祐造さん、
>過ちや至らなさの重大さが分かっているからこそ、そこに向き合うのが怖くて逃げてしまってる、という意味で書いたものですが、その重大さということに実感をもっているのかと言われれば、そうではありませんでした。<
どういう意味ですか? 分かるように説明してください。
それと、祐造さんの言う「実感」とはどういうものですか? 「重大さが分かっている」とはどういうことですか? 。。。。。。。。
追加です。
定例会で私が指摘したことは他にもありました。 祐造さんにやる気があれば、帰りの車の中や帰宅してからも、「どうしてそういうことを言われるのだろう?」と考え続けるはずの指摘でした。
定例会の場では祐造さんは私の指摘に無言のままだったので、この場でちゃんと答えてください。 。。。。。。
もう一つ追加です。
どうでもいいと思ってスルーしていたのですが、意外と大事なポイントかもしれないので。
>また、実習の時間にはダウンロードもしていただき感謝しています。 緊張していたせいか、エネルギーが通りにくかったそうで申し訳ない気持ちです。<
祐造さんにエネルギーが通りにくかったのは事実です。 でも、それはエネルギーを通す側だった私とにいクンたちの間で、ほとんど個人的に交わされた話でした。
祐造さんは、エネルギーが通りにくかった理由が、ほんとに「緊張していたせい」だと思っているのでしょうか? 特に書く必要もないのに、エネルギーが通りにくかったことをわざわざ書いて、その理由を「緊張していたせいか」とした動機は何でしょう? |
25/11/2025(火) 08:11:54
| No.43210 さき |
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ぬまさん、みなさん、定例会お疲れさまでした。 ありがとうございました!
祐造さん、 私が言ったことや誰かから言われたことを持ち出しては考えてるフリ、向き合ってるフリ、反省しているフリ、いい人のフリ、、 形だけで中身がない。心もない。
自分がやったことの酷さより、自分の気持ちが大事。 ああいえばこういって言い訳、誤魔化し、とぼけることも平気。嘘をついても心が痛まない。 あなたに「良心」のセンサーはないのか。
その場をやり過ごすことしか眼中にない。 己の気持ちがいちばん大事。やってるフリをしながら己の身勝手を言動し続ける。 その姿を見せられ続けている仲間の気持ちなんかお構いなし。
気の毒な人です。
幼児が自分の身勝手を通すために寝転がって駄々こねてるのと同じです。 いいかげんにしろ! 一生それやってても、通らないものは通らない。 自分がやったことの報いは自分が受けることになるんよ。
・・・・・・ すみません。 場のエネルギーを乱してたら削除してください。 この状態を受けてどうするかは自分の問題だと思っています。 私も定例会の宿題します。 |
25/11/2025(火) 10:58:06
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| No.43211 やすこ |
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定例会ありがとうございました!
