おはようございます。 定例会が近づいてきました。 昨日みゆきさんと自然農のじゃがいもを掘りました。 ずっと雨が降ってないので畝の土もカラカラになっていましたが、そろっと土を削るとじゃがいもが出てきて嬉しかったです。 小さい目だし面積の収量は少ないですが、じゃがいもさん育ってくれてありがとうです。 定例会で蒸かして皆さんに食べてもらえるようにします。 N地もじゃがいもは「今までこんなことなかった」とぬまさんが言うほど壊滅状態だったのですが、草と一緒に刈り取られた畝からじゃがいもさんを救出しました。こちらも小さいですが、一緒に蒸かして皆さんに味わってもらいたいです。 男爵系とメイクイーン系で種類が違うので食べ比べるのも楽しいかもしれません。皆さん楽しみにしていてください。
>偶然はありません。 嫌な気持ちにさせられる出来事は負のカルマの発現です。 嫌な気持ち・喜びでない気持ちを抱いたままで言動すれば、それはカルマの上塗りになって、今生でも喜びではない現実を造っていくことになるのです。<
粛々とそういうものなのだということを受け止めています。
>もたらされた出来事・現実が自分の気持ちを生み出していると思うかもしれませんが、本当は自分の気持ちが自分の現実を造り出しているのです。<
そうなんですよね。 自分の気持ちを霊性に重ねていく、というテーマはずっと意識してそうありたいと思ってきたことでもあります。 けど意識して考えていることの裏に、不安やプレッシャーを抱えていたり、どこか「どうせ自分なんか」みたいな感覚がベースに残っているのを感じる時あります。 それが現実化するんですよね。
自分を守らずにざっくばらんに話し合うことで、自分が刷り込んでこびりついた喜びでない感覚を解放、解消したいです。 それは地上の人間にとって実に困難なことで、ひとりでできることじゃないのだと思います。
今や現状ががどうであれ、同じ壁にぶつかってる、その壁の困難さを知っている、仲間の皆さんと、向上進化の方向性で共鳴することで、この困難な壁をゆるめることができるような気がします。
ともに歩む仲間の皆さんの感情感覚の層まで喜びベースが循環するように! この地上界に、三次元の物質の世界にも霊性が広がるように!顕現するように! 定例会よろしくお願いします! |
21/07/2026(火) 07:15:39
| No.43997 さき |
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数日前に見た夢の話
仲間の皆さんと一緒に何人かでどこかに派遣されていきます。 そこは荒涼とした大きな川の河口です。人間より何倍も大きな岩石や粘土のような土の塊がゴロゴロと積み重なり転がって、堰き止められたようになっています。水もほとんど枯れています。
そこで仲間の皆さんと何かしてます(詳しくははっきり覚えてない)。そしたら、精妙な光の粒子のような、羽衣のような、薄いベールのようなキラキラしたものが上から降りてきて、大きな岩とか荒涼とした世界の上にかぶさっていくんです。薄ーい布みたいな感じです。 うぁ〜綺麗だなと思って見てたら、そのベールが巨大な岩石にかぶさって密着していくと、枯れていた水がそこにしみ込んでいって、その水が浸透圧みたいに岩石にもしみ込んでいって、巨大な岩石がゆるんで、ふにゃっと溶けていく感じ。 あっちでも、こっちでも、同じことが起こってて、、目の前に広がっていた粘土のような土の塊も、巨大な岩石もその形を変えて崩壊していく様子を目の当たりにしていました。 いずれ、この大きな川に上流から水が流れてくるのだろうと想像できました。
精妙なキラキラした粒子のベールのようなものの美しさ と そっか、こんなことが出来るんだ! ということを強く思ったことが とてもとても印象的な夢でした。
うまく言葉にでききれてませんが、ぬまさんに夢の話書いて〜と言われたので書きました!
追記 何をしたのか肝心なことをよく覚えてませんが、仲間の皆さんと何人かで派遣されたことにも意味があるし、私たちも関与して起こった現象でした。夢の話ですが〜。 |
21/07/2026(火) 08:08:19
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| No.43998 飯沼正晴 |
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さきさん、書き込みありがとう!
むちゃくちゃ暑い中での農作業もほんとにありがとう!
