おはようございます。 定例会の書き込み 楽しみに読ませていただいています。
今、思うとお父さんと旅行に行ったのは 私の事を好きになってもらいたかったからだと 思います。 もちろん、お父さんに喜んで欲しい気持ちは ありました。 あっ、これは飯沼さんにも指摘されてましたね(笑) でも、あの時は自分の底の気持ちに気づけなかったです。
私がお父さんとのことを、ここまで出来たことは 悠々塾と出会ったからであって、 皆さんのおかげです。 本当にありがとうございます。
やすこちゃんもきんもくせいさんも ありがとう。
今日も皆さんと繋がっていますので〜〜
私は違和感を持った人に対しては そうなるしかなかった…と言う気持ちがあります。 私はその場を変える、そのことに全力したいと 思います。 |
29/01/2024(月) 09:11:59
No.39314 のものも |
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ああ、全く知らない会社の人から 私の今勤めているビルの人です
ストーカーみたいで申し訳ないのですが 赤羽にお住まいですよねって 声かけられました めっちゃ世間は狭い!! |
29/01/2024(月) 09:31:12
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No.39316 エーチャン |
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ヌマさん、皆さん、定例会、ありがとうございました。
前回の参加は去年の7月でしたので、ほぼ半年ぶりの参加となります。そのせいか、緊張感もあって(それだけではないと思いますが)、もう一つ自分を開放できていないともあったのですが、昨日になって、自分を本当に解放できる、その道筋があるというのが見えてきたと思います。これについては、あとのほうで触れるようにします。
二部では、めっぽう弱くなっておさけをあまり飲めなかったのですが、でもその分たくさん食べさせていただきました。みなさんの歌や一芸、本当に楽しめました!ありがとうございます。ただ、私は失敗してしまって(失敗の予感もあったのですが)、あきれられたと思います(あきれたのを通り越して、真剣に腹が立ったひともいた思います)、申し訳ありませんでした。次回は埋め合わせというか、沖縄のカチャーシーという踊りをします。へたくそではありますが、まあそれなりに踊れるとおもいます、そんなに難しいものではありませんので。
今年の抱負ということで、私は一部で自己完結に陥らないようにしたい、というようなことを言いましたが、もう一歩踏み出していきます。
まず、ガザのことです。昨日の夜9時からNHKで「NHKスペシャル 衝突の根源に何が〜記者が見たイスラエルとパレスチナ〜」という番組が放映されました。ご覧になられた方も多いのではと思いますが、改めて憤りとともに強い絶望感に襲われました。
ただ、そこで、定例会の時にもちょっと話しましたが、愛は時空を超えて 199(2021年9月受信していただいたものです、天地悠々では、第286 2021年9月ごうに掲載されています)を読み直して、改めて私たち一人ひとりにできることはあると思えてきました。3か所を引用します。
「>今までや今に引きずられることなく、一切の躊躇も疑念も外して、シンプルに理屈抜きに自他や全体の喜びをオーダーするのです。 意識が現実を造るのですから、そのオーダーから喜びの現実が造られていくラインもあるのです。 今までや今を基盤にして、その延長上に現実を造るのではなく、オーダーした自他や全体の喜びを原点にすれば、そこに至る道筋も半ば自動的に規定・整備されていくのです。<」
「ただ、オーダーが自分の利益や好都合や自分なりの思い・感情に偏っていれば、普遍のエネルギーにはつながらず、霊界からの援助もありません。 さらに、そこには利益や都合や思いが相反する人の自我エネルギーも作用するので、自分なりのオーダーはなかなか現実化しないことになります。 人間は自分が意識できないところで、きわめて多くの人とつながっているので、地上的自我による相反するオーダーや願望が相殺しあっているのです。
しかし、自分のオーダーが「自分を含めた皆の健やかなる喜び」であれば、他者や地上的道筋の影響を超えて、本当に現実化していくのです。 その喜びがたちまちにして皆や全体の喜びとして現実化するには、それなりの大きなエネルギー回路が活性化する必要がありますが、個人のレベルではほぼ間違いなく現実化していくでしょう。」
