日曜日、印刷・発送作業で悠々塾へ行った。 私はまだ首が痛かったので作業は手伝えなかったが、ねねちゃんや他の皆にも会えてプレ定例会気分を味わい、泊まってゆっくり飯沼さんと話をすることもできた。
そして翌日、帰宅してから何とも気持ちが重く、体調もすぐれない。 「昨夜の自分の言葉には違和感があった?」という話をきっかけにさきと話をしていると、どんどん気持ちが沈んでいく。 原因はどうやら自分の抱いている「飯沼さんのように」という気持ちに関係するようだ。 このところ自分でも停滞気味だと感じてきただけに、一層重たくなって、海中に沈みゆく鉄球のようにどうしようもない気持になった。 心のバランスを崩すってこういう感じなのかと初めて感じた。 その時にさきにすすめられてISSINのHPの藍子さんに日記を読んだ。 「あの人」(5/19)。。。今の自分が陥っているところを指摘されたようだった。
私は飯沼さんと出会って、初めて心の底から尊敬し信頼できる人に出会った思ったし、飯沼さんのようになりたいと思ってきた。 さきと出会い二人で飯沼さん・克子さんのそばでの働きが増えてくると、いつのまにか自分の立場にプレッシャーを感じるようになっていた。 「飯沼さんのようになりたい」と思いながらもその違いは大きく、停滞のなかでの気持ちの空回りは、自分でも気づかぬうちに「飯沼さんのようにならなくては」という枠をこしらえて不自然な言動となって表れてしまっていたようだ。 二人で話しながらやっとそのことに気づいた。
思い返せば飯沼さんからは「自分のような人間が何人もいたって仕方がない。祐造さんは祐造さんにしかない持ち味を発揮してほしい」と言われていた。 頭では理解しながらも気持ちは焦り続けていたようだ。 飯沼さんがもしもおかしなことを言いだしたら、「それは違う」と言うように意識してきたし、今もそのつもりでいる。 しかし「飯沼さんのように」が偏重しすぎると「飯沼さんが正解」という方向になりかねない。 「自分の感覚と良心に基づく判断をにぶらせることは危険」とさきに指摘される。そのとおりだと思う。 それを一番危惧し、がっかりするのは飯沼さん自身だろう。
自分らしく自分の持ち味で、一段づつ積み上げていきたいと思う。 悠々塾に集う人々が自分らしく輝いていくことで、それぞれの色合いを持ち寄り、幅広く深みのあるエネルギーを作り出すことが出来るのだろう。私も自分ならではの色合いを発揮していきたい。 今回事故でむち打ちになり首を傷めたのは、自分のつくったこの枠、縛りから自由になる必要があるからでもあると思う。 一旦、後戻りしたとしても、そこから始めたい。 |
24/05/2006(水) 17:56:14
No.98 藍子 |
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こんばんは。日記を読んでいただいたようで嬉しいです。
実は前々から祐造さんの様子を見て気になっていたので、先月の定例会の二部で時間があれば祐造さんにあの日記に書いたことを伝えたいなぁと思っていました。でもタイミングがつかめず、また今月にでもお話しようと思っていたのですが、なぜか日記に書こうという気持ちなって書きました。祐造さんが読んでくれることを念頭に置いて書いたので、読んでもらえて本当に嬉しい。ありがとう。
日記に書いたのはこういうことでした。
あの人になりたい、あの人のようでありたい、と願うにしてもそれは今の自分を縮めることでも否定することでもない。あの人がもし尊敬する人と出会ったらどうするか、それを考えてみれば分かる。あの人は決して尊敬するからといって、その相手と自分を比べたり、相手に従順になったりはしないだろう。尊敬する人の尊敬する要素を柔軟に自分に取り入れながらも、むしろそういう相手にこそ、自由に確固とした自分を表現してゆくだろう。
祐造さん、私も父のようになりたいと願う者のひとりです。父のように、自分の全てをかけてこの地上を健やかな方へ変えてゆこうと意志し、まさにそのために癒し手、導き手として生きてゆきたい。父のように誰からの評価をも気にせず自分の信念でもって発言し行動したい。父のように、相手の深い場所に手の届く者になりたい、そう思っています。でも決して父になりたいわけじゃない(笑)。そんなん嫌ですよね(笑)。私として、です。「私」という自分にしかない過去や経験、感受性、方法でもって、父のようになりたいのです。
祐造さんは尊敬されるべき人ですよ。 「祐造さんのようになりたい」とこれから思われるべき人です。 父のようになりたいのなら、そこを目指してほしい人です。自分だけが持っている輝きを自由に表現してこそ、ああいうふうになりたいと、相手を変化させられるのでしょうね。だから、どうか自分を小さくせずに、導き手として柔軟であってほしいと思います。
