☆☆ 愛は時空を超えて 239 ☆☆ ―― 霊界の克との対話 ――
飯)こんにちは。 いつもお世話になっています。
克)はい、こんにちは。
飯)まずは今回の定例会について、霊界側の評価を伝えてください。
克)はい。 まさに30周年の節目、二周目のスタートにふさわしい定例会になりました。 今の仲間の皆さんは言うまでもなく、今まで悠々塾に関わってくださった全ての皆さんに御礼申し上げます。 今回の「地上界浄化・地上人類の霊性進化」のプロジェクトとは、要するに以下のようなものです。
―――これまでの感情(個人的な)を意識の中心としてきた時代は間もなく終わり、人としてのという感情はありながらも、それを超えた全体を意識することが生き方の基本となるのである。 人として生きるということは、霊界での喜びに生きる暮らしと同じことが地上においても成されるということである。―――
つまり、個人的な自分としての感情を最優先にする段階を卒業して、霊性に基づく人としての意識・理性・心を軸として、それを言動で表現していく生き方に向上進化するということです。金銭や物質に対する執着・損得勘定も自分としての感情です。
地球霊界にもさまざまな段階や傾向の境涯がありますが、喜びとは自分に凝集するものではなく、他や皆に拡散・いきわたってこそ喜びであるというのが、全ての光の霊界の常識であり共通認識です。 そして光の霊界の者たちは、霊性ー理性ー感情ー感覚が健やかなる喜びで融合した意識・心で生きているので、感情の陰りというものはありません。もちろん時には曇りの意識が生じることもあるのですが、そういう場合も健やかなる喜びベースは揺らぎません。曇りの意識といっても不平や不満や面白くなさなどではありません。今の自分の向上進化のテーマをスムーズにクリアできない場合などに生じる意識の曇りです。向上進化の学びが最大の喜びですから、喜びベースが揺らぐことはあり得ません。
霊界と違って、地上の人間の意識には物質界から進化してきた存在としての、自分を軸にした感情や感覚が重く作用している段階です。霊性に基づいた意識とは同調できない部分が色濃く残り、いわば半獣半霊のような段階・状態で生きてきました。大半の人間は意識・心が肉体から解放されて、生命・意識が地上を離れると、本来の霊としての意識を取り戻して霊界に戻り、そこで向上進化の喜びに生き続けます。地上的な価値観や自分なりの感情・心を手放せない者たちは、幽界や暗黒界に堕ちていくのです。
今、地上に生きている人間は全員が過去世のカルマを背負っています。その内容はさまざまですが、「霊性に根ざした人として成すべきことをしなかった(あるいは人としてすべきではないことをしてしまった)」ということになるでしょう。もちろん過ちや不十分さは誰にもあるものですが、その人生で心からの反省や埋め合わせをしないまま地上を離れてしまった場合、時期を見てカルマに見合った地上人生のシナリオを携えて、再生することになります。 もたらされた出来事や人間関係において、心の陰りを抱き続けたまま地上を離れた場合も、必要があればそういうカルマを背負って再生することになります。
いずれの場合も幽界や暗黒界から地上に再生することはなく、闇や陰りの中でようやく一条の光を見いだして、苦しい気づきの作業の後に本来の霊界に戻ってから、「今度こそは」と意志して再生するのです。 死後、意識を健やかなる喜びに切り替えて本来の霊界に戻った者でも、地上でそのテーマを喜びに切り替える必要があれば再生することになります。再生した地上人生で再びカルマを重ねることで、地上の想念帯の闇や陰りを増幅させる者が多いのが現状ではありますが。
地上人生は重層・綿密なるシナリオに基づいたお芝居のようなものです。ですからその舞台の展開は流れに沿って変わっていきますが、テーマが大きく変わることはまずありません。自分自身を含めた登場人物がどのような状況のなかで、いつ舞台を降りるのか、つまりいつ地上を離れるのかも決まっているのです。そのタイミングは年齢に関わらず、それぞれのシナリオのテーマによって違っているのですが。不治とされる病でも本人の気づきや周囲の人の関り方の変化によって、病の原因になっている心の澱が解消して、奇跡的な治癒に至ることもあります。あるいはヒーラーから注がれるエネルギーで肉体や心の澱が解消・軽減されて、奇跡的に治癒・改善する場合もあります。そういう場合もありますが、それも含めてシナリオの選択肢に含まれているのです。しかし、シナリオで確定している「その人の寿命」が大きく変わることはありません。
物質次元での科学や医療の発達によって、昔は治らなかった病が治癒する時代になっていますが、もちろんそれも織り込んで再生のシナリオが作成されています。
