の会」の参加受付は終了しています。
「実習」の方は、後2名くらいなら大丈夫です。

16は、関東から重篤な病状の方がおみえになります。(当日の体調次第で移動できないかもしれませんが)
ほかにも、病院では「治らない」と言われた方が来られます。

自分を引いてしまわずに、今の自分として最大限の霊力の通路となりましょう。

次回は、8月20日(日)の予定です。
ヒーリングをご希望の方はお早めにお知らせください。

08/07/2006(土) 16:58:58

No.403  シゲちゃん
Re: ☆☆ お知らせです ☆☆ 引用
こんにちは 
先月ヒーリング・カウンセリングでお世話になりました
シゲちゃんです(飯沼さん分かりますでしょうか?)
掲示板、初投稿で少々緊張(汗っ)

実習のお知らせを見てなのですが
そちらに伺う事は出来なくても、何らかのお手伝い的な事って
出来ますでしょうか?


>自分を引いてしまわずに、今の自分として最大限の霊力の通路と
>なりましょう。

この一文にクラクラきてしまいました(笑)

09/07/2006(日) 00:35:54

No.404  飯沼 E-mail
シゲちゃんへ 引用

☆シゲちゃん

こんにちは。

> シゲちゃんです(飯沼さん分かりますでしょうか?)

昨夜からずっと考えていて、今やっと分かりました、というのは嘘ですが、多分、きっとKさんですよね?

> 掲示板、初投稿で少々緊張(汗っ)

最近、掲示板の書き込みが途絶えているので、また私の投稿が怖かったのかとちょっと気にしているところでした。
怖がられても、今の時期に書く必要があると判断して書いたことなので、それでよかったと思ってはいるのですが・・・。
sれでもまあ、何人かの人に聞いたところでは「怖くなかった」ということなので、ホッとしたり・・・。
こんな感じですから、気楽にご参加ください。

> 実習のお知らせを見てなのですが
> そちらに伺う事は出来なくても、何らかのお手伝い的な事って
> 出来ますでしょうか?


ありがとうございます。
そうですね。
今すぐに思い当たることはないのですが・・・。
この件に関しては、最近鳴りを潜めている祐造さんからコメントがあると思います(私が勝手に言っているだけですが・・・、祐造さん、お願いします)
もうしばらくお待ちください。
祐造さんが「書かない」ということなら、また後日私から返信しますね。

09/07/2006(日) 18:51:30

No.406  祐造
え〜っと 引用

シゲちゃん、はじめまして。
京都に住んでいます祐造です。
私の好きな食べ物は、ラーメン・Kフライドチキン・トマト・ハンバーグ・オムライス…、って、そんなこときいてないよねェo(^-^)o
すみません。

> 実習のお知らせを見てなのですが
> そちらに伺う事は出来なくても、何らかのお手伝い的な事って
> 出来ますでしょうか?


これでしたね。
シゲちゃんのなかにある、「その人のために役立ちたい!」という気持ちは、もうそれだけで立派な霊的エネルギーの通路になると思いますよ。
そして人の治癒を願う気持ちも愛念も、空間や距離に関係なく相手に届くものです。
シゲちゃんが当日に悠々塾に行けなくても、対象者に向けてヒーリングエネルギーを送ることで、いわゆる遠隔ヒーリングができます。
ここで「私なんかが…」と、引かないでくださいね(笑)。
実は知識や論理よりも純粋に「役に立ちたい!」という思い(動機)の方がずっとずっと大事なのです。
「役に立ちたい!」という気持ちが、霊界で同じ気持ちでいる霊たちを引き寄せ、しっかりとした通路ができます。
だから、たとえシゲちゃんに霊的知識があまりなかったとしても「役に立ちたい!」という気持ちがあれば大丈夫!ですよ。
緊張しながらの初投稿で「何らかのお手伝い的な事って出来ますでしょうか?」と書かれるシゲちゃんの気持ちが、それが大事なんだと思います。

ですから、当日に静かでリラックスできる場で「今、ヒーリングを受けておられる方」をイメージして、「その人が健やかで、幸せでありますように」と祈り願うことで、実際に貢献できると思います。
これはシゲちゃんに限らず、皆さんにいえることですよ。

もし可能であれば、対象者に関する一定の情報や、その人が今必要としているエネルギーについて、分っていた方がエネルギーを送りやすいものですし、時間も合わせられるならそのほうがいいと思います。
もしもシゲちゃんが、当日の同じ時間帯に家でフリーでいられるなら、ヒーリング中に簡単に連絡をとって、遠隔にて同時参加も可能だと思います。
ヒーリングの流れやその場のタイミングもあるので、何人も人に連絡するのは無理でしょうが、今回のシゲちゃんのその気持ちが生かされることを、私自身願っています。

あとは飯沼さんに振ろうかな〜っと! (*^-^)ノ

09/07/2006(日) 23:46:20

No.407  シゲちゃん
Re: ☆☆ お知らせです ☆☆ 引用
飯沼さん 祐造さん お返事有難うございます!

飯沼さん
>多分、きっとKさんですよね?

そうです心配性のKです(笑)先月は大変お世話になりました!
義姉にも無事メッセージを伝える事が出来ました
怒られないかハラハラしながら伝えたのですが意外にも(?)
すんなり受け入れてもらえました。
お子達2人も元気です!

祐造さん
丁寧なお返事、有難うございます

>ですから、当日に静かでリラックスできる場で「今、ヒーリング>を受けておられる方」をイメージして、「その人が健やかで、幸
>せでありますように」と祈り願うことで、実際に貢献できると思
>います。

こちらの方向で貢献したいと思います
小さい力でも少しでもお役に立てば っと思っています。

10/07/2006(月) 09:12:37


No.405 飯沼  E-mail
キリコさん 引用

突然にすみません。

ヤフーの掲示板、見ました。
なぜ、○○コさんへの雑言が引用されているのか、というところに「意図的な何か」を感じました。

外野から無責任な野次を飛ばして鬱憤を晴らさねば気が済まないタイプの人もいるのでしょうし、あなたがこの掲示板に来て、私と普通に話を交わしたことが面白くない人もいるのかもしれません。

いずれにしても、いかに匿名掲示板とは言え、ああいう書かれかたはキリコさんにとって、不愉快なものであるに違いありません。
しかし、キリコさん、気にしないでおきましょう。
厳しい言い方をすれば、「埋め合わせとして受け止めるしかない」という考え方もあるのですし、そうでなくても罵詈雑言を趣味にしている人もいるのです。

無責任な雑言を気にすることはありません。
自分を振り返るきっかけにして、そこに囚われずに先に進めばよいのです。
陰で無責任に騒いでいる人たちは放っておいて、あなたの気づきと学びを深めていくことの方が大事です。

余計なことかもしれませんが、キリコさんがご自分に向けられている悪意に影響されてほしくないので、あえて書かせていただきました。

09/07/2006(日) 19:15:55



No.400 飯沼  E-mail
息抜きに・・・ 引用

ワードに打ち込んでいて、ちょっと席を外した隙に猫のタンゴイチがキーボードの上を歩いていました。

画面に数字や記号がズラーーっと並んで、最後にこんな→ ^=~) 絵文字ができていました。
あんまり可愛かったのでコピーしてご紹介します。

^=~)な絵文字、どうやって描いたんだろう?
私が自力で再現できないのが悔しいなぁ・・・^=~)

07/07/2006(金) 17:40:03


No.401  よ〜ちゃん
 ^=~) 引用
これは、

「コノウチニ コレテ ボクハ シアワセ」

という意味だと思います。

07/07/2006(金) 19:17:06


No.383 飯沼  E-mail
(No Subject) 引用

「死刑について」の受信は、NO353の「愛は時空を超えて・20」です。

現状では「死刑」についてさまざまな意見があって当然だと思っています。
私は死刑廃止論者ですが、その考えを人に強要しようとは思いません。
ましてや、「悠々塾に集うならば死刑に反対するべきだ」などとも思っていないのです。
人にはそれぞれ段階や気持があるのですから、それはしかたのないことです。

しかし、「スピリチュアリスト」を自認しているならば、スピリチュアリズムの基本ラインに沿っていこうとする意志と意欲は求められると思うのです。

誰もがシルバーバーチの伝える通りの思考・行動はできないでしょう。
地上の人間としての考え方や気持はあるのですから。
シルバーバーチの訓えを教義化して、「スピリチュアリストならばそれに従わなければならない」とか、「それに従っているから霊格が高い」などとは全く思いません。
真理に沿っていくとはそのような偏狭なものではないはずだからです。
知識による自己束縛ではなく、自己陶酔でもなく、本当に自分として理解や納得の喜びと共にそう思えて、そのように思考し、そのように気持が動き、自然に言動で表現できなければ、真理が身についたとはいえません。
そこでは、皆が行きつ戻りつしながら、この地上で学んでいくのだと思います。
ですから、間違わないことよりも、間違えた時にどうするかが重要なのです。
間違えていないかのように装う必要などどこにもありません。
間違いというものは、使用する意識のラインの選択ミスが元になっている場合が多いものです。
学びと変化の機会にすればよいだけのことです。

しかし知識があるのに、スピリチュアリズムではっきりと示されていることと反対のことを主張するならば、「スピリチュアリスト」を名乗ることに言及しなくてはいけないでしょう。
(私はヤフー掲示板のペーパーバーチさんのコメントで納得しています。ですから一般論として書いています)
自分の考えや自分の感情に「スピリチュアリズム」を合わせようとするのは本末転倒です。
不完全ではあれ、方向性としては自分を霊的真理に沿わせていくのが「スピリチュアリスト」というものでしょう。

現行の法体系を前提とした、つまり終身刑などの死刑に代わる刑罰を明記しないなかでのアンケート調査は、調査する側の意図が見え透いています。
しかも一方では、世界の圧倒的多数の国が死刑制度を法的に廃止、または実質的に廃止している事実があるのです。
日本は国連の人権機関からの死刑廃止についての勧告を、長年にわたって無視している現実もあります。

しかし、今回は一般論としての死刑の是非ではなく、「スピリチュアリスト」としてどうなのか、でした。
個々人の死刑制度への賛否の問題ではないのです。
「スピリチュアリスト掲示板」での発言であったから、バランスをとる意味でこちらでも「死刑制度」について掲載しました。

ちなみに私は今まで一度も自分のことを「スピリチュアリスト」と名乗ったことはありません。
ラベルはどうでもよいのですし、そう名乗るのがおこがましい気がしています。

私とペーパーバーチさんは考え方も両極のようですが、私は彼のことを否定するつもりはありません。
(私の目から見て)彼の言葉はしばしば激しく逸脱することがありますが、彼の自由さは好きですし、ある意味分かりやすいので弊害も少ないように思います。
同じシルバーバーチを読みながら、よくもまあここまで物の見方や考え方が違うものだなあと、思わず苦笑することもしばしばではありますが・・・。

「心の道場」さんが、いわば「シルバーバーチを曲解した上で絶対化した、権威的官製スピリチュアリズム」の偏狭で硬直した大間違いを真顔で宣伝しているなかにおいて(長い?)、いい意味でも(もちろん、そうでない意味でも)人間味もある彼のサイトの存在は大きな価値を持ってると思っています。
「心の道場」さんにも、スピリチュアリズムの貴重な書物を発行しているという点においては感謝しています。
しかし、あの独善性・排他性は真理の輝きとは程遠いかげりとしか言いようがありません。
前にも書きましたが、アメリカがイラク戦争を始める前に吹聴した「大量破壊兵器」の嘘に丸乗りして、戦争開始を支持したまま知らん顔をしているようでは話になりません。

彼らは以前のニューズレターで、「スピリチュアリズムは最高の宗教であり、それ以上のものがあるなら提示してほしい」という意味のことを書いていました。
このような独善性はシルバーバーチの訓えとは無縁のものですし、モーぜスの「霊訓」でも憐れみを込めて厳しく批判されているのです。

