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悠々塾 掲示板


「スピリチュアリズムに学び、スピリチュアルな生き方を目指す交流の場」



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No.43249 ゆみっぺ  
(No Subject) 引用
おはようございます。

「今年の自分は、自分の利益・都合や自分の気持ちを軸とする生き方を卒業して、
他者・皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方をしてきたかどうか?」

 ほとんど出来ていないと思います。自分の気持ちファーストで、
カチンとくると瞬間的に言葉が出なくなったというか、
言わないように飲み込むことは、出来るようになった気がしますが、
思っていたら、同じことです。喜びいうと何か大きなことを
考えがちですが、そういうことじゃないのだろうと思います。

 
「まだ自分の利益・都合や自分の気持ちが軸になっている部分については、
どのように意識・認識・思い方・言動を変えていこうとするのか?」

否定や文句が先にきてしまう。
ネガティブな見方の癖が染み付いているので、
まずは、プラスの見方をする、言葉を使うことを
心掛けたいと思います。
 指導霊のレベルは様々なんでしょうが、
指導霊になったつもりでというのは、
なんかおこがましいというか、実感がわきません。

03/12/2025(水) 07:51:14


No.43250  しのしの
Re: 引用
「今年の自分は、自分の利益・都合や自分の気持ちを軸とする生き方を卒業して、他者・皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方をしてきたかどうか?」

努力していこうと思っていますが、まだまだだと思います。

「まだ自分の利益・都合や自分の気持ちが軸になっている部分については、どのように意識・認識・思い方・言動を変えていこうとするのか?」

姉のことを思うと、なかなかできないなぁと思っています。

03/12/2025(水) 13:05:47

No.43251  飯沼正晴
12月3日(水曜日) 引用
自分なりの気持ち、特に喜びではない気持ちや自分限定の喜びの気持ちなどを軸としている時は、幽界とつながっています。

そしてそれを軸とした生き方は幽界的な生き方ですから、幽界的な現実を引き寄せることになりやすいのです。

自他に健やかなる喜びをもたらそうとしてこそ、自分自身の喜びも現実化しやすいということです。


自分自身のカルマとはいえ、人間心ではなかなかできないこともあるわけで、だからこそ「指導霊になったつもり」で、あらゆる生命・人間やあらゆる出来事に対して、無条件の祝福と感謝の心でそのエネルギーを注いでいこうとしているのです。

どうしてもそうする気にならなければ仕方ありませんが、それぐらい自分なりの気持ちが軸になっているということでもありますね。

03/12/2025(水) 14:21:54

No.43252  あきどん
Re: 引用
「今年の自分は、自分の利益・都合や自分の気持ちを軸とする生き方を卒業して、他者・皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方をしてきたかどうか? それを自分自身の喜びにしてきたかどうか?」

振り返ろうとして、できてないかもという苦手意識もあり、途中で止まってしまってました。また、今年の後半はなんだか思考がフリーズしがちでした。

この一年で、全て起こる出来事は、カルマ解消や喜びのために起こっているということ、違和感を解消するというテーマが出されて、出口王仁三郎さんの教えとかおしえていただき、そういう方向でやっていこうと努めてきたとは思います。
違和感を抱いたら、一旦、相手の立場になって思い返してみて、違和感を薄くしたり。そうするとちょっと喜びに思えてきたり。
姉に対しては違和感を抱くことはけっこうまだありイライラすることも多かったです。俯瞰して考えると、私が必要以上にレッテルを貼っている部分もあるのかもしれないと最近思いました。

生きてるうちにとても卒業できそうな気はしませんが、少しずつでもできるように卒業の方向に向かいたいです。

「まだ自分の利益・都合や自分の気持ちが軸になっている部分については、どのように意識・認識・思い方・言動を変えていこうとするのか?」

今まで学んだことを心に叩き込んで、変えていきたいです。
日々の喜び日記も気持ち新たに書き始めました。

「対象者が何らかの過ちを犯している状態でも、それに心を陰らせることなく、その過ちも向上進化の過程であるという認識を揺るがせることなく、今この時を向上進化の喜びとして地上的に顕現できるように導きのエネルギーを注ぐのです。」

今後、指導霊になったつもりで、エネルギーを、違和感の対象、仲間、自分にも送っていきます。

03/12/2025(水) 16:08:44


No.43248 エーチャン  
12月2日 火曜日 引用
こんばんは。
遅くなりましたが、定例会ありがとうございました。

先週の月曜、火曜とどういうわけかネットがほとんどつながらず、火曜の夕方にはブレーカーが落ちるということもありました。水曜からはネットも復旧しましたが、その後昨日の朝くらいまで不調が続きました。そして、昨日のヌマさんの投稿を読んで、まさに目からうろこでした。

「違和感や嫌悪感を抑えようとする葛藤に多大なエネルギーを使い、人間心では無理だと思いました。」と書かれていますが、私の場合、母にエネルギーを送るとき、どうしても自分の利益・都合が混ざり込んできて、それを抑えようと葛藤していました。不調の原因はその葛藤に費やすエネルギーにもあったのかもしれません。それで、今日指導霊になったつもりでエネルギーを送ったら、少なくとも送っている間は葛藤から解放されたと思います。それ以上、うまく言葉で説明できないのですが、今までとは違う感じがします。自分にも指導霊になったつもりでエネルギーを送ってみます。

「今年の自分は、自分の利益・都合や自分の気持ちを軸とする生き方を卒業して、他者・皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方をしてきたかどうか? それを自分自身の喜びにしてきたかどうか?」

今年の私の大きな出来事は引っ越しでした。常識的に考えれば、パートナーと共に次女のアパートの隣室に住めば毎日孫たちとにぎやかに過ごせるし、私がある程度の時間働けば経済的にも問題なくやっていけます。ただ、そうなると、悠々塾とのつながりの優先度が下がってしまいます。定例会には出席できるとしても、学びの仲間の一人として役立ちたいという思いが満たされるのだろうか?いろいろ考えて、私一人、空いている母の実家に住んで、1日3時間ほど働きながら施設の母に定期的に会いにいくということにしました。一人暮らしの寂しさはどうしようもないですが、それでも思いを巡らす時間を十分にとることができるのは何よりの喜びです。本当に時は迫っているという実感がある一方、この場で教えられたことを実践していけば、あっという間に全く別のシナリオが展開し、今の世の仕組みも変わりうるという確信も高まっています。

続きはまた明日書きます。母とのかかわりです。

ついでですが、11月20日に興味深い夢を見たので書いておきます。

神戸の街を歩いていると、突然ダックスにかみつかれる。仕方なく仰向けに寝転んでダックスを抱くと、ダックスは気持ちよさそうに眠り始めた。しばらくすると、子供たちの祭りの行列が近づいてきて、邪魔になるので起き上がろうとするとダックスははじめ嫌がるが起きてくれて、最後は私が出かけていくのをダックスは立ち上がって手を振ってバイバイしてくれた。

以上ですが、子供たち(どうも小学生というよりは中高生といった感じ)の祭りの行列は新しい時代の到来を告げるような感じでした。そして、最後のダックスが立ち上がって手を振るという場面に、目覚めてから、「そんなのあるのか?」と自分で突っ込みを入れてました。

02/12/2025(火) 20:09:42



No.43245 あきえ  
12月1日(月曜日) 引用
飯沼さん、さきさん、皆さん、定例会、参加させていただき、ありがとうございました。
皆さんにお会いできて嬉しかったです。

「今年の自分は、自分の利益・都合や自分の気持ちを軸とする生き方を卒業して、他者・皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方をしてきたかどうか?」

地上で生きている間に到底卒業することはできないでしょうが、少しは薄くなってきたと思います。薄くしていきたいです。
周りの人は変わってないと言うかもしれませんが。
「他者、皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方」を心がけて、全てではありませんが、してきたと思います。そうできたことを喜んでいます。

「まだ自分の利益・都合や自分の気持ちが軸になっている部分については、どのように意識・認識・思い方・行動を変えていこうとするのか?」

まだまだ腹の立つことやイライラすることもありますが、そんなときは自分の気持ちが軸になっているのだと思います。一呼吸おくようにしています。
意識して「ありがとう」の言葉を言うようにしてきましたが、今は家族みんな、ちょっとしたことも「あっ、ごめん」と「ありがとう」の言葉が自然と出てくるようになっています。
言葉だけではなく、感謝の心を持つことで、思い方も言動も変わってくるように思います。どんなことにも感謝していきたいです。
少しずつですが、自分のことも許せるようになってきていることを喜んでいこうと思います。
今こうして学ばせていただけるのも皆さんのおかげです。
本当に感謝しています。

祐造さん、駅まで送ってくださって、ありがとうございました。嬉しかったです。
祐造さんのこと、心から応援しています。

01/12/2025(月) 10:55:30


No.43246  飯沼正晴
Re: 12月1日(月曜日) 引用
あきえさん、書き込みありがとう!

2025年ももう12月です。

定例会のテーマに沿った書き込み、まだの人はよろしくお願いしますね。
今の時期に今年の自分を振り返り、やり残していることをやっていきましょう。

それぞれに日々いろんなことがあって大変でしょうが、日常に流されて埋没してしまわないで、自分なりの感情を薄くしていくためにも、書き込みをお願いします。


話は変わって、うちのことを書きます。
うちは特に今年の秋ぐらいから、天井裏や時には壁の間で物音がしています。

それまでも物音がすることはあったのですが、この秋ぐらいからは頻繁で、激しくなってきました。
おそらくはネズミさんでしょうが、イタチさんも入り込むようです。

そういえばN地も特に今年の秋からは連日イノシシが入っています。
隣接する他の人の圃場には入っていないのに、N地はイノシシが土を掘り返して、全面耕耘したような状態です。
おそらくはミミズさんを食べに来ているのだと思います。
N地は冬の間に、全面的に畝を上げ直してもらうので、今は作物は何も植えていませんが、それにしても酷い状態になっています。

家のネズミさんと言い、イノシシさんと言い、エネルギー的な影響もあるように思います。

風呂場の天井裏の物音は只事じゃないぐらいに激しくて、落ち着いて入浴できないほどでした。
風呂場の天井を下から叩いても、全く収まりません。
あれはネズミさんなんかじゃないですね。

私はお湯に浸かりながら、誰にともなく無条件の祝福と感謝のエネルギーを送る習慣になっています。
でも、天井裏の動物さんたちが激しく物音を立てはじめると気持ちが乱れて、そのエネルギーを送れなくなってしまいます。

それでふと思いついて、天井裏の動物さんたちにそのエネルギーを送ることにしました。
その時は物音がしていなかったのですが、すぐにドタバタが始まりました。
そうなると違和感が生じて、存在に対する無条件の祝福と感謝のエネルギーにならないのですね。
いくら心を鎮めようと思っても、そうはできません。
違和感や嫌悪感を抑えようとする葛藤に多大なエネルギーを使い、人間心では無理だと思いました。

それで「指導霊になったつもり」になれば、意識が切り替わる感じが分かりました。
指導霊になったつもりで「存在に対する、分け隔てのない無条件の祝福と感謝」のエネルギーを送れば、今までよりもはるかに「受け入れる」というキャパが大きくなります。
自分の都合や自分の気持ちが薄くなります。

そして、たまたまかもしれませんが、それ以降は天井裏の物音が格段に少なくなってきているのです。
特にドタバタする音は全くしなくなっています。

でも指導霊になったつもりでのエネルギーを送る前に駆除業者さんに依頼していたので、近日中に動物さんの出入り口を見つけて、塞いでもらうことになるとは思います。

ヘンな話ですが、指導霊になったつもりのエネルギーは何だか凄そうです。

皆さんも特に違和感を拭えない相手や出来事などに向けて、指導霊になったつもりのエネルギーを送ってくださいね。
自分に送るのもいいと思います。
そして、何か変化や感じることががあれば、掲示板に書いて共有してくださいね。

01/12/2025(月) 11:18:09

No.43247  ちぃ
Re: 12月1日(月曜日) 引用
定例会、ありがとうございました!
急遽2部を不参加とさせていただきすみませんでした。
ダウンロードもしていただきありがとうございました!
おかげさまで腰痛は治って元気に動けています。

「今年の自分は、自分の利益・都合や自分の気持ちを軸とする生き方を卒業して、他者・皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方をしてきたかどうか?」

まだまだ相手の気持ちや状況よりも自分の気持ちを優先させてしまって嫌な思いをさせてしまったり、傷つけてしまって反省することもたびたび。卒業には程遠いです。
でも、相手や皆の喜びを思い、役立ちたいとより行動できるようになってきたことは素直に喜んでいます。
 
「まだ自分の利益・都合や自分の気持ちが軸になっている部分については、どのように意識・認識・思い方・言動を変えていこうとするのか?」

少なくとも自分の気持ちが軸になっていることを分かっていながら、それでも優先してしまうというのはきっぱり卒業したいです。
自問自答して、でもでもだってと結局自分の気持ちを優先してしまっていましたが、自問自答する際は指導霊になったつもりで自分と向き合いたいです。

ゆうきくん、ケアマネ合格おめでとうございます!

