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記事No.1380に関するスレッドです

自己2 / ルー
うびさんが「自己」と呼んでおられるものは、一般には「超自我」というものではありませんか?
「自己」というと、自分の管轄にあるものという感じがしますが、うびさんが言われるように、自分では意識できないもの、それについて自分は説明できないものであることなら、「超自我」の方が一般にはわかりやすいと思います。

かわいくない投稿で申し訳ありませんが。

No.1379 - 2009/02/12(Thu) 10:23:20

Re: 自己2 / ubik0101
はじめて聞いた言葉なので、超自我 、をネット検索してみたら、フロイドの心理学用語のようです。そのことではないです。

なんとなく言葉としては、自我を越えた、ということで、通じるような気がしたのですが。 一般的な意味での、超自我、はわかりませんでした。

ここでいう、自己、は。自我の完成。自我の死。なんと言うにしても、自我が、ない、その了解があって、はじめて感知できることです。

No.1380 - 2009/02/12(Thu) 13:55:07

Re: 自己2 / ルー
「超自我」というのは、フロイトの言葉でしたか。
フロイトや心理学用語という括りは、どうでもよくて、それが指す意味について話しているのですが。
「自我」も「自己」も「超自我」も、普通に用いられる言葉であると思いますが。
「超自我」の領域には、自我はないでしょう。
それは、うびさんが言っていることと一致すると思います。

No.1381 - 2009/02/12(Thu) 15:13:44

Re: 自己2 / ルー
一般に呼ばれている「自己」は、うびさんが呼んでいる「自己」というものとは違うと思います。
もっと、特別な言い方をした方がいいと思います。
「自我」も、うびさんが呼んでいる、完成したり死んだりするものは、自我の中の一部分のことだと思います。

生きている限り、自我は、なくならないと思うからです。
結婚したり、何かをしようとする意思は、自我の中のものが働いているからだと思います。

No.1382 - 2009/02/12(Thu) 15:24:56

Re: 自己2 / ルー
自我の中のある部分が完成すると、超自我の存在を感じることがある、というふうに私は解釈しました。

そうとう、悩み苦しんだ挙句の果てにやってくる境地というところです。

うびさんは、「自分とは何か」を知りたかったのでしょう。
私は、そんなに「自分」というものが対象になり得るほど、自分の輪郭がハッキリしていなくて、透明な存在だったのです。
ですから、「自分とは何かを知りたい」という欲求も生まれませんでした。
うびさんは、「自分」というものの存在をハッキリと感じていたのでしょう。
私は、自分以外の人のことの方をハッキリと存在として感じます。
うびさんは、人にはあまり興味がないのではないですか?

No.1383 - 2009/02/12(Thu) 15:32:58

Re: 自己2 / ubik0101
とくに 、自己、という言葉に。イメージはないです。それに、アートマンとか、真我とか、「犬にも仏性はありますか?」の仏性とか、そいうことを見出そうとしていたわけではありませんでした。知識もありませんでした。なので、それに一致した、という感覚もなく、自己、でない言葉で呼ぶのは、変な感じです。

>「自我」も、うびさんが呼んでいる、完成したり死んだりするものは、自我の中の一部分のことだと思います。

ありとあらゆる人の、ありとありえる自我ではなく、自分だけの自我の問題だけを解決すれば、それが、自我の、ない、ことの目的・・・自己を知る・・・こと、を達成します。ならば、あとは、自我があろうがなかろうが無問題です。

>生きている限り、自我は、なくならないと思うからです。
>結婚したり、何かをしようとする意思は、自我の中のものが働いているからだと思います。


ほかの人の感じたこと思ったことはわからないけど、自分の感じたこと思ったことはわかる。まあ自分のことしかわからない。自分が生きてる感覚。そんなことを。自我と呼ぶのでしょうか。でも、自我ってないんです。でも、おなじことが自我でありえる。それは追求すると面白いと思います。

>うびさんは、人にはあまり興味がないのではないですか?

