☆☆ 愛は時空を超えて 20 ☆☆ ―― 霊界の堀江との会話 ――
飯沼) おぅい、クゥ。 こんにちは。 今日は僕の方がテーマを決めての受信になるけど、よろしくね。
克子) はぁい、まーたん、こんにちは。 もちろん分かっていますよ。 改めて言うほどでもないかもしれないけど、あなたが受信のテーマを選んだり、建設的なことで思いついたりすることのほとんどはこちらから穏やかなインスピレーションという形で思念を送っているのですよ。 今回のテーマは、あなた個人としてはあえて今の時期に選びたいとは思っていなかったでしょう? あなたにはあまりに当然過ぎて、このテーマの受信に労力を割く意欲は高まってはいませんね。 むしろ面倒に思っているわ。 でもね、今すぐに役に立たなくても、今の時期に改めてこのテーマについて提示しておくことも、あなたの役割のひとつなのですよ。 だから、グズグズしないで始めましょうよ(笑)
飯)ひどい言い方だね(笑) 別にグズグズはしてないと思うんだけど・・・。
克) あはは、ごめんね、まーたん(笑) でもね、意欲が高まっていないのは自分で分かるでしょう? そういう状態で受信すると、時間も掛かるし疲れが残るわよ。
飯) そうだね。 受信しながら居眠りしたりしてね(笑) よしっ、気合を入れてやりますよ!
世界の国々で、死刑を法律で、または実質的に廃止している国は123カ国にのぼる。 死刑を存続させている国は、アジア、アフリカを中心に70カ国あまり。 西欧は全ての国で廃止しているし、いわゆる先進国で死刑制度を存続させているのはアメリカと日本だけ。 アメリカは、15前後の州で死刑廃止している。 日本政府は国連の機関から死刑廃止に向けての要請を受けているが、長年にわたって無視し続けている。 「死刑は凶悪犯罪の抑止力になる」と主張する人がいるが、ヨーロッパや国連の調査結果では、死刑を廃止したからといって、凶悪犯罪が増加したという事実はない。 カナダでは、死刑廃止後30年間で殺人事件は半分近くにまで減少し続けている。
また、「死刑制度を存続させているから凶悪犯罪が減少する」という事実もない。 「被害者の家族の気持を思えば死刑は当然」という主張もある。 しかし、犯人が死刑に処されることで、被害者の家族の気持は慰撫されるのかどうか・・・? 刑罰とは、被害者の家族に代わって、国家が報復するものなのか? さらに、日本では殺人犯に死刑判決が出るのは、1%以下である。 つまり、圧倒的多数の被害者の家族は、犯人の死刑を願っても叶えられない。
誤審の可能性もあり、死刑確定後に無実が証明された例も少なくないし、現在も無実を主張している確定死刑囚は何人もいる。 アメリカでは、この30年間に死刑判決が出た後で無実が証明されて釈放された「死刑囚」が100人以上に上る。 もちろん、執行されてしまった無実の死刑囚もいる。
まず以上のことを、これを読む皆さんに知っておいていただきたい。
ここで一番問題になるのは、「被害者の家族の気持」だと思う。 死刑制度支持のほとんどの人も、被害者自身の無念さや痛ましさ、家族の方の気持を思ってのことだと思う。 家族の方の気持は僕にも十分に分かるし、「犯人を死刑に」という主張に傾くのも無理はないという気はするが、そこはどうなのだろう?
