定例会ありがとうございました。 みなさんの仲間でいれることが本当に有り難くて感謝です。 飯沼さん、さきさん、ありがとうございました。 イッシンさん、オレンジさんありがとうございました。 みゆきちゃんのお野菜もありがとう。そしてまゆみさん、いつも有り難うございます。
克子さんありがとうございます。 克子さんにはお会いした事はなく、でもたまに話しかけたりして、一人恥ずかしくなったりの変な私です(笑)。ひとしずく には何度も助けられて、勇気がない時に読んで背中を押していただいた事があります。 よし!と思いきる時や軌道修正したい時にいつもひとしずくやメッセージ がありました。これからも何度も読んでいきたいです。
テーマのこと。 何年か前、このままの自分で生きたくない、と強く思った事があります。 自分を一番苦しめていたのは自分だと知り、人を責めたり出来る人間でなかった、地に足つけて生きてこなかったと知りました。自分と向き合う事をしてこなかった自分にとってとても苦しかったです。
自分が手にしてる幸せを喜ぶ事をしなかった。 感謝の気持ちもなかった。 わがままで自分勝手な人間だったと思います。
自分の喜びを当たり前に思い、人を羨ましく妬ましく思った。 自分はそうなれない事に陰った。 それを自分の環境や、結婚してからは夫のせいにしてきました。
自分のカルマは具体的に知らないですが、これまでを考え、私の宿題は、今を喜ぶ、今の自分を喜ぶ、感謝する、という事だと思ってます。
更に、自分の思い通りにしたくて、人を傷つけたり苦しめてきたと思います。自分の思いが精一杯で人の気持ちを考える事が出来なかった。人として考え選択する事が出来ませんでした。
もう謝罪出来ない事もあるし、取り返せない言動もある。
地上を離れ人生を振り返る時、沢山の愛に満たされていた感謝と、なのに不平不満ばかりの自分の愚かさと、その為に傷つけてきた人の思いも知ることになるので、辛く苦しい作業になると思います。
今出来るのは、その事に地上で生きてるうちに気づかせてもらえた事を大きく喜んで、「自分らしい自分」「役に立てる自分」として感謝して生きていく事だと思っています。それが償いにもなるのかなと思います。
この数年はそれを目指してきたつもりですが、疎かにしていたり出来てない事が多いと今回思いました。今地上を離れたら、「分かっているのにしなかった」という事になると思いました。 それは何も知らない悠々塾に繋がる前よりも、悔いる事になるだろうなと思います。
○自他の喜びを実現するために努力したかどうか?
悠々塾で学び始めてからは、自分もみんなも幸せに!と、そのために自分を変えていく事を頑張ったと思います。おそらくどんな時も前向きに自分を変える努力はしてきたのではないかな…と思います。自分を変える事は一番の喜びと思っているからです。
「そうなれて良かったね」と言ってもらえると思いますが、もっと違う努力も出来たのではないか?と問われると思います。
良かれと思っている事や相手を思ってのことが自己満足や自分なりであったからだと思います。目の前の事しか見えず物事を大きく捉えたりゆったり構える事が出来なかったからと思います。
出来た事もあります。自分は性格を捻じ曲げてきたと自覚があったので、その自分が役に立てる事は何もないと思ってきました。 だけど、めちゃくちゃだった自分だから、人の心に寄り添える事も少し出来るようになったかもしれません。 それは嬉しいし、良かったね、と言ってもらえそうです。
・愛に基づいて、出来事や人間関係に対処してきたかどうか?(愛は見返りを求めません)
こういう自分でいたら愛してもらえるのではないか、と、太刀振る舞ってきた事はあります。今もまだそうなのではないかと思う時があります。
だけど、助けが必要な人には見返りを求めず愛に基づいた言葉や行動が出来る、必死になれる、そんな面もあるかなと思います。 そう出来る自分になれたのは、そんな風に生きる人達と関わる事が出来たからです。 私は出会う人に恵まれていること、ほんとに嬉しく思ってます。
・他者・他の生命に喜びをもたらしてきたかどうか? 喜びをもたらそうとしてきたかどうか? (本来の喜びとは向上進化の喜びですが、楽しさや嬉しさも喜びに含まれます)
喜びをもたらせたい、という気持ちは常に持っていると思います。でも喜びをもたらせたことは多くない気がしています。地上を離れてからは、他者から喜びや嬉しさを与えられるばかりだった事を知って、いっぱいの感謝と、そして至らなかったな…と思うと思います。
・真実・本当のことを大事にしてきたかどうか? (自分の損得や自分なりの気持ちで事実・真実を歪めることがあるのなら、謝罪と共に事実・真実に立ち返る喜びに帰着してください)
自分にとって都合の良い方を真実と思っていた事もあったります。
真実を捻じ曲げ、自分は悪くないと気持ちを逸らした事もあります。嘘をついてしまって人を傷つけた事あり、損得が働き無関心でいた事もあります。自分だけが可愛く、自分さえ良ければいいという気持ちからだと思います。