01/12/2025(月) 23:34:38


No.43238 まゆみ  
11月30日(日曜日) 引用
「今年の自分は、自分の利益・都合や自分の気持ちを軸とする生き方を卒業して、他者・皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方をしてきたかどうか? それを自分自身の喜びにしてきたかどうか?」

これまでのことを、辿ってみました。
自分の利益・都合や自分の気持ちを軸とするより、他者・皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方をしてきたと思います。(もちろん不十分なことだらけですが。)
それを自分自身の喜びにできた時はうれしいい気持ちになりますが、まだまだ自分軸、自分なりの気持ちが強いなと感じてます。

今年はIさんの自然農に出会い、無条件の祝福と感謝というエネルギーに思いを巡らせる一年でした。
それは自分軸ではない、全ての生命への祝福と感謝の気持ちで生きるということにつながってる。どう言動することが全体の喜びとなるのか、喜びのエネルギー場ができれば現実は喜びに変わるということ。
実践していくことを喜びとしたいと思うことができました。

「まだ自分の利益・都合や自分の気持ちが軸になっている部分については、どのように意識・認識・思い方・言動を変えていこうとするのか?」

自分の気持ちが軸になって言動で表すときに、相手に不快な思いをさせることがある。
気をつけようと思います。
最近心に残ってそうありたいと思ったことがあります。
不十分で自分でも改善しなくてはと思っててもなかなかできないことがある。
そんな私に「いつも大変な中ご苦労さん」とやさしく声をかけてもらったとき、ぐっとくるものがあって。私のしんどさを分かってもらえて労ってもらえたこと。
その一言は、不十分な自分に甘えず喜んでやりなさい、と、そういうエネルギーをもらえたようで、うれしかったです。私もそういう風に相手にやさしく労いの言葉をかけられるようにしたいと思いました。
それと、もう一つは、誰かが人にやさしく接している姿を見たとき、そのやさしさに自分もそうありたいというようなエネルギーをもらってるんだと思えたこと。
うまく表現できませんが、やさしさや労いの言動はまわりにもエネルギーとして広がっていくんだ、気持ちをほっこりさせてくれる。
自分軸ではない、相手へのやさしさや労いや祝福や感謝というエネルギーはまわりにも影響を与えるということを意識して、言動したい。


うまくまとまりませんが、投稿します。

30/11/2025(日) 11:03:30


No.43239  飯沼正晴
Re: 11月30日(日曜日) 引用
定例会への参加・不参加にかかわらず、テーマに沿っての書き込みがまだの皆さん、引き続きよろしくお願いしますね!

30/11/2025(日) 13:29:08

No.43240  恵美子
Re: 11月30日(日曜日) 引用
「今年の自分は自分の利益、都合や自分の気持ちを軸とする生き方を卒業して、他者や皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方をしてきたかどうか」
それを自分自身の喜びにしてきたかどうか

長い間、自分は相手のことを思って人として優しく正しく行動し生きてきたと思って生きてきたけれど、人生も後半になって、それはとても乱暴で自分軸を振り回していたと気付かされました。
その気付きは、違和感を抱いた相手からもたらされました、気付くのに随分と苦しみあがく自分がいました、恥じ入るばかりです。

卒業とは程遠いとしても、そこをきっかけに喜びの質が変化していくように思いました。
自分軸を越えて、他者や皆に喜びをもたらすことのほうがどれだけ嬉しいことか、
そのことを意識した生き方を定着させたいです。

皆さんの書き込み凄いです!
それぞれの方の輝きが一段とアップしたエネルギーとして伝わってきて力をもらいました、ありがとうございます。

定例会には中々参加出来なくなりましたが、皆さんにしっかり繋がっていこうと思います。

30/11/2025(日) 16:21:02

No.43241  恵美子
Re: 11月30日(日曜日) 引用
この数年、悠々塾の仲間の皆さんの課題を共に学び進めたことも振り返りも含め、大きな学びとなりました、この度ののもさん、祐造さんの事についても、立ち止まり、振り返りの日々でした、人としてあるべき姿を模索する日々でした、誰もが不十分であるがゆえに許しあい、祝福しあい、神の子として生きたいです。

30/11/2025(日) 16:44:53

No.43242  あおやま
Re: 11月30日(日曜日) 引用
定例会ありがとうございました。

○「今年の自分は、自分の利益・都合や自分の気持ちを軸とする生き方を卒業して、他者・皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方をしてきたかどうか? それを自分自身の喜びにしてきたかどうか?」を振り返る
・今年一年、自分は他者に喜びをもたらすことができただろうかと振り返ってみました。
年始、自分の傲慢さ、嫉妬心の強さを露呈し、大切な人を傷つけてしまったことから始まりました。
何者でもない自分の思い上がりを反省し、感覚の無神経に気づく機会となりました。
・他者の喜びになっているのかわかりませんが、決して目立つことのない小さな奉仕、誰の目にも止まらず、評価されることもない作業を、特に不満意識を持つこともなく続けています。
行為に評価を求めるつもりはないし、誰に気づいて欲しいわけでもないですが、もし喜んでくれている人がいるなら嬉しいし、そうできている自分を喜びたいと思います。
ただの自己満足かもしれませんけど。
・今年は父母に対する嫌悪感を少しだけですが緩めることができました。親とも思えない言動の数々は、自分に置き換えてみると、かつて家族であった時の自分自身の姿かもしれず、過去の重大な過ちを知る必要があったのだと気付くことにもなり、親として娘を愛おしいと思うことの無いままここまで来てしまったことへの、申し訳ない気持ちにもなりました。


○ まだ自分の利益・都合や自分の気持ちが軸になっている部分については、どのように意識・認識・思い方・言動を変えていこうとするのか?
・優しくない自分を自覚せざるを得ない現実にあって、自分を喜ぶどころかますます嫌いになっていきそうな惨めな現状です。
人と比べることをやめて、誰かに優しくしている人をみて自分もそうありたいと願い、言動を改めるところから始めなければと思います。
幸せは、自分のことを喜べるようになって、人にも優しい気持ちで接することができるようになったその先にあるのだと思いました。

ゆうきさん、ケアマネ資格一発合格おめでとうございます。

30/11/2025(日) 17:35:34

No.43243  藍子
Re: 11月30日(日曜日) 引用
「今年の自分は、自分の利益・都合や自分の気持ちを軸とする生き方を卒業して、他者・皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方をしてきたかどうか? それを自分自身の喜びにしてきたかどうか?」

私の傾向として、否定されたくない、みんなと一緒がいい、自分を守って小さくまとまる、という面があります。
今年は去年に引き続き、逃げない年にしよう、必ず最終的には喜びに着地するのだからと信じて何事も自分なりに一生懸命やってきたと思います。

自分を役立てることを自分の喜びとしてやってこれたな、という喜びはあります。が、自分を守らずに大きく自分を信じてあげたかというとまだまだそうはできなかったなと思います。
喜びをもたらすことを優先的な軸にしたけど、「そうすることで自分を守っているのではないか」という不安や後ろめたさも少なからず心をよぎりました。でもその自問自答はありつつも喜びの中で貢献してきたこの一年を誇りに思う気持ちもあります。


「まだ自分の利益・都合や自分の気持ちが軸になっている部分については、どのように意識・認識・思い方・言動を変えていこうとするのか?」

誤魔化したり、逃げたり、楽な方を選んだり、自分をよく見せようとしたり、自分の気持ちが軸なことが多々あります。
どのように意識を変えていくかと言うと、この地上人生が全てではない、小さくまとまることで自分を守れても大きな喜びにはつながらない、思い切って自分を大きく広げよう、と日常的なことからそういう選択や経験を重ねていくことで、いつか当たり前のように思い方や言動が変わっていくのではないかなと思います。

来年は、出来ればやりたくないと心がキュッと自分を守ろうとすることほど、どうしてやりたくないと思うのか見つめて、その軸が自分を守るという理由であれば、思いきってやる方を選ぶ、そういう選択をしていきたいです。

30/11/2025(日) 21:11:37

No.43244  さいこ
Re: 11月30日(日曜日) 引用
定例会、ありがとうございました。

「今年の自分は、自分の利益・都合や自分の気持ちを軸とする生き方を卒業して、他者の・皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方をしてきたかどうか?それを自分の喜びにしてきたかどうか?」
自分の利益・都合や自分の気持ちを軸とする生き方は卒業できていません。
意識して行動してきたつもりですが、旦那さんとはなかなか話がかみ合わなくて、自分が気をつければいい事だけなのですが、指摘されることについ反発してしまいます。
前に比べるとだいぶ反発する気持ちが抑えられるようにはなってきていますが、しっくりいきません。
自分を喜ぶことに対して、かなり消極的です。
ただ、最近、学生時代からの友人の言葉に「私ってこんなに信頼されてたんや」と感じる事ができて、とても嬉しかったです。
もう少し、自分を信じて喜ぶ事を意識したいと思いました。

「まだ自分の利益・都合や自分の気持ちが軸になっている部分については、どのように意識・認識・思い方・行動を変えていこうとするのか?」

ここ数年、停滞しています。
会社を退職して、社会とのつながりが薄くなったせいなのか、自分の思い方に固執しているせいなのか、前向きな気持ちになりにくいです。
でも来年はこの殻を破りたいと思っています。
来年は、新しい出会いや経験が出来そうなので、自分を守らず、失敗を恐れず、前向きに行動していきます。

今回もたくさんの美味しいお料理、ありがとうございました。

30/11/2025(日) 23:13:54


No.43237 ひがし  
定例会お疲れ様でした 引用
私はずーっと絵を描きたいと思ってきた人間なので、そんな自分が“自分の気持ちを軸にすることを卒業して他者、皆に喜びをもたらすことを優先的軸にする生き方”へ移行すると、どんなふうになるのか?
2つ考えられることがあります。1つは絵のテーマの中に人の喜びや癒し、調和、があり、共感してもらえること、そんな作品が生み出せればと願っています。
もう1つは似顔絵や肖像画のことです。はじめ軽い気持ちで始めた似顔絵描きでした。でも、イベントへ出品したり老人ホームをボランティアで回らせていただくうちモデルをしてくださる利用者さんやお客さんが大変喜んでくださることもあり、お役に立てているように思えて続けてきました。ただ、老人ホーム施設などはコロナ禍以後、歌とか似顔絵もそうですが、余興を取り込む流れが無くなった気がしています。何百枚も描かせていただいて上達もでき、ほのぼのとした幸福感を覚え、有意義な一時期でもありました。
 こうしたことを生かして、肖像・似顔絵に限らず、更に完成度の高い作品が描ければと思っています。
みなさんどうかよろしくお願いします。

29/11/2025(土) 19:52:26



No.43233 みさお  
11月28日、金曜日 引用
定例会ありがとうございました。
今回の定例会も、とても大切な定例会でした。

「今年の自分は、自分の利益・都合や自分の気持ちを軸とする生き方を卒業して、他者・皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方をしてきたかどうか? それを自分自身の喜びにしてきたかどうか?」

定例会でお話させて頂きましたが、
上記の事、以前の私より良くはなって
きていると思いますが今もまだ学びの
途中です。
定例会でお話した後に、あっと思いました。
課題と絡んでいる事、うちの家族は叔母を中心に妹二人がいます。
叔母の事で妹二人に嫌な気持ちを、よく思っていました。
私ばかりが、しんどい思いをしている、次女は雑なので次女が来た後は片付けないといけない等

ある時ふと思いました。(夏に叔母が入院した頃)
妹二人は私に甘えているだけでなく
頼りにしているのだろう。
ほんとうは不安なのかもしれない、
雑なのは、なかなか自分を認められず
私にお小言ばかり言われ、自分がしたい事以外は真剣にできないのだろう。

そんな気持ちを汲み取って、優しく正しく教えてあげたい。
私が教えられる事もありますが
姉として生まれてきたのだから
その為に叔母がいてくれるのだと思います。
皆が喜べるように、家族、他の人達にも喜びを広げていきたいです。
私は自分の利益というより、自分の気持ち、都合が軸でした。
そんな生き方をしていても、何も楽しくない。
これからは、もっと喜びを広げたいです。

一旦送信させて頂きます。
又続きを書きます。

28/11/2025(金) 10:03:29


No.43234  ゆうき
Re: 11月28日、金曜日 引用
・今年の自分は、自分の利益・都合や自分の気持ちを軸とする生き方を卒業して、他者・皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方をしてきたかどうか? それを自分自身の喜びにしてきたかどうか?

今年一年を振り返ると「停滞」という言葉が真っ先に思い浮かびました。
思い描いた事が出来ないどころか、何も思い描けないままひたすら仕事に追われていたように思います。
仕事としては充実感はあるものの、とある事情で気持ちの空気漏れが発生してしまい、ぺしゃんこになりそうなのをなんとか持ちこたえて来たように思います。
今はやっと空気漏れも収まってきていて、以前よりもラクに前に進めている感覚です。

自分の気持ちを軸としていた、というよりも、自分の気持ちを後回しにする事で、事業所全体や職員間のバランスなどをとっていたように思います。
職場全体ではうまく機能していたと思うけれど、自分的には釈然としない気持ちがあったように思います。

仕事の面において、自分の気持ちは自分自身の喜びに出来ていなかった、という事になります。

家庭での自分の気持ちは、自分の気持ちを軸としての考え方しか出来ていたなかったように思います。
みゆきさんとふたりで旅行に行ったり、家族でも旅行に行ったり、
娘たちとは映画を観に行ったり、いろいろしてきたけれど、「他者・皆に喜びをもたらすことを優先的な軸」としての行動は出来ていなかったように思います。
気持ちのどこかで不満があり、それを解消しようとする事なく、うじうじ持ちながらの一年だったと思います。

気持ち的な停滞もあったのですが、それを乗り越えて、大きな喜びの方向へ向かっていきたい。
「〜してくれなかった」「〜のせいで出来なかった」等の受動的な考えではなく、自発的に自分から喜びの行動をしていきたい。

振り返ると、ほんとに仕事に追われていたような感覚で、仕事と家庭以外の事には関心を寄せる余裕がなかったように思う。
社会の事、地域の事、ドネの事なども、気持ちをそっちへ向かわす事がなかなか出来なかった。
大きな喜びの中で生活している事を実感しながら、個人として社会的に貢献できる事をやっていきたい。




・まだ自分の利益・都合や自分の気持ちが軸になっている部分については、どのように意識・認識・思い方・言動を変えていこうとするのか?

