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悠々塾 掲示板


「スピリチュアリズムに学び、スピリチュアルな生き方を目指す交流の場」



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No.42893 さき  
8月2日、土曜日 引用
愛は時空を超えて、ありがとうございます。皆さんのエネルギーを感じています。
なみさん、私もないちゃったよ。またこの家族で生まれたい、って。みんな幸せになってください。なりますね。
ありがとうございます。
私は定例会の時は落ち着きのない話になりました、向き合い切れてなかったと自覚しました。死んでから通用しないですね。
この作業に慣れていきます。整理して書こうと思ったら次々浮かんでくることもあり、書ききれないけど、キリがないので今の振り返りです。

>もしも今、自分が地上を去ることになれば死後の自分はどういう道筋を辿るのだろうか。
>もたらされたカルマ解消の機会(試練や人間関係)において、どのような意識、想念、言動をしてきたか?
この場にたどり着くように、導かれてきたと思います。見守り導いてくれた霊とか、今の自分を育ててくれた縁ある人たちとの再会を思います。その時々の、関わりのコマひとコマで、自分が発した言動や抱いた気持ちも丸見えで、、、消え入りたい場面も沢山思い浮かびます、、、そうして自分の人生を振り返るのだと思う。

自分が大事にしたいあたりまえの感覚、皆も自分も幸せに。かげりに飲み込まれそうになった時もありますが、その大きな方向性は手放さずにこられた。幸せなことでした。支えてくれた方々のおかげです。
地上に赴いて結構がんばったと思います。けど、大事にしたい自分の感覚を守ることでいっぱいで、そこしか見えず、自分なりに偏った意識、想念、言動もたくさんしてきた。同じ感覚が共有できない、自分をわかってもらえないと感じると不安になり、あからさまに違和感、不機嫌、反発を表現した。思うようにならないと勝手にしんどさやさみしさや不満を膨らませた。何かあるとすぐ不安を膨らませて、そこから逃れるために自分を駆り立てた。それは喜びベースじゃなかった。
それでも、観念的で世間知らずの小娘だった自分が、少しは成長できた。ここまでたどり着いた。
これまでの全部がシナリオのなかで、カルマ解消の機会だったのだと納得します。
でもまだ途中です。今死んだら、そのことを悔いると思います。

・自他の喜びを実現するために努力したかどうか?
役立ちたい、貢献を実感できることが自分の喜びだった。けど何が役立つことなのか?強い者勝ち、お金がすべて、我よしの世の中を変えること。その活動で自分を役立てようと努力した。社会のことも人間的にもたくさんのことを学ばせてもらったが、その一方で、無力感や報われなさや疲れで、心を固くして疲弊していく自分がいた。

・愛に基づいて、出来事や人間関係に対処してきたかどうか?(愛は見返りを求めません)
・他者・他の生命に喜びをもたらしてきたかどうか? 喜びをもたらそうとしてきたかどうか?
(本来の喜びとは向上進化の喜びですが、楽しさや嬉しさも喜びに含まれます)
人間嫌いじゃないけど、世間的価値観や慣れあいの関係には距離を置こうとしてきた。
もちろん他者が喜んでくれたら嬉しいし、関わりのなかで、人として正しく、やさしくあろうとしたし、自分が出来ることをしようとした。あと、物心ともに理不尽な目にあっている他者や出来事に見てみぬふりはしない、という強い意志がある。ちっぽけでも出来ることをしようとしてきた。無条件の愛情を注いでくれた両親(特に父)に、直接地上で、愛情で応えることはできなかったことに報いたいと思っている。
基本的に自分がどうあるのか、に関心がいく。自分に出来ることはそれだけと思っている。どこか冷たいのかもしれない。もたらす=おこがましい、と感じる。
悠々塾と出会い祐造さんと出会って、安心をもらった。その愛情のなかで擦り切れていた心が癒された。共に「働き」を担うことができたら何より嬉しい。けど、躓き、躓いている。離婚に至った時に、彼の至らなさを責めるエネルギーをむけた自分がいる。自信をなくして沈んでいった祐造さんがいる。私はどうすればよかったのか、、愛情に基づいて喜びをもたらす、とはどういうことか、、宿題が続いてる。

・真実・本当のことを大事にしてきたかどうか? (自分の損得や自分なりの気持ちで事実・真実を歪めることがあるのなら、謝罪と共に事実・真実に立ち返る喜びに帰着してください)
真実・本当のことは歪められないし、歪めちゃいけない、歪めたら必ずその責任は自分が負うことになる。それは大事にしてきた。けど損得はあまり頓着しないけど、人からどう思われるか気にして、よく思われるように言動したり、知られたくなくて隠したりはあった。なかったことにしたかった自分がいた。そういう自分の弱さがある。
感覚の歪みや自分なりの気持ちでいっぱいになっている時は、事実・真実を自分なりに歪めるかもしれないと思う。気づいたら立ち返えれる自分でありたい。


愛は時空を超えてを読んで
肉体―感覚―感情―理性―霊性  
その全部に、健やかな喜びベースのエネルギーが流れる人になりたい、と強く思いました。
自分の感覚の層の歪みに健やかな喜びのエネルギーを吹き込みたいと思いました。
自他の喜びを実現するために、風穴をあけるために、皆さんとともに進化したいです。


追記
定例会の翌日、日曜日の帰り道の車のなかで祐造さんと揉めました。
ぬまさんが、定例会のエネルギーが強く高まっていて、
>人によればクリアできていない澱が浮き上がっても不思議ではない・・
と書かれていましたが、まさに、でした。
祐造さんの課題ですが、自分の課題でもあるのでしょう。
ここは大事な場面、、同じことを繰り返さないように、向上進化の機会にしたいです。

02/08/2025(土) 12:20:12


No.42894  恵美子
Re: 8月2日、土曜日 引用
なみさんのお母さんへのメッセージ、涙涙
あきえさん、嬉しいね、良かった!
なみさん、ありがとう!

メッセージが届いてから、振り返ることが押し寄せてきて、冷静に眺めるまでに時間がかかりました、まだその波のなかですが、投稿します。

>
もしも自分が地上を去ることになれば、
今回の地上人生に登場してくれた人たち、深く関わってくれた家族に感謝の気持ちでいっぱいになると思います。
病弱だった私が、今回の人生を色々ありながらも頑張って豊かに生きたことを労ってもらえるかなーと思っています。

縁あって家族になってくれた夫、子どもたちへのいたらなさや申し訳なさがあります。
過去生でも今生でも魂の伴侶と伝えられている夫と道半ばで別れることになり、すべき事をしなかった、と言うカルマが再現されました、
彼の心の内を見なかった、向き合うことをしなかった、彼の深い愛情を受け止めなかった、その辺の事を厳しく知らされるのだと思っています、そしてこの事は子どもたちにも辛く苦しい思いをさせることとなりました。

人生の後半にもたらされた事は、それまでに身に付いた「自分なり」を浮きあからせる事であり、ものの見事にひっくり返されました、恥ずかしさで一杯でした、それでも、乗り越えられたのは悠々塾の学びのお陰でした、
夫とのことでは、大好き作戦に乗じて、エネルギーを送ることを始めたり、前述の事のときには、悠々塾全体が感覚の層の歪みを解消していく作業中でした、簡単ではなかったけれど、少しずつでもそうしようと、皆が頑張っていたときでもありました。
ぬまさんの導きに助けられました。

振り返れば、
この数年、いやずっとですかね、
私たちは次から次とテーマを示され、ハードルが高くなって、向上進化することを求められてきました、
たどり着いてみれば、それは大きな喜びであり、解放された自分でした、違和感や自分なりを薄くし、その分共に喜び合うエネルギーを獲得し、人としての優しさを増したのだとおまっています。

再び地上に再生するときには、向上進化する喜びを確かなものにし、喜びに満ち溢れた地上にするために働きましょう。

そして、今度こそ愛する人と共に働き、生涯を共にしたいです。

>自他の喜びを実現するための努力をしたか

>愛に基づいて出来事や人間関係に対処したかどうか

>他者の命に喜びをもたらしたかどうか

>真実、本当のことを大事にしてきたかどうか、

どの事についても、十分ではなかったかもしれないけれど、知らん振りをしたりすることなく、心を動かし行動してきたと思ってます、
自分のことより相手のことを優先にすらこともありましたが、そこはそれが正解だったかどうかは分からないです。
正義感が強く、社会に出てからはずっと闘って生きてきた感があります、独りよがりな正義もあったかもしれません

振り返れば、
その全てが摂理に沿って粛々と為されていたことが分かります、
かといって、次に更なる課題がくれば、再びおろおろしてしまうのかもしれませんね、

共に歩める仲間のいる心強さに、ありかたやです。
不十分ですが、ここで投稿します。

02/08/2025(土) 13:57:47

No.42895  飯沼正晴
Re: 8月2日、土曜日 引用
みやっち、和也さん、藍子さん、あきえさん、みゆきちゃん、さいこさん、サマンサさん、ゆうきくん、とんさん、さきさん、恵美子さん、テーマに沿った書き込み、ありがとう!


来たるべき雛型成就に向けての手応え、十分ですね!

この先が楽しみです!


さきさん、
定例会の翌日に祐造さんにも、私があおやまさんに書いたようなことがあったのに、何食わぬ顔で前に準備していた振り返りを投稿したことに祐造さんの現状が如実に表れていると思います。

何カ月も前に自分の思い違いで私を怒鳴り倒した件も、その後私が何も言わなければ宿題もしないままです。

振り返りのことも、祐造さんにとってはお母さんとの関りを外すわけにはいかないと思っていましたが、実際には完全にスルーでした。(認知症を発症したお母さんを時には怒鳴り倒していたこと。これは何年も前に高齢者介護のプロの仲間から「祐造さん、それは虐待ですよ」とはっきり言われていたことでもあります。つい最近も、以前の話として、自宅にいたお母さんにちょっとアクシデントが起きて救急車を呼んだ時、二度ともすぐに警察官が搬送先の病院に駆けつけて、祐造さんがかなりしつこく事情を聴かれたという話を聞いて、私は「普通はそういうことはないと思うから、近所の人が以前から祐造さんの怒鳴り声を聞いて、虐待の疑いで警察に通報していたんじゃないか?」 と言いました)

それでもお母さんのことについても振り返りに含まれていなかった。

つまり、祐造さんはまだ自分の至らなさに正面から向き合う気になっていないのだと思います。(あおやまさんもです)
誤解しないでほしいのですが、これは祐造さんを責めているのではなく、客観的に祐造さんの現状を見ているだけです。
やる気になっていない人にあれこれ言ってもお互いに不快になるだけですし、上っ面で対応されたらさらに不快になるでしょう。
今はまだそういう状態でも、何かの役に立ってくれている祐造さんを喜んでいけばいいんじゃないかと思います。
居てくれるだけで嬉しいのだし。

02/08/2025(土) 15:52:55

No.42896  さき
Re: 8月2日、土曜日 引用
ぬまさん、何ヶ月も前にぬまさんに逆ギレした事件以降、
今ありのままのいいんだから、
その祐造さんに感謝して、その気持ちをむけていこうと思ってきました。実際にすごく助けてもらってるし、ありがたいし。
そうやって喜びベースできたつもりだったのですが。

また同じパターンにハマってしまいました。
ここでどうするか。

>今はまだそういう状態でも、何かの役に立ってくれている祐造さんを喜んでいけばいいんじゃないかと思います。<

はい。
居てくれるだけで嬉しい。
それはその通りです。
この数日、祐造さんにはずいぶん違和感をむけてしまいました。
切り替えます。

02/08/2025(土) 19:47:49


No.42886 なみ  
8月1日 金曜日 引用
お母さんへ

今回のテーマはとても重いものだから、そうなのかもしれないけど、お母さんの投稿を読んでいて少し苦しくなりました。
私も今はもう自分がどんな人間か分からなくなって、自信が持てなくて、自己否定の塊のようになっているので、お母さんの気持ちはよく分かります。
そんな私がお母さんに言ってあげられることは何もないけど、今思うことを書きます。


お母さんは本当に頑張ってきたと思います。

前にも掲示板で書いたような記憶があるけど、母は子供の頃、経済的に裕福ではない家庭に育ち、生活のために忙しかった両親から何かをしてもらった記憶などないとよく聞いていました。
兄弟のことでも苦労が絶えず、お姉さんとの関係に自分を縮めて生きてきたのだと思います。

結婚してからも経済的にも大変で、母は家族のためにずっと働き続けてくれました。
そんな中で親戚のことでいろんなことが起こり、そして息子の病気、誰からも理解してもらえなくて、友達も失って、あの頃は本当に言葉では言い表せないぐらい大変だったと思います。
自分の時間などなくて、ずっとずっと頑張り続けて、でもなかなか報われることはなくて、そんな母をずっと見てきました。

そんな苦しい状況でも、困っている人や病気の人がいると、その人のために全力で動き、その人の喜ぶことを考えて、人の幸せを喜べる人でした。いつもすごいなと、私にはできないと思ってきました。

私と娘が実家に帰ったときも、両手を広げて温かく迎え入れてくれて、私たちのために動いてくれました。
嫁ぎ先のことでも私たちをずっと守ってくれました。
私は何不自由なく育てられて、実家に帰ってからもたくさん助けてもらって、感謝しかないです。

娘も私が願っていたよりも、本当にいい子に育ってくれて、それはお母さんがいてくれたからだよ。
今の家族があるのは、お母さんがいてくれたからだよ。頑張ってくれたからだよ。
まだいろいろあるけど、けんかすることもあるけど、昔では考えられないぐらい、穏やかな、わきあいあいとした家族になったよね。

明るくて、強くて(強すぎるところあるけどね)、温かいお母さん。
重くなるときもあるけど、お母さんがいると周りは明るくなるんだよ。
お母さんにたくさん元気づけられて助けられた人はいっぱいいるよ。

たくさんのことがあり過ぎて、心をどんどん固くするしかなかったんだろうと見ていてつらくなるよ。

昨日、2人で、私の取り返しのつかないこと、まさかこんなことになるなんて思いもよらなかったよねと話したよね。
分かっていたら、きっと相手のこと、相手の気持ちをもっと考えて、全力で自分にできることをしたはず。
もっと違う対応ができたはず…。
決してその出来事を軽く思っているわけではないけど、もう自分を責め続けるのはやめて、気づいたこと、その出来事にありがとうと一緒に前に進んでいこう。

まだまだなことはあるけど、私は今の家族がやっぱり大好きで、こんなにお互いを思い合っている家族、とても愛情深い家族の一員であることが本当に幸せだよ。
来世生まれ変わることができるなら、またこの家族で生まれたいなと思っているよ。

お母さん、これだけ大変な人生を歩んできたんだんだから、これからは幸せになってね。楽しく生きていこうね。
そして、これからももっと人を癒やしていってね。お母さんはそれができる人です。


すみません、思うままに書いて長くなってしまいましたが、このまま投稿して、仕事行ってきます!

01/08/2025(金) 11:17:38


No.42887  飯沼正晴
Re: 8月1日 金曜日 引用
なみさん、よく書いてくれました!

私も同じ思いです!

地上の人間は、誰もが何らかの過ちを犯し、幾つもの至らなさを抱えて生きるものです。
地上という境涯はそういうところなのですから。

大事なことは、自分の過ちや至らなさに気づいて、そこから自分がどうしていくかということです。
それが地上で生きる意味の全てですし、向上進化の喜びです。
それがこの地上に霊界と同調するエネルギー的な風穴を開けるということです。

なみさん、あきえさん、ありがとう!

01/08/2025(金) 11:43:22

No.42888  Bさん
Re: 8月1日 金曜日 引用
なみさん、お母さんへの思いに泣けちゃいましたよ。

あきえさん、なみさん、
私からも、ありがとう!を言わせてください。

うれしいです。

みんなで幸せになりましょう。

これからも、どうぞよろしくお願いします!

01/08/2025(金) 12:26:47

No.42889  とん
Re: 8月1日 金曜日 引用
 今回のテーマである「今地上を去ることになれば、どう思うか?」について
  私はちょうど2年前の夏、80歳の誕生日の目前に、同じことを真剣に考えました。そして、「我々が人生の意味を問うのではなく、我々自身が人生に問われている。自分の人生に答えることで答えを見出し人生の責任を引き受けることで責任を果たすことしかできない」という、『夜と霧』の一文を思い起こして、内面の本当の自分と向き合うように努めてきたつもりでした。
今年の年頭の定例会での克子さんのメッセージで「神の子として健やかに生きる」というエネルギーの意味について、悠々塾の仲間たちに、霊性−感情−感覚−肉体・表現=現実というエネルギーで同調・統合して通しあう必要があるという書き込みがあって、私は何のことかよくわかりませんでした。感覚の層のゆがみについては、兵庫県知事に同調する人たちの歪んだ感情について触れていることはわかるのですがそれを自分事として理解できていませんでした。定例会の後で飯沼氏の話がまとまった文書で出されていて、私はその文書を知らないままずっと後で読んで、「自分の側からしか心が動かない」斎藤知事の姿から感覚の層の外側に自分を守る保護膜みたいなものが共通して誰にでもあるのではないかという解説があり、それをエネルギー的に溶かしていければ他者との感覚・感情の壁を超えられるという理論的・実践的な体験が報告されて驚きました。私はこれまで長い間、自分と仲間の皆さんとの間に感情・感覚的にある種のフィルター越に接し続けてきた結果、現在の大きなエネルギーレベルでの差異が生じていた事を実感させられたのでした。
以来、これまでの私の悠々塾との関わり方を「飛び級」の二階から眺めてみた総括です。こんな周回遅れの私ですが、玉石混交のスピリチュアリティの世界にあって、悠々塾を学びの場・実践の場としての働きの場としてしっかりと位置づけなおし、仲間の皆さんのご指導、ご支援をお願いいたします。

01/08/2025(金) 14:35:59

No.42890  ゆうき
Re: 8月1日 金曜日 引用
定例会ありがとうございました。

克子さんの他界から20年経ったのですね。
この時期が来るとその知らせを聞いた時の事が思い出されます。
とても暑い日でしたね。僕は電車工場で働いていました。
いろいろと思い出したり振り返ったりしています。

テーマに沿って・・・

定例会では事前に頭では話す事をある程度考えていたのですが、
みなさんの話を聞くうちに、考えをまとめきれなくなったような気がして勇気が出なかったです。。


僕がシルバーバーチを初めて読んだのは高校生くらいだったと思います。
その頃から「因果律」や「霊主体従」など、知識として知っていたと思います。
地上での死を迎えれば、守護霊・指導霊とともにその生涯を振り返り、人生の課題がクリアできたかどうか、それこそ査定される事も知っていました。

なので僕は高校生の頃から、「霊界から見られている」という意識はずっとあったと思います。
だからと言って善行ばかりしてきたかと言えばそうではなく、人間として他者に見られると恥ずかしいこともしてきました。

それを踏まえて。。

・もしも自分が地上を去ることになれば

自分がした事、作り上げたもの、その結果に納得できないと思います。
今の自分の気持ちを切り取ってみても、喜びで満ち溢れているかと問われれば、そうではないと答えてしまうでしょう。
やっておけばよかった、こうしておくべきだった、と後悔ばかり口にすると思います。


・自他に喜びを表現するために努力したかどうか?

僕は努力家ではあると思っています。でも怠け者でもあると思います。
才能ではなく努力で頑張ってきたと自分では思っていますが、守護霊・指導霊からの視点に立つと、
「何事も自分なり」なのだと思います。
喜びを表現できる方法を持つのなら、それを最大限に広げるための「努力」が必要なのだと思います。


・愛に基づいて出来事や人間関係に対処してきたかどうか?