こういった面はもうないと思っていましたが、テーマを考えていくうちに、私にはまだこういった面は今もあるのでは?自分に都合よく考えたり、損得を考えたりしていないか?と思いました。
でも少しだけど地上で真実に基づいて出来た事は、誰かの魂や心が真実から大きく離れ危険だ思ったら躊躇せずに言動する、その時は損得勘定も消えて言動する事ができた。
悠々塾で真実や正しい事を学んでから、そんな事が出来るようになってきたと思います。そんな強さも欲しかったので嬉しいなと思います。
振り返りでは、こういった面がもっと成長出来れば良かったねと言われると思います。
この数日は胸の苦しい時間でした。 改めて自分の心や行いを見つめ直したからもありますが、痛い思いをして気づけた事なのに実践出来てない事が沢山あったからです。嫌になる程にだらしのない自分だなと思います。こういった自分も地上を離れて考え直す事になるなと思います。
でも、こんな自分でもきっと風穴を開ける役に立てるのでは、と思っていてます。 自分らしく生きたいと思ったり、一生に一度でも精一杯生きる事をしてみたいとか、誠実に生きてみたい、人として恥ずかしくない生き方をしたいと思っている。
獣そのものだったあの私がそんな事を願っているのは、自分にとってとても大きな一歩だったと思うからです。その切り替えで少しでも地上に波が立ってくれていたら…と想像して自分の存在が嬉しくなる時があります。
そう信じながら「一歩」を喜んでいきたい。半霊半人を目指して、意志と意欲を高めていきます! ここまできたら諦めるとかないです。 これからも自分を役立てる喜び、向上進化の喜びを膨らませていきます。 |
28/07/2025(月) 09:25:02
| No.42856 ちづこ |
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定例会ありがとうございました。 皆さんのお話聞かせてもらって、ありがとうございました。 まゆみさん、おばあちゃん、藍ちゃん、美味しいお料理、いつもありがとうございます。 イッシンさん、オレンジさんありがとうございました。感動しました(涙) みゆきちゃん、畑のこと、お野菜もありがとう。
一部では手を挙げて話せなかったです。自信もないし、人前で話すのがなかなかできないです。守らなくていいんだと思おうとするのだけど、話せませんでした。
テーマについて書きます。
わたしは、自分の側からしか物事をみれなくて、とても歪んでました、今もやけど今よりずっとそんな人でした。 人の気持ちや立場、背景を思うことは少なくて、いつも自分の気持ちが中心で、そこが基準で、生きてきたと思います。 与えられていることに感謝しない、自分が得たい、自分に集めたいと思っていたと思います。 なので、たくさんの人を傷つけてしまっていました。 嘘もついたし、人のことを羨ましく思ったり、人を悪く言ったり思ったり、自分を正当化したり、傲慢だったり、嫉妬もあります。ずるいし、うまく立ち回ろうとしたり、いっぱいあります。自分の思い通りにしたいと思うのも、強かったと思うし。今もまだあります。
今までで、気づけてるところもあると思うけど、気づけてないところもたくさんあると思います。気づけてるところは、謝れる人には謝り、できないところは心で謝り、そんな自分を繰り返さないようにしようと思っています。
・自他の喜びを実現するために努力したかどうか?
努力しようとしたかもしれないけど、自分なりがベースだったのでは、と思います。
・愛に基づいて、出来事や人間関係に対処してきたかどうか?
出来たこともあるかもしれないけれど、出来てないことを思い出します。いまだに人間関係では、波風を立てないようにとか、嫌われないようにとか、思ったりしてしまいます。
・他者、他の生命に喜びをもたらしてきたかどうか?喜びをもたらそうとしてきたかどうか?
喜びをもたらそうとしてきたところもあると思うけど、それが自分なりだったり、その人にとってそれが喜びになったのかなぁと思います。
・真実、本当のことを大事にしてきたかどうか
大事にしてこなかったと思います。世の中の出来事にも無関心だったり、しんどくなるから見ないとか。けど、今は、知りたいし、大事にしたいと思っています。
悠々塾で学ばせてもらって、今もまだまだだけど、以前の自分と比べると、進めているし、そこを感謝して喜んで、またここから進んでいきたいです。 わたしも悠々塾と繋がってなかったら、どうなってただろうと思います。 飯沼さん、克子さん、皆さん、ありがとうございます。 まだまだですけど、半霊半人に近づいていきたいです。 もたらされる練習問題に感謝して、やっていきたいです。 自分にも他人へももっと大きく温かい眼差しを向けて、喜んでいきたいです。 |
28/07/2025(月) 15:15:33
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| No.42857 飯沼正晴 |
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きんもくせいさん、やすこさん、ちづちゃん、さっそくの書き込み、ありがとう!