克) そうですね。 本来の霊界に生きる私にも、家族の方々のお気持はよく分かります。 愛する人を無残に殺害されれば、どんな気持ちになるか。 愛する人をそんな酷い目に合わせた犯人を絶対に許せないという気持ちになっても無理はないと思います。 愛するがゆえに、犯人に対して憎しみを持つのです。 でも、同じように家族を酷い方法で殺害された人の全てが、犯人を憎み続け、死刑を願い続けるかといえばそうではありません。 では、犯人を死刑にすることを望まない家族の人は皆、殺害された人に対する愛情が薄いのかといえば、それは絶対に違います。 それこそ、被害者の家族に対する冒涜です。 愛する人の地上生命を酷い形で奪った犯人に対して、「この手でCENSOREDやりたい」という地上最大の憎しみを越えて、犯人を許し、更正を願えるようになった人たちもいるのです。 犯人に対する憎しみや許しがたさを完全に払拭することは難しいでしょう。 しかし、それよりも他界した愛する人の冥福を祈るという形で、愛念を送ることのほうを優先させている人は、本当にたくさんいます。 「自分は犯人を許せないけれど、犯人が死刑になったからといって自分の愛する人が喜ぶとも思えない」という思い方です。 逆から言えば、犯人が死刑になれば、自分の愛する人が本当に喜ぶのかどうか、です。
「被害者の家族の気持」といっても決して一様ではありません。 愛する人を失った悲しみや喪失感は、残虐な犯罪であっても、事故であっても、病死であってもそれぞれにあるものです。 その悲しみや憎しみの程度と、それをどう越えていくかは、ひとえにその人の霊性に掛かっているのです。 こういう言い方をすれば反感を招くかもしれませんが、霊界から見ればそういうことです。 愛する人への愛情が大きければ、犯人への憎しみも大きくなるのは理解できます。 しかし霊的に言えば、憎しみは愛情の陰にすぎません。 許しがたさや憎しみの深さは、愛情の大きさや深さの証明にはなりません。 反動なのです。 愛を憎しみで表現する段階を越えて、愛を愛で表現することが地上人生の目的でもあるのです。
そうはいっても、憎しみの渦中にある家族の人が自分でそこに気づくことはなかなか難しいでしょう。 魂の約束で配剤されている周囲の誰かが、勇気を奮ってゆっくりと時間をかけて話してあげていただきたいと思いながら、守護霊や指導霊は見守っているのです。 すでに本来の霊界に戻っている被害者自身が、家族の傍まで下りて働きかけていることもあるのです。 事件は被害者自身にとっても、今回の地上人生の目的に沿ったものであるのですし、本来の霊界に戻った被害者はそのことの意味を理解も納得もしています。 いつまでも、無残に殺害された被害者のままでいるのではありません。 そして、憎しみを抱き続けている家族の人にとっても、その事件は今回の人生のプログラムの中に設定されているのです。 「そういう目に合わされて、どうしていくのか」、その人の魂は知っています。
犯罪者の刑罰の基準は被害者感情ではありません。 前述したように被害者感情もさまざまですし、殺人事件のほとんどは死刑以外の刑罰が科されているのですから、「被害者感情」という点においては不公平になってしまいます。 やはり政府が率先して「どうあるべきか」の決断をしなければならない問題でしょう。
ただ、今のこの国は、多くの人々が怒りの捌(は)け口を求めている状態です。 先行きの見えない不安や閉塞感、地道な努力が報われにくいこと、力を持つ人々の横暴や不正などをどうすることもできない普通の人々の多くは、心の奥に怒りを抱えて、その捌け口を求めているのです。 弱者であるがゆえに怒りや憤りを公然とは表現できず、ともすれば残虐な犯罪を犯した犯人にそれが向けられるのです。 「言える者に、言えるところで言いたいように言う」という、人間的弱者の哀しい感情の捌け口でもあるのです。 (それはある時期から再び目立ち始めている、特定の国の人たちに対する差別や偏見、排除の現象も元は同じです。)
それともうひとつ。 今のこの国は、人と人の気持ちが通い合わず、それぞれの人が「共感」を求めています。 そこでも、犯人の死刑を望む被害者の家族の気持ちに共鳴しやすいのだとも言えます。 そして、それらのエネルギーが、被害者の家族が犯人に対して抱く憎しみを増幅させている面もあるのです。
憎しみを強め、犯人の死刑を願う状態の家族の人に対しては、そういう気持を受け止めた上でそれらを越えた愛念を送って差し上げてこそ、霊的真理を学ぶ者としてふさわしい行為なのです。 たとえ酷い形で殺害されたとしても、被害者はいずれ必ず癒されるのです。 まして被害者が善良で優しい心の持ち主ならば、他界後の休眠を経て、皆さん方の想像よりもはるかに早く本来の霊界に戻ります。 その霊たちは、死刑がどのようなことを招くのかを知っていますし、死刑や報復を望んでなどいないのです。 自分はすでに美しい喜びのみの世界に生きているのに、自分を愛してくれる家族が今も憎しみに囚われ続けていることに困惑する“被害者”も少なくないのです。
