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悠々塾 掲示板


「スピリチュアリズムに学び、スピリチュアルな生き方を目指す交流の場」



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No.41340 飯沼正晴  
11月5日(火曜日) 引用
◆統合・調和への道―――意志と欲求の一致―――

== 序 ==

全ての存在は、神の意志を顕現するためにあります。
あなた方地上人類も、そのひとりひとりも、そのために存在しています。
神の意志が全ての存在にまで行き渡っている以上、どの次元のどの存在にも神からのエネルギーが届いています。それは、“存在”にふさわしい次元で、その存在なりの喜びへと動く意志となります。
このエネルギーは、摂理・法則にかなった意志のエネルギーだと言えます。

地上界、物質世界を形成したのは、おおもとをただせば、意志と顕現のエネルギーによってです。
地上における“形あるもの”として存在が姿を現してからは、各々に自由意志が保証されます。
神の意志、霊界の計画とは別の、地上界に在るものの意志です。

あなた方にそれを当てはめれば欲求(選択、決断)となります。
霊界においては、神の意志・霊界の計画と個霊の意志は一致しますから、分けて考える必要はありません。
言ってみれば、神の意志と個々の自由意志は一致しているのです。

人間以外の存在に、保証されている自由意志を当てはめれば、動物では欲求・適応・繁殖、植物以下の下等生物では、適応・繁殖と言い換えられます。鉱物や物質に関しては、変化と言い換えられます。
すなわち、地上界、物質世界のもうひとつの存在意義は、「神の意志と、自由意志の一致」だと言えます。

自由意志とは、存在そのものに保証されているエネルギー。
地上界・物質界ならではのエネルギー、と考えてください。
あなた方の意識や感情は、あなた方に「どう生きるか」を示します。自由意志、つまり欲求は「どう生きたいか」を自ら求め、選択、決断するエネルギーです。

意志と欲求が統合調和され、一致していれば、それが「願い(願望・希望)」となります。なすべきことを喜んでしていく、理想を現実のものとしていく、摂理・法則に沿って生きることが幸せに思える。霊界での生き方と同じです。


しかしながら、地上界・物質界特有の自由意志は、地上界・物質界の次元において強い影響力を持ちます。
その存在が最も共鳴し、相互作用の強いのは、自らが属する次元のエネルギーです。
つまり、あなた方は神の意志、自らの魂の意志を顕現することを理想としながらも同時に、物質界にある自由意志のエネルギーの影響を色濃く映しているのです。

これまで私どもは、神―神界―高級霊界―霊界、と変換され、地上に注がれる霊的エネルギーの仕組みを解き明かしてきました。
これから、あなた方が存在する地上界における自由意志のエネルギーについて伝えていきます。
霊的エネルギーは高次から低次への変換によって作用する「縦のエネルギー」です。
自由意志は、同次元で相互作用がなされる「横のエネルギー」です。

この、横のエネルギーは、地上界・物質世界における「変化や実現」に深く関わるものです。地上界浄化を進めていくうえで無視できないものです。
このように表現されてしまうと理解しにくいかもしれません。
あなた方自身に当てはめてみれば、「こうするべきと分かっているのに納得できない、したくない」「こうしたいと思っているのに、言動に表せない」「してはいけないと分かりながら、またやってしまう」…つまり意志と実際(頭と言動)の不一致(不調和)を一致(調和)させていくのが難しいのは、意志と欲求がかみ合わず、意志と自由意志が重なっていないからです。
これからお伝えする「横のエネルギー」を認識し、理解し、自らにあてはめて捉えるなかで、あなた方のなかに変化をもたらすことができるでしょう。

05/11/2024(火) 10:25:32


No.41341  飯沼正晴
Re: 11月5日(火曜日) 引用
「統合・調和への道―――意志と欲求の一致」は20年あまり前に、地上の克が受信・筆記した霊界通信です。

旅から帰って、ふと思い立って読みなおしてみました。
今まで節目節目で何度も読んできたのに、今回は今までとは違うリアリティで読めました。
まさに今のテーマだからでしょう。

11月定例会に向けて、掲示板に連載していきたいと思いました。
ただ、なぜか序文しかコピーできないので、今日は序文だけになります。
何とかすれば本文もコピーできるようになると思うので、そうできれば明日以降に連載していきます。
まずは序文だけお読みください。

本文はかなり難しいのですが、読むだけでもエネルギー的に意味があると思います。
それにしてもこんな文章をさらさらと受信・筆記した克は、やはり凄い霊媒だったと改めて思いました。

これはこれとして、他のことについても自由に書き込みしてくださいね。

先日投稿した「勉強させてもらっています。ありがとう!」は、実は自分自身や自分が属しているエネルギー場を喜びベースに切り替える(下支えする)ための切り札、ジョーカーのようなオールマイティの意識・言葉のように思います。

皆さんの感想や意見の投稿をよろしくお願いしますね!
ピンとこない人は質問してもらえれば回答しますよ。

05/11/2024(火) 10:49:19

No.41342  祐造
Re: 11月5日(火曜日) 引用
統合・調和への道の序文、ありがとうございます。
すっかり忘れてしまってました。

>本文はかなり難しいのですが、読むだけでもエネルギー的に意味があると思います。<
今アップされた序文を読んだだけで、なぜか急に体が冷えてストーブをつけました。
何かありそうです。
本文の内容は難しそうで理解がついていくかどうか分かりませんが、連載よろしくお願いします。


「勉強させてもらっています。ありがとう!」ですが、これを読んでかなり気持ちが楽になりました。
定例会以降「ドリルの先端部を担うエネルギー」のことや「自分の殻を破るための宿題」のことを考えると、なぜだかどうにも気が重くて元気をなくしてしまってました。
やるべきことや、こうするべきだということは分かっていても、気持ちが重くてどうにも動かない状態で、自分で「この人大丈夫か?」と思ってしまうくらいなに不自然な重苦しさが続いていました。
この間ぐずぐずした状態で、さきさんにも嬉しくない思いをさせてしまってました。

でも――― 「勉強させてもらっています。ありがとう!」――― 
これを読んで視界が開けた気持ちになりました。
大事な「喜びへの切り替え」の道が照らされた気持ちです。
あんな気持ちを理性で抑え込んで反転させようとしても、根っこからの切り替えにはならないし…。
あのような重苦しく喜びとは程遠い状態でいても、嬉しい結果に向かえるものではないし…。
今思えば、それこそ独り相撲のようでした。
そう思えたことを喜びながら、「勉強させてもらっています。ありがとう!」の喜びの気持ちを重ねていきます。

05/11/2024(火) 11:32:19

No.41343  飯沼正晴
Re: 11月5日(火曜日) 引用
祐造さん、少し楽になったのなら良かったです。

祐造さんの場合、ドリルの先端の役割については、克から伝えられた感じからしても、それほど期待されているわけではなさそうだから、変にプレッシャーを感じる必要はないんじゃないかと思いますよ。
ドリルの先端の役割が全てではないのだし、今のままでも祐造さんには感謝しています。


「勉強させてもらっています。ありがとう!」という意識・言葉は、決して現状に留まるための時間稼ぎではありません。
上の階に向かう階段の踊り場ではあっても、逃げ場ではないということです。

「今を喜びとしながらさらなる喜びに向かって向上進化していく喜び」の摂理の中では、「停滞」という状態は喜びにはならなくて、停滞の波動はノイズを生じてしまいます。

なので、ギリギリの最低限のところで喜びに統合されるであろう切り札・ジョーカーとしての「勉強させてもらっています。ありがとう!」であるわけです。

停滞している自分の状態を否定することなく、喜びとして受け入れながらも、今の自分が難儀しているテーマをクリアする向上進化に向けてのきっぱりとした意思表示です。

「今は停滞か一歩前進二歩後退の状態だけど、いずれ必ずこのテーマをクリアしますよ!」と、守護霊や指導霊や自分自身の魂に宣言する意味での「勉強させてもらっています。ありがとう!」なのです。

05/11/2024(火) 12:02:06

No.41344  のものも
Re: 11月5日(火曜日) 引用
さきさん
私も完全に風邪を引きました、、
この2日間寝てます
喉と鼻をやられています
風邪、流行ってないと良いですね
テッシュ大好きで〜(笑)

05/11/2024(火) 20:11:05


No.41333 みんと  
11月4日(月曜日) 引用
おはようございます。
昨夜の投稿ですが、今朝読み返してなんだか恥ずかしくなりました。
やっぱりあの時間帯は良くないですね笑

飯沼さんの畑が猪に荒らされたこと、ショックで心が折れそうになられたと思います。
それでも「勉強させていただいてます。ありがとう。」ですね。そんな時ほどですね!
私もそのエネルギーに馴染んでいけるように習慣付けます。

ゆみっぺさん、腰痛大丈夫ですか⁈無理しないでくださいね。

のもちゃん、私も定例会、参加します。
同じく宿泊させてもらいますよ。楽しみです!