特にちづちゃんの書き込みで思ったのですが、地上を離れてから「どんな自分として地上で生きたかったか? また地上に再生するとしたら、今度はどんな自分として生きると意志するか?」も書き加えてくださいね。
これから書く皆さんもそこを着地点にして書いてくださいね。
あおやまさんはこれからも悠々塾で共に学び共に働いていく意志と意欲があるのなら、定例会翌日の自分の言動もしっかりと振り返り(個人名は出す必要はありませんが)、テーマに則して自分自身の問題として本気で書いてください。 日曜日の様子を見たら、「あおやまさんは何のために定例会に参加しているのか?」と思ってしまいます。 今までも同じことを何度も伝えてきましたが、それでも相変わらず今まで通りの自分のままで、陰りの気持ちを軸にしていくつもりならば、この際はっきりとそう言ってください。
今の地上に生きていれば、気持ちが陰ることは誰にもあると思います。 それは致し方のないことでしょう。 それをできるだけ速やかに喜びに切り替えて、言動で表現していくことを私たちは学んでいるのです。
自分なりの気持ちを軸にして、自分なりの都合や自分なりの気持ちで自分の陰りを正当化し、「自分の気持ちを分かってもらえない」と怒りをまき散らし、そういう自分を切り替えようとする気がないのであれば、何のために定例会に参加しているのかと思ってしまうのです。
誤解しないでほしいのですが、私はあおやまさんを責めているのではなく、やる気があるのかないのかを尋ねているのです。 |
28/07/2025(月) 17:26:06
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| No.42858 なみ |
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定例会ありがとうございました。 今回は1部だけの参加でしたが、皆さんのお話を聞くことができて、よかったです。ありがとうございました。
今回のテーマについて
今自分が死んだら、いかにたくさんの人に支えられて生きてきたか、どれだけ愛を向けられていたのかを知って、感謝の気持ちでいっぱいになると思います。
また、自分にとって嫌な人、嫌な出来事、すべてが自分がしてきたことの埋め合わせであり、向上進化するための学びであり、とてもありがたいことだったのだと分かり、嫌だと思っていた人も愛をもって自分の成長を促す役割をしてくれていたのだと思うと、感謝の気持ちであふれると思います。
そして、今度は自分の至らなさや不十分さと向き合い、家族や出会った人に申し訳ない気持ちがわいてくると思います。 今世で解消すべきカルマを解消できないままで、たくさんできなかったことを後悔すると思います。
私は自分自身を喜ぶことができませんでした。
人に心を開いて、素直に自分の気持ちを表現すべきでした。
特に父、母、弟には感謝の気持ちや相手を認めたり評価したりする言葉や態度をもっと表現できたはずなのに、そういう場面はたくさんあったのにできませんでした。 不満や否定ではなく、思いやりのある温かい言葉をかけるべきでした。 悠々塾と出会い、そのおかげで家族の不調和は、子供の頃に比べるとはるかに調和に向かうことができました。 父との関係も随分よくなりましたが、弟に対して、私はある時期から違和感を大きくしました。 どんな理由があっても、人としていけない思い方や言動だったと思います。 もっと理解し、大きく受け入れるべきでした。 弟のことを背負う自信がなく、逃げようとしていました。 温かい眼差しで弟のためにできたことがたくさんあったはずです。
主人のことも、もう自分ではどうすることもできなくなって、彼から心を離しました。 彼を否定して、自分の感情をぶつけて、彼を助けようとはしませんでした。 彼の子供の頃のことや彼の気持ちをもっと理解して、彼を受けとめることができたはずなのに。 私にできることがあったのにしようとしなかった。 あの頃、娘に愛情が向き過ぎていたことも申し訳なく思います。 嫁ぎ先から口止めされても、やはり重大な事実を両親に話すべきでした。 こんなことになるなんて思いもしませんでした。私はとても未熟でした。
自分がどう思われるかを基準にして言動していたことに気づけないまま、相手に真っ直ぐ気持ちを伝えることができず、心を通い合わせることができなかったことも悔やまれると思います。 不安ばかりで、今を喜ぶことができなかったことも、もっと相手に愛を持って接することができなかったこともです。
物事を明るく捉えることができず、生きる意欲を持てないときもありました。 人に頼りにされることや必要とされることがあっても、自分の自信のなさから逃げたり、積極的に動くことができませんでした。 自己中心的なところもあったと思います。それで人を傷つけたこともあったと思います。
もっとほかにもたくさん過ちや至らなさはあると思いますが、きっとこうやって一つ一つ向き合うことになるんだろうなと思います。
・自他の喜びを実現するために努力したかどうか? ・愛に基づいて、出来事や人間関係に対処してきたかどうか?(愛は見返りを求めません) ・他者・他の生命に喜びをもたらしてきたかどうか? 喜びをもたらそうとしてきたかどうか?
悠々塾に出会ってからは、自他の喜びを実現するために努力したこともあります。見返りを求めるのではなくできたこともあったけど、他者・他の生命に喜びをもたらそうと頑張ったこともあるけど、やっぱり自分を軸にして、自分の気持ちや都合を優先させていたことが多かったと思います。 振り返ってみて、そう思います。
・真実・本当のことを大事にしてきたかどうか?
