おはようございます 土曜日曜今日と心身ともに重たいです 自分の心持次第で元気がでたりでなかったり 自分の中にぎゅっと固まっているものがあって そこにとどまるとますます固くなってしまいます 自分の弱点でいつもここで心が固まって落ち込んで 自分はできないなー、とか自分いなくてもいいやん、とか もっと頭よくて理解力あって器用だったらなー っていう気持ちになってしまってます ほんとはそうじゃないんですよね というところから自分に言っているところです この重たい気持ちをみんなの幸せのために使うことができたら すごいんやろうなと思って なんとか切り替えられるようになりたいです 定例会でいただいた「地上人類の歩み」の抜粋を 何回も読んで落ち込んでいきそうな自分をなんとか引き留めます |
01/06/2026(月) 06:27:41
| No.43826 恵美子 |
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定例会ありがとうございました
定例会参加の後、東京からきた妹と合流して久しぶりの旅を楽しみました、しばらく疲れがあってぼんやりしてしまいました。
「地上人類の歩み」の朗読に始まった一部はなんとも身のひきしまる思いと共に小さな自分に留まっている時ではないことも思わされました。 Bさんの司会進行はテンポよく、控えめな仲間たちも発言しやすかったと思いました、ほんとにご苦労さまでした。
「自分なりの気持ちを皆の喜びとなるように昇華するにはどうしていくか」 私たちの様々な質問にぬまさんが、丁寧に分かるように話してくださいました。やす子さんやみゆきさん、くみさんのように事ある度に自分の気持ちを喜びに向かわせようとする作業のなかで、切り替えていく、皆の喜びに重なるように。 簡単ではなくとも、そこに焦点を合わせていけば、喜びに繋がるはずだと思えました。
二部では畑のお豆さんづくしでしたね、 どれも美味しく、心もからだも満たされました。 翌朝は畑でお豆さんの収穫もさせてもらいました、 みゆきさん、早朝の運転ありがとう! 今回の宿泊は、さきさんの新居でした、何から何までお世話になりました。
仲間のことで、 色々あって心揺れることもありますが、すべてが学びなのだと思います、 今、提示されていることを軸にしていれば、喜びにたどり着けるのだと思っています。 そうできるのも皆さんと共にだからですね。 みんな大好き、ありがとう! |
01/06/2026(月) 10:52:12
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| No.43827 さき |
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みゆきちゃん、 心の中にあるぎゅっと固まったものが ふっとゆるみますように〜 大好きですよ〜
全然関係ないけど昨日読んでた本にかいてあった言葉 ↓ >意味は人間に隠されている。その隠された意味を人間が無理に意識しょうとすれば、それは人為の造花になって虚構から免れない。 不安は意識されることによって現実化する。悩む者に必要なのは因果関係の分析で無意識を意識化することではなく、意識を無意識の豊かな世界に戻すことである。<
うまく言語化できないですが、 私たちみんな不完全な悩める子羊です。 地上の人間はみんなどっこいどっこいです。 そういう存在です だから神の子なんだと思っています。
選ばれし迷える子羊として、この場につながった、 みなさんと一緒に 霊としての喜び、人としての喜び、自分としての喜びを この地上でおおらかに表現したい、顕現したいです
みんな大好きです
>その者たちに、限りない慈しみの心で祈ってあげてこそ、あなた方は光の戦士であり、豊かな霊性に裏付けされた「霊止」として輝きを放つのです<
限りない慈しみの心には程遠いですが なぜかこみ上げるものがありました。 魂に響くというか、そういうことありますよね 導きとか計らいとか、その時はよくわらかないけど 計り知れないシナリオのなかで導かれてきたと感じています
メモみたいで中途半端ですが投稿します また書きます。 |
01/06/2026(月) 11:33:56
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| No.43828 飯沼正晴 |
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久しぶりの書き込みになります。
一人一人にコメントできませんが、皆さんからの書き込みはしっかり読ませてもらっています。
あきどんさんの質問、「地上人類の歩み」の後半部を読んでくださいね。
ぽんたさん、美・美しいものを地上的カタチにして提供するのは、まさしく魂の意思だと思いますよ。 その魂の意思が変換されて、自分の気持ちになっていくのですから、それでいいのだと思います。
陰りであれ喜びであれ、気持ち・感情という領域は霊性から見れば自分なりで幼児的なものになるのです。 なので自分の気持ちの陰りを何らかの喜びに切り替えて、自分の喜びを皆の喜びに昇華していくこと。 それが地上人類の霊性進化であり、地上界の浄化につながっていくのですね。
感情の波動・エネルギーは地上的なカタチになりやすいので、肉体や言動に反映して、現実を造っていくことになります。 気持ちが陰った時や自分限定の喜びに偏り・執着が出た時こそ、霊性や人としてという意識を高めて、自分の感情の歪みや滞留を解消・昇華する機会です。 その仕組みをしっかりと認識しておくことが重要でしょうね。
仲間の皆さんに心配してもらっているようですが、私は大丈夫です。 もちろん気持ちのところではショックでもあり、今も気持ちの痛みはあります。 それは仕方がないというか、むしろ当然だと思っています。