自分で自分は悪い人間ではないと思っています。
悪意を持って何か行動を起こすことはないと思っています。
でも愛に基づいて行動してきたか、と問われればそうは出来ていないように思うし、守護霊・指導霊も「出来ていない」と評価すると思います。
「無償の愛」と今の自分の間には相当距離があると思います。
愛を持つ事。。言葉では簡単なようですが、実際はそうとう難しい事に思います。
でも死後、必ずそれは問われるので、自分を見つめなおしたい。



・他者、他の生命に喜びをもたらしてきたかどうか?喜びをもたらそうとしてきたかどうか?

今の職場が介護職であり、利用者の人生最期のページ作りのお手伝いをさせてもらっている、という事を意識して働いている。
(もう少なくなってきたが)子どもの頃、戦争を経験された方もいる。その他大変な人生を送ってこられた方もいる。
そういう方の人生の最後のページが楽しいものであって欲しいと思い、日々働いている。
だが、それは仕事として対価を貰うからのサービスであって、では近所に住む高齢者の事を気遣っているかと問われれば、
そんなことはまったく出来ていない事実に直面する。


・真実・本当のことを大事にしてきたかどうか?

以前、工場で働いていた時にミスを隠してしまった事があった。
人命に関わる事ではなく、結果的に完成したものを大人数で修繕しなおさなければならないような、人員と経費が掛かるミスだったが、それを報告しなかった。
ばれない訳がないし、そのミスの可能性として僕が浮かび上がるのはわかっていたけど、報告しなかった。
事情を聞かれたときに「知らない」と嘘をついてた。
その事がとても大きく自分の過ちとして残っている。
隠す事、嘘をつく事がこれほど重荷でしんどいものなのか、いやと言うほどその時に知った。
地震が起きて工場がめちゃめちゃになればいい、と思っていたほどに。
なんと自己中心的な考え方なのかと後ほど自分を点検した時に愕然としたほどに。

その時にこれからはミスは報告する、と心に決めた。
試されるかのように、だれも見ていないところでミスを起こす事が何度かあった。
その都度「黙っていればばれない」という気持ちが出てくる。
でも隠す事のしんどさ嘘と付く苦しさを知っているので、以降は報告している。
もちろん怒られたりするのだが(自分のミスなので)それでも隠すよりよっぽど気分がいい。



・どんな自分として地上で生きたかったか? 

振り返れば「自分ひとりで頑張ってきた」と自分で思っている自分がいることに気付いた。
たしかに高校を出てから祖父母宅に1年過ごさせてもらった後は自活の道を選び、住み込みの新聞配達なんかでなんとか暮らしていた。

でも当時でも自分ひとりだけの力ではなかったし、結婚し篠山で暮らし始めることになっては、たくさんの人に支えられてきた。
みんなの中にいて、みんなに支えられ生きていた。

感謝でしかない。
感謝を伝えたい。

・また地上に再生するとしたら、今度はどんな自分として生きると意志するか?

実現させたい。
頭で考えている構想やイメージ、後回しにせず実現させていきたい。
それが自他共に喜びに繋がるのなら尚のこと。
そして喜びを共有したい。

01/08/2025(金) 14:52:42

No.42891  サマンサ
Re: 8月1日 金曜日 引用
皆さん、定例会ありがとうございました。

冒頭飯沼さんから明日は克子さんが地上を
離れた日です…
と聞いた時に最近バタバタと忙しくその事に思いが欠けていたことにスミマセン…と思ってしまいました。
その事を知ったのは翌日の28日で私の誕生日でした。
克子さんとは歳も近くどこか似たような感覚があり私の中では特別な人でした。
なのに…こんなにも早く…
20年前の気持ちを思い出しました…

 [もし今地上を去ることになれば…]

楽しかった事嬉しかった事沢山ありました、
でも辛かった事苦しかった事が思い出されてきます。
その頃は陰りを光に変えていく事やピンチはチャンスだと捉える事も出来ずに幽界や暗黒界にいたのでしょう。
そして病気になり家族にも申し訳ない事をし査定をすれば恥ずかしいものです…
振り返り自分に言いたい、喜びベースでさらなる喜びの向上進化の喜びで生きなさい!
何があっても大丈夫!
勉強させてもらってるからね!

 [自他の喜びを実現する為に努力したか]

家族や周りの人達には幸せでいてもらいたいという思いが強くその時に出来ることはしてきたつもりですが自分の事となると後回しになっていたなと気付きました。
克子さんからのメッセージでは、周りを優先
させてしまうのは魂の欲求です。
しかし人生の目的に従おうとするのであればどちらも大切にしていかねばなりません。
と書かれていました。
あーそうだったなと思い出しました。

 [愛に基づいて出来事や人間関係に対処してきたか]

この事については相手により出来た人出来なかった人がいます。
大切な人達には全力で寄り添うこともしてきたつもりですが、そうではない人達には…
霊的視点からみるとアウト〜!ですね。

 [他者、他の生命に喜びをもたらしてきたかどうか]

比較的出来ていたのではないかと思います。
今回の人生の目的が
自分の事と同じように自分以外の人も大切にして行く。
自分の喜びと自分以外の人の喜びを同じように喜んで行く。
ということだそうです。

 [真実本当の事を大事にしてきたかどうか]

子供の頃から正義感が強かったと思いますし学校で何か問題が起きた時にその張本人が嘘をついているのがわかってしまう子供でした。
でもその真実を知りながら本当の事を言えなかったです。
高校生位からは発言には気をつけながらも本当の事を言えていたように思います。

 [どんな自分で地上で生きたかったか?]

愛に溢れた人で生きたかった!
誰にでも分け隔てなく優しく正しく接し
いつも寄り添ってあげられる自分でいたかった!

 [また地上に再生するならどんな自分としていきるか?]

今世で学んたを事を忘れずに子供の頃から
実践していきたいです!
喜びベースでさらなる喜びの向上進化の喜びで生きる。


定例会では美味しいお料理、お酒を頂きありがとうございました!
毎回ですが本当に実家に帰って来たような感じで居心地が良くて飯沼さんや皆さんと同じ場所にいれることが幸せです!!
皆んな大好き!ありがとう!ありがとう!

01/08/2025(金) 17:04:07

No.42892  さいこ
Re: 8月1日 金曜日 引用
定例会、ありがとうございました。!!
今回もたくさんの美味しいお料理、ありがとうございましたす!!

書き込み、遅くなってすみません。

「もしも地上をさることになれば」

気がかりなことはあまりないですが、旦那さんのことがいちばんきがかりです。
結婚の時に「わしより先に死ぬな」という約束を破る事になるので、きっと怒ると思います。
外見は強面やけど、繊細な面もあるので。
旦那さんのこと、大事に思っているけど、表現してきたことは真逆のことばかりで、心を通い合わすところまでは出来てないです。
自分の気持ちに捕らわれて、傷つけていました。
旦那さんが分かって欲しいと思ってきたことに、ちゃんと寄り添えてなかったと思います。
17歳の時に母が亡くなって、その後父が再婚した時、現実を受け入れられなくて、何で、ドラマの世界を見ているみたいでした。
父が亡くなってからもいろいろあって、自分で命をたつ事はようしないけど、いま死んでもかまわないと思った時期がありました。
でも、辛いときはいつも誰かに助けてもらいました。
すごく周りの人に恵まれてきました。
悠々塾に出会うことができて、ピンチの時はいつも助けてもらい、気づかせてもらえたおかげで、ここまでやってこれました。
私に関わって下さった皆さんに、心から感謝すると思います。

「自他を喜びのを実現する為に努力してきたか」

頑張ってきた方だと思いますが、言葉足らずだったり、人の繊細な部分の気持ちとかが分からないことがありました。
自分ではそんなつもりはなくても、傷つけてしまったり、共感できなかった事がけっこうあったと思います。
努力したことは、自分の喜びというよりは、自分がよく見られたい、気にいられたい、必要とされたいみたいな気持ちで 行動してきたと思います。
でも結婚してからは自分の居場所ができたからなのか、気持ちに余裕ができて、そういう気持ちは薄くなっていったように思います。今は自分の喜びにつながなるように、相手の気持ちを考えながら、少しは行動できるようになったかとは思います。

「愛にもとづいて、出来事など人間関係に対処してきたか?」

愛と言われたら自信はないですが、見返りを求めてきた事はあまりないと思います。
ただ、評価は気にして、自分がよく思われたいとか気に入られたいとかで、対処してきた部分はあると思います。

「他者や他の生命に喜びをもたらしてきたかどうか?」

人に対しては出来ていた事もあったけど、傷つけてしまったこともあります。
人以外の他の生命に対しては喜びを意識していなかったので、出来ているとは言えません。
飼っている犬や猫、鳥など、悔やむこともあるけど、少し喜びは与えてこれたとは思います。
人間は自然の中で生かされているとは思って感謝はしていますが、太陽、雨、風、土など、個々そのものに対して喜びや感謝は出来てないと思います。

「真実、本当の事を大事にしてきたか?」

自分の都合が悪いと考えたら、嘘をつくことはありましたが、自分が有利になるために事実や真実を歪めたりすることはあまりなかったと思います。
歴史や事件や事故など、国、政治家、警察や検察側などいっていることが正しいと思っていて、真実を知ろうとしてこなかった。
自分の乏しい知識や価値観で、もの事を判断してきてしまった、弱者と言われてる人たちに対して、すごく冷たい考えたかたをしてきたと思います。
悠々塾に出会って、ドネに関わる事になって、旦那さんから教わったりして、自分がどれだけ勉強不足のどあほやったと反省しています。
たまにふっと思い出す出来事があって、小学生の頃、近くの公設市場にあったお店(たぶん友だちの家だったとおもうのですが)に友だち何人かで遊びに行って、トイレを借りた時にその頃はまだ水洗じゃなくて、ぽっとんトイレで、誤ってスリッパを落としてしまって、その事を言えずに黙って帰ってしまいました。
あの時、ごめんなさいの一言が言えなかったのが、凄く悔やんでいます。
世間からは医者の娘と見られてる事に対して、プレッシャーがあったし、変なプライドがあって、失敗した事を隠したい気持ちがあったのだと思います。
今でもそういうところは残っています。
人に助けてとか、甘えたりする事が苦手で、素直に自分の気持ちを表現して来なかった。
これからは私本来のおおらかなエネルギーを使っていきたいと思います。

01/08/2025(金) 17:39:10


No.42879 みゆき  
7月31日木曜日 引用
〇もしも自分が地上を去ることになれば
自分の気持ちや過去に囚われ続けたこと
自分を喜べなかったことを後悔すると思う
恥ずかしい思いをたくさんすると思う
自分と関わったすべての人から愛情をたくさんもらっていたことに気づき、
感謝でいっぱいになると思う

〇自他の喜びを実現するために努力したか
人に喜んでもらえるのは嬉しい気持ちはあるが、自分の苦手とすることはやってこなかった。
努力してないと思う
自分の喜びについても、自分にはできない、とやらない方を選んできたと思うので
努力していないと思う

〇他者他の生命に喜びをもたらしてきたかどうか


〇真実・本当のことを大事にしてきたかどうか
してきたつもりでいたが、自分の思い込み、自分なりが強いことがわかり、
事実、真実をありのまま受け止めていなかったり、自分なりに歪めていたことが
たくさんあったと思う

〇どんな自分として地上で生きたかったか? 
ありのままの自分で生きたかった
人に喜んでもらえるようにいろいろしたかった
困難から逃げずに努力したかった
よく見聞きしわかり忘れずにいたかった

〇また地上に再生するとしたら、今度はどんな自分として生きると意志するか?
ありのままの自分で生きる
困難もありがたいこととして受け入れて何でもチャレンジする
人に喜んでもらう人生にする
よく見聞きしわかり忘れない
楽しい人生にする

おはようございます
定例会ありがとうございました
みなさんの発表を聞きながら、それぞれにできたこと、できなかったこと、後悔していることがあるのだな、
自分だけではないのだなと思いました
〇どんな自分として地上で生きたかったか
〇また地上に再生するとしたら、今度はどんな自分として生きると意志するか
このいまからどう生きていくか、どうしていくか、そうしていこういまから
とても気持ちが重くなってこわくもなりましたが、
今回の定例会のテーマはその機会を与えてくださったのだと思いました
ありがとうございました

31/07/2025(木) 06:07:54


No.42880  飯沼正晴
Re: 7月31日木曜日 引用

     ☆☆ 愛は時空を超えて 245 ☆☆
     
         ―― 霊界の克との対話  ――

飯)こんにちは。
いつもお世話になっています。

克)はい、こんにちは。

飯)今回の定例会は「もしも今、自分が地上を去ることになれば、自分の地上人生をどう振り返り、査定することになるか?」というテーマで、参加者に話してもらった。
皆さんそれぞれに緊張していたのだろうが、それなのに冒頭の共鳴のエネルギーが強くなっていた。

克)はい。
今回のテーマは、全ての人が地上を離れた後に行うことです。
慣れない作業なので、それぞれに焦点がズレていた部分はありますが、地上に生きている間に霊的視点を主たる基準として自分の人生に加えることになりました。霊的意識は創造のエネルギーでもあるので、共鳴のエネルギーも今までよりも強くなったということです。このあたりのことは言葉で表現しにくいものですし、あまり厳密に考える必要はないでしょう。

今の地上の人間の多くは自分の損得や感情を軸にして日々を生きている段階です。
喜びの感情は人として・霊としての喜びに連動している場合もありますが、自己中心的な喜び・自分本位の喜びは半獣の喜びであり、幽界や暗黒界につながるものです。陰りの感情・喜びではない感情は幽界・暗黒界の心そのものです。

いずれも地上を離れた時に、苦しさと恥ずかしさの中で自ら振り返り、健やかなる喜びに切り替える作業をしなければなりません。
であれば、地上に生きている間に霊的視点で今までの自分を振り返り、過ちや至らなさに向き合って、霊的価値観・霊的意識に沿って生き直しすることが、本当の意味での自他の喜び・幸せを造り出していくのです。もちろんほとんどの仲間にとって不慣れな作業ですから、初めのうちは今までの自分を直視できないこともあるでしょうし、基準とする霊的視点が確立しない場合もあるでしょう。

しかし公表はしなくても、真摯に正直に今までの自分を振り返ろうとすればできないはずはありません。そこで今まで通りに、自分を至らなさを直視することから逃げたり、気づかないふりをするのであれば、この作業の意味はなくなってしまいます。そして必ず喜び・向上進化の喜びに帰着するようにしてください。自己否定や自己正当化は幽界につながるのです。

本来の霊界には無数の段階があります。でも全ての段階の霊界の住人たちは(住人というレベルをはるかに超えた高次の段階もあるのですが)、自分の現状を喜び感謝しながら、さらに高次の意識に向かって自分の意識・心を向上進化させる喜びに生きているのです。

地上人類は「半獣・半人」から「半霊・半人」に進化する過程の段階ですし、それぞれに過去世のカルマを背負って再生しているので、今の段階では本来の霊界と全く同じというわけにはいきません。しかし、自分の現状を喜び感謝しながら、さらに高次の意識に向かって自分の意識・心を向上進化させる喜びに生きていく・生きていこうとすることが、最も有効で摂理に適った自他の喜びを現実化していく方法であるのです。そして、(完璧にではなくても)本来の霊界と同調できれば、そこでは地上の常識をはるかに超えて奇跡のような喜びが現実化していくのです。

同じ意味・法則によって、自分なりの陰りの気持ちを軸に、陰りの言動をとっていれば、幽界や暗黒界と同調度を高めることになって、自他に喜びとは逆の現実を造っていきます。
その法則・原理を改めて認識していただきたいと思います。


飯)分かりました。
引き続き、この心の作業をしていきます。
話は変わりますが、定例会の前日に畑・農のことで、「意識が現実を造っているんだ」ということにポンとつながた。そういえば僕は自分の地上人生の振り返りを文章にしたが、農・畑のことは抜け落ちていたことに気づいた。自分にとってあまりにも当たり前になっていることはなかなか振り返りにくいのかもしれない。

今年は自分が担当する畑の面積が増えた上に、6月からほとんど雨が降らず、桜の畑の作物は枯れかかっている状態だ。タンクで水を運んで水やりしても、とても追いつかない状態だ。N地はスイカや黒枝豆の獣害がひどい。N地は去年の夏は獣害が出なかったが、秋ごろからは小豆が鹿に食べられ、イノシシも土を掘り返すようになってきた。シカやイノシシが入る側には60メートルほど電気牧柵を設置したが、面積が広いので全面に設置はできていない。電気牧柵は線に草が触れれば漏電して効果がなくなるし、草の管理が追いつかないので防草シートを敷いた上に電気牧柵を張っている。防草シートにもかなりの手間と費用がかかってしまう。

イチゴなどはクレゾールせっけん液を入れたペットボトルを数カ所に置いたら、アライグマも鹿もイノシシも来なかった。ところが6月ごろからまた獣害が出始めて、スイカなどはガッカリな状態になってしまっている。ジャガイモなど夏までに収穫する作物ははよくできたのだが、今年の夏はトマトなどのほかは異様に出来が悪い。

今年の冬場には電気牧柵を全面に張ろうと思うが、それとは別に自分の意識がこういう現実を造って(引き寄せて)いるんじゃないかと思った。不思議なことに、そう思ったとたんに気が楽になったというか、何かから解放された気分になった。


克)はい、ようやくそこに意識が向きましたね。
あなたは若い頃、何も分からないままに有機農業を始めて、ずいぶん苦労を重ねることになりました。厳しい労働に見合う収入は得られず、惨めな思いもしてきましたね。

飯)うん。週に2日は配達で、その前日は収穫や仕分け作業だから、今から考えるとやっていけるはずがないのだが、あの頃はそれも分かっていなかったようだ。特に夏場は草がはびこって、手が付けられない状態になることもしばしばあった。


克)ようやく伝える時期が来たようですが、その頃のあなたは有機農業を自らの仕事として選んだのに、本気になれないでいたのです。
あなた自身は認識できていませんでしたが、あなたが有機農業を選んだ理由は、「生命よりも金銭を優先する、今の経済至上主義社会の部品になりたくない」というものでした。消去法で有機農業にいきついたのです。あなたは農業そのものは好きでしたが、その一方であなたの中には「これは自分が一生かけてする仕事ではない。自分には何か他の働き・役割があるんじゃないか」という思いがありました。しかしその頃のあなたに自分本来の働き・役割が分かるはずもなく、やはり有機農業で生活していかねばならず、ある種の徒労感や敗北感を背負ったままで農作業していたのです。

もちろんそれもあなたの今回の地上人生のシナリオの中でのことで、あなたは金銭的にも精神的にも言わば最底辺の暮らしを経験して、そこから本来の働きに進むことになっていました。

もちろん農・農法についても、これからのあなたの役割はあるのですが、その前に若い頃に本気になって有機農業に打ち込めなかった不十分さの埋め合わせをしなければなりませんでした。つまり、その頃のあなたの潜在意識に刷り込まれた「有機農業というものは労多くして、得られるものは少ない。いくら働いても天候不順や夏場の雑草には勝てない」という意識が、農に関しては今も現実化しているということです。

