| それは・・・peerさんは優しいんだなあって意味で・・・凄っ、です。まあ、性格が悪いので、その愛の相手がいなかったら、どうするんだろ、と思ったりしますが。そうですね、キーを打ってると『わたしに、かまって』とノンノンが指に齧りついてくるので、ノンノンが指に乗ったまま一緒に、キーを打てば大丈夫とか・・・そうだ、近くの林で見つけた山椒の苗をpeerさんが望むなら、貰って貰おう、とかが得意です。
それは、それとして。どんなことでもない愛は、感情や思考のようには、それを感じれば、ある。それを感じなければ、ない・・・あるものは知覚される、ないものは知覚されない・・・ってわけではないです。知覚する、しないことに依存しないんです、とか。
また、それは特定の人を対象にしてません、とか。 総てがそうなら、そうだと感じる必要も不要です、とか。それは能動的でも、受動的なことでもなく、ただ、そうです。とか。なんですが、どれも上手な説明ではないようです。
それにしても、なにかを知覚できることの不思議。そういえば昨日、青虫をくわえてた四十雀が、今日もまた雨が降る中、なにかを探して草が刈られてしまった斜面を歩いていました。こんもりと緑に繁った樹も、これは何でしょう?これは何でしょう?と訴えかけているようです。映像は、鷺草の鉢です。
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No.1768 - 2009/07/02(Thu) 15:54:05 |