☆☆ 愛は時空を超えて 187 ☆☆ ―― 霊界の克との対話 ――
飯)こんにちは。 いつもお世話になっています。
克)はい、こんにちは。 こちらこそ、お世話になっています。
飯)今回の定例会は「思考が物質に変わる時」という本の一節を読んで、皆で意見交換したが、今までとは違ってずいぶん活発だったと思う。
克)はい。 皆さんの意気込みが感じられて、よかったと思いますよ。
今までの地上次元の制約・縛りから解放されるにつれて、自分としての枠を破りたくなっていくものです。 今まで通りではない、ポジティブに自分を開いていくことが嬉しくなっていくのです。 そしてそれが本来の自分に近づいていることだと分かるので、さらに自分を開いていくことが喜びになっていきます。 閉塞した地上の常識や周囲の目に縛られて、硬直した固定観念とちっぽけな自分なりの気持ちを後生大事にしてきた今までの自分が、滑稽で可哀そうにすら思える人もいるでしょう。
「郷に入れば郷に従え」という言葉がありますが、今の地上界は今までになかった段階・次元に移行しようとしているのですから、今までの常識も規範も通用しなくなっていくのです。 物質や感情への囚われも霧散して、やがては物質そのものも??自由に″解放されるのです。 愛に基づく自由な意識が地上の全ての現実を造っていくのです。
もちろん一足飛びにそうはなりませんが、三次元の制約を突破した場では奇跡のような喜びが当たり前になっていきます。 そういうエネルギー場が形成・確立されると、そこで起きる現実(意識の現実化)は人々の希望となって、滔々たる全体の進化の流れが形成されていくのです。 というよりも、ようやく人間も進化の流れに乗ることができるのです。
飯)話を戻すけど、「思考が物質に変わる時」にあった「ネズミに移植したガンが、素人のヒーリングによって見事に治った」という実験についてはどうだろう?
克)はい。 定例会でも意見が出ていたように、健やかな喜びをベースにして、さらなる健やかなる喜びに進むエネルギーが地球という星に充満・瀰漫しているのですから、そのエネルギーにつながりさえすれば、あらゆる病が治癒するのも当然のことです。
ただ、あなたも指摘したように、実験用のネズミのガンは移植されたものであり、ネズミ自身から発生したものではありません。 その意味では人間の場合よりも治りやすかったといえますが、原理は全く同じです。 癒し手や病の本人が、さらなる健やかな喜びのエネルギーを高めることで、治癒が現実化するのです。
そこには、「今の地上の価値観を超えてさらなる健やかなる喜びを高めていくこと(求めていくこと)を喜びとする」ということも含まれています。 金銭物質や自分なりの感情への囚われを薄くして、さらに解放していくことを自分の喜びとするエネルギーも当然必要になります。
しかしそれは唯一絶対の条件ではなく、普遍につながる何らかの回路が開けたら、自ずとそこもクリアできていくのです。
現在進行中の地上界の次元アップというのは、自分(たち)に凝縮した喜び(つまり囚われです)の解放であり、喜びを自分(たち)に集めて凝縮させようとすることからの解放です。(感情を含めて、凝縮がなければ陰りも形成されません。)
であれば、人間のみならずあらゆる生命存在との共生を喜びとしていくことも、同じ向上進化の流れであるのです。 例えば、腸内細菌たちとの共生を喜びとして意識して、食物繊維を豊かに食していく生活を続けていくことでも、普遍の健やかなる喜びにつながっていくのです。
単に物質的に食物繊維をたくさん食するだけではなく、共生の喜びを意識に植えこむことが大きなポイントになります。 ??自分″が健やかになるために腸内細菌を利用しようと思い、そのために食物繊維をたくさん食するというのでは、エネルギー的には極めて不十分であるのです。 これは意識・エネルギー的には逆行の要素を強く含み、それに見合った現実も造られていくでしょう。
違いを超えて生命同士の健やかなる共生の喜びを意識と言動のキーにしていけば、自ずと普遍次元につながるのです。 そして結果的に、自分を含めた皆の健やかなる喜びを現実化していくことになります。 それはもちろん、自他に奇跡的な治癒をもたらすことも含まれているのです。
あるいは日常の忙しさや喧騒から少し離れて、瞑想を日課としていくことも普遍次元へのアクセスの回路を形成します。 硬く分厚い地上的自我の壁にひびや風穴を開けます。
ただ、瞑想は地上的自我意識・顕在意識を薄くして、潜在意識の奥深くを流れる全体的意識(集合的無意識・普遍的無意識・絶対意識)にアクセスするものですが、そこに至る前には自己の潜在意識層を通過することになります。 自己の潜在意識の表層には、刷り込まれた陰りの層も固定観念の層もあります。 潜在意識に刷り込まれた陰りが刺激されて顕在意識に浮き上がってくれば、普遍意識へのアクセスの妨げになりかねませんし、ある種の混乱状態が現実化する場合もあるのです。 場合によれば、潜在意識の陰りを補強・増幅してしまうこともあるということです。
ですから、瞑想の前に「みんな大好き、ありがとう」「全部なおった、みんななおった」という言葉を唱え、まずは意識の方向性を明確にしておいたほうがよろしいでしょう。 「みんな大好き、ありがとう」は、あらゆる生命存在に向けての分け隔てのない無条件の祝福と感謝です。 「全部なおった。みんななおった」は、個も全体もすべてが本来の健やかなる喜びに生きることを願い、オーダーすることです。 むしろそういう意識を潜在意識に埋め込んでいくことで、潜在意識の澱を解消できて、普遍的潜在意識の層につながりやすくなるのです。
普遍意識につながれば、変化ははっきりと表れてきます。 自ずと、自分を含む皆の健やかなる喜びを求めるようになってくるのです。 もちろん実際にはさまざまな自我意識や損得勘定などが障壁になることも少なくないのですが、それらを超えることがまた自分の喜びとして認識されていくのです。