「今年の自分は、自分の利益・都合や自分の気持ちを軸とする生き方を卒業して、他者・皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方をしてきたかどうか? それを自分自身の喜びにしてきたかどうか?」
周りに喜びをもたらす自分でいたい、そうありたいと思いながら、不安や心配を大きくしてしまい、「今」を喜べなくなってしまったり、姉に対して相変わらずだなと違和感をもったりする、そんな自分の気持ちが軸になっている自分だったと思います。分かっているのに繰り返してしまいました。周りの喜びを優先にする軸ではなかったと思います。
でも姉への違和感をじっくり考えてみると、少しずつ自分の至らなさも見えてきて、私だって身勝手じゃないか?と思えてきました。 そうすると姉のおかしな言動の理由は姉なりに私の喜びを考えての事なんだと思えてきて。今だにどうしてそうなるんだ、どうしてそんなやり方なんだと思うけど。嬉しい大きな気づきがありました。
今度から、義兄の事で大きく変化した姉をもっと信じていこう。まだ残っている気持ち(姉のようにはしない、なりたくない、と意地のような気持ち)を来年は完全に捨て去っていこうと思っています。姉に甘える事もしていこうかなとも思ってます。
心配について、色んな心配がありますが父の事が大きいです。だけどこれも自分の気持ちが優先の自分軸であったと思います。
地上の死の意味を知りながら湧いてくる気持ちがあり、それは消えないと思うけど、今ある喜びまで薄めてしまってどうするんだ、感謝して今を喜ぶ事をしないでどうするんだ、と最近になって心でわかる様になってきました。 今はそう出来つつあると思います。
無意識に自分の気持ちの軸になってしまうのを卒業したら、もっと軽やかに自分を使っていけると思うのでそうなっていきます。周りを幸せにしたい!と思います。
停滞しているなと感じていましたが、人の向上進化を応援すること、それが自分の大きな喜びと感じました、実際大きな喜びになりました。 また、そのために今の自分を切り替えていこうとした、切り替えた事も大きな喜びでした。
今に喜びを見つけ喜んでいくこと。そうして自分を幸せにして、その自分が周りを幸せにすること。 これをもっと自分に刷り込んで、来年はどんな時もそんな風に出来るようにしていきたいです。
神の子として生きる。これもしっかりと心において、自分も周りも一緒に、向上進化していけるように!と言動していきます。
実習
神の子としてのエネルギーは、皆んな不十分な存在なのだから一緒に歩んでいこう、一緒に向上進化していこうね、というように込み上げるような気持ちのエネルギーだなと思っていましたが、
指導霊になったつもりの無条件の祝福と感謝のエネルギーは、指導霊のリーダーが後ろにいて下さって安心の気持ち、自分はお役目をいただいてる、いつもより大丈夫の気持ち、力強さを持って…これでいいのかな?と思いながらも、そんな風に思い送らせてもらいました。
送らせてもらった時は、なぜか自分の中がスーッと通るような?巡ってる?ような感覚でした。
あと、みやっちに送ってもらった時、背中が汗が出るほど熱くなって、それが急に冷風になったのが驚きました。
ペアになってくださったみなさん、ありがとうございました♪
手のあいた方が皆さん祐造さんへエネルギーを送っておられましたね。 また実習したいです!
二部ではイッシンさんの新曲も聴けたし、オレンジさんの演奏でみんなで歌って楽しかったですね!
オレンジさんが私が前にリクエストした曲をまた演奏してくれて嬉しかったです。
「もしもピアノのが弾けたなら」 自分の気持ちを表現するのがド下手で、心にもない事を言ってしまったり、素直になれなかったりの、ほんとは自信のない、そんな不器用さんな夫を思って、その夫の気持ちを分かってあげようとしなかった私を思って、何度聴いても泣いてしまう曲です。
オレンジさんありがとう!!
私は好き勝手させてもらって最高に幸せでした。まゆみさん、ほんとにありがとうございました! |
25/11/2025(火) 11:15:48
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| No.43212 飯沼正晴 |
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*今年の自分は、自分の利益・都合や自分の気持ちを軸とする生き方を卒業して、他者・皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方をしてきたかどうか? それを自分自身の喜びにしてきたかどうか?