皆さん方には改めて、地上的死の意味をしっかりと理解していただきたいのです。霊界から見れば、死は解放の喜びです。もちろん例外はあるのですが、基本的にはそうなのです。身近な人の死を受け入れられず、悲哀に暮れて自分の感情を混乱させることは、今の地上の人間には珍しくありません。
しかしこちらから見れば、親しい人が一足早く刑期を終えて塀の外に解放されたことを受け入れられず、自分の寂しさに心を乱す囚われ人のようなものです。死についての真実を知れば、一足早く解放されるその人の地上人生をねぎらい、共にいてくれたことに感謝し、自分も地上での務めを果たしたのちに向こうで再会しましょうと愛念を向ければよいのです。
そういう愛と真理のエネルギーを注ぐことの方が、極めて限定的な地上の生を全てとしてそれにこだわるよりも、お互いの寿命を全うしやすくなるのです。不安や怖れや否定のエネルギーは決して健やかなものではなく、それを発する者もそれを受ける者も生命エネルギーを乱すことになるからです。
地上人類は今、地上的な死の意味を知り、本当の意味での地上人生の意味を知る時期を迎えています。そうできてこそ、霊性―理性ー感情ー感覚の層が健やかなる喜びで同調できるのです。そしてそうすることによって、健やかなる喜びの中で地上的寿命を全うすることができるのです。それもまた「地上人類の霊性進化」の大きな項目の一つです。
分かってはいても湧いてくる地上の人間としての感情を否定する必要はありません。しかし、自分なりの感情を普遍の真理に沿わせていこうと思い、そうすることで霊性のエネルギーが感情や感覚の層にまでいきわたり、自他に健やかなる喜びをもたらしやすくなるのです。半獣半霊として、もたらされることの後追いや不安に翻弄される人生を卒業して、神の子として地上の喜びを創出しながら、生きる喜びの中でさらなる向上進化の喜びに生きることができるのです。
死にまつわる感情だけではなく、地上の人間ならではのさまざまな感情は私も十分に承知しております。分かってはいても自分の思い通りにならなければ、喜びとは逆の思いが湧いてくることも承知しています。しかし、そこを超えてこそ本当の意味での健やかな喜びに満ちた地上人生を生きていけるのです。なぜならば、それが摂理であるからです。
皆さん方の多くは、スピリチュアル・スピリチュアリズムというものをきっかけにして、この悠々塾につながりました。「地上的死の意味を知り、地上人生の意味を知る」ということが、地上人類の霊性進化の大きな要件であるのですから、そこはどうしても外せないポイントでした。地上的死の意味をどこまで受け入れているかは別にして、死後の生があることをいくらかでも受け入れている人でなければ、地上人類の霊性進化の雛型に参画できなかったのです。これから地上人類は、さまざまな計らいによって死の意味を知り、死後の生の実在についても知っていくことになります。皆さんがたはその先駆けとしての条件を備えていることで、地上人類の霊性進化の雛型に参画していることを重ねてお伝えしておきます。
もう一つの要件は、皆さん方が紆余曲折はありながらでも、自分なりの感情を軸にする生き方を卒業して、霊性に基づいた人としての生き方に移行・向上進化しようとしていることです。この30年間、悠々塾にはさまざまな人たちが参加してきましたが、自分の感情への囚われを解消しようとできなかった者たちは脱落するしかなかったのです。中には金銭への飽くなき欲求・執着を手放せずに脱落した者もいますが、それも含めて自分のなりの感情、自分の側からしか物事を見ることのできない我執を手放せないことによって脱落していきました。自分の側からしか物事を見ることができず、どこまでも自分の言い分を押し通そうとし、自分の過ちや陰りを相手のせいにして正当化する。そういう自分を正当化することを手放そうとしない者は、この雛型に参画できないのです。
しかしもちろんそれらは無駄だったのではなく、脱落した者たちがいずれ気づくための種になっています。その種の芽を出させるかどうかはその人次第ですが。今までのさまざまな不調和も含めて、地上人類の霊性進化の雛型としての悠々塾というエネルギー場には練り込まれているのです。脱落者を含めて、「地上人類の霊性進化」の雛型が形成されてきたということです。
さらにいえば、さまざまな出来事・不調和がもたらされることで、あなた(飯沼)は地上の人間の感情の陰りや歪みの根深さ・強固さを思い知り、導き手としての経験と学びを重ねることになりました。かつての人生でのあなたは、感情に溺れて霊性や理性を踏み外してしまう者たちの気持ちが理解できず、「どうしてそうなるのか、私には分からない」が口癖になっていましたから。
