◆統合・調和への道―――意志と欲求の一致―――
――意志と欲求の一致 3
天体としての地球を見る時、太陽との関係性のおおよそは前回伝えました。 光・熱という五感で捉えられるものに関しては除外し、認識できない磁気(的エネルギー)が地球上の生命に及ぼす影響について触れました。太陽からの磁気エネルギーの変化で地球の磁場が変化することによって、地上の生命も影響を受けるという内容でした。 今回はその部分について補足的に伝えます。
地上で“生命”が誕生するまでは、地球(という生命体)の活動は「物質の反応と変化」でした。 物質間の化学反応、物理的変化は、地球上に存在する物質だけでは進行しません。 反応や変化を促進させる要因として、太陽からの熱・光・磁気(的エネルギー)が必要でした。
地球が天体(星)としての形態を整えた頃――つまり、今のような球体として形が定まった頃――は、地球そのものが、熱や磁気、物質等が混沌として不安定でした。 現象的に言えば、沸騰(煮えたぎるのは水だけではありません。例えば溶岩は鉱物が溶けた状態です。)、蒸発、冷却を繰り返しますが、いずれも極端でした。反応や変化の振れ幅が大きく、ひとつの状態に傾くと、地球全体で長期間その状態が継続するのです。
この現象を別の視点から見れば、撹拌(かくはん:混ぜること)と循環を経て、多様な物質を全体のひとまとまりとしてなじませていったのだと捉えられます。 地球内部と地球上の環境が極端かつ不安定な期間は、地球の進化の過程では、成長途中で自らをコントロールできない青少年のような段階でした。 しかし、同時に化学反応・化学変化の先に、生命誕生の瞬間が用意されていました。
化学反応・化学変化、そして物理的変化による形態の変化は地球上における「進化」の基本形です。 霊界における進化向上は状態の変化ですから、それが地球上では物質次元で認識できる化学反応、化学変化、物理的変化などという形で具体化されます。 さらに言うならば、化学反応、化学変化は電子(注1)の介在によってなされます。それぞれの元素(注2)が備えている電子が、反応・変化の主役であるとも言えます。 (元素の構造と宇宙の構造には通ずるものがあります。これは後で伝えることになります。)
地球上に生命が誕生したのは偶然ではありません。 原始の海において、生命活動が営まれるに足る状態に至った時、霊界側から地上へと「意志」が顕現されました。 単細胞生物は、生命維持に必要なものを取り入れ、生命を維持し、排出する。循環の最小単位として存在しました。これらの生物の生命活動は、地球環境のさらなる変化のうち、より高等な生物(多細胞生物)の発生に必要な条件を整えるために必要でした。 単細胞生物の魂――“魂”という表現は最適ではありません。個々に魂があったわけではないからです。単細胞生物全てがつながるひとつの意志エネルギー(ひとつのまとまりとしての魂)というイメージです――は、それを目的として地球上に誕生したのです。
単細胞生物の生命の源は、ひとつの(まとまった)魂ですが、地球上における単細胞生物の数は無数です。しかし、一体一体は魂につながっている。それぞれが縦の糸を持っているようなものです。 しかし、一体一体はひとつの魂に由来するわけであり、全く同じ意志を持って地球上に存在していますから、存在としては個別でありながら、存在意義は同一です。
意志は電気的エネルギーとして顕現されているので、単細胞生物どうしは同一の電気的エネルギーを有することになります。
地球上において、目的達成するために何が必要か。より達成しやすい条件を選ぶか、自ら作り出していくかのどちらかです。これは地上的には「自己保存、繁殖(種の保存)」として表現されます。 言ってみれば、自己にとって好都合の条件・環境を選ぶ、好都合となるよう自己を変化させる、さらには条件・環境を作り変える、ということです。 これが「快・不快」の始まりであり、「欲求」の始まりなのです。
地上的な進化と霊的な進化・向上は、この時点では一致していたと言えるのです。
注1・2)元素…「それ以上に分解できない物質。厳密には、物質を構成する一単位を原子と言い、原子核と電子から成る。原子核は陽電気(+)を帯び、電子は負電気(−)を帯びている。」 |
08/11/2024(金) 08:55:21
No.41359 飯沼正晴 |
|
|
「統合・調和への道―――意志と欲求の一致―――」は、7まであります。
調べてみたら、2004年8月から「天地悠々」に連載が始まっています。 克の病状が深刻さを増してきた頃です。 どうやら霊団の意向によって受信が始まったようですが、このメッセージを受信することになった経緯について私には全く記憶がありません。 克の状態や、そのころ継続受信・連載中だった「古事記を読み解く」に関心が向いていたのかもしれません。 やはりその頃に継続受信・連載していた「父が子に語る霊界通信」で、「欲求の解放・自分の喜びと皆の喜びを一致させること」と指導霊から伝えられています。
克が他界したのが2005年7月ですから、このレベルのメッセージを受信・筆記することが無理になったようで、「統合・調和への道―――意志と欲求の一致」はおそらくは未完で、7で終わっています。 それも計らいということだったのかもしれません。
私は克が他界してから数年後、鳥取県の関金温泉の自炊もできる安価な宿泊施設に籠って、このメッセージを繰り返し読みました。 でもやはり難解というか、いくら読んでもピンとこないままだったと思います。(その時はある程度は分かったつもりだったかもしれませんが) でも今回読みなおして、地球という星の生命の進化についての壮大なメッセージであると実感しています。
「エネルギー場が現実を造る」、「感覚の層や感情の層の下位は映写機のレンズの部分で、それが地上というスクリーンに映る像を決定づける(地上的現実を造る)」ということを踏まえれば、感覚や感情の層(もちろん理性もですが)を喜びベースに切り替えることがいかに重要か。
特に「人として優しく、人として正しく。皆も自分も幸せに」ということを悠々塾で学んでいる人たちにとっては、感覚・感情の層を喜びベースに切り替えることがほとんど全てだと思います。
必ず誰にも訪れる死を、忌まわしいこととする地上限定の無知・無理解に囚われる段階を卒業しつつあることも、もたらされる困難はカルマに基づいたものでそれを喜びにしていくことこそが生きる意味であるということを学んできているのですし。
そして、そういう個人のエネルギー場が共鳴して、この場のエネルギー場が多様で力強い喜びのエネルギー場になれば、それはすなわち地上人類の霊性進化の雛型成就であり、奇跡のような喜びが現実化していく風穴が開くのです。
とはいえ、半ば生理的に違和感・嫌悪感を抱くこともありますし、分かってはいてもなかなか喜びに切り替えられない場合もあるものです。 そういう時に相手や自分のせいにするのではなく、心を逸らすのではなく、ウジウジしてしまうのでもなく、感覚・感覚の層の最低限の喜びとして「勉強させてもらっています。ありがとう!」という言葉をリアリティを以ってきっぱりと心で言うことは、かなり有効な方法であると私は思います。 |
08/11/2024(金) 15:50:31
|
|