偉そうにごめんなさい。失礼があったらどうか指摘してくださいね。 祐造さんはもっともっと本当は本当に揺るぎなく先頭に立ってゆく人だと確信しています。
また定例会でお話しましょうね。 今日悠々通信と天地悠々とどきました。いつも本当に編集作業ありがとうございます。むち打ち、早く治りますように。 |
24/05/2006(水) 22:54:04
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No.100 ろでぃ |
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柔らかな強さを持つ祐造さんですら、心沈めるときがあるのだと知りすこおし心が軽くなりました。
生きてると色々あるものですね。 ひとりジタバタしたり落ち込んだり。
でもだからこそとても愛したい。
うまくいえないんですけど、祐造さんの書き込みに私は勇気をいただきました。駄目な私でも大丈夫!って思ってもいいのかなって思いました。 |
24/05/2006(水) 23:04:30
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No.101 はたぼん |
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プレッシャーがかかるの、無理ないです!もしわたしが 祐造さんと同じ立場だったら、プレッシャーだけではすまないと思います。えらいことになりそうです。 ある時、随分年下の大切な人からかけてもらった言葉があります。 「○○ちゃんは○○ちゃんやから」 とてもシンプルなことだけれど、なかなかそう思えない自分がいました。 人と比較して落ち込んだり、対抗心を抱いたり。 その人と同じようにしようとしたり。 でも、それは違うんだと、この言葉で気づきました。 わたしは、わたしのやり方で、自分の持っているものを生かして行動したり言葉にすればいいんだって。 だから、彼女の言葉を借りて 「祐造さんは祐造さんやから」祐造さんらしくがいいです! 祐造さんのこと大好きだし、(変な意味じゃないですよ) 尊敬しています。 定例会の1部で真剣にメモをとっている姿、天地悠々・悠々通信の編集作業、広報部の立ち上げ、いろんな人からの相談…。 自分のことで忙しい中、これだけのことをやってのけて、しかも誠実に、柔らかく対応されている祐造さんは、ほんとにすごいと思います。 祐造さん、これからもっとすごくなるんですね! あぁ、でもくれぐれも無理はしないで下さいね。 おからだ大事になさって下さい。 定例会でお会いできるのを楽しみしています。 |
24/05/2006(水) 23:16:29
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No.102 ミュー |
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祐造さん、私は悠々塾に繋がって以来これまでずっと、真摯な祐造さん&さきさんの存在に、多くを教えていただいてきました。 それは、悠々塾で出会う事が出来たからだけではありません。
祐造さんの大きな輝きを、身を以って感じたからです。 祐造さんの輝きは、大元の安定した器の大きさだけでなく、角度を変化させて見ると、また違う繊細な輝きを放ち・・それが幾重にもなっているような印象です(上手く言えなくてごめんなさい)。 その自分自身にしかない閃光を放つ事を、あえて避けて(避けたい)というまるでリミッターが設定されているような、不自由さをここから解放してゆく・・・その大きな変化の時を迎えているのですね。
祐造さんは、真摯で温かいだけではない、祐造さんが人々を導いてゆくというリーダーとしての強さが既に備わっているという事を、大きく喜んでほしいです・・・そして、強く言動してゆく場にある事を胸を張って現していってくださるのを、強く待ち願っています。 飯沼さんと同じ方向に向かい、そこで飯沼さんにはない輝きを存分に発揮して地上で多くの魂を導いてゆくのが、祐造さんなのだと思います。 それは、他の誰とも違う祐造さんにしか出来ない大切な役割だと思います。
私も悠々塾で、みなさんと同じ方向を向いて精一杯歩いて行きます。 この地上で、飯沼さんのような人になりたいです。 時には飯沼さんが眩し過ぎて、目を伏せてしまう時もたくさんある私だけれども、迷い躓き停滞してしまう今の等身大の自分は、行くべき方向を知っているから、強く望んでいるからこそなんだと思っています。