自分の寂しい気持ちが言えず、それを抑えて、それでもあなたの役に立ちたいと思い、最後には取り返しのつかない愚かな行動をとってしまった私が言える立場ではありませんが、あなたもずいぶん成長したようです。ちなみに、20年ほど前までの地上人生でも、私は幼いころの一件について母親に言うべき自分の気持ちを言えないまま記憶の引き出しにしまい込み、その感覚の層の澱の蓄積によって病を得て地上を去ることになりました。これもまたカルマの埋め合わせであったのです。そして今生でのあなたは私を失ったことで働きを放棄せず、ようやくここまで切り拓いてきました。それそこがあなたの大きなカルマの解消であったのです。
あなたの準備が進んだことで、今につながる仲間の皆さんがたが魂の約束によって参画してくださったのです。それ以前からの仲間たちもそれぞれに役割を受け持って、早い時期からつながっていました。新旧に関わらず皆さんがたの多くは、自分の感情の陰りや澱を自他の喜びに切り替えることがむしろ苦手です。人一倍善良であっても、そこは苦手な人がほとんどでした。今もそういう面が残っていないわけではありません。しかし、皆さん方は行きつ戻りつの中でも、自分なりの感情の陰りや自我への執着を霊性に基づく自他の喜びに切り替えるテーマを受け入れて、今もその作業を続けてくださっています。そういう人たちと共にであれば、悠々塾が担う雛型は成就するのではないかと、自信に欠けるあなたも思い始めることができたのです。そして先日の定例会があり、今のあなたは雛型成就を確信しています。
これはひとえに仲間の皆さんがたのお陰です。一足先に霊界に戻った私からも、何度も何度も感謝をお伝えせずにはいられません。ほんとうにありがとう! とはいえ、すでに道は拓けたとはいえ、その道を人間が自分の足で歩んでこそ(地上のエネルギーに馴染ませてこそ)、自分にも皆にも健やかなる喜びを現実化する揺るぎないエネルギーの通路となります。
―――これまでの感情(個人的な)を意識の中心としてきた時代は間もなく終わり、人としてのという感情はありながらも、それを超えた全体を意識することが生き方の基本となるのである。 人として生きるということは、霊界での喜びに生きる暮らしと同じことが地上においても成されるということである。―――
この一節をしっかりと腹に落とし、神の子として向上進化の喜びに生きること・神の子として向上進化の喜びに生きようとすることが、地上でも自分を含む皆の喜びを造っていくという真理・法則を心の全部で理解して、日々を生きていただきたいのです。
飯)はい、ありがとう! もの凄いエネルギーで一気に伝えられて、ちょっと疲れました。 本当にもう一息だと思っています。自分でもこれまでよくやってきたなという感慨がある。魂の約束とはいえ、本当に佳き仲間たちに恵まれました。仲間の皆さんに感謝です! 一昨年までのBさんとの何度かの激しいバトルで感覚の層(無意識層)の歪みの設定に気づき、先日はさらに感覚の層の保護カバーに気づけたことが非常に大きいと思っています。
克)はい。Bさんもまさに満を持しての参画ですからね。 いつもお伝えしているように、Bさんとのエネルギー的一体化・融合はとても重要です。先日Bさんにダウンロードした時に、あなたが少なからぬダメージを受けたということは、Bさんとのエネルギー的融合の余地がまだまだ大きく残っているということでもあります。今の最優先の働きの一つだと認識して、その機会を積極的に作ってくださいよ。
霊性から感覚の層に至るまでのエネルギー回路が同調・融合して、感覚の層が健やかに活性化すれば、半ば自動的に自分を含む皆の喜びが現実化していくのです。そうなってこその雛型成就ですから、理論的・方法論的に確立したことで良しとしてしまわないように。そこはあなたの地上的弱点でもありますから。
飯)分かりましたというか、分かっています。定例会も終わったし、そうするつもりです。
克)それではあなたもお疲れのようですし、今回はここまでにしましょう。 本当に今までよく頑張りましたね!
飯)はい、ありがとう! これからもよろしく、です!
(2025・1・28) |
31/01/2025(金) 11:51:50
No.41885 飯沼正晴 |
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「愛は時空を超えて 239」、アップしておきます。
昨日一気に受信したものですが、今日は目が疲れてしっかりと読みなおせません。 あとで読みなおして、少し手直しするかもしれません。 |
31/01/2025(金) 11:54:47
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No.41886 飯沼正晴 |
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「愛は時空を超えて」、少しだけ手直ししました。 せっかく受信したんだから、ご意見・感想なども書いてね。 定例会のことも、どんどん書いてくださいね!