うん。たぶん。 とてもいい人と言われたりもしましたが、たとえば先輩も、後輩も、社長も、下請けも、同列に対応するので。敬って欲しいとか、興味を持って欲しい人にとっては、傍若無人だったのでしょう。自尊心とか名誉とか自己顕示とか、そいう意味では、あんまり、自分にも興味がないです。それから。まず、たとえば、なぜ、これが、こうなのか?とか、自分の疑問を解決することが先決です。

「自分とはなにかを知りたい」、その衝動が原因で、自分が自分を意識する、自意識過剰になったりすることもあるのかもしれません。そうですね、ほかの人を空想して、そこから自分を見る、他意識過剰でした。また、それに反発して。ほかの人に、とくに気を遣ったりもできなかったのかもしれません。

そいえば、学生時代のことですが、「ほかの人の言うことはリアリティがあって、そうだと思うけど。自分の意見は実感がないよ。どうしてなんだろう」と級友に話して。いぶかしそうな表情をされたことがありました。自分を自分で感じることはできないので、それで自分は頼りなく,希薄に感じるのでしょう。それで、ほかの人は存在感があるのかもしれません。ほかの人と自分と、対等というか、おなじ重さがあることにするには、根性が必要だったと思います。

No.1384 - 2009/02/12(Thu) 23:10:58

Re: 自己2 / ルー
うびさんが真摯で素直であることがわかったよ。
さっきまで、ちょっと疑っていました。

No.1385 - 2009/02/13(Fri) 00:08:02

Re: 自己2 / ルー
> とくに 、自己、という言葉に。イメージはないです。

イメージのことではなくて、「自己」という言葉では、他の人と話す時に、正しく伝わらないということです。
それは、「自己」という言葉が、もうすでにあるからです。
もうすでにある「自己」という言葉の意味が、うびさんの言う「自己」という言葉が指すものが正しく伝わることを邪魔するでしょう。

うびさんの「自我」、うびさんの「自己」という、うびさんだけにあるもの、うびさんだけが実感しているものとして、自分の中だけで通じる言葉でよいのなら、何でもよいですか。

「自己には自我がない」というのは、普通に使う「自己」という意味とは違うと思います。
普通に使う「自己」という言葉は、「自我がない」ということを意味しません。

No.1386 - 2009/02/13(Fri) 10:15:31

Re: 自己2 / ubik0101
まあ、あとづけの説明なんですけど。たとえば、アートマンとか、真我とか、超自我とか、言うと。ぼんやりとかもしれませんが、イメージするのではないですか。それだと、それだけで、困ったちゃん、ではないでしょうか。それで、「イメージはないです」。なんです。

また、自分は、ほかの人が、たとえば宇宙意識とか、なんとか言うのを聞いて。その人が事実、そうであって、そうだと言ってるなら、それは了解です。

それに、一般的に日常で、僕、私、俺、と言われる意味での自己と、ここでいう自己。それは較べられないからといって、まったく違うのではない、です。ここは、まだ探っています。

No.1387 - 2009/02/13(Fri) 12:28:55

Re: 自己2 / ルー
> また、自分は、ほかの人が、たとえば宇宙意識とか、なんとか言うのを聞いて。その人が事実、そうであって、そうだと言ってるなら、それは了解です。

「宇宙意識」という言葉なら、宇宙意識なのでしょうから、それでいいと思います。
私が言っているのは、「自己」という言葉は、うびさんが「自己」と言うならそれで、うびさんにとっては「自己」なのでしょうけれど(それは、了解していますよ)、他の人と話す時に、自己という言葉では伝わりにくいのではないですか?ということです。
宇宙意識という言葉なら、他の人に話すにも伝わると思います。宇宙意識なのだな、ということが。

> それに、一般的に日常で、僕、私、俺、と言われる意味での自己と、ここでいう自己。それは較べられないからといって、まったく違うのではない、です。ここは、まだ探っています。

日常で使う「僕、私、俺」と言う時、自我があるのかどうかというところが問題です。
うびさんが「自我は、ない」と言っているのは、「うびさんには自我がない」と言っているのですか?
そうではないでしょう。
「自我というものは、もともとないのだ。自我が完成すれば、自我は死ぬ。」と言っているのは、誰にでもある自我のことについて言っているのでしょう。

うびさんが「自己」というなら「自己」なのでしょうが、「自己」という言葉では「自我がない」という重要なポイントが伝わらないのではないですか?というのが要点です。

No.1388 - 2009/02/13(Fri) 13:57:00

Re: 自己2 / ルー
ま、「俺の言う自己には自我がないんだ」と説明すれば済む話です。
それが、「自己」については意識できない、説明できない、ということになると、それこそ普通に使われる「自己」と混同してしまいます。

No.1389 - 2009/02/13(Fri) 14:05:29

Re: 自己2 / ルー
普通に使われる「自己」と「エーテル体」は、ずいぶん違うと思います。
「自己」と言う時は、意識が自分に向いているでしょう。
「エーテル体」と言う時は、意識とは関係がないものという気がします。

面倒をおかけするのも何ですので、あとは自分で考えますね。お邪魔しました。ま、た、ね〜

No.1390 - 2009/02/13(Fri) 14:11:07