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記事No.1884に関するスレッドです

思考の機構 / ubik0101
なにかを考えます。それを、さまざまな状況などに適応してみます。そして、その思考を、その思考自身に、適応してみます。それで、考えたことに誤りはないか、不足はないか、整合性があるか、確認することは役に立ちます。

たとえば「絶対は、ない」と考えたら、それをさまざまな立場に適応してみます。そして、その思考を、その思考自身に適応します。「絶対は、ない」は「絶対は、ない」・・・では、これは成立しない、つまり矛盾のようです。間違いかもしれません。

それで、たとえば逆を考えてみます。「どんなことも相対的だ」。これに同じことを適応します。これも、言い得てないかもしれません。

なにかから抽象した思考というのは、その思考によって思考者の姿勢を現そうと意図するのかもしれません。けど。AをAと言ってるわけではないので、どこか整合性がないことが見つかるでしょう。思考することの機構を使うと、そこから学ぶことも多々あります。

これは、その人が、そのようであることを、そのようであると。真摯に、正確に。思考する、理解する、表現する。でなくては、困難かもしれません。 ずっと前、どこかに、こんな投稿をしたと思います。

続きます。

No.1866 - 2009/07/31(Fri) 10:18:45

Re: 思考の機構 / ubik0101
あそこの樹は、自分じゃない。それを見てる眼などの身体は、自分じゃない。感覚は、感情は、自分じゃない。意識は、自分じゃない。だんだん怖い考えになってきた。自分は、自分じゃない。

では、逆に。自分は、自分だ。じゃ、意識は、自分だ。じゃ、感情は、感覚は、自分だ。だんだん怖い考えになってきた。あそこの樹は、自分だ。

どっちでもあって、どっちでもない。どこでもあって、どこでもない。 それで意味を汲み取ることができないのでしょう。と、このような思考を忘れても、鳥は鳴きます。木々は揺れます。その世界。意味を汲み取る、取らないに関係なく、世界はそう機能してる。という感じがします。

No.1867 - 2009/07/31(Fri) 10:25:05

Re: 思考の機構 / のり
なるほど、
<白の蓮華、赤の蓮華、黄の蓮華。>それでいいんですね。
 “自分じゃないモノ”と“全部が自分”がゴチャゴチャになってます。
<それ自身はそれ自身を知覚・認識できない・・・それが理解されてないと、超えるのが困難な段差>
 この段差にハマッテます。個人的に未だ了解できてない(自我の機能ですね)。
 周りは知りたくない人ばかりですし。自分で了解するしかないんですね。でも自分はごまかせないし。。。。“超古代の日記”勉強します。
<意識は、自分が既に了解していることを、正確に学び、理解することができます。>
<それは、ただ、了解したことを、なんとか身体や意識に教えたい故に、のことかも知れません。>
<なぜその体験、全ては自分、に拘るのか?>
 多分アノ体験が、先ず全部が自分になりその瞬間自分もなくなり清らかな空間になった、と見ているんだと思います。それを追いかけているのかもしれません。なんだか意識が進化して全部になりその後全部に融合するのではないか、なんて思ってます。
自覚してないでも “全部が自分”が機能している、がしっくり来てます。了解する、感覚が未だピンとこないのです。
 そういえばhatoさんのHP、いいですね。素直さ、性格の良さがでていてとてもスンナリ入ってきます。
更新、楽しみにしてます。
 私は“はぐれ雲”、大好きです。

No.1871 - 2009/07/31(Fri) 17:14:00

Re: 思考の機構 / ubik0101
>多分アノ体験が、先ず全部が自分になりその瞬間自分もなくなり清らかな空間になった、と見ているんだと思います。

それは、どうやら、ある種の禅でいう、心身が消える。あるいは道元のいう心身脱落の体験かもしれません。

そいえば、ちらっとしか見てませんが、hatoさんが持ってた、ニサルガダッタ・マハラジの書「私は在る」に、世界を消すには、どうしたらいいでしょうか?という質問があったように思います。

のりさんは、それ、であれば、それ、であることを知覚・認識できない、ということを体験したのかもしれません。これは意識では。それ、でないなら、それ、でないことは知覚・認識できない。ということと区別はできないかもしれません。

