私の父は高校の教師で、縁も所縁もない北国で一生を終えた。 勤めた高校では、担任のクラスを持たず、進学希望の指導をしていた。 昭和30年前後は未だ国全体が貧しく、どんなに優秀でも、おいそれと地方から 東京や京都、仙台の大学に行けない、そんな時代だった。 荷物を送るのもチッキ(!)、移った先では米穀手帳(!)が必要な時代でもあった。
その頃の学生アルバイトは、主に家庭教師だったと思う。 それでも暮らせない時は・・・・・・最悪の時は「売血」だった様だ。
或る日東京の一流大学に入った教え子から、父に手紙が来た。 苦学しながら金が尽き、初めて血を売ったと。 その帰り御茶ノ水の橋の処で貧血になり、「しばらく橋の上から川面を眺めていました・・」 それを読んだ父は、しょっぱい顔をしていた。
今の「演歌」と違い、一昔前の「流行歌」には、言葉の「感性」或いは「美学」があった。 三橋美智也の【星屑の町】や仲宗根美樹の【川は流れる】などは、充分に「文学」たり得ると、 私は思っている。 〈病(わくら)葉を 今日も浮かべて 街の谷 川は流れる〉は、 父の教え子の手紙と同じ、御茶ノ水の橋から眺めた川の情景を歌ったものらしい。
父が亡くなって、手紙をくれた人のその後は判らない。 〈やさしかった 夢にはぐれず〉(星屑の町)・・・・ 生き抜いただろうか、それとも 〈ささやかな 望み破れて〉(川は流れる)・・・・しまっただろうか。
そう言うお前はって?それがその・・・〈のぞみも夢も はかなく消えて〉(落葉しぐれ)・・ 枯れ葉や落ち葉が1万円札、否せめて千円札だったらと思う、今日この頃・・・・
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No.167 - 2007/11/07(Wed) 22:29:55 [p2058-ipbf316fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp]
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