皆さま、おはようございます。
>無条件の感謝と祝福
どうやって喜びベースになればいいのかわからない。。
今日はこんなん、ってことで、、 仕事行ってきます!
あおやまさん、すっかり元気になってよかったです! |
26/08/2025(火) 08:31:34
| No.43050 飯沼正晴 |
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さきさん、お疲れさまです。
何とも言葉がありません。
しかし、それでも、宇宙を統べる法則は「さらなる喜びに向上進化していく喜び」です。 正直なところ、私には宇宙というスケールでのことは分かりませんが、この地上世界を含む地球霊界を統べる法則は「さらなる喜びに向上進化していく喜びである」と断言できます。
であれば、地上人生においてのいかなる苦難や怒りや絶望も、「さらなる喜びに向上進化していく喜び」に包含されているのです。
つまりいずれは、もたらされたこと全てに「無条件の感謝と祝福」という心を向けることになるのです。 死後もそうできなければ、「人として優しく、人として正しく」に沿って生きた人間であっても、幽界に堕ちていくことになるのでしょう。 陰りの感情を持ったままでは本来の霊界に戻ることができないのだから。
今の状況のなかで、さきさんが心を陰らせるのは当然でしょうし、私自身も珍しく感情の陰りが大きくなっている状態です。 生身の人間だからそれは仕方のないことだとは思いますが、いずれは自分の心の全てを、祝福と感謝の喜びベースに収斂&解放させていくことになるのです。
「指導霊は僕のオーラを見ています」と、彼が自分のウソや誤魔化しを補強するために引き合いに出された指導霊さんたちは、決して意識・心を陰らせてはいないと思うのです。 もちろんそれで彼の責任が減免されるわけではないでしょうが。
私たち地上の人間は、すぐに指導霊さんたちや守護霊さんのような意識・心にはなれないとしても、その方々が今の状況で彼のことをどのように見ているのか?
そこに自分の意識・心を向けてみることも、自分自身の向上進化の喜びにつながるように思います。
せっかくここまで嫌な思いをさせてもらっているのだから、「今まで通り」の自分を大きく超えていく機会にしたいものだと思っています。 |
26/08/2025(火) 11:29:55
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| No.43051 さき |
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ぬまさん、ありがとうございます。
すみません。皆さまに励まし応援してもらいながら、泣きごとを言ってるなと思いながら帰ってきました。 エネルギー送っていただいてありがとうございます! おかげさまで、このエネルギー場にしっかりつながっています。 そこはだいじょうぶ。 ちょっと疲れてるけど、かげりにはまり込んでいくことにはならないです。
>地上人生においてのいかなる苦難や怒りや絶望も、「さらなる喜びに向上進化していく喜び」に包含されている<
そういうことですね。
>そこに自分の意識・心を向けてみることも、自分自身の向上進化の喜びにつながるように思います。< 慈しみ、、って思ったらこみ上げました。 地上の私たちはいつもそういうエネルギーを注いでもらっているんだと感じました。 それなのにね、、なにやってるんでしょうね。
ぬまさんの書かれたことを反芻しています。 |
26/08/2025(火) 14:24:26
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| No.43052 飯沼正晴 |
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>ちょっと疲れてるけど、かげりにはまり込んでいくことにはならないです。<
はい。 陰りに埋没するのはマズいけど、陰りの気持ちを吐き出せばいいと思いますよ。 この状況で、陰りの思いを吐き出さないで溜め込んでいけば、病気になってしまいます。
その一方で、私たちは今、自分としての感情・自分なりの感情を軸にして生きる「半獣・半人」の段階を卒業して、人としての意識・心に霊としての意識・心を併せ持った「半霊半人」の人間として生きていこうとしています。
そしてたくさんのことを学んでもきました。 今回の人生限定で考えれば到底受け入れられない仕打ちを受け、到底受け入れられない出来事に巻き込まれることもあります。
でも、人それぞれに過去世のカルマがあって、カルマの埋め合わせやカルマの解消という今回の地上人生のシナリオに沿って、全てがもたらされているのだということも学びました。
カルマの内容はいろいろであっても、カルマとはかつての人生で地上に残してしまった陰りです。 それに基づいて、今生でも心を陰らせるようなことがもたらされるわけです。
到底受け入れがたいことをもたらす人は、私(自分)が陰りの感情を超えて、大きな喜びの心に成長し、その喜びの心を言動で表現できるように、敵役を演じてくれるありがたい共演者であるということです。 敵役を演じてくれているといっても、もちろんその人の陰りの感情や言動は、その人自身が背負うことになるのですが。
であれば、こちらが早く陰りを何らかの喜びに切り替える方が、その人にとっての喜びにもなるということでしょう。 その次第ではありますが。
いかにおぞましい物語が進行している舞台であっても、その目的は健やかなる喜びの舞台に変貌させるためであり、誰かが自分の陰りを喜びに切り替えるところから流れが変わっていくのです。 お互いに相手にそれを求めていてもどうにもならないのですから、自分がやるしかないのだと思います。
さきさんの頑張りを目の当たりにして、自分を顧みている人は少なくないと思いますよ! |
26/08/2025(火) 15:13:10
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| No.43053 さき |
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26/08/2025(火) 17:48:39
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