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記事No.1786に関するスレッドです

(No Subject) / ubik0101
>自給自足生活なんて、ちょっと憧れます。

うん。そうしたいけど。この辺では、困難。なかなか仕事も見つかりません。でも、脳天気、です。まあ、たしかに、いま、には、なにかとの比較が起こりようがありません。そして、執着しない、ことにも執着できません。も忘れています。

でも、それは、とくに、いま、だから、じゃない、です。過去や未来を思っても、だからなに、もないです。そういえば図書館閲覧者さんが言ってた。「ほんとうは、いま、もないのだ」。という誰かの言葉を思い出しました。

まあ説明ですが、自分がない、ある、に拘ってる、 いま、とか、未知、自由とかだと、いわゆる心理的思考とか、過去とか、ありたい自分の姿とかを否定し続ける必要がありそうです。

そのようにして、どうしても、あるにしてもないにしても、その自分を空想の、いま、とか未知、自由とかの範囲に、狭い範囲に閉じこめて、執着して、安心したい傾向がありそうです。

そんなことも、自意識が問題というわけでもなく、あるもないも、なんでもありだから・・・たとえば減色混合の闇ではなく、加色混合・・・透明です。それにしても、こればかりですが、なぜ、これ、は、こう、なってるのか?です。

No.1786 - 2009/07/06(Mon) 17:05:38

Re: / hato

>自給自足生活なんて、ちょっと憧れます。

自給自足。
それは人の姿、と言えるかも知れません。

なぜ、これは、こう、なっているのか、、

はい。
ルンルンもスパゲティ、頂きました。

No.1787 - 2009/07/06(Mon) 22:46:24

Re: / peer
まっ。仕事のことは、考えていなかった・・・です。
どちらにしても、なにかしたくなる。
そのタイミングで、何かがやってくる。
そんな感じもありそうです。
創造主・・・でしょ。

スパゲティ。食べているのか遊んでいるのか。

No.1788 - 2009/07/06(Mon) 23:42:30

Re: / ubik0101
いえいえ。けど、ときどきは。ま〜〜かな太陽〜、燃え〜ている〜、果て〜ない南の大〜空に、とどろき〜わたる〜雄叫びは〜・・・正しい者に味方するっ、湘南の、怪傑ハリマオです。そういえば。 なぜ、これ、は、こう、なってるのか?は、リセット効果があることに気がつきました。

まあ、聞かれてもいないのですけど。人の変化ということは。絵を描く絵の具や印刷のインクのように、青、赤、黄、は混ぜると黒になっていく、ので、色づけを排して、地の紙の色を見てみよう、という自我の範疇の働きがあります。それが減色混合です。

それと、テレビやPCのモニターのように、光の赤、緑、青、は混ぜると白色・透明になる。自我を離れた働きがあります。それが加色混合です。これは、ないものは知覚されない、あるものは知覚されるといったことや、意識の範疇に限定されません。もちろん、あくまで、たとえ話です。

ルンルンもノンノンも、サラダとかは、囓って遊んでるのですが。パスタは、大好物です。ポテトチップとか、煎餅とかも人が食べてるのを見ると、すぐ飛んできて、眼を閉じて味覚に集中して食べます。そういえば煮魚の骨とかも、しゃぶります。

http://www.paostyle.tv/contents/editorial/3gensyoku.html

No.1789 - 2009/07/07(Tue) 15:41:58

Re: / hato

> まっ。仕事のことは、考えていなかった・・・です。

ハリマオね〜・・面接行くのでも、いつかここでご披露した、可愛い携帯ストラップ。意気揚々と腰に付けて行かれるのですわ。
まあ、おそらくは、なんというか〜、、

なんとかなるっちゃ〜、です。

どうでもよいがどうでもよくない、、、私は私である、と言うためには、まずは自分が自分と思う自分でもない、、さらに意味は意味に非ず、、の状態を理解し、、仕組みを理解し、、自我があろうがなかろうが、と言える、、その道すじ。経緯。そこで初めて自我の機能は、自分が正に自分である、ことを学ぶために役立つ、と言えるかも知れません。