04/11/2024(月) 06:58:51


No.41334  のものも
Re: 11月4日(月曜日) 引用
おはようございます。

みんとさん
会えるの久しぶりですね!
楽しみです

私は誰かを治したい癒したい
その気持ちが、日に日に高まっています。
恐れ多くも、自分の力のようなことに
気づいたのです(笑)
私を使ってとばかりに、その気持ちの中で
定例会に参加させていただきくつもりです。
誰かの囚われから解放させていただく
お手伝いをするのは、私にとって喜びです。
もちろん、私も解放されたいですよ〜

争奪戦だなんて、なんとまぁ私としたことが
オホホホ

04/11/2024(月) 07:19:14

No.41335  みゆき
Re: 11月4日(月曜日) 引用
おはようございます
ぬまさんの書き込み、感動しました
とてもわかりやすいです
自分のことや、現在の自分のことを
否定や、〇〇してはいけない、〇〇しないように、
という思い方ではなくて
自分のことも現在の状況も悪いくせもすべて受け入れて
そこから、自分の課題を超えていけるようにやっていく
課題を超えられたら嬉しい、解放される
課題、しんどいことも嫌なことも、受け入れがたいことも
全部ありがたいことなんやと思ったら
どよーんとしていた気持ちが楽になりました
課題、そらしたり逃げたりないものにしたりしなくても
心から喜びに切り替えていけるんやって思いました
ありがとうございます
やっていきます

人から見たわたしの印象
こわい、怒っている、不満そう
とよくいわれます
自分でもふとした時の真顔なんか、こわって思いますし
口角が下がっていることもあり、余計にそう見えるんですね
表情にすぐ出てしまいますし
学校の先生や上司にもその態度って怒られていました
一方、いい笑顔してる、ともいわれます
「いつもどんな時も笑顔で」
これが自分の課題のひとつなのかなと思っています
心で何かに怒ってたり、不満に思っていたら
顔にそれが出て、そら顔、こわくなりますよね
そういうことなんやと思いました
いま自分に与えられているものすべてに
満足、感謝、嬉しいって心から思っていたら
きっと顔にも雰囲気にも表れてくるのではと思っています
心からいつも笑っていられるようになりたい、と思いました

04/11/2024(月) 08:04:58

No.41336  みさお
Re: 11月4日(月曜日) 引用
おはようございます。

飯沼さん、おかえりなさい。


今回のテーマは、「アタマでは分かっていても、実際には無条件の祝福と感謝の心になれない場合、つまり本当の意味で喜びベースになれない場合にどうしていくか?」だと思った。

まさに今の自分です。
練習問題とわかっていながら、問題に
不満を感じたり
練習問題という事より、アクシデントや不運に思ったり、たまに自分が書き込みした文章を、自分の事を良く書きと恥ずかしいです。
でも今日から又切り替え、チャレンジします。
エネルギーを送るという、学んだ機会があるのだし

以前病気の時に、さきさんに
私超えれるかなと言った際に、さきさんが超えられないものは与えられないと言ってくれた事、思い出します。

チャレンジは違う自分になるのでなく、本当の自分、本当は皆に優しくしたい、共に幸せになりたいという事だと思います。

飯沼さん、良い旅になり良かったです。
おばあちゃん、ほっとしました。

まゆみさん、先日はお忙しい中すみませんでした。

又書き込みします。

04/11/2024(月) 09:02:21

No.41337  さき
Re: 11月4日(月曜日) 引用
書き込み出来てないけど、掲示板読んでいます。

ぬまさん、おかえりなさい。

>勉強させてもらっています ありがとう!

ストンとはまりました。
このエネルギーに助けられました。
感覚に違和感がまとわりついて、、
切り替えられない感じでした。
頭ではわかってるんですが、、
カルマ、私の課題だと認識しました。
それくらい大事なことだってことですね。
腹を括って大きく受けとめます。
勉強させてもらっています!ありがとう!!

風邪で2日寝てしまいましたが、排出と思って喜びにします。
ゆみっぺさん、わかる〜って思いましたよ。
私もやっていきます。
のもちゃん、みんとさん、定例会よろしくお願いします。ありがとう。

みゆきさん、気持ちって顔にでますよね。私もそう。
笑顔のみゆきちゃんを思ってます!
みさおさん、私そう言いましたね。あー、自分に返ってきます。私も自分の課題に向き合います!一緒にがんばろう。
何度でも切り替えます。

まゆみさん、
今頃ですが、広島のお話から書いて下さったまゆみさんの思いにこみ上げるものがありました。すぐに言葉にできなくて、書けなかったのですが心がふるえました。ぬまさんの返信も嬉しかったです。(嬉涙)
これからもよろしくお願いします。
>喜びのエネルギー場を皆で作って行きましょう!
はい!(やっと言えた〜)

04/11/2024(月) 15:07:22

No.41338  飯沼正晴
Re: 11月4日(月曜日) 引用
みんとさん、ありがとう!

夏場は畔の草刈りが遅れてしまい、それこそ腰まで伸びた草を刈り倒して、畦の上にそのままにしていました。
草マルチになって、多少は後の草が伸びにくくなります。
でも、たぶん枯れた草の下に昆虫とかがいるかと思って、イノシシは鼻で掘り返すのでしょうね。
畑のなかは今のところ大丈夫です。
夏場、イノシシが好む作物を育てている間は電気牧柵をめぐらせていました。

克からも言われているように、しばらくの間は作物の出来・不出来に囚われないで、草や(害)虫も含めて、畑に生息する生命全てに祝福と感謝のエネルギーを送ることを最優先にしていきます。
でも、実際は出来・不出来が気になってしまうのですが、それはまあ当然のこととして、そこに囚われないでいきます。

私の場合は、日に2時間程度しか農作業ができなくて、その割には耕作面積が広くて、しかも自然農法に近い有機農法ですから手間がかかります。
その日の作業の段取りは前日にかなりしっかり立てるのですが、いつも作業に追われていた気がします。
気持ちに余裕がなさ過ぎたように思うので、それでは健やかなエネルギー場など形成できるはずもなかったのでしょう。
まずはゆったりした気持ちでやっていこうと思っています。

新しい奇跡の農法にチャレンジしているという気持ちを軸に。

定例会、お待ちしていますね〜



みゆきちゃん、
>心で何かに怒ってたり、不満に思っていたら
顔にそれが出て、そら顔、こわくなりますよね
そういうことなんやと思いました<

はーい!
でも、分かっていてもなかなか切り替えられない時もあるから、そういう時には「勉強させてもらっています。ありがとう!」と心で言って、ニッコリすればいいんですよ。
これはかなり名案じゃないかと、自分でも思います。

さきさん、いろいろ大変そうですね(笑)
お察しします(これも笑)

04/11/2024(月) 17:46:22

No.41339  飯沼正晴
Re: 11月4日(月曜日) 引用
11月定例会、女性の宿泊は満杯になりました。
(1〜2名はBさんと一緒に事務所に泊まっていただくことになりそうです)

すみませんが、これ以降の宿泊は受付できません。
ホテル等の予約をお願いします。
連休になるので、早めの予約をお勧めします。

04/11/2024(月) 20:39:27


No.41325 のものも  
11月3日 日曜日 引用
飯沼さん、お帰りなさい〜

キッパリと…良いですね!