私は悠々塾の働きを始めてからというか、私自身が悠々塾で学び始めてから、「自分の利益・都合や自分の気持ちを軸とする生き方」は薄くなってきと思う。自分で思っているだけかもしれないが。 そして、「他者・皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方」を続けてきたと思う。これも自分で思っているだけかもしれないが。
私の場合、「死後も通用する喜び=向上進化の喜び」をもたらしたいという思いが強い。意識・波動(エネルギー)が喜びに変われば、地上的現実も付随して変わるのだから。
それが相手にとっては「喜び」とは思ってもらえないことも少なくない。そこでは私自身が「なぜ分からないのだ。なぜ、分かってもらえないのだ」という苛立ちを感じることもあって、「(向上進化の)喜びをもたらすこと」を自分の喜びに思えないことはあったし、それは今もある。 相手が「喜び」と思えるような伝え方・表現をしていくことを心掛けたいとは思っているが、それもケースバイケースであるとも思う。
場合によれば、地上で生きている間には分かってもらえなくて、逆恨みされることがあっても、死後に自分の人生を振り返る時の気づきの伏線としてでも、「今、これは伝えるべきだ」と思うことは伝えていきたい。 もしも私の指摘などが的外れで、反発されたとしても、その人の死後の振り返りの過程で、私の見当違いも私の動機において受け入れてもらえるはずだし。
いろいろあるにしても、「(向上進化の)喜びをもたらすこと」を自分の喜びにしているのだとは思う。
クライアントさんを含めて学びの仲間と思う人間に対してはそういう感じで、このテーマについても去年よりも今年の方が向上しているようには思う。
その一方で、畑の作物や土壌微生物さんをはじめとする、畑の生命さんたちに対しては、まだまだ不十分な自分のままだ。
彼らに対しては、「自分の利益・都合や自分の気持ちを軸とする関わり方」しかできていない。「利益」というのは少し違うかもしれないが、「より多くの収穫」が軸になっていて、できたものを無条件で喜ぶということにはなっていないと思う。
そして畑の生命たちの喜びということは頭では分かっているのだが、今のところはまだ「自分の都合や自分の気持ち」が軸になっている段階だ。
作柄や畑の状態がいかなるものであっても、まずは畑という生命場・畑に生きるあらゆる生命たちに無条件の祝福と感謝の心を向けて、そのエネルギーで彼ら全てを包み込むことが最優先の軸になってこそ、共生の喜びがカタチになるということは分かっているのに、そこはまだまだだと思う。
畑の生命たちだけでなく、向上進化の喜びというラインであまりにも噛み合わない人たちや人間としてあまりにも酷いことをしつづけている人たちに対しても、無条件の祝福と感謝の心・エネルギーを注いでいけるようになりたいと思っている。
先日の定例会で、その意識やエネルギーの手応えを感じることができたので、「指導霊になったつもり」の意識・エネルギーをしっかりと自分に定着させていきたい。
自分自身の意識に今までよりも高次な橋頭保を設定することで、自分の利益・都合や自分の気持ちを軸とする生き方を卒業して、他者・皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方がよりナチュラルにできるようになり、それを自分自身の喜びにしていけるようになるのだから。 |
25/11/2025(火) 13:50:58
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| No.43213 久美 |
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定例会ありがとうございました。
「今年の自分は、自分の利益・都合や自分の気持ちを軸とする生き方を卒業して、他者・皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方をしてきたかどうか? それを自分自身の喜びにしてきたかどうか?」
今まで、自分の気持ちを越えることがなかなかできませんでしたが、ここ数年(今年も)身内のピンチが続き、ピンチになった時には自分の気持ちなんて言っていられないので、自分の気持ちより相手・皆の喜びの方へと気持ちを動かせたように思います。 そして、皆が幸せになっていくことをお手伝いできるのは、やはり嬉しかったです。
また、身内でなくても、相手(皆)の力になれたり、喜んでもらえたら、やはり嬉しかったです。
