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No.379 花  
こんばんは 引用
こんばんは。掲示板に投稿するのは本当に久しぶりになります☆
以前は「ハナ」で投稿させていただいたことのある花です。

えっと、『血尿』について一般的な意味はどういう意味があるのか、解る範囲で良いので教えていただけないでしょうか?また、そういう症状をかかえている人にどういった心で祈れば良いのでしょうか?

飯沼さん、先日は娘のヒ−リングありがとうございました。最近はメールで近況報告?!してるんですが、今回母親が血尿がでたというもんですから。。。忙しい時にすみませんが、よろしくお願いします。☆

03/07/2006(月) 23:46:44


No.380  飯沼 E-mail
Re: こんばんは 引用

☆花さん

こんにちは。
血尿についての受信はした記憶がありませんので、分かりかねます。
そういうことについての受信は、今の私ではできませんので、なんともお答ええできません。
すみませんね。

まずは病院に行って、検査を受けてくださいね。

04/07/2006(火) 18:00:07

No.382  花
Re: こんばんは 引用
>
> ☆花さん
>
> こんにちは。
> 血尿についての受信はした記憶がありませんので、分かりかねます。

そうですか。。わかりました。

> そういうことについての受信は、今の私ではできませんので、なんともお答ええできません。
> すみませんね。
>

いえいえ、逆にお手数おかけしました。もしかして、以前そういうのも受信されていたかなあと思って書いただけなので。



> まずは病院に行って、検査を受けてくださいね。

定期的に検査はしているみたいです。その時には今のところ異常はないみたいです(←多分。血尿だと聞かされてこういう肝心なところを聞かない私も私ですね 汗。でも、何も言わないってことは多分検査では異常は出てないと思います。。)

ありがとうございました。

04/07/2006(火) 18:33:20

No.395  飯沼 E-mail
Re: こんばんは 引用

腎臓・・・この臓器は、機能のうえからみれば、血液中の老廃物を漉し取り、尿とし、浄化された血液を再び体内へ送り出す役割を担っている。

 心にも、日々、さまざまな澱は生ずるのであって、それはできるだけ早く解消されるべきものである。その澱をためてしまうことで、心の健やかさをくもらせ、さらにそれが肉体へと反映するからだ。しかし、心の働きが、生じた澱を変換しようと作用するものだとしても、なかにはそうできないこともある。
それが「やり場のない気持ち」である。言い換えれば、自分の気持ちの苦しさ・重さの持って行き場がないということである。何かで発散し、気持ちを切り換えようとしてもそれができない場合や、そういった自分の気持ちを聞いてくれる(分かろうとしてくれる)人のいない場合、そういった気持ちを抱えていることすら気づいてはもらえない状況にある場合などがそうである。

 こういった「やり場のない気持ち」は、受け取ってくれるところがないだけに、自分のなかに抱えたまま、持ち続けるほか術はなく、外へは出せない(排出できない)ということになる。本来ならば、心の澱は物質的には尿のなかに溶け込ませる形で排出されるのであるが、「持って行き場がない」という場合、その作用(排出)を肉体に起こさせるわけにはいかなくなる。このことが、腎臓の機能に障害をもたらすのである。

 このことから考えると、腎臓に何らかの症状(病)を持つ者にとっては、自分の苦しい気持ちを受け止めてくれる人の存在が大きな意味を持つことになるということが分かるであろう。本来ならば、それは家族(夫や妻、両親、子供)もしくは友人知人がその役を果たしてくれるはずなのであるが、大抵の場合、そうではなかったからこそ、外へ出せずに抱え込み、症状(病)へと結びついていったのである。
しかしいつも伝えているように、このことは、まわりの者のせいでその人が病を得たという意味ではない。本人とそのまわりの者との関わり方として、目指すべき姿が、その人の心の苦しさ、辛さ、寂しさに気づき、それを受けとめ、満たしていくというものだからこそなのである。従って、すぐにそういう関わり方が、お互いにできるかというと、なかなか難しいはずである。しかしそこでは、症状(病)を得た本人は、「どうせ分かってはもらえない」というあきらめを、初めから持つことなく、それを越えて「だけどやはり分かってほしかった」という自分の正直な気持ちに従って、まわりの者に自らの心を開いていこうとしてほしい。
まわりの者にしてみれば、今まで感じてはいなかったその人の思いを知らされても、なかなかそこにすぐには共感しにくいかもしれない。だが、それを感じさせないほどその人が、苦しさ、辛さ、寂しさを、自分の内に抱いていたことについては、分かっていこうとしなければならない。そして、それらのことに気づかないままに、今まで来てしまったことについては、その人へ詫びる気持ちと、言葉とを向けてほしい。

 共に暮らしを営むうえで、あるいは家族という縁をつないでいるうえでは、“喜びの共鳴”“喜びを分かち合うこと”が大きなテーマである。しかし同時に相手の心のかげり(苦しさ、辛さ、寂しさ)に思いやりの心を向けていくこともまた、大切なことなのである。

 持って行き場のなかった心を、受け取ってもらえ、自分の内に抱え続けなくてもいいのだという安心と喜びが、心のおりを出してもいいのだという信号として腎臓へ向けて発せられれば、その機能は回復へ向うのである。


膀胱・・・膀胱とは尿を一時ためておくところ。腎臓を通して作られた尿を、一定量とどめておくところである。

 この臓器が象徴する心の要素のひとつが、“躊躇(ちゅうちょ)”である。それは、自分の気持ちを言葉にして表し相手に伝えることへのためらいであったり、具体的な行動を起こすことへの抵抗感であったり、気持ちや言葉・行為を向けられた時の違和感であったりする。それらを感じ、それによって心の負担が大きくなった時、心が傷ついた時、さらには、そういう気持ちを抱くことそのものが、もともとのその人の心の傾向に合わない時などには、膀胱への症状として肉体に反映されるのである。

 もうひとつの心の要素は“緊張”ということ。これは、人前で何かを言い、何かをする場合のことだけではなく、もっと広い範囲の心の状態を指す。人からどう見られるかということで心を張り詰めている場合(こう見られたい、こう見られたくない、の両方のパターンがある)、失敗や批判を恐れている場合、人への警戒心が強い場合…。いずれにおいても、ありのままの自分を見られることへの恐れや抵抗感がもとになっている。しかし、心はこういった張り詰めた状態が心地よいはずはなく、むしろその状態を早く解除したいと望む。その状態が生み出す心のおりを持ち続けることを避けたい、早く出してしまいたい。それが膀胱への信号として作用し、症状を引き起こすことになるのである。

 この臓器に関しての心の要素(ふたつの傾向)に共通するキーワードは、ありのままということである。ありのままの自分、ありのままのその人(関わる相手)、ありのままの現実。それらを受け取ること(見ること)、表現すること、知ること、それを喜びとできるかどうか、である。そうではない自分、そうであってほしくないその人(関わる相手)、そうであってほしくない現実といったものに対して、そのまま受け入れ、あるいは表現できることが、心の動きをスムーズにすることになるのである。躊躇や抵抗感、違和感によって、心が動きを止めることや、緊張によって心を硬い状態に維持することがエネルギーの循環を滞らせ、また、生ずる心のおりの排出に異常をきたすことになるのである。

 この臓器に反映された症状(病)を癒していこうとするならば、どうしても求められるのは「心を柔らかく」ということであり、「ありのままの自分で」ということである。まわりの者がその手助けをしていこうとするのであれば、その人が安心できるような心の環境を整えることをして頂きたい。その人の持つ緊張の要因は、人によってさまざまであり、心を硬くせざるを得ない事情は、まわりの者にならよくわかるはず。それに関してその人が、それ以上心のおりを生じさせないようにするための手段を講じてあげてほしいのである。

 多かれ少なかれ、ほとんどの人はありのままの自分ではいられない苦しさを持っている。しかし、関わり合いのなかで、人の心への信頼が芽生えれば、少しずつ本当の自分を解放していけるのである。本来の心でつながり合うことは、関わる者どうしどちらにとっても嬉しいことのはず。互いの心に対する信頼を確かなものとして築き直すこと、それがこの臓器に症状を持つ人と、その人に関わる者たちの間のテーマなのだと言えるのである。