「自分から動く」自分で考え、自分から行動していく。
たとえ誰も自分に何もしてくれなかったとしても、自分はそれでも自分から喜びを発信していきたい。
実際は誰も何もしてくれない事なんてないのですが、待つのではなく、自分から行動したい。
そして、してもらっている事などには素直に感謝の気持ちを届けたい。


話は変わりますが、ケアマネの試験に無事合格しました。
今すぐにとはいきませんが、将来的にオールドスピリッツホームのほうで何かお役に立てることがあるかもしれません。
出来る事が増える事は嬉しい事です。
資格を役立てていきます。

28/11/2025(金) 11:34:07

No.43235  みさお
Re: 11月28日、金曜日 引用
続き

これからは自分の気持ちだけでなく、
誰であっても相手の本当の気持ちをわかっていきたい。
そして喜びあっていきたいです。

、地上的死の意味・地上人生の意味を学んできた者としての死生観を揺るぎなく確立していただきたいのです。
死は生きる次元の移行にすぎず、愛情があればいずれは必ず再会の喜びに満たされる

この事は私の弱い部分です。
わかっていても、(自分の家族に対しては、寂しさより祝福、懐かしさに変わっています)
死生観は確立できていませんがその人を祝福し、ご家族の幸せを願っていきます。


定例会二部もありがとうございました!

まゆみさん、沢山のお料理ありがとうございます。
飯沼さん、無料でお土産まで頂いて‥

オレンジさん、お母さんの事思っていたので報告嬉しいです。
ピアノ演奏ありがとう!
我が良き友よを飯沼さんが歌う姿が見たかって、実現しました。

さきさんの歌、耳に残っています。

みんとさんは、変わらず上手い!

久美さんの事は、これからマドンナと呼ぼうと誰かが言ってたけど本当マドンナだ!

やすこは〜ん
今回は何のシコを踏んだのでしょうか?
席を外していて戻ったら、マゲを落としていて残念。
思えば、風穴を開ける奉納のシコを以前に踏みましたね。
今回はあと少し頑張れば、大丈夫!の奉納だったのでしょうか。

今年自分が少し変われたのは、風穴が開くという希望からだと思います。

ゆうき君
おめでとう!

今すぐにとはいきませんが、将来的にオールドスピリッツホームのほうで何かお役に立てることがあるかもしれません。

すごく嬉しいです。
頼りにしています。
いいケアマネになるわ。

東さんも踊りも良かったです。
笑いをとる為に踊ってないのに、笑ってごめんなさい。

えーちゃんのパントマイム
なぜだかほっとします〜
又新作待ってま〜す。

実習の感想を又書きます。

二部での歌や踊りの写真を、いっぱい撮っています〜

28/11/2025(金) 13:25:59

No.43236  みさお
Re: 11月28日、金曜日 引用
ちなつちゃん
抜けていました。
懐かしい歌。
ちなつちゃんがどんどん開放されていく様子、見ていて元気をもらっていますよ。

実習では、東さん、久美さんと組み
久美さんに送る時に相手の光がわかった様な気持ちになり、そこを意識しました。
久美さんから、頭をポンポンされている様な感じがしたと聞きそれで良かったのだと思えました。

28/11/2025(金) 15:23:23


No.43227 さき  
11月27日、木曜日 引用
〇「今年の自分は、自分の利益・都合や自分の気持ちを軸とする生き方を卒業して、他者・皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方をしてきたかどうか? それを自分自身の喜びにしてきたかどうか?」

「貢献」自分が誰かのために役立つ喜び。
私は(よくも悪しくも)自分の意識や生き方のなかに「貢献」という軸を組み込んできました。「自分に出来ることをする」という関わり方のなかで、自分の利益・都合や気持ちをなるべく薄くしようとしてきたと思います。全然不十分だと思いますし、生きてる限り卒業はないと思うけど、その軸をさらに健やかな方へシフトしていきたいです。
自己満足や偽善でなく(そこは点検しながら)、やっぱり自分が誰かの役に立てたら嬉しいし喜びです。しんどいと思うこともありますが、それなしに生きられない、生きる糧です。


〇どのように意識・認識・思い方・言動を変えていこうとするのか?
今年、自然農の畑の担当を引き受けたこと、黒豆の栽培を通して、「出来ることをする」という自分の枠、自分の出来ることを最初から制限する意識パターンを自覚しました。相手や皆の喜びよりも、小さく手堅く自分を守る、という意味では自分軸なのだと思います。
畑の経験もないし、わからないことだらけだし、遠いし、関われる時間もないし、、、試しに何本か作るというイメージしか湧きませんでしたが、ぬまさんから、たくさん植えてたくさん収穫して皆でわかちあえばいい、やったら何とかなると言われて、枠を越えなきゃと思ってチャレンジしました。たくさん種まきして苗100本をつくりました。
皆さんに協力してもらって苗を植え、みゆきさんに見守ってもらい、立派な黒豆が実ってくれて皆で収穫作業をしました。
今回の定例会で皆さんに自然農の黒豆を持って帰っていただけて本当に嬉しかったです。
最初から制限しないでよかった、多くを求めてよかった。あの時、100粒種まきしてよかった。嬉しい経験になりました。
もっとこうしたい、こうしてあげたいと求めてこそ、他者・皆に喜びをもたらすことができる。

一事が万事でつい発動してしまう「おかれた状況のなかで(その枠と制限のなかで)出来ることをする」という窮屈な自分の意識パターンを組み替え、もっと自由に、もっとおおらかに、どうしたいのか。自分の心に自信をもって、他者・皆に喜びをもたらしたいと表現し言動したいです。実際に喜びをもたらしたいです。


違和感や感覚の層の歪みを薄くする。感覚の層から喜びベースにすることが昨年からテーマでした。それでこそエネルギーが作用する、エネルギー場を変えられるとやってきたのですが、この一年、Yさんのかげりがこれでもかと浮き上がり、自分がそこに飲み込まれないようにするのにいっぱいでした。喜びベースとは程遠い。これまでの出来事や関わりはなんだったのかと、裏切られた思いになりました。何度も心を離しそうになりました。

>もたらされることは全て向上進化の喜びのための練習問題<
無条件の感謝と祝福、この地上界に風穴をあけるエネルギー、を学んでいるのだと思っています。

なかなか喜びベースになれない日常のなかで、停滞していました。ですが農園で畑、土、草や作物に触れることで元気になって癒されていました。いのちの共生、自然のちからをもらっていたと思います。色んな大変さもあったけど、みゆきさんや仲間の皆さんとの作業も楽しくて共に生きることの喜びを感じました。その喜びを来年につなげたいです。

みんな大好き!定例会ありがとうございました!!
二部で実習の時にみなさんが祐造さんにエネルギーを送って下さっていた話を聞きました。みやっちさんが一生懸命話をしてくれて、胸が熱くなりました。

飯沼さん、Bさん、ありがとうございます。
>人間は取り返しのつかない過ちを犯してしまうこともある。
そこから自分がどうしていくのかによって、過ちの意味も変わっていくのだ。
お母さんが果たしてくれた役割に祐造さんがどう応えていくのか、それが問われ続けている。
祐造さんが自分の犯してしまった過ちを埋めて余りある喜びに切り替えてこそ、お母さんの地上人生も報われるのだ。<

その通りだと思います。

27/11/2025(木) 13:02:46


No.43228  ちづこ
Re: 11月27日、木曜日 引用
みなさん、定例会ありがとうございました。

「今年の自分は、自分の利益・都合や自分の気持ちを軸とする生き方を卒業して、他者・皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方をしてきたかどうか? それを自分自身の喜びにしてきたかどうか?」

去年、目が見えなさそうな方が歩道で困っているようだったので、手助けしたことがありました。その時に、目が見えなくて困ってる人の役に立ちたいなと思い、それから、そういうボランティアとかないのかなと、探していました。今年の秋に視覚障害者の同行援護の講習があることがわかって、さっそく受講して、修了することができました。今からですが、事業所に登録して、自分を役立てていきたいなと思っています。まだ始まってもいないし、いろんな大変なこともあると思うんですが、なんか楽しみだなと思っています。
自分では、自分のやりたいことなだけだと思っていたのだけれど、みやっちさんに教えてもらって、そのことが他者に喜びをもたらすことであると気づくことができました。自分の喜びでもあると思うので、そこを喜んでいこうと思います。

「自分の利益・都合や自分の気持ちが軸になっている部分については、どのように意識・認識・思い方・言動を変えていこうとするのか?」

自分の都合や、自分の気持ちが軸になっている部分はたくさんあります。

父の言動に、嫌悪感をもつことが多かったです。なんとか喜びにしたいけど、踏み込んで関わりたくないなと思う気持ちが大きかったです。自分の都合や、気持ちを軸にしていたからです。父の気持ちを思うと、父の思いを気持ちよく肯定してあげず、父の不自由さや不安な気持ちもわかってあげれてませんでした。まだまだこれからです。父のことだけではないです。自分の気持ちを軸にするのではなくて、相手の気持ちを思うこと、そうしてから、言動していくようにします。
それで喜んでもらえたり、安心してもらえたら、すごく嬉しいし、そういう自分も喜んでいこうと思います。

それから、こうでなければとか、こうしなければ、という気持ちが強いし、一日の予定をこなすことにエネルギーを使ってしまうので、思ったようにならなくても、違う道、違う方法もある、と思うようにする。なんとかなる。天にゆだねよう。と思うようにしていきます。

自分にとって嬉しくないことがおきても、自分の気持ちを軸にしてイヤな思いを深めるのではなく、もたらしてくれてありがとう。埋め合わせさせてもらってありがとう。今はわからなくても、ありがとう。と思うようにします。

一部の実習では、指導霊になったつもりで、というのが、うまく出来てなかったかもしれません。とにかく暑かったです。ペアになってくださったみなさん、ありがとうございました。

二部は、イッシンさんのライブ、オレンジさんのピアノで涙出ました。みんなで歌って嬉しかったです。みなさんの歌もすてきだし、踊りや芸でたくさん笑いました。いつもながら、美味しいお料理もたくさんいただきました。まゆみさん、おばあちゃん、藍ちゃん、ありがとうございました。帰りにいただいた黒豆さんも、すごい美味しかったです。悠々農園のみなさんありがとうございます。

27/11/2025(木) 13:57:20

No.43229  まみ
Re: 11月27日、木曜日 引用
定例会ありがとうございました!

『今年の自分は、自分の利益、都合や自分の気持ちを軸とする生き方を卒業して、他者、皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方をしてきたかどうか?それを自分自身の喜びにしてきたかどうか?』

悠々塾で学ばせていただいたこの一年間で、私に出来る事で他者を幸せにしたいと強く思うようになったので、それまでの私よりは、他者の喜びを考えられるようになったと思います。

でも、体調や気持ちが整っていない時は、誰かの言動や行動で揺れてしまったり、違和感を感じてしまったりするので(自分軸ですね)自分のその時の状況で引っ張られないように、その時の自分の喜びではない気持ちに引きずられないように心掛けます。

自分も他者、皆を大切にし、他者、皆の存在を喜び、他者、皆に喜びをもたらせるように生きていきたいです。
今もこれからも、それが私の喜びです。

今年は特に驚く程に速く毎日が過ぎたので、日々、何事も丁寧に、悔いのないようにもしていきたいです。

そして、私も飯沼さんの「遡れば原因があって、昔や過去世の自分が原因を作ったのかもしれない」というお話がすごく腑に落ちて、違和感のある人が頭に浮かんだ時に「過去世で私はもっと酷いことをこの人にしたんやろなぁ、、」と思えると、すごく納得でき、心が落ち着いて、なんだかこちらの方が申し訳ない気持ちになる時もありました。
飯沼さん、ありがとうございました。

実習では、なみちゃんにエネルギーを送ってもらった時は、心地良い穏やかな感覚のエネルギーが、ゆっくりと全身を巡って、ずっと癒しのエネルギーを感じていました。
やすこさんにエネルギー送ってもらった時は、頭頂部の髪を5、6本、ツンツンと引っ張られてる感覚がしていました。
そして、お二人ともエネルギーを送ってもらってる時に、上に向けていた私の手のひらは、ずっとビリビリしていました。
なみなみちゃん、やすこちゃん、ありがとうございました!

飯沼さん、さきさん、Bさん、ダウンロードありがとうございました。
皆さんの手のひらで浮かされ、ふわふわしている感覚がして、目も開けれない程の強烈な光で包まれているような、その光のエネルギーで満ちていくような気がしました。
素晴らしい体験をありがとうございました!

