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記事No.1138に関するスレッドです

(No Subject) / ubik0101
続・思考の機能

>どちらにしても、人が迷ってるのです。思考が迷ってるわけでも、迷わせてるわけでもありません。思考は自ら矛盾にも、自らの範疇にないことにも、気がつくことだってできるのです。 思考は巧妙に人を騙す、というより、人の巧妙な迷いのあり方を理解できる。とも言えます。

と、いう投稿No.1101からの続きです。

たとえば。慈しみと憎しみは、おなじこと。善と悪は。暴力と非暴力は。おなじこと。と、いう思考があります。それは自我の機能としての、思考の運動なので、そのような対になった思考は、その自我の範疇にあることだ。ということです。

そこで、問題は、そういう思考だ、と見なされることがあります。しかし違います。また、思考は過去のものだから、思考は事実、現実、ではないと、見なされることがあります。しかし違います。

それは。なにかの状態、たとえば自我が機能してる人があり、また過去に捕らわれた人があり、そのようであることを、『たまたま』表してるのが、たとえばそのような思考です。

というのも、対になった思考をしてないときでも、過去からの影響を自覚してないときでも、その人は捕らわれてるなら、そういう自我や、過去に捕らわれてる形態なのです。 そう思考をしてても、それに捕らわれてないなら、捕らわれてないのです。

それで、そういうことから自分は解放されてないのに、解放されてると思い込みたいなら・・・たとえば対になった思考に責任を負わせて、それが機能してないから・・・過去のことを思考せず、いまに、現実を生きてるから・・・それに縛られてない。などと、思わざるを得ないでしょう。

ところで今日は、hatoさんと一緒に、多摩センターに行きました。ちいさな植物園があって、ローズマリーを「お持ちください」。だったので、魚の香草焼きにと、貰って。新芽の部分は、赤玉土に、挿し木してみました。根がでたら、タイムなどと、ハーブの寄せ植えにしようと思っています。

続きます。

No.1134 - 2008/10/11(Sat) 20:18:34

Re: / ubik0101
また思考から逃げ続けなくてはならないでしょう。また。自我や欲望があれば、かならず知覚されると思わざるを得ないでしょう。

つまり。たとえば自我を自覚しなければ、自我はない、と思わざるを得ないでしょう。けれど。それは、自分に知覚できることしかない、できないことは、ないと見なす、そんな知覚依存症でもあります。

また、たとえば、慈しみと憎しみとは対になってるとしても。それと、悲しさと、喜びと、ありとあらゆることとの関係は、どうなってるでしょう。そういうことを思考せずに、ただ対として思考されやすい、関係だけを見ているのなら、それは明らかに執着の機能です。

それでは永遠に悩んでいられます。それが、そういう思考として現れているということです。 そのように思考は正確に機能します。

また。対になった思考は、おなじこと。と表明しても、それを対象にしてるのだから、その対象にしてる自分はそれから離れてると思い込むとしても。それに実は捕らわれてる人がいます。そんな思考をしなくても、それから解放される人がいます。

このように思考するということは、思考しないということは、それに捕らわれていても、解放されていても可能です。つまり、その人の状態には、無関係です。ゆえに思考は正確に機能します。

ところで。このアパートの近所には、ススキが生えています。秋の月。虫の声。そういえば子供の頃、しーん、という音を聞いたような思いがあります。多摩センターには、巨大なススキがありました。

No.1135 - 2008/10/11(Sat) 21:53:17

Re: / hato

上の大きなススキは、パンパスグラス、というそうです。
パンパスって、どこか南米だったか、お父さん、との意味があるそうですが、
この秋、散歩で二度見かけましたが、見事な様子に感激しました。

さて今日も、海日和。
休みのたびにちょっくら釣りに、なあんて、
今まで考えてもみませんでしたけど、
なかなか、お陰さまでこれもよい感じです。

その音。
やはり、ここでも。

ルンルンは、
秋を楽しむ、そんな近況です。

No.1136 - 2008/10/12(Sun) 23:57:13

Re: / peer
昔こんな言葉を、聞いたことがあります。

悟りとは、損をすることである。
迷いとは、得をすることである。

この、損と得をするのは、我(エゴ)。なのですね。
自我からみると、こういう世界です。
まぁ。我の住んでいる世界は、アベコベ世界ですから。
こうなるのでしょうね。

No.1137 - 2008/10/13(Mon) 08:11:46

Re: / ubik0101
ま。悟ってしまったら、それを確認する必要がないので、悟りという概念、観念を失う、とも言えそうです。また、そんな自分の自覚も失う、とも言えそうです。達磨は武帝に向かって・・・廓然無聖(かくねんむしょう)・・・とくに聖なることなどない・・・と言ったと伝えられています。

