愛は時空を超えて、ありがとうございます。皆さんのエネルギーを感じています。 なみさん、私もないちゃったよ。またこの家族で生まれたい、って。みんな幸せになってください。なりますね。 ありがとうございます。 私は定例会の時は落ち着きのない話になりました、向き合い切れてなかったと自覚しました。死んでから通用しないですね。 この作業に慣れていきます。整理して書こうと思ったら次々浮かんでくることもあり、書ききれないけど、キリがないので今の振り返りです。
>もしも今、自分が地上を去ることになれば死後の自分はどういう道筋を辿るのだろうか。 >もたらされたカルマ解消の機会(試練や人間関係)において、どのような意識、想念、言動をしてきたか? この場にたどり着くように、導かれてきたと思います。見守り導いてくれた霊とか、今の自分を育ててくれた縁ある人たちとの再会を思います。その時々の、関わりのコマひとコマで、自分が発した言動や抱いた気持ちも丸見えで、、、消え入りたい場面も沢山思い浮かびます、、、そうして自分の人生を振り返るのだと思う。
自分が大事にしたいあたりまえの感覚、皆も自分も幸せに。かげりに飲み込まれそうになった時もありますが、その大きな方向性は手放さずにこられた。幸せなことでした。支えてくれた方々のおかげです。 地上に赴いて結構がんばったと思います。けど、大事にしたい自分の感覚を守ることでいっぱいで、そこしか見えず、自分なりに偏った意識、想念、言動もたくさんしてきた。同じ感覚が共有できない、自分をわかってもらえないと感じると不安になり、あからさまに違和感、不機嫌、反発を表現した。思うようにならないと勝手にしんどさやさみしさや不満を膨らませた。何かあるとすぐ不安を膨らませて、そこから逃れるために自分を駆り立てた。それは喜びベースじゃなかった。 それでも、観念的で世間知らずの小娘だった自分が、少しは成長できた。ここまでたどり着いた。 これまでの全部がシナリオのなかで、カルマ解消の機会だったのだと納得します。 でもまだ途中です。今死んだら、そのことを悔いると思います。
・自他の喜びを実現するために努力したかどうか? 役立ちたい、貢献を実感できることが自分の喜びだった。けど何が役立つことなのか?強い者勝ち、お金がすべて、我よしの世の中を変えること。その活動で自分を役立てようと努力した。社会のことも人間的にもたくさんのことを学ばせてもらったが、その一方で、無力感や報われなさや疲れで、心を固くして疲弊していく自分がいた。
・愛に基づいて、出来事や人間関係に対処してきたかどうか?(愛は見返りを求めません) ・他者・他の生命に喜びをもたらしてきたかどうか? 喜びをもたらそうとしてきたかどうか? (本来の喜びとは向上進化の喜びですが、楽しさや嬉しさも喜びに含まれます) 人間嫌いじゃないけど、世間的価値観や慣れあいの関係には距離を置こうとしてきた。 もちろん他者が喜んでくれたら嬉しいし、関わりのなかで、人として正しく、やさしくあろうとしたし、自分が出来ることをしようとした。あと、物心ともに理不尽な目にあっている他者や出来事に見てみぬふりはしない、という強い意志がある。ちっぽけでも出来ることをしようとしてきた。無条件の愛情を注いでくれた両親(特に父)に、直接地上で、愛情で応えることはできなかったことに報いたいと思っている。 基本的に自分がどうあるのか、に関心がいく。自分に出来ることはそれだけと思っている。どこか冷たいのかもしれない。もたらす=おこがましい、と感じる。 悠々塾と出会い祐造さんと出会って、安心をもらった。その愛情のなかで擦り切れていた心が癒された。共に「働き」を担うことができたら何より嬉しい。けど、躓き、躓いている。離婚に至った時に、彼の至らなさを責めるエネルギーをむけた自分がいる。自信をなくして沈んでいった祐造さんがいる。私はどうすればよかったのか、、愛情に基づいて喜びをもたらす、とはどういうことか、、宿題が続いてる。