大事にしてきたと思っています。思い込みや勘違いをしていたこともあると思うけど、本当のことに気づけたときはそれを大事にしてきました。 ちづちゃんの投稿を読んで気づきました。世の中の出来事とか、私も無関心だったり、ちゃんと真実を知ろうとしなかったりしたことがあります。そういったところでは大事にできていなかったと思いました。
もう同じことを繰り返さないように変わっていきたいです。 自分の損得や気持ちや都合を優先しないで、関わる全ての人を大切にして、喜びをもたらせる人になりたいです。 嫌な人も嫌な出来事も償わせていただく喜び、向上進化の喜びにして、どんなことにも感謝の気持ちを持って生きていきたいです。 自信のなさから逃げるのではなく、自分にできることはさせてもらおうという気持ちでこれからはやっていきたいです。 ここからまた生き直すことができる、その機会が与えられているんだと思うとありがたいです。 残りの人生を悔いのないようにしたいです。 |
28/07/2025(月) 18:57:39
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| No.42859 ミスター |
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皆さま、定例会ありがとうございました。
67歳、私も地上人生の終盤に差し掛かっている。 飯沼さんのお手本を読んで、長い長い働きの中で多くの関係者、仲間、仲違いした人までに感謝すると。 私はもちろん身近な家族には感謝と肉体で接することができなくなる残念さは湧いてくるけど、その他に? 転勤族を割り引いたとしても私はずっとその時その時の今だけを生きてきたんかと情けなくなった。
人生を振り返って、まずは11歳でニューヨークに渡り、公立の小学校に編入。当時なので人種差別も激しく、身体が小さいことのハンディがあって。日本では後ろから2番目くらいだったけど、大きいやつに凄まれると逃げるしかない。
今自分の心に手を突っ込んでみると、この頃に、何かあると現実から逃げる癖がついたように思う。 帰国してからは高校受験、大学受験。 受験のための勉強で、将来何がしたいからではない。 大学に入っても頭の中はすっからかんで、何がしたいから何を勉強するでなく、出席で単位が取れる授業に出席するだけ。親父と同じ文系サラリーマンになる道しか頭になかった。 手先が器用なのでのちには何かの職人になっていたらどうだったんだろうと思うけど。
あまりに幼稚だったこの時期までのこと、地上を去った時にどのように振り返ることになるのかわからないが、興味深く、謙虚に謙虚に聞いてみたい。
42年の文系サラリーマン。 思い出すが試練はたくさんあった。40歳頃自分の心も壊れた。 反面教師にした上司もたくさんいた。 それでも逃げ癖はあったし、忖度迎合はして、正面から対峙することは多くはなかった。言ってみればそういう文化の業界だった。
幼稚な自分が選んだ業界なので自業自得。それでも心を壊していても辞める選択はなかった。しがみついていた。 その後当時の同期会など出たこともあるが、何だか表面的で合わないなぁ。と思う。
終盤は、仲間への愛情をベースにした仕事をやってきたとは思う。けど、転勤でメンバーも自分も一定期間でお別れするわけで、何かが残ったのか?
自分もその文化にどっぷり浸かってきたくせにこうして振り返っていることを霊界でどのように評価されるのか。
かたや、一番の反省。多くは言いませんけどその間一番身近な家族との距離、単身赴任の糸切れ凧。後悔と謝罪と懺悔。
第二の職場も9年勤め昨年退職。 時間もでき、地元で、地元の困った人のために活動したいという気持ちが湧いて動き出した。悠々塾、そしてドネと関わってきたからこその思い。 そして1年前に隣町のNPOとの出会い。
関わる人に少しでも幸せを感じ、喜びに繋がるように。そういうマインドの人たちの集まり。設立して20年経つので、当初からの会員の子女も入ってきていてこの後もきっと受け継がれていく。 私はきんもくせいと一緒に、子ども食堂の全般、日本語教室。 また、外国籍の人の生活の困りごとのサポート、補助金助成金の申請はじめ、資金調達などの仕事をやっています。これまでの経験も生きていると思う。
見返りを求めず、地元社会に貢献する、困った人を支援する。 もやもやと自分が求めていたことだと確信しています。 組織ではあるけど、会社とは全く違うフラットな関係が心地いい。
私も数えてみたら悠々塾に繋がって15年くらいになりました。 飯沼さんに10年ほど前に壊してもらってからの自分は少しは変わったと思う。
・自他の喜びを実現するために努力したか。 都度都度何が正しいか、何が人として優しいか、自他の喜びを考えてから行動するようになった。と思う。 言動と言えないのは、気持ちを言葉にすることが不十分・苦手だから。 言わずもがなですが楽しさ嬉しさの演出は苦手。
・愛に基づいて出来事や人間関係に対処してきたか? 上に書いた通り、サラリーマン人生の後半は仲間へ愛情を注いできた。 今NPOの代表を見ていて、本当に愛情深い人だと思う。 経済的に困っているから支援するだけではなく、自立をさせるために私たちが何をするか、本人に何をさせるべきかをいつもグルグルと考えておられる。 本当の愛のある支援には経験値が必要だと気付かされている。見習いたい。
・他者、他の生命に喜びをもたらしたか? 釣り愛好家としてどうなんだろう。 魚の命を頂戴したからには、感謝と共に頂く。周りにも振る舞いますけど。