それぞれの宗教を信じている人々は、自分の帰依している宗教を最高のものだと信じているのです。
心の道場さんが、他の宗教と比べてスピリチュアリズムが最高だと思うのは自由ですが、あえてそう公言することによって、全体から見ればスピリチュアリズムを一宗・一派に位置づけることになるのです。
スピリチュアリズムの普遍の真理につながる魅力に惹かれた者にとっては、看過できない大間違いです。
「シルバーバーチの霊訓」の版権は「心の道場」が所有していても、シルバーバーチは「心の道場」の専属キャスターじゃないんですよ。

実際彼らの主張を読んでいると、巷の宗教団体のような自己(シルバーバーチ)絶対化が目立ち、まるでシルバーバーチ教の布教冊子のようです。
彼らが何かの間違いで力を持てば、「スピリチュアリズム」への改宗を強制しそうな気持悪さが漂っています。
自分と主張を異にする者たちのことはニューズレターで一方的に非難するのに、自分に向けられた批判には「議論しない」という態度を取ります。
こういうことを普通社会でやれば、「アンタ、一体何様のつもり?」と言われて非難轟々のはずなのですが、そういう普通の常識が欠落しているところがおかしいのです。
理論や理屈以前の、人間としての感覚の問題です。
まるで心の道場が、「高級霊」の化身にでもなったかのような傲慢さに自分たちでは気づかないところが不健全だと思います。
それを「自己絶対化」というのですが、彼らの場合はなぜか自己保身のエネルギーも感じます。
「女房酔わせてどうするつもり?」というコマーシャルがありますが、「神の前で自分を守ってどうするつもり?」です。

スピリチュアリズムとは、いみじくもシルバーバーチが伝えるように「自然の法則」なのです。
それは神のご意思の大いなる流れなのだと思うのです。
ならばスピリチュアリズムとは、相対的ななかでの絶対化などではなく、相対性も絶対性をも超えた、全てのものを網羅してなおも流れ続ける愛であり、摂理であるのでしょう。
もちろん、どんな団体も個人も、単一ではその流れの全てを把握することも担うこともできるはずがないのです。
神のご意思の大いなる流れの、ほんの一筋を担えるかどうかに過ぎないのです。
「己が全て。己が最高」という戯(たわ)けた石頭を卒業してから、本当の意味でのスピリチュアリストとしての学びが始まるのだと思います。

彼らは自らの霊格が高いと思っているようですが、しかし誰にでもある人間的な計算や感情レベルの心の動きが見え隠れしているのです。
超越しているかのように振舞いながら、実は普通か普通以下の人間的な部分が見えているのです。
だったら、もっと普通に人間らしくすればいいのに、それができないのでしょう。
それを不自由と言うのです。
真面目な人たちであるのは間違いないのですから、心の道場の今後の変化に期待しています。

まあ、これももちろん私としての見解ですから、「情報のひとつ」としてお読みください。
いつか書くと思っていたことを、この際(どの際?)書いておきました。
不愉快になる人もいるだろうなと思いますが、それでも書く必要があると判断したので、すみません。


☆キリコさん
これでも→掲示板を見ると、人柄の暖かさがしみじみしてくるような、そんな感じ?(笑)

05/07/2006(水) 02:41:34


No.384  飯沼 E-mail
Re: (No Subject) 引用


私は数年前にも、「心の道場」さんがシルバーバーチを絶対化しながら、その実いかにシルバーバーチの訓えに反したことをニューズレターで広めているかを、彼らに手紙で通告の上、掲示板に連載しました。

「心の道場」さんは、「シルバーバーチの霊訓があるのだから、それ以外の霊界通信などは不要です」と主張しています。
しかし、ニューズレターでは「釈迦が死んでから反省した」などという、自分たちの受信した「霊界通信」を何の検証もなく「事実」として記事にしています。
「霊的真理の普及の働きは、マザーテレサよりも大きな貢献です」などという、まともな人間なら赤面するような主張もありました。

このような自己絶対化や独善性は、スピリチュアリズムとは無縁のものです。
シルバーバーチやスピリチュアリズムへの強い憧憬が、今では彼ら独自の「心の道場教」に変質していることに気づいていただきたいのです。

05/07/2006(水) 07:25:32

No.385  みーじゅ
Re: どういうわけか 引用
飯沼さん、おはようございます。
またまた登場のみーじゅです(笑)。

どういうわけか、私は飯沼さんがおっしゃる内容に共感でき
納得できるんです(全て100%と言えませんが・・・)。

なので、この意見も納得できるし、共感できるんです。

決して、飯沼さんをヨイショしているわけではないんです。
決して、媚を売っているわけではないんです。

それが言いたかったりして・・・(汗)。

私は、スピリチュアリズムを支持していますが、
私も自分のことをスピリチュアリストだと言ったこともないですし
思ったこともありません。

だって、スピリチュアリストって、この世の人間が勝手に作った言葉でしょ。
この「スピリチュアリスト」という言葉に何の魅力も感じないんですもの・・・
(私は、この程度の人間でして・・・汗)

横レスですが、
私は、今回の飯沼さんの意見を読んでも、
人柄の温かさがしみじみと感じられると思います!

いや、別にヨイショしているわけではなく(笑)本心ですから^^

05/07/2006(水) 10:41:20

No.386  飯沼 E-mail
Re: (No Subject) 引用

☆みーじゅさん

ありがとうございます。

>決して、飯沼さんをヨイショしているわけではないんです。
>決して、媚を売っているわけではないんです。


あはは。
分かってますって(笑)

さっきヤフーの掲示板を見ました。
ちょっと気になる意見があったので、それに対してここで書いておきますね。
実は、情けない話ですが、ヤフーの掲示板への書き込みの仕方が分からないのです、というか、書き込みの手続きが面倒なんですよね(笑)
自慢じゃないけど、私は銀行や郵便局のATMも使えませんから。
でも、馬鹿にしてはいけません。
私の知り合いは、テレホンカードの使い方が分からないうちに、公衆電話の時代が終わりましたからね。
あ、でもその人はATMは使えますから、どちらがどうとも言えないかぁ・・・。

ヤフーの掲示板の話でした。

>もしスピリチュアリズムが真理だというなら、死刑問題に関して明確な見識を、世の中に提示できるはずです。<

という投稿がありました。
NO.353のなかにも引用しましたが、スピリチュアリズムとしての「死刑問題」への見解・見識は100年以上前から提示されているのです。
シルバーバーチは「死刑問題」以外の問題についても報復を戒め、慈悲と教育を説いています。
スピリチュアリズムがあのイエスの訓えと同じ流れにあるならば当然の見識であり、一貫した見解です。

死刑に反対する理由も、シルバーバーチもモーゼスの「霊訓」にも明確に説明されています。
「被害者感情」については触れられていませんが、シルバーバーチが一般論として語っている、「(本来の)霊界に戻った霊が、地上時代のことについて不公平だと言っているのを私は聞いたことがありません」ということで説明がつくのでしょう。
いわゆる因果律ですが、地上的には微妙な感情を伴うことなので、「死刑問題」のところではあえて「被害者感情」には触れなかったのだと思います。

このように、「死刑問題」についてのスピリチュアリズムの見解・見識は明確に示されているのです。
「スピリチュアリスト」を名乗る個々人が、それとは違う見解を表明したからと言って、スピリチュアリズムの見解は何ら影響を受けるものではありません。
それはスピリチュアリズムの問題ではなく、個々の「スピリチュアリスト」を名乗る人間の見識の問題なのですから。

ここのところを混同してしまうわけにはいきません。
私は、スピリチュアリズムは真理を伝えていると思っていますが、「スピリチュアリスト」を名乗る個人がどこまで真理を理解し、体現しているかは全く別の問題です。
「スピリチュアリスト」を名乗っていようがいまいが、誰もが不完全なのですし、学びの途中なのです。
これはスピリチュアリズムに限らず、どんな分野にも言えることではないでしょうか?

それと、私は「死刑問題」についてのスピリチュアリズムの見解と同じ見解の人間ですが、しかし、被害者の家族が犯人の死刑を望む気持に対して、第三者が批判したり、軽々しく口を挟むことは厳に慎むべきことだと思っています。
愛する者の地上的生命を無残な形で奪われた人が、「犯人を八つ裂きにしてやりたい」と思う気持は私にも分かるような気がします。
もちろん、そう思っている家族の気持に沿った形で刑罰が科せられるのに賛成はしません。
「被害者の家族の気持」と言っても、皆さん同じではないわけですし。
いずれの理由からも、刑罰を「被害者の家族」の気持を基準に科すことは違っていると思っています。

しかし、愛する者を酷い形で殺害された家族の人が、「犯人に死刑やもっと残酷な刑を」と願ってしまう気持を、誰も咎めることはできないのだと思います。
もちろん、被害者の家族の人の憎しみを増幅させるような言動も厳に慎むべきですが。

いくら憎しみを募らせても、犯人を八つ裂きにしても、愛する人が地上に戻ってくるはずもありません。
憎しみや報復で心が癒されるはずもないのですが、それは本人がそう思えるまでどうにもならないことだと思うのです。
その人に近い人が時間をかけて話を聞いて働きかけるか、公的機関から専門のカウンセラーを派遣するかという方法しかないのではないでしょうか?

報道で知った第三者は、その人の心の平安に向けて祈らせていただくことしかできないと思うのです。

05/07/2006(水) 15:00:37

No.388  飯沼 E-mail
Re: (No Subject) 引用

ヤフーの掲示板やペーパーバーチさんの掲示板では、死刑の是非が語られ始めていますね。
私はどちらにも参加するつもりはありません。

何度も同じことばかりを言わねばなりませんが、私は死刑制度の賛否について問題を提示したのではありませんでした。

スピリチュアリズムは明確に死刑に反対しているにも拘らず、「『スピリチュアリスト』が『スピリチュアリスト掲示板』で死刑にかなり積極的に賛成すること」について、でした。
ペーパーバーチさんには、私の云わんとしていることは伝わったようなので、ひとまずはよかったのだと思います。

私は、スピリチュアリズムを知る前から死刑制度には反対でした。
さまざまな霊訓でそう言っているからなどではありません。

ですから、「シルバーバーチの霊訓」やモーゼスの「霊訓」を読んで、死刑について明確に反対している部分にも何の違和感もありませんでした。
しかし、逆にもしも、シルバーバーチやモーゼスの「霊訓」で、死刑について明確に賛成が述べられていたら、どうだったでしょう?
まずは、そこで「えっ?」と思って、きっとその部分を何度も読むでしょう。
もしも、「死刑賛成」の記述が理に適っていて、今までの私の「死刑反対」の考えを覆して余りあるだけの説得力があれば、私も「死刑賛成」を受け入れるかもしれません。

しかし、そこまでの説得力がなければ、私はスピリチュアリズムに心惹かれることはなかったでしょう。
「理性で判断する」とはそういうことだと思うのです。

実際は、スピリチュアリズムでは明確な理由を提示して死刑に反対しています。
ならば、「死刑にかなり積極的に賛成」の人が、なぜ「スピリチュアリスト」を名乗れるのかが、分からないのです。

それは死刑制度に限らず、「戦争」についても同じです。
シルバーバーチは、戦場に赴く人の動機に関しては理解を示していますが、「戦争」そのものについては、地上的にも霊的にも完全に愚かなことと断定しています。
「流血によって解決するものは何ひとつない」と明言しています。

それなのに、「心の道場」さんはイラク戦争が始まる前に、いち早く戦争賛成を唱えました。
「地上のことは地上的手段で解決するしかない」という理由だったと記憶しています。
イラクの現状を見れば、地上的に解決していないことは明らかですから、その見通しも大ハズレだったことになります。
しかし、「心の道場」さんの主張は、それ以前の問題です。

彼らがバイブルのようにしているシルバーバーチが、明確に否定している「戦争」に、なぜ、スピリチュアリストを名乗りながら積極的に賛成できるのか、です。
彼らの「理性」は一体どうなっているのでしょう?
ここまでくれば、「理性」などというレベルの問題ではなく、人間としての感覚の問題です。