二部では、大好きなイッシンさんのライブ、新曲素敵ですね♪
ルンルンとしながら聞いていました♪

大好きなオレンジさんのピアノで皆んなで歌い、楽しかったです♪
オレンジさんに「用意はいいですかー?」と聞かれて「はーい、先生」と手を挙げていました(笑)

さきさんの、男前なすずめの涙に感動しました!かっこ良かったです!

他、皆さんの歌、パフォーマンスにも楽しませていただき、ありがとうございました!

その中でも、やすこさんの舞いには、腹筋崩壊でした(笑)
とても素敵な舞いでした!

そして、まゆみさん、いつも美味しいお料理を本当にありがとうございます。
準備してくださった皆さん、ありがとうございました。

お土産までいただきありがとうございました。
次の日早速黒豆を茹でて、粕汁といただきました、
美味しくて幸せでした~
信頼する大好きな人達が、一生懸命作ってくださった貴重な黒豆、
美味しいはずです!

飯沼さん、皆さんありがとうございました!

27/11/2025(木) 15:10:47

No.43230  みんと
Re: 11月27日、木曜日 引用
定例会、ありがとうございました。

※今年の自分は、自分の利益・都合や自分の気持ちを軸とする生きかたを卒業して、他者・皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方をしてきたかどうか?それを自分自身の喜びにしてきたかどうか?

この一年は、去年急逝した兄のことで縁者との行き来ややり取りで費やした年となり、また私自身も兄に安心してもらいたい(あのような最期だったので)との思いで動いてきました。
死の意味を学んだ者として、生きる次元は変わったけれど不安なく穏やかに過ごしてほしとの思いからです。 とにかく愛念を送ること。そればかりを考えて過ごしました。

なのでテーマに沿ったものかどうか分かりませんが、自分の利益・都合などはほぼなかったと思います。 ただ自分の気持ちで動いたことに関しては、兄のためだとは思いながらも身内との意見の相違などもあり学びの場にもなりました。
ともに気持ちを向けてくださった多くの人の優しさ、温かさに触れ、それが自分や皆の喜びにつながったことは本当にありがたいことでした。
少しズレたかもしれませんが。

※まだ自分の利益・都合や自分の気持ちが軸になってる部分については、どのように意識・認識・思い方・言動を変えていこうとするのか

なるべく周りの人の意見、気持ちを尊重して自分を点検し、偏ってないかどうか、修正するところはする。間違いに気づいたら即あやまる。
「ありがとう!」をたくさん言う。

1部での指導霊さんのエネルギー、上手く送れなかったかもしれませんが納得できるエネルギーだと思いました。
オレンジさん、みゆきさん、ありがとうございました。
次回はもっときちんと送れるように頑張っりますね。

飯沼さん、にぃさん、Bさん、さきさん
ダウンロードお疲れ様でした。
眠気が吹っ飛んだのにはビックリ!どうなっているんでしょう
皆さんには感謝しかありません。ありがとうございます!

イッシンさん、新曲ステキでした!次回も聴きたいです。
オレンジさん、皆さんのむちゃぶり笑?大変でしょうがいつも感動させてもらってます。
ありがとうございます!

まゆみさん、おばあちゃん、藍子さん、みやっちさん
何もかも美味しすぎて困りました^_^
朝カレー、Bさんポタージュ、おばあちゃんのおでんまで!
ほんとにご馳走様でした。

来年も宜しくお願いします!

27/11/2025(木) 16:20:54

No.43231  みんと
Re: 11月27日、木曜日 引用
やすこちゃん、即興での舞、おもしろ過ぎや笑
次回は私も観たいよ〜

キンモクセイさん、ミスター、毎回甘えてます✈️
ありがとうございます!

27/11/2025(木) 17:03:17

No.43232  ちづこ
Re: 11月27日、木曜日 引用
まみさんの書き込みを読んで、思い出しました。わたしもやすこちゃんにエネルギーを送ってもらってる時、頭頂部の髪の毛がツンツン引っ張られてる感覚ありました。気のせいではなかったんや。おもしろいですね。

27/11/2025(木) 18:58:41


No.43219 Bさん  
11月26日(水曜日) 引用
はい、後はもう祐造さん次第!

そう思います。
ご本人は誤魔化しているつもりはないと仰るでしょうが、認めながらも実感がないと言うのならば、もううんざりですが、駄々っ子のようにずっと言い続ければいいと思います。
それはご本人の意志ですし、ご本人の勝手です。

皆さん同様、ずっと祐造さんのこと大事に思い心を寄せてきましたが、でもこれ以上、祐造さんの見苦しい姿は見たくないです。
その度に皆さんがどれだけ心を痛め傷ついていたか。
祐造さんはそういう皆さんの思いに心から思い至ることはなかったでしょう。
なんせ、実感のない方ですから。

実感がないとはもう幽界を通り越して暗黒界でしょう。
まして、それをいまだにずっと押し通し自分の至らなさを心から認めることができないのではなくて、認めたくない、認めないというのは、落ちるところまで落ちていくしかないのかなと危惧しますが。
でも、それもすべてご本人の選択ですしご本人の意思なのですから、いくら周りが心を砕いても致し方ないことです。

なので、訳の分からぬ言い訳で振り回されるのは、私はもう御免こうむります。

これって無条件の感謝と祝福に反することかと思うのですが、いやいや決してそうではないと、ご本人に意思がある以上、たとえ指導霊さんであってもそれ以上は踏み込めないと思います。

はい、後は祐造さん次第!

。。。。。。。。。。

オレンジさ〜ん、
定例会ではどんなリクエストにも応えてくださり、みんなで楽しく歌いましたね。
うっかり、昨日オレンジさんの演奏のことに触れなかったので、気になって。
いつも素敵な演奏をありがとうございます。
今回もなにもお話しできなかったですね。
オレンジさんのお国言葉に触れるとなんだか安心できて心が落ち着きます。
本当にいつもありがとうございます。
また、お話ししましょうね〜。

26/11/2025(水) 11:22:05


No.43220  飯沼正晴
Re: 11月26日(水曜日) 引用
掲示板でいつまでもこんな話を続けたくないので、昨夜の私の投稿に少し書き加えて、掲示板での区切りにしたいと思います。


祐造さんが何年間にもわたって日常的に、お母さんへの虐待的叱責を続けてきたことに対する実感が薄いというのは、あり得る話だと思っています。
DVの加害者が罪の意識が薄いのと同じでしょう。

しかも祐造さんはお母さんと同居する前から、つまりお母さんの認知症がそれほど進行していない時期から虐待的叱責をしていたのだから、介護疲れによる虐待的行為ではありません。
DV加害者と同じように、そこに歪んだ喜びがあったからだと思います。

しかし、お母さんが施設に入所してから虐待的叱責が明らかになり、祐造さんは「記憶にない」と惚け続けていました。
さまざまなウソをついて、誤魔化そうとしてきました。

そういうことを含めて、祐造さんは「実感がない」と言い続けています。
心が痛まないということです。
日常的な虐待的叱責によって、お母さんの認知症の進行を早めたかもしれないのに。
しかも祐造さんは、進行を早める可能性が高いことを知っていたのに、虐待的叱責を続けていた。


お母さんへの虐待的叱責だけでなく、その後のウソや誤魔化しの数々、そしてそれがバレて赤っ恥をかいてみっともない姿をさらし続けてきたことに対して、「実感がない。心が動かない」などということは絶対にないと思います。

もしも本当にそうであれば人間失格どころか、人間としての心を持っていないことになってしまう。
祐造さんはそんな人ではないと信じているので、私やさきさんや仲間たちは働きかけを続け、エネルギーを送り続けているのです。

そして、もしも昨夜私が書いたことが的外れであるのなら、定例会での私の指摘をすぐに忘れた祐造さんは、本来の自分の心を取り戻す気など全くないということです。
やる気が全くないということだから。
この数か月間、自分に向き合う作業を続けているフリをして、さきさんや仲間たちを欺き続けてきたことになるのです。

もちろん昨夜私が書いたとおりであっても祐造さんは私たちを欺き続けてきたわけですが、ここでまた「実感がない」ということにすれば、さらにまた欺き続けることを選択したことになります。
繰り返しますが、少しでも自分に向き合おうとしていれば、定例会での私の指摘をすぐに忘れることなど絶対にありえないからです。

いずれにしてもさらにみっともない姿をされすことになりますが、悠々塾で学ぶ気が少しでもあるのなら、もうこれ以上さきさんや仲間たちを欺かないで、本当のことを言ってほしいと思います。

もう噓や誤魔化しによる逃げ道はどこにも残っていないのです。
本当のことを言って、今まで通りのみっともない自分から脱皮するしかないのです。

「僕はこんなにダメな人間です」と謙虚そうにいくら繰り返しても、それはダメな自分に留まることを宣言しているだけの話だ。
ダメな自分を甘やかせて重症化させることにしかならない。

人間は取り返しのつかない過ちを犯してしまうこともある。
そこから自分がどうしていくのかによって、過ちの意味も変わっていくのだ。
お母さんが果たしてくれた役割に祐造さんがどう応えていくのか、それが問われ続けている。
祐造さんが自分の犯してしまった過ちを埋めて余りある喜びに切り替えてこそ、お母さんの地上人生も報われるのだ。

26/11/2025(水) 11:46:39

No.43221  サマンサ
Re: 11月26日(水曜日) 引用
皆さん定例会お疲れ様でした!
ありがとうございました。

「今年の自分は自分の利益、都合や自分の気持ちを軸とする生き方を卒業して、
他者、皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方をしてきたかどうか?
それを自分自身の喜びにしてきたかどうか?」

私は去年の10月から定例会に参加させて頂き、この1年で物凄く向上進化出来た
のではないかと思っています。
それまでは自分軸での生き方だったので、多くの学びや気づきによりまだ卒業までは遠いかもですが近づけたのかなと思います。
他者、皆に喜びをもたらすことは私の喜びであり、皆が幸せで喜びの中で居てくれることが1番の嬉しい事です。

色々学んだ中で今年1番の大きな気づきは久美さんも挙げられてましたが
飯沼さんの「起点」というワードでした!
今までこの方向からの考えは全く無く、スゴイと震えました!
過去の辛い出来事で悪役を演じてくれた人に対して上辺ではだいぶんと許せているフリをしてましたが…
そんな私が「出来事の起点をどこに置くか」という文章で『はっ』と気づきました。
「本当は誰も悪くなくて皆が不充分だったから」涙が溢れました…
やっと本当に許すことが出来ました。
そして悪役を演じてくれた人にも、分け隔てのない無条件の感謝と祝福のエネルギーを送ることも出来ました!
大きな大きな気づきをありがとうございました!!


飯沼さん、にいさん、Bさん、さきさんからのエネルギーのダウンロード
今回は今までとは違う感じで、陽だまりの中で絶対的な安心感に包まれ、何も
心配や不安のない身体も心もリラックスした状態で、いつも大神神社に入った時と同じ感覚でした。
ありがとうございました!

2部では皆さんの唄や演奏、踊りやパフォーマンスで
感動し笑い、最高の時間でした。

畑で採れた野菜やお料理も美味しかったです。
いつも大変だと思います。
まゆみさん、お母さん、皆さんありがとうございます!
みやっちさんもいつもお料理を取りに行って下さってありがとうございます!

皆さんに感謝です!!!

26/11/2025(水) 15:24:10

No.43222  なみ
Re: 11月26日(水曜日) 引用
定例会ありがとうございました。

「今年の自分は、自分の利益・都合や自分の気持ちを軸とする生き方を卒業して、他者・皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方をしてきたかどうか?それを自分自身の喜びにしてきたかどうか?」

職場の人や友人など、もともと関係が良好だったと言えばそうなんですが、よりいい関係、嬉しいなと思うことが多くなりました。自分の都合や気持ちではなくて、一歩引いて相手のことを思ったり、その人の喜びを思って言動しようと意識するようになりました。そうできたときは、今までの自分の見方とか受け止め方、言動を少し変えるだけで、こんなに変わるんだと思ったし、そうできた自分を喜ぶことができました。

それが家族になるとなかなか難しくて、また違和感を大きくしてしまったり、否定的に見てしまったり、またかと落胆したり、時にはその感情を出してしまって、その場の雰囲気をもっと重くしてしまったり、そんな自分に落ち込んで自己否定してを繰り返してしまっていました。

自分の気持ちを優先させていたら、こんなことになってしまうのか、このままではいけないと思う出来事もあり、そのおかげで相手の不十分さばかりに目が行っていたけど、自分も何て自分勝手なんだろう、私も同じじゃないかと、はっと気づかされて、すごく反省したし、気づけたことがありがたかったです。


「自分の利益・都合や自分の気持ちが軸になっている部分については、どのように意識・認識・思い方、言動を変えていこうとするのか?」

特に家族に関しては、まだまだ自分の気持ちが軸になっています。
違和感を抱いてしまうのは、自分なりの基準で物事を見ているから、自分の気持ちを軸にしているから。自分の問題だなとつくづく思います。

自分の気持ちをできるだけ薄くして、なぜこういう言動をするのか、相手の気持ちや背景を考える。自分の思い込みがないかを考えてみる。
自分にも同じようなところがないのかと自分を点検する。自分に同じようなところがあれば、それに気づかせてもらったことに感謝して、自分を改める。
自分も相手も不十分なところがあるんだということや、もしかしたら過去世で今自分がしんどいと思っている思いを相手にさせてしまったのかもと想像してみたり、今世で再チャレンジさせてもらっているんだ、自分に学びを与えてくれる大切な役割を担ってくれているんだと思ったり、今まで学んできたことを総動員して、自分の気持ちを軸とする生き方を卒業したいです。

そして、今この場で自分はどういった言葉を発せばいいのか、どうしたら他者、皆の喜びになるのかを一番に考えて、言動する。
どんなことにも感謝の気持ちを持って、喜びの気持ちで日々を過ごす。
将来の不安ではなく、今を喜ぶ。
そうしていきたいです。

家族という場では、その場が陰りのほうに傾くと、自分の感情を抑えること、我慢することにエネルギーを費やしたり、自分も引きずられてしまうので、実習でやった指導霊になったつもりの意識、高いところに視点を置くこと、大切だなと思いました。

私は影響をすぐに受けてしまうので、影響を与えられるように強くなりたいです。
重苦しい場の雰囲気を明るく吹き飛ばすことができるような人になりたいです。
絶対になろうと思っています!


