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記事No.2253に関するスレッドです

総て自分 / ubik0101
ウインドブレーカーです。
No.2253 - 2009/10/29(Thu) 10:47:29

Re: 総て自分 / ubik0101
そのウインドブレーカーの腰の裏にあるポケットに 、ウインドブレーカー本体を押し込んでいきます。
No.2254 - 2009/10/29(Thu) 10:48:25

Re: 総て自分 / ubik0101
すると・・・それ自身が、それ自身の中に入ります・・・凄い・・・チャックを閉めて。なんだか嬉しくなります。
No.2255 - 2009/10/29(Thu) 10:49:34

Re: 総て自分 / ubik0101
では、逆に・・・チャックを開けて、 ウインドブレーカー本体を引っ張りだしていきます。
No.2256 - 2009/10/29(Thu) 10:50:35

Re: 総て自分 / ubik0101
すると・・・それ自身が展開して、それ自身として顕れる・・・です。
No.2257 - 2009/10/29(Thu) 10:51:53

Re: 総て自分 / ubik0101
それは、ともかく。すこし『総て自分』、ということを探ってみました。いろんな段階があるようですが・・・たとえば。ほかの人に怒っても、その、ほかの人を、まったく知らなければ、関係がなければ、怒ることもできません。

また。おおくの場合、ほかの人の状態を空想して、また関係づけて、怒ってるわけだし・・・それは、ほかの人がしてるのではなく、自分のしてることなので・・・怒ってるのは自分。喜んでるのも自分。妬んでるのも自分。無関心なのも自分。ということもあるでしょう。

つまり、ほかの人を怒ってる形であっても、自分が自分に怒り、また喜び、また悲しみます。また、無関心なのも自分、とも言えるのでしょう。そこで。総て自分。と思われるのでしょうか。

けど。まったく・・・空想とか、関係を挟まないなら・・・そういう事態が不可能ではないでしょうか。 たとえば直接、自分が自分に嫉妬できるでしょうか。

No.2258 - 2009/10/29(Thu) 13:27:38

Re: 総て自分 / ubik0101
また、できるとしても・・・知覚されたり、されなかったりする・・・なにか特定の感情の、特定の思考の、どれかを重視する、依存することが、どうしてできるのでしょう。

たとえば、楽しいことを求めて、苦しいことを嫌うなら・・・なにか苦しさにも、それを感じることで、それを感じてる中心・自我を生じさせる、それなりの愉悦が隠れているのでしょうが・・・その人が、そうありたいというだけのことではないでしょうか。

また。その楽しさが、苦しさが、なんであるかを・・・また、知ってることがなんであるかを・・・知ってるわけでないのではないのに・・・それを知ってることにしなければ、それを対象にして生じる自我には拠り所がないと思われるので・・・楽しさが、辛さが、悲しみが、知ってることが、なんであるかを知ってることにしてしまうのかもしれません。

また。なんであれ感情が、思考が、自分なのでしょうか。それが明確でなければ、総て自分。としても、ただの判断で、そう思いたいだけなのかもしれません。関係という名前の分離があるだけなのかもしれません。

No.2259 - 2009/10/29(Thu) 13:38:53

Re: 総て自分 / (  )将臣(   )
しつっこいですね。
個人の感情ではなく「法律で禁止されてるような殺人」や「なりすまし」や「人間に自然に備わった痛覚」等の問題のですよ。当事者の自己弁護のようにしか聞こえんですがね。

>それは、ほかの人がしてるのではなく、自分のしてることなので・・・怒ってるのは自分。

No.2260 - 2009/10/29(Thu) 19:26:13

Re: 総て自分 / (  )将臣(   )
個々人の趣味の問題じゃないんですよ。いわゆるオタクの人にはそれがわからない。いわゆる法に関わるような問題、たとえば(主にニューエイジや引き寄せられたい法則カルト)の主婦が異常に賛美する「性虐待」などです。それを電波系や「それは貴方の趣味の問題だ」と言うわけですが。
要するに変質者やそれを望んでいる被害者ぶった人間はそれを「愛だ」と思うわけで「犯罪」「幼児誘拐」などと感じるのはそれはあなたのもんだいだ、全部犯罪にしたがっているのは「そういう趣味を持たない」共犯では無い「まともな児童の心の問題だ」犯罪者=被害児童であると。
そういう自己弁護をするストーカーの人々は、5戒だの何だの他人のキーワードで盆踊りは出来るが、意味を理解できにない。相手が何を言わんとしているのか、そこを理解しない。かみ合わせないということですよ。いつまでも「自他未分化」な「母子一体全能妄想」にふける人間は、要するに社会性が無いのです。自他の違いを認識出来ない人間は、結局共苦能力が無い。全部自分の都合でしか考えないから他人と無理矢理一体化したがる。
しかし溝は全く埋まらない。