「他者や自分を含む皆。全体の喜びをオーダーしつづけていれば、自分や誰かの喜びが先に現実化する場合が多いにしても、エネルギー回路が大きく活性化するにつれて、皆や全体の喜びも現実化していきます。 もちろん「どれぐらいの期間続けていれば、皆の喜びが現実化するのか?」ということではありません。 エネルギーですから時間の制約を受けません。 どこまでそのエネルギー回路が大きく活性化しているかによるのです。 実に単純明快な法則であるのです。
そのエネルギーが一定以上の人数で共鳴すれば、さらに個人の喜びも皆の喜びも現実化しやすくなるのは言うまでもありません。」
以上が引用です。そして、本気でオーダーし続ければ、自分に何ができるかというのも自ずと見えてくると思います。逆に見えてこないということは本気でないということだと思います。そして、見えてくるものが、ちいさなもの、これくらいしかできない、というものであっても、それでも大きな意味を持つのではないかと思います。
そして、本気でその作業を続けていくことで、ほかならぬ私自身も解放されるのだということがわかりました。(それは受信のなかでも書かれていました)
ということで、オーダーします。
「ガザやスーダンをはじめとする世界の戦争、内戦が終結した! みんなしあわせになった」
のもちゃん、よかった、本当に良かった、うれしかったよね、本気で関わり続けてきたからこそだと思います。
私も元気をもらって、母との関わり、よくなってきてはいるのですが、さらに良くなるよう頑張っていきます。 |
29/01/2024(月) 11:25:45
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No.39317 飯沼正晴 |
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定例会メッセージを読んで、というよりも受信して、私は気が重くなってしまいました。
今年の抱負を一言で言えば、「喜びのエネルギーを高め、仲間たちと大きく共鳴して、風穴を開ける」ということに尽きると思います。 私個人は、もったいないぐらいの幸せ・喜びの中で幾つかの働きを担わさせていただいています。 しかし世界や日本の状態・状況を見ればどうなのか? ガザの人たちをはじめとして、「強いもの勝ち」の中で苦しんでいる人たちが増え続けている。 苦しみどころか、理不尽に虐殺されていく人たちや、食事も十分にとれないほどの貧困状態に置き去りにされている人たち・子供たちがこの日本にも大勢いる。 そしてその現状は、個人レベルの力ではどうにもならないほどに重い。 経済システムも軍事力も情報機関も、そのほとんど全てがほぼ完全に支配者層に掌握されていて、庶民は操作された情報を通じて世界の現状を見せられている。 「巧妙で強制的な人口削減」ということも、「陰謀論」として排除できないように感じる。
自分が喜べるところを見て喜ぶことはできても、今この時もガザで虐殺されている人たちや貧困にあえいでいる人たち・子どもたちの現状をどう喜べるというのか? 使い捨てのような人生を強いられた高齢者たちの今やこれからを、どう喜べばいいのか? 「喜びを観測する」ということはどういうことなのか? 「喜びに思えないことを喜びに変えていく」ということは個人レベルではそうだとしても、ガザで理不尽に殺戮されている人たちのことをどうすれば喜びに変えていけるのか? 天変地異そのものは仕方ないにしても、被災した人たちのことをどう喜べというのか?
本当に厳しく苦しい思いをしている人たちのことを直視しないで、自分が喜べるところだけを見て喜ぶことは「安易な我よし」であり、「お花畑症候群」でしかないと思う。
そういう思いが次々に湧いてきて、自分が定例会でどういう「今年の抱負」を語ればいいのか、分からなくなっていました。
定例会の日の朝もさきさんにそういう話をした時、さきさんが「霊的視点を含めて現実化するということじゃないの?」と言ってくれたことで、私の霊的意識が理性や感情に一気につながりました。 「地上人生が全てではない・地上での出来事が全てではない」ということは今までも知っていたし、何度も言ってきたことですが、そういう霊的意識が自分の理性や感情を含めて一気にリアリティをもったのです。
