日付が変わったので、スレッドを更新して私の投稿を入れておきます。 。。。。
祐造さん、
要するに祐造さんは今日になって、過去のメールを読みなおして、お母さんへの暴言やちいさんたちからの助言が「事実」であったことを認識したのですね? それまでは完全に忘れていた、ということですね。
つまり、「忘れたことにして誤魔化していたのではない」、ということですね。
しかし私はそうは思えません。 祐造さんは、長期間にわたるお母さんへの暴言や私たちからの助言などについて、本当は覚えているのに、忘れたふりをしてきたと思っています。 忘れた振りが通用しなくなってきて、新たな落としどころとして、仕方なく「事実」を認めただけだと思っています。
「忘れたことにして事実を認めない」ことが通用しなくなったので、「思い出したことにして事実を認めるしかなくなった」のだと思っています。 もしもそうであれば、祐造さんは今までと何も変わっていないのだと思います。
しかし私は当事者ではなく、さまざまな状況証拠によって「祐造さんは本当は忘れてなどいない」と推測しているに過ぎません。 それなのに当事者である祐造さんが「覚えていない。思い出せない」と言っているにもかかわらず、「そんなわけないでしょ」といって、誤魔化しだと決めつけているのです。
祐造さんは当事者ですから、推測ではなく「事実」として「自分は覚えていない」と言っているのに、私は端から祐造さんが主張する「事実・真実」を誤魔化しだと断定しています。
これは大変失礼なことで、いわば冤罪です。 それが分かっていてもなお、私は祐造さんが「覚えていない・覚えていなかった」というのは嘘であり誤魔化しであると断定しているのです。
これはあってはならないことで、悠々塾の主宰者として私は責任を取らねばならないことです。 祐造さんだって、自分が本当のことを言っているのに誤魔化しだと決めつけるような人間を信頼することはできないでしょう。
しかし今の私は悠々塾の主宰者として、「祐造さんは幾つもの重大な事実について、本当は覚えているのに忘れたことにして誤魔化していると思う」と重ねて断言せざるを得ないのです。
正直に本当のことを言っている仲間を、証拠もなく「誤魔化している」と決めつけ貶める人間が主宰する悠々塾に、祐造さんは引き続き参画する気になりますか?
証拠もないのに、自分の思い込みでそんなふうに決めつけて、訂正も反省も謝罪もしない主宰者であれば、祐造さんの方から見限ればいいんじゃないかと思います。 だって祐造さんは「自分は覚えていない・覚えていなかった」と本当のことを言っているのですから。 主宰者の私が強く断定したからといって、祐造さんが迎合・忖度して「事実」を認める必要もないのですし、急に思い出す必要もないのです。
祐造さんは「事実・真実」を貫けばよいのです。 祐造さんが忘れていたことが本当であれば、いずれは克からそれを伝えてもらえると思います。 あるいは事実・真実が私にも分かるような計らいがもたらされるように思います。
ということで祐造さん、推測に基づいて決めつけている私が言うのもナンですが、私が祐造さんは本当に覚えていなかったのだということに納得できるまで、定例会などへの参加は見合わせてもらえませんか?
さきさんはショックでしょうが、今の時期にさきさんが働きから離脱することはないと信じています。 それではカルマの繰り返しに過ぎなくなってしまいます。
当事者が「覚えていない」と言っているのに、私が推測で「覚えていないはずがない。誤魔化している」と決めつけているのですから、これは祐造さんの参画を拒否しているのではありません。 「私が納得できるまでの間、参加を見合わせてください」とお願いしているのです。
どうぞご理解の上、主宰者の意向に従ってもらえますようにお願いします。 |
16/08/2025(土) 00:11:04
| No.42997 さき |
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飯沼さん、 感覚の層からの喜びベースを確立し、この地上界に風穴をあけるために、皆がエネルギーを高め、共鳴を高めてきたこの時に、足を引っ張ってごめんなさい。 みなさんごめんなさい。
飯沼さん、私は大丈夫です。 彼がどんな姿を見せても、働きから離れることはありません。
祐造さんは昨夜は投稿して寝たので、 今朝ご飯の時に、飯沼さんの返信が入ってたよ、と伝えました。(時間ないのでまだ読んでません。) (昨夜の投稿は)離婚になった時と同じと思った、と私が言い。。祐造さんは、あんなに正直に書いたのに、、と言って出勤していきました。
上辺を取り繕い、自分自身の内実に向き合うことから逃げてきたつけを、、チャンスにするのか、また上辺で誤魔化すのか。 祐造さん次第だと思っています。
>死後どの境涯で生きるのか・地上人生をどのような人間として生きるのか、やはり最終的には内実を伴ったその人の自由意思に委ねられているのです。<
はいです。 自由意志を行使してこその地上人生です。 何を選んでもいい、どんな祐造さんでもそれでいい、その祐造さんと一緒にいたいです。
