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つぶやき掲示板

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ジョン・ウェイン / 久留米無法松
 タラオ・バンガイさんの前回の<ウエハラ・ケン>に関する
投稿を読んだとき、自分の遠い少年時代のことを思い出した。
私の故郷は名前の通り、福岡県の久留米。別の地で生まれて
すぐ久留米に移り、小学校の四年生までいた。そこで私は本当の
父母に代わって、実父の長兄夫婦によって育てられた。
そこの父は実直な働き者だったが、毎日の晩酌とたまに
町まで出て見る映画が唯一の楽しみだった。その父親の
映画の趣味はなんと西部劇、それも当時のウェスタンものの
大スター、ジョン・ウェインが好きだった。父はよくこちらを
映画に一緒に連れて行ってくれたが、正直、西部劇よりは姉が
連れて行ってくれる松竹や東宝などの現代劇のほうが好きだった。父は映画を見ては私に「ジョン・ウェインみたいにつよか男になるとばい」と言っていたが、とうとう私は強い男にはならなかった。自分の映画に関する好みの傾向は一風変っていて、
主役よりも脇役の人のほうに目が行ったりしていた。当時は
東映の時代映画が大人気だったがスクリーンのスターた
ち、錦ちゃんや橋蔵よりも、悪役の山形勲がすきだったりする
変な子供だった(東千代の介は好きだったが)

 そしてそのことはずっと大人になるまで引きずっていて、
強い男のイメージの裕次郎や健さんといったヒーローの
イメージのスターたちはだれも好きになったことがない。

No.201 - 2008/01/24(Thu) 14:40:11 [61-24-15-45.rev.home.ne.jp]

ふり袖侠艶録 / タラオ・バンガイ
私は「洋画」が余り得意ではないので、ジョン・ウェインとジャン・ギャバン
の違いが判らなかったり・・・・
でも、キャサリンとオードリーのヘップパーンの違いは判りますけどね。
ジョン・ウェインって「リオ・ブラボー」に出てた?あれに出ていた
リッキー・ネルソンにHenryさんが、若かりし頃似ていたらしいですよ。

時代劇の主役より脇どちらかと言えば悪役に惹かれるのは、良く判ります。
高千穂ひずるや田代百合子のお姫様より、三浦光子、浦里はるみや
喜多川千鶴の、ちょい色っぽい悪女に胸がときめいたものでした、私しゃ。

特に浦里はるみのエロキューション、好きだったなぁ!
(「ふり袖侠艶録」では、美空さんをいじめる大奥の老女・岩藤を演じて
天下一品!だった。憎々しい仕種と声を思い出しますナァ)

浅利香津代さんのひとり芝居「足の裏の神様」の衣装担当に、
彼女の名前あったけど。浦里でなく、裏方になちゃったのかな?
(画像は「夕日と拳銃」もう一度見た〜〜イ!)

No.202 - 2008/01/25(Fri) 17:46:46 [i220-220-215-209.s02.a040.ap.plala.or.jp]
りんごの花 / タラオ・バンガイ
知人が津軽のりんごを送ってくれた。
子供の頃津軽の近くで育ったので、りんごは懐かしい。
デリシャスだとか紅玉、ゴールデン・デリシャスの品種の名を聞かなくなって久しい。
サッカリン(人口甘味料)に似た甘さの「印度」りんごの、バカバカしい味?を
時折思い出す。

20代の頃、母の住んでいたその町(故郷と言う意識は私にはない)に帰った際、
当時秘かに憧れていた女人とH市まで買い物に行った。丁度りんごの開花期だった。
バスの中からりんご園の風景を見ていたその人が、「りんごの花って、ほら佳い詩が
あるわねェ」と話かけた。「はぁ〜?ひばりの<りんご追分>かァ?」と私は答えた。
○○子さんの顔に一瞬軽い失望の影が過ぎった。「ううん、そうじゃなくて伊藤整の・・・・」と
○○子さん。更に追い討ちを掛ける私「イトウセイって<チャタレー夫人の恋人>かァ?」
・・・・ダメダコリャ!と思ったのか○○子さんは話を変えた。

