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記事No.2127に関するスレッドです

(No Subject) / ubik0101
>「苦しみは、苦しみでなくてもいいのに苦しみである」のか、「苦しみは、苦しみでなければならないから苦しみである」のかは、わからないのじゃありませんか?
>もう少し、説明してください。
>「悲しみは、悲しみでなくてもいいのに悲しみである」ということ。例えは何でもいいですが。
>「悲しみでなくてもいいのに」と言えるのかどうか。


なんであれ、そう、でなくてもいいのに、そう、です。ということは、そう、ある特定の原因が、ない、ということです。たとえば、なにかの出来事が原因になって、喜びが生起するとしても・・・その喜びは、ただ喜びです。喜びが、喜びである必然性が、ない、ということです。

たとえば同じ出来事に、喜びではなく、怒りを感じたとしても。それならば・・・その怒りは特定の出来事が原因とは言えず・・・また、その怒りが、怒りである原因も、ほかには、ない、ということです。

そして。 なんであれ、そうでなければならないから、そう、であるとしても、その特定の原因が、ある、となんとなく思われても、それを知り得ないという意味では、それを探る人にとっては、原因が、ない、と等価ではないでしょうか。 もっと、簡単には、それを知覚する、しないに関わらず、隠れた根が、ない、ということです。

それで。なんであれ、そう、でなくてもいいのに、そう、です。ということは この世界が、こう、でなくてもいいのに、こう、です。そんな、この世界の不思議を目前にしての実感の表現です。その意味でなら・・・そう、でなくてもいいのに、そう、も。そう、でなければならないから、そう。と言っても、言い尽くしてはないのかもしれません。

そのような名前のつけられないこと、言葉で表現できないことに、言葉は、名前を付けてる、表現してるだけでもあります。 それは、ほかの表現もあり得るでしょう。そんな表現された思考を検討しつくすことは、とても役に立つのですが・・・それよりも主題は、目前の不思議を見てる、そのこと、です。

たとえば、無常と誰かが言ったら・・・その類似なこと、無常でないということ、無関係なこと、そんな事実の有無とかを検討することはできます。

けれど、要点は、それではありません。無常ということは、人が、欲望から解放された。という表明です。もし、探求するのであれば・・・無常とか、無常でないとか、いうことよりも・・・そのような人の有り様です。

それは、この自分、この自分の、あるとして、それだけの問題を解決さえすれば、いいんです。自分のことは自分でしなければならない・・・逆に言うとしてですが・・・それだけでいいのです。イエス・キリスト「わたしの十字架は軽いのです」。

八景島、シーパラダイスの、ジェットコースターです。

No.2127 - 2009/09/24(Thu) 10:26:36

Re: / ルー
私の問題として、「悲しみでなくてもいいのに、そう、である」ということは、ひっかかりではない。
ですので、そのことは考えなくてもいいということでしょうか。
そういう意味なら、わかりますよ。

「一切が無常である」ということも、私は、ひっかかりありません。当然のことです。
ですので、考えなくてもいいでしょう。

No.2128 - 2009/09/24(Thu) 12:05:25

Re: / ルー
「すべてが、不思議」というわけではないので、不思議なことが不思議として存在する、という感じです。
No.2129 - 2009/09/24(Thu) 12:08:02

Re: / ルー
うびさんの目の前には、不思議がいっぱいなのですかぁ?
No.2130 - 2009/09/24(Thu) 12:14:59

Re: / ルー
まぁ、人のことはほっとけってことかな。

夫婦の意見は一致しているようですね。

No.2131 - 2009/09/24(Thu) 12:27:47

Re: / peer
>イエス・キリスト「わたしの十字架は軽いのです」。

勘違いしそうな言葉ですね〜。
自分のできること、自分の範囲を処理するだけなら「軽い」のです。
人に十字架を背負ってもらおうとしたら、とたんに〜重くなる。
また、人の十字架を背負っていると思ったら、重い。かな〜と。

No.2132 - 2009/09/24(Thu) 14:12:02

Re: / ubik0101
>うびさんの目の前には、不思議がいっぱいなのですかぁ?