自分はああしとけば良かったと言う後悔、
何故出来ないんだと言う思い、
あんなことされたとか、
過去のことを引きずってることにならずに
暗転のようで、新しい開幕のようで良いと思います。

勉強させてもらってます、学ばせてもらいます
学ばせてもらいました
そして必ず最後にありがとう!ですね。
今に引っ張られることなく、喜びベースになると思います。

私もやっていきますね。

。。。。

昨夜から今日の午後にかけて、久しぶりの大雨でした。
もちろん畑には行けないので、のんびりモードが続いています。

さて、克から「アタマで考える必要はありませんが、自分の意識を大きく組み替えるつもりで出かけてください。」と伝えられて、それをテーマの一つに3泊の一人旅に出かけてきました。
「天地悠々」の後期雑記にも書きましたが、鳥取県の三朝温泉に2泊、浜村温泉のお気に入りの宿に1泊しました。
三朝温泉は克が他界する年の早春に一緒に行ったところでもあり、いろいろな思いが蘇ってきました。
今回の宿は一人泊がしやすい温泉ホテルで、まあ予想通り可もなく不可もなくという感じでした。
2日目の夕方に倉吉まで出て、入った居酒屋さんがものすごく良くてご機嫌でした。
翌日、浜村に行く列車に乗る前に入った駅近のホテルのレストランも今どき珍しいぐらいの本格的な洋食レストランで、ランチメニューはそれほど高くもなく、スタッフのお姉さんもとても親切で感じが良かった。

浜村温泉の宿は数年ぶりでしたが、やはり落ち着いてくつろぐことができました。
女将さんはとても好感の持てる人だけどそれほど口数の多い人じゃないのに、久しぶりということもあっていろいろと話しました。
私が初めて行った頃はまだ高校生だった息子さんももう29歳になって、有機農業をしているそうです。
宿は週休二日になっているので、夏場は女将さんも草刈りに呼び出されるそうです。
そんなこんなでやはり定宿というのはいいですね。

そこの料理は決して高価な材料を使っているわけじゃなくて、家庭料理の延長のようなメニューで、でも家庭ではできないひと手間二手間を加えているので、飽きることなく美味しくいただけます。(今回は一泊でしたが)
建物も設備もかなり古く、あちらこちらが老朽化しているのですが、それを手直ししながら丁寧に掃除して清潔感を保っているのも好感が持てます。
大浴場のシャワーの水圧が低いこともなぜか気になりません。
砂の丘公園の東屋で2時間ぐらいボーっとして、ゆっくり瞑想もできました。

さてさて、テーマのことですが、答はとっくに分かっています。
つまり、エネルギー場が現実を造り、そのエネルギー場はその場を形成する者の意識によって造られている。
人間関係だけでなく、出来事や現象にも同じ法則が適用されている。
人間の意識は一様ではないが(喜びの波動でもさまざまな波形があるが)、統括的に喜びがメインになっていれば喜びが現実化しやすい。(波動が像を結ぶのですから当然です)
もちろん自分にとってだけの喜びではなく、相手や誰かや皆の喜びと重なってこその喜びベースであり、自分の側からだけの喜びは「我よし」ということだ。

人間は喜びではない感情を抱くこともあるし、感覚のところで喜びではない反応をしてしまうことも珍しくはない。
あらゆることで喜びベースを確立し、どんな場面でも喜びベースを維持・拡張すること、いかなる時でももたらされた現実や関わる人に対しての無条件の祝福と感謝の心を向けられるかどうかが、自分の地上人生のありようを規定していく。
それは自分自身のカルマの解消ということでもあり、自分自身の今回の地上人生のテーマでもある。
だから、何か嬉しいとは思えない出来事に直面した時、できるだけ速やかに何らかの喜びに心・言動を着地させる習慣をつけることが大事なのだ。
死の意味を知り、それを自分の意識・心に根付かせることで、死への恐怖や死別の悲しみはかなり軽減されるだろう。

今までの学びによって、そういうことはすでに分かっているのだ。
しかし、分かっているから必ずそうできるかといえば、実際にはそうでもない。
いくら理性で理解していても、生身の人間の感情や感覚というものはなかなか手強いものだ。
自分の感覚の歪みや感情の陰りに溺れこむことは少なくなったにしても、それらを何らかの喜びに切り替えることはそう容易くはない。
半ば生理的な違和感や嫌悪感や自己中心の防衛反応など、感覚の層に設定された歪みを解除・解消して喜びに切り替えることは、分かってはいても誰もが手こずってしまう。

いくらアタマで考えて抑えようとしても、一時的には薄くできたとしてもまたふつふつと蘇ってくる感情・感覚的な違和感。
それをまたアタマで「無いこと」にしても、それではエネルギー的な意味での喜びベースとはいえないだろう。
本音と建前の乖離ということにもなりかねない。
それが癖になると、自分自身の意識・エネルギーも人間関係も、さらに厄介なものになっていくのだ。

私などは草を目の敵にするのではなく、草とも共生する農法に挑んでいるが、梅雨時や夏場に一気に畑にはびこって作物の生育を大きく阻害する草に心の底からウンザリするし、生理的な違和感・嫌悪感も持ってしまう。
それまでの農作業が台無しになって、作物は草の陰で委縮して、ちょっと作業が遅れると腰よりも高く伸びた草に畑が覆われてしまうのだから、ウンザリしてしまうのも当然だろう。
そういう思いや感覚をいくら理性で抑え込んでも、それは本当の意味での解消や切り替えには程遠く、独り相撲の土俵で負け続けているだけの話になってしまう。
秋口に大発生して、大根や白菜や菜っ葉類を全滅させてしまうダイコンサルハムシについても同じだ。

そこを超えて、草やダイコンサルハムシなどを含めてあらゆる生命に無条件の祝福と感謝の心を向けることで、畑という場のエネルギーが変わり、現実も変わることは分かっていても、特に手遅れ気味になった場合はそういう切り替えもできず(手遅れになってしまえば切り替えてもその作柄に嬉しい作用をするとも思えず)、心の穏やかさすらもどこかに吹き飛んで、ただガックリ・ウンザリしてしまうのだ。

しかし、エネルギー的に喜びがかみ合った時にはやはり奇跡のような現象が起きて、草もほとんど生えず(生えても作物に大きなダメージは与えず)、ダイコンサルハムシもほとんど発生しないという現実も経験している。
それは分かっているのだが、草がはびこり(害)虫が大発生してしまえば、分かっていてもガッカリ・ウンザリしてしまうことの繰り返しだ。

いくら分かってはいても、あまりにも自分に都合の悪い現実・出来事に対して、無条件の感謝と祝福という心を全面的に向けることは不可能のように思ってしまう。
「あの時にああしておけばよかった」「あのときのそうしなかったからこうなってしまった」などという繰り言の反復になってしまう。
もちろんそういう反省は大事だが、それは現状打開の喜びのエネルギーにはならない。

今回のテーマは、「アタマでは分かっていても、実際には無条件の祝福と感謝の心になれない場合、つまり本当の意味で喜びベースになれない場合にどうしていくか?」だと思った。

宇宙を統べる摂理は、「今を喜びながら、さらなる喜びに向上進化していく喜び」であると私は確信している。
もちろん宇宙の全てなど分かるはずもなく、地球霊界のことすらほんのわずかにしか分からないが、この宇宙を統べる摂理には確信を持っている。
摂理は遍在すると同時に偏在も局在もするからこそ、普遍の摂理であるのだ。
であれば、地上における摂理(神の御心)は、もちろん次元によってレベルはさまざまであり顕れもさまざまだが、宇宙を統べる摂理であるはずだから。

であれば、いかなる時も「今を喜びながら、さらなる喜びに向上進化していく喜び」の意識・心を確立して、それを言動で表現することが摂理に沿った本当の意味での地上人生の意味であり、そういうエネルギー場は地上の制約を超えてまさに地上天国のような喜びを半ば自動的に現実化していく。
しかし生身の人間にとって、それは容易なことではない。
たぶん答は見つけられないだろうと思っていた。
いくらアタマで考えて、分かったとしても、実際にはなかなかできないことを経験的に思い知っているのだから。
複雑な意識や思考は感覚や感情と乖離してしまうわけで、要するに絵に描いた餅になってしまうのだ。

でもディーゼル気動車である特急スーパーはくとのエンジン音と振動に身を置いていると、すぐに思い浮かんだことがあった。
何らかの出来事で心が陰り、違和感や嫌悪感や自己否定や歪んだ自己防衛感覚が生じた時、それを超えることが今の自分のテーマであることは分かっている。
あらゆる嬉しくない出来事は、それを超えて何らかの喜びに切り替える練習問題としてもたらされることも分かっている。
(嬉しいことはおおらかに喜び、その喜びを他の人たちにも提供・拡散するためにもたらされていることも分かっている)

理性では分かっていても、自分の感情や感覚に遮られて喜びに切り替えられない時は、あれこれと考えるのではなく、シンプルに「勉強させてもらっています(学ばせてもらっています) ありがとう!」という喜びに切り替えることだと思った。

つまり、もたらされた練習問題に難儀している自分を否定するのではなく、練習問題に文句をつけるのでもなく、練習問題として受け入れた上で、今すぐには意識(感情・感覚)や言動で正解を出せない状態の自分も認めて受け入れた上で、「勉強させてもらっています(学ばせてもらっています) ありがとう!」という喜び・感謝を表明するのだ。

これは正解ではないにしても、練習問題に取り組む喜びの表明であり、「さらに学びを進めて、いずれは練習問題をクリアします」という意志の表明でもある。
そのものズバリの正解とは波形が違っているにしても、自分の意識・エネルギー場全体の中での喜びではあるわけで、それは自分の意識・エネルギー場全体の喜びベースに統合されるはずだ。
つまり不完全・不十分であっても、喜びベースを確立する意識・エネルギー・言動であるわけだ。
黒(陰りや闇)に統合されるグレーではなく、白(向上進化の喜び)に向かって白に統合されるグレーなのだ。
そのエネルギー場において、喜びに対するノイズが少ない方が(陰りや違和感が薄い方が)、喜びが現実化しやすいに決まっているのだから。