最近急に気になって、古本の文庫で伊藤整詩集を買ってみたが、どうも「林檎園の6月」
と言うのが、それらしいのだが・・・・・・・少し恥ずかしく甘酸っぱい思い出である。

りんごと言えばもう一つ大島渚の「青春残酷物語」で、堕胎手術で寝ている恋人(桑野みゆき)
の横で、川津祐介扮する大学生が、りんごを長回しで丸々1個齧るシーンがあった。
青春の敗北感が伝わる名場面だった。確かシナリオのト書きには「青春を食いつくように」と
言った様なことが書いてあった、と思う。

No.199 - 2008/01/24(Thu) 00:46:33 [i125-201-182-91.s02.a040.ap.plala.or.jp]

Re: りんごの花 / 久留米無法松
伊藤整のその林檎の詩、こちらも知りませんでした。
名詩であっても大勢の人に知られずに埋もれていくことも
あるんでしょうね。ひばりさんの<りんご追分>、芸術的に
高尚かどうかはここではふれませんが、作られてから
今日まで大勢の人に愛されているというだけでも
素晴らしいと思いますが。僕も多分、伊藤整といわれたら
<チャタレー>というでしょうね。その時代時代だけに
受けいれられた小説というのも年月がたてば色あせるものですね。

林檎の詩では少女趣味かも知れませんが島崎藤村の<初恋>
が好きです。

No.200 - 2008/01/24(Thu) 11:39:39 [61-24-15-45.rev.home.ne.jp]
ウエハラ ケン! / タラオ・バンガイ
私の母は日本の三大美男子を「森雅之、上原謙、そして作家の丹羽文雄」と
いつも言っていた。

子供の頃良く言った言葉に「親ばか ちゃんりん 横丁の風来坊」と言うのがあった。
私の父母も世間並みの「横丁の風来坊」だったが、母はその上に「猫ばか・・・・・・・」
で、子供の頃飼っていた猫を、あろうことか愚母選定?の三大美男子のお一人
上原謙様に似ていると、自慢していた。昭和○○年の私の誕生日に、写真館で
「ウエハラ」様と撮った写真が、添付のものである。
彼は性格の優しい真にいいコだった。ある時、外で喧嘩して片目が潰れて帰って来た。
母は、母の兄が医者だったので、ペニシリンを貰って来て「ウエハラ」様に打った。
翌日、眼球が落ち一命を取り留めた。その後、片目はいつもぽっかり開いたままだった。
(当時、私の住んでいた田舎に獣医は1軒あったが、農耕用の馬牛が専門だった)

父が亡くなった後、気が付いたら「ウエハラ」様も居なくなっていた。黄泉路の旅を
父に付いて行ったものと思われる。母はまたもや「横丁の風来坊」よろしく
「名猫の誉れ」と、自慢していたが・・・・

現身の上原謙氏をお見かけしたのは、チエミさんの音楽葬の時である。
我々一般のファンは増上寺の会場の外に居たが、中の式次第が終わり、出席者が
帰られる時、車で来た方は足早に車の方に行かれたが、そうでない方々はクローク
に寄られて、預けてあったコートを着て帰られた。そんな中にデューク・エイセスの4人と、
上原夫妻(2度目の奥さんで後から離婚でもめた)が居らした。
皆さん、チエミさんの死を悼んで下さっているのが良く判る、お姿だった。
(余談だが、その後たくさん集まったファンも、会場の中に入れて貰え、献花が出来た。)

私の上原さんのお薦めは『朝の波紋』『あらくれ』共にデコさん主演の映画である。
『朝の波紋』は当時の三大美男子、池部良、岡田英次、上原謙競演で、『あらくれ』には
森さんも出ているが、お二人とも普段とは違う役柄で面白い。