第二の職場での3年くらいの頃、脳腫瘍で亡くなった、会社と社員を誰よりも愛したすごく魅力的な人がいた。 2度目の入院中彼の家族が「本人はこんな姿になって恥ずかしいだろう」と面会を制限していた。 私は会社側の窓口だったが、社員もそうだし、本人もみんなに会いたいと思う。 お見舞いを許可して欲しいと懇願した。 家族が聞き入れてくれた結果、毎日何十人もお見舞いに行った。 大勢の社員たちが彼に沢山の感謝の言葉をかけた。 きっと地上を離れる前に彼に喜んでもらえたんじゃないかと思う。
・真実、本当のことを大事にしてきたか。 自分なりの気持ちで事実を歪めた。 これはあったはず。逃げ体質で、大小なかったことにしたことはたくさんあります。これからの地上人生はとくにこのことを肝に銘じて生きたい。
近年風穴ドリルの先端と言われ、意識はしているが、どうすればいいのかはわからない。 克子さんから自分の人生を振り返り、自分のように恵まれた人生を得ることのできない世間の人たちの思いを想像してみることから始めるように、と伝えていただきました。 NPO活動を通して社会の歪み、格差、あるいは外国籍の人たちの現実をより近くで見るようになりました。 少しでも困難を抱える人の助けになるよう頑張ります。 |
28/07/2025(月) 20:42:26
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| No.42860 ぽんた |
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定例会、ありがとうございました。 課題は大変で気も足も重いし、遠いし疲れるし、それでもどうして行かずばなるまいと思うのか。でもそんな力不足の私を受け入れてくれる素敵な仲間たち、美味しい野菜のお料理の数々と優しい音楽、そして飯沼さん率いるエネルギー場にいつも癒し喝を入れてもらって、帰り道ではまた次も来ようって思うのです。 みなさん、ありがとうございました。
テーマについて。
「自分が今、地上を去ることになれば」 新幹線の中で、今事故で死んだらと考えました。突然の死の衝撃はさておいて、家族や親しい人たちへの思いに打ちのめさせると思いました。 それから、自分のことを自分以上に知っている誰かとの対面を、私はどんな顔をして迎えるのだろうかと少し怖くなりました。
「自他の喜びを実現するために努力したかどうか」 喜びという言葉の意味がよく分からなかった時に比べれば、今は誰かや自分の喜びに向かえていると思います。辛いことの中にもある喜びに気づいてからは、とにかく喜びを実現する努力の大事さがわかって、それはこの人生の功績だとは思います。でもまだその入り口なので十分ではありません。本当にまだまだすぎて恥ずかしいです。
「愛に基づいて、出来事や人間関係に対処してきたか(愛は見返りを求めません)」 喜びの意味がわかっていなかったくらいですから、愛についてもとても未熟な自分なりの思いで考えてきていたと思います。見返りを求めないような深い愛で出来事や人間関係に対処してきたかと問われたら、もちろんそういう事もあったとは思うけど、まったく十分ではなかったです。自分が傷つきたくないから見返りを求めないようにしてきたという事もあるかもしれません。
「他者、他の生命に喜びをもたらしてきたかどうか、もたらそうとしてきたかどうか」 誰かの喜びを目的として意識してその喜びをもたらしてきたかは、とても不十分だなあと感じます。 誰かに喜びをもたらしたいと努力することと、ただ自分の自己満足で自分の喜びのためでしかないこと、その境目がわからないままどっちなんだろうと考える事もあります。 ただ、誰かに喜びをもたらさないと自分も喜べない、幸せになれないのは真実だということははっきり学びました。
「事実・本当のことを大事にしてきたかどうか?」 あからさまな嘘をつくようなことはなくても、自分の都合のよいような話や理屈を集めるということをしていました。それから最近気づいたのですが、「これは分かってもらえないだろう」ということには口をつぐむ癖があると思います。ごまかすというのとは違うけど、諦めというか、自分にとっての本当の事を誰かに分かってもらうための努力が、まるで足りてなかったようです。お互い理解し合うという喜びに背を向けていたのかと思うことがありました。これは、事実や本当のことを大事にしていないことの一部だと思います。
こうして考えると、悪人ではないにしても曖昧で不十分で、地上人生が今終わるととても困ることになりそうです。このテーマを考えることはとても気が重いものでした。自分では気づくことができなかった不十分さが山ほどあると思うとし、本当は気づいているのに気づいていないふりをしていることもあるのだと思うと、正直恐ろしいです。 でも、やっと気づくことができたことは大事にしていきたいです。 やり足りてないことばかりなので、思いついたことは迷わずどんどんやっていきたいと思います。この一年はそう努力してきました。そんな自分でいられるのは、悠々塾という場にいさせてもらえているから。これからだと思っています。もし生かせてもらえるなら。 |
28/07/2025(月) 20:48:37
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| No.42861 祐造 |
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定例会、ありがとうございました。
今回のテーマです。 定例会前に書いていたものを、そのまま投稿します。