光のスペクトラム。前の項で、ubik0101さんの多摩川の画像は、太陽光に反射して電車の色が、ちょうどそんなふうに見えていました。あずき色のロマンスカーでした。

No.1790 - 2009/07/07(Tue) 23:24:40

Re: / peer
補色の効果。というのも、すごいです。

補色を見ておいて、すぐにモノクロの写真を見ると
カラー写真に見えるんです。
現実に、そこにあるのは、モノクロなのに。
目は、勝手に、色づけします。
脳が騙される、、、というか。ない色を補う。
心理的にも、言えることのようです。

No.1791 - 2009/07/08(Wed) 11:59:36

Re: / ubik0101
そ、それは、凄っ。たとえば、赤と緑、黄と青、いろんな補色関係にある色を見て、もとのカラー写真を知ってる/知らない、モノクロ写真を見ると、どうなるのかとか、実験するのが楽しみです。

たしか前にも言ったかもしれませんが、補色を見る練習してると、たとえば白い紙に鉛筆で書いた黒い文字が、きらきらネオンのように輝いて見えます。そういえば、聞いた話ですが、モノクロネガを、カラー分解して印刷すると、微かな色合いのカラー写真に、仕上がるようです。

また、たとえば、ふつうに赤い色紙だけを見ていても、眼の奥というか脳には、それと補色関係にある透明に輝く緑が、自動的にできます。それがまた、人に、見える。どーなってるんでしょう。金とか銀にも補色があります。もしかして、世界が総て、たとえば赤ければ、色として見えるのでしょうか。

それにしても、なにかの判断をするってことは、総て誤るのだ。そして、偶然、一致するだけだ。そう思って、もうなにも判断しないぞ。と決めた超ゝ超古代の自分がいました。でもたとえば、文字を書いて、その人が眼が悪くなっても、文字が書けます。

そのようにして、好き嫌い、良い悪い、などの心理的な判断も、なにかの理解も、その人の奥に、その人の経緯から生じたことを作っているような気がします。

No.1792 - 2009/07/08(Wed) 15:56:59

Re: / hato

補色、色相はことに、世界の発生する仕組みを見ることができるように思います。

とくに無関係ですが、「教えて! watch 」の数学、物理学系、哲学などの回答者、cyototuさんを読むことがあります。わたしはとくに数学も物理学も知らないのです、が、仕事の関係上、覗いてみることがあります。自分にとって学問は、人を熟考させる、ということが要点に思われます。
科学で世界を知る、ことができるでしょうか。
そこに山がある、、として、それを山と見て、登ってみるのかも知れません。

不確実性、それこそ、世界が人を魅惑する所以かも知れません。

No.1793 - 2009/07/08(Wed) 23:33:32

Re: / peer
実験。ということで、思い出したことが〜

禅とか瞑想とかでアルファー波になってもらいまして
傍にいる人の脳波を見てみたら、その人もアルファー波に
なっていた。ということです。
脳波というか、そういう波動は、伝わるらしく。
ひとりが良い気分になる。それが周りの人に伝わって
みんなが良い気分になる。というのは、リアルに
あることなんですね。

だから、みんな、責任ありますね。
自分の気分が、周りを落とすこともでき、盛り上げる
こともできる。という意味では。

No.1794 - 2009/07/09(Thu) 00:50:29

Re: / ubik0101
たしかに、感情や思考は、空想とか投影ではなく、表情を読んでなくても、伝わることがあります。でも伝わらないほうが、ほかの人に影響されないで、都合がいいので、遮断することが習慣になってるって、こともあるようです。

アルファー波については、そいう測定もできる、ということに思えます。それが実際なら、アルファー波を放送すれば、世界は平和になるのかな?とか思います。が、なんか、ちょっと怖い感じです。

これは林で見つけた、犬山椒です。そっくりさんですが、山椒のような香りはありません。つまらないという意味で、なぜか、犬、とつけられているようです。でも、実は、咳止め薬になるそうです。

No.1795 - 2009/07/09(Thu) 14:15:52

Re: / ルー
そういえば、「犬死」という言葉もありますね。
今では、ペットの犬は人間同様(それ以上?)に扱われていたりしますが。
実家では、犬をきらしたことはありませんでした。
子供の頃、学校から帰って家に誰もいなかった時は、犬と私の何ともいえない密着した時間を過ごしたものでした。
犬は、吸収してくれるなぁ。

