おはようございます メッセージありがとうございます
そう来たか! きっと、猶予がないのでしょうね。 もうすぐ80歳に手が届く私にとっては、地上人生の振り返りは日々してあることではありましたが、ぼんやりしたものでした。
>もしも今、自分が地上を去ることになれば、死後の自分はどういう道筋を辿るのだろうか、心を巡らせて見てください。
地上を去ってから行う心の作業を今の時期に済ませていただきたい、少しでも自分なりの思いを薄くして、心新たに再出発するための振り返りです。
これまでを振り返り、労いのなかで、穏やかで静かな時間を感謝と共に過ごしていた私にとって、心新たに再出発、、えーなのでした、 魂は永遠ですから、学びは終わりがないことは頭ではわかっているはずなのに、です。
私たちが何のために、ここに集い、学び続けてきたのか、学んだ事を返してこその学びなんですね、 振り返りは、言葉に起こすには中々ですが、ここでは恥も外聞もなくさらせますので、有難いです、ほんのこの間まで、未だに自分なりの 姿が見えかくれして、愕然とします。 振り返りについては、又書きます。
今回の選挙を見ても、何処を見渡しても、この有り様では何が起きてもおかしくないと思ってしまいます。
昨日、夏休みにはいった長男家族が遊びに来ていました、お孫さんたちのパワーに圧倒されつつも、彼らが健やかに、笑って暮らせる社会を、と思わずにはいられません。
今日も光に向かって生きていきます
伝えられた、もたらされた事を総動員して、魂の意思として、風穴を開けることに邁進します。 |
23/07/2025(水) 10:40:46
No.42845 飯沼正晴 |
|
|
皆さんの参考になるかもしれないと思い、「自分が今、地上を去ることになれば」という今回の定例会のテーマについて書いてみます。
私は73歳なので、自分の地上人生がもうそれほど長くはないことは認識しています。 私は「人間は死ぬ時期が決まっているので、何をしてもしなくても死ぬ時がときがくれば死ぬし、その時期でなければ死なない」と思っています。 なので健康診断とかを受けたことがないので、もしかしたら死に至る病が秘かに進行しはじめている可能性もあるかもしれません。 いずれにしても2〜30年以内には必ず死ぬ年齢ですし、現役で働ける期間はもっと短いでしょう。
今回のテーマは、「自分が今、地上を去ることになれば」ということですが、事故や心臓発作などで予兆もなく死ぬのか、余命宣告などされてある程度自分の死期を知ることができる中で死を迎えるのかによっても、死の入り口は違うように思います。 今、突然死ぬことになれば、自分がやってきた畑のことなども含めていわゆる終活のようなことを全くしていないので、残された家族に負担をかけることを少し悔やむと思います。 まあ、そういうことは悔やんでも仕方ないことも分かるので、すぐにクリアできると思いますが。
それからはまず、家族や家族のように関わってきた人たちに対する感謝の気持ちが湧いてくると思います。 その感謝の思いは止めどなく湧いてくると思います。 それだけでももう十分に幸せな地上人生だったと思います。 さらにこの働きを始めてから出会った人生の親戚のような仲間たちにも、やはり感謝の思いが湧き続けると思います。
途中で袂を分かち、ずいぶんひどいことを吹聴された人たちもいます。 その時にはそういう人のウソや身勝手な言い分に腹を立てることもありましたが、そういうことの中で私は自分にもあった至らなさに気づかせてもらえたと思っています。 その意味では全てが向上進化の喜びの中でのありがたい出会いであったと思っています。 今でもそう思えているので、死んでからはさらに感謝の心が湧くと思います。
そして自分自身を振り返る作業に入るのでしょうが、やはりまずは自分自身の過ちや至らなさに心が向くでしょう。 でも、それらに関してもそれらを材料にして、そこからすでに学び取ってきたことも多く、そこに大きくこだわることはないかもしれません。 自分を情けなく思い、恥じ入るしかないようなたくさんの過ちや至らなさがあったから、その自覚を踏み台にして自分は向上進化することができたと思えるかもしれません。 ただ、申し訳なさは改めて重く感じると思いますが。
自分が担っていると思ってきた「働き」についても、それが本当にそうだったのか(自分が本当にそういう役割を担っていたのか)を明確に知らされるのでしょう。 まあ、もしも自分の勝手な思い込みであったとしても、自分の動機は純粋だったし、人として極めて真っ当なことを言ってきたと思うので、それも心を大きく陰らせることにはならないように思います。 たとえ雛型成就できないままに地上を離れても、反省点はたくさん思うでしょうが、心を陰らせてしまうことはならないないように思います。
地上を離れたら、今の自分が全く思い至らないような過ちや至らなさに気がつくのかもしれませんが、その時はその時で真摯に向き合うしかありません。 振り返ってみれば苦しいことや嫌なことも多々ありましたが、比較的健やかな地上人生であるような気がします。 今の時点での自己評価なので甘すぎるのかもしれませんが。
・自他の喜びを実現するために努力したかどうか?