もしもスピリチュアリズムが、積極的に戦争を推進する主張を掲げていたならば、私は絶対にスピリチュアリズムに同意しなかったでしょう。
こういうことを言えば、今の時期、「北朝鮮がミサイルを撃ち込んだらどうするのか。愛する家族が焼き殺されるのを黙ってみているのか。この腰抜けが!」という言葉が返ってきそうです。
しかし、「戦争をしない」という理念を掲げるのであれば、それを軸にした政治や外交の手段があります。
その意味では、日本の政治や外交は極めて中途半端な状態でしたから、現状があるとも言えるのです。
戦後から今に至るまで、自らの外交理念を確立できずにアメリカに追随してきたことのツケが回ってきているともいえるでしょう。
もちろん、戦前戦後の世界政治の結果ともいえるのですが。

いずれにしても、全て手を尽くして、それでも侵略されて、愛する者たちが殺戮の危機に置かれたならば、その時どうするかはまた別の話です。
もしも戦うのであれば、その時は侵略者と1対1で対峙する腹を据えねばなりません。
自分が一兵士として地上生命を掛ける腹を決めねば、「戦争」などと言うものではありません。(ネット上で威勢のいいことを言いながら、ちょっと何かあるとバタバタする人は、いざとなったら大丈夫なのかなぁ?)
一方的に侵略され、殺戮される側の人々が、愛する者たちを守るために武器をとって戦うことを誰も非難はできないでしょう。
かつてのアメリカ大陸で、先住民たちが白人に対して、誇り高く種族の絶滅まで戦ったことを誰が非難できましょう。
現在のパレスチナで・・・。

それらはいわば正当防衛で、戦争によって力づくで自分たちの言い分を押し付け合うこととは次元が異なります。
「最終的には動機によって、全ては判断される」とシルバーバーチは伝えています。
その動機とは、「愛か、愛以外のもの(憎しみ等)か」ということでしょう。

すみません、話が無茶苦茶逸れています。

私が言いたかったのは、戦争を肯定する人や死刑賛成の人は、自分の信条とは相反することを唱えているスピリチュアリズムになぜ心惹かれ、「スピリチュリスト」とまで名乗れるのだろうか、ということでした。

「死刑」や「戦争」について、スピリチュアリズムで明確に見解が提示されていても、自分の「信念」に何ら変化を及ぼさないならば、その「スピリチュアリスト」にとって、「スピリチュアリズム」とはどのようなものなのだろうか、と思ったのです。

「霊訓」に書いてあるから従わなければならないとかではなく、その人が「スピリチュアリスト」になった動機についてでした。
もちろん、戦争や死刑制度だけが、スピリチュアリズムの重要な理念でないのは承知のうえですが。
シルバーバーチがよく言っている「慈悲」っていうことにしても、一体どう受け止められているのだろうか・・・、とか。
どうもそこは分からないけど、まあ、私が考えてもどうしようもないので、こんなところでおやすみなさい。

06/07/2006(木) 00:22:02

No.389  キリコ
Re: (No Subject) 引用
どうも、この掲示板では始めまして。
私が書きこんで良いものかどうか、迷いましたが、お返事したくて書きこみました。

カッカしながら感情的な書きこみをした後なので恥ずかしいですが・・・

今回の死刑問題についての議論ですが、わたしも、実はスピリチュアリストとしての正解がなんであるか、わかっちゃいたんです。

霊訓でのシルバーバーチ、モーゼス霊訓でのインペレーターなど、トップクラスの高級霊があれほどまでに厳しい口調で死刑について戒めているのですから。
飯沼さんのご意見が、一番正しいと思います。
われわれは、その方向に向けて、努力すべきです。
ほんとうに、わかっちゃいるんです。

でも、他方では一般市民としての自分がいて、出来心のレベルを大幅に越えた集団リンチやコンクリ殺人、九州の理解不能な同居6人(?)リンチ殺人、オーム事件、宮崎勤のごとき超凶悪犯罪のニュースに触れ、遺族の怒りや悲しみを察すると、強く感情移入して、どうしても復讐心に駆られてしまう自分がいます。

そして、さらに、それを自分に起きた場合にあてはめると、とても許す事のできなさそうな自分がいるわけです。

情け無いですが。

うまくいえませんが、自分が許す事のできなさそうなことについて、犯罪者の遺族に、「加害者を許しなさい」だの、「死刑は悪です」などと言える資格が、わたしにはありません。

これは、私の未熟さからきているのです。
わかっちゃ、いるんです。

飯沼さんのコメントをみて、ジーンときましたよ。
あなたの意見は正しいです。

おそらく、もしもわたしの意見について霊界通信が送られてきたとしたら、ヤフーでのアコさんのコメントを上回る、激しい叱責があったと思います。
インペレーターの死刑に対する発言を思い起こせば、わかります。
あれほどの高級霊が、熱くなってましたからね(笑)・・・


しかし、わかってはいても、一般市民としての自分自身が納得できていない事柄について、本に書いているからといって、自分に納得させる事もできません。
かといって、自分が裁判員になったとしたら、死刑是認できるかと言うと、そうでもないのです・・・・・


うまくいえません。
利他行為だって、いまだに、何を持って利他なのか、確信が無いですし。

すいません、とりとめのない書き込みでした。
飯沼さんとは、登山ルートが違うかもしれませんが、目指すところは同じだと思います。
今後とも、よろしくおねがいいたします。

PS 克さんは霊界でお元気になさっていますか?
   さぞや美しい所にいらっしゃることでしょう。
   よろしくお伝えください。

06/07/2006(木) 00:27:21

No.390  飯沼 E-mail
Re: (No Subject) 引用

> どうも、この掲示板では始めまして。
> 私が書きこんで良いものかどうか、迷いましたが、お返事したくて書きこみました。


キリコさんじゃないですかぁ!
聖人君子ぶった「悪の巣窟」にようこそいらっしゃいました!(笑)
あ、ごめん、ごめん。
いじめるつもりはないですから(笑)
何年も前になりますが、いつぞやはずいぶん失礼なことを言ってすみませんでした。
まあ、地上的に、時効とお互いさまということでご容赦ください(笑)

> カッカしながら感情的な書きこみをした後なので恥ずかしいですが・・・

そうでしたね。
かなりカッカなさってるようで、キリコさん、私の書いている内容を全然読めていなかったので、しばらくは放置するしかないかなぁって・・・。
でも、こうして書き込みしてくれて嬉しいですね。
マジで嬉しかったので、定例会に来る人にいただいた「克」って銘柄の焼酎をロックで飲み始めました。
いつか一緒に飲めるといいですね。

> 今回の死刑問題についての議論ですが、わたしも、実はスピリチュアリストとしての正解がなんであるか、わかっちゃいたんです。

そうでしたか、そりゃぁ罪が重い(笑)
あはは、嘘ですよ。
知ってたって、知識に気持がどこまでついてくるかはまた別ですからね。
誰でもそうですよ。
もちろん、わたしもそうですから。

> 飯沼さんのご意見が、一番正しいと思います。
> われわれは、その方向に向けて、努力すべきです。
> ほんとうに、わかっちゃいるんです。


私は「正しい」と言われることが苦手なんですが、でも、キリコさんが本来の方向に心を向けようとしていることはとても嬉しいです。

> そして、さらに、それを自分に起きた場合にあてはめると、とても許す事のできなさそうな自分がいるわけです。

そうですね。
もしもそういうことが自分にと想像するのも嫌ですが、私なら自分の手で犯人をCENSOREDやりたいと思うでしょうね。
私はそんなにできた人間じゃありませんからね。
でも、それも叶わず、やっぱり許さなければいけないと思い始めると、きっとその苦しみで悶絶してしまうでしょう。
最終的には、自分にもたらされたこととして向き合えるのでしょうが・・・。

> 情け無いですが。

同じです(笑)

> うまくいえませんが、自分が許す事のできなさそうなことについて、犯罪者の遺族に、「加害者を許しなさい」だの、「死刑は悪です」などと言える資格が、わたしにはありません。

そんなことを被害者の遺族に言える資格のある人はいないと思います。
というか、前にも書きましたが、そういうことを第三者が言ってはいけないのだと思います。
だからこそ、死刑制度の廃止は、国家の良識で決断しなければならないことなのです。
そして、被害者の遺族の心のケアは専門に要請されたカウンセラーが時間をかけて行うしかないと思います。

> これは、私の未熟さからきているのです。
> わかっちゃ、いるんです。


いいえ。
キリコさんの場合は、情の深さや正義感がつい過剰に表現される傾向がある、ということでしょう。

未熟といえば、それは私も同じです。
未熟だから、今もたらされていることを材料にして学んでいけるのですよ。
自分も人も未熟なんだということを受け入れれば、ずいぶん楽ですよ。
未熟なりにその時その時を一生懸命やればいいんだし、うまくいかなかったり、間違っていたら謝ってやり直せばいいのですから。
自分も人も未熟な存在だと認識していれば、自分にも(多分)人にも優しく(甘くじゃなくて)できますからね。
自分の成長も人の成長も素直に嬉しく思えるし。
それに、嘘をついたり誤魔化したりしてぶざまに自分を守らなくて済むし、見え透いた言い訳をしなくてすみますから。
未熟な者同士、楽しみながら地上を旅しましょうよ。

> おそらく、もしもわたしの意見について霊界通信が送られてきたとしたら、ヤフーでのアコさんのコメントを上回る、激しい叱責があったと思います。

そうかな?
多分違うと思いますよ。
あなたの動機は、霊界側からのほうがよく見えていると思います。

今、克が伝えてきたことを思わずここに書いてしまったのですが、削除しました。
大丈夫です。
決して叱責などではなく、あなたが本来のあなたの心を喜びながらさらなる気づきと学びと実践の道に進み始めたことを祝福してくれています。

これまであなたが身を削ってでも、分かってもらいたかったあなたの思いやり深さと、努力や頑張りも含めて、霊界側では全て分かってくれています。
また書いていってしまいそうですから、止めますね。

> しかし、わかってはいても、一般市民としての自分自身が納得できていない事柄について、本に書いているからといって、自分に納得させる事もできません。

それでいいのだと思いますよ。
キリコさんも進化向上していくのですから。
今を偽るよりも、ありのままから始めましょうよ。

私はキリコさんのこの投稿を読んで、388の私の疑問、
『私が言いたかったのは、戦争を肯定する人や死刑賛成の人は、自分の信条とは相反することを唱えているスピリチュアリズムになぜ心惹かれ、「スピリチュリスト」とまで名乗れるのだろうか、ということでした』
の答えが分かったような気がします。
それは、スピリチュアリズムに「(理屈抜きで)出会うべくして出あい、惹かれるべくして惹かれた」ということです。

気づかせてくれて、ありがとう。
当たり前のことだったのに、なんだか自分が恥ずかしいです。

> かといって、自分が裁判員になったとしたら、死刑是認できるかと言うと、そうでもないのです・・・・・

こういうことを言われると、どうしても一緒に飲みたくなりますね。

> すいません、とりとめのない書き込みでした。

とんでもありません。
私もつい嬉しくて、時間を忘れて返信しています。

> 飯沼さんとは、登山ルートが違うかもしれませんが、目指すところは同じだと思います。
> 今後とも、よろしくおねがいいたします。


はい、そう信じています。
こちらこそ、よろしくお願いいたします。


> PS 克さんは霊界でお元気になさっていますか?
>    さぞや美しい所にいらっしゃることでしょう。
>    よろしくお伝えください。


ありがとうございます。
克からも祝福のエネルギーが注がれています。
それでは、また。
おやすみなさい。

06/07/2006(木) 03:15:25

No.391  みーじゅ
飯沼さん 引用
本当に、飯沼さんは心の温かい人だと思います。


>それと、私は「死刑問題」についてのスピリチュアリズムの見解と同じ見解の人間ですが、しかし、被害者の家族が犯人の死刑を望む気持に対して、第三者が批判したり、軽々しく口を挟むことは厳に慎むべきことだと思っています。