実習では、指導霊になったつもりでというのが、これでいいのかなと思いながらでしたが、エネルギーを送るときは、きんもくせいさんも言われてましたが、私もお腹がぐるぐる鳴っていました。

最初、まみさんにエネルギーを通してもらったのですが、すぐに胸のあたりがすごく熱くなって、それが頭頂のほうまで広がり、手がびりびりして、ずっと安心感に包まれているようでした。まみさん、ありがとうございました!
その後、ちづちゃん、ミスターさんとペアを組ませていただいて、ずっとこのエネルギーに触れていたいと思うぐらい心地よかったです。送らせてもらっているときもそうでした。ちづちゃん、ミスターさん、ありがとうございました!

それから、飯沼さん、Bさん、さきさん、そしてにぃくん、ダウンロードありがとうございました。
ダウンロードしてもらっている間、みんなのことを幸せにできるように自分を変えたいと心の中でずっと思っていました。がんばります!

懇親会では、イッシンさんの歌、オレンジさんの演奏にみんなで歌ったり、皆さんの歌や踊りや出し物に、悩んでいることやしんどさなんか忘れてしまうぐらい、楽しくて元気をもらいました。

オレンジさんが、私がピアニスト辻井伸行さんの「神様のカルテ」という曲が好きなんよと言ったのを覚えてくれていて、今回演奏してくれました。この曲を聴くと心が落ち着いて、何だか希望みたいなものも感じられて、大好きな曲なんです。私にとってはサプライズで、嬉しくて胸がいっぱいになりました。オレンジさん、素敵な演奏を本当にありがとう!

畑で採れたお野菜、お料理、どれも本当においしくて、いつも食べ過ぎてしまいます。
まゆみさん、準備してくださった皆さん、ありがとうございました。

Bさん、明るい笑顔が嬉しかったと言ってくれて、私も嬉しいです。ありがとうございます。
今こうやって笑うことができるのは、皆さんに助けていただいたからです。
改めて皆さんに感謝しています。

26/11/2025(水) 17:52:15

No.43223  千夏
Re: 11月26日(水曜日) 引用
定例会、ありがとうございました。

今年の自分は、自分の利益・都合や自分の気持ちを軸とする生き方を卒業して、他者・皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方をしてきたかどうか? それを自分自身の喜びにしてきたかどうか?

私は自分ばかりが大変な思いをしているという気持ちに囚われてしまったために、嫁ぎ先の家族との関係が壊れてしまいました。その後長い間自分を責める気持ちや自己否定から抜け出すことができず、今思えばまさに幽界と繋がっていたと思います。
音信不通だった娘と再会することができたのをきっかけに
貢献の道を歩みたいとの気持ちが大きくなり、初めて
定例会に参加させていただいてから、1年が経ちました。

定例会でみなさんと学び合い、実習でエネルギーの通し合いや神の子のダウンロードをしていただくうちに
私の心に残っていた重たいものが、どんどん軽くなっていく感覚がありました。

ぬまさんや克子さんが伝えてくださる自然農への取り組みにも、とても興味が湧いて積極的に参加させてもらいました。
畑でみなさんと一緒に無条件の祝福と感謝の気持ちで作業すると、自然界のエネルギーのおかげなのか、今まで体験した事のない清々しい気持ちになりました。
そうするうちに、今まで通りの自分にこだわる心も薄くなっていったようで、新たに生き直したい気持ちになりました。

そして会社と自分の利益や都合を軸にし、いかに要領良く立ち回るかが常識で、どうしても喜びを感じることができなかった職場を退職しました。
これから何をするのか模索中ですが、関わる人に喜びをもたらし、自分もそれを喜びとするような働き方をしたいです。

20数年前にぬまさんと克子さんの直接ヒーリングカウンセリングを受けた際に、嫁ぎ先の家族との係り方についてアドバイスのメッセージをいただきましたが、そこには
「どうすれば皆にとって喜ばしいことにできるのか?」が
あなたの人生のテーマです、と記されていました。
メッセージには自分の気持に囚われて喜びではない気持ちになってしまった時にこそ、自分も相手も嬉しくなるような言動を心がけるように、とも記されていました。

20数年前の私は未熟すぎて自分のことで精一杯で
アドバイスに沿うことができませんでしたが、
自分なりの気持ちに引っ張られそうになった時には
このメッセージを思い出して軌道修正していきます。
そして自分を薄くして向上進化の努力を続けながら、皆の喜びを自分の喜びとする生き方に近づいていきたいです。

指導霊になったつもりでエネルギーを通し合う、という実習では、ミスターときんもくせいさんと組ませていただきました。
指導霊さんはきっと指導する対象者の深い気づきや向上進化を願いながら、大きな愛情で見守っているのだろうとイメージしながら、エネルギーを通させていただきました。
エネルギーを通していただいている時は、ポカポカして
安心感があり、とても心地よい気分でした。
ミスター、きんもくせいさん、ありがとうございました。

2部ではイッシンさん、オレンジさんの演奏に心を洗われ、
みなさんの個性溢れるパフォーマンスに大笑いして
いろいろなモヤモヤも吹っ飛びました!

いつも美味しいお料理を用意してくださる、まゆみさん、
おばあちゃん、藍子さんありがとうごさいました。
悠々農園の黒豆やさつまいも、ぬまさんの白菜もすごく甘く美味しくて大人気でしたね!
翌朝いただいたBさんのポタージュは、とても優しい味わいで心と身体に沁みました。
Bさん、ありがとうございました。

みなさんとお会いできるのが楽しみで、次の定例会が今から待ち遠しいです。
みなさん本当にありがとうございました。

26/11/2025(水) 21:40:00

No.43224  オレンジ
Re: 11月26日(水曜日) 引用
定例会ありがとうございました。

他者、皆に喜びをもたらすことではピアノの仕事に関しては優先的に動いていると思います。役立つ喜びもあります。
畑の生命さんは悠々農園の報告を読んだり写真を見せてもらうだけで畑には参加していない気持ちもあり全く不十分です。

飯沼さん、Bさん、さきさんダウンロードありがとうございました。

今回は是非してもらいたかった理由があり、それは母のことです。
兄の他界もあり寂しさからまた鬱が出てしまいました。それがだんだん酷くなって「生きていても仕方ない。何も欲しくないし美味しいと思わない。何もしたくない」と毎日のように言い、デイに行ってもご飯は少し食べるだけで、しんどいから早い時間に送ってもらい、家で寝てる日々。

朝起きたら母を気遣い、帰宅すれば泣いているか横になって何もできない母。土日は車に乗せてとりあえずどこかを走るなど、くたくたでした。母も辛かったろうと思います。

それが定例会以降嘘のように回復しています。「もうあんまり気にしないことにしたらその方が楽よなあ。」と言います。
今日はデイでお昼ご飯を完食したようです。

夕飯の準備はしてくれているし、今朝も何かすることある?手伝うことある?あんたもしんどい思いをしているだろうからちょっとでも楽をさせてあげたいわと言います。

昨晩はぐっすり眠れたようでいつもより機嫌のいい顔をしています。母も私の成長の為に病気になったのではないかと思うと可哀想でもあり感謝の気持ちもあります。
何もしないよりは実習でやったようなやり方でエネルギーを送るといい感じもしています。

ダウンロードはもちろんのこと、ペアになったミントさん、あきえさん、やすこちゃんありがとうございました。指導霊になったつもりでを忘れていた時もあり、すぐに切り替えたらシャキッとして自分の意志の違いを感じました。
おかげ様でエネルギーいっぱいになったようで日曜、月曜とかなり疲れました。
今回のエネルギーは特に凄かったんですね。

Bさん、私のこと気にしてくれてありがとうございます。まだにこにこして弾く余裕ないですね笑。緊張しますよ〜
いつも深夜まで話に参加したくても眠気に勝てず早くに寝てしまい、せっかくの機会なのに勿体ないことですよね。
でも翌朝みんな楽しく喋ったり話を聞いてもらったりが凄くたのしいです。今回もBさんと話ができなかったですね。
次回はゆっくりお話ししてくださいね。
いつも気にかけてくださりありがとうございます。お話も楽しいですよ〜。

みなさん、どこで歌が終わるかもきちんと把握できてなくて今回はすみません。でも合わせてくれてありがとうございます。思えば伴奏を初めて弾かせてもらって以来幸せな経験となっています。
歌があまり得意でない方もおられますが歌ってくれてありがとうございます。

やすこちゃん、ありがとう。イッシンの歌の時みなさんよく泣いているけど、感情豊かなやすこちゃん私も返って癒されてます。
喜んでもらえて嬉しいです。
やすこちゃんは一発芸を頼まれても即答ですぐ行動に移します。
その場の雰囲気ががらりと楽しくおもしろくなってしまうからその才能と度胸が羨ましくて何度もそのエネルギー頂戴よ!と言ってます。最高の一発芸よ〜

久美さん、清らかな久美さんの歌声ステキです。また歌ってくださいね。きんもくせいさん、サマンサさん、千夏さんもありがとう。

きんもくせいさん、働きのことをいきいきと話してくれるのできっと喜びなんだろうなあと思います。こちらまで楽しくなります。

なみさん、神様のカルテはシンプルなメロディーだけど済んだ心を感じます。この曲を知ることができて感謝してます。ありがとう。

まゆみさん、お母さん、藍子ちゃんいつも美味しいお料理をありがとうございます。今回は畑で採れた野菜、悠々農園の野菜とたくさん頂きました。Bさんの毎度の美味しいスープもありがとうございます。
みなさん、ほんとにありがとうございます。

26/11/2025(水) 22:20:23

No.43225  ミスター
Re: 11月26日(水曜日) 引用
飯沼さん、皆さま 定例会ありがとうございました。

「今年の自分は自分の利益、都合や自分の気持ちを軸とする生き方を卒業して、
他者、皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方をしてきたかどうか?
それを自分自身の喜びにしてきたかどうか?」

昨年43年のサラリーマンを卒業してすぐに新たな居場所に出会いました。

以前投稿したこと:
>思えば長い会社員生活を振り返るに、自分は本当に言いたいことを言ってきたのか、戦ってきたのか。戦ってきたとして、自分が正しいと信じたからだとして、部下を守るためだったとして、それが何だったんだろう。
そして会社の中での落とし所は、祈ることではなく、右が左かどちらかに決めなければならない。その連続。
自分のキャリアを否定はしないが、画一の価値観の中で右往左往していただけであったと最近になって身をもって感じています。<

自分の利益、都合、気持ちを優先してきたものでもないけど、企業組織に馴染んでいただけでむしろ自分の気持ち自体がなかったのかも知れない。

今参加している団体は「年をとっても、しょうがいをもっても、外国籍でも、ひとりになっても安心して暮らせる町とはどんな町だろう」という終わりのない問いの答えを考え続けてきた。私たちはその心に真底共感しています。
他者、皆に喜びをもたらすことを是とする人たちと出会い、自分もこれまでの経験を生かして貢献できていることを嬉しく思っています。

一方、新しく加わるメンバーの中にはそのマインドに共感してではなく、自分の善行?に酔っている?、それを堂々と表明する人もいて、、。
げ、と思うがそこには違和感を持つのではなく、いずれ分かっていってくれることを期待して自分の責任ある言動を心がけていきます。
ここまで書いていて、ひとつ決心することができたように思いました。自分がやりたいこと。自分らしくやれることを「これから」やっていく。

実習について
指導霊になったつもりで…。なんと言うかすごく安心してできました。
自分がエネルギーの中継点になっている感覚がより鮮明に自覚できました。
そして、エネルギーを送っていただくときに、心地よさの中に頭頂にエネルギーの「形」を感じました。うまく言えませんが、丸とか四角みたいな。
一緒に実習に取り組んでいただいた皆さま、ありがとうございました。

2部はまた美味しく楽しく。
朝のおでん!巾着や大根がまた絶品で。
そして無料にしていただいて恐縮の極みです。
ありがとうございました!