彼も、私も、みんな神の子です。
無条件の祝福と感謝、喜びのなかで向上進化に向かう強い意志のエネルギーを高めます、そのエネルギーを送ります。
■補足です 肝心なことを書いてませんでした >彼がどんな姿を見せても、働きから離れることはありません。 というのは、 祐造さんは主宰者の意向に従ったらいいですし、それでも私は働きから離脱することはありません、という意味です。 |
16/08/2025(土) 09:04:07
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| No.42998 飯沼正晴 |
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さきさんの投稿を読んで安心しました。
>祐造さんは、あんなに正直に書いたのに、、と言って出勤していきました。<
はい。 人間はいろいろと記憶違いをしたり、忘れてしまうことが多いものです。 私なども事実を思い違いすることもあれば、忘れてしまっていることもよくあります。
でも10年間ぐらいにわたって、繰り返しおこなっていたことを忘れるなどあり得ないと思っています。
たとえば、10年間で数回だけ飲酒運転をしたのであれば、自分に都合よく忘れてしまうことはあるでしょう。 でも10年間にわたって半ばに日常的に反復継続して飲酒運転を繰り返していたのであれば、それを忘れるなんてあり得ないと思うのです。 まして、周囲の人からやはり10年間にわたって「飲酒運転はしないように」と注意されてきたのであれば、注意されてきたことも飲酒運転してきたことも忘れて、どうしても思い出せないなんてあり得ないと思っています。 しかも本人が折に触れて「先日も飲酒運転をしてきた」(「こんなふうに怒鳴ってやりましてん」)と話してきたのです。
あるいは、10年間にわたって親が我が子の世話をする一方で激しく叱責し、周囲の人から「そんなにひどく叱責してはいけないよ」と忠告されてきたとして、その両方を忘れてしまって、どうしても思い出せないなど、あり得ないと思うのです。 しかも本人が「この前、こんなふうに子供を怒鳴ったのよ」と言い、その度に周囲の人が「そんなしかり方をしてはいけないよ」と忠告してきたのです。 それをきれいさっぱりと忘れるなんて、私は信じられません。
でも常識ではありえないことが起きる場合もなくはないとも思っています。
それでも、周囲の人が「過去のメールを読めば、事実は分かるはずですよ」と言えば、本当に思い出せないのであればすぐに過去のメールを辿ると思います。 メールをなかなか辿りもしないことも不自然ですし、促されてからかなり日にちが経ってからようやくメールを探して、「事実が分かりました。メールに書いてある範囲で事実を認めます」なんて、あまりにも作為的すぎると思っています。
祐造さんは正直に書いたそうですから、それをどうしても信じられないのは私の問題ということかもしれません。 祐造さんの側からすれば、私は祐造さんを貶めているのだから、そんな人間が主宰している定例会などに参加する意味もないと思うのです。
私の側からすれば、そこまで惚けて誤魔化そうとしている人は悠々塾で学ぶ気がないとしか思えません。
なので、「本当はどうだったのか」について、祐造さんと私の認識がそれなりに合致するまでは定例会などへの参加をしないようにお願いしました。 当面は「棲み分け」するしかないと思います。
7月定例会のテーマは、自分の過ちや至らなさに埋没して自分を否定することではなく、もちろん自分の過ちや至らなさを無いものにすることでもなく、正当化することでもありません。 今までの自分の過ちや至らなさに真摯に向き合って、それを喜びに切り替えてこの先の自分の人生を今までよりも霊的基準に合致した喜びベースにしていくためのものです。
過ちや至らなさは誰にもいろいろあるものだと思います。 だからこそ、具体的には書かなくても自分の中でしっかりと向き合い、心の内実を伴う振り返り・辿りなおしが必要なのです。 「今はまだ向き合えない」と思っている人も、いつ自分が地上を去るかもしれないのです。 大事なことを先送りにしないで、この機会に真摯に正直に、今までの自分の人生を霊的基準・人としての輝きというラインで点検・査定して、この先の自分に取り入れていきましょう。
それは必ず、自分や周囲の人たちや全ての人・生命たちに喜びをもたらしていくのです。 |
16/08/2025(土) 11:36:57
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| No.42999 飯沼正晴 |
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ということで、祐造さん、
今日か明日中に、定例会などに参加しないということへの、同意のコメントをお願いします。 掲示板や悠々塾グループラインや悠々農園グループラインについてどうするかは後ほど考えることにしますが、今の時点では私が納得できるまでは抜けてもらう方向で考えています。