そうですね。全くその通りですね。
この言葉、私の心に深く刻んでいこうと思います。


>報道で知った第三者は、その人の心の平安に向けて祈らせていただくことしかできないと思うのです。

今まで、事件を知っても、その人に対し、祈るという行為をしたことがなかったので
今後は、私も、祈らせていただこうと思います。

深いお言葉を、どうもありがとうございました。

06/07/2006(木) 12:19:18

No.392  飯沼 E-mail
Re: (No Subject) 引用

☆みーじゅさん、皆さんへ

>本当に、飯沼さんは心の温かい人だと思います。<

いえいえ、そんなことないのですよ。
これは謙遜なんかじゃなくて、ほんとに私はそんな人間ではありません。
人の気持の分からない不十分さを抱え続けています。

今日も仲間から、「ハナ」さんに対して不親切じゃないですか、という内容のメールをいただきました。
言われてみれば、全くその通りです。
ハナさん、ごめんね。
血尿のことは分かりませんが、克が受信した「腎臓・膀胱」についてのメッセージを後ほど掲載しますから参考になさってください。

そのほかにも、ご自分のサイトに、私宛てかなと思われるメッセージを掲載してくださった人もいます。
それがもしも私宛てならば、おそらくは「心の道場」さんについての私の意見のことが元にあるのでしょう。
「心の道場」さんについての意見表明は、「スピリチュアリズムが伝えている本来の目的・理念・精神を、改めて明確にしておきたい」という動機に基づいてでした。
「心の道場」さんは、現状では否定を避けるための細工はしても、本当の意味で他者の意見に耳を傾ける姿勢はないと思います。
ですから、私が意見を述べたことによって、余計に私に対する反感を募らせるのでしょうが、他の読者の皆さんに「心の道場」についての「ひとつの視点」を提供することが目的でした。
やや、私情が入ったことも確かです。
そこは反省せねばなりませんね。

「心の道場」さんは現状では、あのイエスの訓えを教義化して自らの権威に置き換えていった西欧のキリスト教の教会組織に似ています。
シルバーバーチが「イエスを十字架にかけた直系」と、激しく批判した存在です。
実際「心の道場」さんは、シルバーバーチやスピリチュアリズムの精神・真髄(真実と慈悲を同時に含んだ愛です)を歪めてしまっていると感じます。

と言っても、私は今はもうこれ以上、彼らの問題には触れるつもりはありません。
また折を見て指摘や意見表明をするかもしれませんが、それは「視点の提供」です。
あくまで「情報のひとつ」ですから、読んだ方が判断してくださればよいのです。
批判することで善良な読者の反感を買うかもしれませんが、これもこの国のスピリチュアリズムのなかでの役割のひとつだと思っています。
「関わらない、距離を置く」しかない場合もありますが、必ずしもいつもそれが調和への方法だとは思いません。

あのイエスも、当時のユダヤ教の硬直した権威を振りかざす者たちを痛烈に批判し、シルバーバーチも形骸化したキリスト教組織を強烈に批判しています。
まがい物に真実の光を当て、この地上に「真理」を顕現させるためです。
私はそんな偉い人や高級霊に自分を重ねるつもりは毛頭ありません(個人的にはこの言葉に抵抗感アリ・笑)が、過ち多き未熟なひとりの人間としてでも、やはり「本当のこと」についての発言は続けていきます。

スピリチュアリズムが伝えている本来の目的・理念・精神を、この国のスピリチュアリズムの軸に据えなおすこと。
それが、地上人類の霊的進化に向けて働きかけ続けてくださっている霊界と、地上的な幾多の困難を越えて霊界からのメッセージを伝え続けた霊媒たちに応える道のひとつだと思っています。

もうひとつの道は、言うまでもなく、スピリチュアリズムの理念・精神を実際に地上で形にしていくこと、すなわち実践です。
「今、エネルギーを必要としている人たちに、必要な(ふさわしい)エネルギーを注ぐ通路を、あらゆるところで開き、実際に通路としての役割を果たしていく、というものです。

それはヒーリングであり、調和に向けたカウンセリングであり、もっと広い分野での相互扶助のネットワークです。
心を大切にし、普通でいいから真っ当に、自分を役立てながら自分も幸せに生きたいと願っている人々のネットワークです。

理念と実践。
このふたつを切り離すことはできないと考えています。
なぜなら、地上界とは神の分け御霊としての心を肉体(言動)・物質によって表現していくために作られた次元の世界ですから。
霊(心)と肉体・言動・物質の共鳴・融合こそ、地上界の浄化であり、スピリチュアリズムが地上にもたらされた目的なのだと考えるからです。

そんなですから、最近の私の書き込みで不愉快になった方がおられたらすみませんでした。

06/07/2006(木) 16:37:48

No.393  キリコ
Re: (No Subject) 引用
飯沼さん。
ありがとうございました。本当に、ほんとうに。

ぜひとも、ぜひとも、一杯、飲りたいです。
飯沼さんとは、楽しく飲めそうです(笑)。

楽しい席になるとおもいます。

スピ云々ではなく、実に不思議なものですが、人間と言うのは、単に一緒に飲み食いするだけでも、全然違うんですよね〜〜〜〜・・・
そこに、
美味しいお酒があったりすると、もう最高!
盛り上がってくると!

ともに、日本の在るべき姿とか、平和の在り方とか、国際問題とか、いろんなことについて、または下世話な話題も・・・
素晴らしい提案やアイデアがでてきて、それはそれは楽しいもので・・・

*難点は、翌日アイデアをすっかり忘れている事が多い事ですが・・・・・・・(笑)

私は、今後も右往左往しながら、ボチボチ、できるところから、少しずつ、無理せずに、学んで行こうと思っています。

よろしくおねがいいたします。

06/07/2006(木) 19:23:08

No.394  花
飯沼さん 引用
思わぬ形で「腎臓・膀胱」の受信メッセージが読めるのですね!ありがとうございます。楽しみにしています。

あれから、母親には検査結果はどうなの?って聞きました。今は半年に一度検査をしているそうで、3月の時点では異常はなかったみたいです。ただ、これは、一貫して言われるんですけど、もし異常という結果がでたとしても、もう入院して手術を受けたりは絶対にしないって言っていて、今回も同じ様に言われました。

私は、とってもしっかりとした母親だと思ってなんでも完璧にこなす母親を尊敬していますが、心の中では反発や反感もかなりありました。とっても窮屈だったし。。でも、母親の病気を知って死ぬかもしれないってなった時、自分の魂が消えてしまいそうでとても怖かったです。その時は何が何でも助かって欲しい、生きていて欲しいって毎晩泣いてましたけど、何年か経って自分の気持ちしか考えてない自分に気づいたんです。なんていうか、うまく表現できないんですけど、病気になっている本人の気持ちとか、そういうのを抜きにして自分の気持ちだけしか考えてなかったんじゃないのかなって。もう結婚して子供が産まれたばかりでしたが、いつも頭の中は「母親」でした。
でも、父親達を見ていて自分を見ると自分は「無力」なんだな〜って思って、まずは「自立」していないと何も出来ないのかなって思ったんです。
私は私として個人としてしっかりと生きて、その上で祈る。
今は、「例え異常という結果がでても、もう二度と手術も入院もしない」という母親の意見は私なりに受け入れています。
ただ、この先どんなことになろうと、私には祈ることしか出来ないかなあって。普段見た目は本当に元気そうなんですけどね。口達者だし(笑)それに、自分では大分母親に対しての反感というかそういうドロドロした感情はほとんどなくなってきたかなとも思ってはいます。
なんだか楽しみにしてますっていうつもりが長くなってしまいました。。。

それと、「仲間」のかたにも、思わぬきっかけで腎臓・肝臓についてのメッセージが読めます!感謝してます。ありがとうございました(嬉)

06/07/2006(木) 19:52:28

No.396  飯沼 E-mail
Re: (No Subject) 引用

☆花さん

こんばんは。
「腎臓・膀胱」についてのメッセージを、前の花さんの書き込みの返信欄に入れていきました。

すみませんでしたね。

06/07/2006(木) 21:52:58

No.399  飯沼 E-mail
Re: (No Subject) 引用

☆キリコさん

ヤフーの掲示板も、ペーパーバーチさんの掲示板も落ち着いたようでよかったです。

多少(?)感情的になって言い合ってしまった後に、お互いが素直に謝りあうというのは、見ていて気持がいいですね。

克はあれで地上にいた頃は、私の前では結構意地を張ることがあって苦労させられましたよ(笑)
私の前では、人に見せないような可愛いところも、どうしようもないところも出していましたからね。

いつか定例会にも来てみてくださいよ。
私は「利他行為」という言葉になじめないので、そういう言い方はしないのですが、今構想を練っている「ネットワーク」の話は、きっと夢が広がりますよ。
あ、悠々塾は組織でも団体でもないし、全くの自由意志での参加ですから、囲い込むようなことは一切ありません(笑)

今日、祐造&さきさんがNPOセンターに相談に行ってくれて、今の構想でNPO法人化できることが確認できました。
まだ掲示板で公表できる段階ではありませんが、キリコさんのご意見も聞いてみたい気がします。

07/07/2006(金) 00:30:53


No.387 藍子 ホームページ E-mail
父のエネルギー。 引用
こんにちは。
父、昼間はエネルギーを送ってくれてありがとう。
とても助かりました。

今朝から頭痛がしていたのですが、それがだんだん酷くなり、昼頃になると気分が悪くなるほどになっていました。頭痛はけっこうよくあることなので我慢していたのですが、さすがにこれはちょっと働けないゾというくらいになり急遽父にメールをし、頭が痛いのでエネルギーを送ってほしいと頼みました。
すぐに父から返事があり、その後頭の後ろから背中にかけて、熱い柱のようなエネルギーが通る感覚がありました。
そして、頭痛が治ってしまいました。嘘みたいに、楽になったのです。

日頃父をただの父だと思いがちな娘としては、こういうことがあるたびに「父、まさかあなたのエネルギーはすごいんじゃないの?」と毎回びっくりしてしまいます。
本当に今日は助かりました。

ちょっとあまりに新鮮に驚いてしまったので、掲示板に書き込みました。痛みをとること、病気を治すこと、そういうことがエネルギーの力で出来得るというのをもう一度知ってもらいたかったので。
今回の私の頭痛は些細なことだったけど、父のエネルギーは確かに効果があるのだとあらためて思いました。

父、ありがとね。

05/07/2006(水) 21:40:28


No.398  飯沼 E-mail
Re: 父のエネルギー。 引用

> 日頃父をただの父だと思いがちな娘としては、こういうことがあるたびに「父、まさかあなたのエネルギーはすごいんじゃないの?」と毎回びっくりしてしまいます。

あはは。
でも、頭痛が治ってよかったね。
今日も、地上に今生きているのが奇跡のような激しい痛みを伴う重篤な病人さんから電話があって話してたんだけど、痛みが消えたり、体がポカポカしてきて不思議ですと言われたよ。

もっともっとすごいエネルギーの通路になれるように、お父さんも意志と意欲を高めようと思っています。
最近、なぜかそんな気持が強くなっている。
いつの間にか、もうこんな歳になってしまったけど、もっともっと本来の自分らしくなっていけそうに思うし、そうなりたいと思える自分がなんだか不思議です。

じゃあ、16日は楽しみにしてるからね。
ねねは、個別懇談が済んでる時期だから、きっと落ち込み気味かもしれないけどね。
今は暑いのと朝が早いので、少々疲れ気味だけど、楽しくやってます。

07/07/2006(金) 00:09:22


No.379 花  
こんばんは 引用
こんばんは。掲示板に投稿するのは本当に久しぶりになります☆
以前は「ハナ」で投稿させていただいたことのある花です。

えっと、『血尿』について一般的な意味はどういう意味があるのか、解る範囲で良いので教えていただけないでしょうか?また、そういう症状をかかえている人にどういった心で祈れば良いのでしょうか?