26/11/2025(水) 22:43:58

No.43226  ぽんた
Re: 11月26日(水曜日) 引用
定例会、ありがとうございました。
帰ってきてから翌日の夕方まで、ほとんどおかしなくらい眠っていました。
たくさんの力強いエネルギーを浴びてきたからだろうと思います。

「今年の自分は、自分の利益・都合や自分の気持ちを軸とする生き方を卒業して、他者・皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方をしてきたかどうか? それを自分自身の喜びにしてきたかどうか?」

自分の作りたいものを作ることが主体だったのが今年だとみると、そこは自分の都合や気持ちベースの大きな流れの中で過ごしてきてしまい、ただ自分がひたすら楽しかった自分の喜びだけで、他者、皆に喜びをという軸からは離れてしまっていたかもしれません。
また、5年続けてきた地域の高齢者のための活動も、あまりできない一年だったと思います。
そもそもコロナ禍に「いかにお年寄りに対面せず安否を確認するか?」から始まった活動で、ほとんど対面交流がなく手ごたえもなく、ただひたすら事務的な事業に時間が取られるだけ。自治会長さんや民生さんからは継続して欲しいと切望されているという形でお役には立っているようだし、もちろんそれから汲み取れるものもありますが、モヤモヤしたものがあるところなので、来年はもう少し自分にとっても喜びになるような形を考え直したい気持ちです。

家族の関係の中では、不十分ながら、自分の利益・都合や気持ち以前に、相手に喜びと癒しをもたらすことを優先しようとなるべく努力してきた、努力している最中だと思います。今健康に不具合を感じている兄のつらさ、それが薄まれば私自身の喜びにもなることは間違いないので、それを願いながら心を使っていきたいです。なかなか動かない兄や状況への違和感も、模索しながらでも自分の気持ちを越えて喜びを目指していければ、エメルギー場を変えることができると信じます。

「自分の利益・都合や自分の気持ちが軸になっている部分については、どのように意識・認識・思い方・言動を変えていこうとするのか?」

どのように変えれば、と具体的なことは言葉にならないのですが、もう抜本的に自分のある部分を、大きく思い変える必要があるような気がしています‥‥曖昧でごめんなさい、私自身が大きな喜びそのものに自分を変えていけたら、とかそういう感じの意味です。


実習について
「その人の指導霊になったつもりで」送るというエネルギー。エネルギーを送る時、どこかまだまだ迷いや不安の気持ちがあるところ、「指導霊になったつもり」で、自分の感情を棚上げできる気がしました。そのぶんストレートになって強くなった感覚がありました。
実習で送りあってくださった皆さん、ありがとうございました。
それから飯沼さん、Bさん、さきさん、そしてにぃさん、ダウンロードありがとうございました。

また二部では、いつもイッシンさんの音楽や(軽快な新曲も素敵でした!)オレンジさんのピアノの音色に、素敵な場所に連れて行ってもらってうっとりです。
みんなで歌ったのも楽しかったし、悠々塾演芸部も最高でした!
農園の恵みで美味しいお料理を作ってくれたまゆみさん、お母さん、みなさん、そして、
定例会で一緒に過ごしてくださった皆さん、感謝でいっぱいです。
飯沼さん、深夜の公開カウンセリングもありがとうございました。

26/11/2025(水) 22:56:34


No.43209 飯沼正晴  
11月25日(火曜日) 引用
祐造さん、

>過ちや至らなさの重大さが分かっているからこそ、そこに向き合うのが怖くて逃げてしまってる、という意味で書いたものですが、その重大さということに実感をもっているのかと言われれば、そうではありませんでした。<

どういう意味ですか?
分かるように説明してください。

それと、祐造さんの言う「実感」とはどういうものですか?
「重大さが分かっている」とはどういうことですか?
。。。。。。。。

追加です。

定例会で私が指摘したことは他にもありました。
祐造さんにやる気があれば、帰りの車の中や帰宅してからも、「どうしてそういうことを言われるのだろう?」と考え続けるはずの指摘でした。

定例会の場では祐造さんは私の指摘に無言のままだったので、この場でちゃんと答えてください。
。。。。。。

もう一つ追加です。

どうでもいいと思ってスルーしていたのですが、意外と大事なポイントかもしれないので。

>また、実習の時間にはダウンロードもしていただき感謝しています。
緊張していたせいか、エネルギーが通りにくかったそうで申し訳ない気持ちです。<

祐造さんにエネルギーが通りにくかったのは事実です。
でも、それはエネルギーを通す側だった私とにいクンたちの間で、ほとんど個人的に交わされた話でした。

祐造さんは、エネルギーが通りにくかった理由が、ほんとに「緊張していたせい」だと思っているのでしょうか?
特に書く必要もないのに、エネルギーが通りにくかったことをわざわざ書いて、その理由を「緊張していたせいか」とした動機は何でしょう?

25/11/2025(火) 08:11:54


No.43210  さき
Re: 11月25日(火曜日) 引用
ぬまさん、みなさん、定例会お疲れさまでした。
ありがとうございました!

祐造さん、
私が言ったことや誰かから言われたことを持ち出しては考えてるフリ、向き合ってるフリ、反省しているフリ、いい人のフリ、、
形だけで中身がない。心もない。

自分がやったことの酷さより、自分の気持ちが大事。
ああいえばこういって言い訳、誤魔化し、とぼけることも平気。嘘をついても心が痛まない。
あなたに「良心」のセンサーはないのか。

その場をやり過ごすことしか眼中にない。
己の気持ちがいちばん大事。やってるフリをしながら己の身勝手を言動し続ける。
その姿を見せられ続けている仲間の気持ちなんかお構いなし。

気の毒な人です。

幼児が自分の身勝手を通すために寝転がって駄々こねてるのと同じです。
いいかげんにしろ!
一生それやってても、通らないものは通らない。
自分がやったことの報いは自分が受けることになるんよ。


・・・・・・
すみません。
場のエネルギーを乱してたら削除してください。
この状態を受けてどうするかは自分の問題だと思っています。
私も定例会の宿題します。

25/11/2025(火) 10:58:06

No.43211  やすこ
Re: 11月25日(火曜日) 引用
定例会ありがとうございました!

「今年の自分は、自分の利益・都合や自分の気持ちを軸とする生き方を卒業して、他者・皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方をしてきたかどうか? それを自分自身の喜びにしてきたかどうか?」

周りに喜びをもたらす自分でいたい、そうありたいと思いながら、不安や心配を大きくしてしまい、「今」を喜べなくなってしまったり、姉に対して相変わらずだなと違和感をもったりする、そんな自分の気持ちが軸になっている自分だったと思います。分かっているのに繰り返してしまいました。周りの喜びを優先にする軸ではなかったと思います。


でも姉への違和感をじっくり考えてみると、少しずつ自分の至らなさも見えてきて、私だって身勝手じゃないか?と思えてきました。
そうすると姉のおかしな言動の理由は姉なりに私の喜びを考えての事なんだと思えてきて。今だにどうしてそうなるんだ、どうしてそんなやり方なんだと思うけど。嬉しい大きな気づきがありました。

今度から、義兄の事で大きく変化した姉をもっと信じていこう。まだ残っている気持ち(姉のようにはしない、なりたくない、と意地のような気持ち)を来年は完全に捨て去っていこうと思っています。姉に甘える事もしていこうかなとも思ってます。

心配について、色んな心配がありますが父の事が大きいです。だけどこれも自分の気持ちが優先の自分軸であったと思います。

地上の死の意味を知りながら湧いてくる気持ちがあり、それは消えないと思うけど、今ある喜びまで薄めてしまってどうするんだ、感謝して今を喜ぶ事をしないでどうするんだ、と最近になって心でわかる様になってきました。
今はそう出来つつあると思います。

無意識に自分の気持ちの軸になってしまうのを卒業したら、もっと軽やかに自分を使っていけると思うのでそうなっていきます。周りを幸せにしたい!と思います。

停滞しているなと感じていましたが、人の向上進化を応援すること、それが自分の大きな喜びと感じました、実際大きな喜びになりました。
また、そのために今の自分を切り替えていこうとした、切り替えた事も大きな喜びでした。

今に喜びを見つけ喜んでいくこと。そうして自分を幸せにして、その自分が周りを幸せにすること。
これをもっと自分に刷り込んで、来年はどんな時もそんな風に出来るようにしていきたいです。

神の子として生きる。これもしっかりと心において、自分も周りも一緒に、向上進化していけるように!と言動していきます。


実習

神の子としてのエネルギーは、皆んな不十分な存在なのだから一緒に歩んでいこう、一緒に向上進化していこうね、というように込み上げるような気持ちのエネルギーだなと思っていましたが、

指導霊になったつもりの無条件の祝福と感謝のエネルギーは、指導霊のリーダーが後ろにいて下さって安心の気持ち、自分はお役目をいただいてる、いつもより大丈夫の気持ち、力強さを持って…これでいいのかな?と思いながらも、そんな風に思い送らせてもらいました。

送らせてもらった時は、なぜか自分の中がスーッと通るような?巡ってる?ような感覚でした。

あと、みやっちに送ってもらった時、背中が汗が出るほど熱くなって、それが急に冷風になったのが驚きました。

ペアになってくださったみなさん、ありがとうございました♪

手のあいた方が皆さん祐造さんへエネルギーを送っておられましたね。
また実習したいです!

二部ではイッシンさんの新曲も聴けたし、オレンジさんの演奏でみんなで歌って楽しかったですね!

オレンジさんが私が前にリクエストした曲をまた演奏してくれて嬉しかったです。

「もしもピアノのが弾けたなら」
自分の気持ちを表現するのがド下手で、心にもない事を言ってしまったり、素直になれなかったりの、ほんとは自信のない、そんな不器用さんな夫を思って、その夫の気持ちを分かってあげようとしなかった私を思って、何度聴いても泣いてしまう曲です。

オレンジさんありがとう!!

私は好き勝手させてもらって最高に幸せでした。まゆみさん、ほんとにありがとうございました!

25/11/2025(火) 11:15:48

No.43212  飯沼正晴
Re: 11月25日(火曜日) 引用
*今年の自分は、自分の利益・都合や自分の気持ちを軸とする生き方を卒業して、他者・皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方をしてきたかどうか? それを自分自身の喜びにしてきたかどうか?


私は悠々塾の働きを始めてからというか、私自身が悠々塾で学び始めてから、「自分の利益・都合や自分の気持ちを軸とする生き方」は薄くなってきと思う。自分で思っているだけかもしれないが。
そして、「他者・皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方」を続けてきたと思う。これも自分で思っているだけかもしれないが。

私の場合、「死後も通用する喜び=向上進化の喜び」をもたらしたいという思いが強い。意識・波動(エネルギー)が喜びに変われば、地上的現実も付随して変わるのだから。

それが相手にとっては「喜び」とは思ってもらえないことも少なくない。そこでは私自身が「なぜ分からないのだ。なぜ、分かってもらえないのだ」という苛立ちを感じることもあって、「(向上進化の)喜びをもたらすこと」を自分の喜びに思えないことはあったし、それは今もある。
相手が「喜び」と思えるような伝え方・表現をしていくことを心掛けたいとは思っているが、それもケースバイケースであるとも思う。

場合によれば、地上で生きている間には分かってもらえなくて、逆恨みされることがあっても、死後に自分の人生を振り返る時の気づきの伏線としてでも、「今、これは伝えるべきだ」と思うことは伝えていきたい。
もしも私の指摘などが的外れで、反発されたとしても、その人の死後の振り返りの過程で、私の見当違いも私の動機において受け入れてもらえるはずだし。

いろいろあるにしても、「(向上進化の)喜びをもたらすこと」を自分の喜びにしているのだとは思う。

クライアントさんを含めて学びの仲間と思う人間に対してはそういう感じで、このテーマについても去年よりも今年の方が向上しているようには思う。

その一方で、畑の作物や土壌微生物さんをはじめとする、畑の生命さんたちに対しては、まだまだ不十分な自分のままだ。

彼らに対しては、「自分の利益・都合や自分の気持ちを軸とする関わり方」しかできていない。「利益」というのは少し違うかもしれないが、「より多くの収穫」が軸になっていて、できたものを無条件で喜ぶということにはなっていないと思う。

そして畑の生命たちの喜びということは頭では分かっているのだが、今のところはまだ「自分の都合や自分の気持ち」が軸になっている段階だ。

作柄や畑の状態がいかなるものであっても、まずは畑という生命場・畑に生きるあらゆる生命たちに無条件の祝福と感謝の心を向けて、そのエネルギーで彼ら全てを包み込むことが最優先の軸になってこそ、共生の喜びがカタチになるということは分かっているのに、そこはまだまだだと思う。

畑の生命たちだけでなく、向上進化の喜びというラインであまりにも噛み合わない人たちや人間としてあまりにも酷いことをしつづけている人たちに対しても、無条件の祝福と感謝の心・エネルギーを注いでいけるようになりたいと思っている。

先日の定例会で、その意識やエネルギーの手応えを感じることができたので、「指導霊になったつもり」の意識・エネルギーをしっかりと自分に定着させていきたい。

自分自身の意識に今までよりも高次な橋頭保を設定することで、自分の利益・都合や自分の気持ちを軸とする生き方を卒業して、他者・皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方がよりナチュラルにできるようになり、それを自分自身の喜びにしていけるようになるのだから。

25/11/2025(火) 13:50:58

No.43213  久美
Re: 11月25日(火曜日) 引用
定例会ありがとうございました。

「今年の自分は、自分の利益・都合や自分の気持ちを軸とする生き方を卒業して、他者・皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方をしてきたかどうか? それを自分自身の喜びにしてきたかどうか?」

