ささやかでもあったかいもの、私も広げていきたいです!
>そもそも人間はいのちの集合体、そういう存在ですよね。 そこから離れて生きることはできないのだと思います。<
私たちは共生の喜びを当たり前にして生きる、そもそもそういう存在なんですね。 心が刺激されてウルウルします。共生の喜びは桁ちがいに大きく、分厚い喜びベースですね!
これまで私が当たり前にしてきた事を考えてみると、人と比べてかげる、しんどさを相手や状況のせいにする、喜びより不満や不安を膨らます。それに心をいっぱいにする、それが自分の当たり前だったと思います。
>共生の喜びをベースにすれば、自分への囚われというものは薄くなっていくものです。ちっぽけな自分に囚われるから、人を苦しくさせるし自分も苦しくなるのです。<
本当にこの通りだと思っています。
先週、夜回りに行く商店街で火事がありました。 商店街には、野宿者の方のためにシャッター前は水を撒かずにいてくれる花屋さん、たまに夜回りをご一緒するおじさんの店もあります。
商店街の奥には消防車が入れない場所に店舗や民家があるため、商店街辺りに黒煙が上がっているのを見た時は正直震えがきました。
夕方には、8件が被害にあってしまったけどケガされた人もいないとニュースでありホッとしました。住宅店舗が密集した場所なので本当に良かったです。
夜に規制が緩んだすぐに、花屋のシャッター前にはいつも通り「ご自由に」と書いたダンボールが野宿する人のために出されて、商店街は水びたしだったから、ビニールシートまで置いてありました。 花屋さんからは火元が近いから煙が凄かったはずで、怖かったろうし、一時は避難されていたんじゃないかな。なのにどんな日も変わらず、それが当たり前になってるおじさんに、心があったかくなりました。 共に生きてる。 私もこんな心を身につけて生きていきたい!って思った出来事でした。
ホープさんの真似をして、 今日もお役に立てますように。 と、いつも思うようにしています。 家でも外でも、自分の小さな選択や言動がささやかでも何かの喜びに繋がったらいいな、と思います。 |
19/06/2024(水) 11:24:21
No.40454 飯沼正晴 |
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やすこさん、スレッド更新ありがとう!
火事、びっくりしましたね。 焼け出された方々は大変でしょうが、けが人が出なくて良かったですね。 それにしても、火元に近くて大変だったはずなのに、野宿者の人たちのことを思ってブルーシートまでその準備したその花屋さんのお気持ちにウルウルします。 私、まだちょっと心の疲れが残っているようで、ほんとに涙が出ました。 いつもながら、ありのままに人の心を喜べる話をありがとうね!
ホープさん、昨夜の投稿をこちらに移動させておきますね。 いろんな意味で、まさにおっしゃる通りの状況だと思います。
30年近く前に地上の克を通じて、霊団から「使命」というニュアンスで自分の役割を伝えられた時には抵抗感が強くて、いろいろと逆らったり緊張もありましたが、今の私はこの働きを成していくことが当たり前のことになって、それが自分らしい幸せな生き方でもあるとナチュラルに思えています。
この働きの当初から、霊団からは「信じるべきは人の心」と訓えられてきました。 私はこの言葉が好きで、それを拠り所としてきたわりには,義憤にかられたり個人的にしんどい気持ちになることも少なからずあるのですが、それでも自分らしくやっていくことが幸せで楽しいことだと思っています。 ありがたいことだと思っています。 お互い青臭いところのある高齢者のようですが(笑)、これからも共に進んでいきましょう! 。。。。
ガザでの出来事、本当に吐き気を催すほどの酷さです。 神の身魂を頂いている人間がこうも残酷になれるものなのか。
世界中が自分の都合利益を優先し荒っぽくなって混沌としてきました。 その混沌の中で暗黒界のエネルギーに支配されつつある世界を感じてしまいます。 まさに「地上人類の歩み」にある通りです。 一方で共生の喜びをベースに生きようとする意識も生まれつつありますが”力の原理”に押さえつけられその流れは遅々として進みません。 世界の為政者たちが己優先の駆け引きの外交をやっていますが”小賢しい人間の浅知恵”ではどうなるものでもありません。
人の意識の集合体が世の中ならその意識が(神の摂理の沿った)意識に変わらねば世の中は変わりません。
”神の摂理は共生の喜び” 悠々塾の使命はその先駆けとして暗雲に覆われた世に”風穴をあける”ものです。 まだ規模は小さくともそのエネルギーは”伝播の法則”により必ず広がっていくものです。 我々はその大きな崇高な働きに参加させて頂いている事を誇りとし、喜びとしたいと思います。 |
19/06/2024(水) 14:34:06
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