なにか、ふつうの日常があって、なにか滅多にない?不思議なことがあるのではありません。また。いっぱい、不思議があるのではありません。ときに鳴いてる蝉、秋風、木漏れ日、言葉、呼吸、自分・・・ふつうの日常・・・なぜ、これは、こう、なのか?と、それ、に問うてみてください・・・総てが、不思議で、ない、ことが、ない、です。

>まぁ、人のことはほっとけってことかな。

と、言うまでもなく。 あれこれ日常茶飯事の人間関係の軋轢とか平穏とかではなく、その自分、その自分は何?この問題を解決さえすれば・・・自我の完成・・・世界は人を、安息日の主にする役目を果たすのです。そして、歓喜状態にある、世界を、見せてくれるんです。 そんな意味です。

No.2133 - 2009/09/25(Fri) 08:55:28

Re: / ubik0101
>勘違いしそうな言葉ですね〜。
>自分のできること、自分の範囲を処理するだけなら「軽い」のです。
>人に十字架を背負ってもらおうとしたら、とたんに〜重くなる。
>また、人の十字架を背負っていると思ったら、重い。かな〜と。


そうです。言葉として、その意味内容が、まだ意識されないとしても、すでに意識されてるとしても、解ってる人には、たとえば「わたしの十字架は軽いのです」で、誤解されることなく、そのまま伝わります。

そうでない人には、どうやっても、誤解するしかできないかもしれません。これも、あれこれ日常茶飯事の人間関係の軋轢とか平穏とかではなく、その自分、その自分、の問題の意味です。

八景島、シーパラダイスの、メリーゴーラウンドです。

No.2134 - 2009/09/25(Fri) 09:13:03

Re: / ルー
> >うびさんの目の前には、不思議がいっぱいなのですかぁ?
>
> なにか、ふつうの日常があって、なにか滅多にない?不思議なことがあるのではありません。また。いっぱい、不思議があるのではありません。ときに鳴いてる蝉、秋風、木漏れ日、言葉、呼吸、自分・・・ふつうの日常・・・なぜ、これは、こう、なのか?と、それ、に問うてみてください・・・総てが、不思議で、ない、ことが、ない、です。


それが、「こうでなくてもいいのに、こうである」という不思議に行き着く、という理解でいいですか?

No.2135 - 2009/09/25(Fri) 09:21:08

Re: / ubik0101

> それが、「こうでなくてもいいのに、こうである」という不思議に行き着く、という理解でいいですか?

そうです。

No.2136 - 2009/09/25(Fri) 09:26:40

Re: / ルー
自分についても、「こうでなくてもいのに、こうであるのは何故か?」という路線で問うてみるという理解でいいですか?

もう特に問題を感じませんが。

世界が歓喜状態にあるって、それは私には奇異なことに思えます。
しかし、特に問題を感じません。

では、そういうことで。

イエスキリストの言葉は、自分なりに解釈せず、正しい解説に沿って理解した方がいいでしょう。
「私の十字架は軽い」というのは、神と共に歩むなら、荷物は軽い。今日一日分の荷物を背負うのなら軽い」という意味でしょう。自分の荷物だけでよい、という意味ではないし、他の人に背負わせようとしたら重いとかいう意味は無いでしょう。

No.2137 - 2009/09/25(Fri) 09:31:10

Re: / ubik0101
> 自分についても、「こうでなくてもいのに、こうであるのは何故か?」という路線で問うてみるという理解でいいですか?

そうです。ただ、それは、その人が、この不思議を生きてる、かどうか?ということでもあるので。まず、試してみましょう。

No.2138 - 2009/09/25(Fri) 09:35:31

Re: / ルー
そりゃあ、「このキノコはおっぱいの形をしていなくてもいいのに、何故おっぱいの形をしているのか」という不思議を生きることはあります。
しかし、子供がゲームばかりをしているのを見て、「この子はゲームばかりをしていなくてもいいのに、何故ゲームばかりをしているのか」というのは「不思議」ではなくて、原因があると思うんですよね。

No.2139 - 2009/09/25(Fri) 10:07:00

Re: / ルー
それから、世の中には飢えで死んでいく人もたくさんいるのに、また、家庭内で虐待を受け苦しんでいる命があるのに、ということを考えると、世界が歓喜しているなんて思えないんです。
No.2140 - 2009/09/25(Fri) 10:08:42

Re: / peer
>「こうでなくてもいのに、こうであるのは何故か?」

これは「こうだ」と知っていると、思い込んでいるだけで
じつは、何も知らない。。ということに、突き当たる。
それが不思議という言葉で表現されているんでしょう。
本当に知っているんでしょうか?って。
まったく。自分で自分すら知らない。
「なぜ、自分は自分なのか・・」
「なぜ、これはこうなのか」
「なぜ」と問うてみたら、この世の中。
知らないことばかり。分かっていないことばかり。

No.2141 - 2009/09/25(Fri) 10:19:06

Re: / peer
>イエスキリストの言葉は、自分なりに解釈せず、正しい解説に沿って理解した方がいいでしょう。
>「私の十字架は軽い」というのは、神と共に歩むなら、荷物は軽い。今日一日分の荷物を背負うのなら軽い」という意味でしょう。自分の荷物だけでよい、という意味ではないし、他の人に背負わせようとしたら重いとかいう意味は無いでしょう。