向上進化の階段を一気に上りきれないのであれば、とりあえずそういう踊り場があってもいいんじゃないかと思うし、そこから上の階に向かえばいいのだ。

というわけで、練習問題(試練)をすぐにクリアできない時は、心のリアリティーを高めて「勉強させてもらっています(学ばせてもらっています) ありがとう!」という喜びを、心の中できっぱりと言葉にしていこうと思いました。


夕方ばあさんの面会から帰って一気に書いたのですが、とりあえずアップしておきます。
あとで加筆や修正するかもしれませんが。

連休ということもあって、ばあさんは特に治療もなく、入院して経過観察ということのようです。
一過性の軽い心不全という感じなのかもしれません。
血液検査も心電図もレントゲンも特に異常はなかったそうです。
パジャマ姿ではありましたが、普段と変わりない様子でした。

02/11/2024(土) 20:30:34

03/11/2024(日) 07:50:27


No.41326  ゆみっぺ
Re: 11月3日 日曜日 引用
おはようございます。
お帰りなさい。

>もたらされた練習問題に難儀している自分を否定するのではなく、
練習問題に文句をつけるのでもなく、 
練習問題として受け入れた上で、
今すぐには意識(感情・感覚)や言動で正解を出せない状態の自分も
認めて受け入れた上で、
「勉強させてもらっています(学ばせてもらっています) 
ありがとう!」という喜び・感謝を表明するのだ。

なるほど、とてもわかりやすいです。

本当はこう表現して、
伝えることがあっているのかな?
また、出来なかった、あーあ
と思いがちで、
無理矢理、何とか喜びモードにしようと
しても、上手くいかず、嫌になる。
で、意識をそらすを繰り返していると思います。

今、腰の状態が悪く、
何でこうなる、何がいけないのか、
原因は?と考え、痛みに焦点があっているので
それ以外に意識がいかず、
どこに喜びを見つければ?と考えている時点で
ダメなんですが、
「勉強させてもらっています(学ばせてもらっています)
 ありがとう!」という喜び・感謝を表明するのだ。
をやっていきます。

お母さん、大したことないようで
良かったですね。

03/11/2024(日) 09:09:16

No.41327  飯沼正晴
Re: 11月3日 日曜日 引用
はーい、のものも、ゆみっぺさん、さっそくの書き込みありがとう!

時分に向けての繰り言も喜びではないですが、「〇〇がこんなことを言ったから」とか、「○○がこうしてくれなかったから」というような文句や愚痴はもっと喜びじゃないですね。

実際に言葉に出して言わなくても、喜びではないエネルギー場を造っていることは同じです。

そういうエネルギー場に属している人(自分も含めて)に、喜びではない現実がもたらされるのは仕方がないというよりも、法則だから当然なのです。

自分が幸せになりたければ、相手や誰かや皆を幸せにしたいのであれば、喜びベースで日々を生きる(生きようとする)ことが最も有効な方法です。
皆の中に自分も含まれているのですが。

要するに、
喜びではない自分なりの感覚や感情を軸にしない。
喜びではないことを言わない。
喜びではない態度をとらない。
喜びではない思い方をしない。
またやってしまったと気づいたら、速やかに喜びに切り替える。
ということです

アタマでは分かっていても、自分なりの感情や感覚の歪みが邪魔をして、なかなか喜びベースに切り替えられない時は、とりあえず「勉強させてもらってます。ありがとう!」という最低限の喜びに着地するしかないように思うのです。
もちろん相手や誰かに対する当てつけや嫌味ではなく。

でもこれは何でも相手に従っていくという意味ではありません。
何が喜びになるかは一概に言えることでもないからです。
時には摩擦を覚悟した上で、きっぱりと「人としての道」に立ち戻るように指摘することが相手の喜びである場合もありますね。
もしもたとえ今生では理解されなくても、相手が地上を離れてからのスムーズな移行に役立つこともあるわけです。

その判断は難しい場合もありますが、自分自身が喜びベースに生きようとしていれば、自分なりの感情へこだわりや陰りは薄くなるので、何となく分かってくるはずです。

03/11/2024(日) 10:23:29

No.41328  飯沼正晴
Re: 11月3日 日曜日 引用
☆☆ 2024年 11月定例会のお知らせ ☆☆ 

日時 11月23日(土曜日)
第1部 癒しの講座・ヒーリングの実習
午後2時から5時ごろ
参加費・1000円
        
第2部 「懇親会」 
午後5時半ごろからお時間の許す限り
参加費・1500円
☆☆☆最寄駅はJR福知山線篠山口駅です。
13時23分着の電車に合わせて、駅までお迎えに行きます。
。。。。。。。。。

2部の懇親会の参加の方、宿泊希望の方は早めにお知らせください。
宿泊希望者が多い場合は先着順にさせていただきます。

03/11/2024(日) 10:30:33

No.41329  のものも
Re: 11月3日 日曜日 引用
あ、行きますね。
よろしくお願いします。
最近、争奪戦だから〜(笑)

03/11/2024(日) 10:56:57

No.41330  飯沼正晴
Re: 11月3日 日曜日 引用
のものも、定例会参加、承知しました。

>最近、争奪戦だから〜(笑)<

宿泊希望者が増えていますが、「宿泊希望ですが、遠方からの人を優先してください」と添えてくださる人もいるのですよ。
先着順ではありますが、争奪戦ではありません(笑)

まだ全く分からない段階で、あくまでももしかしたらの話ですが、来年には第二宿泊所ができるかもしれません。

03/11/2024(日) 11:07:37

No.41331  飯沼正晴
Re: 11月3日 日曜日 引用
久しぶりに畑に行ったら、小豆を植えている畔ぎわあたりがイノシシに掘り返されていました。
間違いなくイノシシの仕業です。
イノシシは植物食が基本ですが、夏から秋にかけては昆虫の幼虫などを探して畔や法面を掘り返すことがあるようです。
収穫時期の小豆は今のところは食べられていないようですが、かなり株が傷んでいます。
さすがにガッカリしながらも、「勉強させてもらっています。ありがとう!」の心でいきますよ!

昨夜の私の書き込み、あまり反応がないですね。
感覚の層や感情の下位に作用する言葉・エネルギーでもあると、私は思うのですが。
疑問点やおかしなところがあれば遠慮なく言ってくださいね。

03/11/2024(日) 17:38:54

No.41332  みんと
Re: 11月3日 日曜日 引用
この飯沼さんの投稿ですが、すごく分かりやすいしなるほどなぁと納得しながら読ませてもらいました。

もう大丈夫、喜びベースでいけると思った矢先にまたまた同じようなところで躓いてしまう。
そんな時にはやはり被害者意識の自分が顔を出して自分や相手を攻撃してしまうし(暴れたりはしません)自分にはできない、みんな大好きにはなれっこない、無理だと投げだしそうになる。

それでもどうしても風穴を開けないとこのままでは地球が破滅する(極端ですが)未来がメチャクチャになると思うと、またまた立て直しに取り掛かる。そんなふうで、落ち着きそうで落ち着かない。

もちろんこのように躓いてばかりではありません。
喜びが伝播して気になってたことがいっきに解決することもあります。この感覚を知ってる自分もいます。

なので、今回の飯沼さんのテーマに対する答えは、私にとって
目から鱗というか、納得感ありありです。受け入れられやすいしこれしかないと思いました。


>要するに、
喜びではない自分なりの感覚や感情を軸にしない。
喜びではないことを言わない。
喜びではない態度をとらない。
喜びではない思い方をしない。
またやってしまったと気づいたら、速やかに喜びに切り替える。
ということです<

はい、躓きそうになったときの五箇条(笑)やっていきます!

