田頭 様 いつも社務日誌を楽しく拝見させていただいております。愚生と同年代の人間なのに大変な博識で、ただただ感服するのみです。 さて、毎日嫌なニュースが後を絶ちませんが、現在の荒廃した世の中で、どこかの政党のキャッチフレーズではありませんが、「日本を取り戻す」には、先ずは国民が本来の日本人の精神を取り戻す必要があると考えています。日本人の精神とは即ち、神や祖先を敬い、自然の恵みに感謝する心、つまり神道そのものであると考えます。日本が復活するためには、神道の復権(あえて復権という表現を用いましたが、別に国家神道に戻れと言っているのではありません)が不可欠です。愚生はしがないサラリーマンで、本職の神職の方から見ればド素人の神道マニアに過ぎないと思いますが、それでも職場の仲間には、ことある毎に神道にまつわる話をし、理解を深めて貰うよう努めています。中には「神道」というだけで敵視したがるS学会信者もいるのですが、そんな時には、我々が日頃何も意識していない習慣等も、元をただせば神道や、その原型とも言える民間信仰と繋がっていることを説明し、神道は単なる一宗教では無く民族的習俗であり、日本人の精神文化そのものである、それを否定するなら日本から出て行け、と少々過激な言い方をして(w)説き伏せています。「トイレの神様」がヒットした時には厠神や竈神について話をしましたし、10月には以前田頭様が書かれていた「神様はいなくなりません」の話も引用させていただき、かなり反響もありました。 しかし、フと疑問に思うこともあります。それは、日頃愚生が説明してきたことや、田頭様が社務日誌で書かれていたようなことは、本来もっと多くの日本人が知っておかねばならないことではないか、ということです。 前置きが長くなりましたが、ここからが本題です。 愚生が職場のみんなに確認したころ、檀家の寺の住職の名前はほとんどの人が知っていましたが、氏神様の神主の名前を知っている人は一人もいませんでした。氏神の意味さえ知らない人もいました。スピリチュアルブームだパワースポットだ、といって現実はこんなものです。本来、国教(あえてこう表現します)であるはずの神道が、市民から遠いものになってしまっています。しかし、神社本庁や各都道府県神社庁が、何か改善のための努力をしているようにも見えません(神道は布教をしないと言われればそれまでですが)。なぜこんなことを書くかと言うと、今、神道は一つの岐路にさしかかっていると思うからです。愚生の住む市内でも、だんじりの引き手がいない為に祭りを縮小せざるを得ない神社が増えています。少子化もあるでしょうが、単に「参加するのが面倒くさい」という人も少なくないと思います。また、神職もおらず氏子もほぼ崩壊し、社殿が朽ちていくままの神社も、いたるところに存在します。更に、最も衝撃的だったのが、3年前の北海道砂川市の空知太神社の判決です。神社が官有地を無償で借り受けているのは政教分離に反する、という最高裁判決が出ました。詳しく調べた訳では有りませんが、同じような状態の神社は、日本中いたる所に有るのではないでしょうか。また、これを厳密に適用すると、道端にある日本中の稲荷祠や道祖神等はどうなるのでしょうか?多くの国民がもっと神道に興味、関心を持ち理解をしていれば、あの判決も違ったものになっていたのでは、という思いがあります。しかし、その興味、関心をもってもらえるような活動を神社本庁がしているようには見えません。 例えば仏教では、毎月決まった日に住職の法話を聞いたり座禅を体験したりできる寺が多くあります。本気で仏教を勉強したい者には、通信教育や通信講座もあります。また、宗派にもよりますが在家のまま僧籍を取得することも可能ですし、サラリーマン生活で学んだ体験を生かしてもらおうと、退職者を僧侶にスカウトしている宗派もあります。 神道はどうでしょうか。田頭様が過去に何度か神職になる方法を書かれていますが、國學院か皇學館大学で神学を専攻していない者は、数少ない養成機関のどこかに入るしか無い。通信教育を実施しているのは1校のみで、それも応募要件を見ると事実上世襲以外は無理な条件が設定されています。 また、神職にならなくても、今の生活をより豊かにするために、自己啓発講座のような形で神道を学べる制度があっても良いと思います。 日本人のための日本固有の宗教だからこそ、多くの国民に開かれたものであって欲しいと思います。 大変冗長な文になってしまいました。現職の神職としてのご意見をお聞かせいただければ幸甚です。 |
No.317 2013/01/06(Sun) 01:08:15
|
こんにちは。返信が大変遅くなってしまい、申し訳ありません。 私はまだまだ若輩にて浅学非才の身であるのに、何だか過大にお褒め戴き、かえって恐縮しております。
天鳥船さんは、神道に対して深い理解と、篤い敬神の念を持っておられ、神社で奉仕する一神職として、大変有りがたく、また嬉しく思います。
私は、社家の出身ではなく、一般家庭出身の神職なので、神職になった当時は、私のように社家出身以外の神職がもっと増えてくれればいいなぁと思っていたのですが、正直なところ、今は少しその思いが変わってきています。 というのも、確かに一般出身で神職を志す人は、時には社家の人以上に信仰心や志が高い事もあるのですが、しかし残念な事に私が見てきた限りでは、意外と挫折してしまう人も少なくはないのです。 「自分は絶対に神主になる。どんな事があってもやり遂げる!」と熱い決意を表明して神職養成機関に入学しても、そこでの生活に耐えられず逃げ出してしまったり、無事に養成機関を卒業して神社に奉職しても、神社に馴染む事ができず退職してしまったりした人を、私は今まで何人も見てきました。
神職になりたいという熱意があった、東京在住の青年を、私の大先輩に当る東京の神職さんに紹介し、その神職さんが奉仕しているお宮で実習をして貰った事もあるのですが、ある日、彼は突然そのお宮から失踪してしまい、結果的にその神職さんに多大な迷惑をかけてしまった、という事もありました…。
実は、こういった事例は神社界に限った事ではなく、他の伝統宗教においても、同様の事例を聞きます。 一般の人は志が高いあまり、自分が目指すべき宗教者像を、極端に言えば、世間との関わりを絶って一人で山に篭り、滝に打たれたり、祝詞なりお経なりを唱えて、修行者として清貧な生活をおくる求道者のイメージとして抱いている事があり、その結果、一宗教法人として世俗の様々な事に関わっていかなければならない現実の神社や寺院に対して失望してしまう事もあるようです。
そういった事例が過去に多々あるため、神社界としては、外部から優秀な人材を招きたいという思いがあっても、それを積極的に推し進めようという所まではなかなかいかないのかなと私は推察しています。
ただ、天鳥船さんが仰るように、「神職にならなくても、今の生活をより豊かにするために、自己啓発講座のような形で神道を学べる制度」というのは、確かにあっても良いと思います。 講座ではありませんが、昨年から始まった「神社検定」も、そういった方向性の一環で誕生した検定試験だと思います。
また、スピリチュアルブームの影響で、最近は神道関係の書籍が多数出版されるようになり、大型書店に行くと神道書のコーナーがつくられている事もありますが、神道関係の本というのは、概ね初心者向けの本と上級者向けの専門書に二分される傾向にあり、その間のレベル、つまり中級者向けの本というのが、意外と少なく感じられます。 今後は、中級者向けの本が増える事も必要な事ではないかなと個人的には思っています。 |
No.318 2013/01/21(Mon) 16:00:32
|
|