なかには殺害される時のショックで地縛状態が続いている被害者もいますが、その状態の被害者を救うのはその人に向けられた愛念であり、愛する家族がその人の死を受け入れるエネルギーです。 犯人が死刑になったからといって、被害者の霊が救われるわけではありません。 もしも、犯人が自分の犯罪に見合った残酷な刑の執行を受けることを被害者が喜ぶのであれば、その被害者はすでに被害者ではなく暗黒界に向かうことになってしまうのです。 いかなる理由があるにせよ、人の苦しみを喜ぶことは、本来の霊界に向かうものではなく、暗黒界に引き寄せられていくことなのですから。 それは被害者のみならず、事件を知った世間の人たちも同じです。 霊界側は、そのような状態にある人たちに、一日も早く立ち直っていただきたく願っています。
飯) ありがとう。 では、いわゆるスピリチュアリズムでは、死刑についてどのように伝えられているのか、モーゼスの「霊訓(1800年代後半の霊界通信)」と、「シルバーバーチの霊訓」から抜粋引用するね。
霊にとって、肉体から無理やり離され、怒りと復讐心に燃えたまま霊界へ送り込まれることほど危険なものはありません。いかなる霊にとっても、急激に、そして不自然に肉体から切り離されることは感心しません。われらが死刑という手段を、愚かにして野蛮な行為であるとする理由もそこにあります。死後の存続と向上・進化についての無知が未開人のそれに等しいがゆえに野蛮であり、未熟な霊を怨念に燃えさせたまま肉体より離れさせ、さらに大きな悪行に駆り立てる結果となっているがゆえに愚かというのです。 (中略) 罪人は教え導いてやらねばなりません。罰するのはよい。こちらの世界でも処罰はします。が、それは、犯した罪がいかに自分自身を汚し進歩を遅らせているかを悟らせるための、一種の戒めであらねばなりません。神の摂理に忠実に生きる者たちの中に彼らを置き、罪を償い、真理の泉で魂をうるおすことを体験させてやらねばなりません。そこに神の使者が大挙して訪れ、その努力を援助し、温かい霊波を注ぎ込んでくれることでしょう。
ところが現実はどうでしょう。罪人を寄せ集めては、手を施す術なき者として牢に閉じ込めてしまいます。その後さらに意地悪く、残酷に、そして愚かきわまる方法によって処罰します。そういう扱いを受けた者は、刑期を終えて社会へ復したのちも、繰り返し罪を犯します。そしてついに、最後の、そして最も愚かな手段に訴えるべき罪人の名簿に書き加えられます。すなわち死刑囚とされ、やがて斬首されます。心は汚れ果て、堕落しきり、肉欲のみの、しかも無知な彼らは、その瞬間、怒りと憎悪と復讐心に燃えて霊界へ来ます。それまでは肉体という拘束物がありました。が、今その拘束から放された彼らは、その燃えさかる悪魔のごとき邪念に駆られて暴れまわるのです。 (モーゼスの「霊訓」上・第2章 現世と来世より コスモテン版)
死刑の是非
霊の教訓として私が躊躇なく述べていることは、殺人を犯したからといってその犯人をCENSOREDよいということにはならないということです。地上の人間は正義と報復とを区別しなくてはいけません。いかなる理由にせよ、霊的に何の用意もできていない魂から肉体を奪って霊界へ送り込むことは、最低の人間的感情を満足させることにはなっても、何一つ意義のあることは成就されません。正当な裁きを下すべきです。死刑によって一個の人間を霊界へ送り込んでも、その霊をひとかけらも進化させることにはなりません。逆に、一段と堕落させ、“目には目を、歯には歯を”の激情に巻き込みます。 われわれは生命は肉体の死後も生き続けるという動かし難い事実を基盤とした原理を堅持しなくてはなりません。何の準備もできていない人間を霊界に送り込むことは、ますますトラブルのタネを増やすことになるのです。時には誤審による死刑も行われており、正当な裁きが為されておりません。 (シルバーバーチの霊訓・第8巻より 潮文社版)
飯) ということで、スピリチュアリズムの訓えは、はっきりと死刑に反対している。
克) そうですね。 それは当然のことですからね。 頭で考えてどうこうでなく、自分の気持がどうこうでなく、霊界から見れば死刑が摂理を逸脱し、実際にも「百害あって一利なし」であるのは明らかです。 あなたが疲れているので、これ以上の受信は難しくなってきましたね。 こちらの方としては、まあ伝えるべきことはおおよそ伝えました。 もうひと頑張りできるかなぁ?
飯) あいよ。いくらでも頑張りますって!