ある時期からの私は(あくまでもある時期からの私ですが)、自他に喜びをもたらすことが自分の喜びになってきたと思います。 特に向上進化の喜びを軸にして人に関わってきたと思います。 自分では努力もしてきたつもりですが、今の時点でも努力の足りなさ・不十分さは認識できています。
私は地上的喜びに関しては無頓着な面があって、そこでは周囲の人に喜びをもたらそうとする努力も足りていないと思います。 自分が気づく範囲ではそうしてきたのでしょうが,無神経・無関心な面があるので喜びをもたらすどころか喜びではない思いにさせることも多々あったように思います。
向上進化の喜びをもたらすということについても、やはり努力が足りない面があると思うし、「人間というのは結局のところ、なるようにしかならない。最終的には本人次第」というどこか突き放した思いもあります。
そこではたくさんの反省点があると思うので、残りの地上人生でカバーできるように努力していきます。 でも、押しつけにならないようにしたいと思います。 そういうのって、自分でももうめんどくさいし(笑)
・愛に基づいて、出来事や人間関係に対処してきたかどうか?(愛は見返りを求めません)
これもある時期からはそうできつつあるように思います。 それ以前の私は「あるべき姿(正義)」を軸として、義憤・私憤にまみれていました。 今でもそういう面が残っていないわけではありませんが、「愛」というものの意味や「愛」というもののポジティブなエネルギーに思い至りつつあります。 「見返り」というものはあまり求めずにやってきたと思います。 それゆえに、「見返り」を求めている人の気持ちに気づかず、不愉快な思いや寂しい思いや物足りない思いにさせたことはあると思っています。 もちろんご厚意をいただけば心から感謝しているのですが、その感謝をあまり強く表現しない傾向があるように思います。
・他者・他の生命に喜びをもたらしてきたかどうか? 喜びをもたらそうとしてきたかどうか? (本来の喜びとは向上進化の喜びですが、楽しさや嬉しさも喜びに含まれます)
これに関してはけっこうできてきているように思います。 ちょっとイラついたり不機嫌になることもありますが、基本的にはOKかなと思います。 ただ、めんどくさくなって心を離す面もあるので、そこは「相手にとって何が本当の喜びになるのか」というラインで注意が必要だと思います。
・真実・本当のことを大事にしてきたかどうか? (自分の損得や自分なりの気持ちで事実・真実を歪めることがあるのなら、謝罪と共に事実・真実に立ち返る喜びに帰着してください)
これはどうでしょう? 私はどうでもいいと思うようなことは適当に言って(対処して)しまう面もありますが、大事なことに関しては真実や本当のことに基づいて思考・言動してきたと思います。 私は若い頃から事実・真実を大事にしてきたとは思います。 でも、「本当のこと」を地上でカタチ(明らかに)にするためにはある種の虚偽を用いることもありました。 それだけではなく、自分に都合よく物事を考えるという面がないわけではないでしょうから、自分ではそれなりにOKかなと思うのですが、もしかしたら大きな至らなさがあるかもしれません。
この項目以外でも、自分が死んでから自分の過ちや至らなさに気づかされることもあると思っています。 その時に指導霊さんから「あなたは本当は分かっていましたね。分かっていたのに、自分の損得や自分の気持ちに囚われて、そうしてこなかった自分・そうしつづけてしまった自分に向き合う時期が来たのですよ」と言われることのないように、この機会にもう一度自分を点検し直して、実際的にも改めるべきことは改めていこうと思います。
地上の自分は気づかないままの過ちや至らなさを持っていたら、死後にそこに気づかせてもらうことは比較的容易に喜びとして受け止め直すことができると思います。 気づきの喜びというものはありますから。
でも、本当は分かっているのに、自分の都合や気持ちを優先して、しなかったこと・してしまっていたことに向き合うことはやはり重く苦しいことだと思います。 だって、今回の地上人生はもう終わっていて、その意味では取り返しがつかないのですから、その後悔は重いものになるでしょう。
私があとどれくらいこの地上で生きるのかは分かりませんが、そういう重い後悔にうちひしがれることのないように、残された地上の日々を生きていきたいと思います。
みんな大好き、ありがとう! |
23/07/2025(水) 14:49:29
|
No.42846 飯沼正晴 |
|
|
今、O地に来ています。 ようやくジャガイモ掘りを終えました。 ジャガイモは梅雨明け直後に掘ることもあるので、まあぎりぎりセーフでしょうか。 ちょっと休憩して桜の畑で草刈りに行きます。 昨日はN地の黒枝豆の除草を済ませました。 株元からもけっこう草が伸びていたので、合計3日間・6時間ぐらいの手作業になりました。 黒枝豆さん、鹿の食害から回復してきています。
昨日はN地の作業を終えてから、桜の畑の畝と肩や谷の草が凄いので、種をつける前に耕運機で谷を上げなおそうとしたのですが、土がカチカチで耕運機がちゃんとかけられずちょっと大変でした。
土がけっこう乾燥しているので、明日か明後日には桜の畑にタンクに水を溜めておきますね。
定例会、なかなか重いテーマですが、皆さんよろしくお願いしますね! 当日指名されて、「考えてなかった」とのはナシですよ。 「私は全部OKだから、振り返る必要もない」という人は(1人だけこう言いそうな人がいるので)、なにがOKなのか具体的に挙げてくださいね。 振り返ることが本当にないのかどうかは、私からもいろいろと質問させてもらいます。
克から示されたせっかくの機会ですから、ちゃんとやりましょう! |
23/07/2025(水) 18:07:42
|
|