あなたは農・農作業そのものは好きなので、そこでは喜びに基づいてはいるのですが、実際には作業に追われて手が回らず、「労多くして、得られるものは少ない」という現実を造っているのです。
あなた自身が気づいているように、畑に行けばいわば戦闘モードになって、クタクタになって作業する癖が染みついているのですから、土や野菜や畑の生命たちと心を通わせる余裕などあるはずがないのです。いくら家では無条件の感謝と祝福のエネルギーを送っていても、現場で戦闘モードになって心の余裕がなければ、その「場」の生命たちは健やかには育ちません。

獣害なども含めてあなたの潜在意識が引き寄せているともいえるのです。もちろん獣害などを防ぐ手立ては必要でしょうが、あなた自身の潜在意識によってそのタイミングが遅れたり、想定外の被害が生じたりしている面があるということです。夏場の草のことも、あなたなりにいろいろと考えて工夫もしているのでしょうが、あなたの潜在意識に刷り込まれた「有機農業というものは労多くして、得られるものは少ない。いくら働いても天候不順や夏場の雑草には勝てない」ということに帰結して、それが現実化するのです。

特にこの数年はあなたの現実化のエネルギーが高まっているので、以前よりも「有機農業というものは労多くして、得られるものは少ない」ということの現実化が顕著になってきています。


飯)そう言われたら確かにそうだと思う。特に今年はそうだ。
今まではカボチャやスイカやトウモロコシなどは多少の草の中でもそれなりによくできていたのに、今年などは獣害以前にカボチャやスイカの着果率がとても悪かった。カボチャやスイカは念のために二カ所に植えたのに、どちらの畑のものも着果率がとても悪かった。トウモロコシも二カ所に植えたが、やはりどちらも出来が悪かった。

ナスやピーマンは自家育苗の苗の生育が遅れていたので、まずはN地のハウスに購入苗を植えて、そのあとで桜の畑に自家育苗の苗を植えた。桜の畑のナスの収穫が始まればハウスのナスの枝を切り戻して、秋遅くまで収穫するつもりだった、ところが雨が降らなくてハウスの土が乾燥してしまい、水やりに手が回らなくなってしまった。桜の畑に植えたナスやピーマンもなぜか生育が極端に遅れて、やっと生育が進みかけたと思えばこの猛暑と少雨でダメージを受けている。
僕の感覚では、今年は今までよりも畑作業に労力をかけているのに、なぜか今までよりも出来が悪くてヘンだと思っていた。

その一方では、「夏」を意識していない間はいろんな野菜さんたちが普通よりもはるかによく育ってくれていた。特に桜の畑ではレタス類やコカブなどが通常よりもかなり短い日数で収穫できた。これは普通はあり得ないことで、ヘンだなとは思っていたが、それも含めて僕の現実化のエネルギーが作用していたのかもしれない。
いろいろ何だかヘンだなと思っていたが、そちらから解説してもらって全て納得できたように思う。


克)はい。
「悠々農園」も開設されたことですし、あなたの埋め合わせ期間も満了させる時期を迎えています。
まずはじっくりと思いをめぐらせる機会をもって、きっぱりと意識を切り替えてください。

そして半ば苦行のような農作業を喜ぶことを超えて、心の余裕の喜びに基づいた農法を確立していただきたいのです。あなたの場合は頭では十分に分かっているのですが、潜在意識に染み付いた感覚が現実を造り、感情にも影響を及ぼしている状態です。

あなたの現実化のエネルギーが強くなっているのですから、有機農法・自然農についても感覚の層まで切り替えて、分かりやすい喜びを現実化してくださいね。それは言うまでもなくヒーリングの働きについても同じです。


飯)分かりました。自分では認識できていなかったけど、全くその通りだったように思います。かなりショックだけど、何だか解放された気分です。

克)はい。
あなたの場合、自分自身の潜在意識の縛りから解放されたらいろいろなアイデアも湧いてくるはずですし、農に関する「現実」そのものが嬉しく変化していくはずです。たとえすぐにはそうならなくても、農に関しても今までとはまるで違う心が広がっていくはずです。

飯)分かりました。潜在意識に染み付いて、現実を規定している感覚だから、すぐに切り替えるのは容易ではないと思うが、この解放の喜びにはリアリティがあります。義務や責任ではなく、畑に行けることを心から喜んで、楽しくやっていきます。

克)はい。
長年の澱を排出して、新たなる喜びに組み替えるのですから、暑い中ではありますがせめて数日間はどこかに籠ってくださいね。

飯)それがなかなか難しいけど、そのつもりで考えます。
いつもありがとう!

克)あなたの方こそ、いつもお疲れさまです。

(2025・7・29)

31/07/2025(木) 10:03:55

No.42881  飯沼正晴
Re: 7月31日木曜日 引用
西脇亨輔弁護士の動画をリンクしておきます。

兵庫県ではとんでもないことがまかり通っている。
兵庫県を震源地として、日本中にとんでもないことが広がりつつある。

私はそう思っています。


31/07/2025(木) 11:30:58

No.42882  飯沼正晴
Re: 7月31日木曜日 引用
◆「クレーム電話鳴り止まず県政担当から外れた」兵庫・斎藤知事 会見で記者が異例の訴え…明かされた“被害”にネット騒然

7/31(木) 6:00配信 女性自身


昨年11月の兵庫県知事選挙で再選を果たし、2期目に入って8カ月が経過した斎藤元彦知事(47)。これまで内部告発文書問題や自身の選挙違反疑惑などが大きく取り沙汰されてきたが、いまも“異常事態”は続いているようだ。

【写真あり】女性にサインする斎藤知事

7月29日に実施された定例会見では、出席した記者のひとりが質疑応答で“異例の私見”を述べる一幕があった。注目を集めているのは、会見が始まってから17分近く経過した際のこと。この記者は自身が所属する媒体名と自身のフルネームを名乗った上で、こう問題提起した。

「先週もここで質問をして、その後、会社にクレームの電話が鳴り止まずに私は県政の担当を外れることになりました。記者が会見で質問をして、即日炎上して、翌日には配置換えが決まるということが兵庫県では起きます。これをまた成功体験にして、ネットの人たちがこぞって兵庫県に集まってくると。兵庫県はそういう遊び場になっていると、私は思いますね」

続けて、斎藤知事の対応を次のように批判したのだった。

「こうすることで記者が委縮して、職員や議員が委縮していくわけですけれども。斎藤知事が推し進めている風通しの良い職場づくりはそれで実現するんでしょうか。まともな県政運営に繋がるんでしょうか。

いつも震源地にいるのは知事です。知事しかこの状況を変えられないと、私は思っています。なのに知事はこの状況を問題に思っているようにも、変えようと思っているようにも見えません。いつまでこんなことが続くのか、続けるのかと私は思っています」
。。。。。。

(続きはリンク先でお読みください)
https://news.yahoo.co.jp/articles/19b5ee55a03bfee17f8b46e61a45b400b49d379a

31/07/2025(木) 11:37:23

No.42883  あきえ
Re: 7月31日木曜日 引用
飯沼さん、さきさん、皆さん、定例会ありがとうございました。
参加させていただき、皆さんにお会いできて、エネルギーの共鳴もできて、嬉しかったです。

「自分が今、地上を去ることになれば」ということ。
一瞬、浮かんできたのは、このままでは霊界に行けないのではないかということでした。
こういう思い方はしないようにと思っていたのにです。

たくさんの人に迷惑をかけ、嫌な思いをさせ、傷つけてしまったこと、取り返しのつかないことをしてしまったこと、自分の未熟さ、至らなさを思い知って、後悔と申し訳なさで一杯になると思います。
その後は、出会った全ての人、全ての物、そして全ての出来事に感謝すると思います。

自分の悪いエネルギーをまき散らすことで、家族のみんなを苦しくさせ、喜びに導けなかったこと、不幸にしてしまったこと、そんな自分に気づかず、自分では頑張っていたと思っていたことを気づかせてもらったことに今は感謝しています。改めることができていると思っています。

・自他に喜びを表現するために努力したかどうか?
誰にでもというわけではないけれど、寂しくしている人とか悲しい思いをしている人とかが身近にいれば、どのようにすれば喜んでくれるだろうと考え、実行してきました。喜んでくれたら私も嬉しかったです。
だけど、それが自分の勝手な思い、気持ちを優先して、我よしの思いで、相手の気持ちに寄り添っていたのだろうかということに思い至ってなかったことに気づきました。
努力したと思っていたけれど、努力とは言えないと思いました。
これからは相手の気持ちを第一に思い、喜びの心でできることをしていこうと思います。

・愛に基づいて出来事や人間関係に対処してきたかどうか?
自分では愛の心からと思ってしたことも、させてもらったこともありますが、「見返り」を求めたことはなかったと思います。

・他者、他の生命に喜びをもたらしてきたかどうか?喜びをもたらそうとしてきたかどうか?
今思うと、してきたと思うことも、相手にとって本当に喜びであったかどうかと考えると、よく分からなくなりました。

・真実・本当のことを大事にしてきたかどうか?
真実は真実、変わることはないと思っていたので、特に大事に考えていなかったし、当たり前のことと思っていました。
自分の都合や気持ち、思い込み、そして思い違いも、たくさんあったことに気づかせていただきました。
ウソをついたこともあります。もう取り返しのできないこともあります。自分の過ちを心の中で謝っています。
死後はもっともっとたくさん気づかせてもらうのだと思います。

長い人生、生きてきて、たくさんの過ちや人を傷つけてきたことに、もっと早く気づくべきだったし、それ以上にたくさん許してもらっていることにも気づくべきでした。
こんな私であっても、人の幸せは心から喜ぶことができることを嬉しく思います。
残された地上人生は短いと思うので、日々を大切に喜んで生きていきたいと思います。

若いときは、優しく、誰かの何かの役に立つような良い人でありたいと思っていました。
悠々塾に出会ってからは、「人として優しく、人として正しく、皆も自分も幸せに」生きていきたいと思いました。なかなかそのようにはできませんでした。
また地上に再生できるのなら、そのように生きていきたいと思います。
小さなことでもいい、喜びを感じて、皆と一緒に喜びの中で明るく生きてみたいです。

みんな神の子、喜んでいきたいです。

31/07/2025(木) 14:31:11

No.42884  藍子
Re: 7月31日木曜日 引用
定例会ありがとうございました。

今地上を離れたら、のテーマを出された時、「自分が今地上を離れたら多分、うわー幸せな地上人生を歩ませてもらったな、と思うんじゃないかな」とはじめは簡単に想像しました。

その後だんだん定例会が近づくにつれて、私は自分のしたいことをしたいだけしか、してこなかった。自分としては幸せだったかもしれないけれど、その分周りに迷惑をかけたのではないか、と不安になってきました。

そしてもし私が、今の小さな自分を守らずにもっと大きく動けていたら、もっと努力を重ねていたら、もっともっとたくさんの人を癒し役立つことができたのではないか。それは地上を離れてきっと必ず後悔と反省をするだろうなと思い至りました。

悠々塾と出会ってからの自分を振り返ってみましょう、とのメッセージを読み、私は学生の頃からこの年までずっと悠々塾で学んできたのだなと思いました。
自分ではうまく誤魔化しても霊界には筒抜けなこと、亡くなった後に今世を振り返ること、人として正しく優しく、魂の意志を持って生まれてきたこと、そういうことはもう揺るぎなく心に刻まれていたなと思います。

なのでなるべく正直に、自分が正しいと思うことをやって生きてきたつもりです。後になって間違っていたと気付けばなるべく素直に謝るように、そういうことはしてきたかなとおもいます。
ただそれで十分なのではなかったのではないか。周りに合わせて、周りとの違いを目立たせないように、なんとか生てきたとも思います。それを地上を離れてから、なんて小さなところでなんて小さな自分の気持ちと戦っていたのだ、と呆れながら恥ずかしくなるだろうと思います。

でも、そういう反省や情けなさは確実にあるとしても、家族へ愛情や気持ちを言葉や態度でしっかり伝えてきた満足感、できるだけ一生懸命周りに対して自分の出来ることをしてきたという達成感、人としてなるだけ正しく優しくあろうと努力はしてきたという努力賞、そういう感情も湧き上がるのではないかと思います。

よく頑張ったねと今世全体を褒めてあげられるように、残りの人生を歩みたいです。

◯どんな自分で生きていきたかったか。
私は自分を信じて堂々と生きていきたかった。
間違うことや馬鹿にされることを怖がらず、ひとかけらも自分を守らず、相手を守り導く人になりたかった。
どこまでもひたすらに優しく、相手を包み込む希望の星になりたかった。

◯ また地上に再生するとしたら、今度はどんな自分として生きると意志するか?
今度こそ、魂の意志に沿って、地上を癒す者として生きたい。
自分や自分の周りの小さな幸せだけを見ず、大きな全体を見通せる者として生きたい。

皆さんの書き込み読んでいます。
皆さん一生懸命生きてきたよ、頑張ってきたよ、と抱きしめたい気持ちになります。

31/07/2025(木) 19:50:41

No.42885  和也
Re: 7月31日木曜日 引用
先日の定例会ではありがとうございました。
重いテーマではありましたが、もう一度ここで書くことを整理して、前に進めるようにしていきたいです。

〇自他の喜びを実現するために努力してきたかどうか?
自分が動きやすい場面では、努力ということではなく自然に喜びに繋がるようなことを、していたこともあったように思います。
ですが、人との関りにくさを抱えていたり、喜びにするのが難しいような場面では、喜びになるようなことをしてこなかったと思います。
明らかに努力が足りなかったと思います。
自分自身の喜びについても、喜ぶでもない、喜ばないでもないという傾向が強いままで来てしまっています。

〇愛に基づいて、出来事や人間関係に対処してきたかどうか?(愛は見返りを求めません)
生まれた時から見返りを求めるという意識は低かったように思います。
ですが愛に基づいて対処してきたかどうかと問われると、そう言える行動はあまりしてこなかったように思います。
良かれと思うことを選択して行動することはあっても、「愛に基づく」ということではかなり不十分だったと思います。

〇他者・他の生命に喜びをもたらしてきたかどうか?喜びをもたらそうとしてきたかどうか?
結果的に喜びになったことはあったと思いますが、喜びを意識してそう行動してきたかというと、あまりそうして来なかったと思います。
何かにつけて意欲的でなかったです。
あと取るに足らないようなことなんだろうと思いますが、小さな生き物(虫さんなど)が死なないようにする行動は日々していますが、そうせずにはいられないからそうしているだけで、努力している訳ではありません。
助けようとすると虫さんもいつもパニックみたいになるので、喜んではいないと思います。

〇真実・本当のことを大事にしてきたかどうか?
事実を捻じ曲げるという考えは無いつもりではいますが、事実をありのままに見えていなかったり、無意識に事実から目をそらそうとしていたことは多々あったと思います。
事実を見てもやるべき行動をしないことも多かったと思うので、真実・本当のことを大切にしてきたとはとても言えないと思います。
特にそのために家族の不調和に正面から向き合ってこなかったと思います。

霊界に戻ったら、上に書いたすべてのことに共通するのですが、色々な物事に対して前向きに行動することができなかったことを大いに反省することになると思います。
これができていれば、上に書いたすべてのことがもっと変わっていたように思います。
子供のころはもっと酷かったので、それに比べれば変わった面はあると思いますが、何かにつけてすぐ後ろに下がる癖はずっと染みついたままです。
喜びを原動力にするのが難しいのであれば、自ら意欲を高めていくしかないのだと思います。
自分自身それに向き合うこと自体を厄介に感じていますが、残りの人生で少しでもそれを変えていくようにしていきたいです。

31/07/2025(木) 22:11:57


No.42872 ちづこ  
7月30日 水曜日 引用
おはようございます。

飯沼さん、ありがとうございます。
書き加えます。

どんな自分として地上で生きたかったか? 

与えられていることを喜んで、喜びあふれる自分。家族や出会う人々、動物たちに、喜びをもたらせれる自分で生きたかったと思うと思います
自他を喜んで、愛情いっぱいあふれる言動をしたかった。
父と母の不調和を調和させたかった、と思うと思います

また地上に再生するとしたら、今度はどんな自分として生きると意志するか?

人として優しく、人として正しく、自他を喜び、みんなに喜びをもたらせていきたいです。
自分にとっての困難も、無条件の祝福と感謝の気持ちをもって、向き合っていきたいです。

定例会の2部あたりから翌日も、頭痛がしていました。排出だったのかもしれません。そして、今までどおりの不十分なところも出てきてます。わたしも今回こそ切り替えて、みんなの喜びに自分の喜びを重ねていきます。

30/07/2025(水) 08:31:34


No.42873  みんと
Re: 7月30日 水曜日 引用
おはようございます。
ちづちゃん、おはよう!
私も書き損じたことを書かせてもらいます。

昨日まで心身共に重く、掲示板を読むこともしんどかったのですが
今朝からは打って変わって楽になりました。お腹も大丈夫です。
定例会のエネルギーで澱を排出させてもらったのだと思います。

※ 真実、本当のことを大事にできたかどうか

真実?本当のこと? それくらい無頓着に生きてきたのだと思います。
ということは自分の都合の良いように受け取り深く考えることをしてこなかったのだとおもってます。 2度の大病はそのことを教えて頂く大きな経験になりました。
色々と辛いこともありましたが、その結果の今と思えるようになりました。
有難いことですね。
振り返るとまだまだたくさんの至らなさがあるはずですが、昇華の方向に持っていきたいです。皆の喜びは自分の喜び、感謝と祝福の気持で生き直します。

30/07/2025(水) 10:06:46

No.42874  千夏
Re: 7月30日 水曜日 引用
朝からの津波警報にとても驚きました。
太平洋沿岸にお住まいの方は、充分お気を付けください。

定例会では、ありがとうございました。
皆さんとお会いして共に学べることが本当に嬉しいです。
飯沼さん、さきさん、ありがとうございました。
まゆみさん、おばあちゃん、藍子ちゃん、いつもおいしいお料理をありがとうございます。
滋養たっぷりのBさんのスープもおいしかったですし、
飯沼さん、みゆきちゃんのお野菜もとてもおいしかった!
イッシンさん、オレンジさんの演奏も心にしみて、涙が止まりませんでした。

自分の地上人生を霊的視点で査定する、というテーマはすごく難しくてどのように文章化すればいいのか悩んで、何度も書き直しました。あまりまとまってませんが、投稿します。

「もしこのまま地上を離れたら」

今回の地上人生も終わってしまったかぁーという気持ちになり、いろいろやるべきことを決意して再生したはずなのに、半分もできていないかも・・・と、きっと残念に思うとともに、愛情深く見守ってくれた両親やこの人生でかかわってくれた人たちひとりひとりを思い浮かべながら、感謝の気持ちになると思います。
そして2人の子供たちに母親として、何もしてあげられなかったことを申し訳なく思うと思います。