06/07/2006(木) 21:50:37

No.397  花
ありがとうございました(^o^) 引用
こんばんは。読ませていただきました。。
以前克子さんに母親のヒ−リングをお願いしていただいたメッセージと重ねて読んで胸にグッときました。
実は昨日の朝方見た夢があるんですけど、これで納得です。全て繋がった感じでスッキリしました(笑)
これからどうして行くかを問われているような気がします(なんかエラソーですね 汗)
考えてみても、やっぱり私から皆に向けて関わっていくしかないなあって思います。
「あきらめ」ではなく、「喜び」に向かっていけるように自分に出来る範囲で頑張りまあス(^Θ^)

07/07/2006(金) 00:08:34


No.378 悠々塾 ホームページ 
ご案内です 引用
☆☆☆悠々塾から出雲・須佐神社初詣のご案内です。☆☆☆

来年のお正月、1月3日〜4日(一泊二日)の日程で出雲の須佐神社・出雲大社などへの初詣ツアーを計画しています。
宿泊は須佐神社そばの「ゆかり館」(温泉あり)です。
(右上の家のマークから「ゆかり館」のホームページへ行けます)
大阪発着の観光バスを1台借りて、皆さんとともににぎやかに行きたいと思います。

費用は、宿泊費・食事代(4食)・交通費(大阪〜出雲〜大阪)込みで大人お一人2万4千円前後で行けると思います。(参加者数により多少は増減します)
あらためて詳しくご案内のうえ、申し込みを受け付けたいと思います。
取り急ぎ日程だけはお伝えしておきたかったので、「行きたい!」という方はカレンダーにチェックを入れて、楽しみにしていて下さいね。

03/07/2006(月) 22:50:11



No.366 りん  
少しずつ 引用
飯沼さん、みなさんこんばんわ!
来月に引越しをすることになって(といっても今の所から車で15分くらいのところ)とてもバタバタしていたのでなかなか書き込みをしたいことがあってもできなくってやっと書き込みできます!!
 最近は少しずつ身体が楽になってきたように思います。。
といってもまだまだ心が重くなってしまうときもいっぱいあるけれど、やっと自分を受け入れることができるようになりました。。
今までの私は「もっとがんばらないと周りから認めてもらえない」
「もっとこうしていかないと、好きになってもらえない。仲良くしてもらえないからもっとがんばらなくちゃいい人にならなくちゃ」
「もっとがんばらないと良いママだと思ってもらえない、ママのことを嫌いになってしまうのではないか」
 失敗すると自分を否定して、失敗して詫びることができたのに
失敗した自分を受け入れることができなかったのです。
 どうしたら自分を認め、受け入れることができるのか、毎日毎日
自問自答の日々でした。。
でも最近になってやっと自分を受け入れていけるようになって、
今までは「失敗したらいけない」だったのが失敗したらいけないのではなくてたとえ失敗しても素直に詫びたり、正直になること、、、それがありのままの私なんじゃないかなって思えるようになったんです!
 失敗すると不安や心配になって大変でしたが、失敗したかな、間違えたかな、不安になったときはミューさんのアドバイスを思い出して相手に素直に聞けるようになって、安心が増えてきた!
 今までは失敗したり、間違えたりしたら相手に嫌われてしまう、受け入れてもらえなくなるって思っていたけれど、どんな時も(失敗したときも)素直に正直でいることが一番大事なんだってわかったんです。。そして相手を信頼するということも。。
 そう思えたら、失敗した自分も、間違えた自分も素直に詫びれるようになった自分を好きになってきました!
 だからうれしくって!飯沼さん、みなさんこれからも努力していきますのでよろしくお願いします!!

  

30/06/2006(金) 23:31:52


No.376  ミュー
りんさんへ 引用
りんさん、お久しぶりです!
お引越しで、忙しそうだけどがんばってね!

りんさんが、益々輝いてゆくのをとても嬉しく思います。
そして、凛とした(ダジャレじゃないよ・笑)頼もしさも感じて、とても励みになりました!
これからも、一緒にがんばろうね♪不安や怖さを越えてゆける自分を、共にたくさん喜んでいこうね。

りんさん、ありがとう\(^o^)/

03/07/2006(月) 00:55:08


No.353 飯沼  E-mail
〜 愛は時空を超えて 20 〜 引用
     

      ☆☆ 愛は時空を超えて 20 ☆☆
             
          ―― 霊界の堀江との会話 ――


飯沼) おぅい、クゥ。
こんにちは。
今日は僕の方がテーマを決めての受信になるけど、よろしくね。

克子) はぁい、まーたん、こんにちは。
もちろん分かっていますよ。
改めて言うほどでもないかもしれないけど、あなたが受信のテーマを選んだり、建設的なことで思いついたりすることのほとんどはこちらから穏やかなインスピレーションという形で思念を送っているのですよ。
今回のテーマは、あなた個人としてはあえて今の時期に選びたいとは思っていなかったでしょう?
あなたにはあまりに当然過ぎて、このテーマの受信に労力を割く意欲は高まってはいませんね。
むしろ面倒に思っているわ。
でもね、今すぐに役に立たなくても、今の時期に改めてこのテーマについて提示しておくことも、あなたの役割のひとつなのですよ。
だから、グズグズしないで始めましょうよ(笑)

飯)ひどい言い方だね(笑)
別にグズグズはしてないと思うんだけど・・・。

克) あはは、ごめんね、まーたん(笑)
でもね、意欲が高まっていないのは自分で分かるでしょう?
そういう状態で受信すると、時間も掛かるし疲れが残るわよ。

飯) そうだね。
受信しながら居眠りしたりしてね(笑)
よしっ、気合を入れてやりますよ!

世界の国々で、死刑を法律で、または実質的に廃止している国は123カ国にのぼる。
死刑を存続させている国は、アジア、アフリカを中心に70カ国あまり。
西欧は全ての国で廃止しているし、いわゆる先進国で死刑制度を存続させているのはアメリカと日本だけ。
アメリカは、15前後の州で死刑廃止している。
日本政府は国連の機関から死刑廃止に向けての要請を受けているが、長年にわたって無視し続けている。
「死刑は凶悪犯罪の抑止力になる」と主張する人がいるが、ヨーロッパや国連の調査結果では、死刑を廃止したからといって、凶悪犯罪が増加したという事実はない。
カナダでは、死刑廃止後30年間で殺人事件は半分近くにまで減少し続けている。

また、「死刑制度を存続させているから凶悪犯罪が減少する」という事実もない。
「被害者の家族の気持を思えば死刑は当然」という主張もある。
しかし、犯人が死刑に処されることで、被害者の家族の気持は慰撫されるのかどうか・・・?
刑罰とは、被害者の家族に代わって、国家が報復するものなのか?
さらに、日本では殺人犯に死刑判決が出るのは、1%以下である。
つまり、圧倒的多数の被害者の家族は、犯人の死刑を願っても叶えられない。

誤審の可能性もあり、死刑確定後に無実が証明された例も少なくないし、現在も無実を主張している確定死刑囚は何人もいる。
アメリカでは、この30年間に死刑判決が出た後で無実が証明されて釈放された「死刑囚」が100人以上に上る。
もちろん、執行されてしまった無実の死刑囚もいる。

まず以上のことを、これを読む皆さんに知っておいていただきたい。

ここで一番問題になるのは、「被害者の家族の気持」だと思う。
死刑制度支持のほとんどの人も、被害者自身の無念さや痛ましさ、家族の方の気持を思ってのことだと思う。
家族の方の気持は僕にも十分に分かるし、「犯人を死刑に」という主張に傾くのも無理はないという気はするが、そこはどうなのだろう?