ならば、悟りを得ようとするのは・・・おなじように地位や名誉や知識を得ようとするのは・・・迷いです。ということでしょう。しかーし。これは、迷ってないなら、悟りを得ようとしない、という無意識の空想に繋がります。

それで。悟りを得ようとしてなければ。たとえば自然に生きれば。知覚からの直接行動があれば。迷ってない、と。無意識も妄想します。しかし、そんなわけはありません。

けど。それは見かけは、迷ってない、悟ってる。に、そっくりです。でも、無意識を見たくないから、知覚できる感覚、思考だけに執着する傾向があります。そのようにして自我は、逃げこむ裏道があります。裏道があります(残響)。

ところでpeerさんは、とくに自我からも、悟りからも、見ないから。あべこべとも思う必要もないから。損も、得も無関係。て、いうことでしょうか。そういえば柿の季節です。えいっ。

No.1138 - 2008/10/13(Mon) 09:58:16

Re: / hato

ほんとーに。

損得、そんなん、無関係です。

人って。

多種多様です。

No.1139 - 2008/10/13(Mon) 12:58:15

Re: / peer
そういえば、同じこととして。

自分を1パーセントも守ろうとしなければ
完全に守られている。ンですね。
守ろうとすればするほど、守るのが難しい。
そんなことも、感じます。
ホントに、この社会はアベコベです。

No.1142 - 2008/10/14(Tue) 01:00:17

Re: / ubik0101
うーん。守ろうとしなければ、それが損なわれたとしても、無頓着、無関心だと思います。それでも生きてるなら、人生いたるところに青山あり、で、とくに問題ありません。と言っても、いつでも守られてる。というわけでは現実は、ないと思います。病気も、事故も起きるでしょう。それでも無問題なら、もともと守られる必要もないでしょう。

と、いうことは。たとえば。なにかを守ろうとしてる誰かや自分を批判して。なにも守ろうとしなければ・・・ということと、どこか無意識にでも隠れてる、自分は守られたい。ということが結びついて、思考された。つまり、いつでもどこでも守られたい自分の不安や欲望を見つけた。だけ、かもしれません。そのように巧妙に、思考は、その人の有り様を露わにするとも言えます。

また。「守ろうとしなければ、守られている」ということは。心理的な問題には、適応できるけど。身体的とか、物理的なことには適応できないのだ。ということかもしれません。なら、その思考が問題というより、そうする人の有り様を、思考が、巧妙に露わにしてる。そんな事態を思考すると面白い。のでは、ないでしょうか。

それはそれとして。何から、何を、守ってもらえると、想定してるのでしょう。 それで、誰も、何かからも、守られてないよ。でも、ちゃっんと生きてるし、守られてるんだ。なんて思考も出来るかもしれません。かもしれません(残響)。ところで。なんでも100円ショップで買った、なかなか素敵といえる、ソムリエナイフです。

No.1143 - 2008/10/14(Tue) 11:24:08

Re: / peer
「守ろうとしない」
例えていうと。
ウビさんが書いていたように
「自分にも誰にもウソをつかない」
というようなことかな、と思いマス。
インスピレーションのままに・・・みたいなことです。

自分を守ろうとしてウソをつく。
また、人を守ろうとしてウソをつく。
と、たいていは、この後、混乱しますね。

あと・・・そうねぇ。守ろうとしない〜は。
素直でいる。とか、ですねぇ。
それで、じっさい、困ることなんか、ないですし。

No.1148 - 2008/10/15(Wed) 13:59:40

Re: / hato
そうですね。
そんなところも、あるように思います。

そして、
ぴあさんは、ぴあさんのその有り様を
見ているでしょうか。

つねに、どこか煙に巻くような風合いは、
それもまた味わいとして、決してわるいものではないのだけれど。
そのまま、どこでも、どちらつかずのように。

どこかの位置に決定されることは、
たとえ一瞬であれ、
誰しも、躊躇があるかもしれませんが。

そうした人にとっては、勇気が必要だと思います。

散歩の途中で見つけた、石垣から生えている、
山椒の木です。

No.1149 - 2008/10/15(Wed) 22:01:26

Re: / peer
もちろん。私が私の関わっている世界から
湧き出た言葉を書いていますから。
私の有り様ですね。すべては。

>どこか煙に巻くような風合い
>どちらつかずのように。


というふうに、見える。というコトですね。
なんだかね。
たぶん確定していないから、位置がはっきりしない
のかも。
まるで、波になったり、粒になったりする光の要素が
それぞれの人間の中にある。からかもしれません。