けれど。詳細に読み解けば、もしかして、完全な融合と、完全な分離。ある、と、ない、これを弁別できるのかもしれない、と思いました。

No.1872 - 2009/07/31(Fri) 23:32:40

Re: 思考の機構 / hato

>  多分アノ体験が、先ず全部が自分になりその瞬間自分もなくなり清らかな空間になった、と見ているんだと思います。それを追いかけているのかもしれません。なんだか意識が進化して全部になりその後全部に融合するのではないか、なんて思ってます。
> 自覚してないでも “全部が自分”が機能している、がしっくり来てます。了解する、感覚が未だピンとこないのです。


全部が自分、総てはひとつ、、から見ることができるのは、自己はただその自我、ではなかった、、そして不増不減。それで充分と思います。既にのりさんはここを了解されている、と思います。

それ自身は知覚・認識できない、、この理解は、やはり愛の眼差し、導きがあって進むことができますが、ここを経ることで、世界の機能、世界の有り様への理解を得ることができると思います。ubik0101さんが正確に表現されていますが、自分にとっても、世界は触媒です。
その了解を自らのなかで理解したのち、私は私で在る、A=Aをこの世界で学び始めることができるように思います。

了解。例えば、ですが、自分として出来ない、こと。環境的にすることは可能だけど、出来ない、しない、ことを考えるとき、既に自分として了解されていることが思い当たり、理解されることがあるかも知れません。ここは、それぞれの経緯から見出すことができるでしょう。

>  そういえばhatoさんのHP、いいですね。素直さ、性格の良さがでていてとてもスンナリ入ってきます。
> 更新、楽しみにしてます。
>  私は“はぐれ雲”、大好きです。


のりさん、ありがとうございます。嬉しいのです。自分としては、せざるを得なかったようです。図書館さんと一読者さんにも、大変喜んで頂き、祝福頂きました。励まして頂きました。
この世界で。学ばせて頂いてます。

あの幸雲画像をみて、のりさんのはぐれ雲の話から、ジョージ秋山の漫画かな、、とubik0101さんが空想妄想幻想してました。

アパートの周辺を散歩中に、ほおずきを見つけました。ふたつほど持ち帰ったら、ubik0101さんが嬉しそうでした。子供の頃、この時期によく母が吹いてくれたのを思い出します。

No.1873 - 2009/07/31(Fri) 23:44:15

Re: 思考の機構 / ubik0101&hato
この頃気が付いたのですが、プレビュー画面をクリックして、表示される画像の右下をドラッグすると、写真を拡大して見ることができます。(もしかして、Macだけかも知れませんが)
No.1874 - 2009/07/31(Fri) 23:50:47

Re: 思考の機構 / のり
>、自己はただその自我、ではなかった、、そして不増不減。それで充分と思います。既にのりさんはここを了解されている、と思います。
なるほど!はい、ここは了解してますね。
それで充分といえば充分。
でも、じゃあ自己とは何?は自我の機能なのでしょうね。
 ある朝、鳥の声に気づきました。その瞬間、鳥の声は気持ち良い。という意味づけが起こりました。そして、あ〜気持ちいい、と感じました。最初は無意味でした。
 世間は人が生まれた時から、その世間のあらゆる意味を人に教え、意味づけ運動を訓練し、意味づけ習慣を人に植え付けている気がします。そして人は一日中、意味づけ運動を繰り返しています。意味も意味づけ運動も世間で、その主体はない、のです。もともと全てに意味はないのでしょう。それに意味付けする事で自分の状態が反映されるのでしょう。故に、世間は人の成長の触媒、成長を促す機能しかないのでしょう。と思います。

> それ自身は知覚・認識できない、、
できない。を了解するために、了解するまで、いろいろもがいているのかもしれません。全てを試すのは無理ですね。ウビさんの言う“諦めてはいけない”を忠実にやってるのかもしれません。愛の眼差し、導きが足りません。