「自他の喜びを実現するために努力したかどうか?」

若い頃は自分中心で、喜びを自分に集めることを意識してしまっていたと思いますが、家族や周囲の人に喜んでもらいたい、という気持ちはいつも心の奥にありました。
結婚後に夫の両親の強い勧めで、身寄りのない資産家の老婦人と養子縁組をすることになった際には、まったく乗り気ではなく葛藤がありましたが、両親のためにと思い引き受けることにしました。
それでもやはりこの不思議な縁組にどんな意味があるのか知りたくて、飯沼さんと克子さんのカウンセリングを受け、そこでカルマの情報を受信していただきました。
そこには、私たちは過去生でも家族だったが家業の失敗から借金を負うことになり、私と夫はそこから逃げ細々と暮らしましたが、残された家族の悲惨な末路を知ってとても後悔した、と書かれていました。
夫と2人の子供、夫の両親や妹そして養母と7人で同居を始めたときも、家族皆で幸せになりたいと心から思っていました。
けれども家業が不振になるにつれ経済的な不安が心に広がり、次第に自分ばかりが損な役割を押し付けられているという被害者意識に囚われるようになり、家族皆に愛を持って関わる事ができなくなってしまいました。
そしてカルマの再現で、私は家族のもとから逃げて皆を見捨てる結果となってしまいました。
自分の弱さ、未熟さから幼い子供たちを傷つけ、家族の信頼を裏切ることになり、本当に情けなく、申し訳なく思います。
その後15年以上も子供たちに会えず、子供たちの無事と幸せを祈り続けるしかありませんでしたが、実家の両親の支えや親友の励ましのおかげで、自己憐憫からも立ち直り、どんな境遇であっても人の幸せを願うことができる人になりたい、と思うようになりました。
自分の幸せはあきらめていたのですが、長女と再会できたことで大きな喜びに包まれ生きる喜びを実感した時から、自分の何かが変わりもっと貢献の人生を歩みたいという気持ちが強くなり、ずっと参加したいと思っていた悠々塾の定例会に参加することを決意しました。

「愛に基づいて、出来事や人間関係に対処してきたかどうか?(愛は見返りを求めません)」

人間関係では、誰に対しても平等に接するようにして苦手だと思う人にも壁を作らないよう心掛けてきましたが、心のどこかで見返りを求めて打算的になってしまうことがあったと思います。
年齢を重ねてからは見返りを求めるような心は少なくなりましたが
それは、思ったような反応が返ってこなくても傷つかないようにするために予防線を張っているだけなのかもしれない、と思います。

「他者・他の生命に喜びをもたらしてきたかどうか? 喜びをもたらそうとしてきたかどうか?
(本来の喜びとは向上進化の喜びですが、楽しさや嬉しさも喜びに含まれます」

人間関係ではその人のためには言ってあげたほうがいいとわかりながら、嫌われたくないという思いから言葉を飲み込んでしまったり
本当はその人自身がやるべきことなのに余計な手助けをして、その人の学びや向上の機会を奪ってしまったことがありました。
共に向上していこうとする意識が低かったのだと思います。


「真実・本当のことを大事にしてきたかどうか? (自分の損得や自分なりの気持ちで事実・真実を歪めることがあるのなら、謝罪と共に事実・真実に立ち返る喜びに帰着してください」

真実・本当のことを知りたい、という思いは強くありますが、自分の感覚を重視しているところがあるので、自分なりの理解にとどまってしまうことがあると思います。
自分が理解した(と思っている)ことが、真実なのだろうか?ともっと検証していくことが大切だと思います。

これまでの人生を振り返ってみて、家族やかかわってくれた人たちを大切にすることができなかったことへの申し訳ない思いでいっぱいになりました。
つらいこともたくさんありましたが、すべてを向上進化の喜びとして受け止めて、無条件の愛と祝福を体得して皆さんと共に向上進化の道を歩んでいきたいです。
そして半霊半人に一歩でも近づいていきたい、と思います。

30/07/2025(水) 15:10:19

No.42875  まみ
Re: 7月30日 水曜日 引用
定例会ありがとうございました!
皆さん本当にいつもありがとうございます。

発表させてもらえる機会を頂いたのに、頭の整理が全く出来なく、
支離滅裂の話をしてしまいました。すみませんでした。

定例会のメッセージを読む少し前に、持病の心配が出てきてしまい、
(大丈夫です、ご心配なく)
「今亡くなってしまったらどうしよう、、」と、途方に暮れていたのですが、
定例会メッセージの「もしも今、自分が地上を去ることになれば、、」を読み、
「これは今、又自分の人生にしっかりと向き合う時期なんだな」と確信しました。

子供の頃や学生時代、友達と仲良く過ごした記憶はたくさんありますが、振り返ると
自由奔放だった私は、自覚がある事も、ない事も、知らない間に人を傷つけていた事がたくさんあったと思います。
大好きな母にも、反抗期で酷いことを言って悲しませたり、、
自分の小さな小さなプライドを守るために、嘘をついてしまったり、
これまで私が傷つけてしまった人々に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
本当にごめんなさい。
未熟で不十分で、どこかに隠れてしまいたくなります。

2003年に、初めて克子さんにお会いしてから、5、6度しかお会いできなかったと思いますが、優しくて温かくて、聡明で美しくて、会う度に大好きになり、私の憧れの人になり、「来世でも、永遠に無理だろうけど、克子さんのような女性になりたい!」と
強く強く思いました。
それからは、出来なかった時期や事柄もありますが、大切な人達や、私にかかわる人達には、少しでも喜びや幸せを感じてほしいと、愛を持って心を込めて接しようと、心掛けて生きてきました。
そう意識してても、失敗も多々ありましたが、今ここからでも、向上進化の喜びに生き直す事が許されるなら、又強く意図し直し、常に意識して、喜びベースで無条件の愛と感謝を忘れずに生きて行きたいです。
すると、おのずと私の微力でも、風穴を開けるためのお役に立てると思うからです。
そして私も半霊半人を目指します。

そして、いつか肉体を脱いで、地上を去る時が本当に来たら、
「最後まで不十分だったかもしれないけど、私なりに頑張って生ききったね、
苦しいことも辛いこともいっぱいあったけど、幸せだったし、あー楽しかった!
皆さんありがとう、色々ごめんなさいね、本当にありがとう!」
と旅立ちたいです。

30/07/2025(水) 17:05:43

No.42876  あおやま
Re: 7月30日 水曜日 引用

>今までも同じことを何度も伝えてきましたが、それでも相変わらず今まで通りの自分のままで、陰りの気持ちを軸にしていくつもりならば、この際はっきりとそう言ってください。<

今まで通りの自分のまま、陰りの気持ちを軸にして生きて行こうなどと思っていません。私たちが目指す向上進化から一番遠いものだと思います。

>日曜日にあおやまさんに言ったのは、「もしもある人がまた定例会に参加することになれば、気持ちよく迎え入れてあげてほしい」ということでした<

>「あおやまさんが許しがたい気持ちを超えて、その人を迎え入れることで、あおやまさんも家族に許されて修復の道が開けるんじゃないか」という話もしました。
それで私は、「あおやまさんが自分の気持ちを超えて、その人を気持ちよく迎え入れようとする心・エネルギーが風穴を開けることにもつながるのだから、力を貸してほしい」と言ったのです。<

古い話しをいろいろ思い出すことになって、腹立たしさから感情的になってしまいました。
私にとっては理不尽でしかない、訳のわからないヤツ当たりでしかありませんでした。
自分のことでは泣かない私が、
まゆみさんにしがみついて大泣きしたことも思い出しました。

>(あおやまさんは「排除」の思い・エネルギーが強いので)、「それはあおやまさんにしかできないことだ」と言いました。

今まで求められることも喜ばれることもなく、排除されてきたと思っていますから、自分が排除のエネルギーが強いなどと考えたことはありません。

>仲間の皆さん一人一人が今までも自分なりの気持ちを超えて、「みんな大好き、ありがとう」「無条件の祝福と感謝」という心に向上進化しようとしてきました。
そういう仲間たち一人一人のエネルギーが共鳴して風穴が開くのです。
その働きに力を貸してほしいということです。<

はい。
地上界浄化に向けて風穴を開けるための一助となるのでしたら、惜しむことなく喜んで役に立ちたいと思っています。

>当然ですが、そうならなければあおやまさん自身の幸せも得ることはできないでしょうし。<

私の幸せは家族が幸せでいてくれることです。そう願えていることが幸せだと思っています。

30/07/2025(水) 20:30:25

No.42877  飯沼正晴
Re: 7月30日 水曜日 引用
みんとさん、みさおさん、オレンジさん、ちづちゃん、千夏さん、まみさん、定例会のテーマに沿った書き込み、ありがとう!

時には込みあげながら、読ませてもらっています。


あおやまさんのコメントを読んで、長年にわたってさまざまに関わってきた者としての見解も意見もあります。
しかしまた同じことを繰り返すつもりはありません。
将来的にも定例会の参加者への排除をしないで、気落ち良く受け入れるとのこと、よろしくお願いします。

あおやまさんも、必ず定例会のテーマに沿った書き込みをしてくださいよ。

「自分がされたこと・してもらえなかったこと」を軸にして、自分を被害者であるかのような思い方を卒業できると思います。

死後、自分を振り返る時、「自分がされたことやしてもらえなかったこと」については、「それであなたはどうしたのですか?」という問いを向けられるはずです。
必要があれば、「自分がされたことやしてもらえなかったこと」について、今生や過去世の情報も知らせてもらえるでしょう。

そして、「自分がされたことやしてもらえなかったこと」は、自分自身のカルマの贖い・埋め合わせや、その延長上の今生での自分の至らなさに元があることを知るのです。

縁ある人からカルマ解消の機会を提供してもらって、「それであなたはどうしたのですか?」という問いを向けられるのです。

地上の自分を基準にしていれば、自分なりの言い訳や自己正当化もできるのでしょうが、霊的視点で振り返ればそんなものは通用せず、さらに自分の歪みとして査定されるのです。

せっかくの機会ですから、誰かのせいにするのではなく、「自分が何をしたのか? 何をしなかったのか?」をしっかりと振り返って、必ず書き込みしてください。

30/07/2025(水) 22:30:59

No.42878  みやっち
Re: 7月30日 水曜日 引用
定例会ありがとうございました。

「自分が今、地上を去ることになれば」
まだ今生でやりたいこと、やるべきことがあるからだと思うのですが一番に藍子さんや子供達との幸せな生活が終わってしまい残念というか申し訳ない気持ちになると思います。
そして藍子さんや子供達に幸せになって欲しいということと子供達に無事に成長してくれることを願うと思います。
この年齢で死ぬことが自分の決められていた年齢なのかという理由と死に方についてなぜこのように死ぬということが決められていたのかと考えると思います。
ある程度落ち着いたら周りへの感謝などが湧いてくるかもしれませんがすぐには考えられないかもしれません。

・自他の喜びを実現するために努力したかどうか?
年を重ねるごとにたくさんの人と出会い、たくさんの経験をして少しずつ自分を成長させてもらっていると思います。
自分をとてもかわいがってくれた方だったり、気にかけてくれた人や重篤な病を患った人に本気で全力で関わった事、悠々塾との出会い。
元々は狭く家族、友人、知人達にやさしくしたり・喜んでもらう気持ちがありましたが、悠々塾と出会ってから「人としてやさしく、人として正しく、自分もみんなも幸せに」と思うようになり、喜びも含めてもっとみんなに広げていきたいと思うようになりました。
その気持ちは結婚して家族を持ち、関わる方たちがさらに増えるごとにもっともっと広く強くなっていっていると思います。
努力というと特別な事はありませんが、みんなの幸せを願って必要な事を考えて言動したり、心配事があれば声をかけて出来る事をするという事です。

・愛に基づいて、出来事や人間関係に対処してきたかどうか?(愛は見返りを求めません)
悠々塾の方達についてはそういった場面が少なからずあったかもしれませんがそれ以外の会社・友人・知人関係で深く接する機会はほとんどなかったと思います。
ただ何か困った事や問題があった時、相談事があった時には愛に基づいて誠実に対応してきたと思います。
実家の家族については機会があれば愛に基づいて言動するという気持ちでいます。
悠々塾の方達については定例会等であった時にお話しを聞いて自分が思うことを話させていただいたり、掲示板でコメントしたり、エネルギーを送ったりしました。

・他者・他の生命に喜びをもたらしてきたかどうか? 喜びをもたらそうとしてきたかどうか?
(本来の喜びとは向上進化の喜びですが、楽しさや嬉しさも喜びに含まれます)
あきらかに困っている人を助けていくということはやってきましたがあまり人と接することが得意ではないのでこちらから積極的には出来ていなかったと思います。
エネルギーを送ったりしています。

・真実・本当のことを大事にしてきたかどうか? (自分の損得や自分なりの気持ちで事実・真実を歪めることがあるのなら、謝罪と共に事実・真実に立ち返る喜びに帰着してください)
元々曲がったことが大嫌いで、頑なにまっすぐに生きてきました。
ズルをしたり、嘘をついて物事を進めても何にもならないし、自分を曲げてまで嫌なことは絶対にしたくないと思っています。
でもそれは自分の損得や自分なりの気持ちではなく、自分の理想というかこうありたいとかこうあるべきだといったものだと思っています。
真実・本当のことを大事にしていたつもりでも自分本位で融通が利かないところがあったと思います。
周りに不快だったり、嫌な気持ちにさせたり大きな思い違いをしていたことがあったかもしれません。

・過去世で自他の喜びにできなかった事柄がもたらされる
カルマの情報はありませんが今までの自分の人生において大きかった・喜べなかった(でも必要ではあったのだと思っています)出来事に多少関係があるのではないかと思っています。
前の妻を病気で亡くした直後はなぜ自分にこんなことが起こってしまったのだろうかとなかなか受け入れられませんでした。
その後さみしい気持ちはかなりの期間ありましたが、悠々塾に出会わせてくれた感謝はすぐにあったと思います。
この時は絶対にこの経験を生かそう・役立てようと思っていました。重篤な病の人に対して今後自分は何かしらの働きをしていくのだろうと思っていましたが現状ではそうはなっていません。

3度ほど本格的に就職活動をしたのですがどれもものすごく時間がかかりました。
中には就職しても自分には合わず数日で辞めた会社も何社かありました。
仕事を探している当初からずっと自分の人生が仕事ばかりになることはどうしても嫌だったのでそれが見えそうな段階で続ける気になれませんでした。
結果的にはどの会社も規模とかそういったところではなく自分を活かせられるような、ある程度自由にさせてもらえる会社に就職出来ました。
なかなか就職が決まらなくても自分を認めてくれて、自分に合った就職先を粘り強くあきらめずにさがすしかなかった。
就職活動している最中は社会に受け入れられていないような気持ちになり、気持ち的には決していい感じではなかったように思います。

自分の人生は本当にとても恵まれている、守られていると感じます。
辛いこと、悲しいこと、苦しいことたくさんネガティブなことがあったとしても最終的にはかならず無事に終わっているし、それを乗り越えて幸せになっています。
それを周りにたくさん広げていけるように、日々を喜びの中で生きて、かならず風穴をあけることが出来るようにやっていきたいと思います。

30/07/2025(水) 22:44:46


No.42864 エーチャン  
7月29日 火曜日 引用
定例会ありがとうございました。

定例会では一番目に話しました。あらかじめ文章化していたのですが、悠々塾と出会う前のサラリーマン時代のことを話そうとしたら、自分の醜さ、汚さが次々と浮かび上がってきてパニックのような状態になってしまい、結果としてテーマに沿った話すということもできませんでした。雰囲気を重くしてしまったのではと思っています。申し訳ありませんでした。

ということで、再チャレンジということで何回かに分けて書いていきます。

もしも今、自分が地上を去ることになれば、死後の自分はどういう道筋を辿るのだろうか?

今地上を去れば、やはり後悔のほうが大きいと思います。特にサラリーマン時代、苦し紛れにうそや隠し事を重ねてしまったこと、自分の至らなさ(というより、罪深さという表現のほうがいいかもしれない)とともに迷惑をかけた人たちに対して申し訳なさが募るのではないかと思います。

一方で、お金のことで苦しい状況が続く中で(それは自分が作り出したもので、自業自得です)、不思議に必要な額が満たされたということ、お金のことだけではないと思いますが様々な局面で必要な支援が与えられたということ、苦しい中でも今回の人生の目的を果たすことができるようと導かれていたことに気付き、心からの感謝が沸き上がると思います。

また、大学入学の時に、偶然と思えない、不思議な道筋での実母との再会があったことから、「特別な自分」という思いに囚われ、不自由になっていたということにも気づき、後悔の念が沸き上がると思います。

ここまでは、サラリーマン時代のことが主ですが、悠々塾と出会ってからについていえば、まず最初に言えるのは、相変わらず「特別な自分」に囚われ続けていたのではないかということです。ようやく去年くらいから、人間だれしも神の子ということが分かってきて、「特別な自分」という囚われも薄くなってきて、家族との関係も一段と良好になってきたように思います。

もっと早くに気付けばよかったのにと思うでしょうが、半獣・半人から半人・半獣に切り替わるのは容易ではない、地上で生きていると半人意識と半獣意識が混然一体となっていた、混ざり合っていた、それゆえの難しさもあったということも気づくのではないかと思います。

一方でまた、この場で教えられたことをもっと本気度を高めてやっていればという後悔の思いもきっとわいてくるのでしょう。

いずれにしても人間すべてが神の子である、また動物から微生物に至るすべてが神の子である(自分が神の子であるという意識を持ちえないにしても)、そのような意識で新たな現実を創るために働く喜び、その喜びに満たされてこれからの人生を生きます。

29/07/2025(火) 08:42:49


No.42865  飯沼正晴
Re: 7月29日 火曜日 引用
なみさん、ミスター、ぽんたさん、祐造さん、Bさん、久美さん、エーちゃん、テーマに沿った書き込み、ありがとう!

一人ひとりにコメントはできませんが、何度も読ませてもらいます!