祐造さん、これからもどうか導いてくださいますよう、よろしくお願い致します。 今世で祐造さんに出会えた事を、とても誇りに思っています。
辛いムチ打ちが、どうか早く楽になりますように・・・。 |
25/05/2006(木) 00:57:39
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No.105 飯沼 |
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悠々塾は組織なんかではなく、会員制のグループでもない。 従って、綱領や規約も会則もない。 それは克と共に悠々塾の活動を始めるときから決めていたことです。
こういう世界に足を踏み入れるはるか以前から、私は既成の組織には何の魅力も感じていませんでした。 組織は組織の維持・発展のために、そこに属する個人を部品化し、規制します。
組織によって自分が縛られるのも嫌ですし、人が縛られているのにも違和感を感じます。 愛も真実も、自由の元にそれが行われなければ、価値は半分以下だと思います。 もう少し言えば、真理は自由の喜びと共にあるのだと思うのです。
霊的真理を本当の意味で学べば学ぶほど、自分本位や自分勝手は少なくなっていくでしょう。 しかし、それは例えば「シルバーバーチがこう言っているから、スピリチュアリストはこうするべき」などというものではなく、たとえそれに従うにしても、自分の気持ちも含めた自分の全てでそれを選び取ってこそ本当の学びになるのだと思っています。 従属は本来の喜びではなく、進化向上・成長が喜びだからです。 その意味で私は、たとえシルバーバーチの訓えであっても、それを教義のように扱って優等生のように振舞っている神経の持ち主たちには大きな違和感を持ってしまいます。 「そんな窮屈にしていて、何が面白いの?」と聞きたくなります。 あるいは、「自分は先生で、皆さんは生徒です」なんて大きな顔をして言う人には、思わず「アホか?」と言いたくなってしまうのです。(1点減点)
単なる「霊的知識」ならまだしも、活きた霊的真理というものはそんな教条主義や固定化された関係性の中にあるはずがないのですから、「あんたら、偉そうに言う前にそれぐらい分かれよ」と思ってしまいます。 あ、そういう人をも受け入れて、自分の心を翳らせないのが私の課題だというのは承知の上で、ちょっと調子に乗っています(笑)
しかし、固定された定かなるものが何もないグループの危険性はもちろんあります。 そこのリーダーが絶対化されていくことです。 その危険性は前述のグループでも同じですが。 これがある意味では、最も危険なことかも知れません。 私は一応、悠々塾の主宰者であり、リーダーですから、そこのところには実は神経を使っています。
まず、なるべく自分の不十分さも隠さないようにしています。 実は実物の私は掲示板で表現している私よりも、もっとちゃんとしているのです! というのは嘘ですが、自分をできた人間に見られないようにしているというか、そんなふうに見られるのは嫌いです。 そんな人間じゃないのを自分で知っているからです。
そしてここからはマジですが、自分を学んだ真理に照らして(なるべく・笑)厳しい目で検証していくこと。 それにはシルバーバーチの訓えや他の真っ当(と思われる)知識も活用します。 そして、私や悠々塾との距離もさまざまな何人かの信頼できる人たちをそれぞれ(勝手に)定点に見立てて、その人たちが抱いていると思われる共感や違和感から、自分の言動を見てみるということ。 これはもちろん、定点の人がいつも定点であるわけではなく、その人自身の問題でのブレもありますが、何人かの信頼できる人を定点として意識していると、かなり客観的に自分の位置(言動の問題点なども)は把握できるものです。 それを踏まえたうえで、やはり言わねばならないことを言い、しなければならないことをしていくこともあります。 しかし、そういう場合でも自分を検証する目と併用すれば、自分が見えなくなってしまう可能性は極めて低くなるはずです。
話がややこしくなってきましたが、祐造さんの書き込みへの返信でしたね。 祐造さんの輝きを私は早い時期に見て、しかも彼はとても信頼できる誠実な人ですから、もちろん「定点」のひとりです。 しかも、実質は悠々塾のスタッフとして大きな存在感のある人です。 そういう彼が、私の「イエスマン」になってしまうことが、私には一番困ることでもあります。 それはもう何年も前から彼には何度もお願いしていることでした。 彼と出会った頃、彼は不自然に自分を縮めている人でした。 そういう彼も段々に力を発揮してきて、私も彼のことをさらに信頼するようになってきました。