>
> あの幸雲画像をみて、のりさんのはぐれ雲の話から、ジョージ秋山の漫画かな、、とubik0101さんが空想妄想幻想してました。

 はい、そのはぐれ雲です。大昔、大ファンでした。

No.1875 - 2009/08/03(Mon) 14:07:19

Re: 思考の機構 / のり
> のりさん、ありがとうございます。嬉しいのです。自分としては、せざるを得なかったようです。図書館さんと一読者さんにも、大変喜んで頂き、祝福頂きました。励まして頂きました。
 誰かさんと違ってホントに性格の良さが滲み出ています。
誰かさんは将棋で言えば一手先を聞いているのに、3手先4手先を説明し、その内序盤戦に戻って話し始める癖がありますからね。岡目八目ですが。。。
 ウビさんの目開け瞑想のお陰で意識的に意味づけ運動を止める事もできそうですし、もう少しこっち側(変な言い方)も頑張ってみます。
 自己はただその自我、ではなかった。。。これから了解の感覚は掴めました。
でも、それ自身は知覚・認識できない、、は皆さんどう了解されているのでしょう。
頭の中で了解されているのでしょうか。
これが了解できていませんと、世間の機能・有様は理解できてないのでしょうか。

No.1876 - 2009/08/03(Mon) 14:52:49

Re: 思考の機構 / のり
> それ、であれば、それ、であることを知覚・認識できない、ということを体験したのかもしれません。
う〜、凄いヒントかもしれません。辿ってみます。

No.1877 - 2009/08/03(Mon) 14:54:18

Re: 思考の機構 / ubik0101
ジョージ秋山といえば、デロリンマン。リアルタイムで2、3話だけは読む機会がありましたが、「おろかものめ」と、風の吹くビルの屋上で泣きながら叫ぶ登場人物が、印象に残っています。ネットで検索してみましたが、なかなか面白い物語のようです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%AD%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%B3

そいえば、大昔。やっと高校生になった頃です。なんとかという作家の小説は、青春の文学だ。という解説を見たことがあります。

そのとき、これから自分は青春と呼ばれる?時期だろう。でも青春にあって、青春、と判る?認識できる?という奇妙な感覚・・・疑問が生じました。しばらくイジイジしてて、そんなの、客観的に言ってるだけだ。でも言葉では言える。とか、なんか釈然としませんでした。

それ自身を、それ自身である。AはAという思考は、奇妙。というのは、なんか本能的な疑問のように思えるかもしれません。

続きます。

No.1878 - 2009/08/03(Mon) 22:36:53

Re: 思考の機構 / ubik0101
また、たとえば。わたしは人間だ。わたしは男性だ。と思考したりするとき、それを意識しないでも、人間だから、男だから、そう、わざわざ言うのは。違う意味を持たせるためでもあるのでしょう。AはAと言うらしい表現に、実は隠れてBを言ってるのでしょう。きっと余計なことを結びつけてるのでしょう。

でも。AはAはと言っても、全然問題ないです。それは、その人が、そうであること。その真摯で正確な。そのままの、余計なことに結びつけない、行動、言葉、思考。つまり日常。それに於いてしか正当性がないように思います。

たとえば。そう、であることを、そう、だと思考すること。天上天下唯我独尊、単独者。たとえば。そう思考しても、暑いなら暑いです。寒いなら寒いです。楽しいなら楽しいです。

それは思考してないでも、ほかのなにかをしてても、そうです。だって、なにかを思考する、思考しない、それで事態が変わる、違うのは、とても奇妙です。

(こんなことは。たとえば、なにかの理由。それは真実の理由も言えますが、嘘の理由も言えます。嘘の理由を言うのは、そうであることを、そうだという、真実を見たくないからで。そうして気がつかない日常を送る人には、金輪際、判らないかもしれません)。

続きます。

No.1879 - 2009/08/03(Mon) 22:46:19

Re: 思考の機構 / ubik0101
そして。そう、思考しないでも、そう。ということは。これまで自分が書いてきた文章は、瞬間的に忘れてしまうのが実情です。それでも、それは、忘れても、そう、です。執着しないに、執着するのではなく。執着しないに、執着しない。とか。自己は無自覚。とか。それは忘れても、そうです。