この解釈は、キリスト教が布教するために、都合良く
イエスの言葉を、上手く利用・解釈したものです。
神様とともに歩みましょう。そうであれば、神様が
あなたの、背負ったものを、背負ってくれる。と。

まっ。じっさい。その解釈でもイイんですけどね。
そうであれば、飢えて苦しむ人も、神が救ってくれる。
虐待されている子供も、神が背負ってくれる。
だから、あなたは、何も心配することは、ありません。
・・・ということに、なりそうですね。
「神は、その人に背負えるものしか、与えない」
というのも、ありますか。すべては神の計らい。と。

No.2142 - 2009/09/25(Fri) 10:28:05

Re: / ubik0101
>しかし、子供がゲームばかりをしているのを見て、「この子はゲームばかりをしていなくてもいいのに、何故ゲームばかりをしているのか」というのは「不思議」ではなくて、原因があると思うんですよね。

たとえばゲームは楽しいから・・・では。なぜ、楽しさは、楽しさなんでしょう。また一般的に考えるとして、とあるもの、ことの原因を、ほかのもの、ことに求めても、辿り着く、初めの原因が見つかるのでしょうか。そして、その、もの、こと、その事態そのもの、の裏に求めても、原因が見つかるのでしょうか。

もし見つかったとしても、それは、とりあえずは人の勝手な判断であり・・・それを見つけるのは、いわゆる分離した中心ということもあり得るでしょう。いや。それを見つけると、いわゆる中心が仮定されるのではないでしょうか。そして。それさえも可能で。このように世界はなくてもいいのに、このよう、ではないでしょうか。

>それから、世の中には飢えで死んでいく人もたくさんいるのに、また、家庭内で虐待を受け苦しんでいる命があるのに、ということを考えると、世界が歓喜しているなんて思えないんです。

たとえば、ですけど。昇る木馬も、降りる木馬になり、また、ほかの木馬も昇り降り・・・楽しそうに回転しながら、乗ってる人が歓声を上げます。どのようであれ、見るも聞くも触るも、喜びも悲しみも、否定も肯定も、すべてが完全に活動してる、世界の運動・・・それが歓喜、です。あんまり関係ないかもしれませんが。ここに、いる、だけで、狂ってないなら、幸せでしょう。そして、なぜか狂うことさえできる。驚嘆すべきことに思えます。

そのように。なんでもあり、にもかかわらず・・・そう、でなくてもいいのに、そう、な世界。そうだからこそ、言い方はともかく、人を成長させる、飛躍させる、変容させる、ことができるのではないでしょうか。もしなにか、こうでなくてはならない、だけの世界なら、それは不可能ではないでしょうか。

No.2143 - 2009/09/26(Sat) 10:08:57

Re: / ubik0101
>これは「こうだ」と知っていると、思い込んでいるだけで
>じつは、何も知らない。。ということに、突き当たる。
>それが不思議という言葉で表現されているんでしょう。
>本当に知っているんでしょうか?って。
>まったく。自分で自分すら知らない。
>「なぜ、自分は自分なのか・・」
>「なぜ、これはこうなのか」
>「なぜ」と問うてみたら、この世の中。
>知らないことばかり。分かっていないことばかり。


そうです。 それで。知ってるということも、なにかを知りません。知らない、ということも、なにかを知りません。です。

なにか思考とか、過去とか、いわゆる既知と呼ばれることの外に未知があるわけでなく、その既知も、まったく未知です。

そんなことも含めて、どう分類するかはともかく、物質が、身体が、感覚(知覚)が、感情が、思考が、こう、でなくていいのに、こう、です。それを不思議、と呼びます。

No.2144 - 2009/09/26(Sat) 10:19:56

Re: / ルー
> たとえばゲームは楽しいから・・・では。なぜ、楽しさは、楽しさなんでしょう。また一般的に考えるとして、とあるもの、ことの原因を、ほかのもの、ことに求めても、辿り着く、初めの原因が見つかるのでしょうか。そして、その、もの、こと、その事態そのもの、の裏に求めても、原因が見つかるのでしょうか。
>
> もし見つかったとしても、それは、とりあえずは人の勝手な判断であり・・・それを見つけるのは、いわゆる分離した中心ということもあり得るでしょう。いや。それを見つけると、いわゆる中心が仮定されるのではないでしょうか。そして。それさえも可能で。このように世界はなくてもいいのに、このよう、ではないでしょうか。


考えてもしかたのない問題と、どうにかせねばならない問題とがあるのではないでしょうか。

No.2145 - 2009/09/26(Sat) 11:33:53

Re: / ubik0101
それを決めるのも、妨げるのも、ほかの人ではなく、その本人しかいないのでは、ないでしょうか。
No.2146 - 2009/09/27(Sun) 12:00:55