「自分の利益・都合や自分の気持ちが軸になっている部分については、どのように意識・認識・思い方・言動を変えていこうとするのか?」
ですが、長年ずっと悩んできた身内に対する大きな違和感は、なかなか難しいです。
○飯沼さんがラインで言われていた
>誰が悪いかというのは、喜びではない出来事の起点をどこに置くかだけの話で、過去世やカルマのことも含めたら、ほんとは誰も悪くなくて、皆が不十分だったわけだからね。
>その人がそうなったことにも遡れば原因があって、昔や過去世の自分が原因を作ったのかも知れない。
>その人がそうなったことは、もちろん本人を含むさまざまな人の不十分さがあったから。
という言葉を心に留めるようにしています。 とても大切な言葉だと思っています。
○それと、視点を大きく広げて行くと、今まで見えてこなかったことが見えてきて、自分の気持ちや都合を越えて、相手の気持ちに寄り添いやすくなるような気がしています。(どうしてもそうなってしまう相手の気持ちや苦しさが見えてくる)
○違和感のある相手のことを考えてみると、自分も同じようなところがあることに気が付いたりして、自分の向上進化のためだったのかなと、ありがたく思えたりします。
○どんな時も、どんな命にも、無条件の祝福と感謝の心を向けていけるように、それを目標にしていきたいです。
○それでも、自分の都合や気持ち(不安になってしまう気持ちも含めて)を軸にしてしまう時は、「必ず越えられる!できる!」と自分を信じる心を持ちたいです。
○やすこさんも書かれていますが、人の向上進化を応援することは大きな喜びなので、もっと応援できるような自分になりたいです。 それには、自分自身も喜びベースになって行くことが大切だと思いました。
実習では
指導霊になったつもりは、慣れてないこともあるのか、いつもとの違いがよく分かりませんでした。 ですが、エネルギーを送っていると、汗が出るほど熱くなった時がありました。
エネルギーを送ってもらった時は、とても温かくなるのを感じました。 みさおさんにエネルギーを送ってもらった時、何度も頭のあちこちを手でポンポンと触れられているように感じたのですが、後でみさおさんに聞いても、触っていないとのことで、とても不思議だったし、すごいな〜って思いました。 エネルギーをありがとうございました!
懇親会では
イッシンさんの歌に、藍子さんの声の響きに、すごいな〜って感動したり、オレンジさんの演奏も心に沁みて、みんなで歌えて嬉しかったです!
みなさんの歌や演技?や踊り?(笑)も心に残っていて、目に焼き付いたりしていて、家に帰ってからも思い出したりしています。^^
お料理もとっても美味しくて、感動しながら食べていました! まゆみさん、みなさん、美味しいお料理をありがとうございました! |
25/11/2025(火) 16:38:40
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| No.43214 Bさん |
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今年の自分は、自分の利益・都合や自分の気持ちを軸とする生き方を卒業したか? 他者・皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方をしてきたか?
卒業したか?と問われると、いやなかなかまだまだ迷いの中、そんなストレートに卒業はできてないと思います。
でも、兄に関しては少しできてきたかな? 私は「寅さん」を観ると異常に泣いてしまうようなところがあります。 寅さんがなにかの書類の保護者欄にさくらと書いたそんなシーンがあったと思うのですが、そのときはもう号泣でした。 私は兄をずっと守り続けてきたつもりでしたが、心のどこかに面倒な存在という思いがあり、幸せを願いつつも仕方がないことだとして自分の都合を兄に強いることが多かったです。 仕方がないは私の都合であって、兄にとっては不本意なことでしかなかったと思います。すったもんだいろいろあっても、優しい兄は最後には必ず折れてくれていました。もちろん私は兄を含む家族みんなの幸せを願ってのことではあったのですが。
そのことに気づいてからは兄の思いを汲むようにして自分本位なことは避けてきましたが、面倒な存在の意識は薄くはなったものの、すべてを受け入れることはできていませんでした。 でも、今年は兄との関りがより多くなっていく中で、もちろん面倒なことは多々あるのですが、心から兄を愛おしく思えるようになりました。 その思いが兄に喜びをもたらしているか、それはどうなんだろうとは思いますが、自分本位であったことに気づけたことは大きく、愛おしく思えたことは自分自身の大きな喜びです。