克) そうですね。
本来の霊界に生きる私にも、家族の方々のお気持はよく分かります。
愛する人を無残に殺害されれば、どんな気持ちになるか。
愛する人をそんな酷い目に合わせた犯人を絶対に許せないという気持ちになっても無理はないと思います。
愛するがゆえに、犯人に対して憎しみを持つのです。
でも、同じように家族を酷い方法で殺害された人の全てが、犯人を憎み続け、死刑を願い続けるかといえばそうではありません。
では、犯人を死刑にすることを望まない家族の人は皆、殺害された人に対する愛情が薄いのかといえば、それは絶対に違います。
それこそ、被害者の家族に対する冒涜です。
愛する人の地上生命を酷い形で奪った犯人に対して、「この手でCENSOREDやりたい」という地上最大の憎しみを越えて、犯人を許し、更正を願えるようになった人たちもいるのです。
犯人に対する憎しみや許しがたさを完全に払拭することは難しいでしょう。
しかし、それよりも他界した愛する人の冥福を祈るという形で、愛念を送ることのほうを優先させている人は、本当にたくさんいます。
「自分は犯人を許せないけれど、犯人が死刑になったからといって自分の愛する人が喜ぶとも思えない」という思い方です。
逆から言えば、犯人が死刑になれば、自分の愛する人が本当に喜ぶのかどうか、です。

「被害者の家族の気持」といっても決して一様ではありません。
愛する人を失った悲しみや喪失感は、残虐な犯罪であっても、事故であっても、病死であってもそれぞれにあるものです。
その悲しみや憎しみの程度と、それをどう越えていくかは、ひとえにその人の霊性に掛かっているのです。
こういう言い方をすれば反感を招くかもしれませんが、霊界から見ればそういうことです。
愛する人への愛情が大きければ、犯人への憎しみも大きくなるのは理解できます。
しかし霊的に言えば、憎しみは愛情の陰にすぎません。
許しがたさや憎しみの深さは、愛情の大きさや深さの証明にはなりません。
反動なのです。
愛を憎しみで表現する段階を越えて、愛を愛で表現することが地上人生の目的でもあるのです。

そうはいっても、憎しみの渦中にある家族の人が自分でそこに気づくことはなかなか難しいでしょう。
魂の約束で配剤されている周囲の誰かが、勇気を奮ってゆっくりと時間をかけて話してあげていただきたいと思いながら、守護霊や指導霊は見守っているのです。
すでに本来の霊界に戻っている被害者自身が、家族の傍まで下りて働きかけていることもあるのです。
事件は被害者自身にとっても、今回の地上人生の目的に沿ったものであるのですし、本来の霊界に戻った被害者はそのことの意味を理解も納得もしています。
いつまでも、無残に殺害された被害者のままでいるのではありません。
そして、憎しみを抱き続けている家族の人にとっても、その事件は今回の人生のプログラムの中に設定されているのです。
「そういう目に合わされて、どうしていくのか」、その人の魂は知っています。

犯罪者の刑罰の基準は被害者感情ではありません。
前述したように被害者感情もさまざまですし、殺人事件のほとんどは死刑以外の刑罰が科されているのですから、「被害者感情」という点においては不公平になってしまいます。
やはり政府が率先して「どうあるべきか」の決断をしなければならない問題でしょう。

ただ、今のこの国は、多くの人々が怒りの捌(は)け口を求めている状態です。
先行きの見えない不安や閉塞感、地道な努力が報われにくいこと、力を持つ人々の横暴や不正などをどうすることもできない普通の人々の多くは、心の奥に怒りを抱えて、その捌け口を求めているのです。
弱者であるがゆえに怒りや憤りを公然とは表現できず、ともすれば残虐な犯罪を犯した犯人にそれが向けられるのです。
「言える者に、言えるところで言いたいように言う」という、人間的弱者の哀しい感情の捌け口でもあるのです。
(それはある時期から再び目立ち始めている、特定の国の人たちに対する差別や偏見、排除の現象も元は同じです。)

それともうひとつ。
今のこの国は、人と人の気持ちが通い合わず、それぞれの人が「共感」を求めています。
そこでも、犯人の死刑を望む被害者の家族の気持ちに共鳴しやすいのだとも言えます。
そして、それらのエネルギーが、被害者の家族が犯人に対して抱く憎しみを増幅させている面もあるのです。

憎しみを強め、犯人の死刑を願う状態の家族の人に対しては、そういう気持を受け止めた上でそれらを越えた愛念を送って差し上げてこそ、霊的真理を学ぶ者としてふさわしい行為なのです。
たとえ酷い形で殺害されたとしても、被害者はいずれ必ず癒されるのです。
まして被害者が善良で優しい心の持ち主ならば、他界後の休眠を経て、皆さん方の想像よりもはるかに早く本来の霊界に戻ります。
その霊たちは、死刑がどのようなことを招くのかを知っていますし、死刑や報復を望んでなどいないのです。
自分はすでに美しい喜びのみの世界に生きているのに、自分を愛してくれる家族が今も憎しみに囚われ続けていることに困惑する“被害者”も少なくないのです。

なかには殺害される時のショックで地縛状態が続いている被害者もいますが、その状態の被害者を救うのはその人に向けられた愛念であり、愛する家族がその人の死を受け入れるエネルギーです。
犯人が死刑になったからといって、被害者の霊が救われるわけではありません。
もしも、犯人が自分の犯罪に見合った残酷な刑の執行を受けることを被害者が喜ぶのであれば、その被害者はすでに被害者ではなく暗黒界に向かうことになってしまうのです。
いかなる理由があるにせよ、人の苦しみを喜ぶことは、本来の霊界に向かうものではなく、暗黒界に引き寄せられていくことなのですから。
それは被害者のみならず、事件を知った世間の人たちも同じです。
霊界側は、そのような状態にある人たちに、一日も早く立ち直っていただきたく願っています。

飯) ありがとう。
では、いわゆるスピリチュアリズムでは、死刑についてどのように伝えられているのか、モーゼスの「霊訓(1800年代後半の霊界通信)」と、「シルバーバーチの霊訓」から抜粋引用するね。

霊にとって、肉体から無理やり離され、怒りと復讐心に燃えたまま霊界へ送り込まれることほど危険なものはありません。いかなる霊にとっても、急激に、そして不自然に肉体から切り離されることは感心しません。われらが死刑という手段を、愚かにして野蛮な行為であるとする理由もそこにあります。死後の存続と向上・進化についての無知が未開人のそれに等しいがゆえに野蛮であり、未熟な霊を怨念に燃えさせたまま肉体より離れさせ、さらに大きな悪行に駆り立てる結果となっているがゆえに愚かというのです。
(中略)
罪人は教え導いてやらねばなりません。罰するのはよい。こちらの世界でも処罰はします。が、それは、犯した罪がいかに自分自身を汚し進歩を遅らせているかを悟らせるための、一種の戒めであらねばなりません。神の摂理に忠実に生きる者たちの中に彼らを置き、罪を償い、真理の泉で魂をうるおすことを体験させてやらねばなりません。そこに神の使者が大挙して訪れ、その努力を援助し、温かい霊波を注ぎ込んでくれることでしょう。

ところが現実はどうでしょう。罪人を寄せ集めては、手を施す術なき者として牢に閉じ込めてしまいます。その後さらに意地悪く、残酷に、そして愚かきわまる方法によって処罰します。そういう扱いを受けた者は、刑期を終えて社会へ復したのちも、繰り返し罪を犯します。そしてついに、最後の、そして最も愚かな手段に訴えるべき罪人の名簿に書き加えられます。すなわち死刑囚とされ、やがて斬首されます。心は汚れ果て、堕落しきり、肉欲のみの、しかも無知な彼らは、その瞬間、怒りと憎悪と復讐心に燃えて霊界へ来ます。それまでは肉体という拘束物がありました。が、今その拘束から放された彼らは、その燃えさかる悪魔のごとき邪念に駆られて暴れまわるのです。
(モーゼスの「霊訓」上・第2章 現世と来世より  コスモテン版)


死刑の是非

霊の教訓として私が躊躇なく述べていることは、殺人を犯したからといってその犯人をCENSOREDよいということにはならないということです。地上の人間は正義と報復とを区別しなくてはいけません。いかなる理由にせよ、霊的に何の用意もできていない魂から肉体を奪って霊界へ送り込むことは、最低の人間的感情を満足させることにはなっても、何一つ意義のあることは成就されません。正当な裁きを下すべきです。死刑によって一個の人間を霊界へ送り込んでも、その霊をひとかけらも進化させることにはなりません。逆に、一段と堕落させ、“目には目を、歯には歯を”の激情に巻き込みます。
われわれは生命は肉体の死後も生き続けるという動かし難い事実を基盤とした原理を堅持しなくてはなりません。何の準備もできていない人間を霊界に送り込むことは、ますますトラブルのタネを増やすことになるのです。時には誤審による死刑も行われており、正当な裁きが為されておりません。
(シルバーバーチの霊訓・第8巻より 潮文社版)

飯) ということで、スピリチュアリズムの訓えは、はっきりと死刑に反対している。

克) そうですね。
それは当然のことですからね。
頭で考えてどうこうでなく、自分の気持がどうこうでなく、霊界から見れば死刑が摂理を逸脱し、実際にも「百害あって一利なし」であるのは明らかです。
あなたが疲れているので、これ以上の受信は難しくなってきましたね。
こちらの方としては、まあ伝えるべきことはおおよそ伝えました。
もうひと頑張りできるかなぁ?

飯) あいよ。いくらでも頑張りますって!