労力に見合った面積での家庭菜園的農であれば、もっと安定して野菜が収穫できるのでしょうが、どうも私はそういうことに興味が持てません。 三次元の制約を超えた農を目指して試行錯誤を続けています。 昨年から体調が悪く、そうでなくてもこの歳になればしんどくないわけではないのですが、もう一歩二歩で新しい農法がカタチになりそうな気がしています。
私は体力的にはかなり回復しているものの、ストレスを感じるとまだ少し胃が痛みます。
さきさんにはいろいろと負担をかけますが、もうしばらく失敗の多い試行錯誤に付き合ってくださいね。
さきさんの夢の話を聞いて、こぼれ種の小豆が草の中で逞しく生育していることと重なる気がしました。
河口の大きな岩石や粘土の塊は感情や感覚の澱。 それが霊性のエネルギーの流れを遮り、水が枯れるように霊性のエネルギーが枯渇してしまっている。
三次元的手法・地上的手法でその岩石や粘土の塊を除去するのではなく、精妙な光の粒子のような、羽衣のような、薄いベールのようなキラキラしたものが上から降りてきて、大きな岩とか荒涼とした世界の上にかぶさっていく。
これは昨年、S氏の件で私がつながろうとしたエネルギーであると思いました。 「ひふみ神示」で伝えられている、「悪を抱き参らせ」ということでしょう。
あの時は4〜5日間も日常を離れて、そのエネルギーにつながろうとしたけど全くダメでした。 今から思えば、それもまた計らいであったのだと思います。
こぼれ種の小豆については、私が畝の肩にはびこる草は除去しようと思っていないことが関係しているような気がするのです。 畝の上に生えてはびこる草は作物の生育を阻害するので、ある程度は除草します。 除草作業が遅れたら、草がはびこって作物がダメになってしまいます。 畝の上の草は基本的に除去すべきもの、という意識・認識が私の中で定着しているのです。 その意識・認識は今の地上界の常識として、強烈なエネルギーを放っているはずです。
つまり、人間の意識・認識に応じた現実が造られているのではないかと気づいたのです。
畝の肩から生えてはびこる草は、タイミングを見て草刈り機で畝の上に刈り上げて草マルチとして活用します。 草はまた伸びてくるので、春から秋のシーズンに1〜2回、この作業をします。 草刈り機で刈っても根は残り、草は寿命を全うします。
つまり、畝の肩の草には共生の意識・認識を向けて、そういうエネルギー場になっているのだと思いました。 だから栽培している作物は草に負けて、こぼれ種の小豆は草の中で逞しく生育するんじゃないかと思ったのです。
水捌けが悪い畝の谷から生えた小豆が湿害を受けていないのも、「こんなに水捌けが悪いところでは小豆は育たない」という、私の意識・認識のエネルギーの影響を受けていないからかもしれないと。
そういうことと、人間の感情の領域に定着している澱、巨大な岩石や粘土の塊のように感情の領域の下位に居座って、霊性の流れを阻み、その人の心を不毛の荒野のようにしてしまっている澱の解消法が私の中でリンクしはじめていました。
そのタイミングでさきさんの夢の話を聞きました。
精妙な光の粒子のような、羽衣のような、薄いベールのようなキラキラしたものというのは、おそらくは言葉や地上的エネルギーを超えた魂の輝き、向上進化を共通の喜びとする魂のエネルギーのような気がしています。
現状がどうであっても、人としての理性・価値観や自分としての感情などがかけ離れていても、霊としての魂のエネルギーは同調できるはずです。
思考や言葉でやり取りすることが三次元の地上界の原則ではありますが、それが成り立たない状況であれば言葉を重ねるよりも、一切の違和感を昇華した、地上に生きる霊としての魂のエネルギーで包み込むことの方が理に適っているというか、有効なのでしょうね。 有効性を軸にするわけではありませんが、原理・法則の話として。
そしてこれは心身の病や症状に苦しむ人に向けての、王道のヒーリングのエネルギーでもあるはずです。(今回の定例会で、時間があれば「実習」したいと思います)
そういえば「ひふみ神示」に、「理屈は悪だと申しておろうが」という件りが繰り返し伝えられています。 |
21/07/2026(火) 11:02:12
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| No.43999 飯沼正晴 |
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上の私の投稿、少し書き加えました。
分かりにくいかもしれませんが、しっかり読んでくださいね。 |
21/07/2026(火) 11:36:39
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| No.44000 ポポ |
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悠々塾の皆さま、こんにちはです。ポポです。 今回の夢の話に関する書き込みを読んで、「大きな川の河口で岩がゴロゴロしている」というくだりで、私はどうしても小学校の図書館で目にした、仏教講話の地蔵菩薩の話を思い出してしまいました。 賽の河原であの世に来たばかり(?)の子供たちがこの世に残してきた親たちを想って、「一つ積んでは父のため、二つ積んでは母のため」と言って賽の河原に石を積み上げるのですが、意地悪な鬼がやって来て積み上げた石を崩してしまうのです。 どうにもならないなと思っていた時に地蔵菩薩がやって来て子供たちを助けるという話なのですが、悠々塾に満ちているヒーリングのエネルギーが地蔵菩薩のような慈悲力を持っているのかもしれないなと感じました。 余談ですが、地蔵菩薩は弥勒菩薩が出現するまでの代理の菩薩で、現在は弥勒菩薩が出現しているという話を聞いたことが有ります。 自分自身、自己省察する力が弱いのに他人の上手く行かなかったことには気づき易いという、ある意味イヤらしい(?)観察眼を持っていて、そのことが他者からすると嫌味にとれていたのかもしれないなと思っています。 その上で申し訳ないですが、このスレッドの今日の日付が間違っています。今日(火曜日)は7月21日です・・・。指摘させて頂きます。 どうしても悠々塾の他の方と違って読みやすい書き込みが出来ないのですが、目を通してくださりありがとうございます。それでは。 |
21/07/2026(火) 12:02:34
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| No.44001 さき |
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ぬまさん、ゆっくり読みます
ポポさん、日付訂正しました。 教えてもらってありがとうございます 取り急ぎ、今から出かけてきます! |
21/07/2026(火) 12:54:38
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| No.44002 のり○ |
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自然農のじゃがいもどんな味がするんだろう!美味しそうですね。 数日前、数十分、草刈りをしました(手作業で) しゃがんで立つと頭ぐるぐるして柵につかまってましたが何度もなるので直ぐに終わりました。 夕方で涼しいと思ったんですけど… 畑作業、朝でも夕方でも体調もあると思うので十分気をつけて下さい。 |
21/07/2026(火) 13:44:54
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| No.44003 飯沼正晴 |
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ポポさん、のり〇さん、投稿ありがとう!