定例会で少し話した優しさが仇になり的な出来事ですが、相手のことを助けるつもりでしたことですが、これもひょっとしたら心のどこかにあった自分の都合優先が引き起こしたことかもしれません。そんな気がします。
みんなのため人のためと言いつつ、往々にして自分の本心を誤魔化しながら生きているのかもしれません。 そんなつもりはなくても、自分の言動の中にひょっとして自分本位が潜んでいるのではないか、冷静に自分を見定めていかねばと思います。
誰に対しても何に対しても「居てくれてありがとう! 在ってくれてありがとう!」の思いですべてを喜びに変えて、自分軸優先を卒業しましたと胸を張って言えるようになります。 皆さんとともに、互いに思い合える喜びの世界が広がるよう努めていきます。
定例会では飯沼氏、さきさんはじめ皆さんありがとうございました。 久々の出会いに心癒されました。 特にあきえさん、なみさんが見せてくれた明るい笑顔がうれしかったです 二部の「すずめの涙」には、さきさんの心意気についついお構いなしに笑っちゃいました。 もちろん、いつも以上に本領発揮のやすこちゃんには大笑いです。 東さんの入魂の踊りも素晴らしいですね。 イッシンさんの新曲も明るく軽快で楽しかったです。 エーチャンのパフォーマンスもエーチャンの日常が垣間見れて面白かったです。
まゆみさん、藍子ちゃん、そしてお母さんも、たくさんのお料理をありがとうございました。 畑で採れた白菜も大根も小豆も、それに卵も美味しくいただきました。 みゆきちゃん、さきさん、自然農法の黒豆もありがとうございます。 |
25/11/2025(火) 19:11:01
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| No.43215 みやっち |
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定例会、ありがとうございました。
「今年の自分は、自分の利益・都合や自分の気持ちを軸とする生き方を卒業して、他者・皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方をしてきたかどうか? それを自分自身の喜びにしてきたかどうか?」について。 まだまだ自分の利益や都合や自分の気持ちを軸として考えているところがあるし言動しているところがあると思います。 きちんと振り返りながらあとあとでも検証しながら他者・皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にして生きていきたいと思います。
皆に喜びをもたらすことというと何もないのですが、他者に喜びをもたらすという意味で両親の事を書かせていただきます。 今年は春先から自分の幼少期について振り返ることがあり、この機会に両親に感謝の手紙を書こうという気持ちになっていました。 でも母親と長く電話で話すことが出来て、自分が避けられていたのではなかったという事がわかり、父親への恥ずかしさもあってなかなか手紙を書くことが出来ずにいました。 そんな中で父親が重篤な病にかかっていることがわかり、時間的な余裕がない中で両親へ感謝の手紙を書きました。 父親へはじめてお父さんと呼び、病院へ行って直接感謝の言葉を伝える事が出来ました。 兄弟できちんと情報を共有してコミュニケーションをとり、母親も含めて家族みんなで父親の為に協力することが出来ました。 残念ながら亡くなってしまいましたが葬儀の時も出席いただいたみなさんが両親の事を思い、我を通すことなくみんなが出来る事をやりました。 母親には感謝の気持ちを手紙で伝えることと、兄弟が仲良く協力している姿を見せることが出来ました。