上原さんには我が家の猫のこと?や、チエミさんのお葬式のことも含め、今日まで勝手に
親しみを感じている。

No.196 - 2008/01/13(Sun) 00:28:04 [i219-165-224-81.s02.a040.ap.plala.or.jp]

Re: ウエハラ ケン! / 久留米無法松
 上原謙さん、よく皆さんが、「美男子だけど、大根役者よね」とおっしゃいますが、僕はそれほどひどいとは思わないんです。ああいう風に華がある役者が演技ばかり上手すぎたら興ざめになってしまうような気がします。それからちょっとインテリ系の映画女性ファン、圧倒的に森雅之さんがお好きですね。そうかなあ・・こちらが女性だったら、あの人からはすぐ捨てられてしまいそうで・・・敬遠しますが。岡田英次さん、フランスで人気があったんでしょう。それにしても当時大絶賛だった映画「砂の女」今見ると、笑ってしまいませんか・・・岡田さん、三人の中で唯一ひばりさんと共演したことがある人ですよね。

僕にとって黒白の猫、永遠の憧れの対象です。可愛いですね。こちら、実は22歳まで完璧な犬派だったのですが、その後に出あった猫の魅力に取り付かれ、今は大の猫派です。(今は飼えないのですが)

No.197 - 2008/01/15(Tue) 11:04:14 [61-24-15-45.rev.home.ne.jp]

Re: 岡田・小五郎 / タラオ・バンガイ
美男子は外見と落差のある役の時、面白い味発揮しますよね、上原さんは成瀬の『晩菊』の、
金を借りに来る男なんか良かったかったですねェ。森雅之さんも「おとうと」(市川崑)の
父親役なんか絶品でした。森さんの隠し子って「愛のコリーダ」の、吉っあんの正妻役の
人でなかったっけ?早逝した方でしたが。

岡田さんがフランスで人気があるのは、「24時間の情事」に出演したからでしょうか?
「ここに泉あり」(今井正)も今見ると、正直私は笑うと言うか、照れてしまいますねぇ。
岡田さんの珍品?は、東映の「少年探偵団」で明智小五郎を演じているもの。
LDで持っています。今晩見てみよう〜〜っと!

No.198 - 2008/01/15(Tue) 21:55:31 [i125-201-181-42.s02.a040.ap.plala.or.jp]
マイク眞木さん / タラオ・バンガイ
先日、細木さんの番組にマイク眞木さんがゲストで出ていた。
何時もながらのアウト・ドア親父振りだった。彼は略々私と同じ年代で、
その昔はヴァイタリスを塗って、ドライヤーでキチンと7:3に分けた
髪型で、オックスフォード生地の白いB・Dシャツとデニムに身を包み、
カッコ良かった。

何故か私は、彼に横浜元町の匂いを感じた。
私は元町の舶来品!の多い高級スーパー「ユニオン」や、青山「ユアーズ」の
紙袋が欲しくて、安くて嵩張る「ポップコーン」や「ポテトチップス」を良く買った。
若さは安上がり?いや実際にお金はなかったが。

前にHenryさんが教えて下さった、マイクさんの「テネシー・ワルツ」を、
最近ある方のご好意で実際に聞くことが出来た。
♪チエミが歌うテネシー・ワルツ・・・・と、確かに歌詞にあり<歌う>は
<うとう>と全編なっている。しみじみと佳い「テネシー・ワルツ」だった。

処でHenryさんや無法松さん!輸入(舶来)デニムが浸透?し出した頃、
「CANTON(キャントン)」ってブランドのデニムありませんでした?
あれって今?