って、なにを言われたのかわからないから。
そんなふうに、書いておきます〜

No.1151 - 2008/10/16(Thu) 06:59:25

Re: / hato
まず、自分の中でしっかりと確認、或いは、理解されていることを
明確に語ろうとすること、それがとても大切なことだと思います。
未熟であったとしても、中途半端な表現だとしても、
人が本心から、丁寧に生きた実質から出た言葉には、違和感がありません。
明確に語ろうとする意志と勇気、即ち、現状に即した有り様を語る、ことは、
素直といえるでしょう。嘘がない、といえるでしょう。

また、いわゆるなにか事実、例えば、「波と粒子」、とか、そうした様相を見た、それらが事実、であったとしても、、日常の様々なことを生き、見る、ということ自体に、無関係である、(ここはしかし、気を付けて表現されなければなりませんが、)こと。
ここでは、了解されることとして語られていると思いますが
そのこと、そのものは、正にそこ、でしか明白になりません。
なので、似たようなそうでないもの、が多く氾濫できるのだと思います。

今日は、実家に行ってごはんを食べてテレビを見て帰ってきました。
ubik0101さんは、食べ過ぎて、お腹いっぱい。
でも今は元気になったので、お茶を入れたところです。

それでは今日も、おつかれさまでした。

No.1152 - 2008/10/16(Thu) 23:59:32

Re: / peer
やあやあ。おつかれさまです。

>自分の中でしっかりと確認、或いは、理解されていることを
明確に語ろうとすること、それがとても大切なことだと思います。


つまりは、未熟と言えばいえますが。
「しっかりと確認している」とか「理解されている」ことが
ある人は、いいのですが。
書いてから、自分がなにを感じていたのかが、わかる。
ようなことが、あります。
だから、書くと言うことが大事なのだろうな。と思いマス。

・・・まったく。
いつも思いマス。私ごときは、毛の先ほども、モノゴトを
知らない。理解していない。。と。
まっ、すべてを理解したら、また書きに来ます〜
いつになるやら。ですが。

あっそうそう。
光の波と粒子の例えは。
過去・現在・未来を統合した現実が、波と例え。
粒子は、ただこの一瞬の現実。のこと。
だったと、書いてから気づきました。
では。

No.1153 - 2008/10/17(Fri) 00:18:31

Re: / hato

> 書いてから、自分がなにを感じていたのかが、わかる。
> ようなことが、あります。
> だから、書くと言うことが大事なのだろうな。と思いマス。


なんにしても、
常に、真剣さ、は鍵となると思います。
そしてここに関しては、借り物ではならない、のだと思います。
情報や言葉を集めてみても、
そんな気がしてしまうだけなら、悲しいことだと思います。

そして尚、
peerさんがしたいようになさること、
そしてわたしは、いまpeerさんにお話したいと思ったことを、表現しました。

それでよいのだと思います。

それでは、また。

No.1157 - 2008/10/19(Sun) 01:23:05

Re: / peer
>そしてここに関しては、借り物ではならない、のだと思います。
>情報や言葉を集めてみても、
>そんな気がしてしまうだけなら、悲しいことだと思います。


たぶん、私はhatoさんが、伝えたいことが、理解できない。
状態なのだと、思いマス。
なにを言っているのかな。とズット考えてましたが。
やはり、分かりません。

hatoさんの心が、ダイレクトに入って来ないのか、
わたしが受け取ろうとしないのか・・・
これも、また「気がする」だけですが。

こういうのを、ふだん、波長が合わない。というふうに
表現してしまうのですが。そこで、そのまま「まぁ、いいか」
と流して、他の関心事に、心が動いて行く。
そういうクセが、私にはある。ワケで。
その時がくれば、波長があうこともある。
「なるほど、あのことは、このことか」と。
なることも、あるだろうと、思いながら。
長くなりましたが、このへんで失礼。
ほんとうに〜では、また。

No.1158 - 2008/10/19(Sun) 10:06:12