ただ私は自分の気持ちを軸にはしていないので、陰りが増幅することにはならないようです。 私は自分の気持ちとは別に、「本当はどうなのだろう?」という意識のラインが強いので、そこについてはさまざまに意識をめぐらせています。 それは、できるだけ自分の気持ちを介在させないようにしなければできない作業なので、結果的に私は自分の気持ちを軸にすることが薄くなるようです。 もちろん自分としての気持ちはあるのですが。
本来は虚偽やでっち上げで友人を貶めるようなことはしない・できない人だと思っていたのに、その人が恥ずかしげもなくそういうことをしてしまう。 そこまでのことをしてしまうには余程のことがあったのでしょう。 私の推測が当たっているかどうかは分かりませんが、いずれにしても人を貶めようとして実は自分自身を貶めているのですから、お気の毒なことです。 |
01/06/2026(月) 11:44:34
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| No.43829 Bさん |
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みゆきちゃん、恵美子さん、皆さん、 あっという間に6月ですね。 台風も来るようなので、皆さん気をつけてくださいね。
先日の定例会でのことです。 私の顕著な「自分なり」について、みゆきちゃんが「Bさん、私と一緒ですね!」と言ってくれました。それもとても嬉しそうに、楽しそうに。 そのみゆきちゃんの笑顔に、私はなんだか褒められている様な気持ちになってしまいました。変な私です。
いやいや違うぞ、みゆきちゃんの言うように、確かに明らかに相手の思いを汲み取らない「Bさんの自分なり」なんだとは思うのですが、でも心の中で「なんでやねん」の思いがあります。 私はひょっとしてそんな「自分なり」を楽しんで、肯定してるのかもしれません。きっとそうだと思います。 それは「自分なり」に全くもって悪意がないからかもしれません。悪意ではなく相手を思っての「自分なり」なのかもです。 でも、これこそが「Bさんの自分なり」なんですよね。 これは相手の思いを全く汲み取らないことであり、いわゆる未必の故意かもです。即、捕まりそう!笑
訳の分からんことを書いていますが、まあ、この場合の「自分なり」は約一名を除いて皆さんに迷惑をかけるようなものではなく、笑ってもらえる程度のものなのかもしれませんが、Bさんの「自分の気持ち=自分なり」がよくわかります。
私はお芝居に関してもきっと「自分なり」なんでしょう。 自分の欲するところの「自分なり」なのです。 でも、この「欲する」というのが自我ではなく、魂の「欲する」ところであることを願います。 自分勝手でないことを信じたいと思います。
定例会では皆さんからそれぞれに貴重なお話を伺うことができ、学び多くとても有意義でかつ、とても有難かったです。 ともに進んでいかんとする真摯な皆さんの清く力強い思いにしっかりと支えられ、喜びに向かおうとする確かなエネルギーに満ち満ちていました。
その一方で、定例会に向けて信じられないことが進行していました。 まさに「自分なり」「」自分本位」のサンプルのような、「えー、ウソでしょう!」「なんでそうなるの!」のような展開ばかりでした。 ああ、これが闇なのかと思える、暗黒界の存在証明のような出来事でした。 それに陰ることなく、皆さんのエネルギーが結集した充実した定例会でした。
今回の「愛は時空を超えて」の克子さんからのメッセージは、それに増してさらに心を穏やかにしていただけました。 私たち人間はなんと小さく、うじゃうじゃと低次元で生きているのかと思いました。 克子さんからの高次のメッセージに重くのしかかりかけていた気持ちから救われました。 同じ土俵で同じレベルで苛立ったところで、自分もうじゃうじゃの低次元でしか生きていないのだと思います。そのための「指導霊になったつもり」なのですね。
> 憤るのではなく、その者のために祈ってあげることです。その者からの不当な攻撃が続いたとしても、反撃などしてはいけません。そこまでの状態に陥っている者であれば、いくら事実・真実を提示しても聞き取ることも受け止めることもできないでしょう。真実に対して、さらに闇を深めて攻撃してくるだけです。ですからあなた方はその状態の者に反撃するのではなく、その者のために祈ってあげるのです。かのイエスが、「悪人に手向かってはいけない」とお訓えになったのはそういう意味です。これ以上、罪を重ねないようにしてあげることです。 <
ただただ「祈ること」、その大切さを思いました。 「祈る」行為は決して消極的なことではないのだと思います。 「祈り」はエネルギーなのですから、必ず相手の魂にも我が身の魂にも伝わる最大最強最善の行いだと思います。
すべてはエネルギーであり、すべては循環の中にある。 この「循環」も納得できました。 人間をも含む自然界のすべてが巡り巡っている横の循環だとしたら、物質界のすべてのものが霊界の魂との縦の循環として巡り巡っている。 なんだかグッとくるものがあります。
> 一人一人の人間の意識・心は、霊界レベルから動物に近いレベルまで幅があるのです。そして感情・感覚の層は波動的には最下層になります。 <
心の中はレベル上から下までいろんな意識が渦巻いていて、私はかなり動物レベルに近いかもです。笑 しょうもないことでも、ふと思うことは相手にエネルギーとして伝わる。 人ぞれぞれ受け取る、受け取れる感度は異なるのかもですが、「自分なり」ならばそれも伝わっていて衝突の元になりますよね。 ちょっとしたことでも、すべて自分の行いも思いもエネルギーを発しているということ。 発し方ひとつで、何とでもなるということ。 持てるエネルギーをよりよい方向に使っていきたいです。
> その者たちに限りない慈しみの心で祈ってあげてこそ、あなた方は光の戦士であり、豊かな霊性に裏付けされた「霊止(ひと)」として輝きを放つのです。 <
「霊止(ひと)」として輝きを放てる存在でありたいです。
あ、さきさんに飯沼氏、いまから読みますね〜。 |
01/06/2026(月) 12:58:54
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