それと、以前の定例会の前夜に祐造さんが私を怒鳴りつけた件について、昨日私が書いたことが間違っているのかどうかも、解答だけ明確に書いてください。
昨日も書きましたが、宿題を書きかけていた紙に「夢物語でもいい」とメモしていたわけです。 祐造さんはものすごく悩みながら宿題に取り組んでしんどかったとのことですから、同じ紙に書いている「夢物語でいい」というメモにも何度も目がいったと思うのです。 それなのに祐造さんは「夢物語でいいなんて話は聞いていない。俺はあんなにしんどかったんや!」と怒鳴り続けていました。
私は祐造さんがいつ・どのようにしてそんな思い違をしたのか、どうしても分かりません。 普通に考えれば、そんな思い違いはできないと思うのです。 もしも一瞬思い違いをしても、私から「荒唐無稽な夢物語で構わないと伝えていた」と言われたら、すぐにメモのことを思い出すんじゃないかと思うのです。
喩えていえば、算数の計算問題のプリントを渡されて、「これは計算機を使ってするように」と言われたとします。 自分でそのプリントに「計算機を使う」とメモしているのに、「計算機を使ってはいけない」などと思い違いをするはずがないと私は思います。 まして、本当は知っているのに「計算機を使ってはいけないと言われていたから、あんなにしんどかったんや! できなかったんや!」と怒鳴り続けたら、完全にアウトでしょう。
「怒鳴ったことも、思い違いをしていたことも謝ったんだから、それで十分なはずだ」と思うかもしれませんが、私はそうは思いません。 「思い違いをした」ということがウソであれば、不正直・不誠実なままですから、謝ったことの意味がなくなるんじゃないかと私は思うのです。 |
16/08/2025(土) 15:18:48
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| No.43000 飯沼正晴 |
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訂正です。 祐造さんが私を怒鳴りつけたのは1月定例会の前夜ではなく、新年会の前夜のことでした。 どうでもいいことですが訂正しておきます。
ついでに宿題についても書いておきますが、「正解」に囚われて、意識や思考に歪みが生じる傾向のある祐造さんの枠を打ち破るために、もともと正解のない宿題を出しました。 お題は、「ドネを劇的に広げるアイデア」でした。 正解に囚われることなく自由に意識を広げて思考するきっかけになればいいと思って、「もともと正解はないんだから(あればとっくにやってるんだから)、荒唐無稽な夢物語でいい」と言って、そういう宿題を出しました。 去年の夏か秋のことでした。
それをやっていれば、今回のことも少しは違っていたのかもしれませんね。 |
16/08/2025(土) 19:33:55
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| No.43001 祐造 |
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まず結論から書かせていただきます。 忘れたことにして誤魔化したりはしていません。 嘘や誤魔化しはしていません。 7月の定例会はとても重要なテーマだと思っていました。 それを分かったうえで意図的に嘘や誤魔化しをするなど、僕にはできません。
少し書かせていただきます。 今日調べてみたのですが、母親がアルツハイマー型認知症の初期だと診断されたのが2018年4月です。 そして母親が老健施設に入所したのが2023年5月ですから、約5年間は認知症の母親を在宅介護したことになります。
母親の物忘れが多くなり、僕がA4サイズの貼り紙を作って注意を促すようになったのが、2017年9月でした。(ワードで作っていたので作成日がわかりました) このとき貼り紙の文言について、ちぃさんからアドバイスをいただき、否定形の言葉ではなく肯定的に促す貼り紙を作ったことは記憶しています。 もうそのころちぃさんから、母親にきつく当たらないように、否定的な言葉を向けないようにと言ってもらっていたと思います。
でもその後のことはほとんど思い出せません。 飯沼さんから、ちぃさんが「祐造さん、それは虐待よ」と言っておられたと聞いても、 全く覚えていませんし、ちぃさんが何十回と繰り返し僕に注意してくださったというのも、思い出せません。 飯沼さんが何度も言ってくだことも思い出せません。 僕が「母親がちゃんとしないから、怒鳴ってやりました」と何度も言っていたそうですが、それも覚えていません。 それらの場面や情景も思い出せません。
これが僕の嘘偽りない事実です。 今日の飯沼さんの書き込みにある飲酒運転の例や、親が我が子を激しく叱責する例は、僕もその通りだと思います。 普通、忘れるはずがないだろうと思います。