Re: / ルー
子供の場合は、親の仕事です。
No.2147 - 2009/09/27(Sun) 13:23:12

Re: / ubik0101
>子供の場合は、親の仕事です。

それは・・・子供のことに限らず、その本人の気が付かないことに、ほかの人が気が付く・・・ということがある、という意味でもあるでしょうか。

その、ほかの人からの指摘が、正確かどうかも、その本人が確認すべきことなので。ほかの人からの指摘に、とりあえず自動的に反対意見を言ってみる、拒否する、ということも、よく起こるようです。まあ。指摘されるにしても、されないにしても、その本人が気づく、ということが決定的なことでしょう。

そうでないならば、学びあう、学ばせあう、つもりでも、迷いあう、迷わせあう、ことになりかねません。それは始まりも終わりもない、限りない迷いでしょう。

いつの間にか、意識に依存し、それに躓いてる、倒錯してる、のかもしれません。そうしていたいなら、それも、できるように世界は、できているようです。それも不可欠だとしても、それはもう充分です。

それに・・・それが、自分の奥から生じた疑問なら、ほとんどの場合が、期せずしてですが、いつかは自分で解けるんです。すくなくても、自分は、そうでした。それで過不足はなかったのです。それ以上に重い荷を負う必要はないんです。

また、この自分、この自分のことは、ほかの人が、それを解いたことを聞いて役に立つ・・・例外はありますが・・・そんな領域にない、と思います。

サーフィンのように、どこまでも一人で、自分の疑問に乗って、その果てまで、源泉まで、行くんです。 また、なにも問題がなくなったら、この自分の日常を掘り起こすのです。 疑問があって、解けないなら、それも大切です。 たとえば。なぜ、これは、こうなのか?・・・それは、そのまま世界の不思議に触れてるのです。

たぶん書店に行けば、一生かかっても読み切れないほどの書が陳列されています。しかも毎日のように新発売されているのでしょう。そんなことより、この自分、この自分を読めばいいんです。なにか秘密があるとして、このほかの秘密は、ありません。

なぜかは知りませんが・・・なんであれ、探求するということは自分のことにならざるを得ないのですが、この自分のことは 、この自分で。一番簡単な方法が、一番いい方法です。もちろん、この投稿に疑問があるとしても・・・それも、自分がするんです。

No.2148 - 2009/09/28(Mon) 22:00:48

Re: / ルー
子供の場合のことを言っただけですよ。
子供のない方には関係ありませんね。

No.2149 - 2009/09/28(Mon) 22:25:23

Re: / hato

ただ、一緒に呼吸する、深呼吸する、一緒にご飯をいただく、、

それがどういうことか、わかっていますか。わからないなら、あなたがどうかしているからです。 あなたはここでいつまでも、なにをしているのでしょう。

総てが親の責任だと思われたら、

どんなにか子は苦しいでしょう。重たいのです。疲れるのです。親が血眼になって片寄っているのです。 それでも子は親を大切に思います。親がおかしくても、子は親に尽くそうとします。そんな子がいます。親が未熟であることを、親の限界ということを、子は気付いてしまうのです。それでも親の期待に添おうとするのです。悲しいほど、努力してしまうのです。賢明に彼なりに親を愛し、愛されようとして努力しています。

強いるのは必ず、人のためだと思ってる、なにが大事かもわかっていない、未熟な親です。狭量で我が儘で、人のことを考えてると思ってるだけの、身勝手な人間です。

それでもそこで、子である彼も人です。子は、人です。彼はそれを学ぶことができ、成長することができる、人です。総てが親の責任とはならないだけの、この世界を分かち合ってる、人です。それが学ぶ、ということです。そうでなければ、学ぶことはできません。

総てを経験しなければ解らないなら、理解は困難です。これがわからないなら、出直すしかありません。

まあ、生は。
そうしても、そうしなくても、
いいのだけれど。

いつまでも血眼でそんなご託を並べてるルーさんという人を。

ああ、なんてこの人はいつまでも。
騒がしいシンバル、ドラなのだろうかと。思ってしまうのです。

No.2150 - 2009/09/28(Mon) 23:25:49

Re: / ルー
バカみたい。
子供がゲームばっかりしているから、どうにかせねばならないってだけの話なのに。

いつまでここに居るのかって?

もう来ませんよ。

No.2151 - 2009/09/29(Tue) 01:17:17

Re: / hato

> いつまでここに居るのかって?
>
> もう来ませんよ。



あーよかった。
責了です。

なりふり構わないアホにつき合うのも、限界というものがありますからね。。

No.2153 - 2009/09/29(Tue) 22:13:10