No.1796 - 2009/07/10(Fri) 08:49:51

Re: / ubik0101
そいえば。ハチという名前でしたが、母親の田舎で、おおきな秋田犬を飼っていました。少年のころの自分が乗ったリアカーを引いてくれる、強く優しい犬でした。

あるとき、年長の従兄弟が、ハチに、棒きれを見せて、それを崖下にある河の中に投げ込みました。するとハチは、かなり水面までの距離があるのに、まったく躊躇せず、河に飛び込み、泳いで、その棒きれに向かいました。

すると従兄弟は、ハチのことを、馬鹿だと、嘲笑いました。そうじゃないんだ。人の言動にしても、なんとでも判断、解釈できるでしょう。

でも、たとえば、人が素直だということ、真摯だということ・・・人のためにするとして、自分の中の人ではなく、ほんとに人のためにしようとすること・・・馬鹿馬鹿しくても自己満足じゃないということ・・・その日常。そうでなくては、ならないことがあった、と思います。

No.1797 - 2009/07/10(Fri) 12:23:47

Re: / ルー
うん。犬の信頼感?は、たしかにあります。
だんだんと、そういうものがどこにもなくなってきているとしたら恐いことです。
何もかもあっさりしてきて、子どもの学校でも、人のつながり方がずいぶん変わってきたなと思います。
今は、何でも携帯メールで話すのです。
友達が家に遊びにくる約束とかも、親同士、携帯メールで全部やりとりします。連絡網も。
まちがいがなくて便利なのですが、声というものがだんだん使われなくなっているみたいです。

No.1798 - 2009/07/10(Fri) 12:43:22

Re: / ubik0101
まあ、あれですよ。その時まで、自分が人の中に隠れて生きていた、ということには気がつきませんでした。あれやこれやの世の中に反抗すると言うより、無視して、生きてきました。ほかの人を空想して、そこから自分を判断することも捨て、ほかの人を判断することも捨て。東京にいて、無人の荒野にいました。根拠なく、理由なく、生きていました。

それでも、自己を見ない間は、やはり人の中に紛れて生きてた・・・夏になり秋になり冬になっても、この辺には鶯は、いる、のですが、春のようには、ほーほけきょ、とは鳴かないから、いる、と気がつかないように・・・そのことに気がつかなかったんです。 それは(昔の)濃い関係にあっても、(今の)薄い関係にあっても、おなじではないでしょうか。

ほとんど憶えてないのですが、 キルケゴールの言葉だったかと思いますが、単独者。ひとり神の前にある者。それも濃い関係にあっても、薄い関係にあっても、おなじではないでしょうか。そうして、初めて気がつくことがあります。

No.1799 - 2009/07/10(Fri) 14:39:09

Re: / ルー
ふむ。単独者さん。私も、単独者。
あー、あの犬。あの時はありがとうね〜!
名前は、シロとかジュリーとかでした。

No.1800 - 2009/07/10(Fri) 18:37:19

Re: / ルー
あ、コロもいました。
私は、封じ込めた記憶を、もう取り出しても平気。

No.1801 - 2009/07/10(Fri) 18:40:01

Re: / hato
皆そうです、誰だろうと。孤独でなく単独。
誰でも。単独でしかあり得ない。

世界がどのように、あろうが見えようが、人はそこに依ろうが依るまいが、そうでしかあり得ていないことに気付く。世界に働きかけても無理かも知れない、ことに気付く。それでも尚、皆そこを生きている、ことに一縷の絆を見出して、互いに励まし、慈しみ合うことができる、のかも知れません。

祖母の家には、エルという母や兄姉がとても可愛がっていた犬がいたそうです。雑種で、とてもよくわかっていて、死んだときは祖母の家の庭に埋めたそうです。

その後、犬のシロと、猫のミーコとが何代か続いて、今は誰も住んでいない祖母の家に、祖母と暮らしていたナナ、という猫がひとりいます。

No.1802 - 2009/07/10(Fri) 20:51:12