03/11/2024(日) 22:53:52


No.41324 飯沼正晴  
11月2日(土曜日) 引用
昨夜から今日の午後にかけて、久しぶりの大雨でした。
もちろん畑には行けないので、のんびりモードが続いています。

さて、克から「アタマで考える必要はありませんが、自分の意識を大きく組み替えるつもりで出かけてください。」と伝えられて、それをテーマの一つに3泊の一人旅に出かけてきました。
「天地悠々」の後期雑記にも書きましたが、鳥取県の三朝温泉に2泊、浜村温泉のお気に入りの宿に1泊しました。
三朝温泉は克が他界する年の早春に一緒に行ったところでもあり、いろいろな思いが蘇ってきました。
今回の宿は一人泊がしやすい温泉ホテルで、まあ予想通り可もなく不可もなくという感じでした。
2日目の夕方に倉吉まで出て、入った居酒屋さんがものすごく良くてご機嫌でした。
翌日、浜村に行く列車に乗る前に入った駅近のホテルのレストランも今どき珍しいぐらいの本格的な洋食レストランで、ランチメニューはそれほど高くもなく、スタッフのお姉さんもとても親切で感じが良かった。

浜村温泉の宿は数年ぶりでしたが、やはり落ち着いてくつろぐことができました。
女将さんはとても好感の持てる人だけどそれほど口数の多い人じゃないのに、久しぶりということもあっていろいろと話しました。
私が初めて行った頃はまだ高校生だった息子さんももう29歳になって、有機農業をしているそうです。
宿は週休二日になっているので、夏場は女将さんも草刈りに呼び出されるそうです。
そんなこんなでやはり定宿というのはいいですね。

そこの料理は決して高価な材料を使っているわけじゃなくて、家庭料理の延長のようなメニューで、でも家庭ではできないひと手間二手間を加えているので、飽きることなく美味しくいただけます。(今回は一泊でしたが)
建物も設備もかなり古く、あちらこちらが老朽化しているのですが、それを手直ししながら丁寧に掃除して清潔感を保っているのも好感が持てます。
大浴場のシャワーの水圧が低いこともなぜか気になりません。
砂の丘公園の東屋で2時間ぐらいボーっとして、ゆっくり瞑想もできました。

さてさて、テーマのことですが、答はとっくに分かっています。
つまり、エネルギー場が現実を造り、そのエネルギー場はその場を形成する者の意識によって造られている。
人間関係だけでなく、出来事や現象にも同じ法則が適用されている。
人間の意識は一様ではないが(喜びの波動でもさまざまな波形があるが)、統括的に喜びがメインになっていれば喜びが現実化しやすい。(波動が像を結ぶのですから当然です)
もちろん自分にとってだけの喜びではなく、相手や誰かや皆の喜びと重なってこその喜びベースであり、自分の側からだけの喜びは「我よし」ということだ。

人間は喜びではない感情を抱くこともあるし、感覚のところで喜びではない反応をしてしまうことも珍しくはない。
あらゆることで喜びベースを確立し、どんな場面でも喜びベースを維持・拡張すること、いかなる時でももたらされた現実や関わる人に対しての無条件の祝福と感謝の心を向けられるかどうかが、自分の地上人生のありようを規定していく。
それは自分自身のカルマの解消ということでもあり、自分自身の今回の地上人生のテーマでもある。
だから、何か嬉しいとは思えない出来事に直面した時、できるだけ速やかに何らかの喜びに心・言動を着地させる習慣をつけることが大事なのだ。
死の意味を知り、それを自分の意識・心に根付かせることで、死への恐怖や死別の悲しみはかなり軽減されるだろう。

今までの学びによって、そういうことはすでに分かっているのだ。
しかし、分かっているから必ずそうできるかといえば、実際にはそうでもない。
いくら理性で理解していても、生身の人間の感情や感覚というものはなかなか手強いものだ。
自分の感覚の歪みや感情の陰りに溺れこむことは少なくなったにしても、それらを何らかの喜びに切り替えることはそう容易くはない。
半ば生理的な違和感や嫌悪感や自己中心の防衛反応など、感覚の層に設定された歪みを解除・解消して喜びに切り替えることは、分かってはいても誰もが手こずってしまう。

いくらアタマで考えて抑えようとしても、一時的には薄くできたとしてもまたふつふつと蘇ってくる感情・感覚的な違和感。
それをまたアタマで「無いこと」にしても、それではエネルギー的な意味での喜びベースとはいえないだろう。
本音と建前の乖離ということにもなりかねない。
それが癖になると、自分自身の意識・エネルギーも人間関係も、さらに厄介なものになっていくのだ。

私などは草を目の敵にするのではなく、草とも共生する農法に挑んでいるが、梅雨時や夏場に一気に畑にはびこって作物の生育を大きく阻害する草に心の底からウンザリするし、生理的な違和感・嫌悪感も持ってしまう。
それまでの農作業が台無しになって、作物は草の陰で委縮して、ちょっと作業が遅れると腰よりも高く伸びた草に畑が覆われてしまうのだから、ウンザリしてしまうのも当然だろう。
そういう思いや感覚をいくら理性で抑え込んでも、それは本当の意味での解消や切り替えには程遠く、独り相撲の土俵で負け続けているだけの話になってしまう。
秋口に大発生して、大根や白菜や菜っ葉類を全滅させてしまうダイコンサルハムシについても同じだ。

そこを超えて、草やダイコンサルハムシなどを含めてあらゆる生命に無条件の祝福と感謝の心を向けることで、畑という場のエネルギーが変わり、現実も変わることは分かっていても、特に手遅れ気味になった場合はそういう切り替えもできず(手遅れになってしまえば切り替えてもその作柄に嬉しい作用をするとも思えず)、心の穏やかさすらもどこかに吹き飛んで、ただガックリ・ウンザリしてしまうのだ。

しかし、エネルギー的に喜びがかみ合った時にはやはり奇跡のような現象が起きて、草もほとんど生えず(生えても作物に大きなダメージは与えず)、ダイコンサルハムシもほとんど発生しないという現実も経験している。
それは分かっているのだが、草がはびこり(害)虫が大発生してしまえば、分かっていてもガッカリ・ウンザリしてしまうことの繰り返しだ。

いくら分かってはいても、あまりにも自分に都合の悪い現実・出来事に対して、無条件の感謝と祝福という心を全面的に向けることは不可能のように思ってしまう。
「あの時にああしておけばよかった」「あのときのそうしなかったからこうなってしまった」などという繰り言の反復になってしまう。
もちろんそういう反省は大事だが、それは現状打開の喜びのエネルギーにはならない。

今回のテーマは、「アタマでは分かっていても、実際には無条件の祝福と感謝の心になれない場合、つまり本当の意味で喜びベースになれない場合にどうしていくか?」だと思った。

宇宙を統べる摂理は、「今を喜びながら、さらなる喜びに向上進化していく喜び」であると私は確信している。
もちろん宇宙の全てなど分かるはずもなく、地球霊界のことすらほんのわずかにしか分からないが、この宇宙を統べる摂理には確信を持っている。
摂理は遍在すると同時に偏在も局在もするからこそ、普遍の摂理であるのだ。
であれば、地上における摂理(神の御心)は、もちろん次元によってレベルはさまざまであり顕れもさまざまだが、宇宙を統べる摂理であるはずだから。

であれば、いかなる時も「今を喜びながら、さらなる喜びに向上進化していく喜び」の意識・心を確立して、それを言動で表現することが摂理に沿った本当の意味での地上人生の意味であり、そういうエネルギー場は地上の制約を超えてまさに地上天国のような喜びを半ば自動的に現実化していく。
しかし生身の人間にとって、それは容易なことではない。
たぶん答は見つけられないだろうと思っていた。
いくらアタマで考えて、分かったとしても、実際にはなかなかできないことを経験的に思い知っているのだから。
複雑な意識や思考は感覚や感情と乖離してしまうわけで、要するに絵に描いた餅になってしまうのだ。

でもディーゼル気動車である特急スーパーはくとのエンジン音と振動に身を置いていると、すぐに思い浮かんだことがあった。
何らかの出来事で心が陰り、違和感や嫌悪感や自己否定や歪んだ自己防衛感覚が生じた時、それを超えることが今の自分のテーマであることは分かっている。
あらゆる嬉しくない出来事は、それを超えて何らかの喜びに切り替える練習問題としてもたらされることも分かっている。
(嬉しいことはおおらかに喜び、その喜びを他の人たちにも提供・拡散するためにもたらされていることも分かっている)

理性では分かっていても、自分の感情や感覚に遮られて喜びに切り替えられない時は、あれこれと考えるのではなく、シンプルに「勉強させてもらっています(学ばせてもらっています) ありがとう!」という喜びに切り替えることだと思った。

つまり、もたらされた練習問題に難儀している自分を否定するのではなく、練習問題に文句をつけるのでもなく、練習問題として受け入れた上で、今すぐには意識(感情・感覚)や言動で正解を出せない状態の自分も認めて受け入れた上で、「勉強させてもらっています(学ばせてもらっています) ありがとう!」という喜び・感謝を表明するのだ。

これは正解ではないにしても、練習問題に取り組む喜びの表明であり、「さらに学びを進めて、いずれは練習問題をクリアします」という意志の表明でもある。
そのものズバリの正解とは波形が違っているにしても、自分の意識・エネルギー場全体の中での喜びではあるわけで、それは自分の意識・エネルギー場全体の喜びベースに統合されるはずだ。
つまり不完全・不十分であっても、喜びベースを確立する意識・エネルギー・言動であるわけだ。
黒(陰りや闇)に統合されるグレーではなく、白(向上進化の喜び)に向かって白に統合されるグレーなのだ。
そのエネルギー場において、喜びに対するノイズが少ない方が(陰りや違和感が薄い方が)、喜びが現実化しやすいに決まっているのだから。

