続々・思考の機能
>このように思考するということは、思考しないということは、それに捕らわれていても、解放されていても可能です。つまり、その人の状態には、無関係です。ゆえに思考は正確に機能します。
と、いう投稿No.1135からの続きです。
たとえば。嘘をつかないということは、嘘をついてはいけないという信念、規範、観念があって、嘘をつかないのかもしれません。それは、いくらでも世間にある、たくさんの信念の一つを選択したのだとして、その人は、なぜそれを選択したのでしょう。 そういう性向が、その人に、選択する前にも、あったのかもしれません。つまり、自発的な、それかもしれません。
どちらにしても、まずは、その人が捕らわれた有り様があるだけです。その有り様でなく、起きてる思考だけに注目して。その信念、規範、観念・・・いわゆる軋轢、苦痛などを起こす心理的思考としてそれは現れるとしても・・・その思考は教育とか宣伝によってもたらされた過去のものだからと決めつけるとかして・・・その思考をなくすだけでは、またその思考がないだけでは、知覚できる表面だけを問題にしてるだけで、その囚われから解放されることは困難でしょう。 問題は、思考ではなく、その人の有り様です。
そうでなく、この表面だけを問題にしてる問題を避けるために、たとえば「思考とは思考者」だ。とかいう思考が必要になるかもしれません。ここは、その思考の発見者、また再発見者は、それなりの経緯においての、もっと深い了解があるはずです。しかし追従者は、その未熟な有り様において、どんな思考であっても受け入れるなら、その思考に支配され、思考ばかりを検討し観察し、苦労することになるでしょう。
ところで、今日は、鮭のムニエル、ペペロンチーノ、野菜のオニオンクリーム煮添え弁当です。これから洗濯して、ちょい散歩です。そのあと続きます。
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No.1159 - 2008/10/20(Mon) 09:49:36
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