43998で私が書いたことについて、感想や意見などを書き込んでもらえると嬉しいです。
何かに対して違和感を持った時、誰かに対して違和感やネガティブな感情を抱いた時、それらを昇華する方法でもあると思います。
それはもちろん、事態・相手を自分の思い通りにしようとすることではなく、魂の波動の共鳴によってお互いや皆にとっての喜びの現実を顕現させることです。
自分自身が感情を軸にしていれば注げないエネルギーです。 日々トレーニングを続けていけば、自分の気持ちを軸にする生き方からの卒業にもなると思います。
魂の意識は、向上進化の喜び・自分を役立てることの喜び・全てに対する無条件の祝福と感謝などが共通していると思います。 それともちろん、「否定(の意識)」を含まないことですね。 魂にとっては全てが向上進化の喜びですから。 |
21/07/2026(火) 14:25:58
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| No.44004 Bさん |
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>思考や言葉でやり取りすることが三次元の地上界の原則ではありますが、それが成り立たない状況であれば言葉を重ねるよりも、一切の違和感を昇華した、地上に生きる霊としての魂のエネルギーで包み込むことの方が理に適っているというか、有効なのでしょうね。 有効性を軸にするわけではありませんが、原理・法則の話として。<
「地上に生きる霊としての魂のエネルギーで包み込むこと」が 「理に適い」、「有効であり」、「原理・原則の話として」 ということなのでしょうが、 そういう理論や原理原則的なことをも超えた想念、つまり(と言ってしまっていいのかわかりませんが)同情や安っぽい愛情などとは程遠い、高次元の高く広く深い崇高な愛情をもつことなのでしょう。
でも、そこに至るには先ずは「許す」ことが必要なのだと思います。 相手を許すということは、相手に対し湧いてくる違和感や許せぬ思いを持つ自分をも許す(心を緩める。そういう自分なりの気持ちを超えていく)ことが前提となります。 よくわかりませんが、相手がどんな悪であっても、心に湧いてくる違和感や許せぬ思いは、それも高次の霊性からみると、きっと自分なりの感情に他ならないのではないでしょうか。
つまり(これも詰まっていいのかどうかわかりませんが)、「抱き参らせ」られる心境に至るには、どんなに自分に理があり正しいと思っても、そう思い、思い込んでしまいがちな自己との闘いが前提であり、自分で自分を乗り越えていくことなのだと思います。
何度も何度も繰り返し繰り返し、そうしていくことで初めて身につき、「向上進化の喜び・自分を役立てることの喜び・全てに対する無条件の祝福と感謝という魂の意識」に繋がっていくのだと思います。 そしてそれが相手を幸せにし、自分をも幸せにする極意なのでしょう。
許してこそ、相手も救われるのだと思います。
自分を乗り越え、なにより相手を思い、疑うことなくシンプルにストレートに祈ることが大切なのでしょう。 そうすることが、悠々塾の使命を果たしていくことになるのだと思います。
自分のことはさて置き、そんなことを思いました。
それにしても、「精妙なキラキラした粒子のベールのようなものの美しさ」とは、さきさんの夢、なんて素敵なんでしょう! 畑の皆さんからのプレゼントかもしれませんね。 |
21/07/2026(火) 16:43:02
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| No.44005 飯沼正晴 |
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Bさん、さっそくの投稿ありがとう!
今、ざっと読ませてもらったところです。 時間がないので少しだけ。 異論を挟むのではなくて、私からの補足のようなものです。
「許す・許さない」という想念はほとんど感情の領域のものだと思います。 そもそも、神・大霊とはほど遠い段階を生きている人間には人の過ちを裁くことなどできず、その人の気づきや向上進化の手助けをさせてもらう程度の存在だと思っています。
自分自身が過ちや大きな不十分さを抱えている段階でありながら、(神に)赦されて、生かされているのです。
であれば、誰かの過ちを「許さない」なんてことは元より成り立ちません。
さきさんの夢はとても意味深い霊夢のような気がします。 |
21/07/2026(火) 18:38:09
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