克) そうかなぁ。
無理しちゃってるわね(笑)
じゃあ、もう少しだけね。

最後に、どんな凶悪な犯罪を犯した人間でも更正の可能性はあります。
どんな人でも必ずいつかは更正するのです。
それを地上にいる間にさせることも、地上界の人たちの務めなのです。
皆が人生を喜べるように社会環境を整え、皆が心の拠りどころを持てるように家庭やその他で心のつながりを深め、支えあい、補い合い、思い合う世の中にしていくことで、凶悪犯罪は激減するでしょう。
犯罪の被害者だけでなく、加害者もまた今の地上界の歪みや偏りの犠牲者なのです。
これは決して奇麗ごとで、加害者を甘やかしなさいなどと言っているのではありません。
被害者の家族の人権を無視して、加害者の人権ばかりを主張しているのではありません。
霊界から見た真実を述べているのです。
誰一人として社会や人から排除されたり差別されたり虐げられることのない、物心ともに健やかな世の中にしていくことが、そのエネルギーの高まりこそが、誰一人むごたらしい犯罪の被害者を生み出さない唯一の方法なのです。

被害者の家族に対しては、多少なりともその気持を慰撫するために国が支援や保障をするのは当然です。
金銭が気持ちの慰撫になるものではありませんが、金銭的な保証は必要です。
もちろん加害者も人生を通じて償わねばなりません。
特定の場においての長期間の教育も不可欠です。
それらは遠回りのようですが、実際には更正に向けての近道なのです。
死刑にして、凶暴な気持を持ったままの霊を解き放つよりはよほど理に適っていますし、安全です。
特に凶悪な犯罪は、全て同じような未熟な霊の憑依が絡んでいます。
その方がよほど危険なのです。
凶悪犯罪を再生産していることになるのです。

スピリチュアリズムが地上にもたらされた目的は、「地上界の浄化」「地上天国の建設」のためにほかなりません。
いずれは、愛と摂理によって統べられた、健やかに輝く地上界に変容するのです。
ならば、その実現への道も、愛と摂理によってなされていくのです。
ナザレのイエスは、「目には目を、歯には歯を」という報復の論理を戒め、全てに対して愛で以って応えるように訓え諭しました。
かのイエスの真の訓えを引き継ぐのがスピリチュアリズムであるならば、せめてスピリチュアリズムに学ぶ人たちは、安直な感情に流されず、世間の人たちの報復の感情に迎合せず、本来の霊的真理を説き、自らも言動によって実践していただきたく、この霊界からお願いせずにはいられません。

スピリチュアリズムを標榜しながら、スピリチュアリズムの基本理念を冒涜するようなコメントを公表することが、人に対して悪影響を与えるばかりでなく、自分自身に対してもいかなる結果を招くものであるのか・・・。
いずれは必ず自らが背負わねばならないときが来るのです。
どのような形でその責任を負わされることになるのか知っていれば、誰もそのようなことはできないでしょう。
知識を持ちながら真理を歪めた罪は、非常に重いとお伝えしておきます。
本当にお気の毒なことになってしまいます。
その時になって、「こんなことになるとは思わなかった」と言っても、通用しないのです。
生半可な覚悟ではどうにもならないほどのものであることを、私から重ねてお伝えしておかねばなりません。

飯) はーい。お疲れさま。
もう限界です。
エネルギーがすごくて、頭がくらくら、目がショボショボですよ(笑)

克) まーたんこそ、お疲れさまでした。
大丈夫かな?

飯) 大丈夫、大丈夫、ちょっと休むよ。
それじゃあね。
今日はいつもの挨拶は控えておくね。

克) はーい、そうですね(笑)
じゃあ、またね。

(2006・6・29)

29/06/2006(木) 22:43:21


No.356  飯沼 E-mail
Re: 〜 愛は時空を超えて 20 〜 引用

>日本政府は国連の機関から死刑廃止に向けての要請を受けているが、長年にわたって無視し続けている。

日本は国連の人権機関から、確定死刑囚の処遇に関しても改善勧告を受けているそうですが、それも無視しているようです。

世界の大部分の国は、「国家が人をCENSOREDことを合法化できない」という理由で死刑を廃止し、終身刑を導入しているようです。

30/06/2006(金) 07:40:28

No.359  みーじゅ
Re: 〜 愛は時空を超えて 20 〜 引用
皆様、初めまして。
みーじゅと申します。どうぞよろしくお願いします。
飯沼さん、いつぞやはメールにてお世話になりました。

今回は「死刑」の話で、私も以前から、
死刑がどうにかならないものかと思っていましたので、
私にとってはタイムリーな話題でした。

私は死刑に反対です。
犯罪者と言えども、死刑は殺人と変わりないと思います。
過ちを犯す存在で完璧でないのが人間なのに、
そんな人間(裁判官)が人の命を勝手に絶つことを決めても良いのでしょうか。
私は仕事とは言え、死刑執行人は、
殺人をしていると同じことだと思うので、とても気の毒に思います。

テレビの解説者が、日本には、
死刑か無期懲役(いつかは刑務所から出る)の両極端な刑しかなく、
こういう制度しかないのなら、死刑も致し方ないと仰っているのが印象的でした。

何故、日本は死刑を廃止し、
犯罪者が心を改めることができるような刑(制度)を作らないのでしょうか。
とは言え、私自身、どのようなことをすれば、
犯罪者が改心し 魂を目覚めさせることができるのか
わからないので、大きなことは言えないのですが・・・。

ただ死刑を廃止せよ!だけでは、
被害者も一般市民も納得できないと思います。
死刑を廃止することを望むのなら、
それに代わる皆が納得できる刑(制度)を作らなければいけないのだと思います。

飯沼さん、みなさんは、どのような刑ができれば良いと思われますか?

初投稿で熱く語ってしまって申し訳ありませんでした。

30/06/2006(金) 13:03:31

No.361  ひろこ
受信お疲れ様でした。 引用
>たとえ酷い形で殺害されたとしても、被害者はいずれ必ず癒されるのです。まして被害者が善良で優しい心の持ち主ならば、他界後の休眠を経て、皆さん方の想像よりもはるかに早く本来の霊界に戻ります。

この事を知ったら、無残な殺され方をした方への気持ちが楽になり、安心して愛念を送らせてもらえることができます。
ありがとうございました。
いつも、死刑と無期懲役の極端な刑しかないのを、不信におもっていました。
無期懲役でも早くに社会に出てしまう事が多いようで、更生、教育がどのようになっているのか、想像がつきません。早く、終身刑が出来る事、そして残忍な行為をする人がなくなる地上になるよう祈りたいと思います。

30/06/2006(金) 15:31:08

No.362  高橋
死刑制度を超えて 引用
飯沼さん、あまり選びたくないテーマの受信、お疲れ様です(笑

最近、死刑について思うところがあったので、自分にとってタイムリーなテーマでした。

先週、光市の母子殺害事件について最高裁判決が出ました。
弁護人を引き受けたY弁護士が、法廷を欠席したというので、マスコミから大バッシングされたことでも話題を呼びました。(この件についても書きたいことはありますが、今回は話題を死刑の件に絞ります)

この事件は、事件当時18歳を超えたばかりの少年が、母親とその赤ちゃん(11ヶ月)を殺害したという容疑で、地裁と高裁がともに無期懲役にしたのを、検察が不服(量刑不当)として最高裁に上告したものです。

最高裁は、原判決を破棄し、差し戻しました。理由は、「特段の事情がない限り死刑の選択するほかないのに、死刑にしなかったのは不当である」というものですから、事実上の死刑判決に等しいものです。

先日、Y弁護士らが参加した弁護士の勉強会で話を聞いたところでは、この判決は非常に重要な意味を持っているとのことです。
つまり、簡単に言えば、これまでは、「凶悪事件は原則無期懲役、特段の事情があれば死刑もやむを得ない」とされていた基準をひっくり返して、「凶悪事件は原則死刑、特段の事情があれば無期懲役」と、原則と例外を逆転させたというのです。

ニュースを見ていても気づくことですが、さいきん、死刑を求刑する事件が極端に増えてきました。光市事件のように、高裁で無期判決が出ても量刑不当で上告する事例も増えています。

これは偶然ではなく、ひとつの大きな方針に沿ったもののようです。

ご存知の通り、2011年から裁判員制度が導入され、裁判官に混じって一般市民が罪や量刑の決定に参加することが決まっています。検察(国)がおそれているのは、法律の素人が、死刑や重罰を課すことをためらい、量刑が軽くなることです。だから、そうならないように、計画的に厳罰化を推し進めていると思われます。