No.192 - 2007/12/23(Sun) 11:00:57 [i125-201-179-55.s02.a040.ap.plala.or.jp]

Re: マイク眞木さん / 久留米無法松

タラオバンガイさん、お帰りなさい。お待ちしておりました。
新しいメールアドレスは取得されましたか?
こちらの名前、<久留米無法松>に偽りはございません。
小学の4年生まで、久留米におりました。
そのときの各種の音楽との出会いが今の自分の原点であります。

しかし東京に来ましてから、やはり都会の仲間たちの影響もあったし、時代もそういう時代だったせいか、人並みにフォークやビートルズなどにも夢中になりました。そして中学3年のときにアメリカ人のペンフレンドから送ってもらったピーター、ポール、アンドマリーの一枚のシングル盤がきっかけとなって、PPMにのめりこんだりもしました。

アイビー・ファッション、もちろんあこがれはしましたが、お小遣いが入れば洋服よりも一枚でも多くレコードを買いましたかね。生まれたときから右足が曲がっていて、足の格好が悪いのでジーンズはあまり履きませんでした。

お尋ねのジーンズのブランド、こちらは知りませんでしたが、ウェブサイトがありました。以下の通りです。

http://www1.ttcn.ne.jp/webspace/Jeans/canton_outline.htm

No.193 - 2007/12/24(Mon) 13:00:55 [61-24-15-45.rev.home.ne.jp]

PPMそしてジョーン・パエズ / タラオ・バンガイ
無法松さん、可愛いクロちゃんとクリスマス・イヴを楽しみましたか?

PPMですか?あの頃ってフォーク全盛でしたよね。
PPMかどうか記憶にないのですが、「7つの水仙」「風に吹かれて」「500マイル」とか。
日劇で見た西郷輝彦のショーでも、彼「500マイル」歌ってましたね。

フォークの代表的な作品「花はどこに行ったの?」「天使のハンマー」は、アメリカから
雪村さんが持ち帰ったのではなかったでしょうか?それで「花は・・・」がヒットし出した頃、
事情は判りませんが藤田敏雄さんの訳がダメになって、日本語訳は「タカオカンベ」?
のものに統一されたのですよね。雪村さんのEP持っていましたが・・・・

そうそう無法松さんの書いたの読んで、アルバムひっくり返してみたら、当時の新聞記事
が出て来ました。
ジョーン・パエズの日本公演の際、司会者のTがパエズの反戦的発言を故意に伝えず、
例えば彼女の「ナガサキ、ヒロシマ・・・」を「この公演はTV中継されます・・」と訳したとか。
矢内原伊作氏が書いています。ベトナム反戦の象徴的人だったので,CIAから圧力が
掛かったとかも、当時取沙汰されましたね。
パエズは来日最初の記者会見で「私は歌手である前に人間であり、平和主義者である」と
語ったとも、そのコラムに書かれ、ついで「わが国の人気歌手は、歌手である前に何なの
だろうか。民衆は平和をもとめ、民衆の歌は反戦を歌う。平和を求めることが政治的だと
するなら、政治的でないフォークソングというものはありえまい。(中略)そしてわれわれは
歌うべき歌をもっていない。(原文ママ)」と結ばれている。最後の処に当時の私は、線を
引いている。森山良子さんを日本のジョーン・パエズと言う言い方に、声が似ているからと
言って「思想のない人にそう言い方は如何なものか?」と書いてある別の記事も記憶にある。
森山ファンに怒られるかもしれないけど、当時確かに読みました。

CANTONの話を吹っ飛ばして、青臭いこと書いてしまいましたね。

No.194 - 2007/12/25(Tue) 01:06:54 [i219-167-121-24.s02.a040.ap.plala.or.jp]
こんなんでましたけど / zuzu
http://www.ambafrance-jp.org/article.php3?id_article=2193

いつまで経っても60年代の写真つかいまわし。。。。

No.190 - 2007/12/21(Fri) 17:08:24 [s189052.ppp.asahi-net.or.jp]

Re: こんなんでましたけど / でぶり
ほぉ、来日するのね。
前回の東京公演で手応えがあったんでしょうね。

やはり、最新アルバムを聴いて、最近のシルヴィの歌声を聴かねばいかんね、こりゃ。

まだ買ってないんだけど。。。

No.191 - 2007/12/22(Sat) 20:43:05 [softbank221042115103.bbtec.net]
コスモスとダチュラ / タラオ・バンガイ
「散るのを忘れた花びらみたいな あたし」はピーター(夜と朝の間に)だが、
コスモスが散るのを忘れて、花は大分小さいが、未だ咲いているのを見かける。