飯沼さん、先日は娘のヒ−リングありがとうございました。最近はメールで近況報告?!してるんですが、今回母親が血尿がでたというもんですから。。。忙しい時にすみませんが、よろしくお願いします。☆

03/07/2006(月) 23:46:44


No.380  飯沼 E-mail
Re: こんばんは 引用

☆花さん

こんにちは。
血尿についての受信はした記憶がありませんので、分かりかねます。
そういうことについての受信は、今の私ではできませんので、なんともお答ええできません。
すみませんね。

まずは病院に行って、検査を受けてくださいね。

04/07/2006(火) 18:00:07

No.382  花
Re: こんばんは 引用
>
> ☆花さん
>
> こんにちは。
> 血尿についての受信はした記憶がありませんので、分かりかねます。

そうですか。。わかりました。

> そういうことについての受信は、今の私ではできませんので、なんともお答ええできません。
> すみませんね。
>

いえいえ、逆にお手数おかけしました。もしかして、以前そういうのも受信されていたかなあと思って書いただけなので。



> まずは病院に行って、検査を受けてくださいね。

定期的に検査はしているみたいです。その時には今のところ異常はないみたいです(←多分。血尿だと聞かされてこういう肝心なところを聞かない私も私ですね 汗。でも、何も言わないってことは多分検査では異常は出てないと思います。。)

ありがとうございました。

04/07/2006(火) 18:33:20

No.395  飯沼 E-mail
Re: こんばんは 引用

腎臓・・・この臓器は、機能のうえからみれば、血液中の老廃物を漉し取り、尿とし、浄化された血液を再び体内へ送り出す役割を担っている。

 心にも、日々、さまざまな澱は生ずるのであって、それはできるだけ早く解消されるべきものである。その澱をためてしまうことで、心の健やかさをくもらせ、さらにそれが肉体へと反映するからだ。しかし、心の働きが、生じた澱を変換しようと作用するものだとしても、なかにはそうできないこともある。
それが「やり場のない気持ち」である。言い換えれば、自分の気持ちの苦しさ・重さの持って行き場がないということである。何かで発散し、気持ちを切り換えようとしてもそれができない場合や、そういった自分の気持ちを聞いてくれる(分かろうとしてくれる)人のいない場合、そういった気持ちを抱えていることすら気づいてはもらえない状況にある場合などがそうである。

 こういった「やり場のない気持ち」は、受け取ってくれるところがないだけに、自分のなかに抱えたまま、持ち続けるほか術はなく、外へは出せない(排出できない)ということになる。本来ならば、心の澱は物質的には尿のなかに溶け込ませる形で排出されるのであるが、「持って行き場がない」という場合、その作用(排出)を肉体に起こさせるわけにはいかなくなる。このことが、腎臓の機能に障害をもたらすのである。

 このことから考えると、腎臓に何らかの症状(病)を持つ者にとっては、自分の苦しい気持ちを受け止めてくれる人の存在が大きな意味を持つことになるということが分かるであろう。本来ならば、それは家族(夫や妻、両親、子供)もしくは友人知人がその役を果たしてくれるはずなのであるが、大抵の場合、そうではなかったからこそ、外へ出せずに抱え込み、症状(病)へと結びついていったのである。
しかしいつも伝えているように、このことは、まわりの者のせいでその人が病を得たという意味ではない。本人とそのまわりの者との関わり方として、目指すべき姿が、その人の心の苦しさ、辛さ、寂しさに気づき、それを受けとめ、満たしていくというものだからこそなのである。従って、すぐにそういう関わり方が、お互いにできるかというと、なかなか難しいはずである。しかしそこでは、症状(病)を得た本人は、「どうせ分かってはもらえない」というあきらめを、初めから持つことなく、それを越えて「だけどやはり分かってほしかった」という自分の正直な気持ちに従って、まわりの者に自らの心を開いていこうとしてほしい。
まわりの者にしてみれば、今まで感じてはいなかったその人の思いを知らされても、なかなかそこにすぐには共感しにくいかもしれない。だが、それを感じさせないほどその人が、苦しさ、辛さ、寂しさを、自分の内に抱いていたことについては、分かっていこうとしなければならない。そして、それらのことに気づかないままに、今まで来てしまったことについては、その人へ詫びる気持ちと、言葉とを向けてほしい。

 共に暮らしを営むうえで、あるいは家族という縁をつないでいるうえでは、“喜びの共鳴”“喜びを分かち合うこと”が大きなテーマである。しかし同時に相手の心のかげり(苦しさ、辛さ、寂しさ)に思いやりの心を向けていくこともまた、大切なことなのである。

 持って行き場のなかった心を、受け取ってもらえ、自分の内に抱え続けなくてもいいのだという安心と喜びが、心のおりを出してもいいのだという信号として腎臓へ向けて発せられれば、その機能は回復へ向うのである。


膀胱・・・膀胱とは尿を一時ためておくところ。腎臓を通して作られた尿を、一定量とどめておくところである。

 この臓器が象徴する心の要素のひとつが、“躊躇(ちゅうちょ)”である。それは、自分の気持ちを言葉にして表し相手に伝えることへのためらいであったり、具体的な行動を起こすことへの抵抗感であったり、気持ちや言葉・行為を向けられた時の違和感であったりする。それらを感じ、それによって心の負担が大きくなった時、心が傷ついた時、さらには、そういう気持ちを抱くことそのものが、もともとのその人の心の傾向に合わない時などには、膀胱への症状として肉体に反映されるのである。

 もうひとつの心の要素は“緊張”ということ。これは、人前で何かを言い、何かをする場合のことだけではなく、もっと広い範囲の心の状態を指す。人からどう見られるかということで心を張り詰めている場合(こう見られたい、こう見られたくない、の両方のパターンがある)、失敗や批判を恐れている場合、人への警戒心が強い場合…。いずれにおいても、ありのままの自分を見られることへの恐れや抵抗感がもとになっている。しかし、心はこういった張り詰めた状態が心地よいはずはなく、むしろその状態を早く解除したいと望む。その状態が生み出す心のおりを持ち続けることを避けたい、早く出してしまいたい。それが膀胱への信号として作用し、症状を引き起こすことになるのである。

 この臓器に関しての心の要素(ふたつの傾向)に共通するキーワードは、ありのままということである。ありのままの自分、ありのままのその人(関わる相手)、ありのままの現実。それらを受け取ること(見ること)、表現すること、知ること、それを喜びとできるかどうか、である。そうではない自分、そうであってほしくないその人(関わる相手)、そうであってほしくない現実といったものに対して、そのまま受け入れ、あるいは表現できることが、心の動きをスムーズにすることになるのである。躊躇や抵抗感、違和感によって、心が動きを止めることや、緊張によって心を硬い状態に維持することがエネルギーの循環を滞らせ、また、生ずる心のおりの排出に異常をきたすことになるのである。

 この臓器に反映された症状(病)を癒していこうとするならば、どうしても求められるのは「心を柔らかく」ということであり、「ありのままの自分で」ということである。まわりの者がその手助けをしていこうとするのであれば、その人が安心できるような心の環境を整えることをして頂きたい。その人の持つ緊張の要因は、人によってさまざまであり、心を硬くせざるを得ない事情は、まわりの者にならよくわかるはず。それに関してその人が、それ以上心のおりを生じさせないようにするための手段を講じてあげてほしいのである。

 多かれ少なかれ、ほとんどの人はありのままの自分ではいられない苦しさを持っている。しかし、関わり合いのなかで、人の心への信頼が芽生えれば、少しずつ本当の自分を解放していけるのである。本来の心でつながり合うことは、関わる者どうしどちらにとっても嬉しいことのはず。互いの心に対する信頼を確かなものとして築き直すこと、それがこの臓器に症状を持つ人と、その人に関わる者たちの間のテーマなのだと言えるのである。


06/07/2006(木) 21:50:37

No.397  花
ありがとうございました(^o^) 引用
こんばんは。読ませていただきました。。
以前克子さんに母親のヒ−リングをお願いしていただいたメッセージと重ねて読んで胸にグッときました。
実は昨日の朝方見た夢があるんですけど、これで納得です。全て繋がった感じでスッキリしました(笑)
これからどうして行くかを問われているような気がします(なんかエラソーですね 汗)
考えてみても、やっぱり私から皆に向けて関わっていくしかないなあって思います。
「あきらめ」ではなく、「喜び」に向かっていけるように自分に出来る範囲で頑張りまあス(^Θ^)

07/07/2006(金) 00:08:34


No.378 悠々塾 ホームページ 
ご案内です 引用
☆☆☆悠々塾から出雲・須佐神社初詣のご案内です。☆☆☆

来年のお正月、1月3日〜4日(一泊二日)の日程で出雲の須佐神社・出雲大社などへの初詣ツアーを計画しています。
宿泊は須佐神社そばの「ゆかり館」(温泉あり)です。
(右上の家のマークから「ゆかり館」のホームページへ行けます)
大阪発着の観光バスを1台借りて、皆さんとともににぎやかに行きたいと思います。

費用は、宿泊費・食事代(4食)・交通費(大阪〜出雲〜大阪)込みで大人お一人2万4千円前後で行けると思います。(参加者数により多少は増減します)
あらためて詳しくご案内のうえ、申し込みを受け付けたいと思います。
取り急ぎ日程だけはお伝えしておきたかったので、「行きたい!」という方はカレンダーにチェックを入れて、楽しみにしていて下さいね。

03/07/2006(月) 22:50:11



No.366 りん  
少しずつ 引用
飯沼さん、みなさんこんばんわ!
来月に引越しをすることになって(といっても今の所から車で15分くらいのところ)とてもバタバタしていたのでなかなか書き込みをしたいことがあってもできなくってやっと書き込みできます!!
 最近は少しずつ身体が楽になってきたように思います。。
といってもまだまだ心が重くなってしまうときもいっぱいあるけれど、やっと自分を受け入れることができるようになりました。。
今までの私は「もっとがんばらないと周りから認めてもらえない」
「もっとこうしていかないと、好きになってもらえない。仲良くしてもらえないからもっとがんばらなくちゃいい人にならなくちゃ」
「もっとがんばらないと良いママだと思ってもらえない、ママのことを嫌いになってしまうのではないか」
 失敗すると自分を否定して、失敗して詫びることができたのに
失敗した自分を受け入れることができなかったのです。
 どうしたら自分を認め、受け入れることができるのか、毎日毎日
自問自答の日々でした。。
でも最近になってやっと自分を受け入れていけるようになって、
今までは「失敗したらいけない」だったのが失敗したらいけないのではなくてたとえ失敗しても素直に詫びたり、正直になること、、、それがありのままの私なんじゃないかなって思えるようになったんです!
 失敗すると不安や心配になって大変でしたが、失敗したかな、間違えたかな、不安になったときはミューさんのアドバイスを思い出して相手に素直に聞けるようになって、安心が増えてきた!
 今までは失敗したり、間違えたりしたら相手に嫌われてしまう、受け入れてもらえなくなるって思っていたけれど、どんな時も(失敗したときも)素直に正直でいることが一番大事なんだってわかったんです。。そして相手を信頼するということも。。
 そう思えたら、失敗した自分も、間違えた自分も素直に詫びれるようになった自分を好きになってきました!
 だからうれしくって!飯沼さん、みなさんこれからも努力していきますのでよろしくお願いします!!

  

30/06/2006(金) 23:31:52


No.376  ミュー
りんさんへ 引用
りんさん、お久しぶりです!
お引越しで、忙しそうだけどがんばってね!