ガザであのような目にあわされている人たちも、世界や日本で苦しい現状を強いられている人たちも、「地上人類の霊性進化・地上界の浄化」というプロジェクトの中での役割を担っていて、私たちが(人間が)どうしていくのかを問いかけてくれている「仲間」なのだと。
非常に苦しい地上人生であっても、恐怖の中で残虐に殺戮されたとしても、それは地上人生でのことであって、霊的に見ればそれも「魂の喜び」であるのだ。 地上人生は極めて限定的なものであり、決して地上人生が全てではなく、地上での出来事が全てではない。
しかしもちろん、そういう霊的視点は地上人生や地上での出来事を軽んじるものではない。
今の自分にできる支援をさせてもらうことは、人として当然のことでしょう。 そしてそれだけではなく、非常に苦しい状況に置かれている人たちのことを思えば、今までや今の自分の痛みや苦しみは何ほどのものではなく、自分の苦しみや面白くなさへの囚われを解消しやすくなるでしょう。 もしも自分の親兄弟や子供や友人が今のガザにいたら、その人のことが気になって自分自身の痛みや苦しさに囚われている場合じゃないと思えるのではないか? (自分以外の人の痛みや苦しみを他人事としていれば、自分が体験しなければ分からないのであれば、自分にも人生の痛みや苦しみが計らわれるのだ。その究極が大破綻・総破壊ということだろう。そうはならなくても、地上を離れたあとで苦しく恥ずかしい思いの中で地上の自分を顧みることになるのだ)
地上における役割はさまざまであるが、すべては「地上人類の霊性進化・地上界の浄化」の大きなプロジェクトのなかにあって、行きつ戻りつであっても、逆行のなかにあってすら、私たちは「共生の喜びの地上界」に向かって進んでいる。 新しい地上界は、人間だけが共生の喜びに生きるのではなく、名もなき微生物たちも含めて全ての生命が共生の喜びの中で自由に豊かに生きていく世界だ。 そして「共生」とは、「喜び」をキーにして物質的にも心でもつながっていくこと。
私はそういう意識・認識をもって、「健やかなる喜びのエネルギーの共鳴によってこの地上界にエネルギー的な風穴を開け、奇跡のような喜びが当たり前に現実化していく場を形成すること」を今年の抱負とします。 |
29/01/2024(月) 11:27:57
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No.39318 さき |
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※すみません、個人名を書いてしまったので削除して入れ直します
のもちゃん、おはようー 昨日の書き込み私もうるうるしました お父さん大好きの気持ち、お父さんも何より嬉しいと思う お父さんとの幸せな時間をいっぱい過ごしてねー
ぬまさん、みなさん、おはようございます 定例会お疲れさまでした。ありがとうございました。 Bさんにも笑顔で会えて嬉しかったです。 みんなの顔みるだけで嬉しい いてくれてありがとうが膨らみます いのちの共生の喜びを取り戻す感じです
一部は確かにどんどん発言が続く感じではなくて、、それも今のうちららしいというか、、そこにとどまるわけじゃなくて、、それぞれが踏み出そうとしている、、自分の課題や宿題・カルマのなかで、そこに向き合って、越えようとしている その重さと闘ってるんだと思いました
それって重い でもその重さがわかる仲間がいるから向きあえる 自分の課題やカルマは自分で越えるしかない 孤独だけど、ひとりじゃない
定例会の前から緊張して胃に違和感があって、あかんたれの自分です。地上界に風穴をあけるとか、、地上的に全然力のない自分が何を大それたことを思ってるんやと、一方で思います。 自分の魂はかつてできなかった自分の課題をやりとげるために、この地上に生まれることを決めたんですよね。わかっててもその重さに負けそうになる自分がいます。やっぱり無理、できないんじゃないかと、すぐ不安がわきあがります。
けどそのたびに切り替えて 自身を喜びベースのエネルギー場にしていきますね ぐずぐすすみません
今年の抱負、また整理して投稿します 今日は頑張って悠々通信つくります!
オレンジさんのピアノ素敵でした かずやさん、くみさんのチャレンジも力をもらいました ミスターときんもくせいさんも息があってて、、笑いました! やすこさんもありがとうね 全部書けないけど、みなさんありがとう! 喜びのなかで喜びにむかって解放していきましょうねー みんな大好きです!