私の母は京都の方と文通していて、その方からコスモスの種子を送って戴いて、
窓辺に植えて愛でていた。「京都のコスモスよ」と。加齢と共に脚が弱り旅に
行けない母は、その花が咲き出すと、昔行った京都の何処其処を頭に浮かべて
いたのかも知れない。母が縁談を紹介して母の近くに嫁いで来た○○子さんが
母の処に遊びに来た時、母がコスモスの謂れ因縁故事来歴?を話ししたらしい。

インテリの○○子さんは「あら、おば様、これ普通のコスモスじゃございませんの?
京都種と言う特別な何かありますの?」と言ったとか。悪気はなかったのだろうが、
母はイヤな感じがした様だ。その話を後から聞いて、私も正直イイ気持はしなかった。

高峰秀子さんは、結婚したばかりの頃、ご主人の松山善三氏から、好きな花は
コスモスと言われてそうだ。そこからがおかしいのだが、もし先にご主人にしかも冬に
逝かれたら、棺に入れるコスモスを鼻の頭を赤くして探し回らなければ・・・・
と思ったと言う様なことを、エッセイに書いていた。
今だとハイテクだかバイオだかで、冬空の下を花屋から花屋を歩いて、コスモスを
探さなくてもイイのかもしれないが。

母にコスモスのことを言った○○子さんは、しかし母が亡くなった時、誠心誠意
私を支えてくれた。「葬儀の花は菊はヤだからね」と言う私のわがままを聞いて、
田舎の花屋では精一杯の、カラー(かいう)とアイリス(あやめ)で飾ってくれた。
それこそ棺の中に、彼女の心尽くしのその花を全部入れた。母は喜んだと思う。

今が盛りのダチュラ(エンジェル・トランペット)の好きな△△氏は、お元気なの
だろうか?高橋治の小説に「別れてのちの恋歌」と言うのがある。
ダチュラが、全編印象的に出て来るステキな恋愛小説だったが。

散るのを忘れたコスモスを見て、何故だか急に○○子さんと△△氏を思い出した。

No.189 - 2007/12/05(Wed) 19:17:51 [p2077-ipbf216fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp]
歌う?空中階段 / タラオ・バンガイ
映画の「サザエさん」のスチールで、私は珍しい1枚を持っていた(現在行方不明)。
それは銀座松屋の前で、チエミ・サザエさんとワカメ&カツオの3人が立っているもので、
何が珍しいかと言えば、松屋の建物の外側に懸垂幕(ふんどし、とも)が下がっていて、
「銀座に空中階段出現」と書いてあるのだ。

空中階段とは何ぞや?それは多分エスカレーターのことだろう。
当時、エスカレーターをすべて空中階段と言ったのか?と思ったが、東京育ちの
元・坊ちゃんに依れば、それは松屋の構造上から出た表現だろうとのことだった。

銀座松屋は建物の中央部に吹き抜けがズドンとあり、その脇にエスカレーターを設置
したので、エスカレーターで登ると吹き抜けを横にして、あたかも空中を昇っている
様な感じに思えるからとか。

銀座松屋だけの限定表現かどうかは別として、「空中階段」と言う表現はおしゃれだと思う。
高層ビルジングを「摩天楼」と言うのに匹敵する。
野村芳太郎の映画に「踊る摩天楼」と言う和風ミュージカルがあったが、「歌う空中階段」
があっても良かった気がする。

(画像は松屋ならぬ銀座松坂屋屋上。和光の時計や今はない森永の広告塔が見える。
成瀬「秋立ちぬ」の1シーン。当時、デパートの屋上にはこう言った遊戯施設があったよね)

No.188 - 2007/12/03(Mon) 17:26:38 [p1213-ipbf205fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp]
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