死刑が増えているのは、国民に対して、「凶悪犯は死刑にするのが当然である」ということを教え示すため、という目的があるようです。

そして、厳罰化を推進するために国が最大限に利用しているのが「被害者感情」です。理性的で冷静な議論を進めていくと、他の先進国のように死刑廃止の方向に世論が傾きかねないので、なまの被害者感情をメディアを使って全面に押し出し、国民感情を煽っているのだと思います。

犯罪被害者や遺族の方々の人間としての怒りや憎しみの感情は誰も否定できないものですが、それを利用して自己の目的を達しようとする人々もいるという冷酷な現実が存在しています。

わたしたちにできることは、なるべく感情的にならず、人間の生命の尊厳(生命を奪われた者だけでなく、奪った側の者にとっても)と、受信されたメッセージで伝えられている深い真理に思いを凝らしていくことだと思います。

長くなってしまいました。

メッセージの内容はたいへん意義深く、これから思索の糧にしていきたいと思います。ありがとうございました。

30/06/2006(金) 20:04:31

No.363  はる
Re: 〜 愛は時空を超えて 20 〜 引用
たぶんこれを読む人のほとんどが、私に非難の目を向け軽蔑するだろうと思いながらも投稿します。
私は、死刑に対して賛成でも反対でもないにもかかわらず、むしろ残虐な事件を起こした被告人に対して、死刑になればいいのにと思っている自分がいます。松本ちずお(浅原しょうこう)や池田付属小学校殺傷事件の犯人や林真須美など無差別殺人を起こした人には特にそう思います。

霊的に見ればそう納得できるのですが、自分自身いのちに対して軽るんじている部分があるからだと思います。
私はCENSORED願望が強く、病気や事故で死んだ人を見てかわいそうにと思う反面自分もそうありたいと勝手に思ってしまいます。
自分でもおかしい感情だと思っていますが、今も生きる強い願望がなく無気力になっていることが多いです。
うつ病なので、薬を服用してなんとか生活できていますが、薬がきれると何をどうすればいいのかわからず、体はこわばり重く感じられます。
すべてに恵まれ幸せなはずですが、そう体が反応するのは自分でもおかしいとやはり精神障害者なんだと思って納得しています。

今日もこの掲示板を読む前に、私が死んで悲しむ人が幾人くらいいるのだろうか、生きていても人に喜ばれていないように感じました。実は母のお葬式のときのことを思い出したのです。
お葬式に参列した人の多くは、弟の友達や仕事関係者がほとんどで、汚れた仕事服のままでも遠くから参列してくださいました。
私の職場からは、義理で二人参列してくださっただけでした。

死刑の賛否の話からそれているそうですが、ずいぶん前から私の感覚がずれていることに悩んでいます。
やはり精神がゆがんでいるのでしょうね。情けないことです。

30/06/2006(金) 20:30:46

No.365  飯沼 E-mail
Re: 〜 愛は時空を超えて 20 〜 引用

☆はるさん

こんばんは。

>たぶんこれを読む人のほとんどが、私に非難の目を向け軽蔑するだろうと思いながらも投稿します。<

全然そんなことないですよ。
はるさんの重い気持を吐露してくれて、よかったと思います。
はるさんは、「自分でもおかしいとやはり精神障害者なんだと思って納得しています」という思い方よりも、「今の自分の状態はこうなのだな。でも、〜なふうになっていきたいな」というような思い方ができればいいですね。

(ここからははるさん向けではありませんが・・・)
死刑については賛否両論があって当然だろうと思っていますし、民意は今も真っ二つに分かれています。
だからこそ、死刑について考えるにあたっての「いくつかの視点」を提示しました。

ただ、スピリチュアリズムは死後存続を大前提にしたうえで、「地上的生命を無理やり奪うこと」を強く戒めています。
戦争についてもそうで、シルバーバーチは「破壊以外の何ものでもない。流血によって解決されるものは何ひとつない」と明言しています。
当然だと思います。
しかし、一方ではシルバーバーチの訓えを絶対化し、教条主義的な雰囲気を漂わせているスピリチュアリズムのグループが、イラク戦争が始まる前から「イラクが大量破壊兵器を隠し持っているのだから、この戦争は正当だ」との主張をネット上にも「ニューズレター」にも掲載していました。
大量破壊兵器の話が大嘘の口実だったことが判明してからも、自分たちの間違いには触れないままです。
スピリチュアリズムを標榜しながら、戦争に賛成することがおかしいと思うのです。

繰り返しますがスピリチュアリズムは、死後存続を大前提にしたうえで、「地上的生命を無理やり奪うこと」を強く戒めています。
それがスピリチュアリズムの基本理念のひとつです。
スピリチュアリズムに学ぼうとする人たちに影響を与える立場のグループが、基本理念を踏みにじった見解をサイトや通信に掲載することが間違っていると思うのです。

死刑に関しても同じです。
スピリチュアリズムを標榜するある老舗サイトで、死刑についての見解が書かれていたので、バランスをとる意味で今回の受信をしました。
死刑の是非について議論するつもりはないのです。
でも、スピリチュアリズムのサイトで死刑を肯定されると、「えっ?」と思います。
個人としての意見はさまざまでよいのですが、スピリチュアリストを自認しているのであれば、まして影響を与える立場であるならば「?」でした。
たとえば、自衛隊の幹部が公の席で「日本は非武装がよいと思う」と発言すれば、「アンタ、一体誰なの?」ということになります。最高裁の判事が「憲法にはこう書いてあるが、自分はそうは思わない」と発言すれば、「あなたは何を基準に法律に関わっているのですか?」ということになるでしょう。

もっとも、モーゼスの「霊訓」でもシルバーバーチの霊訓でも、死刑についてあれだけの見解が示されているにもかかわらず、「あれはスピリチュアリズムの基本理念ではない」というなら、また別の話になりますが・・・。
しかし、そうであれば「スピリチュアリズムって、一体何なの?」と聞かねばなりません。

克に対して温かい言葉を掛けてくれた彼なので、こういうことは言いたくないのですが、公私を分けて筋を通すのが私ですから、そこを含めて受け止めてほしいと願っています。

すみません。
すっかりはるさんへの返信じゃなくなってしまいました(笑)

30/06/2006(金) 22:34:59

No.368  飯沼 E-mail
Re: 〜 愛は時空を超えて 20 〜 引用

☆みーじゅさん

掲示板では、はじめまして。
先日は嬉しいメールをいただき、今日は掲示板に登場してくださって、ありがとうございまます。

>ただ死刑を廃止せよ!だけでは、
被害者も一般市民も納得できないと思います。
死刑を廃止することを望むのなら、
それに代わる皆が納得できる刑(制度)を作らなければいけないのだと思います。
飯沼さん、みなさんは、どのような刑ができれば良いと思われますか?<

死刑廃止の問題は、「国家としての良識」の問題に帰するところが大きいのだと思います。
「(いかに犯罪者といえども)国家が人をCENSOREDよいものかどうか」ということです。
それと、法による刑罰に関する理念(動機付け)の変化もあるのではないかと思います。
つまり、実情はどうであれ、理念上は更正・教育を懲罰と並ぶ目的に掲げるならば、死刑は更正の機会を奪うことになります。
このあたりは高橋さんがお詳しいのではないでしょうか・・・?

必ずしも死刑廃止の決定が圧倒的な世論の支持がなければ不可能だということではありません。
逆に言えば、世論調査などで死刑廃止に賛成する人が少数派でも、政府・国会の判断が問われているのです。
これは別に死刑制度に限ったことではなく、たとえば消費税にしても世論の同意がなくても政府与党の判断で決めるのですから。
あまり確かな話ではありませんが、イギリスやフランスでも民意の過半数の支持が得られない中で、死刑廃止が決まったというようなことを読んだ覚えがあります。

ですから、死刑を廃止するとして、その後のシステム整備は政府や議会の仕事です。
死刑を廃止している多数の国の実情を調査して、よいところを取り入れ、不備を補うような制度を作ればよいのです。

門外漢が個人的に言えば、やはり終身刑の導入は必要なように思います。
凶悪犯罪者の更正を理想の目的とするならば、それにふさわしいシステムと脱走再犯を防ぐ安全対策も不可欠でしょう。
死刑を廃止したことで被害者の家族の気持が収まらないのであれば、専門に養成したカウンセラーを何度でも派遣してじっくり話す場を作ることも必要でしょう。