「まだ自分の利益・都合や自分の気持ちが軸になっている部分については、どのように意識・認識・思い方・言動を変えていこうとするのか?」について。 父親の病があって手紙を書こうと決心し、実行することが出来ましたが本来であれば病とか何もない中で、自分から感謝の手紙を書いて両親に見てもらえたら一番喜んでもらえたと思います。 父親の病を知ってすぐに病院へ行きましたが藍子さんに背中を押してもらってすぐに行く気持ちになりました。 「小学生が病室に入ることが出来ない事」、「15分しか父親に会えないこと」もあり一度行って気持ち的にはかなり満足したというかもう十分だと思っていました。 飯沼さんに「時間があればなるべく会いに行った方がいいよ。」と言ってもらって、背中を押してもらってそれから何回か会いに行きました。 何度か病院へ行くと面会時間もある程度緩和してもらえたり、小学生も病室に入れてもらえたり、担当医や看護師さんから丁寧に説明してもらうことも出来ました。 何より病院に行ったからこそ感謝の手紙を書いた内容を直接口に出して父親に自分が満足するまで何度も伝えることが出来ました。 病院からの説明は母親・弟・藍子さんと一緒に聞いたのですが、家族から説明されるよりもより一層家族の絆を深めることが出来たように思います。(兄は僕達よりも前に病院からの説明を直接聞いていました。) そういう意味ではあらゆる面で積極性に欠けていたと思います。自分からもっと喜んで積極的に言動していけるようになっていきたいです。
一部後半の実習について。 その人の指導霊になったつもりで無条件の感謝と祝福のエネルギーを送りました。 エネルギーを送っている相手から自分へと回収させて(循環させるイメージで)送りましたが言葉では何と言っていいか難しいですがエネルギー的につながったような、同じエネルギーを共有出来たようなすごく心地いい感じでエネルギーを送っていたように思いました。ついつい長めにエネルギーを送っていたように思います。 エネルギーを送り終えてふと周りをみるとその時は和也&久美さん?だったと思いますが祐造さんへエネルギーを送られていて、周りでも祐造さんへエネルギーを送られていました。直接祐造さんへエネルギーを送った人だけでなく、周りのみなさんが祐造さんを心配している気持ちが伝わってきて心があたたかくなりました。 |
25/11/2025(火) 20:01:45
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| No.43216 きんもくせい |
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定例会ありがとうございました。 宿題について 思い切って手を挙げてみたもののもったもたでしたので仕切り直して書きます。
「今年の自分は、自分の利益、都合や自分の気持ちを軸にする生き方を卒業して、他者、皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方をしてきたかどうか?それを自分自身の喜びにしてきたかどうか?」
今年は地元の子ども食堂に出会えたことで、自分の利益、都合に関係なく、そこに来る人たちに少しでも喜んでいただけるようにお手伝いしたり、そうできる機会に巡り会え働くことができました。 それは自分にとっての喜びとなりました。ありがたいことです。
それまでの自分は、うっすらいつかそんな働きができたらいいな?と思ってはいたものの、その時々の自分の都合を優先して、積極的に動いていませんでした。 また何かあるたび、自分の気持ちを軸にして違和感を膨らませていました。
そんな私が、ようやく本当に喜びを感じる働きに出会えたこと。 何より出会えた人たちと繋がりながら、そこから広がる出会いや繋がりの中で こんな自分が何らかのお手伝いができていることに感謝しています。
「まだ自分の利益・都合や自分の気持ちが軸になっている部分については、どのように意識・認識・思い方・言動を変えていこうとするのか?」
まだ自分の気持ちが軸になってしまっていることがあります。 相変わらずちょっとしたことで違和感を膨らませてしまいます。 そこは、悠々塾で学んできたことを思い出して、自分も不完全だし、誰もが神の子だし、何よりもたらされることは必要で学びの為だからもたらされていること。 だから違和感を膨らませる私がどうするか?を考えることだと頭で分かりながらも自分の気持ちがあり葛藤していました。 その違和感の原因になっているその人の背景も想像したり受け入れようとしたり。 自分が違和感と思っていることは、その人の一部分であって全てではないのだから 違和感を膨らませてしまう私が自分なりなのかもしれないとも思い。 とにかく自分の気持ちにいちいち囚われず振り回されず、その場の皆が居心地よく、皆が嬉し楽しい場になるようにと言動していくことを意識していくしかないと思っています。 気持ちを向ける方向は 違和感にではなく 皆の喜びに繋がる方向。 自分のちっぽけな気持ちに留まらないで 皆の喜びを思う気持ちを大きくしていきたいと思います。