また、「ドネを劇的に広げるアイデア」の宿題についての「思い違い」も嘘ではありません。 飯沼さんが書かれているように、用紙の上部に「夢物語でもいい」と自分が書いていたのだから、普通は見落としようがないと僕も思います。
でもその普通ではないことが実際に起こっています。 これが僕の正直な自分の事実です。
とても信じられないかもしれません。 僕も誰かがそんなことを言っていたなら「本当か?」「あり得ない」と思うことでしょう。 疑われても仕方ないかもしれません。 誰にも信じてもらえないかもしれません。 でもこれが事実です。
僕はこのところ一部の記憶がおかしいことがあります。 先日僕がさきさんに「こんなことなら介護なんかしなければよかった」と言ってしまいましたが、僕は寝る前に2階の部屋で1回だけそう言ったのを覚えています。 翌日さきさんが掲示板に「本音」としてそれを書き込みしたときに、僕は「1回愚痴をこぼしただけなのに…」と言いました。 でもさきさんによると、2階に上がる前にすでに1階の部屋で僕が何度も「こんなことなら介護なんかしなければよかった」と言っていたそうです。 昨日のことなのに全く覚えていませんでした。 僕が何度も言うのでさきさんが「言っていいことと悪いことがあるよ!」と大きな声で言ったそうですが、それも全く覚えていません。 さきさんが嘘を言うはずもなく、これは自分でも壊れてるのではないかと怖くなりました。
そんなこともあり、僕は前回の書き込みで次のように書きました。 >メールだけでも、そうなのだから実際に会って僕が介護の愚痴を言い続けてたときにも、同じ指摘やアドバイスをしてもらっていた、「何十回と言ってきた」と言われる状況なのに 「思い出せない」「覚えていない」のは、「自分は良い人だ・自分は良い人でなければいけない」という自分が、無いことにしたからです。 それしかありません。< >自分の思いたいように思い、自分にとって都合の悪い記憶は消し去り、または都合よく思い替える。 僕は自分で作り上げた世界に生きていたようです。<
全てを潜在意識や感覚の層のせいにするつもりはありません。 それも含めて自分なのだと思っています。 でも今回のことで意図的に嘘をついたり、誤魔化したりなどは一切していません。 課題から逃げ続けてしまっている情けなく愚かな自分ではありますが、皆さんに迷惑かけてばかりですが、でもこれだけは胸を張って言えます。 本当のことですと。
今これを書いているこの時にも指導霊の人が僕のオーラを見ていて、嘘や誤魔化しのオーラが出ていないか見られていると思います。 そして死んでからシビアに査定されることも知っています。 定例会に出席できなくなることは、とても辛く悲しいことです。 でも、だからと言ってここで「誤魔化しました。すみません」なんて嘘は言えません。 定例会に出席して学ばせてもらいたいという気持ちは全く変わっていません。 みなさんと共に学ばせていただきたいと願っています。 これが僕の思いです。
あとは主宰者の意向にゆだねます。 |
16/08/2025(土) 23:53:46
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| No.43002 飯沼正晴 |
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また改めて書きますが、とりあえず祐造さんの「振り返り」から引用しておきます。
>・真実・本当のことを大事にしてきたかどうか? (自分の損得や自分なりの気持ちで事実・真実を歪めることがあるのなら、謝罪と共に事実・真実に立ち返る喜びに帰着してください)
変に自分を守ってしまうときや、ちょっとした見栄で話を盛ってしまったり、そんなつまらない自分がありました。こうして照らされると恥ずかしいことだと思います。 真実・正直を大事に、自分を守らないこと、神の子として生きようとすることが、実は一番守る必要すらないことなのだと、そんなふうに生きたいです。<
ここでは軽く書いていますが、祐造さんは「真実・正直」や「自分を守る」ということについて、それなりに自覚があったようですね?
それと、10年間ぐらいと私が書いたのは少し違っているようですね。 すみません。 でも、ちいさんが「虐待ですよ」と言ったのは、祐造さんがまだお母さんと同居する前でした。 アルツハイマーの診断を受ける前か後かは分かりませんが。
それにしても、さほど重大なことじゃないのに、そういうことは過去のメールを辿ってすぐに調べるのですね。 ではなぜちいさんやさきさんや私からのメールは、さきさんに促されてもなかなか調べなかったのでしょう?
調べれば自分に都合が悪いから? 調べるまでもなく、メールの内容・趣旨をおおよそ覚えていたから?
それ以外に理由があるとすれば、どのようなものでしょう?
どうしてすぐに調べなかったのか、そこにちゃんと意識を向けることも、祐造さんがまともな自分を取り戻す助けになると思いますよ。 |
17/08/2025(日) 00:29:50
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