克) そうかなぁ。 無理しちゃってるわね(笑) じゃあ、もう少しだけね。
最後に、どんな凶悪な犯罪を犯した人間でも更正の可能性はあります。 どんな人でも必ずいつかは更正するのです。 それを地上にいる間にさせることも、地上界の人たちの務めなのです。 皆が人生を喜べるように社会環境を整え、皆が心の拠りどころを持てるように家庭やその他で心のつながりを深め、支えあい、補い合い、思い合う世の中にしていくことで、凶悪犯罪は激減するでしょう。 犯罪の被害者だけでなく、加害者もまた今の地上界の歪みや偏りの犠牲者なのです。 これは決して奇麗ごとで、加害者を甘やかしなさいなどと言っているのではありません。 被害者の家族の人権を無視して、加害者の人権ばかりを主張しているのではありません。 霊界から見た真実を述べているのです。 誰一人として社会や人から排除されたり差別されたり虐げられることのない、物心ともに健やかな世の中にしていくことが、そのエネルギーの高まりこそが、誰一人むごたらしい犯罪の被害者を生み出さない唯一の方法なのです。
被害者の家族に対しては、多少なりともその気持を慰撫するために国が支援や保障をするのは当然です。 金銭が気持ちの慰撫になるものではありませんが、金銭的な保証は必要です。 もちろん加害者も人生を通じて償わねばなりません。 特定の場においての長期間の教育も不可欠です。 それらは遠回りのようですが、実際には更正に向けての近道なのです。 死刑にして、凶暴な気持を持ったままの霊を解き放つよりはよほど理に適っていますし、安全です。 特に凶悪な犯罪は、全て同じような未熟な霊の憑依が絡んでいます。 その方がよほど危険なのです。 凶悪犯罪を再生産していることになるのです。
スピリチュアリズムが地上にもたらされた目的は、「地上界の浄化」「地上天国の建設」のためにほかなりません。 いずれは、愛と摂理によって統べられた、健やかに輝く地上界に変容するのです。 ならば、その実現への道も、愛と摂理によってなされていくのです。 ナザレのイエスは、「目には目を、歯には歯を」という報復の論理を戒め、全てに対して愛で以って応えるように訓え諭しました。 かのイエスの真の訓えを引き継ぐのがスピリチュアリズムであるならば、せめてスピリチュアリズムに学ぶ人たちは、安直な感情に流されず、世間の人たちの報復の感情に迎合せず、本来の霊的真理を説き、自らも言動によって実践していただきたく、この霊界からお願いせずにはいられません。
スピリチュアリズムを標榜しながら、スピリチュアリズムの基本理念を冒涜するようなコメントを公表することが、人に対して悪影響を与えるばかりでなく、自分自身に対してもいかなる結果を招くものであるのか・・・。 いずれは必ず自らが背負わねばならないときが来るのです。 どのような形でその責任を負わされることになるのか知っていれば、誰もそのようなことはできないでしょう。 知識を持ちながら真理を歪めた罪は、非常に重いとお伝えしておきます。 本当にお気の毒なことになってしまいます。 その時になって、「こんなことになるとは思わなかった」と言っても、通用しないのです。 生半可な覚悟ではどうにもならないほどのものであることを、私から重ねてお伝えしておかねばなりません。
飯) はーい。お疲れさま。 もう限界です。 エネルギーがすごくて、頭がくらくら、目がショボショボですよ(笑)
克) まーたんこそ、お疲れさまでした。 大丈夫かな?
飯) 大丈夫、大丈夫、ちょっと休むよ。 それじゃあね。 今日はいつもの挨拶は控えておくね。
克) はーい、そうですね(笑) じゃあ、またね。
(2006・6・29) |
29/06/2006(木) 22:43:21
| No.356 飯沼 |
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>日本政府は国連の機関から死刑廃止に向けての要請を受けているが、長年にわたって無視し続けている。
日本は国連の人権機関から、確定死刑囚の処遇に関しても改善勧告を受けているそうですが、それも無視しているようです。
世界の大部分の国は、「国家が人をCENSOREDことを合法化できない」という理由で死刑を廃止し、終身刑を導入しているようです。 |
30/06/2006(金) 07:40:28
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| No.359 みーじゅ |
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皆様、初めまして。 みーじゅと申します。どうぞよろしくお願いします。 飯沼さん、いつぞやはメールにてお世話になりました。
今回は「死刑」の話で、私も以前から、 死刑がどうにかならないものかと思っていましたので、 私にとってはタイムリーな話題でした。
私は死刑に反対です。 犯罪者と言えども、死刑は殺人と変わりないと思います。 過ちを犯す存在で完璧でないのが人間なのに、 そんな人間(裁判官)が人の命を勝手に絶つことを決めても良いのでしょうか。 私は仕事とは言え、死刑執行人は、 殺人をしていると同じことだと思うので、とても気の毒に思います。
テレビの解説者が、日本には、 死刑か無期懲役(いつかは刑務所から出る)の両極端な刑しかなく、 こういう制度しかないのなら、死刑も致し方ないと仰っているのが印象的でした。
何故、日本は死刑を廃止し、 犯罪者が心を改めることができるような刑(制度)を作らないのでしょうか。 とは言え、私自身、どのようなことをすれば、 犯罪者が改心し 魂を目覚めさせることができるのか わからないので、大きなことは言えないのですが・・・。
ただ死刑を廃止せよ!だけでは、 被害者も一般市民も納得できないと思います。 死刑を廃止することを望むのなら、 それに代わる皆が納得できる刑(制度)を作らなければいけないのだと思います。
飯沼さん、みなさんは、どのような刑ができれば良いと思われますか?