おばあちゃんのたくあんが美味しすぎて幸せでした! |
29/01/2024(月) 11:36:01
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No.39319 飯沼正晴 |
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今年の抱負、定例会に参加しなかった人も書き込んでくださいね。
話は変わりますが、バアサンが言うには、「沢庵は水が上がらなかった」とのことで、失敗だったそうです。 新品の杉樽に漬けたので、樽が水分を吸ってしまったのかもしれないとか。 私はそれでも美味しいと思いますが。 大根やニンジンや白菜やブロッコリーはもちろん、コロッケのジャガイモもうちの畑で採れたものです。 ジャガイモは9月に種芋を植えて12月に収穫した秋ジャガなので、まだ水分が多かったですね。
昨夜の夢ですが、もの凄く広い市場(店が立ち並ぶ道が縦横に幾つも伸びている市場)を誰かと一緒に歩いていました。 一緒に歩いている人の顔は出てきませんでしたが、仲間の誰かでした。 歩くにつれて、魚屋さんが多くなってきて、店に並ぶ魚の数も増えてきました。 途中からはほとんどが魚屋さんばかりになって、しかも各店にはタイやマグロやブリなどの高級魚が、丸ごと積み上げられているのです。 漁船から網を上げて、甲板で網の底を開けた時のように、魚がうずたかく山のように、店々の奥に積みあげられていました。 市場の人通りはまだそれほど多くなくて、私は「こんなたくさんの魚をいったい誰が買うのだろう? でも店の人が無駄になるような仕入れをするはずがないので、きっとこの膨大な数の魚が捌ける見通しがあるのだろうな」と思いながら歩いていました。 (エドガー・ケーシーによれば、魚は霊的賜物の意味だそうです)
またまた話は変わります。 二部でエーちゃんがネコのクイズを出した時、私は調子に乗って「猫が車にひかれて寝ころんだ」なんて言ってしまいました。 言ってしまってから、「嫌なことを言ったな」と思ったのですが、そのまま忘れてしまいました。
昨日、宿泊組の何人かの人が帰る時、私は先に勝手口から出て玄関の方に回りました。 どうやら玄関付近にご近所のネコ(うちの倉庫に棲みついている地域ネコのお友達です)がいたようで、私に驚いたのか、ものすごい勢いでうちの駐車場の方に走って逃げて、さらにそのまま道路を渡って、お迎いのブロック塀によじ登って逃げたのです。 普段は私の方に寄ってくるのですが、あの時は必死で逃げていきました。 その猫が大慌てで道路を渡ろうとしているのを見て、私は車が来るんじゃないかと思って、肝を冷やしました。 一瞬のことではありましたが、胃が縮む思いでした。
幸い、事なきを得たので、帰る人を送って、ネコのことも忘れていました。 ところが今朝の書き込みをしている時に、昨日のネコのことを思い出して、「二部で私が不用意なことを言ったことの埋め合わせ・現実化として、肝を冷やすことになったのだ」と分かったのです。
些細なことではありますが、言葉(のエネルギー)も現実を引き寄せるということを思い知らされた気がします。
悠々塾という場は、思念や言葉のエネルギーが現実化しやすくなっているのでしょうね。 皆さんも心してくださいよ。 くれぐれも喜びベースでいきましょう。 。。。。。。。。
今回の定例会、翌日も含めて嬉しいことがいっぱいあって、書きたいことがたくさんあります。 全部は書けないので、一つだけ書きますね。
定例会の前日も定例会の二部も、私はずいぶんお酒を飲んでいました。 二部ではあまり食べないで飲んで、寝る前にお腹が空いてカレーライスを食べたこともあって、翌朝は久しぶりに二日酔いでした。 Bさんが用事があって8時に帰ることになっていたので、7時半には目が覚めて起きようとしたのですが、二日酔いのしんどさで起き上がることができず、8時過ぎになってようやく下に降りていきました。
そんな感じで座っていたら、オレンジさんが「飯沼さんに訊きたいことがあるんですけど」と話しかけてきました。 少し話しているうちに、ふと気がつけば二日酔いがほぼ完全に解消していたのです。 オレンジさんが自然に発しているミストが降り注いで、埃がもうもうと立ちこめていた場の空気がきれいになったような感じでした。 頭の中に少しアルコールが残っているだけの感じで、あとは心身ともにウソのようにスッキリしていました。 ほんとに嬉し、びっくりでした!