りんさんが、益々輝いてゆくのをとても嬉しく思います。
そして、凛とした(ダジャレじゃないよ・笑)頼もしさも感じて、とても励みになりました!
これからも、一緒にがんばろうね♪不安や怖さを越えてゆける自分を、共にたくさん喜んでいこうね。

りんさん、ありがとう\(^o^)/

03/07/2006(月) 00:55:08


No.353 飯沼  E-mail
〜 愛は時空を超えて 20 〜 引用
     

      ☆☆ 愛は時空を超えて 20 ☆☆
             
          ―― 霊界の堀江との会話 ――


飯沼) おぅい、クゥ。
こんにちは。
今日は僕の方がテーマを決めての受信になるけど、よろしくね。

克子) はぁい、まーたん、こんにちは。
もちろん分かっていますよ。
改めて言うほどでもないかもしれないけど、あなたが受信のテーマを選んだり、建設的なことで思いついたりすることのほとんどはこちらから穏やかなインスピレーションという形で思念を送っているのですよ。
今回のテーマは、あなた個人としてはあえて今の時期に選びたいとは思っていなかったでしょう?
あなたにはあまりに当然過ぎて、このテーマの受信に労力を割く意欲は高まってはいませんね。
むしろ面倒に思っているわ。
でもね、今すぐに役に立たなくても、今の時期に改めてこのテーマについて提示しておくことも、あなたの役割のひとつなのですよ。
だから、グズグズしないで始めましょうよ(笑)

飯)ひどい言い方だね(笑)
別にグズグズはしてないと思うんだけど・・・。

克) あはは、ごめんね、まーたん(笑)
でもね、意欲が高まっていないのは自分で分かるでしょう?
そういう状態で受信すると、時間も掛かるし疲れが残るわよ。

飯) そうだね。
受信しながら居眠りしたりしてね(笑)
よしっ、気合を入れてやりますよ!

世界の国々で、死刑を法律で、または実質的に廃止している国は123カ国にのぼる。
死刑を存続させている国は、アジア、アフリカを中心に70カ国あまり。
西欧は全ての国で廃止しているし、いわゆる先進国で死刑制度を存続させているのはアメリカと日本だけ。
アメリカは、15前後の州で死刑廃止している。
日本政府は国連の機関から死刑廃止に向けての要請を受けているが、長年にわたって無視し続けている。
「死刑は凶悪犯罪の抑止力になる」と主張する人がいるが、ヨーロッパや国連の調査結果では、死刑を廃止したからといって、凶悪犯罪が増加したという事実はない。
カナダでは、死刑廃止後30年間で殺人事件は半分近くにまで減少し続けている。

また、「死刑制度を存続させているから凶悪犯罪が減少する」という事実もない。
「被害者の家族の気持を思えば死刑は当然」という主張もある。
しかし、犯人が死刑に処されることで、被害者の家族の気持は慰撫されるのかどうか・・・?
刑罰とは、被害者の家族に代わって、国家が報復するものなのか?
さらに、日本では殺人犯に死刑判決が出るのは、1%以下である。
つまり、圧倒的多数の被害者の家族は、犯人の死刑を願っても叶えられない。

誤審の可能性もあり、死刑確定後に無実が証明された例も少なくないし、現在も無実を主張している確定死刑囚は何人もいる。
アメリカでは、この30年間に死刑判決が出た後で無実が証明されて釈放された「死刑囚」が100人以上に上る。
もちろん、執行されてしまった無実の死刑囚もいる。

まず以上のことを、これを読む皆さんに知っておいていただきたい。

ここで一番問題になるのは、「被害者の家族の気持」だと思う。
死刑制度支持のほとんどの人も、被害者自身の無念さや痛ましさ、家族の方の気持を思ってのことだと思う。
家族の方の気持は僕にも十分に分かるし、「犯人を死刑に」という主張に傾くのも無理はないという気はするが、そこはどうなのだろう?

克) そうですね。
本来の霊界に生きる私にも、家族の方々のお気持はよく分かります。
愛する人を無残に殺害されれば、どんな気持ちになるか。
愛する人をそんな酷い目に合わせた犯人を絶対に許せないという気持ちになっても無理はないと思います。
愛するがゆえに、犯人に対して憎しみを持つのです。
でも、同じように家族を酷い方法で殺害された人の全てが、犯人を憎み続け、死刑を願い続けるかといえばそうではありません。
では、犯人を死刑にすることを望まない家族の人は皆、殺害された人に対する愛情が薄いのかといえば、それは絶対に違います。
それこそ、被害者の家族に対する冒涜です。
愛する人の地上生命を酷い形で奪った犯人に対して、「この手でCENSOREDやりたい」という地上最大の憎しみを越えて、犯人を許し、更正を願えるようになった人たちもいるのです。
犯人に対する憎しみや許しがたさを完全に払拭することは難しいでしょう。
しかし、それよりも他界した愛する人の冥福を祈るという形で、愛念を送ることのほうを優先させている人は、本当にたくさんいます。
「自分は犯人を許せないけれど、犯人が死刑になったからといって自分の愛する人が喜ぶとも思えない」という思い方です。
逆から言えば、犯人が死刑になれば、自分の愛する人が本当に喜ぶのかどうか、です。

「被害者の家族の気持」といっても決して一様ではありません。
愛する人を失った悲しみや喪失感は、残虐な犯罪であっても、事故であっても、病死であってもそれぞれにあるものです。
その悲しみや憎しみの程度と、それをどう越えていくかは、ひとえにその人の霊性に掛かっているのです。
こういう言い方をすれば反感を招くかもしれませんが、霊界から見ればそういうことです。
愛する人への愛情が大きければ、犯人への憎しみも大きくなるのは理解できます。
しかし霊的に言えば、憎しみは愛情の陰にすぎません。
許しがたさや憎しみの深さは、愛情の大きさや深さの証明にはなりません。
反動なのです。
愛を憎しみで表現する段階を越えて、愛を愛で表現することが地上人生の目的でもあるのです。

そうはいっても、憎しみの渦中にある家族の人が自分でそこに気づくことはなかなか難しいでしょう。
魂の約束で配剤されている周囲の誰かが、勇気を奮ってゆっくりと時間をかけて話してあげていただきたいと思いながら、守護霊や指導霊は見守っているのです。
すでに本来の霊界に戻っている被害者自身が、家族の傍まで下りて働きかけていることもあるのです。
事件は被害者自身にとっても、今回の地上人生の目的に沿ったものであるのですし、本来の霊界に戻った被害者はそのことの意味を理解も納得もしています。
いつまでも、無残に殺害された被害者のままでいるのではありません。
そして、憎しみを抱き続けている家族の人にとっても、その事件は今回の人生のプログラムの中に設定されているのです。
「そういう目に合わされて、どうしていくのか」、その人の魂は知っています。

犯罪者の刑罰の基準は被害者感情ではありません。
前述したように被害者感情もさまざまですし、殺人事件のほとんどは死刑以外の刑罰が科されているのですから、「被害者感情」という点においては不公平になってしまいます。
やはり政府が率先して「どうあるべきか」の決断をしなければならない問題でしょう。

ただ、今のこの国は、多くの人々が怒りの捌(は)け口を求めている状態です。
先行きの見えない不安や閉塞感、地道な努力が報われにくいこと、力を持つ人々の横暴や不正などをどうすることもできない普通の人々の多くは、心の奥に怒りを抱えて、その捌け口を求めているのです。
弱者であるがゆえに怒りや憤りを公然とは表現できず、ともすれば残虐な犯罪を犯した犯人にそれが向けられるのです。
「言える者に、言えるところで言いたいように言う」という、人間的弱者の哀しい感情の捌け口でもあるのです。
(それはある時期から再び目立ち始めている、特定の国の人たちに対する差別や偏見、排除の現象も元は同じです。)

それともうひとつ。
今のこの国は、人と人の気持ちが通い合わず、それぞれの人が「共感」を求めています。
そこでも、犯人の死刑を望む被害者の家族の気持ちに共鳴しやすいのだとも言えます。
そして、それらのエネルギーが、被害者の家族が犯人に対して抱く憎しみを増幅させている面もあるのです。

憎しみを強め、犯人の死刑を願う状態の家族の人に対しては、そういう気持を受け止めた上でそれらを越えた愛念を送って差し上げてこそ、霊的真理を学ぶ者としてふさわしい行為なのです。
たとえ酷い形で殺害されたとしても、被害者はいずれ必ず癒されるのです。
まして被害者が善良で優しい心の持ち主ならば、他界後の休眠を経て、皆さん方の想像よりもはるかに早く本来の霊界に戻ります。
その霊たちは、死刑がどのようなことを招くのかを知っていますし、死刑や報復を望んでなどいないのです。
自分はすでに美しい喜びのみの世界に生きているのに、自分を愛してくれる家族が今も憎しみに囚われ続けていることに困惑する“被害者”も少なくないのです。

なかには殺害される時のショックで地縛状態が続いている被害者もいますが、その状態の被害者を救うのはその人に向けられた愛念であり、愛する家族がその人の死を受け入れるエネルギーです。
犯人が死刑になったからといって、被害者の霊が救われるわけではありません。
もしも、犯人が自分の犯罪に見合った残酷な刑の執行を受けることを被害者が喜ぶのであれば、その被害者はすでに被害者ではなく暗黒界に向かうことになってしまうのです。
いかなる理由があるにせよ、人の苦しみを喜ぶことは、本来の霊界に向かうものではなく、暗黒界に引き寄せられていくことなのですから。
それは被害者のみならず、事件を知った世間の人たちも同じです。
霊界側は、そのような状態にある人たちに、一日も早く立ち直っていただきたく願っています。

飯) ありがとう。
では、いわゆるスピリチュアリズムでは、死刑についてどのように伝えられているのか、モーゼスの「霊訓(1800年代後半の霊界通信)」と、「シルバーバーチの霊訓」から抜粋引用するね。

霊にとって、肉体から無理やり離され、怒りと復讐心に燃えたまま霊界へ送り込まれることほど危険なものはありません。いかなる霊にとっても、急激に、そして不自然に肉体から切り離されることは感心しません。われらが死刑という手段を、愚かにして野蛮な行為であるとする理由もそこにあります。死後の存続と向上・進化についての無知が未開人のそれに等しいがゆえに野蛮であり、未熟な霊を怨念に燃えさせたまま肉体より離れさせ、さらに大きな悪行に駆り立てる結果となっているがゆえに愚かというのです。
(中略)
罪人は教え導いてやらねばなりません。罰するのはよい。こちらの世界でも処罰はします。が、それは、犯した罪がいかに自分自身を汚し進歩を遅らせているかを悟らせるための、一種の戒めであらねばなりません。神の摂理に忠実に生きる者たちの中に彼らを置き、罪を償い、真理の泉で魂をうるおすことを体験させてやらねばなりません。そこに神の使者が大挙して訪れ、その努力を援助し、温かい霊波を注ぎ込んでくれることでしょう。

ところが現実はどうでしょう。罪人を寄せ集めては、手を施す術なき者として牢に閉じ込めてしまいます。その後さらに意地悪く、残酷に、そして愚かきわまる方法によって処罰します。そういう扱いを受けた者は、刑期を終えて社会へ復したのちも、繰り返し罪を犯します。そしてついに、最後の、そして最も愚かな手段に訴えるべき罪人の名簿に書き加えられます。すなわち死刑囚とされ、やがて斬首されます。心は汚れ果て、堕落しきり、肉欲のみの、しかも無知な彼らは、その瞬間、怒りと憎悪と復讐心に燃えて霊界へ来ます。それまでは肉体という拘束物がありました。が、今その拘束から放された彼らは、その燃えさかる悪魔のごとき邪念に駆られて暴れまわるのです。
(モーゼスの「霊訓」上・第2章 現世と来世より  コスモテン版)


死刑の是非

霊の教訓として私が躊躇なく述べていることは、殺人を犯したからといってその犯人をCENSOREDよいということにはならないということです。地上の人間は正義と報復とを区別しなくてはいけません。いかなる理由にせよ、霊的に何の用意もできていない魂から肉体を奪って霊界へ送り込むことは、最低の人間的感情を満足させることにはなっても、何一つ意義のあることは成就されません。正当な裁きを下すべきです。死刑によって一個の人間を霊界へ送り込んでも、その霊をひとかけらも進化させることにはなりません。逆に、一段と堕落させ、“目には目を、歯には歯を”の激情に巻き込みます。
われわれは生命は肉体の死後も生き続けるという動かし難い事実を基盤とした原理を堅持しなくてはなりません。何の準備もできていない人間を霊界に送り込むことは、ますますトラブルのタネを増やすことになるのです。時には誤審による死刑も行われており、正当な裁きが為されておりません。
(シルバーバーチの霊訓・第8巻より 潮文社版)

飯) ということで、スピリチュアリズムの訓えは、はっきりと死刑に反対している。

克) そうですね。
それは当然のことですからね。
頭で考えてどうこうでなく、自分の気持がどうこうでなく、霊界から見れば死刑が摂理を逸脱し、実際にも「百害あって一利なし」であるのは明らかです。
あなたが疲れているので、これ以上の受信は難しくなってきましたね。
こちらの方としては、まあ伝えるべきことはおおよそ伝えました。
もうひと頑張りできるかなぁ?