向上進化の階段を一気に上りきれないのであれば、とりあえずそういう踊り場があってもいいんじゃないかと思うし、そこから上の階に向かえばいいのだ。

というわけで、練習問題(試練)をすぐにクリアできない時は、心のリアリティーを高めて「勉強させてもらっています(学ばせてもらっています) ありがとう!」という喜びを、心の中できっぱりと言葉にしていこうと思いました。


夕方ばあさんの面会から帰って一気に書いたのですが、とりあえずアップしておきます。
あとで加筆や修正するかもしれませんが。

連休ということもあって、ばあさんは特に治療もなく、入院して経過観察ということのようです。
一過性の軽い心不全という感じなのかもしれません。
血液検査も心電図もレントゲンも特に異常はなかったそうです。
パジャマ姿ではありましたが、普段と変わりない様子でした。

02/11/2024(土) 20:30:34



No.41321 まゆみ  
11月1日(金曜日) 引用
おはようございます。
もう11月ですね。
みさおさん、のものもさん、ありがとうございます。
いろんな気づきのためにもたらされること、感謝しながらすすんでいきたいです。

みんとさん、私もエーちゃんさんの書き込みに同じような思いになりました。

>ちっちゃなことのように思えることが全ての繋がりの始まりですもんね。エーちゃん、なかなかの難関ですが行きつ戻りつしながらもあきらめずその思いを実行に移します。
個から全体にのおもいで。<

学びに終わりはないですし、それぞれの意識(思い)はエネルギーでつながって、全体を構成する大きなエネルギーとなって動いているんですから。
喜びのエネルギー場を皆で作って行きましょう!

01/11/2024(金) 09:00:48


No.41322  エーチャン
Re: 11月1日(金曜日) 引用
Bさん、みんとさん、まゆみさん

ありがとうございます。

今から半年くらい前だったと思います。パートナーからこのように言われました。

「口では世界平和と言うけど、『花に水をやっといて』と言ってもやってくれない」

まさにその通りで、返す言葉がありませんでした。口では世界平和とか大きなことを言っても、また実際この場で教えられていることをやっていけば、世界平和だって夢物語ではなく実現すると思うのですが、一方でこの件に限らず、いろいろとちっちゃなところでええ加減なところがあるということに気づかされたのです。家族がいるという事のありがたかさも実感できました。

ちょっと停滞気味だったのですが、また書きたいことがありますので、書いていくようにします。

01/11/2024(金) 12:33:43

No.41323  飯沼正晴
Re: 11月1日(金曜日) 引用
お久しぶりです!

悠々塾グループラインではお知らせしていましたが、29日から山陰方面に出かけて、今日の夕方に帰っててきました。

また明日にでも書き込みしますね。

30日からばあさんの体調が悪くなって、血中酸素濃度が低下したりだったようです。
心機能に異常が生じたようです。
30日にまゆみさんが病院に行っている間は,藍子さんが家で付き添ってくれていたそうです。
本人はもう少し様子を見るとのことでしたが、今日になって病院に行き、いろんな検査の結果は大きな問題はなかったようですが、とりあえず入院ということになりました。
私も明日に面会に行ってきます。

私は、「血中酸素濃度が一時下がったが、しばらくして回復した」としか聞いていなかったのですが、左肩に痛みが出たりもしていたそうです。
一人のんびりさせてもらって申し訳ない気もします。
でも、ありがたかったです。
ということで、私は旅先から「後期雑記」を書き送ったのですが、「天地悠々」の発行は少し遅れそうです。
すみません。

01/11/2024(金) 23:15:52


No.41317 まゆみ  
10月31日(木曜日) 引用
おはようございます。

みんとさん、ありがとうございます。
書かれてることそうだなって思います。
本当は分かってることなんだけど、気持ちが邪魔してて・・・
気づきを何度も何度も繰り返しながら辿り着こうともがいてるんだなって・・・
誰もがそうなんだなって思います。

私の左手のことでは何度もご心配をおかけしましたが、昨日の血液検査でも問題なしでした。関節炎の腫れと痛みだったようです。
まだすこーし痛みが残ってますが、気をつけながら感謝しながら使って行きます。
皆さん、やさいくしていただきありがとうございました。

31/10/2024(木) 06:08:36


No.41318  みさお
Re: 10月31日(木曜日) 引用
まゆみさん
素敵なお話をありがとうございます。

本当はわかっているのに、自分の気持ちが邪魔をして
よくわかります。
私もずっとそうでした。今もだと思います。

まゆみさんや皆さんの書き込み 
輝いています。

まゆみさん、血液検査結果問題なし
良かったです。

31/10/2024(木) 07:36:24

No.41319  のものも
Re: 10月31日(木曜日) 引用
まゆみさん みさおさん 皆さん
おはようございます。

人として、自分としての
比重や丸の大きさを気にするより
重ねてあることが大事だと思います。
そしたら、行き着く先は
幸せの切符だと思います。

まゆみさん良かったです。

31/10/2024(木) 10:01:10

No.41320  みんと
Re: 10月31日(木曜日) 引用
>自分を支えてくれるさまざまな腸内微生物、さらには細胞・臓器に対し無条件の祝福と感謝でつながる、家族に対しても(どんな違いがあっても)おなじ神の子であるという思いで関わっていく、それは本当にちっちゃなことのように思えるけど、実は世界を根本的に変える壮大な事業の一環なのだと思います。一足飛びにいかないし、躓いたり、後退したりもしながらもあきらめずに続けていく。それしかないのだとおもいます。<

エーちゃんの投稿ですが、私も同感です。

なかなか思うようにいかなかったりできなかったりですが、皆同じ神の子。その思いで周りの人、縁ある人達に関わっていきます。
家族、友人知人、縁ある人々とのつながりを喜びで共有できたら、きっと社会にも波及していくとおもいます。

ちっちゃなことのように思えることが全ての繋がりの始まりですもんね。エーちゃん、なかなかの難関ですが行きつ戻りつしながらもあきらめずその思いを実行に移します。
個から全体にのおもいで。

ちょっとかたくなりましたがエーちゃんの投稿に感謝です。

飯沼さんの??41301にもすごく感銘を受けました。

大切なことがぎゅぎゅっと書いてあるように思いました。

>全ては波動。その波動が喜びで共鳴すれば、そこは地上天国になるでしょう。<

地上天国を見届けたいです!

31/10/2024(木) 22:39:34


No.41314 みゆき  
10月30日水曜日 引用
おはようございます
頭痛は少し残っていますが吐き気はおさまりました
藍子さん
ありがとう

いろんなつらいこと、しんどいことありますが、
それは学びのため、埋め合わせ
喜びですね
過去のこと、間違ったこと、引っ張り出してきて
できない自分で終わらせてしまってきた今までですが
後悔していることを学びや埋め合わせとして、
今日も喜んでもらえるようやっていきます
それを積み重ねていきます。

30/10/2024(水) 06:33:15


No.41315  まゆみ
Re: 10月30日水曜日 引用
おはようございます。

藍子さん、Bさん、ちょっと恥ずかしい気持ちになりましたが、ありがとうございます。
4人姉妹のたわいもない会話です。全然たいそうな事はしてないですが、私の気持ちの変化を表現してみたのです。

皆な誰でも魂の意志を抱いて、この地上人生を歩んでるということなんだ、ということを改めて気づかせてもらった感じです。

人の喜びのために、自分が喜んでたのかというと、そうではない自分がいた。苦しい重い気持ちを引きづってたなって。
でもこれからは自分の喜びとして進んでいけることがうれしいという感じです。

だから、
みゆきちゃん、これからを喜んで進んでいけば大丈夫だよって、すごく頑張ってきて、人の喜びのためにと頑張ってて、そう、魂の意志に突き動かされて、ここまで来てて、
私もそうだったんだなって思うのです。

なんか支離滅裂なので今日はこの辺で。
はい!
喜びのエネルギー場を皆で作って行きましょう!

