「散るのを忘れた花びらみたいな あたし」はピーター(夜と朝の間に)だが、 コスモスが散るのを忘れて、花は大分小さいが、未だ咲いているのを見かける。
私の母は京都の方と文通していて、その方からコスモスの種子を送って戴いて、 窓辺に植えて愛でていた。「京都のコスモスよ」と。加齢と共に脚が弱り旅に 行けない母は、その花が咲き出すと、昔行った京都の何処其処を頭に浮かべて いたのかも知れない。母が縁談を紹介して母の近くに嫁いで来た○○子さんが 母の処に遊びに来た時、母がコスモスの謂れ因縁故事来歴?を話ししたらしい。
インテリの○○子さんは「あら、おば様、これ普通のコスモスじゃございませんの? 京都種と言う特別な何かありますの?」と言ったとか。悪気はなかったのだろうが、 母はイヤな感じがした様だ。その話を後から聞いて、私も正直イイ気持はしなかった。
高峰秀子さんは、結婚したばかりの頃、ご主人の松山善三氏から、好きな花は コスモスと言われてそうだ。そこからがおかしいのだが、もし先にご主人にしかも冬に 逝かれたら、棺に入れるコスモスを鼻の頭を赤くして探し回らなければ・・・・ と思ったと言う様なことを、エッセイに書いていた。 今だとハイテクだかバイオだかで、冬空の下を花屋から花屋を歩いて、コスモスを 探さなくてもイイのかもしれないが。
母にコスモスのことを言った○○子さんは、しかし母が亡くなった時、誠心誠意 私を支えてくれた。「葬儀の花は菊はヤだからね」と言う私のわがままを聞いて、 田舎の花屋では精一杯の、カラー(かいう)とアイリス(あやめ)で飾ってくれた。 それこそ棺の中に、彼女の心尽くしのその花を全部入れた。母は喜んだと思う。
今が盛りのダチュラ(エンジェル・トランペット)の好きな△△氏は、お元気なの だろうか?高橋治の小説に「別れてのちの恋歌」と言うのがある。 ダチュラが、全編印象的に出て来るステキな恋愛小説だったが。
散るのを忘れたコスモスを見て、何故だか急に○○子さんと△△氏を思い出した。
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No.189 - 2007/12/05(Wed) 19:17:51 [p2077-ipbf216fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp]
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