飯) あいよ。いくらでも頑張りますって!

克) そうかなぁ。
無理しちゃってるわね(笑)
じゃあ、もう少しだけね。

最後に、どんな凶悪な犯罪を犯した人間でも更正の可能性はあります。
どんな人でも必ずいつかは更正するのです。
それを地上にいる間にさせることも、地上界の人たちの務めなのです。
皆が人生を喜べるように社会環境を整え、皆が心の拠りどころを持てるように家庭やその他で心のつながりを深め、支えあい、補い合い、思い合う世の中にしていくことで、凶悪犯罪は激減するでしょう。
犯罪の被害者だけでなく、加害者もまた今の地上界の歪みや偏りの犠牲者なのです。
これは決して奇麗ごとで、加害者を甘やかしなさいなどと言っているのではありません。
被害者の家族の人権を無視して、加害者の人権ばかりを主張しているのではありません。
霊界から見た真実を述べているのです。
誰一人として社会や人から排除されたり差別されたり虐げられることのない、物心ともに健やかな世の中にしていくことが、そのエネルギーの高まりこそが、誰一人むごたらしい犯罪の被害者を生み出さない唯一の方法なのです。

被害者の家族に対しては、多少なりともその気持を慰撫するために国が支援や保障をするのは当然です。
金銭が気持ちの慰撫になるものではありませんが、金銭的な保証は必要です。
もちろん加害者も人生を通じて償わねばなりません。
特定の場においての長期間の教育も不可欠です。
それらは遠回りのようですが、実際には更正に向けての近道なのです。
死刑にして、凶暴な気持を持ったままの霊を解き放つよりはよほど理に適っていますし、安全です。
特に凶悪な犯罪は、全て同じような未熟な霊の憑依が絡んでいます。
その方がよほど危険なのです。
凶悪犯罪を再生産していることになるのです。

スピリチュアリズムが地上にもたらされた目的は、「地上界の浄化」「地上天国の建設」のためにほかなりません。
いずれは、愛と摂理によって統べられた、健やかに輝く地上界に変容するのです。
ならば、その実現への道も、愛と摂理によってなされていくのです。
ナザレのイエスは、「目には目を、歯には歯を」という報復の論理を戒め、全てに対して愛で以って応えるように訓え諭しました。
かのイエスの真の訓えを引き継ぐのがスピリチュアリズムであるならば、せめてスピリチュアリズムに学ぶ人たちは、安直な感情に流されず、世間の人たちの報復の感情に迎合せず、本来の霊的真理を説き、自らも言動によって実践していただきたく、この霊界からお願いせずにはいられません。

スピリチュアリズムを標榜しながら、スピリチュアリズムの基本理念を冒涜するようなコメントを公表することが、人に対して悪影響を与えるばかりでなく、自分自身に対してもいかなる結果を招くものであるのか・・・。
いずれは必ず自らが背負わねばならないときが来るのです。
どのような形でその責任を負わされることになるのか知っていれば、誰もそのようなことはできないでしょう。
知識を持ちながら真理を歪めた罪は、非常に重いとお伝えしておきます。
本当にお気の毒なことになってしまいます。
その時になって、「こんなことになるとは思わなかった」と言っても、通用しないのです。
生半可な覚悟ではどうにもならないほどのものであることを、私から重ねてお伝えしておかねばなりません。

飯) はーい。お疲れさま。
もう限界です。
エネルギーがすごくて、頭がくらくら、目がショボショボですよ(笑)

克) まーたんこそ、お疲れさまでした。
大丈夫かな?

飯) 大丈夫、大丈夫、ちょっと休むよ。
それじゃあね。
今日はいつもの挨拶は控えておくね。

克) はーい、そうですね(笑)
じゃあ、またね。

(2006・6・29)

29/06/2006(木) 22:43:21


No.356  飯沼 E-mail
Re: 〜 愛は時空を超えて 20 〜 引用

>日本政府は国連の機関から死刑廃止に向けての要請を受けているが、長年にわたって無視し続けている。

日本は国連の人権機関から、確定死刑囚の処遇に関しても改善勧告を受けているそうですが、それも無視しているようです。

世界の大部分の国は、「国家が人をCENSOREDことを合法化できない」という理由で死刑を廃止し、終身刑を導入しているようです。

30/06/2006(金) 07:40:28

No.359  みーじゅ
Re: 〜 愛は時空を超えて 20 〜 引用
皆様、初めまして。
みーじゅと申します。どうぞよろしくお願いします。
飯沼さん、いつぞやはメールにてお世話になりました。

今回は「死刑」の話で、私も以前から、
死刑がどうにかならないものかと思っていましたので、
私にとってはタイムリーな話題でした。

私は死刑に反対です。
犯罪者と言えども、死刑は殺人と変わりないと思います。
過ちを犯す存在で完璧でないのが人間なのに、
そんな人間(裁判官)が人の命を勝手に絶つことを決めても良いのでしょうか。
私は仕事とは言え、死刑執行人は、
殺人をしていると同じことだと思うので、とても気の毒に思います。

テレビの解説者が、日本には、
死刑か無期懲役(いつかは刑務所から出る)の両極端な刑しかなく、
こういう制度しかないのなら、死刑も致し方ないと仰っているのが印象的でした。

何故、日本は死刑を廃止し、
犯罪者が心を改めることができるような刑(制度)を作らないのでしょうか。
とは言え、私自身、どのようなことをすれば、
犯罪者が改心し 魂を目覚めさせることができるのか
わからないので、大きなことは言えないのですが・・・。

ただ死刑を廃止せよ!だけでは、
被害者も一般市民も納得できないと思います。
死刑を廃止することを望むのなら、
それに代わる皆が納得できる刑(制度)を作らなければいけないのだと思います。

飯沼さん、みなさんは、どのような刑ができれば良いと思われますか?

初投稿で熱く語ってしまって申し訳ありませんでした。

30/06/2006(金) 13:03:31

No.361  ひろこ
受信お疲れ様でした。 引用
>たとえ酷い形で殺害されたとしても、被害者はいずれ必ず癒されるのです。まして被害者が善良で優しい心の持ち主ならば、他界後の休眠を経て、皆さん方の想像よりもはるかに早く本来の霊界に戻ります。

この事を知ったら、無残な殺され方をした方への気持ちが楽になり、安心して愛念を送らせてもらえることができます。
ありがとうございました。
いつも、死刑と無期懲役の極端な刑しかないのを、不信におもっていました。
無期懲役でも早くに社会に出てしまう事が多いようで、更生、教育がどのようになっているのか、想像がつきません。早く、終身刑が出来る事、そして残忍な行為をする人がなくなる地上になるよう祈りたいと思います。

30/06/2006(金) 15:31:08

No.362  高橋
死刑制度を超えて 引用
飯沼さん、あまり選びたくないテーマの受信、お疲れ様です(笑

最近、死刑について思うところがあったので、自分にとってタイムリーなテーマでした。

先週、光市の母子殺害事件について最高裁判決が出ました。
弁護人を引き受けたY弁護士が、法廷を欠席したというので、マスコミから大バッシングされたことでも話題を呼びました。(この件についても書きたいことはありますが、今回は話題を死刑の件に絞ります)

この事件は、事件当時18歳を超えたばかりの少年が、母親とその赤ちゃん(11ヶ月)を殺害したという容疑で、地裁と高裁がともに無期懲役にしたのを、検察が不服(量刑不当)として最高裁に上告したものです。

最高裁は、原判決を破棄し、差し戻しました。理由は、「特段の事情がない限り死刑の選択するほかないのに、死刑にしなかったのは不当である」というものですから、事実上の死刑判決に等しいものです。

先日、Y弁護士らが参加した弁護士の勉強会で話を聞いたところでは、この判決は非常に重要な意味を持っているとのことです。
つまり、簡単に言えば、これまでは、「凶悪事件は原則無期懲役、特段の事情があれば死刑もやむを得ない」とされていた基準をひっくり返して、「凶悪事件は原則死刑、特段の事情があれば無期懲役」と、原則と例外を逆転させたというのです。

ニュースを見ていても気づくことですが、さいきん、死刑を求刑する事件が極端に増えてきました。光市事件のように、高裁で無期判決が出ても量刑不当で上告する事例も増えています。

これは偶然ではなく、ひとつの大きな方針に沿ったもののようです。

ご存知の通り、2011年から裁判員制度が導入され、裁判官に混じって一般市民が罪や量刑の決定に参加することが決まっています。検察(国)がおそれているのは、法律の素人が、死刑や重罰を課すことをためらい、量刑が軽くなることです。だから、そうならないように、計画的に厳罰化を推し進めていると思われます。

死刑が増えているのは、国民に対して、「凶悪犯は死刑にするのが当然である」ということを教え示すため、という目的があるようです。

そして、厳罰化を推進するために国が最大限に利用しているのが「被害者感情」です。理性的で冷静な議論を進めていくと、他の先進国のように死刑廃止の方向に世論が傾きかねないので、なまの被害者感情をメディアを使って全面に押し出し、国民感情を煽っているのだと思います。

犯罪被害者や遺族の方々の人間としての怒りや憎しみの感情は誰も否定できないものですが、それを利用して自己の目的を達しようとする人々もいるという冷酷な現実が存在しています。

わたしたちにできることは、なるべく感情的にならず、人間の生命の尊厳(生命を奪われた者だけでなく、奪った側の者にとっても)と、受信されたメッセージで伝えられている深い真理に思いを凝らしていくことだと思います。

長くなってしまいました。

メッセージの内容はたいへん意義深く、これから思索の糧にしていきたいと思います。ありがとうございました。

30/06/2006(金) 20:04:31

No.363  はる
Re: 〜 愛は時空を超えて 20 〜 引用
たぶんこれを読む人のほとんどが、私に非難の目を向け軽蔑するだろうと思いながらも投稿します。
私は、死刑に対して賛成でも反対でもないにもかかわらず、むしろ残虐な事件を起こした被告人に対して、死刑になればいいのにと思っている自分がいます。松本ちずお(浅原しょうこう)や池田付属小学校殺傷事件の犯人や林真須美など無差別殺人を起こした人には特にそう思います。

霊的に見ればそう納得できるのですが、自分自身いのちに対して軽るんじている部分があるからだと思います。
私はCENSORED願望が強く、病気や事故で死んだ人を見てかわいそうにと思う反面自分もそうありたいと勝手に思ってしまいます。
自分でもおかしい感情だと思っていますが、今も生きる強い願望がなく無気力になっていることが多いです。
うつ病なので、薬を服用してなんとか生活できていますが、薬がきれると何をどうすればいいのかわからず、体はこわばり重く感じられます。
すべてに恵まれ幸せなはずですが、そう体が反応するのは自分でもおかしいとやはり精神障害者なんだと思って納得しています。

今日もこの掲示板を読む前に、私が死んで悲しむ人が幾人くらいいるのだろうか、生きていても人に喜ばれていないように感じました。実は母のお葬式のときのことを思い出したのです。
お葬式に参列した人の多くは、弟の友達や仕事関係者がほとんどで、汚れた仕事服のままでも遠くから参列してくださいました。
私の職場からは、義理で二人参列してくださっただけでした。