No.2261 - 2009/10/29(Thu) 19:32:12

Re: 総て自分 / (  )将臣(   )
空想してというが、そういう人間ほど自分には大甘で、「覚醒という語を越えて覚醒している自分が見る夢は現実だ、それなのに信じてくれないのはひどい」というんですよ。
>おおくの場合、ほかの人の状態を空想して、また関係づけて、怒ってるわけだし・・・それは、ほかの人がしてるのではなく、自分のして

盗作されたと被害を訴えて裁判で勝ち、相手も盗作したと認めることが多くありますね。それで「当人が空想で怒っている」のか否か?そこは互いに具体的に証拠を見ましょうや。君みたく「被害を訴えて怒るほうが空想、何もしていないとしらばくれる方が無罪」という小児性愛者のいいわけは通用しないですよ。まあ出雲侵略を国ゆずりと言い「憤っているほうが大抵は間違い」で通用するのがこのコトダマしらばくれ中毒の国というもんで、どこまでもその「意味論音痴」なりの方法でしらばくれるからね。
他人には「何で大抵カンで分かる」「ワタシは覚醒という語を越えて覚醒しているから直感で全てが分かる、いくら理論的に矛盾していると証拠をあげて批判されて(怒られて)も、狂人だって論理的な人はいるはずだし。泥棒したなんていいがかり、"冗談"を"なりすましの荒し"と感じるほうがおかしい」と言うのは常に君らのようなタイプじゃないですか。往生際が悪いのでは?

No.2262 - 2009/10/29(Thu) 19:39:34

Re: 総て自分 / ubik0101
よくubik0101の投稿文を読みましょう。「総て自分」、ということに批判的な意見です。

それに。将臣さんがubik0101が言ったと思ってることは、言ったことも思ったこともありません。そう言ってる誰かに抗議しましょう。

たとえば、五戒というのは、小さな辞書にも載ってる言葉です。それをキーワードにするのは誰にとっても勝手ですが、それだけのことです。

ところで将臣さんの掲示板を、開きましたが・・・見た限りでは、総ての投稿のハンドルネームが、おなじでした。 ubik0101ならば、自分の投稿でないのは、削除。または投稿拒否にします。

No.2263 - 2009/10/29(Thu) 20:54:43

Re: 総て自分 / (  )将臣(   )
荒されているのは別の場所だ、
まあ、管理者がいなくて俺が対応してるから、
結局俺が暴れてるみたいになってるけど!

だから荒してる相手に、怒るなも何も無いだろう。
「削除」とは拒絶する事だよ。

淡々と拒絶しても理解しないんだよ
「だけどあきらめられない だけどやっぱりあなたと夢で××」
と延々つづくわけで。

だから怒ったほうがまだ効いてるよ。
怒らないで説得しろといってもさ。

>それは、ほかの人がしてるのではなく、自分のしてることなので・・・怒ってるのは自分。

怒るなというけど、しつこく殺人恐喝なんか来るんだよ・・・全部、小児性愛者を批判したせいなんだ。
で「母と子は一体だから、CENSOREDも一つになれる」というんだけどさ、そもそも母親ですらないんだからね。
母親の気持ちらしいんだけどさ、通りすがりで、メールもあげていないのに、管理者と一緒にストーカーするんだよ。

でなりすましするんだから、「全部あなた」じゃないだろう。
どう全部自分という意見を批判しているんだい?君は、正当化しているよ。

No.2264 - 2009/10/29(Thu) 22:03:26

Re: 総て自分 / ubik0101
>けど。まったく・・・空想とか、関係を挟まないなら・・・そういう事態が不可能ではないでしょうか。 たとえば直接、自分が自分に嫉妬できるでしょうか。