オレンジさんはもともと真っすぐなエネルギーの持ち主で、そのパワーにも期待していたのですが、ある時期からは粒子・波動が精妙になってきて、本当の意味でさらにパワーアップしたのだと思います。
オレンジさんの変化・進化もまだまだ続くのでしょうし、今はまだ停滞している人たちも必ず進み始めると思っています。 そのエネルギーがさらに共鳴したら、ほんとに凄いことになりますよ! |
29/01/2024(月) 14:02:02
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No.39320 エーチャン |
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ヌマさん
猫の件ですが、元はといえば私が一芸としてあのようなクイズをしたからです。申し訳ありませんでした。
実は定例会前日の朝、グループラインにクイズのことを投稿してから、変なことが3つ起こって(花瓶の水をこぼしたり、ガラスのコップを割ったりといったことです)、何か意味があるのでは、クイズをやめるべきでは、また、クイズの方(どのようにすればおもしろくなるかといったこと)にエネルギーを使いすぎているのではと思ったのです。
今振り返ると、そういう中途半端な状態なのですからきっぱりクイズをやめて、カチャーシーを踊ればよかったです(これはそんなにむずかしくないし、それなりにではあったとしてもできたと思います)
自分がへたなことをして、笑われる、自分が恥をかくというだけならともかく、大きなことにならなかったとはいえ、ご迷惑をかけてしまいました。
ヌマさん、ごめんなさい、本当に申し訳ありませんでした。 |
29/01/2024(月) 19:52:57
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No.39321 祐造 |
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定例会、ありがとうございました。 第1部で「今年の抱負」として話した内容を要約して書かせていただきます。
僕は1月5日から蕁麻疹を患いました。 掲示板で飯沼さんが僕に向けて書かれたアドバイスを読んだ直後に発症したのでした。 言葉に浄化のエネルギーが流れていて、そこで排出のスイッチを入れてもらった感じです。 蕁麻疹は結構大変で、飯沼さんに遠隔ヒーリングをお願いしたほどでした。 おかげさまで4日間で症状は治まったのですが、不思議なことにそれ以降気持ちのイライラが無くなりました。 最近はクルマの運転をしているときなど、かなりイライラを爆発させることがしばしばだったのですが、それが全くなくなったのです。 我慢してるわけでも、切り替えようと努力しているわけでもないのですが、知らぬ間に自然と穏やかなのです。 エネルギーって不思議なものですね。 蕁麻疹による排出とエネルギーのおかげで、感覚の層の歪みが整った、ってことでしょうか。
きっかけとなった飯沼さんからのアドバイスとは、 〜〜〜「(こんなに頑張っているのに)自分にはできない」という設定を、 自分の意識の土俵を喜びベースに設定し直す〜〜〜 という内容のものでした。
自信のなさや、出来なかったことに意識が行きがちだったり、自己評価が低かったり…。 思い当たることはたくさんあります。 そこで、今年の抱負です。 これからは、意識のスケールを広げていきます。 日々の暮らしに楽しみを加えていきます。 自分の意識の土俵を喜びベースに設定し直します! イヤな時、しんどい時、思い通りにいかない時にこそ、「喜びベース」を忘れません。 そうして、誰かの役に立てるように、周りに幸せをもたらしていけるようにしていきます!
のものもさん、お父さんとの大事な時間、よかったですね! お二人がもっと幸せになりますように! |
29/01/2024(月) 21:15:31
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No.39322 みやっち |
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定例会ありがとうございました。
「今年の抱負」ですが定例会の一部でうまくお話し出来ませんでしたが言いたかったのは 幽界、暗黒界、闇の勢力等に思いを向けて喜びの中でエネルギーを送っていこうと思っているという事です。 ガザ地区の事や能登半島地震、航空機事故、政治不信、物価高、他にも掲示板で教えていただいている情報などで世の中のたくさんの人達が心を痛めていてとても精神的に傷ついていたり不安になったりしている人がたくさんいるように思います。 そういった人たちへの影響や世の中を動かしている支配者側の人たちの異常なまでの権力やお金への執着における影響、憑依など現世にどのように良くない影響を与えているかわかりませんが少しでも影響を薄くしてみんなが喜びの中で生きて、健やかに幸せになってほしいと願っています。
年明けの書き込みで「今年こそは物事に柔軟に〜〜」と書き込んだのですが飯沼さんから定例会の二部最後と翌日の話から「どうせ融通がきかないのだからまっすぐいけばいいのよ。変化球投げてもまがらないのだからストレートでいいのよ。」みたいなお話しをいただきました。 その時は昔から自分にはそれしか出来ないと思っていて、そうしてきたつもりでした。 でもよくよく考えると長い間学んでいるうちにエネルギーを送る時にたくさん思いを巡らせているな、いろいろとその人をイメージしているな、そしてそれが言葉で唱えるだけみたいになっているな、という事に気が付きました。 もう考えすぎずに頭で勝手にイメージせずに自分らしくストレートで「治れ!」や「大好き!」、「絶対大丈夫!」など一心にエネルギーを送っていこうと思います。 そして自分の殻をやぶり、かならず風穴をあけられるようにやっていきます!
のものもさんのお父さんとのお話し、ぽんたさんのお兄さんとのお話もとても嬉しく読ませていただいています。 自分の意識が変わればエネルギー場が変わり現実も変わるお話を聞かせていただいてたくさんお力をいただいています。 いつもありがとうございます! |
29/01/2024(月) 22:01:48
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