国家としての理念は高い理想を掲げ、その実現に向かいながらも、しかし一方では現実的で緻密な対応をしていく、ということだと思います。
これは死刑制度に限らず、政府・国家のあるべき姿勢だと思います。
まあ、こういう願いが現実とは掛け離れた理想論であることは知っているのですが、それでもやはり政府・国家とは本来そういうものであるべきなのだと言うしかありません・・・。

私は死刑廃止論者です。
しかし、愛する人と死別したものの悲しみや苦しみは分かります。
いくら死は本人にとっては解放であるとは言え、残された者には病気での死別ですらあんなに辛く悲しいのに、それが犯罪によってであればどれほどのものかと思います。
きっとぶちのめさなければ気が済まないかもしれません

それでも、どんな凶悪な犯罪を犯した人間でも、必ず更正の可能性を持っていると思っています。
それは、永山則夫氏がそうでしたし、あの宅間という人が事件後文通していた人への手紙を読んでもそう思います。
凶悪な犯罪を犯した責任はもちろん本人にあるのですが、しかし、彼らもまた今の世の犠牲者だと伝える克に同意します。
全ての人間は神の子であり、神性を内在させているというスピリチュアリズムの基本理念を信じています。

なんだかピント外れの返信になってしまいました。
これに懲りず、また掲示板にお越しください。

01/07/2006(土) 00:18:51

No.369  飯沼 E-mail
Re: 〜 愛は時空を超えて 20 〜 引用

NO.368の補足です。

>いくら死は本人にとっては解放であるとは言え、残された者には病気での死別ですらあんなに辛く悲しいのに、それが犯罪によってであればどれほどのものかと思います。
きっとぶちのめさなければ気が済まないかもしれません<

死の意味を知っている私でも、霊界の克と思念を交し合える私でも、やはり地上に残された悲しさ辛さはどう表現すればよいのかわからないほどのものです。
先日の12周年の集いの挨拶の時にも、「去年の集いには克が横にいたのに・・・」という思いにつながってしまって、涙が先になってなかなか言葉が出ませんでした。

ですから、犯罪で愛する人を奪われたならば、死刑を願っても、もっとひどい刑罰を願ってもそれは分かるような気がします。
しかし、被害者の家族がもしも死刑の執行に立会ったからといって、あるいはもっと残酷な手段で犯人を殺したからといって、その人の心が満たされはしないでしょう。
そのようなことで、心が救われはしないだろうと私は思います。
しかし、「犯人を死刑にしてほしい」と言う権利は、被害者を愛する人に限ってはあると思います。
飲酒運転の車に子供を殺された親にだって、そう言う権利はあると思います。
ただ、それを叶えるかどうか、死刑制度をどうするかは被害者の家族の感情とは別の次元の、国家としての良識による判断であるべきです。

以前テレビで観た話です。
我が子をいじめでなぶり殺しにされた父親が、加害者の謝罪訪問を受けていました。
仏壇(祭壇だったか)に手を合わす加害者を見ていたその父親は、涙ながらに加害者の肩を抱き、「君も頑張れよ」と言葉を掛けてあげるのでした。
その様子を見ながら、克も私も泣きました。
そういう被害者の家族もいることも事実なのです。

別の事件の母親は、テレビのインタビューに、「犯人を憎んだり恨んだりしても、あの子は戻ってこないんだから・・・」と涙を流しながら答えていました。
被害者の家族の気持が全て、「犯人を死刑に」ではないのです。

そして、世界の潮流は間違いなく「死刑制度廃止」に向かっています。
大多数の国が死刑を廃止しているのです。

01/07/2006(土) 01:50:57

No.370  CRUSADE ホームページ
飯沼さんへ 引用
凶悪犯罪と行為者の魂の救済について、まず第一に思い起こすことは、日本の戦犯の厚生を実践した、中国の撫順と太原の戦犯管理所のことです。
一方的な侵略行為によって国民と隣人、親兄弟、家族を虐殺された戦犯管理所の所長と職員が一人一人苦しみながら、怒りと憎しみを乗り越えて、ひたすら戦犯たちに対して人間的な処遇と厚遇を持って接し、謙虚な反省と人間性の回復をもたらした、世界史にも前例を見ない奇跡とまで称される事例のことです。
戦犯たちは、覚悟していた厳格な処罰を覆す寛大政策によって釈放されて帰国した後、戦争の反省に立って『中国帰還者連絡会』を結成し、洗脳者、アカとのレッテルを貼られ、公安に付け回されて就職の困難にさえ晒されながらも、初心を一生貫き通し、反戦を訴え続け侵略の実態を告発し続けて今日に至っています。

私自身は過去十数年間、その背景にあった中華民族の精神的伝統の普遍的意味について、撫順戦犯管理所の金源所長の手記や、異なった立場の戦犯であった溥儀の書簡等と、古代古典哲学を通して考察を続けてきました。
ここでも、現在世界に存在する唯一の法体系となってしまったローマ法制とは異なる、先住民族や中世ヨーロッパ社会の法体系を貫く文化伝統と同一の精神を確認することができます。

飯沼さん。もしあなたが、例えば、中帰連について正確な知見をお持ちでないのなら、まずこの事から学んでください。そうすれば、死刑制度についてもさらに深く、確かな視点をもつことができるようになります。
今では、この中帰連の経験を引き継ぐ会も結成され、数年前には季刊『中帰連』のWEBサイトも開設されていますから、多くの方にお勧めします。

01/07/2006(土) 12:16:48

No.371  みーじゅ
Re: 飯沼さん 引用
私は、飯沼さんの仰っていること、尤もだと思うし理解・納得できます。
私も日本という国が、死刑廃止に向かっていくことを、これからも願っていこうと思います。

しばらくまたロム専門になるかもしれませんが(汗)、また突然、顔を出させてもらうかもしれません。
その時は、どうぞよろしくお願いします〜^^

01/07/2006(土) 23:03:39

No.372  飯沼 E-mail
Re: 〜 愛は時空を超えて 20 〜 引用

☆ひろこさん、高橋さん、かわぐちさん、コメントありがとうございます。
「死刑制度」について、何人かの方からメールをいただきました。
ありがとうございます。

☆CRUSADEさん

昨日から祐造&さきさんが来て、ネットワークの相談などをしてました。
さきさんが「中帰連」の冊子の創刊号(1997・8)を持っていたので借りました。
読んでみます。
CRUSADEさん、ありがとうございました。

02/07/2006(日) 17:13:39


No.354 あじさい ホームページ 
ニュ-パソコン 引用
 ハンドル名かわりました。 miyuki--あじさい
 子が4月、パソコン持参で転居したため、マイパソコンを買いました。メールアドレスも、やっとできました。息子に、少しは、自分で本読んでやらなきゃっ駄目だといわれながら・・・・ 

 我が家の猫も黒猫なのでその話をしようと思っていたら、昨朝アライグマがわが台所の隙間に居座ること1日。仕方なく、ベランダを開け仕事に出ました。職場で話すと「どんな家に住んでいるの?」と言われながら、市に連絡すると、捕まえ処分してくれると言われました。処分? 夕方帰ると姿がなく、ほっとしました。本来アメリカに生息しているものが、漫画ラスカルが人気になってから、輸入され、日本中に増えたとのこと。
 マンガと同じ、みためとてもかわいかった。近づくとシューと、威嚇していました。

 様々な病気が、精神の表れであるということが、1部はそうであるとおもいながら、すべてそうとは、思われません。

30/06/2006(金) 00:41:49


No.357  飯沼 E-mail
Re: ニュ-パソコン 引用

お久しぶりです。

また後で返信しますね。

30/06/2006(金) 07:42:27

No.367  飯沼 E-mail
Re: ニュ-パソコン 引用

☆あじさいさん

アライグマが処分される前に退散してくれてよかったですね。
我が家の黒猫・タンゴイチは、テスト勉強中のねねの部屋には入れてもらえずに、私の仕事部屋のネコ用座布団で眠っています。
ちょっと目を離したらキーボードの上を歩き回ったり、キーのボタンを引っかいて剥がしてしまったりで、大変です。
テレビの画面にジャレついたり、鏡を不思議そうに見たりでしてる様子はほんとに可愛いですよ。

>様々な病気が、精神の表れであるということが、1部はそうであるとおもいながら、すべてそうとは、思われません。

普通はそうだと思います。
しかし、実際には病気ではなく事故などの場合も、心のエネルギー(あなたの言う精神の表れ)が絡んでいるのです。
要は、「現象をどのキーで見るか」ということです。
ですから心のエネルギーが全てではなく、何か他の要素をキーにして把握することもできるわけです。