・真実・本当のことを大事にしてきたかどうか? (自分の損得や自分なりの気持ちで事実・真実を歪めることがあるのなら、謝罪と共に事実・真実に立ち返る喜びに帰着してください) 真実・本当のことは歪められないし、歪めちゃいけない、歪めたら必ずその責任は自分が負うことになる。それは大事にしてきた。けど損得はあまり頓着しないけど、人からどう思われるか気にして、よく思われるように言動したり、知られたくなくて隠したりはあった。なかったことにしたかった自分がいた。そういう自分の弱さがある。 感覚の歪みや自分なりの気持ちでいっぱいになっている時は、事実・真実を自分なりに歪めるかもしれないと思う。気づいたら立ち返えれる自分でありたい。
愛は時空を超えてを読んで 肉体―感覚―感情―理性―霊性 その全部に、健やかな喜びベースのエネルギーが流れる人になりたい、と強く思いました。 自分の感覚の層の歪みに健やかな喜びのエネルギーを吹き込みたいと思いました。 自他の喜びを実現するために、風穴をあけるために、皆さんとともに進化したいです。
追記 定例会の翌日、日曜日の帰り道の車のなかで祐造さんと揉めました。 ぬまさんが、定例会のエネルギーが強く高まっていて、 >人によればクリアできていない澱が浮き上がっても不思議ではない・・ と書かれていましたが、まさに、でした。 祐造さんの課題ですが、自分の課題でもあるのでしょう。 ここは大事な場面、、同じことを繰り返さないように、向上進化の機会にしたいです。 |
02/08/2025(土) 12:20:12
| No.42894 恵美子 |
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なみさんのお母さんへのメッセージ、涙涙 あきえさん、嬉しいね、良かった! なみさん、ありがとう!
メッセージが届いてから、振り返ることが押し寄せてきて、冷静に眺めるまでに時間がかかりました、まだその波のなかですが、投稿します。
> もしも自分が地上を去ることになれば、 今回の地上人生に登場してくれた人たち、深く関わってくれた家族に感謝の気持ちでいっぱいになると思います。 病弱だった私が、今回の人生を色々ありながらも頑張って豊かに生きたことを労ってもらえるかなーと思っています。
縁あって家族になってくれた夫、子どもたちへのいたらなさや申し訳なさがあります。 過去生でも今生でも魂の伴侶と伝えられている夫と道半ばで別れることになり、すべき事をしなかった、と言うカルマが再現されました、 彼の心の内を見なかった、向き合うことをしなかった、彼の深い愛情を受け止めなかった、その辺の事を厳しく知らされるのだと思っています、そしてこの事は子どもたちにも辛く苦しい思いをさせることとなりました。
人生の後半にもたらされた事は、それまでに身に付いた「自分なり」を浮きあからせる事であり、ものの見事にひっくり返されました、恥ずかしさで一杯でした、それでも、乗り越えられたのは悠々塾の学びのお陰でした、 夫とのことでは、大好き作戦に乗じて、エネルギーを送ることを始めたり、前述の事のときには、悠々塾全体が感覚の層の歪みを解消していく作業中でした、簡単ではなかったけれど、少しずつでもそうしようと、皆が頑張っていたときでもありました。 ぬまさんの導きに助けられました。
振り返れば、 この数年、いやずっとですかね、 私たちは次から次とテーマを示され、ハードルが高くなって、向上進化することを求められてきました、 たどり着いてみれば、それは大きな喜びであり、解放された自分でした、違和感や自分なりを薄くし、その分共に喜び合うエネルギーを獲得し、人としての優しさを増したのだとおまっています。
再び地上に再生するときには、向上進化する喜びを確かなものにし、喜びに満ち溢れた地上にするために働きましょう。
そして、今度こそ愛する人と共に働き、生涯を共にしたいです。
>自他の喜びを実現するための努力をしたか
>愛に基づいて出来事や人間関係に対処したかどうか
>他者の命に喜びをもたらしたかどうか
>真実、本当のことを大事にしてきたかどうか、