そしてそういう意識・エネルギーが自分のベース・メインになるにつれて、半ば自動的に健やかなる喜びが現実化していくようになるのです。 つまり、自分の損得や自分なりの感情に囚われる必要すらなくなっていくということです。
地上的な死についての意識も感覚も大きく変化するはずです。 もちろん生身の人間としてのさまざまな思いはあるにしても、そこに囚われて沈み込むことはなくなります。 死を忌まわしいもの、悲しいもの、受け入れがたいものという意識は薄れ、永遠の生命を生きる喜びを前提にして、地上を去った人の健やかなる喜びを願うようになるのです。
その段階に至れば、さらに多くの病を癒せるようになるでしょう。 しかし、人間は地上を離れる時期を決めてきている者がほとんどなので、その時期が来ていればやはり地上を離れるのです。 もちろん地上での年齢は関係ありません。 病が治り、あるいは苦痛や症状が解消しても(薄くなっても)、その時期が来ている人は年齢にかかわらず地上を離れて別の次元に移行するのですし、それでよろしいのです。
今の自分がどれぐらい普遍意識につながることができているかは、自分の損得や自分なりの気持ちからどれぐらい解放されているかで、ある程度は分かることになります。 地上の人間の誰にも損得勘定はあるものですし、自分としての気持ちもあります。 それらを無いものにする必要はありませんし、無いもののように振る舞うこと・他の正当な理由を持ってきて本音を隠すことなどは偽善の要素を含んでしまいます。
自分の損得や自分の気持ちが優先、何かをするかしないかも自分の気持ち次第、自分の気持ちの正当性を主張せずにはいられないような面が自分にもあるかどうか、点検することが必要です。 それらを軸にしている間はまだまだであり、さまざまな試練を呼び込むことになるということです。
(ですから定例会の2部で、仲間たちに自分の喜びではない気持ちを聞いてもらうことは構いませんが、それはそういう自分なりの気持ちを補強・正当化するためではなく、吐き出すことで超えやすくしていくためにという明確な意識は大事です。周囲の人も単にその人の気持ちに共感を示すだけでなく、それを超えていくための関わり方が求められているのです。それが学びの仲間というものでしょう)
繰り返しますが、それら地上ならではの偏り・凝集からの解放は決して苦行ではなく、自分にとっての喜びであるのです。 そしてこれからの地上界は、それらをなかなか手放せない人たちが苦行のような現実を生きることになるのです。 もしも強烈な自我のエネルギーや巧妙な立ち回りで、地上にいる間は何とかうまくやれたとしても、地上を離れてからはまさに苦行が待ち受けているということです。 地球霊界には暗黒界も幽界も存在しなくなるのですから、陰りを手放せない者が全く異質な他の天体に送られて、そこで生き直すことの苦しさは想像できないでしょう。
誰もそうならないように、いえ、皆が地上的自我意識を卒業して、普遍意識をベースにして、健やかなる喜びの中で生きていただきたいのです。
今までの地上においては金銭物質がいかに重要でも、霊界に持っていくことはできません。 自分なりの感情や思いがいかに重大でも、自分の側からはいかに正当であっても、それを持ったままでは本来の霊界には戻れないのです。 相手や状況がどうであれ、自分なりの気持ち(霊性と融合できない感情)を持ったままでは、本来の霊界に戻ることはできないのです。
地上界が霊界の写し世として霊界と完全なる共鳴の世界になることが。今回の地上界の進化であるのであれば、その先駆けとしての雛型を担うということがどういうことであるのか、分かるはずです。 改めて、心していただきたいのです。
飯)分かりました。 なんだかちょっと受信に疲れましたよ。 うまく言葉に変換できていないような気もするし。 今回は僕がイメージしている農業や農法のことについてもやり取りしたかったのだが、それはまた今度にします。
克)はい。 それで結構ですが、あなた方にもたらされているシンクロニシティはもちろん偶然ではありません。まるで見えないシナリオがあるかのように次々と場面展開していることを受け止めれば、それらは大きな意味でのゴーサインでもあると分かるはずです。
いかにあなたといえども、この先の展開の全てを分かっているわけではありません。 この数年の出来事にしても、あなたは予想すらできない中で、あなたからすれば慌ただしくもたらされてきました。 驚き、戸惑いながら、ついていくのがやっとという状態でここまできたのです。 こういう時期ですから、雛形を担うあなたにはさらにさまざまなことがもたらされていくでしょう。 地上的年齢や世間の常識などに引きずられることなく、それが皆の喜びにつながると思えることであれば、行けるところまで行けばよろしいのです。
今のあなたには想像できない成果を生むかもしれないのですし、そこまでのことにはならなくてもあとは佳きに計らわれるのです。 方向性が皆の健やかなる喜びであれば、どんなことでも無駄になることはありません。 特に自分にしかできない(かもしれない)分野のことならば、躊躇なく進んでいけばよろしいのです。 別々のルートだとしか思えていなかったラインがつながり、面となって広い道を拓くかもしれないのです。
飯)はい、分かりました! 今の時点ではどうなるのかは分からないけど、だからこそ確信をもって進んでいきます。 いつもありがとう!
克)いいえ、こちらこそありがとうございます。 いつもお伝えしていることですが、たまにはどこかに籠って瞑想三昧の時間を確保してくださいね。 それはあなたにとって必要不可欠なことなのです。
飯)はい。 なかなか日にちが取れないけど、そうするつもりでいますよ。 ありがとう! それでは、また!
(2020・9・29) |