死刑の賛否の話からそれているそうですが、ずいぶん前から私の感覚がずれていることに悩んでいます。
やはり精神がゆがんでいるのでしょうね。情けないことです。

30/06/2006(金) 20:30:46

No.365  飯沼 E-mail
Re: 〜 愛は時空を超えて 20 〜 引用

☆はるさん

こんばんは。

>たぶんこれを読む人のほとんどが、私に非難の目を向け軽蔑するだろうと思いながらも投稿します。<

全然そんなことないですよ。
はるさんの重い気持を吐露してくれて、よかったと思います。
はるさんは、「自分でもおかしいとやはり精神障害者なんだと思って納得しています」という思い方よりも、「今の自分の状態はこうなのだな。でも、〜なふうになっていきたいな」というような思い方ができればいいですね。

(ここからははるさん向けではありませんが・・・)
死刑については賛否両論があって当然だろうと思っていますし、民意は今も真っ二つに分かれています。
だからこそ、死刑について考えるにあたっての「いくつかの視点」を提示しました。

ただ、スピリチュアリズムは死後存続を大前提にしたうえで、「地上的生命を無理やり奪うこと」を強く戒めています。
戦争についてもそうで、シルバーバーチは「破壊以外の何ものでもない。流血によって解決されるものは何ひとつない」と明言しています。
当然だと思います。
しかし、一方ではシルバーバーチの訓えを絶対化し、教条主義的な雰囲気を漂わせているスピリチュアリズムのグループが、イラク戦争が始まる前から「イラクが大量破壊兵器を隠し持っているのだから、この戦争は正当だ」との主張をネット上にも「ニューズレター」にも掲載していました。
大量破壊兵器の話が大嘘の口実だったことが判明してからも、自分たちの間違いには触れないままです。
スピリチュアリズムを標榜しながら、戦争に賛成することがおかしいと思うのです。

繰り返しますがスピリチュアリズムは、死後存続を大前提にしたうえで、「地上的生命を無理やり奪うこと」を強く戒めています。
それがスピリチュアリズムの基本理念のひとつです。
スピリチュアリズムに学ぼうとする人たちに影響を与える立場のグループが、基本理念を踏みにじった見解をサイトや通信に掲載することが間違っていると思うのです。

死刑に関しても同じです。
スピリチュアリズムを標榜するある老舗サイトで、死刑についての見解が書かれていたので、バランスをとる意味で今回の受信をしました。
死刑の是非について議論するつもりはないのです。
でも、スピリチュアリズムのサイトで死刑を肯定されると、「えっ?」と思います。
個人としての意見はさまざまでよいのですが、スピリチュアリストを自認しているのであれば、まして影響を与える立場であるならば「?」でした。
たとえば、自衛隊の幹部が公の席で「日本は非武装がよいと思う」と発言すれば、「アンタ、一体誰なの?」ということになります。最高裁の判事が「憲法にはこう書いてあるが、自分はそうは思わない」と発言すれば、「あなたは何を基準に法律に関わっているのですか?」ということになるでしょう。

もっとも、モーゼスの「霊訓」でもシルバーバーチの霊訓でも、死刑についてあれだけの見解が示されているにもかかわらず、「あれはスピリチュアリズムの基本理念ではない」というなら、また別の話になりますが・・・。
しかし、そうであれば「スピリチュアリズムって、一体何なの?」と聞かねばなりません。

克に対して温かい言葉を掛けてくれた彼なので、こういうことは言いたくないのですが、公私を分けて筋を通すのが私ですから、そこを含めて受け止めてほしいと願っています。

すみません。
すっかりはるさんへの返信じゃなくなってしまいました(笑)

30/06/2006(金) 22:34:59

No.368  飯沼 E-mail
Re: 〜 愛は時空を超えて 20 〜 引用

☆みーじゅさん

掲示板では、はじめまして。
先日は嬉しいメールをいただき、今日は掲示板に登場してくださって、ありがとうございまます。

>ただ死刑を廃止せよ!だけでは、
被害者も一般市民も納得できないと思います。
死刑を廃止することを望むのなら、
それに代わる皆が納得できる刑(制度)を作らなければいけないのだと思います。
飯沼さん、みなさんは、どのような刑ができれば良いと思われますか?<

死刑廃止の問題は、「国家としての良識」の問題に帰するところが大きいのだと思います。
「(いかに犯罪者といえども)国家が人をCENSOREDよいものかどうか」ということです。
それと、法による刑罰に関する理念(動機付け)の変化もあるのではないかと思います。
つまり、実情はどうであれ、理念上は更正・教育を懲罰と並ぶ目的に掲げるならば、死刑は更正の機会を奪うことになります。
このあたりは高橋さんがお詳しいのではないでしょうか・・・?

必ずしも死刑廃止の決定が圧倒的な世論の支持がなければ不可能だということではありません。
逆に言えば、世論調査などで死刑廃止に賛成する人が少数派でも、政府・国会の判断が問われているのです。
これは別に死刑制度に限ったことではなく、たとえば消費税にしても世論の同意がなくても政府与党の判断で決めるのですから。
あまり確かな話ではありませんが、イギリスやフランスでも民意の過半数の支持が得られない中で、死刑廃止が決まったというようなことを読んだ覚えがあります。

ですから、死刑を廃止するとして、その後のシステム整備は政府や議会の仕事です。
死刑を廃止している多数の国の実情を調査して、よいところを取り入れ、不備を補うような制度を作ればよいのです。

門外漢が個人的に言えば、やはり終身刑の導入は必要なように思います。
凶悪犯罪者の更正を理想の目的とするならば、それにふさわしいシステムと脱走再犯を防ぐ安全対策も不可欠でしょう。
死刑を廃止したことで被害者の家族の気持が収まらないのであれば、専門に養成したカウンセラーを何度でも派遣してじっくり話す場を作ることも必要でしょう。

国家としての理念は高い理想を掲げ、その実現に向かいながらも、しかし一方では現実的で緻密な対応をしていく、ということだと思います。
これは死刑制度に限らず、政府・国家のあるべき姿勢だと思います。
まあ、こういう願いが現実とは掛け離れた理想論であることは知っているのですが、それでもやはり政府・国家とは本来そういうものであるべきなのだと言うしかありません・・・。

私は死刑廃止論者です。
しかし、愛する人と死別したものの悲しみや苦しみは分かります。
いくら死は本人にとっては解放であるとは言え、残された者には病気での死別ですらあんなに辛く悲しいのに、それが犯罪によってであればどれほどのものかと思います。
きっとぶちのめさなければ気が済まないかもしれません

それでも、どんな凶悪な犯罪を犯した人間でも、必ず更正の可能性を持っていると思っています。
それは、永山則夫氏がそうでしたし、あの宅間という人が事件後文通していた人への手紙を読んでもそう思います。
凶悪な犯罪を犯した責任はもちろん本人にあるのですが、しかし、彼らもまた今の世の犠牲者だと伝える克に同意します。
全ての人間は神の子であり、神性を内在させているというスピリチュアリズムの基本理念を信じています。

なんだかピント外れの返信になってしまいました。
これに懲りず、また掲示板にお越しください。

01/07/2006(土) 00:18:51

No.369  飯沼 E-mail
Re: 〜 愛は時空を超えて 20 〜 引用

NO.368の補足です。

>いくら死は本人にとっては解放であるとは言え、残された者には病気での死別ですらあんなに辛く悲しいのに、それが犯罪によってであればどれほどのものかと思います。
きっとぶちのめさなければ気が済まないかもしれません<

死の意味を知っている私でも、霊界の克と思念を交し合える私でも、やはり地上に残された悲しさ辛さはどう表現すればよいのかわからないほどのものです。
先日の12周年の集いの挨拶の時にも、「去年の集いには克が横にいたのに・・・」という思いにつながってしまって、涙が先になってなかなか言葉が出ませんでした。

ですから、犯罪で愛する人を奪われたならば、死刑を願っても、もっとひどい刑罰を願ってもそれは分かるような気がします。
しかし、被害者の家族がもしも死刑の執行に立会ったからといって、あるいはもっと残酷な手段で犯人を殺したからといって、その人の心が満たされはしないでしょう。
そのようなことで、心が救われはしないだろうと私は思います。
しかし、「犯人を死刑にしてほしい」と言う権利は、被害者を愛する人に限ってはあると思います。
飲酒運転の車に子供を殺された親にだって、そう言う権利はあると思います。
ただ、それを叶えるかどうか、死刑制度をどうするかは被害者の家族の感情とは別の次元の、国家としての良識による判断であるべきです。

以前テレビで観た話です。
我が子をいじめでなぶり殺しにされた父親が、加害者の謝罪訪問を受けていました。
仏壇(祭壇だったか)に手を合わす加害者を見ていたその父親は、涙ながらに加害者の肩を抱き、「君も頑張れよ」と言葉を掛けてあげるのでした。
その様子を見ながら、克も私も泣きました。
そういう被害者の家族もいることも事実なのです。

別の事件の母親は、テレビのインタビューに、「犯人を憎んだり恨んだりしても、あの子は戻ってこないんだから・・・」と涙を流しながら答えていました。
被害者の家族の気持が全て、「犯人を死刑に」ではないのです。

そして、世界の潮流は間違いなく「死刑制度廃止」に向かっています。
大多数の国が死刑を廃止しているのです。

01/07/2006(土) 01:50:57

No.370  CRUSADE ホームページ
飯沼さんへ 引用
凶悪犯罪と行為者の魂の救済について、まず第一に思い起こすことは、日本の戦犯の厚生を実践した、中国の撫順と太原の戦犯管理所のことです。
一方的な侵略行為によって国民と隣人、親兄弟、家族を虐殺された戦犯管理所の所長と職員が一人一人苦しみながら、怒りと憎しみを乗り越えて、ひたすら戦犯たちに対して人間的な処遇と厚遇を持って接し、謙虚な反省と人間性の回復をもたらした、世界史にも前例を見ない奇跡とまで称される事例のことです。
戦犯たちは、覚悟していた厳格な処罰を覆す寛大政策によって釈放されて帰国した後、戦争の反省に立って『中国帰還者連絡会』を結成し、洗脳者、アカとのレッテルを貼られ、公安に付け回されて就職の困難にさえ晒されながらも、初心を一生貫き通し、反戦を訴え続け侵略の実態を告発し続けて今日に至っています。

私自身は過去十数年間、その背景にあった中華民族の精神的伝統の普遍的意味について、撫順戦犯管理所の金源所長の手記や、異なった立場の戦犯であった溥儀の書簡等と、古代古典哲学を通して考察を続けてきました。
ここでも、現在世界に存在する唯一の法体系となってしまったローマ法制とは異なる、先住民族や中世ヨーロッパ社会の法体系を貫く文化伝統と同一の精神を確認することができます。

飯沼さん。もしあなたが、例えば、中帰連について正確な知見をお持ちでないのなら、まずこの事から学んでください。そうすれば、死刑制度についてもさらに深く、確かな視点をもつことができるようになります。
今では、この中帰連の経験を引き継ぐ会も結成され、数年前には季刊『中帰連』のWEBサイトも開設されていますから、多くの方にお勧めします。

01/07/2006(土) 12:16:48

No.371  みーじゅ
Re: 飯沼さん 引用
私は、飯沼さんの仰っていること、尤もだと思うし理解・納得できます。
私も日本という国が、死刑廃止に向かっていくことを、これからも願っていこうと思います。

しばらくまたロム専門になるかもしれませんが(汗)、また突然、顔を出させてもらうかもしれません。
その時は、どうぞよろしくお願いします〜^^

01/07/2006(土) 23:03:39

No.372  飯沼 E-mail
Re: 〜 愛は時空を超えて 20 〜 引用

☆ひろこさん、高橋さん、かわぐちさん、コメントありがとうございます。
「死刑制度」について、何人かの方からメールをいただきました。
ありがとうございます。

☆CRUSADEさん

昨日から祐造&さきさんが来て、ネットワークの相談などをしてました。
さきさんが「中帰連」の冊子の創刊号(1997・8)を持っていたので借りました。
読んでみます。
CRUSADEさん、ありがとうございました。

02/07/2006(日) 17:13:39

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