その彼が最近、私に迎合しているかのようなところが目についてきて、私も気になっていました。 と言っても、多分よそのグループやサポーターズクラブ(って固有名詞じゃないですよね?・2点減点)等とは比べものにならない程度だとおもいますよ。 公開の意見交換・対話の場を持たずに「分かる段階に達した人にだけ分かればいいから議論はしない」等と言いながら、「スピリチュアリズムはどんな宗教よりも高度な宗教です」と公言し、他の宗教やグループを一方的に批判したりとか、掲示板で批判を禁じているなんていうのは、ファシズムですから。
また話が逸れましたね。 彼にはそんな気はなかったのかもしれませんが、私から見ていて、彼が私の枠の中に納まろうとしているように感じられたのです。 それは私のためにも彼のためにもなりませんし、悠々塾にとっては危険なことと言わねばなりません。 それで、意地の悪い私はいろいろと彼を挑発してみるのですが、根が善良な(のか鈍いのか)彼はなかなか態度を改めません。(この場合の態度を改めるとは、彼が私に反発することです・笑)
彼と話していて、彼が私の言ったことを単に補強するようなことを言えば、私はそういう言い方に違和感を示したりしてきました。 例えば私が「10」と言った時に、彼も「10」と言うだけでは、私には面白くないのです。 彼が「10」と言って、私も「10」と言うしかなければ、それは嬉しいことですが。 私が「10」で、彼が「11」ならもっと嬉しいのです。 彼が結果的に私と同じ「10」と言うにしても、「5+5」とか「3+7」とか「12-2」とか、いろいろあるはずなのです。 それが彼の持ち味なのですから。
こういうことを書くと彼はますます分からなくなるのかもしれませんが、私は彼を見込んでいますから、見込んだ限りは彼の輝きや素質を彼として最大限に引き出していきたいと思っています。 これは悠々塾に集い、一応私を信頼してくれている全ての人に対するわたしの関わり方です。 信頼する後輩が、自分(私)の枠に収まろうとしていることは、寂しくもあり申し訳のないことでもあります。
自分の気持ちに拘泥して、いくら諭されても文句を言い続ける人や、自分の思い通りにしてくれないからと逆恨みされるのは嫌ですし、その人の考えているようなことはすでに私が検討した上で言っているのに分かってもらえないのも困ります。 しかし、そういうことでなければ、私は批判や忠告をしてもらえることは嬉しいことだと思っています。 私の間違いや思い違いに気づける機会ですし、そうでなくてもその人のその人らしさを発見するよい機会になるからです。 悠々塾は、そこに集う人たちが本来のその人らしく自由に開放的にやっていきたいと願っています。
でも、祐造さんは怒ると怖いんですよね。 本当に青筋立てて怒りますからね(笑) 私にはそういうのは無しにしようね。
あ、それと、こう言われたからって、私を批判しなければならないなんて思うのは迎合だから(笑)、お手柔らかにね。 |
25/05/2006(木) 02:49:31
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No.106 飯沼 |
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改めて読み返してみると、なんだか分かりにくい変な文章ですね。 克がいた頃は、こういう投稿は一応読んでもらって意見を聞いてからから投稿していたのですが、ひとりになるとどうもいけません。 祐造さん、気分を悪くしないでね。 真意は分かってくれると思うんだけど・・・。 |
25/05/2006(木) 07:41:38
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No.107 りん |
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祐造さん、身体の具合いはいかがですか、、? 私は祐造さん、さきさん夫妻に一度しかお会いしたことがありませんが、お二人のエネルギーに感動して、私もがんばろうと思いました。。 私も祐造さんを心から応援しています!! (たよりなくてすみません) だけど、本当に本当に応援しています!! |
25/05/2006(木) 09:57:01
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