エーちゃんの号泣にはびっくりしましたが、地上を離れた直後は、地上時代の自分の至らなさに思い至って号泣することもあるのでしょうね。

エーちゃんにしても他の人にしても、今の世間の人たちの多くに比べて、それほど大きな過ちや至らなさがあったとは思えません。
でも、過ちや至らなさというものは人と比べての世間基準ではなく、自分自身の良心や霊としての基準に照らしてのものであるので、場合によれば身を震わせて号泣することもあるのでしょうね。

自分を振り返って、自分の過ちや至らなさに思い至り、心からの反省は必要なことですが、自己否定は喜びではなく、幽界につながりかねません。

今までの過ちや至らなさを超えて余りある喜びに生きることで、過ちも至らなさも向上進化の喜びに融合していくのです。

29/07/2025(火) 10:26:24

No.42866  飯沼正晴
Re: 7月29日 火曜日 引用
再びあおやまさんへ、

定例会のテーマについての書き込みはすぐにとは言いませんが、私の質問への回答は今日中にお願いします。

定例会の翌日、私は今までの経緯の中でのあおやまさんの気持ちも汲んだ上で、あることについてのお願いをしました。
それは同時にあおやまさん自身の幸せにつながるというか、あおやまさん自身の経緯からして、そこをクリアしなければどうにもならないだろうという話もしました。

あんな分かりやすい話が分からないはずがないのに、私が席を外した後であおやまさんはその場にいた仲間たちに対して自分の陰りの気持ちを正当化してぶちまけたようです。
それを聞いて、私はあおやまさんに悠々塾の働きに協力してくれるようにお願いしました。

あの定例会の直後に、自分なりの気持ちを軸にして、自分なりの都合や自分なりの気持ちで自分の陰りを正当化し、「自分の気持ちを分かってもらえない」と怒りをまき散らし、そういう自分を切り替えようとする気がないのであれば、何のために定例会に参加しているのかと思ってしまうのです。

そしてもしかしたら、これはあおやまさんだけのことではないかもしれないという気もしています。
定例会のエネルギーは予想以上に強く高まっていました。
霊的視点で自分の地上人生を総括するというテーマだったのに、意外なことに冒頭の共鳴から地上次元の浄化のエネルギーが、今までにはないぐらいに強くなっていたのです。

そうであれば、人によればクリアできていない澱が浮き上がっても不思議ではないわけで、あおやまさん以外にも今まで通りの不十分さが顕れた人もいるかもしれないと思いました。

もしもそういう人がいるのであれば、他人事としてスルーするのではなく、まさに自分自身の問題として振り返り、今回こそ切り替えてほしいと思って、あえて書き込みしたのです。

そしてあおやまさんも、もしも共に学んでいく気が今はなくて、やはり自分の気持ちを軸にしていくのであっても、仲間に陰りをまき散らすのでなければ定例会に参加してもらって構わないのです。
ただ、学ぶ気もなく、本気で切り替える気もないのであれば、そういう人にあれこれ提示してもお互いが不快になるだけでしょうから、今はまだやる気になっていない参加者として対応します。

あおやまさんの場合はついこの前に「共に学んでいきます」と表明したので、そこを再確認しているのです。

29/07/2025(火) 14:01:26

No.42867  みんと
Re: 7月29日 火曜日 引用
定例会、ありがとうございました。
毎回ですが、皆さんの顔を見ると嬉しくて懐かしくてそれだけで来てよかったと元気になります。
まゆみさん、いつも美味しい料理をありがとうございます。
イッシンさん、オレンジさん、ありがとうございます。
飯沼さんのご様子が目に入り私もウルウルしてしまいました涙

さてもっと早めに投稿したかったのですが
昨日今日になって逃げだしたい気持ちになってしまってます。きっと強いエネルギーの影響で今までの澱が一気に出てきているのではないでしょうか。お腹も壊して少しバテ気味ですがとにかく思ったことを書いていきます。

今地上を離れることになったらということ、実は最近ぼんやりと考えていました。というのも兄の思いがけない死から死後の世界が遠いのもとは思えなくなったからです。
三月には愛猫も亡くし、私にとってはタイムリーなテーマのはずだったのですが、なぜかここにきて二の足を踏んでる自分がよくわかりません。

悠々塾と繋がる前の私は、ほんとうに自分軸そのものでした。
とても恥ずかしいこと、やってはいけない罪なことをしてしまい、とてもスムーズに霊界には行けないと思いました。

それでもこんな自分ではいけないという気持ちは常にあったので
悠々塾を見つけた時は、やっと出会えたことが嬉しすぎて掲示板を一日に何回も何回も読まずにはいられないほどで笑。
自分で言うのも変ですが水を得た魚のような気分というか、とにかく大きく舵を切ることができたことは感謝そのものです。

※自他の喜びを実現するために努力したかどうか

悠々塾に繋がってからは努力したのではと思います。
実現した時もあるししなかった時もあるとおもいますが、喜びの方にもっていこうと常に思って行動し努力したつもりです。

※愛に基づいて、出来事や人間関係に対処してきたかどうか

正直愛そのものがよくわかってないところがあったので、それまでの自分ができたかどうかよくわかりません。ただ相手の気持ちに寄り添うようにと心がけてきたとは思います。

※他者、他の生物に喜びをもたらしてきたかどうか

動物にはもたらしてきたと思います(和也さんと似た感じです笑)が人に対してはできたかどうかよくわかりません。
もたらそうという意識はつねにありますが‥周りが喜ぶことが自分の喜びであることはまちがいありません


※真実、本当のことを大事にできたたかどうか

このことの意味がよくわかっていません。なのでもう少し考えて改めて投稿します。

今こういう情けない状態ですが、とにかく喜びをもたらす人間でありたいとの思いはいつもあります。
澱が出きったらまた投稿します。すみません。

29/07/2025(火) 17:44:18

No.42868  あおやま
Re: 7月29日 火曜日 引用
少し時間をいただけますか。
ゆっくり考えてみます。

>それは同時にあおやまさん自身の幸せにつながるというか、あおやまさん自身の経緯からして、そこをクリアしなければどうにもならないだろうという話もしました。

あの時点で思ったのは、自分にそんな大きな働きができるわけがないと言うことでした。
その人に対して許し難さが残っているとは思っていません。

29/07/2025(火) 18:34:27

No.42869  みさお
Re: 7月29日 火曜日 引用
定例会ありがとうございました。

今地上を去ることになれば
色んな思いを思い出すでしょうが

妹二人の事を、最後喜びに変えれなかったと思うでしょう
普通の関係の時期も、長くありましたが私の損得もあり関係を悪くしたのだとも、今思います。

今まで生きてきて、悠々塾に繋がるまでにも人に対しての言動を、死後走馬灯の様に、見る事になった時に
恥ずかしく、辛い思いをするでしょう。
その事は覚悟の様な気持ちですが
生きている間にも、他の事ででも埋め合わせをしたいです。

・自他の喜びを実現する為に、努力したか?

家族や友人が病気の際に、治ってほしい気持ちでできる事はしたいと思っていた。

・愛に基づいて、出来事や人気関係に対処してきたかどうか?

できた事もあったが、気持ちの面で見返りを求め、自分の思っていた様な結果でないと落胆したり、キツく思ったりもした。

・他社、他の生命に喜びをもたらしてきたか?喜びをもたらそうとしてきたか?

向上進化は、できたかわかりませんが
楽しさや嬉しさは去年あたりからボランティアに参加する事が楽しく、相手が楽しそうだと私も嬉しくもっともっと楽しんでもらいたいと思います。

・真実、本当の事を大切にしてきたか?

大切だと思いながら大切にした事もあるが、自分の損得や自分の気持ちで
何が真実かわからなくなっていた事もあると思います。
今妹達との関係の中でも、相手の事よりまず自分が正しくなろうと思っています。

まゆみさんが言われた
無条件の感謝
最近はずっと思っています。
私は無条件ではなく、条件があったのだと。

また何度でも書き込みしようと思います。

定例会、お世話になり飯沼さん、さきさん、皆さんありがとうございました。

進化向上の喜びに向かいたい。
無条件の感謝、いてくれる事への感謝を改めて思っていきます。

29/07/2025(火) 18:35:05

No.42870  飯沼正晴
Re: 7月29日 火曜日 引用
あおやまさん、

>少し時間をいただけますか。
ゆっくり考えてみます。<

これは私の以下の質問に対してのことですか?

>今までも同じことを何度も伝えてきましたが、それでも相変わらず今まで通りの自分のままで、陰りの気持ちを軸にしていくつもりならば、この際はっきりとそう言ってください。<


>あの時点で思ったのは、自分にそんな大きな働きができるわけがないと言うことでした。
その人に対して許し難さが残っているとは思っていません。<

日曜日にあおやまさんに言ったのは、「もしもある人がまた定例会に参加することになれば、気持ちよく迎え入れてあげてほしい」ということでした。

「あおやまさんが許しがたい気持ちを超えて、その人を迎え入れることで、あおやまさんも家族に許されて修復の道が開けるんじゃないか」という話もしました。

その後、私が席を外している間に、あおやまさんが仲間たちに自分の陰りの気持ちをぶちまけたということでした。
それで私は、「あおやまさんが自分の気持ちを超えて、その人を気持ちよく迎え入れようとする心・エネルギーが風穴を開けることにもつながるのだから、力を貸してほしい」と言ったのです。

(あおやまさんは「排除」の思い・エネルギーが強いので)、「それはあおやまさんにしかできないことだ」と言いました。

仲間の皆さん一人一人が今までも自分なりの気持ちを超えて、「みんな大好き、ありがとう」「無条件の祝福と感謝」という心に向上進化しようとしてきました。
そういう仲間たち一人一人のエネルギーが共鳴して風穴が開くのです。

その働きに力を貸してほしいということです。
当然ですが、そうならなければあおやまさん自身の幸せも得ることはできないでしょうし。

29/07/2025(火) 19:28:06

No.42871  オレンジ
Re: 7月29日 火曜日 引用
私は数年前に今死んだら後悔することは何だろうと考えたことがあり、後悔のない生き方をしようと思ったことがあります。
ピアノで多くの人を癒しているのですという言葉を克子さんから頂いているので亡くなってからそのことが実感できるかもわからないというワクワクした楽しみはあります。

その都度拍手がもらえるような仕事ではないので一生懸命したということだけで癒したという実感がないので。

生まれ変わったらもっと若い時に霊的真理を知りピアノでなくてもいいので今世より永く人に役立てられる人生でありたいと思うし、もっとたくさん喜びを経験したいです。

霊的知識を得るまでは人間は良い行いをしたから人間に生まれてるくらいに思ってました。この世の人が思っていることと真実は大きく違うことを一つ一つ学んできたと思います。

今世でのしんどさや苦しさは過去での埋め合わせであり、償いだと思えるので仕方ありません。
才能が欲しいと数えきれないほど望んだけどそれは無理なことで、天才と呼ばれる人は過去で多くの人に役立てる働きをしてきた魂だと思うのでそこに到達する働きをしていない自分に無理なことはよくわかり、霊的しくみは完璧なんだなあと理解できるようになりました。

・自他の喜びを実現させる為に努力したかどうか?

自分の身近な人には努力したこともあればしなかったこともあります。守り優先の枠のなかで人の幸せを願ってきた方だと思いますが義務ではなくその時の気持ちで人の幸せを願ったことはありますがピアノの仕事はよく頑張ったと思います。

・愛に基づいて出来事や人間関係に対処してきたかどうか?

過去に自分が迷惑をかけた人の申し訳なさを悔やむかもわかりません。翳りをまき散らしたことも悔やむと思います。

人間関係のもめ事に巻き込まれたことはあるけどその時の自分の対応は係わりたくないこともあり、面相なことは心を離すことがあり、その結果いつまでも引きずることになりました。もともとの原因が私でなくても調和に向けて動かなかった責任は死後問われると思います。人の心に寄り沿うことが不十分だったこともあるし、苦手でもありました。もっと思いやって言葉で表現すればよかったと思います。そうしなかった結果深い翳りを持つことになりましたが、今は立ち直りもわりと早い方だと思います。喜びに向けて心を動かすことも努力しているし、もっと柔らかく考えてもいいし、考えは一つだけではないと思うようになりました。

・他者・他の生命に喜びをもたらしてきたかどうか?

他の生命は水と畑の微生物にエネルギーを送ったくらいです。

・真実・本当のことを大切にしてきたかどうか?

正直本当のことを大切にすることがそれほど重要だとは思わずに生きてきました。
世の中の人は当たり前に嘘をつくしこんなものかもしれないと思っていました。
都合の悪い時はごまかしたり、簡単な嘘を言ったり。そのことを学んでからは大きく価値観が変わりました。

私は無意識のところでたくさんの違和感を持って生きてきたことを帯状疱疹になったことで知りました。ショックでした。いろいろ想いを巡らせば家族も親戚も違和感の持ち主だらけ。自分もそうだから身内の翳りはわからなかったのだと思います。

恐怖もあり不安もあり自分と人との間に壁もありました。働きと課題はセットと学びましたが働きのなかでいろいろ課題である翳りが出てきたこともあり、自分との闘いでもありました。痛い思いをしたことで今では随分気持ちが楽になったと思います。

今足りないことと言えば世の中を広く知る視野の狭さもあると思います。みんなが風穴を開けることを目的としていると言われても仲間のうちの一人と思っている自覚・意志の弱さは後々後悔することになるかもわかりません。今からでも目を覚まさないと思います。

過去に於いて喜びにできなかったことは必ず経験することになっているようで面倒なことも出てきたりしますがそれを翳りに留めずに喜びに消化することを学んだおかげで方向性はわかるようになりました。これはたくさんのことを教えてもらった結果だと感謝しています。
今の課題はもっと意志を高めることですね。
喜ぶ気持ちもたくさん持ちたいです。

29/07/2025(火) 22:31:46


No.42855 やすこ  
7月 28日 月曜日 引用
定例会ありがとうございました。
みなさんの仲間でいれることが本当に有り難くて感謝です。
飯沼さん、さきさん、ありがとうございました。
イッシンさん、オレンジさんありがとうございました。
みゆきちゃんのお野菜もありがとう。そしてまゆみさん、いつも有り難うございます。

克子さんありがとうございます。
克子さんにはお会いした事はなく、でもたまに話しかけたりして、一人恥ずかしくなったりの変な私です(笑)。ひとしずく には何度も助けられて、勇気がない時に読んで背中を押していただいた事があります。
よし!と思いきる時や軌道修正したい時にいつもひとしずくやメッセージ がありました。これからも何度も読んでいきたいです。


テーマのこと。
何年か前、このままの自分で生きたくない、と強く思った事があります。
自分を一番苦しめていたのは自分だと知り、人を責めたり出来る人間でなかった、地に足つけて生きてこなかったと知りました。自分と向き合う事をしてこなかった自分にとってとても苦しかったです。

自分が手にしてる幸せを喜ぶ事をしなかった。
感謝の気持ちもなかった。
わがままで自分勝手な人間だったと思います。

自分の喜びを当たり前に思い、人を羨ましく妬ましく思った。
自分はそうなれない事に陰った。
それを自分の環境や、結婚してからは夫のせいにしてきました。

自分のカルマは具体的に知らないですが、これまでを考え、私の宿題は、今を喜ぶ、今の自分を喜ぶ、感謝する、という事だと思ってます。


更に、自分の思い通りにしたくて、人を傷つけたり苦しめてきたと思います。自分の思いが精一杯で人の気持ちを考える事が出来なかった。人として考え選択する事が出来ませんでした。

もう謝罪出来ない事もあるし、取り返せない言動もある。

地上を離れ人生を振り返る時、沢山の愛に満たされていた感謝と、なのに不平不満ばかりの自分の愚かさと、その為に傷つけてきた人の思いも知ることになるので、辛く苦しい作業になると思います。

今出来るのは、その事に地上で生きてるうちに気づかせてもらえた事を大きく喜んで、「自分らしい自分」「役に立てる自分」として感謝して生きていく事だと思っています。それが償いにもなるのかなと思います。

この数年はそれを目指してきたつもりですが、疎かにしていたり出来てない事が多いと今回思いました。今地上を離れたら、「分かっているのにしなかった」という事になると思いました。
それは何も知らない悠々塾に繋がる前よりも、悔いる事になるだろうなと思います。

○自他の喜びを実現するために努力したかどうか?

悠々塾で学び始めてからは、自分もみんなも幸せに!と、そのために自分を変えていく事を頑張ったと思います。おそらくどんな時も前向きに自分を変える努力はしてきたのではないかな…と思います。自分を変える事は一番の喜びと思っているからです。

「そうなれて良かったね」と言ってもらえると思いますが、もっと違う努力も出来たのではないか?と問われると思います。

良かれと思っている事や相手を思ってのことが自己満足や自分なりであったからだと思います。目の前の事しか見えず物事を大きく捉えたりゆったり構える事が出来なかったからと思います。

出来た事もあります。自分は性格を捻じ曲げてきたと自覚があったので、その自分が役に立てる事は何もないと思ってきました。
だけど、めちゃくちゃだった自分だから、人の心に寄り添える事も少し出来るようになったかもしれません。
それは嬉しいし、良かったね、と言ってもらえそうです。


・愛に基づいて、出来事や人間関係に対処してきたかどうか?(愛は見返りを求めません)

こういう自分でいたら愛してもらえるのではないか、と、太刀振る舞ってきた事はあります。今もまだそうなのではないかと思う時があります。

だけど、助けが必要な人には見返りを求めず愛に基づいた言葉や行動が出来る、必死になれる、そんな面もあるかなと思います。
そう出来る自分になれたのは、そんな風に生きる人達と関わる事が出来たからです。
私は出会う人に恵まれていること、ほんとに嬉しく思ってます。


・他者・他の生命に喜びをもたらしてきたかどうか? 喜びをもたらそうとしてきたかどうか?
(本来の喜びとは向上進化の喜びですが、楽しさや嬉しさも喜びに含まれます)

喜びをもたらせたい、という気持ちは常に持っていると思います。でも喜びをもたらせたことは多くない気がしています。地上を離れてからは、他者から喜びや嬉しさを与えられるばかりだった事を知って、いっぱいの感謝と、そして至らなかったな…と思うと思います。



・真実・本当のことを大事にしてきたかどうか? (自分の損得や自分なりの気持ちで事実・真実を歪めることがあるのなら、謝罪と共に事実・真実に立ち返る喜びに帰着してください)

自分にとって都合の良い方を真実と思っていた事もあったります。 

真実を捻じ曲げ、自分は悪くないと気持ちを逸らした事もあります。嘘をついてしまって人を傷つけた事あり、損得が働き無関心でいた事もあります。自分だけが可愛く、自分さえ良ければいいという気持ちからだと思います。

こういった面はもうないと思っていましたが、テーマを考えていくうちに、私にはまだこういった面は今もあるのでは?自分に都合よく考えたり、損得を考えたりしていないか?と思いました。

でも少しだけど地上で真実に基づいて出来た事は、誰かの魂や心が真実から大きく離れ危険だ思ったら躊躇せずに言動する、その時は損得勘定も消えて言動する事ができた。

悠々塾で真実や正しい事を学んでから、そんな事が出来るようになってきたと思います。そんな強さも欲しかったので嬉しいなと思います。

振り返りでは、こういった面がもっと成長出来れば良かったねと言われると思います。


この数日は胸の苦しい時間でした。
改めて自分の心や行いを見つめ直したからもありますが、痛い思いをして気づけた事なのに実践出来てない事が沢山あったからです。嫌になる程にだらしのない自分だなと思います。こういった自分も地上を離れて考え直す事になるなと思います。

でも、こんな自分でもきっと風穴を開ける役に立てるのでは、と思っていてます。
自分らしく生きたいと思ったり、一生に一度でも精一杯生きる事をしてみたいとか、誠実に生きてみたい、人として恥ずかしくない生き方をしたいと思っている。

獣そのものだったあの私がそんな事を願っているのは、自分にとってとても大きな一歩だったと思うからです。その切り替えで少しでも地上に波が立ってくれていたら…と想像して自分の存在が嬉しくなる時があります。

そう信じながら「一歩」を喜んでいきたい。半霊半人を目指して、意志と意欲を高めていきます!
ここまできたら諦めるとかないです。
これからも自分を役立てる喜び、向上進化の喜びを膨らませていきます。

28/07/2025(月) 09:25:02


No.42856  ちづこ
Re: 7月 28日 月曜日 引用
定例会ありがとうございました。
皆さんのお話聞かせてもらって、ありがとうございました。
まゆみさん、おばあちゃん、藍ちゃん、美味しいお料理、いつもありがとうございます。
イッシンさん、オレンジさんありがとうございました。感動しました(涙)
みゆきちゃん、畑のこと、お野菜もありがとう。

一部では手を挙げて話せなかったです。自信もないし、人前で話すのがなかなかできないです。守らなくていいんだと思おうとするのだけど、話せませんでした。

テーマについて書きます。

わたしは、自分の側からしか物事をみれなくて、とても歪んでました、今もやけど今よりずっとそんな人でした。
人の気持ちや立場、背景を思うことは少なくて、いつも自分の気持ちが中心で、そこが基準で、生きてきたと思います。
与えられていることに感謝しない、自分が得たい、自分に集めたいと思っていたと思います。
なので、たくさんの人を傷つけてしまっていました。
嘘もついたし、人のことを羨ましく思ったり、人を悪く言ったり思ったり、自分を正当化したり、傲慢だったり、嫉妬もあります。ずるいし、うまく立ち回ろうとしたり、いっぱいあります。自分の思い通りにしたいと思うのも、強かったと思うし。今もまだあります。

今までで、気づけてるところもあると思うけど、気づけてないところもたくさんあると思います。気づけてるところは、謝れる人には謝り、できないところは心で謝り、そんな自分を繰り返さないようにしようと思っています。

・自他の喜びを実現するために努力したかどうか?