初投稿で熱く語ってしまって申し訳ありませんでした。 |
30/06/2006(金) 13:03:31
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| No.361 ひろこ |
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>たとえ酷い形で殺害されたとしても、被害者はいずれ必ず癒されるのです。まして被害者が善良で優しい心の持ち主ならば、他界後の休眠を経て、皆さん方の想像よりもはるかに早く本来の霊界に戻ります。
この事を知ったら、無残な殺され方をした方への気持ちが楽になり、安心して愛念を送らせてもらえることができます。 ありがとうございました。 いつも、死刑と無期懲役の極端な刑しかないのを、不信におもっていました。 無期懲役でも早くに社会に出てしまう事が多いようで、更生、教育がどのようになっているのか、想像がつきません。早く、終身刑が出来る事、そして残忍な行為をする人がなくなる地上になるよう祈りたいと思います。 |
30/06/2006(金) 15:31:08
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| No.362 高橋 |
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飯沼さん、あまり選びたくないテーマの受信、お疲れ様です(笑
最近、死刑について思うところがあったので、自分にとってタイムリーなテーマでした。
先週、光市の母子殺害事件について最高裁判決が出ました。 弁護人を引き受けたY弁護士が、法廷を欠席したというので、マスコミから大バッシングされたことでも話題を呼びました。(この件についても書きたいことはありますが、今回は話題を死刑の件に絞ります)
この事件は、事件当時18歳を超えたばかりの少年が、母親とその赤ちゃん(11ヶ月)を殺害したという容疑で、地裁と高裁がともに無期懲役にしたのを、検察が不服(量刑不当)として最高裁に上告したものです。
最高裁は、原判決を破棄し、差し戻しました。理由は、「特段の事情がない限り死刑の選択するほかないのに、死刑にしなかったのは不当である」というものですから、事実上の死刑判決に等しいものです。
先日、Y弁護士らが参加した弁護士の勉強会で話を聞いたところでは、この判決は非常に重要な意味を持っているとのことです。 つまり、簡単に言えば、これまでは、「凶悪事件は原則無期懲役、特段の事情があれば死刑もやむを得ない」とされていた基準をひっくり返して、「凶悪事件は原則死刑、特段の事情があれば無期懲役」と、原則と例外を逆転させたというのです。
ニュースを見ていても気づくことですが、さいきん、死刑を求刑する事件が極端に増えてきました。光市事件のように、高裁で無期判決が出ても量刑不当で上告する事例も増えています。
これは偶然ではなく、ひとつの大きな方針に沿ったもののようです。
ご存知の通り、2011年から裁判員制度が導入され、裁判官に混じって一般市民が罪や量刑の決定に参加することが決まっています。検察(国)がおそれているのは、法律の素人が、死刑や重罰を課すことをためらい、量刑が軽くなることです。だから、そうならないように、計画的に厳罰化を推し進めていると思われます。
死刑が増えているのは、国民に対して、「凶悪犯は死刑にするのが当然である」ということを教え示すため、という目的があるようです。
そして、厳罰化を推進するために国が最大限に利用しているのが「被害者感情」です。理性的で冷静な議論を進めていくと、他の先進国のように死刑廃止の方向に世論が傾きかねないので、なまの被害者感情をメディアを使って全面に押し出し、国民感情を煽っているのだと思います。
犯罪被害者や遺族の方々の人間としての怒りや憎しみの感情は誰も否定できないものですが、それを利用して自己の目的を達しようとする人々もいるという冷酷な現実が存在しています。
わたしたちにできることは、なるべく感情的にならず、人間の生命の尊厳(生命を奪われた者だけでなく、奪った側の者にとっても)と、受信されたメッセージで伝えられている深い真理に思いを凝らしていくことだと思います。
長くなってしまいました。
メッセージの内容はたいへん意義深く、これから思索の糧にしていきたいと思います。ありがとうございました。 |
30/06/2006(金) 20:04:31
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| No.363 はる |
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たぶんこれを読む人のほとんどが、私に非難の目を向け軽蔑するだろうと思いながらも投稿します。 私は、死刑に対して賛成でも反対でもないにもかかわらず、むしろ残虐な事件を起こした被告人に対して、死刑になればいいのにと思っている自分がいます。松本ちずお(浅原しょうこう)や池田付属小学校殺傷事件の犯人や林真須美など無差別殺人を起こした人には特にそう思います。
