| 「自我の中身をともなったもの」を自我というのか、「自分と他を分ける機能」だけを自我と呼ぶのか、という問題もあると思います。 うびさんは、「自分と他を分ける機能」のことを自我と呼んでいるのですか?その機能が働くには、中身があってはじめて分けることができるので、機能だけを取り出すのは難しいですが。
そして、また「自我がない」ということについてですが。 非我というのは、自我でないものという意味ですから、自我というものも自我として別に存在するということはあると思います。 「自我がない」というのは、「すべてが自分」であるということ、または、「すべてが自然」として存在しているということのような、「自分と他を区別していない」という意味ですか? そこで気になるのは、自分に対する愛着はないのか?ということです。
そして、必要なときには、自分と他を区別する機能を取り出してくることもできる、ということですか? すなわち、自我がない時と、必要なので自我がある時(自我の機能を使う時)とがあるということですか。
私は、「自我がない」のなら、必要なときにも出してくることはできない、と思っていました。 まず、自我がないなら、自我が必要になる場面もないだろうと思っていました。
あれですか、自我の機能はあるが、普段は気にしていない、ということですか。 それを「自我がない」というには、ちょっと違うように思うので、何か特別な状態なのだと思います。
面倒なら、返事しなくていいです。
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No.1413 - 2009/02/20(Fri) 10:34:47 |