30/10/2024(水) 07:34:12

No.41316  みんと
Re: 10月30日水曜日 引用
まゆみさん、4人姉妹さんの温かい会話が聞こえてきそうです。

なにげない会話にはっとさせられ大切なことに気づかされることがあります。’気づき’ってきっと心に滞ってるモヤモヤした気持ちの答を教えてもらったときに感じるもの。本当は心でわかってることなのに自分の気持ちが邪魔して見えなくなったものがはっきりと見えた時の衝撃かなともおもいます。(少しおおげさですか)

当たり前だと思ってたことが本当はすごいことだったりして。それに気が付くことって嬉しいし幸せです。
些細なことに喜びが隠れてるような気がします。

まゆみさん、その包み込むような優しさはなりたい自分の憧れでもあるんです。いつも笑顔をありがとうございます。
飯沼さんとの間には我々には計り知れない信頼関係があり悠々塾を支えられておられるのですね。有難いことです。

みゆきさん、吐き気がおさまってよかったですね。
以前から思ってたことですが、みゆきさんのその正直さ、赤裸々に自分の気持ちを書いてくださるみゆきさんに心打たれます。
訳わからないかもですが、いつも応援してます。

エーちゃんの投稿などまだまだ書きたいことがありますが、今夜はここまでにします。(すごく分かりやすくて感心しました)

30/10/2024(水) 22:23:12


No.41312 藍子  
10月29日 火曜日 引用
まゆみさんの四姉妹の会話、私もとても嬉しかったです。
人の喜びが自分の喜び、、、私は学んできて、やっとなんとかそういう気持ちになることも増えてきましたが、まゆみさんは小さい頃からそんな心を持ってたんやなあとあらためて尊敬しました。
あと、ぬまさんのことを妹さんが褒めてくれたのも嬉しかった、褒められたのをまゆみさんが喜んでいるのも嬉しかった。
そうやって、誰かの良いところを言葉にしている四姉妹の気持ちの良い会話も良いなあと思いました。それぞれに今を幸せだと感じてないと、なかなかそんな会話出来ないような気がしました。


みゆきちゃん体調いかがですか?
私もみゆきちゃんの笑顔大好きです。

「相手や誰かや皆に喜びをもたらしたい、喜んでもらいたい」と思い、不十分ではあってもそうしていく、私もそうしていこうって強く思いました。

喜んでもらいたいという気持ちを大切にしたい。
そうできたら自分を喜びたい。
そう出来なくとも、そうしようと思った自分を喜びたい。

やっていきますね。

29/10/2024(火) 20:28:47


No.41313  Bさん
Re: 10月29日 火曜日 引用
まゆみさん、さらにさらに素敵な投稿をありがとうございました。

飯沼君とまゆみさん、お二人が歩まれてきた道のりを思うと、お二人とも偉いなあと常々より思っていました。

>エネルギー場が変われば現実も変わる!
喜びのエネルギー場を皆で作って行きましょう!<

まゆみさんの力強い言葉がとてもうれしいです。

長い年月をかけて、互いに認め合い支え合ういまを手になさったお二人に敬意を表します。
ともに喜ばせていただければ幸せです。

はい、喜びのエネルギー場を皆で作って行きましょう!

29/10/2024(火) 23:29:02


No.41307 みゆき  
10月28日月曜日 引用
おはようございます
今日は、頭痛と吐き気がありますが
動けているのでよかったです
みんとさん
まゆみさん
ぽんたさん
Bさん
ありがとうございます
続いている頭痛は、頭で考えすぎなのだと思います
人に喜んでもらえるように、言動行動していきます

まゆみさん
言葉にならないです
感動しています

また書き込みします

28/10/2024(月) 07:58:14


No.41308  飯沼正晴
Re: 10月28日月曜日 引用
みゆきちゃん、スレッド更新ありがとう&排出お疲れさまです!

今地上に生きている人間は、誰もが過去世の過ちや不十分さを引き継ぎ、背負っています。
カルマの内容はさまざまですが、一言でいえば「神の分け御霊を戴いた人として生きることができなかった」という部分がカルマになっています。

自分としての思い(我よしの喜びや陰り)は誰にもさまざまにありますが、それを超えて「神の分け御霊を戴いた人として生きる(生きようとする)ことが、全ての人間のテーマです。

そうであれば、地上的自我の狭い空間で、自分としての思いを軸にあれこれ考えても、なかなか脱皮することはできないでしょう。

先日の書き込み、再掲載しておきますね。
。。。。。

感覚の層に設定された歪みはカルマも絡んでいるわけだから、たいていの場合は考えてもなかなか分かりきるものではありません。
全てが分かるのは、おそらくは地上を離れてからになるのでしょうね。

だから、
>これができたらもっと人に喜んでもらえるやろう、
ということはわかっています
でも、何かひっかかっていているのか、なんなのか、
どうしてもその部分が切り替わらなくてできないです<

という意識でいたら、一生切り替わらないままになってしまう可能性が大きいと思います。
そして家族の皆がそういう状態であれば、その家族はぎくしゃくして喜びの少ない家族になるでしょうし、世間の皆がそういう状態であれば、その社会はぎくしゃくして喜びの少ない社会になるのでしょう。

もちろん皆それぞれに傾向や不十分さがあるわけだから、分かっていてもなかなかできないことも多いわけです。
でも大事なことは、その時その時の結果として喜びをもたらせるかどうかではなく、
「相手や誰かや皆に喜びをもたらしたい、喜んでもらいたい」と思い、不十分ではあってもそうしていくかどうかです。
自分も相手も誰かも皆も、なかなかそうできない面をもっているからこそ、自分が「相手や誰かや皆に喜びをもたらしたい、喜んでもらいたい」と思いを軸に言動していくのです。

そうしようとしてもできない(失敗する)場合もあるでしょうが、その時にこそ素直におおらかに心を働かせることによって向上進化していけるのです。

「できない。分からない(からできない)」ということを軸にしていれば、いつまでたってもその状態が続いてしまいますね。

>いまは、具体的になりたい自分、わからないですが、
喜んでもらえるにはどうしたらいいか、
もっと意識して生活していきます<

はい!
「相手や誰かや皆に喜びをもたらしたい、喜んでもらいたい」と思い、それを言動で表現しようとしていけば、おのずと具体的にも分かってくるはずです。
やすこさんが転載してくれた「ひとしずく」にもありましたが、いろんな面についてそれぞれ「お手本になる人」を見つけて、参考にしていくことで「具体的にどうしていけばいいのか」が分かりやすくなるでしょう。
「お手本」ですから、初めからお手本と同じようにできるはずはないのは当然だけど、それでいいのです。
そこから始めたら良いのです。

私はいつも言うのですが、できない理由を1万回唱えても、一歩たりとも前に進むことはできません。
これはみゆきちゃんにだけ言うのではなく、私も含めて皆さんに言っています。

28/10/2024(月) 10:40:07

No.41309  飯沼正晴
Re: 10月28日月曜日 引用
◆脳がなくても意識は存在できる。あるいは、意識は物質と同様に不滅の法則に則っていると考える

投稿日:2024年10月27日

(冒頭部は割愛します)

脳がなくても意識は存在できるのか?

科学者たちは、意識の捉えどころのない解剖学的相関関係を探求するために多大な努力を費やしてきた。しかし、意識の起源は依然として不明だ。

「脳神経外科医として、意識を生み出すのは脳だと教わってきました」と、深い昏睡状態にあったときの意識に関する自身の体験を詳細に記したエベン・アレクサンダー博士は、論文「臨死体験、心と体の論争、そして現実の本質」で述べた。

多くの医師や生物医学の学生は、意識について同じことを教えられてきたかもしれない。しかし、科学者たちはその理論が正しいかどうかについてまだ議論している。

子供が初めて象を観察するところを想像してみてほしい。光が動物に反射して子供の目に入る。目の奥にある網膜光受容体がこの光を電気信号に変換し、それが視神経を通って脳の皮質に伝わる。これが視覚、つまり視覚意識を形成する。

これらの電気信号はどのようにして奇跡的に鮮明な心のイメージに変わるのだろうか?

どのようにしてそれが子供の思考に変わり、その後に「わあ、象ってこんなに大きいんだ!」という感情的な反応が続くのだろうか?