霊的に見ればそう納得できるのですが、自分自身いのちに対して軽るんじている部分があるからだと思います。 私はCENSORED願望が強く、病気や事故で死んだ人を見てかわいそうにと思う反面自分もそうありたいと勝手に思ってしまいます。 自分でもおかしい感情だと思っていますが、今も生きる強い願望がなく無気力になっていることが多いです。 うつ病なので、薬を服用してなんとか生活できていますが、薬がきれると何をどうすればいいのかわからず、体はこわばり重く感じられます。 すべてに恵まれ幸せなはずですが、そう体が反応するのは自分でもおかしいとやはり精神障害者なんだと思って納得しています。
今日もこの掲示板を読む前に、私が死んで悲しむ人が幾人くらいいるのだろうか、生きていても人に喜ばれていないように感じました。実は母のお葬式のときのことを思い出したのです。 お葬式に参列した人の多くは、弟の友達や仕事関係者がほとんどで、汚れた仕事服のままでも遠くから参列してくださいました。 私の職場からは、義理で二人参列してくださっただけでした。
死刑の賛否の話からそれているそうですが、ずいぶん前から私の感覚がずれていることに悩んでいます。 やはり精神がゆがんでいるのでしょうね。情けないことです。 |
30/06/2006(金) 20:30:46
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| No.365 飯沼 |
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☆はるさん
こんばんは。
>たぶんこれを読む人のほとんどが、私に非難の目を向け軽蔑するだろうと思いながらも投稿します。<
全然そんなことないですよ。 はるさんの重い気持を吐露してくれて、よかったと思います。 はるさんは、「自分でもおかしいとやはり精神障害者なんだと思って納得しています」という思い方よりも、「今の自分の状態はこうなのだな。でも、〜なふうになっていきたいな」というような思い方ができればいいですね。
(ここからははるさん向けではありませんが・・・) 死刑については賛否両論があって当然だろうと思っていますし、民意は今も真っ二つに分かれています。 だからこそ、死刑について考えるにあたっての「いくつかの視点」を提示しました。
ただ、スピリチュアリズムは死後存続を大前提にしたうえで、「地上的生命を無理やり奪うこと」を強く戒めています。 戦争についてもそうで、シルバーバーチは「破壊以外の何ものでもない。流血によって解決されるものは何ひとつない」と明言しています。 当然だと思います。 しかし、一方ではシルバーバーチの訓えを絶対化し、教条主義的な雰囲気を漂わせているスピリチュアリズムのグループが、イラク戦争が始まる前から「イラクが大量破壊兵器を隠し持っているのだから、この戦争は正当だ」との主張をネット上にも「ニューズレター」にも掲載していました。 大量破壊兵器の話が大嘘の口実だったことが判明してからも、自分たちの間違いには触れないままです。 スピリチュアリズムを標榜しながら、戦争に賛成することがおかしいと思うのです。
繰り返しますがスピリチュアリズムは、死後存続を大前提にしたうえで、「地上的生命を無理やり奪うこと」を強く戒めています。 それがスピリチュアリズムの基本理念のひとつです。 スピリチュアリズムに学ぼうとする人たちに影響を与える立場のグループが、基本理念を踏みにじった見解をサイトや通信に掲載することが間違っていると思うのです。
死刑に関しても同じです。 スピリチュアリズムを標榜するある老舗サイトで、死刑についての見解が書かれていたので、バランスをとる意味で今回の受信をしました。 死刑の是非について議論するつもりはないのです。 でも、スピリチュアリズムのサイトで死刑を肯定されると、「えっ?」と思います。 個人としての意見はさまざまでよいのですが、スピリチュアリストを自認しているのであれば、まして影響を与える立場であるならば「?」でした。 たとえば、自衛隊の幹部が公の席で「日本は非武装がよいと思う」と発言すれば、「アンタ、一体誰なの?」ということになります。最高裁の判事が「憲法にはこう書いてあるが、自分はそうは思わない」と発言すれば、「あなたは何を基準に法律に関わっているのですか?」ということになるでしょう。
もっとも、モーゼスの「霊訓」でもシルバーバーチの霊訓でも、死刑についてあれだけの見解が示されているにもかかわらず、「あれはスピリチュアリズムの基本理念ではない」というなら、また別の話になりますが・・・。 しかし、そうであれば「スピリチュアリズムって、一体何なの?」と聞かねばなりません。
克に対して温かい言葉を掛けてくれた彼なので、こういうことは言いたくないのですが、公私を分けて筋を通すのが私ですから、そこを含めて受け止めてほしいと願っています。
