続々々々・思考の機能
ところで、たとえば偽善。嫉妬。傲慢。虚偽。愚鈍。迷妄。暴力・・・そのことは、とある行動、発言、思考に、名前をつけて、そう呼んでるのでしょうが・・・それを観察すること、あるいは、それを理解すること、それが自己を知ることでしょうか。そうではないと思います。
それは、もしも、たとえば偽善。嫉妬。傲慢。虚偽。愚鈍。迷妄。暴力・・・などを理解できたと思うにしても、偽善。嫉妬。傲慢。虚偽。愚鈍。迷妄。暴力・・・などの理解ではないでしょうか。それは自己の理解とは言えないのではないでしょうか。
ここで、たとえば偽善を理解した、としてみます。それから解放された、としてみます。では、嫉妬。傲慢。虚偽。愚鈍。迷妄。暴力・・また、幾多の名前の付けられない行動、発言、思考などは、偽善の理解で理解されるでしょうか。それからの解放なのでしょうか。 そうではないなら、永遠に迷い続けることができるのではないでしょうか。
続きます。
ゆうまずめ(魚が釣れる日没前の時間帯)の江ノ島の裏磯です。かなりの人が、寄せては返す波に足を洗われながら、釣りをしています。
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No.1187 - 2008/11/06(Thu) 12:05:26
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