たとえば、食中毒を例にしてみれば、食中毒は普通に考えれば「病原菌が繁殖した食物を食べたこと」によって発生します。
しかし、それとは別に、「ではなぜその人がその時期にそのような食物を食べて(引き合って)、発症したのか」を、その人の心のエネルギーで説明することもできるのです。
それが、たとえば食中毒を心のエネルギーからみた意味ということです。
他の病気も、病気自体や発症する臓器や器官にも共通の意味があって、その人がなぜその時期にその病気になるかにも意味があります。
ただ、意味を辿っていけばキリがないのですから、治癒に向かうに必要な範囲で把握することで十分なのですが。

01/07/2006(土) 00:16:39


No.364 かわぐちまさこ  
飯沼さんへ 引用
愛は時空を超えて20 読みました。13年くらい前 友人が「死刑制度廃止運動」をやっていました。その友人は「マサ」というサックス奏者ですが、その彼女が大阪拘置所前でライブを行い、応援に行った日のことを思い出しました。友人がかかわっていたので漠然と「死刑制度はおかしい」と思っていたけれど、凶悪事件が起きるとやはり「いたしかたないのでは」と感じてしまう自分がいました。今回の受信を読ませていただき、かなりすっきりしました。カナダの例はほかの人に説明するときにかなり説得力ある事実ですね。いろんな方に伝えたいと思います。

30/06/2006(金) 21:12:30



No.323 ありす  
キミがいなけりゃ  〜 スヌーピーちゃんへ 〜 引用
キミと出会ったのは とある小さなバス停で、 
古い木のベンチに たまたま 隣り合わせた。
キミは あまりにも さりげなく
僕に 「いっしょに」 と言ってくれたから、
僕は 驚くほど あっけなく「うん」と 答えてしまったんだ。
くだらないこと 考える間もないほどに

あれから 一年が流れて
いろんなことがあって いろんなこと考えて
あの衝撃も まだついこないだのことのように思える けど
「ゆめ」だったんじゃないかって まだ思ったりする けど・・・
 
キミがいてくれたから

いつも キミがいてくれたから
あのとき「いっしょにね」って言ってくれたから
キミが笑ってくれたから
 みんなに出会えた

ねえ 知ってる?
キミの魔法 キミが唱える「いっしょ」の魔法
カタクナナ僕のこころを解かしてく 
やわらかく 蝶がはねをひろげるように
きっと キンちゃんだって・・・

キミがいなけりゃ いなかった あの場所
出会わなかった人々(そんなの悲しい)
そして昨日 ケーキを二個も食べれなかっただろう(内緒だけど。ニキビがでたけど・・・)
時間軸と場所軸のクロスする あの奇跡みたいな点上に
 僕がいる奇跡
みんなに出会えたこと 
そして「キミ」に出会えたこと

キミの「いっしょに」がなかったら キミのやさしさがなかったら
キミがいなけりゃ 僕はここに いなかっただろう
 

25/06/2006(日) 23:21:13


No.324  楽
Re: キミがいなけりゃ  〜 スヌーピーちゃんへ 〜 引用
スヌーピーちゃん!
スヌーピーちゃんは、ほんとにいい子だよ!!
自分ではそう思えない気持ち、すごくよくわかる。
でも、やっぱりいい子だよ。
今は自分のこと、「いい子だ」って思えなくても、
「悪い奴ではないな」ぐらいは思っとこ!

スヌーピーちゃんにしたら、初めて定例会に来た人やお話したことのない人に話しかけることは、自分がいろんな人とお話したいっていう気持ちで、意識することなくごくごく自然なことなのだろうけど、そうではないとわたしは思うよ。
そして、そういう何気ないスヌーピーちゃんの行動と優しさが伝わって、ここにいる 仲間 になってるんだと思います。
ありすちゃん、金ちゃんに出会えたのは、
スヌーピーちゃんのおかげです。
ありがとう!です!

それから、スヌーピーちゃんのこと、もっと知りたい、わかりたい、って思っているのに、それを言葉や行動にできていなかったこと、申し訳なく思っています。ごめんね。
力になれないかもしれないけど、愚痴りながら一緒に進んでいきたいです。

体調、大丈夫かな?

26/06/2006(月) 01:09:59

No.326  又
Re: キミがいなけりゃ  〜 スヌーピーちゃんへ 〜 引用
定例会に初めて参加させてもらった又です。
書き込み遅れてすみません。
皆さんに温かく迎えてもらえてうれしかったです。
スヌーピーさん、お体大丈夫でしょうか?
スヌーピーさんのお体がよくなりますように。

26/06/2006(月) 12:35:04

No.333  スヌーピー
Re: キミがいなけりゃ  〜 スヌーピーちゃんへ 〜 引用
ありすさん、楽さん、又さんありがとうございます。
掲示板を開いて驚きました、涙が出ました。。

☆ありすさん☆
ありすさんの素敵な文章、私にはもったいないぃ・・・でもありがとう!嬉しいっ〜
1つ・・・「キミ」を「ありす」に変えてみて下さい。これも素敵なお話です☆
そう、私だっていっぱい助けてもらって元気もらってるんです。いつもありがとうです!

☆楽さん☆
励ましありがとうございます。
私がはじめて来られた方に声をかけるのは、99%単に話したい!っていうのと、
1%なんか違う気持ちがある気がします。
でもなんだか楽さんみたいに良い風に言っていただくと嬉し恥ずかしです。。
私これしかできないんです・・・(^_^;
楽さん、来月たくさんお話してやってください☆


☆又さん☆
私の1歳上の又さんですか?(違ってたらごめんなさい。)
少ししかお話ができなかったので、是非今度はたくさんおしゃべりしたいです☆
心配までしてくださってありがとうございます。。

26/06/2006(月) 23:05:46

No.360  又
Re: キミがいなけりゃ  〜 スヌーピーちゃんへ 〜 引用
いのっちの又です(笑)

スヌーピーさんは、初対面の僕に気兼ねなく話しかけてくれて、なんて天真爛漫な人だろうとびっくりしていました。
こういっては失礼かもしれませんが、子供のような人懐っこさを感じました。
スヌーピーさん始め、皆さんが暖かく接してくれたので、楽しく過ごさせてもらえました。
僕は、元来目つきが悪く口下手なので、皆さんを不快な思いにさせてしまっていなかったか心配だったんですが、皆さんが温かく迎えていただいて本当にうれしかったです。
ありがとうございました。
それでは、またロムっときます。

30/06/2006(金) 15:16:03


No.325 カピバット  
こんばんは 引用
昨夜、私の祖母が肺炎のため、他界しました。享年は87歳でした。午後7時ごろに叔母から電話が入り、緊急ではないが、すぐに病院に来てほしいという電話でした。8時半過ぎに病室に入ったときは、祖母は呼吸をしていましたが、やはり苦しそうでした。9時前に叔父や叔母、従兄弟らも駆けつけましたが、その直後から呼吸が弱くなり、静かに息を引き取りました。私は知りませんでしたが、祖母が他界する直前、祖母の手が動いたそうです。しかも、その時には心拍数は既にありませんでした。不思議ですが、祖母の最後の挨拶だったのかもしれません。祖母の最期を見届けるのは辛いことでもありますが、同時に祖母にわずかながらも恩返しが出来たような気がします。私が、今、こうやって生かされているのも祖母のお陰です(祖父や両親、ご先祖様の存在も忘れてはいけませんが)。今は、祖母に感謝の思いを持ちながら、眠りたいと思います。

26/06/2006(月) 01:51:54


No.327  あきどん
Re: こんばんは 引用
おばあさまの安らかな旅立ちとご冥福を心よりお祈り申し上げます。

父の旅たちに立ち会ったことを思い出しました。
これからもカピバットさんと、おばあさまは、ずっと愛念で繋がられることと思います。
(上手く言葉にできませんが、一言でした。)

26/06/2006(月) 13:50:08

No.330  ミュー
カピバットさんへ 引用
お祖母様の地上からの旅立ちを、感謝と共にお見送りする事が出来たのですね。
カピバットさんの、お祖母様に向ける温かなお気持ちが伝わり、私もカピバットさんのお祖母様へ温かい気持ちを向けさせていただきました。
カピバットさんのやさしいお気持ちは、お祖母様に必ず届いていると思います。