やすこさん、大神神社の話、まさにシンクロですね。
感覚の層の防護膜は、外部から自分を守り、自分を保持するために形成されるものです。 であれば、おそらくは幼いころに自他を区別したいと強く思っていた人、あるいはそう思い続けてきた人ほど防護膜は分厚くなると思います。 定例会でも話しましたが、それは善悪・正邪とは全く別のものです。
ただ、感覚の層の防護膜が強固であれば、自他の認識に歪みや偏りが顕著になる場合が多くなるのだと思います。 そこから派生して、さまざまなトラブルも起こりやすくなるでしょうね。 感覚の層は映写機のレンズですから、愛情深く相手や皆のことを思っていても、自分の防護膜が分厚ければ、自分の愛情も善意も防護膜で遮られて、スクリーンには歪んだ像が映り、つまり喜びがカタチになりにくくなる場合が多いと思います。
幼いころの両親や兄弟姉妹との関係性は、感覚の層の防護膜の形成に大きく影響していると思います。 特に兄弟姉妹で、上や下の子との違いをアピールしなければ自分としての存在意義が脅かされると思うことは少なくないのですが、そういう場合は自然に防護膜は分厚くなっていくでしょう。
今、私たちが獲得しつつあるエネルギーで、感覚の層の歪みの設定も感覚の層の防護膜も必ず解消できるはずです! |
31/01/2025(金) 16:49:47
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No.41887 あきどん |
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愛は時空を越えての受信ありがとうございます! まだ訂正したバージョンは読んでないですが、感銘しています。 私は前回の定例会参加でなんかいつもと違うと感じて、 今回の定例会では、飯沼さんの一部のお話で自分達がここに参画した意味がわかってきた感じで、愛は時空を越えてを、読みなんかピースが繋がった気持ちでいます。 ひとまずこれだけ書いてまた書きます。 |
31/01/2025(金) 18:46:20
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No.41888 やすこ |
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愛は時空、ありがとうございます!定例会の飯沼さんのお話も合わせて、読むたびにダウンロードしてもらっているみたいで解放されていきます。
読んで思う事がいっぱいです!
感覚の層のシール。私は感覚の層の歪みが出てきたときに、一緒に出てくる不自然な頑なさかな?と思いました。もう取れた気がするけど、まだついてるのかもしれないし、でも定例会の後少し薄くなったと思います。
地上の死、霊界のこと、自分の感覚の層の事。この半年で一気に学びました。
生き直したいと思ってから、「今を喜んで自分が自分を幸せに、自分が周りを幸せに!」って、そうやって地上で生きたいと思ってきたけど、地上の死のこと、、私は学びがかなり遅れていました。
今回、本当の事に意識を向けて、同時に自分の本当の姿を知って。理解して納得した事で良かった事があります、
私の翳り不安しんどさ怖さ、それを上回る喜びって、神の子として生きる、そこへ向かう事、その喜びなんだとハッキリ思いました。 その安心、ずっと欲しかったんだと思いました。
前に神の子のエネルギーを実習した時涙が止まらなくなった時があります。理由がよく分からなかったけど、あの時、感じた事ない大きな安心を感じたんだろう…と思います。
地上に生きる、地上の死、自分の事。ちゃんと理解して納得したら、本当に安心して楽になるんだな〜と感じてます。
嬉しい気持ちで進んでいきますね!
また書きます。
飯沼さん、みなさん…
きのう夜に夫に、「それにしても何で急に大神神社の話したん?」って聞いたら、「え?!」と逆にびっくりされて、
夫が言うには、帰宅した時私がキッチンで「大神神社っておおみわ神社って読むんや!!」と声に出して言ってたそうです。
だから神社の話や近くの体育館で大神中学校と練習試合した話をした、って。
「早く言ってよ!!」と言ったら「シンクロ!シシンクロや〜!!」って嬉しそうやからほっといたそうです。
シンクロに憧れ、思わず早とちり〜そしてほっとかれ〜。 みなさん、ごめんなさいでした〜(笑) |
31/01/2025(金) 19:37:30
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No.41889 エーチャン |
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愛は時空を超えての受信ありがとうございます。読んでいてもすごいエネルギーを感じます。ヌマさん、ありがとうございます。
また、定例会のヌマさんの話の投稿もありがとうございます。私も以前何かの書きおこしをやったことがあるのですが、やはり時間がかかりました。まゆみさん、大変な労力を要したと思います、本当にありがとうございました。
愛は時空を超えてとヌマさんの話を読みながら、私へのメッセージの意味が一段とはっきりわかったように思うのですが、今うまく書けません。(涙)
明日以降に書くようにします。書きたいという思いが強くあるのですが、どのように書けば分ってもらえるだろうかというのが引っかかっています。中途半端な投稿ですが、また明日以降投稿します。 |
31/01/2025(金) 22:36:18
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