今まで、自分の気持ちを越えることがなかなかできませんでしたが、ここ数年(今年も)身内のピンチが続き、ピンチになった時には自分の気持ちなんて言っていられないので、自分の気持ちより相手・皆の喜びの方へと気持ちを動かせたように思います。
そして、皆が幸せになっていくことをお手伝いできるのは、やはり嬉しかったです。

また、身内でなくても、相手(皆)の力になれたり、喜んでもらえたら、やはり嬉しかったです。

「自分の利益・都合や自分の気持ちが軸になっている部分については、どのように意識・認識・思い方・言動を変えていこうとするのか?」

ですが、長年ずっと悩んできた身内に対する大きな違和感は、なかなか難しいです。

○飯沼さんがラインで言われていた

>誰が悪いかというのは、喜びではない出来事の起点をどこに置くかだけの話で、過去世やカルマのことも含めたら、ほんとは誰も悪くなくて、皆が不十分だったわけだからね。

>その人がそうなったことにも遡れば原因があって、昔や過去世の自分が原因を作ったのかも知れない。

>その人がそうなったことは、もちろん本人を含むさまざまな人の不十分さがあったから。

という言葉を心に留めるようにしています。
とても大切な言葉だと思っています。

○それと、視点を大きく広げて行くと、今まで見えてこなかったことが見えてきて、自分の気持ちや都合を越えて、相手の気持ちに寄り添いやすくなるような気がしています。(どうしてもそうなってしまう相手の気持ちや苦しさが見えてくる)

○違和感のある相手のことを考えてみると、自分も同じようなところがあることに気が付いたりして、自分の向上進化のためだったのかなと、ありがたく思えたりします。

○どんな時も、どんな命にも、無条件の祝福と感謝の心を向けていけるように、それを目標にしていきたいです。

○それでも、自分の都合や気持ち(不安になってしまう気持ちも含めて)を軸にしてしまう時は、「必ず越えられる!できる!」と自分を信じる心を持ちたいです。

○やすこさんも書かれていますが、人の向上進化を応援することは大きな喜びなので、もっと応援できるような自分になりたいです。
それには、自分自身も喜びベースになって行くことが大切だと思いました。

実習では

指導霊になったつもりは、慣れてないこともあるのか、いつもとの違いがよく分かりませんでした。
ですが、エネルギーを送っていると、汗が出るほど熱くなった時がありました。

エネルギーを送ってもらった時は、とても温かくなるのを感じました。
みさおさんにエネルギーを送ってもらった時、何度も頭のあちこちを手でポンポンと触れられているように感じたのですが、後でみさおさんに聞いても、触っていないとのことで、とても不思議だったし、すごいな〜って思いました。
エネルギーをありがとうございました!

懇親会では

イッシンさんの歌に、藍子さんの声の響きに、すごいな〜って感動したり、オレンジさんの演奏も心に沁みて、みんなで歌えて嬉しかったです!

みなさんの歌や演技?や踊り?(笑)も心に残っていて、目に焼き付いたりしていて、家に帰ってからも思い出したりしています。^^

お料理もとっても美味しくて、感動しながら食べていました!
まゆみさん、みなさん、美味しいお料理をありがとうございました!

25/11/2025(火) 16:38:40

No.43214  Bさん
Re: 11月25日(火曜日) 引用
今年の自分は、自分の利益・都合や自分の気持ちを軸とする生き方を卒業したか?
他者・皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方をしてきたか?

卒業したか?と問われると、いやなかなかまだまだ迷いの中、そんなストレートに卒業はできてないと思います。

でも、兄に関しては少しできてきたかな?
私は「寅さん」を観ると異常に泣いてしまうようなところがあります。
寅さんがなにかの書類の保護者欄にさくらと書いたそんなシーンがあったと思うのですが、そのときはもう号泣でした。
私は兄をずっと守り続けてきたつもりでしたが、心のどこかに面倒な存在という思いがあり、幸せを願いつつも仕方がないことだとして自分の都合を兄に強いることが多かったです。
仕方がないは私の都合であって、兄にとっては不本意なことでしかなかったと思います。すったもんだいろいろあっても、優しい兄は最後には必ず折れてくれていました。もちろん私は兄を含む家族みんなの幸せを願ってのことではあったのですが。

そのことに気づいてからは兄の思いを汲むようにして自分本位なことは避けてきましたが、面倒な存在の意識は薄くはなったものの、すべてを受け入れることはできていませんでした。
でも、今年は兄との関りがより多くなっていく中で、もちろん面倒なことは多々あるのですが、心から兄を愛おしく思えるようになりました。
その思いが兄に喜びをもたらしているか、それはどうなんだろうとは思いますが、自分本位であったことに気づけたことは大きく、愛おしく思えたことは自分自身の大きな喜びです。

定例会で少し話した優しさが仇になり的な出来事ですが、相手のことを助けるつもりでしたことですが、これもひょっとしたら心のどこかにあった自分の都合優先が引き起こしたことかもしれません。そんな気がします。

みんなのため人のためと言いつつ、往々にして自分の本心を誤魔化しながら生きているのかもしれません。
そんなつもりはなくても、自分の言動の中にひょっとして自分本位が潜んでいるのではないか、冷静に自分を見定めていかねばと思います。

誰に対しても何に対しても「居てくれてありがとう! 在ってくれてありがとう!」の思いですべてを喜びに変えて、自分軸優先を卒業しましたと胸を張って言えるようになります。
皆さんとともに、互いに思い合える喜びの世界が広がるよう努めていきます。

定例会では飯沼氏、さきさんはじめ皆さんありがとうございました。
久々の出会いに心癒されました。
特にあきえさん、なみさんが見せてくれた明るい笑顔がうれしかったです
二部の「すずめの涙」には、さきさんの心意気についついお構いなしに笑っちゃいました。
もちろん、いつも以上に本領発揮のやすこちゃんには大笑いです。
東さんの入魂の踊りも素晴らしいですね。
イッシンさんの新曲も明るく軽快で楽しかったです。
エーチャンのパフォーマンスもエーチャンの日常が垣間見れて面白かったです。

まゆみさん、藍子ちゃん、そしてお母さんも、たくさんのお料理をありがとうございました。
畑で採れた白菜も大根も小豆も、それに卵も美味しくいただきました。
みゆきちゃん、さきさん、自然農法の黒豆もありがとうございます。

25/11/2025(火) 19:11:01

No.43215  みやっち
Re: 11月25日(火曜日) 引用
定例会、ありがとうございました。

「今年の自分は、自分の利益・都合や自分の気持ちを軸とする生き方を卒業して、他者・皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方をしてきたかどうか? それを自分自身の喜びにしてきたかどうか?」について。
まだまだ自分の利益や都合や自分の気持ちを軸として考えているところがあるし言動しているところがあると思います。
きちんと振り返りながらあとあとでも検証しながら他者・皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にして生きていきたいと思います。

皆に喜びをもたらすことというと何もないのですが、他者に喜びをもたらすという意味で両親の事を書かせていただきます。
今年は春先から自分の幼少期について振り返ることがあり、この機会に両親に感謝の手紙を書こうという気持ちになっていました。
でも母親と長く電話で話すことが出来て、自分が避けられていたのではなかったという事がわかり、父親への恥ずかしさもあってなかなか手紙を書くことが出来ずにいました。
そんな中で父親が重篤な病にかかっていることがわかり、時間的な余裕がない中で両親へ感謝の手紙を書きました。
父親へはじめてお父さんと呼び、病院へ行って直接感謝の言葉を伝える事が出来ました。
兄弟できちんと情報を共有してコミュニケーションをとり、母親も含めて家族みんなで父親の為に協力することが出来ました。
残念ながら亡くなってしまいましたが葬儀の時も出席いただいたみなさんが両親の事を思い、我を通すことなくみんなが出来る事をやりました。
母親には感謝の気持ちを手紙で伝えることと、兄弟が仲良く協力している姿を見せることが出来ました。

「まだ自分の利益・都合や自分の気持ちが軸になっている部分については、どのように意識・認識・思い方・言動を変えていこうとするのか?」について。
父親の病があって手紙を書こうと決心し、実行することが出来ましたが本来であれば病とか何もない中で、自分から感謝の手紙を書いて両親に見てもらえたら一番喜んでもらえたと思います。
父親の病を知ってすぐに病院へ行きましたが藍子さんに背中を押してもらってすぐに行く気持ちになりました。
「小学生が病室に入ることが出来ない事」、「15分しか父親に会えないこと」もあり一度行って気持ち的にはかなり満足したというかもう十分だと思っていました。
飯沼さんに「時間があればなるべく会いに行った方がいいよ。」と言ってもらって、背中を押してもらってそれから何回か会いに行きました。
何度か病院へ行くと面会時間もある程度緩和してもらえたり、小学生も病室に入れてもらえたり、担当医や看護師さんから丁寧に説明してもらうことも出来ました。
何より病院に行ったからこそ感謝の手紙を書いた内容を直接口に出して父親に自分が満足するまで何度も伝えることが出来ました。
病院からの説明は母親・弟・藍子さんと一緒に聞いたのですが、家族から説明されるよりもより一層家族の絆を深めることが出来たように思います。(兄は僕達よりも前に病院からの説明を直接聞いていました。)
そういう意味ではあらゆる面で積極性に欠けていたと思います。自分からもっと喜んで積極的に言動していけるようになっていきたいです。

一部後半の実習について。
その人の指導霊になったつもりで無条件の感謝と祝福のエネルギーを送りました。
エネルギーを送っている相手から自分へと回収させて(循環させるイメージで)送りましたが言葉では何と言っていいか難しいですがエネルギー的につながったような、同じエネルギーを共有出来たようなすごく心地いい感じでエネルギーを送っていたように思いました。ついつい長めにエネルギーを送っていたように思います。
エネルギーを送り終えてふと周りをみるとその時は和也&久美さん?だったと思いますが祐造さんへエネルギーを送られていて、周りでも祐造さんへエネルギーを送られていました。直接祐造さんへエネルギーを送った人だけでなく、周りのみなさんが祐造さんを心配している気持ちが伝わってきて心があたたかくなりました。

25/11/2025(火) 20:01:45

No.43216  きんもくせい
Re: 11月25日(火曜日) 引用
定例会ありがとうございました。
宿題について
思い切って手を挙げてみたもののもったもたでしたので仕切り直して書きます。

「今年の自分は、自分の利益、都合や自分の気持ちを軸にする生き方を卒業して、他者、皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方をしてきたかどうか?それを自分自身の喜びにしてきたかどうか?」

今年は地元の子ども食堂に出会えたことで、自分の利益、都合に関係なく、そこに来る人たちに少しでも喜んでいただけるようにお手伝いしたり、そうできる機会に巡り会え働くことができました。
それは自分にとっての喜びとなりました。ありがたいことです。

それまでの自分は、うっすらいつかそんな働きができたらいいな?と思ってはいたものの、その時々の自分の都合を優先して、積極的に動いていませんでした。
また何かあるたび、自分の気持ちを軸にして違和感を膨らませていました。

そんな私が、ようやく本当に喜びを感じる働きに出会えたこと。
何より出会えた人たちと繋がりながら、そこから広がる出会いや繋がりの中で
こんな自分が何らかのお手伝いができていることに感謝しています。


「まだ自分の利益・都合や自分の気持ちが軸になっている部分については、どのように意識・認識・思い方・言動を変えていこうとするのか?」

まだ自分の気持ちが軸になってしまっていることがあります。
相変わらずちょっとしたことで違和感を膨らませてしまいます。
そこは、悠々塾で学んできたことを思い出して、自分も不完全だし、誰もが神の子だし、何よりもたらされることは必要で学びの為だからもたらされていること。
だから違和感を膨らませる私がどうするか?を考えることだと頭で分かりながらも自分の気持ちがあり葛藤していました。
その違和感の原因になっているその人の背景も想像したり受け入れようとしたり。
自分が違和感と思っていることは、その人の一部分であって全てではないのだから
違和感を膨らませてしまう私が自分なりなのかもしれないとも思い。
とにかく自分の気持ちにいちいち囚われず振り回されず、その場の皆が居心地よく、皆が嬉し楽しい場になるようにと言動していくことを意識していくしかないと思っています。
気持ちを向ける方向は
違和感にではなく
皆の喜びに繋がる方向。
自分のちっぽけな気持ちに留まらないで
皆の喜びを思う気持ちを大きくしていきたいと思います。


実習でエネルギーを送り合った時の感想

さいこさんに送っていただいた時には、頭頂からず〜んと入るのを感じました。
その後はこのまま眠ってしまいたいほど気持ちよかったです。
さいこさん、ありがとうございました。
その後、千夏さんにエネルギー送っていただいた時、咳き込みました。
痰も絡んではいましたが、排出だったんでしょうか。
千夏さん、ありがとうございました。

エネルギーを送る時は指導霊になったつもりでとのことでしたが
とにかく自分を薄くして、教わったようにただただ無条件の祝福と感謝の気持ちを送ろうとしてみました。
自分のお腹がぐるぐる鳴るばかりでちゃんと送れていたか分かりませんが目の前の相手が愛おしく思えました。

二部は、皆さんとお話ししたり
イッシンさんの歌やオレンジさんのピアノや皆さまの踊りやらほんとに楽しかったです。
いつもながら美味しいご馳走を夜も朝も沢山いただきました。
まゆみさん、飯沼さんのお母さん、準備してくださった皆さま
ありがとうございました。
お土産までいただき、ありがとうございました。