僕は最初の地上人生で働きを放棄して、働きから逃げてしまった ―—―とメッセージで伝えられています。 今生でも、ドネの出発のときにまた同じ過ちを重ねてしまいました。 今はそのことのやり直しの途中、マイナスからやっとゼロまで戻って、これからが本来の自分らしく貢献・働きに邁進するべきシーンだと思っています。 それがカルマを踏まえた、魂の意志だと思います。 2年前からさきさんと一緒に暮らすようになり、(母親が施設入所となったこともあり)働きの準備・環境は整っているのに、思うようにできていない、というか本気で働こうとしていない、そう成れないでいます。 今まで通りを越えて本来の自分らしく働きに邁進したいなら、「そうすればいい」のですが、それがどうにも重くて出来ずにいます。
だからもしも今、自分が地上を去ることになれば、死後の自分はきっと大きく後悔すると思います。 全力で働き、風穴をあけるために地上に赴いたにもかかわらず、何を昼寝ばかりしていたのかと…。 せっかくさきさんと共に暮らしているのに、なぜもっとさきさんとたくさん話して、相談して、意見を聞いて、そして心を動かそうとしなかったのか? 掲示板では「愛は時空を越えて」などでたくさんのヒントがあり、道が示され、どうしていくべきかを伝えてもらっているのに、なぜもっとそれらに沿って生きようとしなかったのか? そんな後悔の思いになるのでしょう。
それをふまえて、ではどういう気持ちに切り替えていくのか。 「何かやろうとすると、また周りの人たちに迷惑をかけるかも知れないから…」は、それだけではなくて、「また自分が嫌な惨めな思いをしたくない」からでもある。 また「自分には出来ないまた失敗するに決まっている」という思いが染みついている。 出来なかった・失敗したことばかりではないし、出来たこともあるのだから、 出来なかったことばかりを見ずに、出来たことも思っていく。
以前の飯沼さんの書き込みを思い出して読みなおしました。↓↓ >自分の現状や自分の思いを軸にして、思いを濃くするよりも、「全ては向上進化の喜びの中にあって、もたらされることの全ては理屈や自分の気持ちを超えて、ありがたいことなのだ。それが摂理なのだ」と割り切ってしまう方が、次のステージに進みやすいように思います。 泥沼の中で身動きできずにもがいている自分を見るのではなく、そこから脱出して清水で心身を浄めてさらなる喜びぬ向かって歩んでいる自分を見るのです。 だって、そのために泥水の中でもがいているのですから。<
重くて動けないでいる自分を暗い目で見続けるのは止めて、働きに邁進している自分、貢献している自分をイメージします。 喜びベースに組み込みます。
・自他の喜びを実現するために努力したかどうか? 気が緩むと自分大事に傾きがちな傾向があるのですが、ありがたいことにドネに関わるなかで「自他の喜びを実現するため」の方向に向かいつつある気がします。
・愛に基づいて、出来事や人間関係に対処してきたかどうか?(愛は見返りを求めません) 人に対する好き嫌いはあったと思います。 気の合う人には比較的そうし易いのですが、苦手な人・嫌な人にはとてもそんな対応はできていませんでした。 「もたらされることはすべて喜び」ならば、ありがたい練習問題だと思い替えるように、喜びに向かうようにします。
・他者・他の生命に喜びをもたらしてきたかどうか? 喜びをもたらそうとしてきたかどうか?(本来の喜びとは向上進化の喜びですが、楽しさや嬉しさも喜びに含まれます) 基本的に「人に喜んでもらえること」は、嬉しいことなので、自分の気に入らない時は別として、自分の出来る範囲ではわりと喜びをもたらそうとしたと思います。 でも自分に損得が大きくからむとき、自分の大事が出てしまうと思います。 貢献の喜び、お互いの喜びを意識していきます。
・真実・本当のことを大事にしてきたかどうか? (自分の損得や自分なりの気持ちで事実・真実を歪めることがあるのなら、謝罪と共に事実・真実に立ち返る喜びに帰着してください) 変に自分を守ってしまうときや、ちょっとした見栄で話を盛ってしまったり、そんなつまらない自分がありました。こうして照らされると恥ずかしいことだと思います。 真実・正直を大事に、自分を守らないこと、神の子として生きようとすることが、実は一番守る必要すらないことなのだと、そんなふうに生きたいです。
定例会後の追記 ・地上を離れてから「どんな自分として地上で生きたかったか? また地上に再生するとしたら、今度はどんな自分として生きると意志するか?」 全力で正面から課題に挑み、自分の持てる力を全て発揮して、自他に喜びをもたらして生きたかった。 また地上に再生するとしたら、今度はそんな自分として生きると意志すると思います。 (今この追記を書いていて、なにか涙が出そうになりました。 魂の意志に近いのか、今の自分がそこからあまりにもかけ離れているからなのか、その両方なのか…) |
28/07/2025(月) 22:20:50
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| No.42862 Bさん |
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定例会、いつも以上に集える喜びに満ちあふれ、幸せをいっぱい享受させていただきました。 飯沼氏、まゆみさん、さきさんはじめ、皆さん、ありがとうございました。
今回のメッセージには本当に出た!って感じでしたが、ここに至ってそうかなるほどと合点できました。 定例会当日、お話したことと重なりますが、以下投稿します。
「もしも今、自分が地上を去ることになれば、死後の自分はどういう道筋を辿るのだろうか?」
今まで生きてきた中での様々な愚かな行いや至らなさに、きっと赤面して顔(があるかどうかはわかりませんが)を覆いたくなるだろうと思います。(霊界では姿は見えず顔もないのかと思っていましたが、そうではないそうです) でも、愚かさや至らなさいっぱいではあったものの、頑張ってきた自分もあると思うので、ほっと胸をなでおろす場面もあるかもです。
・自他の喜びを実現するために努力したかどうか?