努力しようとしたかもしれないけど、自分なりがベースだったのでは、と思います。

・愛に基づいて、出来事や人間関係に対処してきたかどうか?

出来たこともあるかもしれないけれど、出来てないことを思い出します。いまだに人間関係では、波風を立てないようにとか、嫌われないようにとか、思ったりしてしまいます。

・他者、他の生命に喜びをもたらしてきたかどうか?喜びをもたらそうとしてきたかどうか?

喜びをもたらそうとしてきたところもあると思うけど、それが自分なりだったり、その人にとってそれが喜びになったのかなぁと思います。

・真実、本当のことを大事にしてきたかどうか

大事にしてこなかったと思います。世の中の出来事にも無関心だったり、しんどくなるから見ないとか。けど、今は、知りたいし、大事にしたいと思っています。

悠々塾で学ばせてもらって、今もまだまだだけど、以前の自分と比べると、進めているし、そこを感謝して喜んで、またここから進んでいきたいです。
わたしも悠々塾と繋がってなかったら、どうなってただろうと思います。
飯沼さん、克子さん、皆さん、ありがとうございます。
まだまだですけど、半霊半人に近づいていきたいです。
もたらされる練習問題に感謝して、やっていきたいです。
自分にも他人へももっと大きく温かい眼差しを向けて、喜んでいきたいです。

28/07/2025(月) 15:15:33

No.42857  飯沼正晴
Re: 7月 28日 月曜日 引用
きんもくせいさん、やすこさん、ちづちゃん、さっそくの書き込み、ありがとう!

特にちづちゃんの書き込みで思ったのですが、地上を離れてから「どんな自分として地上で生きたかったか? また地上に再生するとしたら、今度はどんな自分として生きると意志するか?」も書き加えてくださいね。

これから書く皆さんもそこを着地点にして書いてくださいね。

あおやまさんはこれからも悠々塾で共に学び共に働いていく意志と意欲があるのなら、定例会翌日の自分の言動もしっかりと振り返り(個人名は出す必要はありませんが)、テーマに則して自分自身の問題として本気で書いてください。
日曜日の様子を見たら、「あおやまさんは何のために定例会に参加しているのか?」と思ってしまいます。
今までも同じことを何度も伝えてきましたが、それでも相変わらず今まで通りの自分のままで、陰りの気持ちを軸にしていくつもりならば、この際はっきりとそう言ってください。

今の地上に生きていれば、気持ちが陰ることは誰にもあると思います。
それは致し方のないことでしょう。
それをできるだけ速やかに喜びに切り替えて、言動で表現していくことを私たちは学んでいるのです。

自分なりの気持ちを軸にして、自分なりの都合や自分なりの気持ちで自分の陰りを正当化し、「自分の気持ちを分かってもらえない」と怒りをまき散らし、そういう自分を切り替えようとする気がないのであれば、何のために定例会に参加しているのかと思ってしまうのです。

誤解しないでほしいのですが、私はあおやまさんを責めているのではなく、やる気があるのかないのかを尋ねているのです。

28/07/2025(月) 17:26:06

No.42858  なみ
Re: 7月 28日 月曜日 引用
定例会ありがとうございました。
今回は1部だけの参加でしたが、皆さんのお話を聞くことができて、よかったです。ありがとうございました。

今回のテーマについて

今自分が死んだら、いかにたくさんの人に支えられて生きてきたか、どれだけ愛を向けられていたのかを知って、感謝の気持ちでいっぱいになると思います。

また、自分にとって嫌な人、嫌な出来事、すべてが自分がしてきたことの埋め合わせであり、向上進化するための学びであり、とてもありがたいことだったのだと分かり、嫌だと思っていた人も愛をもって自分の成長を促す役割をしてくれていたのだと思うと、感謝の気持ちであふれると思います。

そして、今度は自分の至らなさや不十分さと向き合い、家族や出会った人に申し訳ない気持ちがわいてくると思います。
今世で解消すべきカルマを解消できないままで、たくさんできなかったことを後悔すると思います。


私は自分自身を喜ぶことができませんでした。

人に心を開いて、素直に自分の気持ちを表現すべきでした。

特に父、母、弟には感謝の気持ちや相手を認めたり評価したりする言葉や態度をもっと表現できたはずなのに、そういう場面はたくさんあったのにできませんでした。
不満や否定ではなく、思いやりのある温かい言葉をかけるべきでした。
悠々塾と出会い、そのおかげで家族の不調和は、子供の頃に比べるとはるかに調和に向かうことができました。
父との関係も随分よくなりましたが、弟に対して、私はある時期から違和感を大きくしました。
どんな理由があっても、人としていけない思い方や言動だったと思います。
もっと理解し、大きく受け入れるべきでした。
弟のことを背負う自信がなく、逃げようとしていました。
温かい眼差しで弟のためにできたことがたくさんあったはずです。

主人のことも、もう自分ではどうすることもできなくなって、彼から心を離しました。
彼を否定して、自分の感情をぶつけて、彼を助けようとはしませんでした。
彼の子供の頃のことや彼の気持ちをもっと理解して、彼を受けとめることができたはずなのに。
私にできることがあったのにしようとしなかった。
あの頃、娘に愛情が向き過ぎていたことも申し訳なく思います。
嫁ぎ先から口止めされても、やはり重大な事実を両親に話すべきでした。
こんなことになるなんて思いもしませんでした。私はとても未熟でした。

自分がどう思われるかを基準にして言動していたことに気づけないまま、相手に真っ直ぐ気持ちを伝えることができず、心を通い合わせることができなかったことも悔やまれると思います。
不安ばかりで、今を喜ぶことができなかったことも、もっと相手に愛を持って接することができなかったこともです。

物事を明るく捉えることができず、生きる意欲を持てないときもありました。
人に頼りにされることや必要とされることがあっても、自分の自信のなさから逃げたり、積極的に動くことができませんでした。
自己中心的なところもあったと思います。それで人を傷つけたこともあったと思います。

もっとほかにもたくさん過ちや至らなさはあると思いますが、きっとこうやって一つ一つ向き合うことになるんだろうなと思います。

・自他の喜びを実現するために努力したかどうか?
・愛に基づいて、出来事や人間関係に対処してきたかどうか?(愛は見返りを求めません)
・他者・他の生命に喜びをもたらしてきたかどうか? 喜びをもたらそうとしてきたかどうか?

悠々塾に出会ってからは、自他の喜びを実現するために努力したこともあります。見返りを求めるのではなくできたこともあったけど、他者・他の生命に喜びをもたらそうと頑張ったこともあるけど、やっぱり自分を軸にして、自分の気持ちや都合を優先させていたことが多かったと思います。
振り返ってみて、そう思います。

・真実・本当のことを大事にしてきたかどうか? 

大事にしてきたと思っています。思い込みや勘違いをしていたこともあると思うけど、本当のことに気づけたときはそれを大事にしてきました。
ちづちゃんの投稿を読んで気づきました。世の中の出来事とか、私も無関心だったり、ちゃんと真実を知ろうとしなかったりしたことがあります。そういったところでは大事にできていなかったと思いました。

もう同じことを繰り返さないように変わっていきたいです。
自分の損得や気持ちや都合を優先しないで、関わる全ての人を大切にして、喜びをもたらせる人になりたいです。
嫌な人も嫌な出来事も償わせていただく喜び、向上進化の喜びにして、どんなことにも感謝の気持ちを持って生きていきたいです。
自信のなさから逃げるのではなく、自分にできることはさせてもらおうという気持ちでこれからはやっていきたいです。
ここからまた生き直すことができる、その機会が与えられているんだと思うとありがたいです。
残りの人生を悔いのないようにしたいです。

28/07/2025(月) 18:57:39

No.42859  ミスター
Re: 7月 28日 月曜日 引用
皆さま、定例会ありがとうございました。

67歳、私も地上人生の終盤に差し掛かっている。
飯沼さんのお手本を読んで、長い長い働きの中で多くの関係者、仲間、仲違いした人までに感謝すると。
私はもちろん身近な家族には感謝と肉体で接することができなくなる残念さは湧いてくるけど、その他に?
転勤族を割り引いたとしても私はずっとその時その時の今だけを生きてきたんかと情けなくなった。

人生を振り返って、まずは11歳でニューヨークに渡り、公立の小学校に編入。当時なので人種差別も激しく、身体が小さいことのハンディがあって。日本では後ろから2番目くらいだったけど、大きいやつに凄まれると逃げるしかない。

今自分の心に手を突っ込んでみると、この頃に、何かあると現実から逃げる癖がついたように思う。
帰国してからは高校受験、大学受験。
受験のための勉強で、将来何がしたいからではない。
大学に入っても頭の中はすっからかんで、何がしたいから何を勉強するでなく、出席で単位が取れる授業に出席するだけ。親父と同じ文系サラリーマンになる道しか頭になかった。
手先が器用なのでのちには何かの職人になっていたらどうだったんだろうと思うけど。

あまりに幼稚だったこの時期までのこと、地上を去った時にどのように振り返ることになるのかわからないが、興味深く、謙虚に謙虚に聞いてみたい。

42年の文系サラリーマン。
思い出すが試練はたくさんあった。40歳頃自分の心も壊れた。
反面教師にした上司もたくさんいた。
それでも逃げ癖はあったし、忖度迎合はして、正面から対峙することは多くはなかった。言ってみればそういう文化の業界だった。

幼稚な自分が選んだ業界なので自業自得。それでも心を壊していても辞める選択はなかった。しがみついていた。
その後当時の同期会など出たこともあるが、何だか表面的で合わないなぁ。と思う。

終盤は、仲間への愛情をベースにした仕事をやってきたとは思う。けど、転勤でメンバーも自分も一定期間でお別れするわけで、何かが残ったのか?

自分もその文化にどっぷり浸かってきたくせにこうして振り返っていることを霊界でどのように評価されるのか。

かたや、一番の反省。多くは言いませんけどその間一番身近な家族との距離、単身赴任の糸切れ凧。後悔と謝罪と懺悔。

第二の職場も9年勤め昨年退職。
時間もでき、地元で、地元の困った人のために活動したいという気持ちが湧いて動き出した。悠々塾、そしてドネと関わってきたからこその思い。
そして1年前に隣町のNPOとの出会い。

関わる人に少しでも幸せを感じ、喜びに繋がるように。そういうマインドの人たちの集まり。設立して20年経つので、当初からの会員の子女も入ってきていてこの後もきっと受け継がれていく。
私はきんもくせいと一緒に、子ども食堂の全般、日本語教室。
また、外国籍の人の生活の困りごとのサポート、補助金助成金の申請はじめ、資金調達などの仕事をやっています。これまでの経験も生きていると思う。

見返りを求めず、地元社会に貢献する、困った人を支援する。
もやもやと自分が求めていたことだと確信しています。
組織ではあるけど、会社とは全く違うフラットな関係が心地いい。

私も数えてみたら悠々塾に繋がって15年くらいになりました。
飯沼さんに10年ほど前に壊してもらってからの自分は少しは変わったと思う。

・自他の喜びを実現するために努力したか。
都度都度何が正しいか、何が人として優しいか、自他の喜びを考えてから行動するようになった。と思う。
言動と言えないのは、気持ちを言葉にすることが不十分・苦手だから。
言わずもがなですが楽しさ嬉しさの演出は苦手。

・愛に基づいて出来事や人間関係に対処してきたか?
上に書いた通り、サラリーマン人生の後半は仲間へ愛情を注いできた。
今NPOの代表を見ていて、本当に愛情深い人だと思う。
経済的に困っているから支援するだけではなく、自立をさせるために私たちが何をするか、本人に何をさせるべきかをいつもグルグルと考えておられる。
本当の愛のある支援には経験値が必要だと気付かされている。見習いたい。

・他者、他の生命に喜びをもたらしたか?
釣り愛好家としてどうなんだろう。
魚の命を頂戴したからには、感謝と共に頂く。周りにも振る舞いますけど。

第二の職場での3年くらいの頃、脳腫瘍で亡くなった、会社と社員を誰よりも愛したすごく魅力的な人がいた。
2度目の入院中彼の家族が「本人はこんな姿になって恥ずかしいだろう」と面会を制限していた。
私は会社側の窓口だったが、社員もそうだし、本人もみんなに会いたいと思う。
お見舞いを許可して欲しいと懇願した。
家族が聞き入れてくれた結果、毎日何十人もお見舞いに行った。
大勢の社員たちが彼に沢山の感謝の言葉をかけた。
きっと地上を離れる前に彼に喜んでもらえたんじゃないかと思う。

・真実、本当のことを大事にしてきたか。
自分なりの気持ちで事実を歪めた。
これはあったはず。逃げ体質で、大小なかったことにしたことはたくさんあります。これからの地上人生はとくにこのことを肝に銘じて生きたい。

近年風穴ドリルの先端と言われ、意識はしているが、どうすればいいのかはわからない。
克子さんから自分の人生を振り返り、自分のように恵まれた人生を得ることのできない世間の人たちの思いを想像してみることから始めるように、と伝えていただきました。
NPO活動を通して社会の歪み、格差、あるいは外国籍の人たちの現実をより近くで見るようになりました。
少しでも困難を抱える人の助けになるよう頑張ります。

28/07/2025(月) 20:42:26

No.42860  ぽんた
Re: 7月 28日 月曜日 引用
定例会、ありがとうございました。
課題は大変で気も足も重いし、遠いし疲れるし、それでもどうして行かずばなるまいと思うのか。でもそんな力不足の私を受け入れてくれる素敵な仲間たち、美味しい野菜のお料理の数々と優しい音楽、そして飯沼さん率いるエネルギー場にいつも癒し喝を入れてもらって、帰り道ではまた次も来ようって思うのです。
みなさん、ありがとうございました。

テーマについて。

「自分が今、地上を去ることになれば」
新幹線の中で、今事故で死んだらと考えました。突然の死の衝撃はさておいて、家族や親しい人たちへの思いに打ちのめさせると思いました。
それから、自分のことを自分以上に知っている誰かとの対面を、私はどんな顔をして迎えるのだろうかと少し怖くなりました。

「自他の喜びを実現するために努力したかどうか」
喜びという言葉の意味がよく分からなかった時に比べれば、今は誰かや自分の喜びに向かえていると思います。辛いことの中にもある喜びに気づいてからは、とにかく喜びを実現する努力の大事さがわかって、それはこの人生の功績だとは思います。でもまだその入り口なので十分ではありません。本当にまだまだすぎて恥ずかしいです。

「愛に基づいて、出来事や人間関係に対処してきたか(愛は見返りを求めません)」
喜びの意味がわかっていなかったくらいですから、愛についてもとても未熟な自分なりの思いで考えてきていたと思います。見返りを求めないような深い愛で出来事や人間関係に対処してきたかと問われたら、もちろんそういう事もあったとは思うけど、まったく十分ではなかったです。自分が傷つきたくないから見返りを求めないようにしてきたという事もあるかもしれません。

「他者、他の生命に喜びをもたらしてきたかどうか、もたらそうとしてきたかどうか」
誰かの喜びを目的として意識してその喜びをもたらしてきたかは、とても不十分だなあと感じます。
誰かに喜びをもたらしたいと努力することと、ただ自分の自己満足で自分の喜びのためでしかないこと、その境目がわからないままどっちなんだろうと考える事もあります。
ただ、誰かに喜びをもたらさないと自分も喜べない、幸せになれないのは真実だということははっきり学びました。

「事実・本当のことを大事にしてきたかどうか?」
あからさまな嘘をつくようなことはなくても、自分の都合のよいような話や理屈を集めるということをしていました。それから最近気づいたのですが、「これは分かってもらえないだろう」ということには口をつぐむ癖があると思います。ごまかすというのとは違うけど、諦めというか、自分にとっての本当の事を誰かに分かってもらうための努力が、まるで足りてなかったようです。お互い理解し合うという喜びに背を向けていたのかと思うことがありました。これは、事実や本当のことを大事にしていないことの一部だと思います。

こうして考えると、悪人ではないにしても曖昧で不十分で、地上人生が今終わるととても困ることになりそうです。このテーマを考えることはとても気が重いものでした。自分では気づくことができなかった不十分さが山ほどあると思うとし、本当は気づいているのに気づいていないふりをしていることもあるのだと思うと、正直恐ろしいです。
でも、やっと気づくことができたことは大事にしていきたいです。
やり足りてないことばかりなので、思いついたことは迷わずどんどんやっていきたいと思います。この一年はそう努力してきました。そんな自分でいられるのは、悠々塾という場にいさせてもらえているから。これからだと思っています。もし生かせてもらえるなら。

28/07/2025(月) 20:48:37

No.42861  祐造
Re: 7月 28日 月曜日 引用
定例会、ありがとうございました。

今回のテーマです。
定例会前に書いていたものを、そのまま投稿します。

僕は最初の地上人生で働きを放棄して、働きから逃げてしまった ―—―とメッセージで伝えられています。
今生でも、ドネの出発のときにまた同じ過ちを重ねてしまいました。
今はそのことのやり直しの途中、マイナスからやっとゼロまで戻って、これからが本来の自分らしく貢献・働きに邁進するべきシーンだと思っています。
それがカルマを踏まえた、魂の意志だと思います。
2年前からさきさんと一緒に暮らすようになり、(母親が施設入所となったこともあり)働きの準備・環境は整っているのに、思うようにできていない、というか本気で働こうとしていない、そう成れないでいます。
今まで通りを越えて本来の自分らしく働きに邁進したいなら、「そうすればいい」のですが、それがどうにも重くて出来ずにいます。

だからもしも今、自分が地上を去ることになれば、死後の自分はきっと大きく後悔すると思います。
全力で働き、風穴をあけるために地上に赴いたにもかかわらず、何を昼寝ばかりしていたのかと…。
せっかくさきさんと共に暮らしているのに、なぜもっとさきさんとたくさん話して、相談して、意見を聞いて、そして心を動かそうとしなかったのか?
掲示板では「愛は時空を越えて」などでたくさんのヒントがあり、道が示され、どうしていくべきかを伝えてもらっているのに、なぜもっとそれらに沿って生きようとしなかったのか?
そんな後悔の思いになるのでしょう。

それをふまえて、ではどういう気持ちに切り替えていくのか。
「何かやろうとすると、また周りの人たちに迷惑をかけるかも知れないから…」は、それだけではなくて、「また自分が嫌な惨めな思いをしたくない」からでもある。
また「自分には出来ないまた失敗するに決まっている」という思いが染みついている。
出来なかった・失敗したことばかりではないし、出来たこともあるのだから、
出来なかったことばかりを見ずに、出来たことも思っていく。

以前の飯沼さんの書き込みを思い出して読みなおしました。↓↓
>自分の現状や自分の思いを軸にして、思いを濃くするよりも、「全ては向上進化の喜びの中にあって、もたらされることの全ては理屈や自分の気持ちを超えて、ありがたいことなのだ。それが摂理なのだ」と割り切ってしまう方が、次のステージに進みやすいように思います。
泥沼の中で身動きできずにもがいている自分を見るのではなく、そこから脱出して清水で心身を浄めてさらなる喜びぬ向かって歩んでいる自分を見るのです。
だって、そのために泥水の中でもがいているのですから。<

重くて動けないでいる自分を暗い目で見続けるのは止めて、働きに邁進している自分、貢献している自分をイメージします。
喜びベースに組み込みます。


・自他の喜びを実現するために努力したかどうか?
気が緩むと自分大事に傾きがちな傾向があるのですが、ありがたいことにドネに関わるなかで「自他の喜びを実現するため」の方向に向かいつつある気がします。