どの事についても、十分ではなかったかもしれないけれど、知らん振りをしたりすることなく、心を動かし行動してきたと思ってます、 自分のことより相手のことを優先にすらこともありましたが、そこはそれが正解だったかどうかは分からないです。 正義感が強く、社会に出てからはずっと闘って生きてきた感があります、独りよがりな正義もあったかもしれません
振り返れば、 その全てが摂理に沿って粛々と為されていたことが分かります、 かといって、次に更なる課題がくれば、再びおろおろしてしまうのかもしれませんね、
共に歩める仲間のいる心強さに、ありかたやです。 不十分ですが、ここで投稿します。 |
02/08/2025(土) 13:57:47
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| No.42895 飯沼正晴 |
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みやっち、和也さん、藍子さん、あきえさん、みゆきちゃん、さいこさん、サマンサさん、ゆうきくん、とんさん、さきさん、恵美子さん、テーマに沿った書き込み、ありがとう!
来たるべき雛型成就に向けての手応え、十分ですね!
この先が楽しみです!
さきさん、 定例会の翌日に祐造さんにも、私があおやまさんに書いたようなことがあったのに、何食わぬ顔で前に準備していた振り返りを投稿したことに祐造さんの現状が如実に表れていると思います。
何カ月も前に自分の思い違いで私を怒鳴り倒した件も、その後私が何も言わなければ宿題もしないままです。
振り返りのことも、祐造さんにとってはお母さんとの関りを外すわけにはいかないと思っていましたが、実際には完全にスルーでした。(認知症を発症したお母さんを時には怒鳴り倒していたこと。これは何年も前に高齢者介護のプロの仲間から「祐造さん、それは虐待ですよ」とはっきり言われていたことでもあります。つい最近も、以前の話として、自宅にいたお母さんにちょっとアクシデントが起きて救急車を呼んだ時、二度ともすぐに警察官が搬送先の病院に駆けつけて、祐造さんがかなりしつこく事情を聴かれたという話を聞いて、私は「普通はそういうことはないと思うから、近所の人が以前から祐造さんの怒鳴り声を聞いて、虐待の疑いで警察に通報していたんじゃないか?」 と言いました)
それでもお母さんのことについても振り返りに含まれていなかった。
つまり、祐造さんはまだ自分の至らなさに正面から向き合う気になっていないのだと思います。(あおやまさんもです) 誤解しないでほしいのですが、これは祐造さんを責めているのではなく、客観的に祐造さんの現状を見ているだけです。 やる気になっていない人にあれこれ言ってもお互いに不快になるだけですし、上っ面で対応されたらさらに不快になるでしょう。 今はまだそういう状態でも、何かの役に立ってくれている祐造さんを喜んでいけばいいんじゃないかと思います。 居てくれるだけで嬉しいのだし。 |
02/08/2025(土) 15:52:55
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| No.42896 さき |
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ぬまさん、何ヶ月も前にぬまさんに逆ギレした事件以降、 今ありのままのいいんだから、 その祐造さんに感謝して、その気持ちをむけていこうと思ってきました。実際にすごく助けてもらってるし、ありがたいし。 そうやって喜びベースできたつもりだったのですが。
また同じパターンにハマってしまいました。 ここでどうするか。
>今はまだそういう状態でも、何かの役に立ってくれている祐造さんを喜んでいけばいいんじゃないかと思います。<
はい。 居てくれるだけで嬉しい。 それはその通りです。 この数日、祐造さんにはずいぶん違和感をむけてしまいました。 切り替えます。 |
02/08/2025(土) 19:47:49
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