実習でエネルギーを送り合った時の感想
さいこさんに送っていただいた時には、頭頂からず〜んと入るのを感じました。 その後はこのまま眠ってしまいたいほど気持ちよかったです。 さいこさん、ありがとうございました。 その後、千夏さんにエネルギー送っていただいた時、咳き込みました。 痰も絡んではいましたが、排出だったんでしょうか。 千夏さん、ありがとうございました。
エネルギーを送る時は指導霊になったつもりでとのことでしたが とにかく自分を薄くして、教わったようにただただ無条件の祝福と感謝の気持ちを送ろうとしてみました。 自分のお腹がぐるぐる鳴るばかりでちゃんと送れていたか分かりませんが目の前の相手が愛おしく思えました。
二部は、皆さんとお話ししたり イッシンさんの歌やオレンジさんのピアノや皆さまの踊りやらほんとに楽しかったです。 いつもながら美味しいご馳走を夜も朝も沢山いただきました。 まゆみさん、飯沼さんのお母さん、準備してくださった皆さま ありがとうございました。 お土産までいただき、ありがとうございました。 |
25/11/2025(火) 22:54:19
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| No.43217 祐造 |
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飯沼さん 昨日の書き込み、分かりにくい書き方ですみませんでした。
>「過ちや至らなさの重大さが分かっているからこそ、そこに向き合うのが怖くて逃げてしまってる、という意味で書いたものですが、その重大さということに実感をもっているのかと言われれば、そうではありませんでした。」 どういう意味ですか? 分かるように説明してください。<
自分の母親に長年に渡って虐待的叱責を続けてきてしまったことの重さ・酷さを、本当はよく分かっているはず(意識できていないところで)。 だから意識できるところでは怖くて見れない直視することを避けてしまっている。 ―――そういう状態だという意味で書いたのでした。
>祐造さんの言う「実感」とはどういうものですか?< 頭では大変なことをしてしまったと分かっていても、気持ちのところで大きく動いていないし、いても立ってもいられないような気持ちにはなれていないので、そのことを「実感をもっていない」と書きました。
>「重大さが分かっている」とはどういうことですか?< 虐待的叱責を続けてきてしまったことの重さ酷さを、意識できていないところではよく分かっている、という意味で書いています。
あと「追加」の分ですが、、。 >祐造さんにやる気があれば、帰りの車の中や帰宅してからも、「どうしてそういうことを言われるのだろう?」と考え続けるはずの指摘でした。<
すみません、どういう指摘だったのか思い出せません。 なんとか思い出そうとしたのですが、分かりませんでした。 せっかくの大事な指摘なのに、覚えていなくて申し訳ありません。 できればもう一度教えてもらえませんでしょうか。
もう一つの追加。 「緊張していたせいか」のことですが。 エネルギーが通りにくかった上に、最初にぃさんが背中が痛くなったということで、それは自分のせいではないか。だとしたら緊張していたせいかも知れない、と思ったのでした。 背中の痛みが、自分のせいかどうかわかりませんが、そうであるなら申し訳なく思っています。
みやっちさん
>エネルギーを送り終えてふと周りをみるとその時は和也&久美さん?だったと思いますが祐造さんへエネルギーを送られていて、周りでも祐造さんへエネルギーを送られていました。直接祐造さんへエネルギーを送った人だけでなく、周りのみなさんが祐造さんを心配している気持ちが伝わってきて心があたたかくなりました。<
そうだったのですね。本当にありがたくてなりません。 あの日、あきえさんを駅までお送りしたクルマの中で、あきえさんからも同じ話を聞かせてもらいました。 あのとき多くのみなさんが、エネルギーを送ってくださっていたと。 嬉しくて、もったいなくて、ありがたくて、申し訳なくて、いろんな気持ちがこみ上げて、運転しながら涙が出ました。 みなさん、こんな自分に本当にありがとうございます。 |
25/11/2025(火) 22:56:21
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| No.43218 飯沼正晴 |
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祐造さん、