脳がどのようにしてイメージ、感情、経験などの主観的な知覚を生み出すのかという問題は、1995年にオーストラリアの認知科学者デイビッド・チャーマーズ博士によって「難問」として提唱された (論文)。

結局のところ、脳を持つことは意識を持つための前提条件ではないかもしれない。


「頭はない」が「無知ではない」

ランセット誌は、 生後 6か月で出生後水頭症(脳の上または周囲に過剰な脳脊髄液がたまる)と診断されたフランス人男性の症例を記録した (ランセットの記事)。

彼は病気にもかかわらず健康に成長し、結婚して二人の子供の父親となり、公務員として働いた。ビタミン剤やサプリメントを購入

44歳のとき、彼は左足に軽い衰弱を感じて医者を受診した。医師が彼の頭部を徹底的に検査したところ、脳組織がほぼ完全に失われていることが分かった。

頭蓋骨の空間の大半は液体で満たされ、脳組織は薄いシート状になっているだけだった。

「脳は事実上、消失していた」と、この症例研究の主執筆者で 、フランスのマルセイユにあるティモーネ病院神経科のリオネル・フイエ博士は記している (論文)。

その男性は普通の生活を送っており、物事を見ること、感じること、知覚することに何の問題もなかった。


ランセット誌は、生後6か月で出生後水頭症と診断されたフランスの公務員の症例を記録した。
その後、MRI検査で側脳室、第3脳室、第4脳室の大規模な拡大、非常に薄い皮質外套膜、後頭蓋窩嚢胞が明らかになった。

正常な脳皮質は感覚と運動を司り、海馬は記憶を司る。水頭症患者はこれらの脳領域が失われるか、容積が大幅に減少するが、それでも関連する機能は実行できる。

こうした人々は、たとえ相当な脳がなくても、平均以上の認知機能を持つことができる。

英イェフィールド大学の神経学者ジョン・ローバー教授(1915- 1996年)は、水頭症の子供の 600例以上を分析した。

その中で、最も重篤な水頭症と脳萎縮を患う約 60人の子供の半数は、 IQが 100を超えており、通常の生活を送っていることを発見した。

彼らのうち、ある大学生は成績優秀で、数学で一級優等学位を取得し、 IQは 126で、社会的にも普通だった。この数学の天才の脳の厚さはわずか 1ミリだった。普通の人の脳の厚さは通常 4.5センチで、この高い IQ の大学生の 44倍もある。(※ コメント / 一般的に IQ125以上は高 IQ とされ、上位の 5%だけとされています)

ローバー教授の研究結果は、 1980年に「脳は本当に必要か?」という見出しでサイエンス誌に掲載された。

(全文はリンク先でお読みください)
https://indeep.jp/is-your-brain-really-necessary/
。。。。。。。

10年ぐらい前にリプトン博士の本を読んで、こういうことが実際にあることは知っていましたが、その本ではごく簡単に触れているだけでした。
今回はじめて少し詳しいことを知って、改めて感動しています。

これは紛れもない事実のようですから、今までの常識を根底から覆す事実のはずですが、今の科学者のほとんどはスルーしたまま「今まで通り」でやっていこうとするのでしょう。
それでもこういうことについてん論文を書く科学者が現れていることは、やはり大きな進歩・進化を感じます。

28/10/2024(月) 10:59:29

No.41310  まゆみ
Re: 10月28日月曜日 引用
恵美子さん、ありがとうございます。

>まゆみさんがまゆみさんらしさそのままを伸びやかに表現すればいいのですから、
>皆が集う場が更にパワーアップすることでしょうね。

そのままを表現すること、これですね。これがなかなか・・・
とか言わずに、パワーアップ目指します!

恵美子さん、ずーっと私たち二人を見守って支えて下さって、今があります。
これからも一緒によろしく願いしますね。


みゆきちゃん、
頭痛と吐き気はつらいですね。
みゆきちゃんがみゆきちゃんらしさそのまま伸びやかに表現すればいいのですから。(恵美子さんの言葉をいただきました〜)
一緒にパワーアップ目指しましょう。

エネルギー場が変われば現実も変わる!
喜びのエネルギー場を皆で作って行きましょう!

28/10/2024(月) 14:42:11

No.41311  飯沼正晴
Re: 10月28日月曜日 引用
恵美子さん、気持ちのこもった書き込み、ありがとう!
照れくさいけど、嬉しいです!

>エネルギー場が変われば現実も変わる!
喜びのエネルギー場を皆で作って行きましょう!<

ほい!
地上的現実というのは、そのエネルギー場の波動が三次元のスクリーンで像を結んだものです。
なので、エネルギー場が変われば現実も変わるというのは、当たり前のことなんだよね!
もちろんそのエネルギー場の波動は人種類ではないわけで、だからこそ何があっても喜びに着地するという、喜びベースが大事になります。

自分のカルマにふさわしくさまざまな試練・練習問題はもたらされるけど、それをカルマ解消・向上進化の喜びとして受け止めて、自他の喜びになるように思考・言動していく。
喜びに向かう波動がそのエネルギー場のメインになれば、半ば自動的に喜びが現実化していく。

喜びではない波動がメインであれば、地上人生というスクリーンに喜びではない像を結んで、喜びではない現実が展開していく。

それが法則であり、原理・法則は極めてシンプルです。
そして、皆が神の分け御霊を戴いて、向上進化の喜びに生きる神の子なんだから、本気になれば必ずできることになっているのです。

28/10/2024(月) 17:47:59


No.41304 まゆみ  
10月27日日曜日 引用
おはようございます。
あおやまさん、Bさん、ぽんたさん、ありがとうございます。
手の腫れはなくなり少しこわばりのようなのが残ってる感じです。
もう大丈夫ですが、ヌマさんが晩御飯の後の洗い物してくれてて甘えてしてもらってます。

また4姉妹のおしゃべりの話の続きを書かせてください。
何年か前に、ヌマさんが小冊子を書いたのを、姉妹にも読んでもらいたくて渡してました。
その時の反応は覚えてないのですが、今回のおしゃべりの時に、一番下の妹が突然、「飯沼さんの書いた小冊子を最近読み返したらすごいことが書いてあるって思って、飯沼さんてすごい人なんだなって思った」と言ったのでびっくりして、こっちがどんなこと書いてたかなってすぐに思い出せなかったら、「腸内細菌のこととか」って、かなり感銘をうけた様子でした。
他の2人は何の冊子?もらってないよ、とか言って全然覚えてないらしく一番下の妹が「まみちゃんからみんなに一冊づつもらってるよ」って言って、それもらしいなって面白かった。

で、このことも何かの計らいなのか、今、「飯沼さんってすごい人なんだ」ということを聞かされることになって、
それを聞いたときにうれしい気持ちになったことが、自分でもそうかーーこの時期にーーそういうことなのかーーって。

うれしかったので、帰ってからヌマさんには報告しときました。
で、直接言えなかったのでここで
「ここまで私を(皆を)引っ張って連れて来てくれてありがとう」

気持ちを開いていくこと、これまで抵抗感が強くて難しく思ってて、まだまだですが、少しづづでも楽にできるようになってきたらいいなと思います。
そういう機会をもらってるんだなって思います。

連投でたわいもない4人姉妹のおしゃべりを書かせてもらってすみません。
私の気持ちの切り替えの計らいだったのかなぁって思います。

27/10/2024(日) 06:44:12


No.41305  飯沼正晴
Re: 10月27日日曜日 引用
はい!
こちらこそ、こんな私をずっと支えてくれて、ありがとうです!

お姉さんが「まみちゃんは人が喜ぶことをするのが私の喜びだと言ってた」と言ったということを聞いた時、心の底から納得できて、危うく涙が出そうになった。
まゆみさんは自己アピールはしないけど、間違いなくそういう人だと思います。

あの冊子は大急ぎで書いたもので、文章の下手さばかりを記憶しています。
地上にいる間に、いずれは集大成の冊子か本を書きたいとは思っているのですが、いつになることやら・・・。

私が凄いかどうかは分かりませんが、幼い頃から世間の人たちとはかなり違う価値観・感性の人間だったと思います。
それゆえに生きにくくて、その不器用さに家族も巻き込んでしまってきたけど、おかげさまで今は喜びの中で自分らしさを発揮・発展しつつ生きることができていると思います。

ほんとに、こちらこそ感謝していますよ!

27/10/2024(日) 14:10:08

No.41306  恵美子
Re: 10月27日日曜日 引用
まゆみさん、ぬまさん、
心から嬉しいです!
まゆみさん、
「人が喜ぶことをするのが私の喜び」
その魂の意志を外すことなく、地上人生が不得手なぬまさんをここまで、支えて来られたことに拍手喝采!な気持ちです。
まゆみさんがまゆみさんらしさそのままを伸びやかに表現すればいいのですから、
皆が集う場が更にパワーアップすることでしょうね。

エネルギー場が変われば現実も変わる、
そのことを皆さんに見せていただいてます、
繋がって、続いていきたいです。

あおやまさん、
どんな織物になるのか、楽しみにしてます、
大好きですよ〜

ぽんたさん、
お兄さんとのこと、お母さんのこと、ご近所さんのこと、嬉しい変化を見せてもらいました、目には見えないエネルギーの広がりを実感します。ありがとう。

地域の秋祭りの準備や、地域の高齢のおばあちゃんが亡くなって、お見送りの準備で、やっと一息、、、

まゆみさんの嬉しい出来事で元気をもらって、一日軽やかに動くことができました。
まゆみさんも、ぬまさんも大好きな私にとって、嬉しい日となりました。
ありがとう

27/10/2024(日) 20:43:18


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