すみません。 すっかりはるさんへの返信じゃなくなってしまいました(笑) |
30/06/2006(金) 22:34:59
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| No.368 飯沼 |
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☆みーじゅさん
掲示板では、はじめまして。 先日は嬉しいメールをいただき、今日は掲示板に登場してくださって、ありがとうございまます。
>ただ死刑を廃止せよ!だけでは、 被害者も一般市民も納得できないと思います。 死刑を廃止することを望むのなら、 それに代わる皆が納得できる刑(制度)を作らなければいけないのだと思います。 飯沼さん、みなさんは、どのような刑ができれば良いと思われますか?<
死刑廃止の問題は、「国家としての良識」の問題に帰するところが大きいのだと思います。 「(いかに犯罪者といえども)国家が人をCENSOREDよいものかどうか」ということです。 それと、法による刑罰に関する理念(動機付け)の変化もあるのではないかと思います。 つまり、実情はどうであれ、理念上は更正・教育を懲罰と並ぶ目的に掲げるならば、死刑は更正の機会を奪うことになります。 このあたりは高橋さんがお詳しいのではないでしょうか・・・?
必ずしも死刑廃止の決定が圧倒的な世論の支持がなければ不可能だということではありません。 逆に言えば、世論調査などで死刑廃止に賛成する人が少数派でも、政府・国会の判断が問われているのです。 これは別に死刑制度に限ったことではなく、たとえば消費税にしても世論の同意がなくても政府与党の判断で決めるのですから。 あまり確かな話ではありませんが、イギリスやフランスでも民意の過半数の支持が得られない中で、死刑廃止が決まったというようなことを読んだ覚えがあります。
ですから、死刑を廃止するとして、その後のシステム整備は政府や議会の仕事です。 死刑を廃止している多数の国の実情を調査して、よいところを取り入れ、不備を補うような制度を作ればよいのです。
門外漢が個人的に言えば、やはり終身刑の導入は必要なように思います。 凶悪犯罪者の更正を理想の目的とするならば、それにふさわしいシステムと脱走再犯を防ぐ安全対策も不可欠でしょう。 死刑を廃止したことで被害者の家族の気持が収まらないのであれば、専門に養成したカウンセラーを何度でも派遣してじっくり話す場を作ることも必要でしょう。
国家としての理念は高い理想を掲げ、その実現に向かいながらも、しかし一方では現実的で緻密な対応をしていく、ということだと思います。 これは死刑制度に限らず、政府・国家のあるべき姿勢だと思います。 まあ、こういう願いが現実とは掛け離れた理想論であることは知っているのですが、それでもやはり政府・国家とは本来そういうものであるべきなのだと言うしかありません・・・。
私は死刑廃止論者です。 しかし、愛する人と死別したものの悲しみや苦しみは分かります。 いくら死は本人にとっては解放であるとは言え、残された者には病気での死別ですらあんなに辛く悲しいのに、それが犯罪によってであればどれほどのものかと思います。 きっとぶちのめさなければ気が済まないかもしれません
それでも、どんな凶悪な犯罪を犯した人間でも、必ず更正の可能性を持っていると思っています。 それは、永山則夫氏がそうでしたし、あの宅間という人が事件後文通していた人への手紙を読んでもそう思います。 凶悪な犯罪を犯した責任はもちろん本人にあるのですが、しかし、彼らもまた今の世の犠牲者だと伝える克に同意します。 全ての人間は神の子であり、神性を内在させているというスピリチュアリズムの基本理念を信じています。
なんだかピント外れの返信になってしまいました。 これに懲りず、また掲示板にお越しください。 |
01/07/2006(土) 00:18:51
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| No.369 飯沼 |
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NO.368の補足です。
>いくら死は本人にとっては解放であるとは言え、残された者には病気での死別ですらあんなに辛く悲しいのに、それが犯罪によってであればどれほどのものかと思います。 きっとぶちのめさなければ気が済まないかもしれません<
死の意味を知っている私でも、霊界の克と思念を交し合える私でも、やはり地上に残された悲しさ辛さはどう表現すればよいのかわからないほどのものです。 先日の12周年の集いの挨拶の時にも、「去年の集いには克が横にいたのに・・・」という思いにつながってしまって、涙が先になってなかなか言葉が出ませんでした。