それなりに努力してきたように思うのですが、家族と自分を守らんがための頑張りが過度になった傾向もあると思います。 相手にとってはやりすぎであったり、甘えを助長することになったり、突き放すことも大きな愛情だし、その時点では嫌われても突き放すことで将来より大きな喜びになることもあるわけですが、その加減というか考えが及ばない愚かな面があると思います。 というか、やはり自分が可愛くて嫌われたくない思いから甘くなるようです。つまり、自分に甘いということだ思います。
・愛に基づいて、出来事や人間関係に対処してきたかどうか?(愛は見返りを求めません)
これもたぶんそれなりにやってきたように思いますが、なんせ、家族以外、常に怖がりながらの人間関係でしたから、そのつもりでもどこか歪だったかもしれません。 それに、見返りを全く思わなかったとは言えません。 全てではないですが、心のどこかにずっこいものが潜んでいることもあったと思います。
・他者・他の生命に喜びをもたらしてきたかどうか? 喜びをもたらそうとしてきたかどうか?(本来の喜びとは向上進化の喜びですが、楽しさや嬉しさも喜びに含まれます)
自分を励ますためなのか誤魔化すためなのか、その両方だと思いますが、精一杯笑顔でいたと思います。これが他者の生命に喜びや楽しさをもたらしたかどうかはよくわかりませんが、少なくとも家族に対してはいつもそうであったように思います。
他の生命(犬と猫)に関しては、二点大きな悔いが残っています。ごめんなさいとしか言えません。
・真実・本当のことを大事にしてきたかどうか? (自分の損得や自分なりの気持ちで事実・真実を歪めることがあるのなら、謝罪と共に事実・真実に立ち返る喜びに帰着してください)
私が悔いなければならないのはこの点だと思います。 自分を守るために自分をも誤魔化しながら生きてきました。 その点では誠実ではなかったと、この年にして漸く人にとって誠実さはとても大切なもので重要なことだと気づきました。
いろいろあった割には人を恨んだり憎んだり毛嫌いはあまりしたことなく生きてきたつもりでしたが、バトルの時はプライドが許さず、なんでそこまで言われなあかんねん!の思いが強かったです。 なんのプライドを持っていたのか、家族と自分を守りたい思い強く、人とかかわるのが怖くて、持てるようなプライドなどないのに、プライドを鎧として自分を守っていたんだと思います。
事情はあったにせよ、自分なりのずっこさをきっちり身に着けてきたと思います。 幼い時から見て見ぬふりをする周りの大人に対する「なんじゃい!」という反発心を心のうちに積み重ね、それが歪んだずっこさになったようです。 なんじゃい!の気持ちはあったけど、その人たちを恨んだり憎んだりしたことはなく、その点は救いだったと思います。ある意味、大人の身勝手さを冷静に捉えてたと思います。
改めて振り返ると、ずいぶんと誠実さに欠けるいい加減な生き方でした。 とことん誠実であれば、どこまでも気持ちが軽い!と気づいたのは、ついこの間のことですから。恥ずかしながら、この年にしてです。
不誠実なことをしてしまったら、他人はそのことを知らなくとも、己は知っているわけで、それを重荷としてずっと背負って生きていかなきゃいけません。 内なる魂、内なる良心に背く行いはいくら誤魔化しても誤魔化しきれない。 だって知ってるんですもんね、自分がしてしまったことを。あるいは何もしなかったことを。 とことん誠実であれ!と、いまは自分に言い聞かせています。 まだまだいい加減ですけどね。(笑) 笑ってる場合じゃないですね。
カルマについて、よくわかりませんが、 子どもの頃に幼い妹との別れがあったり、その後もずっと家族のことで辛い思いをする人生だったので、前世か前々世かでは自分が家族を辛い目に遭わせたのだと思います。 愛する者との別れは二度としたくないです。 その分、いいか悪いかは別として、求める愛情が濃いというか深いというか、そういう面はあったと思います。
どういうわけかわかりませんが、幼いころからいろいろ問題を抱える家だからこそ、私はこの家に生まれたんだという思いがありました。 担う覚悟の上のこの世だったのかもしれません。不思議です。
いろいろあった両親ですが、優しさやあたたかさを持つ両親でしたから、何とか守りたい、幸せにしたいとずっと思っていました。特に母に対してはその思いが強いです。
子どものころから大変やった私ですが、それを知っている母方の叔父や叔母が、地震の時に家を失した私に対し「またなんで○○ちゃんが苦労せなあかんの?」と言ったくらい、いろいろ背負ってきたと思います。
でも、地震で全てを失いましたが、結構苦難を跳ね返す底力が私には備わっているようです。 誰にかはわかりませんが、守られているなと感じています。
赤面することはいっぱいだけど、喜怒哀楽、まずまずの人生だったように思います。 いまここに辿り着けたから言えるのかもしれません。本当に有難いことです。 いいことも悪いことも、すべてに感謝しています。
そして、ここに辿り着けたという幸せに満足せず、皆さんとともにエネルギーを高めて蟻の一穴であっても、そこはバシッと決めてからあの世へいきたいです。
皆さんに感謝するとともに、これからもどうぞ、よろしくお願いいたします。 |
28/07/2025(月) 23:13:46
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| No.42863 久美 |
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定例会ありがとうございました。 今回のテーマを考えていましたが、心がまとまりませんでした。 ですが、みなさんの真剣に自分と向き合う姿に心打たれて、長年、自分の心の奥にずっとあった思いがこみ上げて来ました。 それは、なかなか自分の心を開くことができなかったり、自分なりになって歪んでいることにも気づかずに、或いは自分なりで歪んでいるような気がしても、その歪みが現実のように思えてしまったりして、人を傷つけて来たんじゃないか?ということです。 本当に申し訳ないです。 今でも、心が上手く開けなかったり、自分なりで歪んでしまうこともあると思います。
テーマについて(前後してしまいますが) 〇真実、本当のことを大事にしてきたかどうか?
