続々々・思考の機能
たとえば。ある人が素直だとします。行動、発言、思考に矛盾がなく、嘘をつかないとします。そんな人が、自分を素直だと思考することは、奇妙なことでしょうか。素直な人は、そう思考しないでしょうか。
まず、素直であろうとするなら、そのあろうとすることは、その人が素直でないことを顕してるでしょう。それは素直を目的としてるために、いわゆる客観化、対象化、観念化してるのでしょう。そのようなら、素直、ということを思考したりすることで、その人の、まだ素直でない有り様が、その思考として現れることもあるでしょう。
たしかに素直な人は、そういうことについての思考をしないでも素直でしょう。素直だと思考する必要は満たされているので、思考する必要はないからです。そうなら、思考しても素直でしょう。
なにかを、思考する、しないことによって、その人の有り様が変わるのでは奇妙です。その人の有り様が、思考に現れ意味を与えられるだけではないでしょうか。
ここで一律に、たとえば素直ということを目標にして客観化、対象化、観念化してた思考の有り様をあてはめるならば。素直ということを思考するだけで、もう素直ではない、と思い違いする可能性があります。
それはまだ、その素直ではない位置に、その人がいるだけではないでしょうか。それを、その思考が顕してるだけではないでしょうか。それをなんとかしようとするならば。思考することを拒み、現実に現実逃避せざるを得ないのではないでしょうか。
続きます。
ところで今日は、銀鱈の煮付け、ブリの照り焼き、ゴボウの肉巻き、野菜添え弁当です。この頃なかなかレイアウトも上手になってきたと思います。
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No.1181 - 2008/10/31(Fri) 10:35:27
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