ですから、犯罪で愛する人を奪われたならば、死刑を願っても、もっとひどい刑罰を願ってもそれは分かるような気がします。 しかし、被害者の家族がもしも死刑の執行に立会ったからといって、あるいはもっと残酷な手段で犯人を殺したからといって、その人の心が満たされはしないでしょう。 そのようなことで、心が救われはしないだろうと私は思います。 しかし、「犯人を死刑にしてほしい」と言う権利は、被害者を愛する人に限ってはあると思います。 飲酒運転の車に子供を殺された親にだって、そう言う権利はあると思います。 ただ、それを叶えるかどうか、死刑制度をどうするかは被害者の家族の感情とは別の次元の、国家としての良識による判断であるべきです。
以前テレビで観た話です。 我が子をいじめでなぶり殺しにされた父親が、加害者の謝罪訪問を受けていました。 仏壇(祭壇だったか)に手を合わす加害者を見ていたその父親は、涙ながらに加害者の肩を抱き、「君も頑張れよ」と言葉を掛けてあげるのでした。 その様子を見ながら、克も私も泣きました。 そういう被害者の家族もいることも事実なのです。
別の事件の母親は、テレビのインタビューに、「犯人を憎んだり恨んだりしても、あの子は戻ってこないんだから・・・」と涙を流しながら答えていました。 被害者の家族の気持が全て、「犯人を死刑に」ではないのです。
そして、世界の潮流は間違いなく「死刑制度廃止」に向かっています。 大多数の国が死刑を廃止しているのです。 |
01/07/2006(土) 01:50:57
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| No.370 CRUSADE |
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凶悪犯罪と行為者の魂の救済について、まず第一に思い起こすことは、日本の戦犯の厚生を実践した、中国の撫順と太原の戦犯管理所のことです。 一方的な侵略行為によって国民と隣人、親兄弟、家族を虐殺された戦犯管理所の所長と職員が一人一人苦しみながら、怒りと憎しみを乗り越えて、ひたすら戦犯たちに対して人間的な処遇と厚遇を持って接し、謙虚な反省と人間性の回復をもたらした、世界史にも前例を見ない奇跡とまで称される事例のことです。 戦犯たちは、覚悟していた厳格な処罰を覆す寛大政策によって釈放されて帰国した後、戦争の反省に立って『中国帰還者連絡会』を結成し、洗脳者、アカとのレッテルを貼られ、公安に付け回されて就職の困難にさえ晒されながらも、初心を一生貫き通し、反戦を訴え続け侵略の実態を告発し続けて今日に至っています。
私自身は過去十数年間、その背景にあった中華民族の精神的伝統の普遍的意味について、撫順戦犯管理所の金源所長の手記や、異なった立場の戦犯であった溥儀の書簡等と、古代古典哲学を通して考察を続けてきました。 ここでも、現在世界に存在する唯一の法体系となってしまったローマ法制とは異なる、先住民族や中世ヨーロッパ社会の法体系を貫く文化伝統と同一の精神を確認することができます。
飯沼さん。もしあなたが、例えば、中帰連について正確な知見をお持ちでないのなら、まずこの事から学んでください。そうすれば、死刑制度についてもさらに深く、確かな視点をもつことができるようになります。 今では、この中帰連の経験を引き継ぐ会も結成され、数年前には季刊『中帰連』のWEBサイトも開設されていますから、多くの方にお勧めします。 |
01/07/2006(土) 12:16:48
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| No.371 みーじゅ |
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私は、飯沼さんの仰っていること、尤もだと思うし理解・納得できます。 私も日本という国が、死刑廃止に向かっていくことを、これからも願っていこうと思います。
しばらくまたロム専門になるかもしれませんが(汗)、また突然、顔を出させてもらうかもしれません。 その時は、どうぞよろしくお願いします〜^^ |
01/07/2006(土) 23:03:39
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| No.372 飯沼 |
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☆ひろこさん、高橋さん、かわぐちさん、コメントありがとうございます。 「死刑制度」について、何人かの方からメールをいただきました。 ありがとうございます。
☆CRUSADEさん
昨日から祐造&さきさんが来て、ネットワークの相談などをしてました。 さきさんが「中帰連」の冊子の創刊号(1997・8)を持っていたので借りました。 読んでみます。 CRUSADEさん、ありがとうございました。 |
02/07/2006(日) 17:13:39
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