どうしても、無意識というところに逃げ込みたいようですね。 虐待的叱責が露見した頃は、「記憶にない。思い出せない」と記憶障害であるかのように言い続けていました。 指導霊まで引っ張り出して。
しかしそれは意識的なウソであったと認めざるを得なくなれば、今度は「実感がない」ということを言い続けるようになりました。
お母さんへの虐待的叱責を続けていた頃やそれが露見した直後は、自分がとんでもなく酷いことをしてきたという実感は薄かったかもしれません。 スピード違反に慣れきった悪質ドライバーのように。 もちろん「記憶にない。思い出せない」というのは、意識的なウソですが。
しかし、ある時期からの祐造さんは、意識して「実感がない」ということにしているのだと思っています。
>自分の過ちや至らなさに向き合うことから逃げ続けて、ウソや誤魔化すことまでしてしまいました。<
>自分を守ってしまい、自分がして来てしまった酷さを直視できなかった。しなかった。 そこをひっくり返したいです。 事実を直視して、自分の過ちをありのままに見て、心から思い至り、悔い改めること。 あきらめずに、何度でも挑まないといけないです。<
定例会で私は、「向き合うことから逃げているとか、自分がしてきたことのひどさを直視できていないというのは、周囲から言われる言葉だ。自分でそう言うということは、自分で認識しているからだ」と言いました。 「何から逃げているのか、自分で明確に分かっているから、そう言えるのだ」と。
それと、「祐造さんは何度でも挑んでいかなければいけないと言うが、祐造さんは決して交わらない平行線を設定している。このままではいつまでたっても実感なんて湧いてこない。だって祐造さんは決して交わらない平行線の1本の上に乗っかっているのだから」という意味の指摘をしました。
すぐには意味が分からなかったと思います。 平行線の1本は、「自分がやってきたことの酷さに心で思い至る」という線です。 もう一本は、「いくら努力しても、心で思い至ることができない・実感が湧かない」という線です。
もしも祐造さんが本気で、 >自分を守ってしまい、自分がして来てしまった酷さを直視できなかった。しなかった。 そこをひっくり返したいです。 事実を直視して、自分の過ちをありのままに見て、心から思い至り、悔い改めること。 あきらめずに、何度でも挑まないといけないです。<
と思っているのなら、私の指摘をすぐに忘れるはずがないのです。 だって私は、このままでは祐造さんはいつまでたっても心から思い至ることにはならないよ」と断言したのです。
「飯沼さんの言ったことはどういうことだろう? 自分はこんなに必死になって、心で思い至ろうとしているのに」と、大きな疑問が湧いてくるはずだから。 祐造さんが本気で、心で思い至ろうとしているのなら、当然そうなるはずです。
でも、案の定、祐造さんは私の指摘を忘れてしまっている。
それは祐造さんが心で思い至ろうなどとは思っていないからです。 というよりも、自分がやってきたことの醜悪さを頭でも心でも十分に認識しているから、意識的に実感が湧かないことにして逃げているからです。
「自分が緊張していたから、エネルギーが通りにくかったのかも」と、あえてわざわざ書かずにいられなかったのも、自分の闇の深さを認識しているからですね。
あの状況ですから、ほとんどの人は「闇や歪みが深いから、エネルギーが通りにくかったのだろう」と思うのです。 祐造さんも当然、そう思ったはずです。 だからこそ、あえてわざわざ「緊張していたから」と書かずにいられなかったのでしょう。
これも、祐造さんが自分の闇の深さに頭でも心でもしっかりと思い至っているからこその、積極的なフェイク誘導です。
つまり祐造さんは自分の心で思い至ることから逃げずにはいられないような酷いことをしてきたと、アタマでも心でも分かっているのです。
分かっているから、私の指摘について頭も心もめぐらせる必要もなく、すぐに忘れてしまうのです。 それだけの話だと、私は思っています。
ということで、私はもう一度言います。 祐造さんが決して交わらない平行線を設定して、その1本に乗っかっている限り、いつまでたってもどうにもならない。
神にひれ伏して心の底から許しを乞うのか、全てがバレてしまっているのにこのまま逃げ続けるかの二者択一です。
あとは本人次第でいいと、私も思っています。 |
26/11/2025(水) 00:15:33
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