25/11/2025(火) 22:54:19

No.43217  祐造
Re: 11月25日(火曜日) 引用
飯沼さん
昨日の書き込み、分かりにくい書き方ですみませんでした。

>「過ちや至らなさの重大さが分かっているからこそ、そこに向き合うのが怖くて逃げてしまってる、という意味で書いたものですが、その重大さということに実感をもっているのかと言われれば、そうではありませんでした。」
どういう意味ですか?
分かるように説明してください。<

自分の母親に長年に渡って虐待的叱責を続けてきてしまったことの重さ・酷さを、本当はよく分かっているはず(意識できていないところで)。
だから意識できるところでは怖くて見れない直視することを避けてしまっている。
―――そういう状態だという意味で書いたのでした。


>祐造さんの言う「実感」とはどういうものですか?<
頭では大変なことをしてしまったと分かっていても、気持ちのところで大きく動いていないし、いても立ってもいられないような気持ちにはなれていないので、そのことを「実感をもっていない」と書きました。


>「重大さが分かっている」とはどういうことですか?<
虐待的叱責を続けてきてしまったことの重さ酷さを、意識できていないところではよく分かっている、という意味で書いています。



あと「追加」の分ですが、、。
>祐造さんにやる気があれば、帰りの車の中や帰宅してからも、「どうしてそういうことを言われるのだろう?」と考え続けるはずの指摘でした。<

すみません、どういう指摘だったのか思い出せません。
なんとか思い出そうとしたのですが、分かりませんでした。
せっかくの大事な指摘なのに、覚えていなくて申し訳ありません。
できればもう一度教えてもらえませんでしょうか。


もう一つの追加。
「緊張していたせいか」のことですが。
エネルギーが通りにくかった上に、最初にぃさんが背中が痛くなったということで、それは自分のせいではないか。だとしたら緊張していたせいかも知れない、と思ったのでした。
背中の痛みが、自分のせいかどうかわかりませんが、そうであるなら申し訳なく思っています。



みやっちさん

>エネルギーを送り終えてふと周りをみるとその時は和也&久美さん?だったと思いますが祐造さんへエネルギーを送られていて、周りでも祐造さんへエネルギーを送られていました。直接祐造さんへエネルギーを送った人だけでなく、周りのみなさんが祐造さんを心配している気持ちが伝わってきて心があたたかくなりました。<

そうだったのですね。本当にありがたくてなりません。
あの日、あきえさんを駅までお送りしたクルマの中で、あきえさんからも同じ話を聞かせてもらいました。
あのとき多くのみなさんが、エネルギーを送ってくださっていたと。
嬉しくて、もったいなくて、ありがたくて、申し訳なくて、いろんな気持ちがこみ上げて、運転しながら涙が出ました。
みなさん、こんな自分に本当にありがとうございます。

25/11/2025(火) 22:56:21

No.43218  飯沼正晴
Re: 11月25日(火曜日) 引用
祐造さん、

どうしても、無意識というところに逃げ込みたいようですね。
虐待的叱責が露見した頃は、「記憶にない。思い出せない」と記憶障害であるかのように言い続けていました。
指導霊まで引っ張り出して。

しかしそれは意識的なウソであったと認めざるを得なくなれば、今度は「実感がない」ということを言い続けるようになりました。

お母さんへの虐待的叱責を続けていた頃やそれが露見した直後は、自分がとんでもなく酷いことをしてきたという実感は薄かったかもしれません。
スピード違反に慣れきった悪質ドライバーのように。
もちろん「記憶にない。思い出せない」というのは、意識的なウソですが。

しかし、ある時期からの祐造さんは、意識して「実感がない」ということにしているのだと思っています。

>自分の過ちや至らなさに向き合うことから逃げ続けて、ウソや誤魔化すことまでしてしまいました。<

>自分を守ってしまい、自分がして来てしまった酷さを直視できなかった。しなかった。
そこをひっくり返したいです。
事実を直視して、自分の過ちをありのままに見て、心から思い至り、悔い改めること。
あきらめずに、何度でも挑まないといけないです。<


定例会で私は、「向き合うことから逃げているとか、自分がしてきたことのひどさを直視できていないというのは、周囲から言われる言葉だ。自分でそう言うということは、自分で認識しているからだ」と言いました。
「何から逃げているのか、自分で明確に分かっているから、そう言えるのだ」と。

それと、「祐造さんは何度でも挑んでいかなければいけないと言うが、祐造さんは決して交わらない平行線を設定している。このままではいつまでたっても実感なんて湧いてこない。だって祐造さんは決して交わらない平行線の1本の上に乗っかっているのだから」という意味の指摘をしました。

すぐには意味が分からなかったと思います。
平行線の1本は、「自分がやってきたことの酷さに心で思い至る」という線です。
もう一本は、「いくら努力しても、心で思い至ることができない・実感が湧かない」という線です。

もしも祐造さんが本気で、
>自分を守ってしまい、自分がして来てしまった酷さを直視できなかった。しなかった。
そこをひっくり返したいです。
事実を直視して、自分の過ちをありのままに見て、心から思い至り、悔い改めること。
あきらめずに、何度でも挑まないといけないです。<

と思っているのなら、私の指摘をすぐに忘れるはずがないのです。
だって私は、このままでは祐造さんはいつまでたっても心から思い至ることにはならないよ」と断言したのです。

「飯沼さんの言ったことはどういうことだろう? 自分はこんなに必死になって、心で思い至ろうとしているのに」と、大きな疑問が湧いてくるはずだから。
祐造さんが本気で、心で思い至ろうとしているのなら、当然そうなるはずです。

でも、案の定、祐造さんは私の指摘を忘れてしまっている。

それは祐造さんが心で思い至ろうなどとは思っていないからです。
というよりも、自分がやってきたことの醜悪さを頭でも心でも十分に認識しているから、意識的に実感が湧かないことにして逃げているからです。


「自分が緊張していたから、エネルギーが通りにくかったのかも」と、あえてわざわざ書かずにいられなかったのも、自分の闇の深さを認識しているからですね。

あの状況ですから、ほとんどの人は「闇や歪みが深いから、エネルギーが通りにくかったのだろう」と思うのです。
祐造さんも当然、そう思ったはずです。
だからこそ、あえてわざわざ「緊張していたから」と書かずにいられなかったのでしょう。

これも、祐造さんが自分の闇の深さに頭でも心でもしっかりと思い至っているからこその、積極的なフェイク誘導です。



つまり祐造さんは自分の心で思い至ることから逃げずにはいられないような酷いことをしてきたと、アタマでも心でも分かっているのです。

分かっているから、私の指摘について頭も心もめぐらせる必要もなく、すぐに忘れてしまうのです。
それだけの話だと、私は思っています。

ということで、私はもう一度言います。
祐造さんが決して交わらない平行線を設定して、その1本に乗っかっている限り、いつまでたってもどうにもならない。

神にひれ伏して心の底から許しを乞うのか、全てがバレてしまっているのにこのまま逃げ続けるかの二者択一です。

あとは本人次第でいいと、私も思っています。

26/11/2025(水) 00:15:33


No.43208 祐造  
11月24日  月曜日 引用
定例会に参加させていただき、ありがとうございました。
また、実習の時間にはダウンロードもしていただき感謝しています。
緊張していたせいか、エネルギーが通りにくかったそうで申し訳ない気持ちです。
今回の実習では、僕はまだそのエネルギーを注げる状態になかったので、注いでもらう側だけで参加させてもらいました。
それでも次々と何人もの方がエネルギーを注いでくださり、こんな自分なのになんてありがたいことだろうかと思いました。

定例会のテーマに沿って書いてきたものを、当日読ませてもらったのですが、その中の「自分の過ちや至らなさに向き合うことから逃げ続けて」という部分について飯沼さんから指摘をしてもらいました。
過ちや至らなさの重大さが分かっているからこそ、そこに向き合うのが怖くて逃げてしまってる、という意味で書いたものですが、その重大さということに実感をもっているのかと言われれば、そうではありませんでした。
以前にさきさんから働きかけてもらっていたなかで、本当は分かっているから逃げているのではないのか、といった話がありました。
そうかもしれない、自分の頭では実感がないけれど、意識できていないどこかで重さが分かっているからこそ逃げているに違いない、そう思ったのでした。
そうした流れから、定例会で読んだように「自分の過ちや至らなさに向き合うことから逃げ続けて」と書いてしまったのでした。
実感があるわけでもないのに、実感があるかのような書き方をしてしまいました。

定例会のあと、指摘されたことを考えていました。
人からの意見を自分のなかで深くたどることをせずに、そのまま自分の事実のように書いてしまったのが原因だと思います。
言われたことを自分の心でしっかり巡らせて、自分の思いとして、自分の言葉で表現する、ということが出来ていない。
今まで心を使うことをあまりしてこなかったからかも知れません。
形だけ整えても、中身が違っている。
だから上辺のものになってしまう。

また、言われたことを深く考えもせずその部分をオウム返しのように言ってしまうところが自分にはあるのだと思いました。
ものごとをもっとよく考えて、意識の使い方を丁寧にするべきでした。


では、自分の過ちの重さの実感につながるために、どうすればいいのか考えてみました。
以前に悠々塾ラインで、母親に向けてしまった虐待的叱責について、具体的にどんなシーンで叱責をしてしまったのか、16項目について書かせてもらったことがありました。
それを書きながら自分が思っていたのは、母親の気持ちよりもむしろ自分がどれだけ大変だったか、それを思ってしまったのでした。
そんな自分に気が付いて、なんてことかと自分がイヤになりました。

今度はその具体的なそれぞれのシーンでの、母親の気持ちを思うことにしたいです。
自分が虐待的𠮟責を繰り返してしまっていたことで、母親にどんな思いをさせてしまい、どんな気持ちにさせてしまったのか。
あらためて母親の気持ちの痛みにしっかり目を向けて、自分の過ちの重さの実感につなげたいです。


定例会の当日に読ませてもらった、定例会のテーマもここに書き込みします。
(指摘してもらった部分もそのままにしています)

******************************
◆「今年の自分は、自分の利益・都合や自分の気持ちを軸とする生き方を卒業して、他者・皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方をしてきたかどうか? それを自分自身の喜びにしてきたかどうか?」


自分の気持ちを軸とする生き方を卒業するどころか、自分の都合や自分の気持ちを最優先に
してしまい、みなさんに喜びとは真逆のものをもたらしてしまいました。
自分の過ちや至らなさに向き合うことから逃げ続けて、ウソや誤魔化すことまでしてしまいました。
またそんな自分に対する罪悪感も薄く、どこまでも自分大事で、自分の安定のためなら、人のことなどお構いなしの言動を続けてしまいました。
自分を守ることに意識がいっぱいで、人を気遣ったり、ましてや他者・皆に喜びをもたらすことなどできずにきました。
それどころか、逆にみなさんの気持ちや信頼を裏切ることを重ねてしまいました。

今まで働きかけてもらい、指摘してもらい、アドバイスをもらいながら、それに沿えずにきてしまいました。
ここから這い上がりたい、真っ当に生きたい、幽界と決別したい、、、。
そう言いながら今まで何カ月もそう出来ずにきたことを、どうしたら変えていけるのか。
あとは本人次第、と言われています。
このままでの幽界に生きて幽界に赴くなら、違う星へ送られてひとり生き直すことになるのだと思うと、あまりにも恐ろしくて言葉になりません。


◆「まだ自分の利益・都合や自分の気持ちが軸になっている部分については、どのように意識・認識・思い方・言動を変えていこうとするのか?」


自分を守ってしまい、自分がして来てしまった酷さを直視できなかった。しなかった。
そこをひっくり返したいです。
事実を直視して、自分の過ちをありのままに見て、心から思い至り、悔い改めること。
あきらめずに、何度でも挑まないといけないです。
心からのお詫びも、謝罪も、埋め合わせも、そこからしか始まらないと思います。

そのためにも、お勧めしてもらった継続的にカンパをさせていただくことで、心が痛む感覚を取り戻したいです。

また、自分が思ったことをそのままの言葉にすると上っ面なものになってしまう、そういうクセが染みついているので、意識して自分の心を使って言葉を発していけるようになりたいです。

自分のことばかりに意識が行くのではなく、周りの人たちの気持ちを思えるよう、自他の喜びになることができるように、意識を切り替えたいです。
そうすることで自分を開いて、みなさんからを送ってもらったエネルギーにもっとつながりたい、みなさんの光に向かいたいです。

ここまでボロボロの自分、みじめであわれな自分、醜悪な姿の自分を思うと、「向上進化」ということからとてもとても遠いように思われます。
こんな自分が希望や意思表明といっても、むなしく響くのではないかと。
それでも、みなさんが自分の中に今は見えない光があることを信じてエネルギーを送ってくださっていることを思うと、もうなんともありがたすぎます。
みなさんが信じてくださるのに、自分が信じなくてどうするのかと思います。

自分がウソや誤魔化しでみなさんの気持ちを裏切ってしまったのに、そのみなさんが自分の本来の心を信じてくださっている――― こんな場はどこを探しても無いと思います。
自分も一歩でも二歩でも皆さんに近づきたい、みなさんのように光に向かって生きたい。
そして自分本来の心で生きて、自分を役立たせていきたい。

******************************

24/11/2025(月) 22:40:08



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