・愛に基づいて、出来事や人間関係に対処してきたかどうか?(愛は見返りを求めません)
人に対する好き嫌いはあったと思います。
気の合う人には比較的そうし易いのですが、苦手な人・嫌な人にはとてもそんな対応はできていませんでした。
「もたらされることはすべて喜び」ならば、ありがたい練習問題だと思い替えるように、喜びに向かうようにします。

・他者・他の生命に喜びをもたらしてきたかどうか? 喜びをもたらそうとしてきたかどうか?(本来の喜びとは向上進化の喜びですが、楽しさや嬉しさも喜びに含まれます)
基本的に「人に喜んでもらえること」は、嬉しいことなので、自分の気に入らない時は別として、自分の出来る範囲ではわりと喜びをもたらそうとしたと思います。
でも自分に損得が大きくからむとき、自分の大事が出てしまうと思います。
貢献の喜び、お互いの喜びを意識していきます。

・真実・本当のことを大事にしてきたかどうか? (自分の損得や自分なりの気持ちで事実・真実を歪めることがあるのなら、謝罪と共に事実・真実に立ち返る喜びに帰着してください)
変に自分を守ってしまうときや、ちょっとした見栄で話を盛ってしまったり、そんなつまらない自分がありました。こうして照らされると恥ずかしいことだと思います。
真実・正直を大事に、自分を守らないこと、神の子として生きようとすることが、実は一番守る必要すらないことなのだと、そんなふうに生きたいです。


定例会後の追記
・地上を離れてから「どんな自分として地上で生きたかったか? また地上に再生するとしたら、今度はどんな自分として生きると意志するか?」
全力で正面から課題に挑み、自分の持てる力を全て発揮して、自他に喜びをもたらして生きたかった。
また地上に再生するとしたら、今度はそんな自分として生きると意志すると思います。
(今この追記を書いていて、なにか涙が出そうになりました。 魂の意志に近いのか、今の自分がそこからあまりにもかけ離れているからなのか、その両方なのか…)

28/07/2025(月) 22:20:50

No.42862  Bさん
Re: 7月 28日 月曜日 引用
定例会、いつも以上に集える喜びに満ちあふれ、幸せをいっぱい享受させていただきました。
飯沼氏、まゆみさん、さきさんはじめ、皆さん、ありがとうございました。

今回のメッセージには本当に出た!って感じでしたが、ここに至ってそうかなるほどと合点できました。
定例会当日、お話したことと重なりますが、以下投稿します。

「もしも今、自分が地上を去ることになれば、死後の自分はどういう道筋を辿るのだろうか?」

今まで生きてきた中での様々な愚かな行いや至らなさに、きっと赤面して顔(があるかどうかはわかりませんが)を覆いたくなるだろうと思います。(霊界では姿は見えず顔もないのかと思っていましたが、そうではないそうです)
でも、愚かさや至らなさいっぱいではあったものの、頑張ってきた自分もあると思うので、ほっと胸をなでおろす場面もあるかもです。

・自他の喜びを実現するために努力したかどうか?

それなりに努力してきたように思うのですが、家族と自分を守らんがための頑張りが過度になった傾向もあると思います。
相手にとってはやりすぎであったり、甘えを助長することになったり、突き放すことも大きな愛情だし、その時点では嫌われても突き放すことで将来より大きな喜びになることもあるわけですが、その加減というか考えが及ばない愚かな面があると思います。
というか、やはり自分が可愛くて嫌われたくない思いから甘くなるようです。つまり、自分に甘いということだ思います。

・愛に基づいて、出来事や人間関係に対処してきたかどうか?(愛は見返りを求めません)

これもたぶんそれなりにやってきたように思いますが、なんせ、家族以外、常に怖がりながらの人間関係でしたから、そのつもりでもどこか歪だったかもしれません。
それに、見返りを全く思わなかったとは言えません。
全てではないですが、心のどこかにずっこいものが潜んでいることもあったと思います。

・他者・他の生命に喜びをもたらしてきたかどうか? 喜びをもたらそうとしてきたかどうか?(本来の喜びとは向上進化の喜びですが、楽しさや嬉しさも喜びに含まれます)

自分を励ますためなのか誤魔化すためなのか、その両方だと思いますが、精一杯笑顔でいたと思います。これが他者の生命に喜びや楽しさをもたらしたかどうかはよくわかりませんが、少なくとも家族に対してはいつもそうであったように思います。

他の生命(犬と猫)に関しては、二点大きな悔いが残っています。ごめんなさいとしか言えません。

・真実・本当のことを大事にしてきたかどうか? (自分の損得や自分なりの気持ちで事実・真実を歪めることがあるのなら、謝罪と共に事実・真実に立ち返る喜びに帰着してください)

私が悔いなければならないのはこの点だと思います。
自分を守るために自分をも誤魔化しながら生きてきました。
その点では誠実ではなかったと、この年にして漸く人にとって誠実さはとても大切なもので重要なことだと気づきました。

いろいろあった割には人を恨んだり憎んだり毛嫌いはあまりしたことなく生きてきたつもりでしたが、バトルの時はプライドが許さず、なんでそこまで言われなあかんねん!の思いが強かったです。
なんのプライドを持っていたのか、家族と自分を守りたい思い強く、人とかかわるのが怖くて、持てるようなプライドなどないのに、プライドを鎧として自分を守っていたんだと思います。

事情はあったにせよ、自分なりのずっこさをきっちり身に着けてきたと思います。
幼い時から見て見ぬふりをする周りの大人に対する「なんじゃい!」という反発心を心のうちに積み重ね、それが歪んだずっこさになったようです。
なんじゃい!の気持ちはあったけど、その人たちを恨んだり憎んだりしたことはなく、その点は救いだったと思います。ある意味、大人の身勝手さを冷静に捉えてたと思います。

改めて振り返ると、ずいぶんと誠実さに欠けるいい加減な生き方でした。
とことん誠実であれば、どこまでも気持ちが軽い!と気づいたのは、ついこの間のことですから。恥ずかしながら、この年にしてです。

不誠実なことをしてしまったら、他人はそのことを知らなくとも、己は知っているわけで、それを重荷としてずっと背負って生きていかなきゃいけません。
内なる魂、内なる良心に背く行いはいくら誤魔化しても誤魔化しきれない。
だって知ってるんですもんね、自分がしてしまったことを。あるいは何もしなかったことを。
とことん誠実であれ!と、いまは自分に言い聞かせています。
まだまだいい加減ですけどね。(笑)
笑ってる場合じゃないですね。

カルマについて、よくわかりませんが、
子どもの頃に幼い妹との別れがあったり、その後もずっと家族のことで辛い思いをする人生だったので、前世か前々世かでは自分が家族を辛い目に遭わせたのだと思います。
愛する者との別れは二度としたくないです。
その分、いいか悪いかは別として、求める愛情が濃いというか深いというか、そういう面はあったと思います。

どういうわけかわかりませんが、幼いころからいろいろ問題を抱える家だからこそ、私はこの家に生まれたんだという思いがありました。
担う覚悟の上のこの世だったのかもしれません。不思議です。

いろいろあった両親ですが、優しさやあたたかさを持つ両親でしたから、何とか守りたい、幸せにしたいとずっと思っていました。特に母に対してはその思いが強いです。

子どものころから大変やった私ですが、それを知っている母方の叔父や叔母が、地震の時に家を失した私に対し「またなんで○○ちゃんが苦労せなあかんの?」と言ったくらい、いろいろ背負ってきたと思います。

でも、地震で全てを失いましたが、結構苦難を跳ね返す底力が私には備わっているようです。
誰にかはわかりませんが、守られているなと感じています。

赤面することはいっぱいだけど、喜怒哀楽、まずまずの人生だったように思います。
いまここに辿り着けたから言えるのかもしれません。本当に有難いことです。
いいことも悪いことも、すべてに感謝しています。

そして、ここに辿り着けたという幸せに満足せず、皆さんとともにエネルギーを高めて蟻の一穴であっても、そこはバシッと決めてからあの世へいきたいです。

皆さんに感謝するとともに、これからもどうぞ、よろしくお願いいたします。

28/07/2025(月) 23:13:46

No.42863  久美
Re: 7月 28日 月曜日 引用
定例会ありがとうございました。
今回のテーマを考えていましたが、心がまとまりませんでした。
ですが、みなさんの真剣に自分と向き合う姿に心打たれて、長年、自分の心の奥にずっとあった思いがこみ上げて来ました。
それは、なかなか自分の心を開くことができなかったり、自分なりになって歪んでいることにも気づかずに、或いは自分なりで歪んでいるような気がしても、その歪みが現実のように思えてしまったりして、人を傷つけて来たんじゃないか?ということです。
本当に申し訳ないです。
今でも、心が上手く開けなかったり、自分なりで歪んでしまうこともあると思います。

テーマについて(前後してしまいますが)
〇真実、本当のことを大事にしてきたかどうか?

自分は真実、本当のことを歪めてしまっていたと思います。
本当のことを大切にしながら生きていきたかったので、今度地上に再生するとしたら、もっと心を大きく開いて、何が真実かをしっかり見極めながら生きていきたいです。

〇自他の喜びを実現するために努力したかどうか?

私は小さい頃から、姉の病気のこともあり、家族に元気がないことが多く、何とか笑って欲しくて、喜んで欲しくて、小さいながら頑張ってきたつもりでした。
でも、理不尽なことがあると、どうしても怒れて来てしまう・・・怒ることで、何とか自分を守って来たようにも思います。

ですが、悠々塾と出会ってからは、姉の気持ちのことをもっと考えるようになりました。
ですが、やはり理不尽なことをされると怒れて来てしまう・・・の繰り返しでした。

数年前に、私自身の心の調子がかなり悪くなり、生きていくことがギリギリのような苦しい状態が続きました。
私は、こんなにも苦しいのか・・・と想像を絶する苦しさを、自分の身をもって経験させてもらったように思います。

そして、その数年後に、姉と母の辛い出来事があったのですが、私は自分自身の辛かった経験があったからこそ、二人が少しでも楽になるように、喜んでくれるようにと必死になったように思います。
辛くなかったと言えば嘘になりますが、ふたりが少しでも楽になったり、喜んでくれることがとても嬉しかったです。

まだまだ不十分で出来ていませんが、昔より喜びを実現しようと思う気持ちが大きくなったし、そうすることが自分の喜びになって来たように思います。

私は人の気持ちにもっと寄り添えるように生きたかったので、今度地上に再生する時は、みんなが幸せになれるように、こちらから大きく手を伸ばして、相手の気持ちに寄り添って行けるような生き方をしたいです。

この気持ちは、飯沼さんと克子さんの初めての直接ヒーリングで教えてもらった、私の魂の意志でもあるようです。
「人は思っていることと逆のことを表現(言動)したりしてしまう。なので、こちらから手を伸ばそう。」と意志して来たと言われました。

〇愛に基づいて、出来事や人間関係に対処してきたかどうか?(愛は見返りを求めません)

私は昔から、正しい間違っているを基準に物事を見てしまう傾向があったのですが、もちろん今もあると思いますが、自分が苦しい経験をしたことで、苦しい状態の人には、そういう思いを越えて寄り添いたい自分がいます。(苦しい人が間違っているという意味ではありません)

昔から、母に認めてもらいたくて(見返りを求めて?)、頑張るという傾向があったように思いますが、苦しい状態の人に寄り添っている時は、ただただ力になりたいの気持ちになっているように思います。

ただ、まだまだ自分なりになってしまうことも多いと思います。

今度地上に再生するとしたら、いつも無条件の感謝の気持ちで(愛に基づいて)対処できるような、そんな自分で生きていきたいです。

〇他者・他の生命に喜びをもたらしてきたかどうか?喜びをもたらそうとしてきたかどうか?(本来の喜びとは向上進化の喜びですが、楽しさや嬉しさも喜びに含まれます)

先ほど話したように、昔に比べて、喜びをもたらしたいという気持ちは大きくなっているように思います。
でも、まだまだ狭い範囲でしか動けていないし、実際にどれくらい喜びをもたらしてきたか・・・といわれると、まだまだだと思います。

喜びをもたらせることは、やっぱり喜びなので、また地上に再生するとしたら、みんなが向上進化できるように、もっともっと喜びをもたらしていけるようになりたいです。

家族のことで、理不尽だなと感じたり、腹の立つこともあったと書きましたが、克子さんの言われるように、過去世のカルマの贖い・償いなんだと思います。
そして、向上進化するための学びでもあり、とてもありがたいこと。
そう思ったら、全てはカルマ解消の喜びだし、向上進化の喜び。
もっともっとそこに意識を向けて、全てを喜びに、全てに無条件の感謝の思いを向けて行きたいです。

29/07/2025(火) 00:36:33


No.42853 飯沼正晴  
7月27日(日曜日) 引用
昨日の定例会に参加してくださった皆さん、お疲れさま&ありがとうございました!
参加できなくてもお心を向けてくださった皆さん、ありがとう!

今回は少し難しいテーマで、定例会メッセージに沿いきれていない面もあったように思います。
でも、「霊的視点で今回の自分の地上人生を振り返り、向上進化の喜びに向かう意志と意欲を高めていく」という意識の作業そのものが大きなエネルギーを発生させるようで、冒頭の共鳴から今までとは違う力強さを感じました。

一人一人もエネルギーアップしているようで、とても意義深い定例会になりました。

定例会で話した人も話さなかった人も、定例会に参加できなかった人も、もう一度定例会メッセージ等を読みなおして書き込んでくださいね。


今日は克が他界した日です。
2005年でしたから20年が経ちました。
昨夜はイッシンさんの歌に危うく号泣しそうになりました。
仲間の皆さんがたに支えてもらいながら、この20年間それなりによくやってきたと思います。

その一方ではまだまだ不十分さや至らなさを抱えている自分です。
いずれ地上を離れた時には胸を張って克と再会できるように、「半霊半人」として生きていく意志と意欲を高めます。

27/07/2025(日) 15:25:45


No.42854  きんもくせい
Re: 7月27日(日曜日) 引用
定例会、ありがとうございました
今回も皆さんとお会いして、お話しできなかった人もいましたが、楽しく過ごさせていただきありがとうございます。
いつもながら美味しいお食事、エネルギーいっぱいの畑のお野菜さんたち。
美味しいお酒。
みゆきちゃんが心込めて振る舞ってくれたお野菜さんたちも本当に美味しくて身体に沁みました。みゆきちゃんありがとうございました!

今回、手を挙げて話すことができませんでしたが
その訳は、どんどんハードルが上がった感じがして、こんなんでいいのか?
とちょっと守り入ったんかもしれません。

今回のテーマについて書き込みます。

地上を離れたら、まず真っ先に父に会って感謝を伝えたいと思っています。
なぜなら私を悠々塾に繋げてくれたきっかけは父だったのではないかと勝手に思っているからです。
その他にも、お世話になった人たちにも会って感謝の言葉を伝えたいです。

私は幼少期の頃から大人になってもずっと、両親のことで心陰らせていました。
結婚してからはミスターの両親にも不満を持ったし、ミスターはなにも分かってないと決めつけていた時期もありました。
実は感謝できることも自分の気持ちが邪魔をして、そうできなかったこともあると思います。
そこを振り返らせられたら
ただただ申し訳なかったと言うしかありません。

子どもの頃から父のことはものすごく嫌悪していたし、母に対しても何かと苛立っていまして
その訳が知りたくて初めてカウンセリングに行きました。
そこで両親との前世、子ども時代に私が両親に抱いた気持ちを教えてもらいました。
夫との前世に関してもチラッと教えてもらいました。
それで、まさに今までのことはカルマの再現だと納得しました。
私の前世いかんよね!と思いました。
だから、今世ではカルマを解消したい!と思いました。
毎晩掲示板を読んで、そのたびに
これは自分のことだと思い、変わりたいと思ってきました。
変われたのか分からないけど
四つの項目に沿って振り返ってみます。


・自他の喜びを実現するために努力したか?

子どもの頃からそんな気持ちはあったように思います。
家庭内の緊迫した空気感がしんどくて、両親が笑っていてほしかったけど、どうしていいか分からなかった。
休みの日に車を修理している父の側に行ったり、料理をしている母の側に行ったり。
おろおろしてた。
ただ、小学生の頃、毎晩、布団の中でこっそり、いろんな人たちのことをお祈りしてから寝ていました。
それもいつの頃からかしなくなりましたけど
悠々塾の自分も皆も幸せにという言葉に、これだ!と思いました。
じゃあ、どんな努力をしたか?
職場とか関わる人との話しの中で相手が少しでもポジティブになれるように言葉をかけるとか。
でも、その人の本当の全てを知らないうちは、偉そうな自分なりなことは言えないとも思ったり。
幸せになってほしいと願うしかないこともありました。


・愛に基づいて出来事や人に対処してきたか?

かつては見返りを求めて
自分の気持ちが全てなこともありました。
悠々塾で学ぶ中で
人として優しく正しく
陰りを光に
自分も皆も幸せに
不調和を調和にと意識してきたつもりです。

まずは自分の陰りを何とかしたいと思っていましたが、何かあればまた陰る。
行きつ戻りつしながら、カウンセリングや掲示板を読むことで、軌道修正するように心がけてきたつもりです。

特に両親との後半の関わりは
それまでの自分の気持ちは少しずつ手放せるようになって
目の前の父と母がお互いの本来の愛情を素直に受け止めて喜びの中で余生を送ってほしい一心で関わってきました。
とは言え、まだまだ自分の気持ちが頭をもたげることもあり、やはり行きつ戻りつの繰り返しでしたが、最後は両親が調和できたのではないかとギリギリ間に合ったのではないかと思っています。
父とのカルマが解消できたのなら嬉しいんですけど、もっとできたこともあったかもしれないし
あの世でまだまだですと言われたら至らなさに向き合います。


・他者、他の生命に喜びをもたらしてきたか?喜びをもらそうとしてきたか?

これも子どもの頃から漠然と思っていたような気がします。
ただどうすればいいか分からなかった。

母に対しては、母を喜ばせようとして母の気に入る娘であろうとし過ぎて自分の本当の気持ちと違う、母が気に入りそうなことを言うこともあったので、結局は母への違和感を膨らましてしまいました。
それが後々苛立ちへと変わってしまったのだと思います。
それもカウンセリングや悠々塾の学びのおかげで段々と薄くなりました。
もう今は認知症の母が少しでも楽しく安心して過ごしてくれたらと思っています。
ミスターも母の為いろいろ考えてくれていることにも感謝です。

その母が去年から施設に入り、私もこの春バイトを辞めて
今このタイミングで、ミスターも仕事がほぼ引退となってお互い時間ができたので
ミスターと一緒に地元の子ども食堂や日本語教室などに関われるようになって毎日忙しくとも楽しく過ごしてます。
そこで出会う人たちと話をしたりそこで分かった困りごとなどのお手伝いなどもしながら少しでも皆が喜びの中で生きられるよう活動を続けていきたいと思っているところです。


・真実、本当のことを大事にしてきたか?