自分は真実、本当のことを歪めてしまっていたと思います。 本当のことを大切にしながら生きていきたかったので、今度地上に再生するとしたら、もっと心を大きく開いて、何が真実かをしっかり見極めながら生きていきたいです。
〇自他の喜びを実現するために努力したかどうか?
私は小さい頃から、姉の病気のこともあり、家族に元気がないことが多く、何とか笑って欲しくて、喜んで欲しくて、小さいながら頑張ってきたつもりでした。 でも、理不尽なことがあると、どうしても怒れて来てしまう・・・怒ることで、何とか自分を守って来たようにも思います。
ですが、悠々塾と出会ってからは、姉の気持ちのことをもっと考えるようになりました。 ですが、やはり理不尽なことをされると怒れて来てしまう・・・の繰り返しでした。
数年前に、私自身の心の調子がかなり悪くなり、生きていくことがギリギリのような苦しい状態が続きました。 私は、こんなにも苦しいのか・・・と想像を絶する苦しさを、自分の身をもって経験させてもらったように思います。
そして、その数年後に、姉と母の辛い出来事があったのですが、私は自分自身の辛かった経験があったからこそ、二人が少しでも楽になるように、喜んでくれるようにと必死になったように思います。 辛くなかったと言えば嘘になりますが、ふたりが少しでも楽になったり、喜んでくれることがとても嬉しかったです。
まだまだ不十分で出来ていませんが、昔より喜びを実現しようと思う気持ちが大きくなったし、そうすることが自分の喜びになって来たように思います。
私は人の気持ちにもっと寄り添えるように生きたかったので、今度地上に再生する時は、みんなが幸せになれるように、こちらから大きく手を伸ばして、相手の気持ちに寄り添って行けるような生き方をしたいです。
この気持ちは、飯沼さんと克子さんの初めての直接ヒーリングで教えてもらった、私の魂の意志でもあるようです。 「人は思っていることと逆のことを表現(言動)したりしてしまう。なので、こちらから手を伸ばそう。」と意志して来たと言われました。
〇愛に基づいて、出来事や人間関係に対処してきたかどうか?(愛は見返りを求めません)
私は昔から、正しい間違っているを基準に物事を見てしまう傾向があったのですが、もちろん今もあると思いますが、自分が苦しい経験をしたことで、苦しい状態の人には、そういう思いを越えて寄り添いたい自分がいます。(苦しい人が間違っているという意味ではありません)
昔から、母に認めてもらいたくて(見返りを求めて?)、頑張るという傾向があったように思いますが、苦しい状態の人に寄り添っている時は、ただただ力になりたいの気持ちになっているように思います。
ただ、まだまだ自分なりになってしまうことも多いと思います。
今度地上に再生するとしたら、いつも無条件の感謝の気持ちで(愛に基づいて)対処できるような、そんな自分で生きていきたいです。
〇他者・他の生命に喜びをもたらしてきたかどうか?喜びをもたらそうとしてきたかどうか?(本来の喜びとは向上進化の喜びですが、楽しさや嬉しさも喜びに含まれます)
先ほど話したように、昔に比べて、喜びをもたらしたいという気持ちは大きくなっているように思います。 でも、まだまだ狭い範囲でしか動けていないし、実際にどれくらい喜びをもたらしてきたか・・・といわれると、まだまだだと思います。
喜びをもたらせることは、やっぱり喜びなので、また地上に再生するとしたら、みんなが向上進化できるように、もっともっと喜びをもたらしていけるようになりたいです。
家族のことで、理不尽だなと感じたり、腹の立つこともあったと書きましたが、克子さんの言われるように、過去世のカルマの贖い・償いなんだと思います。 そして、向上進化するための学びでもあり、とてもありがたいこと。 そう思ったら、全てはカルマ解消の喜びだし、向上進化の喜び。 もっともっとそこに意識を向けて、全てを喜びに、全てに無条件の感謝の思いを向けて行きたいです。 |
29/07/2025(火) 00:36:33
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