カピバットさん、お疲れは大丈夫でしょうか。
カピバットさんが、少しでも元気が出ますようにと願い、エネルギーをおくります。

26/06/2006(月) 20:24:09

No.358  カピバット
あきどんさん、ミューさん、みなさんへ 引用
先日は、私の投稿に返信をして下さり、本当にありがとうございました。祖母が他界したしたのが日曜日でしたが、さすがに火曜日頃までは精神的にも肉体的にもきつかったです。ただ、おかげさまで現在は通常の状態に戻っています。
来月の29日に祖母の三十五日です。そのときは、また親戚らと祖母の思い出話などで盛り上がりたいと思います。変な話ですが、祖母の他界が、私たちの結束をより高めたような気がします。これも祖母の私たちに対する気遣いなのかもしれません。
話がそれてしまいますが、私は今月の定例会には参加出来ませんでした。これは、父の日の祝いがあったためですが、父にも満足してもらえた様なので、定例会を犠牲にしたのは決して無駄ではありませんでした。来月は、22日に定例会が行われると思いますが、今度は参加できるように努めたいと思います。

30/06/2006(金) 10:19:06


No.335 スヌーピー  
ありがとうございました。 引用
 飯沼さん、ミューさん、さきさん、祐造さん、ヒトミさん、皆さん、定例会ではありがとうございました。
必ず治しますが、私は医師に治らない病だと言われました。
悠々塾に来て元気になって喜んでいたのに、今度はなぜこんなことに、本当に『自分なりの喜びに向かう』のだろうか・・・
色々な不安な思いを抱きながら定例会に参加しました。

飯沼さん、『自分は悪い子だ。』の意味がわかりました。はいそうです、悪い子だと自己否定してました。(定例会の帰りに気付きました。えへっ。)
これからは、『私はいい子』と自然に思えるように、そして母との事、変えていきます。
飯沼さんやミューさんや皆さんにかけてもらった言葉通り心を動かします。
きっと時間がかかるけど、必ず治します!がんばります。
今は心軽やかでーす!皆さん、ありがとうございました。
今回、あらためてココ(悠々塾)に繋がれたこと皆さんと出会えたことに感謝と感動しました。

最後にヒトミさん、抱いてくれてありがとうございました。思わず「お母さん・・・」って言いそうでした♪

26/06/2006(月) 23:46:00


No.337  飯沼 E-mail
Re: ありがとうございました。 引用

☆スヌーピーちゃん(ちゃんは嫌かな?)

こんばんは。
簡単に返信しますね。

>私は医師に治らない病だと言われました。<

医師がそういうのは、今の医学の療法においてのことです。
病の元になっているかげりを光に、つまり、喜びとにできていない部分を喜びに変えていくことで、「絶対にありえないはず」の治癒に至った人は何人もおられます。
つい最近も、専門の医師から「治療をしても治らないが、一応薬の投与をしてみましょう」と言われていた人が、極めて短期間に改善して薬を使わなくてよくなった、ということがありました。
医師は、「自分の知っている限りでは、こういう例はない」と言っているそうです。

もちろん全ての人が「奇跡的に」治るわけではなく、治るか治らないかは、その人の今回の人生の目的とその人の心の動かし方、そして私たちが通路となって注ぐ霊界のエネルギーの肉体への変換の具合などによります。

スヌーピーちゃんは治ります。

>これからは、『私はいい子』と自然に思えるように、そして母との事、変えていきます。<

そうです!!
スヌーピーちゃんの場合はここがポイントです。
ここさえクリアしてくれれば、必ず治ります。
克と私が治します。

まずは、「与えられているもの」を素直に喜んでいくようにしていってください。
あなたにはいろいろな嬉しいものが与えられているのですから。(これって、前にメッセージか私からのメールで伝えた記憶があるのですが・・・)
たとえスヌーピーちゃんの求めているような表現ではなくても、お母さんに愛されていることは間違いないのですから、それを素直に喜んでいくようにしてくださいね。

それと、もしもなかなか自分を「いい子」だと自然に思えなくても、そんな自分を否定したりしないように。
無理やり「自分はいい子なんだ」と思おうとしなくてもいいからね。
与えられていることを喜んでいけるようになれば、自分のことも自然に喜んでいけるんだから。
そして、完璧に「いい子・いい人」はありえないから、「普通にいい子・いい人」で十分だからね。
完璧に「いい子・いい人」になってしまうと、祐造おじさんのように、その殻を破るのにすごく労力がいるんだから(笑)

「普通にいい子」なら、スヌーピーちゃんはすでにそうなっているんだよ。
そのことにスヌーピーちゃんが心と体の全部で納得できれば、必ず治ります。

だから心配も不安も無理のないことだし、心配や不安を無理に否定せずに(否定すると、心配や不安のエネルギーをフリーズしたままでずっと抱え続けることになるからね)、心配は心配として不安は不安として、あっていいから。
だけど別のところでは安心の気持もしっかり持ちながら治していこうね。

ほんじゃあ、おやすみなさい。

27/06/2006(火) 00:58:22

No.341  ひろこ
スヌーピーちゃん 引用
スヌーピーちゃんはいい子だよ。
人にいい子を見せてるのではなくて、ほんとにいい子だよ。
うちの娘も、私に対して天真爛漫に振舞おうとしています。
しているのではなく、自然に出てます。私も、心を開くのは苦手なので、戸惑いながらですが遊んでます。たまに、なに言ってるのって私が「ふんっ」てしたら、怒ってます。
また、定例会で会うのを楽しみにしていますね。

27/06/2006(火) 10:10:08

No.347  りん
スヌーピーさん!! 引用
こんにちは!ハンドルネームを変えてからは初めて書き込みしますね。。わたしはスヌーピーさんにお会いしたことがないけれど(いつか必ず会いたいね!!)あなたのことが大好きです!
病のことも飯沼さんを信じて必ず治るって思ってください。。
私も手術したほうがいいよって言われたことがあったんですよ。。
でもきっときっと治りますから!!
 私も応援しています。。祈っているからね。。。
大好きなスヌーピーさんへ。。

28/06/2006(水) 10:40:29

No.350  ひとみ
Re: ありがとうございました。 引用
スヌービーさん、こんばんは。
スヌービーさん、みんながいるから大丈夫だよ。
私も悠々塾のみんなに心の薬をいっぱいもらいました。
もちろん、スヌービーさんも言葉をかけてくれたよね。
嬉しかったよ。ありがとね。
スヌービーさんが、私の事を「お母さん。。」と呼びそうになったとありました。何だか、嬉しかったなあ。
次はお母さんと呼ばせますよ(^○^)(う〜ん、でも・・まだ20代なのに・・ってすみません・・・)

スヌービーさん!一緒にがんばっていこうね。
定例会で会えるの楽しみにしてるからね〜。

29/06/2006(木) 01:45:06

No.352  スヌーピー
Re: ありがとうございました。 引用
☆飯沼さん
飯沼さん、ありがとうございます。
飯沼さんや皆さんに助けて頂きながら、心を動かし光に向かいます!

☆ひろこさん
ひろこさーん、ありがとうございます!
私も色んなこと自然に思え、振舞えるように頑張ります。
私も定例会でお会いできるの楽しみにしてます☆

☆りんさん
ありがとうございます。りんさんがいつも頑張ってらっしゃる姿、掲示板で拝見し元気をいつももらってます。ありがとうございます。
私もりんさんのように頑張ります!でも力みすぎないよう適度に頑張りまーす。
本当にいつか、必ず(近いうちだといいなぁぁ。。)会いたいですね!
その日を楽しみにしてます☆

☆ひとみさん
はい、今度からは「お母さ〜んっ!」て呼びます☆(→ܫ←)☆
たくさんの愛情をありがとうございました。
本当に嬉しかった〜
また、定例会ではたくさんお話してやって下さい☆

29/06/2006(木) 21:10:57

No.355  ひとみ
ごめんなさい・・・ 引用
こんばんは。
スヌーピーさん、私・・・名前のほう間違って書き込んでました。
ミューさんに教えてもらい、お家に帰り、パソコンにじーっと顔を近づけたら・・・あっ!スヌーピーさんでした。
スヌービーって何だろうな?なんて思っていた私は、わぁー恥ずかしいです。
ほんとに、ごめんなさいでした。

30/06/2006(金) 01:57:39


No.348 飯沼  E-mail
予告です 引用

明日か明後日に、「死刑について」のテーマで「愛は時空を超えて・20」を受信掲載します。
一両日中に受信できなければ、来週になります。

29/06/2006(木) 01:06:28


No.351  飯沼 E-mail
Re: 予告です 引用
今日か明日に受信掲載します、でした。

あっきらさん、ひとみさん、日曜日は面白かったね。
ありがとね。

29/06/2006(木) 07:12:06

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