真実、事実を歪めるということは無かったと思うのですが
敢えて言うなら、親に嘘ついてお小遣いもらったり出かけたりしたこと。

なんせ、学生時代はただのミーハーで社会や政治などの難しいことは考えてこなかったのですが
子育てを通して社会にも関心を持つようになって
あとは生き方についても
本当のことが知りたくて知りたくて最終的に悠々塾に繋がったんだと思います。


今、全ての出来事は必要だからもたらされたんだと心から納得できてるし、いろんな出来事や出会いが今に繋がってるんだと何かにつけて思っています。
本当に長い時間をかけて計らわれ繋がっているんだと思えます。
出会った出来事、出会った人たち
嫌な出来事も嫌な人も
都度、そこから学ぶこと、気づくことはありました。
何ひとつ無意味なことはなかったんだと思えます。

ただ、そう思えるのは悠々塾に繋がったからです。
何度も言ってきましたが悠々塾に繋がってなかったら今の私はどうなってたんだろう?と思うと悠々塾に繋がれたことに感謝しかありません。

あの世に行ってから
まだまだな自分が分かったとしても、多分、悠々塾で学んできたから、きっと納得できるんじゃないかな?と思っています。
あの世でそれ何のこと?と思うくらい自覚が無いことを指摘されたら、それは真摯に振り返るしかないし、まあできるんじゃないかなと思っています。

27/07/2025(日) 21:17:30


No.42849 みゆき  
7月25日金曜日 引用
Iさんの身につけて行使しているエネルギーについて

1.「自然農法で地球環境を絶対変えてやる」という気持ちが圧倒的に強く、自分を支えてくれた、強い信念だった
自分の人生をかけて変えないといけない

☆自他に喜びをもたらす強い信念があること
Iさんは「自然農法で地球環境を絶対に変えてやる」という強い信念をお持ちです
ご自分の人生をかけて、といわれています
すべてはこの強い信念を自分の支えに実現するために日々言動行動されている
エネルギーの源だと思います

☆自分だけにとどめず広げていくこと
Iさんはご自分の強い信念を実現し、ご自分だけにとどめず広げています
広げる、という意識も大切だと思いました

2.自然順応・自然尊重・愛情と感謝

自然農法はシンプル 太陽・雨・土がある、愛情、感謝を伝える
土は作物を育てるために完璧なもの
自然と調和する農業、生き方をしていくこと

☆自然への信頼があつい

☆自然の持つ力を最大限に発揮できるようにお手伝いされている
「自分が野菜を作る」のではなくて
 土さん、野菜さんが健やかに育つようにお手伝いする
信頼とお手伝い、大切だと思いました

☆愛を伝える 感謝を伝える
Iさんの、自然、土さん、野菜さんへの愛情、感謝すごいです

3.何事があっても感謝で受け止める
 ピンチが来た時に自分はチャンスと思う
 何かがあると何かいいことがある
 人間関係など日々いろんなことが起きた時、いつも思うのは、逆の発想
 何か悪いこと(世間一般でいう悪いこと)があると、じゃあ次にどんないいことがあるんだ、ということを考える
 悪いことを悪いこととして受け止めない

 ☆人生悪いことは何もない 感謝しかない
 Iさんは何事があっても感謝で受け止めておられます
 悪いことがあると次にいいことがある、と考えておられます
 「明るく元気で感謝いっぱい溢れる人になりたいと思っている」のだそうです
 農業に限らず生き方も感謝の人なのだと思いました

4.喜びいっぱい

 Iさん、いつも嬉しそう、喜びいっぱい、明るい、穏やか、お元気 そう
 こちらも気持ちが軽くなります
 そんなIさんが土さんや野菜さんと交流するのだから、
 土さん、野菜さんたちはとても嬉しくて楽しくて幸せだろうなと思いました
 あぁ、自分はこんなにいつも嬉しそうかな、喜びいっぱいかな、
 明るいかな、穏やかかな、元気そうかな
 自分が喜びいっぱい感謝いっぱいでいることも大切なのだと思いました

25/07/2025(金) 04:28:15


No.42850  みゆき
Re: 7月25日金曜日 引用
おはようございます
Iさんの身につけて行使しているエネルギーについての書き込み遅くなりました
申し訳ありません

25/07/2025(金) 06:26:37

No.42851  さき
Re: 7月25日金曜日 引用
みゆきさん、おはようー
まとめ、ありがとうー

>何ごとがあっても感謝で受けとめる
ということの難しさと大事さを思います

昨日からいろいろ振返ってて
願いや思ってることは皆の喜びの方であっても
日常のなか、実践のなかでは
自分なりの感情や、自分なりの感覚が走ってしまって
健やかな向上進化の喜びの流れに乗りにくくなってしまう
ことの何と多いことか、、、

あっ、もう時間が、、仕事行ってきます
皆さん定例会で!
お会いできるのを楽しみにしています!

25/07/2025(金) 08:53:02

No.42852  飯沼正晴
Re: 7月25日金曜日 引用
みゆきちゃん、スレッド更新&Iさんの奇跡の農法のエネルギー的真髄の書き込み、ありがとう!

喜びベースのエネルギーが感覚の層にまでいきわたればどのような現実を造ることができるのか、定例会前に皆さんと共有しておきたいと思っていました。

>自分が喜びいっぱい感謝いっぱいでいることも大切なのだと思いました<

まさにそれが全てですね。
喜びに思いにくいことを、自他の喜びにどう切り替えていくか?
その心の作業・言動での表現が、実際に喜びの現実を造っていくのですね。

畑のことについては、克からの促しもあったので、いろいろと組み替えていこうと思っています。
有機農法か自然農法かということ以前に、今は限られた時間の中での作業がハード過ぎるので、もう少し気持ちに余裕が持てるように組み替えていくつもりです。


明日の定例会のテーマ、日を追うにつれて「なるほどな」と納得しています。
昨日も書きましたが、自分の地上人生を霊的視点から査定するということです。
地上の自分を軸に振り替えるのであれば、どうしても自分の都合や自分なりの気持ちに引きずられるのでしょうが、霊的視点を基準にすれば「自分なりの言い訳や正当化」は一切通用しないわけです。

確かシルバーバーチも、「みっともない情状酌量など一切なく、数学的に査定される」というようなことを伝えていたと思います。
「法則」とはそういうものですね。

自分のことを霊的基準で観る習慣がつけば、誰もが間違いなく喜びベースに向上進化できると思うのですが。
そしてその霊的視点はどこかの書物に書いてあることではなく、自分自身の魂の意識、つまり本当の意味での自分の心であるのです。
つまり本来の自分として、光の霊界と同調・共鳴しながらこの地上人生を生き直すということですね。

明日はくれぐれも、自分なりの気持ちを軸にするのではなく、今の自分が認識できている霊的視点を基準にして、自分の人生を査定して、生まれ変わったように向上進化の喜びに生き直しする機会にしてほしいと思います。

25/07/2025(金) 10:46:41


No.42847 さき  
7月24日、木曜日 引用
おはようございます。今日も暑くなりそうです。
昨日自転車で走ってたら空気が熱くて、やけどしそうと思いました。

ぬまさんの振り返り、書いてもらってありがとうございます。
ひとつひとつのことをぬまさんみたいに客観的に振り返えれるかわかりませんが、

>本当は分かっているのに、自分の都合や気持ちを優先して、しなかったこと・してしまっていたことに向き合うことはやはり重く苦しいことだと思います。
だって、今回の地上人生はもう終わっていて、その意味では取り返しがつかないのですから、その後悔は重いものになるでしょう。<

そうだよなと、、思いました。
今死んだら、自分がいちばん後悔するのは何だろうと思いました。

自分の気持ちや都合を優先して、
>しなかったこと、してしまったこと

そこに自分の課題がある。
そこにとどまらない
これまで通りにとどまらない
そのための振り返りですね。

頭ではわかるけど、気持ちがついていかない
もっとこうありたいと願っているけど、そうできない

皆、地上ならではの重石に引きずられてるわけですが、、
今だから取り返しがつく!
機会にしたいです。

24/07/2025(木) 09:15:02


No.42848  飯沼正晴
Re: 7月24日、木曜日 引用
さきさん、スレッド更新ありがとう!

>ひとつひとつのことをぬまさんみたいに客観的に振り返えれるかわかりませんが、<

客観的かどうかは別にして、まずは今の自分のテーマ(喜びにできないこと)を霊的視点で振り返ることですね。
克が示してくれた何項目かのことについても、自分の実際に照らして振り返ってくださいね。

定例会では、一人15分程度のつもりでお願いします。
もう少し長くなっても構いませんが。
まあ、聞いている人からの質問などがあれば、もっと長くなりますね。

今回は皆さんの話がメインになります。
貴重な時間なので、あらかじめしっかり準備しておいてくださいね。

自分の地上人生を霊的視点で査定するのです。
幾つかの査定項目は克から提示されています。
決して難しく考える必要はありません。
霊的視点で査定といっても、今の自分が認識できる程度の霊的視点ですから、実際に死後もそのままの査定になるかどうかは分かりませんが、それで構わないのです。
私などは死後、「飯沼さんはあんなことを書いていたけど、幽界に行ってしまったみたいよ」と、後から地上を去ってきた仲間たちに言われるかもしれません(笑)

実際の死後のことは詳らかには分かりませんが、今の時点でこういう作業をしておくことにも大きな意味があるのでしょう。
死んだつもりになって、しっかり向き合ってくださいね。

5月と7月の定例会メッセージもしっかり読んでから、話して(書いて)くださいね。

24/07/2025(木) 21:00:33


No.42844 恵美子  
7月23日水曜日 引用
おはようございます
メッセージありがとうございます

そう来たか!
きっと、猶予がないのでしょうね。
もうすぐ80歳に手が届く私にとっては、地上人生の振り返りは日々してあることではありましたが、ぼんやりしたものでした。

>もしも今、自分が地上を去ることになれば、死後の自分はどういう道筋を辿るのだろうか、心を巡らせて見てください。

地上を去ってから行う心の作業を今の時期に済ませていただきたい、少しでも自分なりの思いを薄くして、心新たに再出発するための振り返りです。

これまでを振り返り、労いのなかで、穏やかで静かな時間を感謝と共に過ごしていた私にとって、心新たに再出発、、えーなのでした、
魂は永遠ですから、学びは終わりがないことは頭ではわかっているはずなのに、です。

私たちが何のために、ここに集い、学び続けてきたのか、学んだ事を返してこその学びなんですね、
振り返りは、言葉に起こすには中々ですが、ここでは恥も外聞もなくさらせますので、有難いです、ほんのこの間まで、未だに自分なりの
姿が見えかくれして、愕然とします。
振り返りについては、又書きます。

今回の選挙を見ても、何処を見渡しても、この有り様では何が起きてもおかしくないと思ってしまいます。

昨日、夏休みにはいった長男家族が遊びに来ていました、お孫さんたちのパワーに圧倒されつつも、彼らが健やかに、笑って暮らせる社会を、と思わずにはいられません。

今日も光に向かって生きていきます

伝えられた、もたらされた事を総動員して、魂の意思として、風穴を開けることに邁進します。

23/07/2025(水) 10:40:46


No.42845  飯沼正晴
Re: 7月23日水曜日 引用
皆さんの参考になるかもしれないと思い、「自分が今、地上を去ることになれば」という今回の定例会のテーマについて書いてみます。

私は73歳なので、自分の地上人生がもうそれほど長くはないことは認識しています。
私は「人間は死ぬ時期が決まっているので、何をしてもしなくても死ぬ時がときがくれば死ぬし、その時期でなければ死なない」と思っています。
なので健康診断とかを受けたことがないので、もしかしたら死に至る病が秘かに進行しはじめている可能性もあるかもしれません。
いずれにしても2〜30年以内には必ず死ぬ年齢ですし、現役で働ける期間はもっと短いでしょう。

今回のテーマは、「自分が今、地上を去ることになれば」ということですが、事故や心臓発作などで予兆もなく死ぬのか、余命宣告などされてある程度自分の死期を知ることができる中で死を迎えるのかによっても、死の入り口は違うように思います。
今、突然死ぬことになれば、自分がやってきた畑のことなども含めていわゆる終活のようなことを全くしていないので、残された家族に負担をかけることを少し悔やむと思います。
まあ、そういうことは悔やんでも仕方ないことも分かるので、すぐにクリアできると思いますが。

それからはまず、家族や家族のように関わってきた人たちに対する感謝の気持ちが湧いてくると思います。
その感謝の思いは止めどなく湧いてくると思います。
それだけでももう十分に幸せな地上人生だったと思います。
さらにこの働きを始めてから出会った人生の親戚のような仲間たちにも、やはり感謝の思いが湧き続けると思います。

途中で袂を分かち、ずいぶんひどいことを吹聴された人たちもいます。
その時にはそういう人のウソや身勝手な言い分に腹を立てることもありましたが、そういうことの中で私は自分にもあった至らなさに気づかせてもらえたと思っています。
その意味では全てが向上進化の喜びの中でのありがたい出会いであったと思っています。
今でもそう思えているので、死んでからはさらに感謝の心が湧くと思います。

そして自分自身を振り返る作業に入るのでしょうが、やはりまずは自分自身の過ちや至らなさに心が向くでしょう。
でも、それらに関してもそれらを材料にして、そこからすでに学び取ってきたことも多く、そこに大きくこだわることはないかもしれません。
自分を情けなく思い、恥じ入るしかないようなたくさんの過ちや至らなさがあったから、その自覚を踏み台にして自分は向上進化することができたと思えるかもしれません。
ただ、申し訳なさは改めて重く感じると思いますが。

自分が担っていると思ってきた「働き」についても、それが本当にそうだったのか(自分が本当にそういう役割を担っていたのか)を明確に知らされるのでしょう。
まあ、もしも自分の勝手な思い込みであったとしても、自分の動機は純粋だったし、人として極めて真っ当なことを言ってきたと思うので、それも心を大きく陰らせることにはならないように思います。
たとえ雛型成就できないままに地上を離れても、反省点はたくさん思うでしょうが、心を陰らせてしまうことはならないないように思います。

地上を離れたら、今の自分が全く思い至らないような過ちや至らなさに気がつくのかもしれませんが、その時はその時で真摯に向き合うしかありません。
振り返ってみれば苦しいことや嫌なことも多々ありましたが、比較的健やかな地上人生であるような気がします。
今の時点での自己評価なので甘すぎるのかもしれませんが。


・自他の喜びを実現するために努力したかどうか?

ある時期からの私は(あくまでもある時期からの私ですが)、自他に喜びをもたらすことが自分の喜びになってきたと思います。
特に向上進化の喜びを軸にして人に関わってきたと思います。
自分では努力もしてきたつもりですが、今の時点でも努力の足りなさ・不十分さは認識できています。

私は地上的喜びに関しては無頓着な面があって、そこでは周囲の人に喜びをもたらそうとする努力も足りていないと思います。
自分が気づく範囲ではそうしてきたのでしょうが,無神経・無関心な面があるので喜びをもたらすどころか喜びではない思いにさせることも多々あったように思います。

向上進化の喜びをもたらすということについても、やはり努力が足りない面があると思うし、「人間というのは結局のところ、なるようにしかならない。最終的には本人次第」というどこか突き放した思いもあります。

そこではたくさんの反省点があると思うので、残りの地上人生でカバーできるように努力していきます。
でも、押しつけにならないようにしたいと思います。
そういうのって、自分でももうめんどくさいし(笑)


・愛に基づいて、出来事や人間関係に対処してきたかどうか?(愛は見返りを求めません)

これもある時期からはそうできつつあるように思います。
それ以前の私は「あるべき姿(正義)」を軸として、義憤・私憤にまみれていました。
今でもそういう面が残っていないわけではありませんが、「愛」というものの意味や「愛」というもののポジティブなエネルギーに思い至りつつあります。
「見返り」というものはあまり求めずにやってきたと思います。
それゆえに、「見返り」を求めている人の気持ちに気づかず、不愉快な思いや寂しい思いや物足りない思いにさせたことはあると思っています。
もちろんご厚意をいただけば心から感謝しているのですが、その感謝をあまり強く表現しない傾向があるように思います。


・他者・他の生命に喜びをもたらしてきたかどうか? 喜びをもたらそうとしてきたかどうか?
(本来の喜びとは向上進化の喜びですが、楽しさや嬉しさも喜びに含まれます)

これに関してはけっこうできてきているように思います。
ちょっとイラついたり不機嫌になることもありますが、基本的にはOKかなと思います。
ただ、めんどくさくなって心を離す面もあるので、そこは「相手にとって何が本当の喜びになるのか」というラインで注意が必要だと思います。


・真実・本当のことを大事にしてきたかどうか? (自分の損得や自分なりの気持ちで事実・真実を歪めることがあるのなら、謝罪と共に事実・真実に立ち返る喜びに帰着してください)

これはどうでしょう?
私はどうでもいいと思うようなことは適当に言って(対処して)しまう面もありますが、大事なことに関しては真実や本当のことに基づいて思考・言動してきたと思います。
私は若い頃から事実・真実を大事にしてきたとは思います。
でも、「本当のこと」を地上でカタチ(明らかに)にするためにはある種の虚偽を用いることもありました。
それだけではなく、自分に都合よく物事を考えるという面がないわけではないでしょうから、自分ではそれなりにOKかなと思うのですが、もしかしたら大きな至らなさがあるかもしれません。

この項目以外でも、自分が死んでから自分の過ちや至らなさに気づかされることもあると思っています。
その時に指導霊さんから「あなたは本当は分かっていましたね。分かっていたのに、自分の損得や自分の気持ちに囚われて、そうしてこなかった自分・そうしつづけてしまった自分に向き合う時期が来たのですよ」と言われることのないように、この機会にもう一度自分を点検し直して、実際的にも改めるべきことは改めていこうと思います。

地上の自分は気づかないままの過ちや至らなさを持っていたら、死後にそこに気づかせてもらうことは比較的容易に喜びとして受け止め直すことができると思います。
気づきの喜びというものはありますから。

でも、本当は分かっているのに、自分の都合や気持ちを優先して、しなかったこと・してしまっていたことに向き合うことはやはり重く苦しいことだと思います。
だって、今回の地上人生はもう終わっていて、その意味では取り返しがつかないのですから、その後悔は重いものになるでしょう。

私があとどれくらいこの地上で生きるのかは分かりませんが、そういう重い後悔にうちひしがれることのないように、残された地上の日々を生きていきたいと思います。

みんな大好き、ありがとう!

23/07/2025(水) 14:49:29

No.42846  飯沼正晴
Re: 7月23日水曜日 引用
今、O地に来ています。
ようやくジャガイモ掘りを終えました。
ジャガイモは梅雨明け直後に掘ることもあるので、まあぎりぎりセーフでしょうか。
ちょっと休憩して桜の畑で草刈りに行きます。
昨日はN地の黒枝豆の除草を済ませました。
株元からもけっこう草が伸びていたので、合計3日間・6時間ぐらいの手作業になりました。
黒枝豆さん、鹿の食害から回復してきています。

昨日はN地の作業を終えてから、桜の畑の畝と肩や谷の草が凄いので、種をつける前に耕運機で谷を上げなおそうとしたのですが、土がカチカチで耕運機がちゃんとかけられずちょっと大変でした。

土がけっこう乾燥しているので、明日か明後日には桜の畑にタンクに水を溜めておきますね。

定例会、なかなか重いテーマですが、皆さんよろしくお願いしますね!
当日指名されて、「考えてなかった」とのはナシですよ。
「私は全部OKだから、振り返る必要もない」という人は(1人だけこう言いそうな人がいるので)、なにがOKなのか具体的に挙げてくださいね。
振り返ることが本当にないのかどうかは、私からもいろいろと質問させてもらいます。

克から示されたせっかくの機会ですから、ちゃんとやりましょう!

23/07/2025(水) 18:07:42


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