そのように。たしかに日常そのままの自分を認識したことであれば、AはAです。そして、それは、そう思考しても、思考しなくても、そうです。 そういえば東山寺の方丈は、クリシュナムルティが、観察する、と言うのに対して。観察しない。と、そのHPで言っています。

また。もしかして、禅の公案を解いて、それをアンカーボルト、目印にする、という方法も、ないことはないとは、思います。たとえば。図書館閲覧者さんのブログより。

中邑和尚が言う。

「ここに一つの家があるとする。
 その家には六つの窓があって、その中に猿が一匹居る。
 この猿を東の窓から”山、山”と呼ぶと、
 その猿は”うん、うん”と言って返事をする。
 他の窓から呼んでも同じ事で、”六窓倶に呼べば倶に応ふ”
 である。こんなものだ。」

仰山はこれを聞いて、御垂辞まことにありがとうと前置きして
次のように尋ねた。

「お示しの趣、一々了承いたしましたが、まだお尋ねしたいこ
 とがあります。
 内の猿めがくたびれて休んでいますとき、外の猿めが何とかし
 て相見したいと申しましたら、どういうことになりましょうか。」

こう問われて、中邑和尚は自分のすわっていた縄床から下りて来て、
仰山の手を取って一さし舞い出した。

そうして中邑和尚は言った。
「山、山、お前との相見はすんだ。」と。

(鈴木大拙「禅百題」より一部改変)

タナゴやカサゴも釣れたのですが、メジナ2匹を、刺身と、ニンニク香草焼きにしてみました。

No.1880 - 2009/08/03(Mon) 22:50:41

Re: 思考の機構 / hato

>  ウビさんの目開け瞑想のお陰で意識的に意味づけ運動を止める事もできそうですし、もう少しこっち側(変な言い方)も頑張ってみます。

>  自己はただその自我、ではなかった。。。これから了解の感覚は掴めました。
> でも、それ自身は知覚・認識できない、、は皆さんどう了解されているのでしょう。
> 頭の中で了解されているのでしょうか。
> これが了解できていませんと、世間の機能・有様は理解できてないのでしょうか。


既に了解されているその自体を、意識が理解することにも、それぞれの経緯がありますね。

世界は決着しない、ながらにして必ず決着している、ことが腑に落ちてる、こととも言えるかな、

そんな風に思います。

No.1881 - 2009/08/04(Tue) 01:54:16

Re: 思考の機構 / のり
 大分、お二人を占有してしまいました。恐縮です。
 禅とか道元とか良く分かりません。すみません。
またもう少し、ただどうでも良いことを真剣に行ってみます。
 御垂辞まことにありがとうでした。
 そう言えば、大昔、入谷の朝顔市や浅草のほおずき市に行きました。青い青い物語です。

No.1882 - 2009/08/04(Tue) 18:09:03

Re: 思考の機構 / ubik0101
そいえば、もひとつ思い出しました。図書館閲覧者さんのブログにも、「眼は、その眼を見れない」。という言葉があります。これは、たぶん、眼は、その眼を見れない・・・しかし鳥も、樹も、海も、世界の総てを見れる・・・という意味だと思います。

これは、自己に会った人が、日常、そう、だということを、そう、だと言ってるのではないでしょうか。愛にしても、自己にしても、自覚できないことも、大切と思います。サイトの本文にも、なんでも撮せるカメラ、けど、それ自身は撮せない、とか書いたことを思い出しました。

こちらこそ。のりさんと話すことは、とても刺激になります。いつでも、いくらでも話しかけてください。このごろ、思考しようとして思考できるのは、なぜなんだろう?とか思っていたりします。

No.1883 - 2009/08/04(Tue) 20:54:24

Re: 思考の機構 / hato

のりさんはきっと、どんなにどんなに大切に愛されてるか、気付いていないだけなんだろな〜、なんて思ってしまいます。
のりさんが話しかけてくれると、とても清々しくなって、いつだってすごい嬉しくなってしまうんです。

今日は、我が家の小桜インコです。可愛いですよ、とても美人な女の子です。
ノンノン、ていいます。

No.1884 - 2009/08/04(Tue) 23:51:53