つまり、「総て自分」の有り様を説明して。それが空想でなければ、自分勝手な関係の解釈でなければ、「総て自分」という事態が不可能、と言っています。 ついでに、

また。なにか鳥や樹、青空の雲、感情、思考を知覚します。そのことによって、知覚する中心、いわゆる自我、が仮に設定されます。それで、なにを知覚しても、自分。という実感があるのかもしれません。でもそんな「総て自分」は、自我の機能です。

No.2265 - 2009/10/29(Thu) 22:30:42

Re: 総て自分 / (  )将臣(   )
では君が、その「全部自分」のエゴイストなんだね。
No.2266 - 2009/10/30(Fri) 02:18:32

Re: 総て自分 / ubik0101
違います。「総て自分」とは、自我の機能であり・・・ubik0101は、そんな「総て自分」な有り様に縛られてない、と言ってるのです。
No.2267 - 2009/10/30(Fri) 09:17:31

Re: 総て自分 / ルー
たためるウィンドブレーカーは全部自分ですね!(笑)
No.2268 - 2009/10/31(Sat) 08:10:06

Re: 総て自分 / 図書館閲覧者
すると、如何なるウィンドブレーカーの展開をもその上で許しているカーペット、が、自己にあたる?
No.2269 - 2009/10/31(Sat) 09:41:52

Re: 総て自分 / ルー
おおお!
図書館閲覧者さんの出現!
ブログ読ませてもらってますよ。
むずかしーですけど。

No.2270 - 2009/10/31(Sat) 12:06:01

Re: 総て自分 / ubik0101
> すると、如何なるウィンドブレーカーの展開をもその上で許しているカーペット、が、自己にあたる?

とても、大爆笑です。そんなこと意図もしてなかったんです。でも、なんとかというインドの人が、ほんとの自分は、映画の画像ではなく、それを映してる・・・たぶん、なにが映ることも映らないこともできるけれど・・・それ自身は知覚できない。という意味でしょうが・・・スクリーンだ。と言った、と聞いたことがあります。

そのスクリーンを、イメージしないで、こんなものだと対象にしてしまわないで。たとえば見えないカーペットを、見えないままに。また。カーペットは世界、とも空想しなければ。また。自己は、ある、とか、ない、という空想しなければ。あくまで、たとえ話としては、ありかな、です。

でも、その自己は、世界の総活動からしか知覚できない、ようです。それは、人が、そんな総活動状態になるとも思えますが、どうも、そういう総活動してる世界に接した、なった。と見ることもできると思います。つまり人が、そう知覚しようがしまいが、世界は、そう、とも思えます。

そして、自己を見ることができるということは、やはり自我の仕組みと関係がありそうです。たとえば、自己を知覚しようとすることが自我の機能ですし・・・その自我は、ない・・・その、ない、ことの知覚は、やはり増えも減りもしない世界の総活動から見ることが必要なのでしょう。

そんな、自我の、ない、仕組みを見るのは、自己ですが・・・その自己が知覚されるための仕組みが、神とか実在、とか呼ばれてるのかもしれません。そして。そんなことも忘れて・・・うろ覚えですが・・・無眼耳鼻舌・・・眼は見るだけ、耳は聞くだけ、そうできてるだけ・・・その「一切」に依存しないってことかな。と思う今日この頃です。

No.2271 - 2009/10/31(Sat) 12:50:28

Re: 総て自分 / 図書館閲覧者
しまった!
ルーさんの書き込みに釣られて
オチを妄想してしまった!?

No.2272 - 2009/10/31(Sat) 19:14:46

Re: 総て自分 / ルー
いや、何となく自我と自己の関係が妄想できて、よかったですよ^^
No.2273 - 2009/10/31(Sat) 20:29:03

Re: 総て自分 / hato

> しまった!
> ルーさんの書き込みに釣られて
> オチを妄想してしまった!?



はい。

「では罰として、真夜中の恩寵、リンクします。」

とのことです。。。

ご無沙汰しています。嬉しいですね。
図書館閲覧者さんの、マキマキ屋さんのロールケーキ。長崎のあの部屋で、こちらふたりで嬉し泣きしながら、いただいたことを思い出します。

今日は江ノ島に行ってきました。
秋の海も、なかなかいいものですね。

No.2274 - 2009/10/31(Sat) 20:34:25

Re: 総て自分 / 図書館閲覧者
今日はハロウィン、死者が蘇ってオッケーの日、ということで都合良くケルト人の習慣を取り入れて掲示板に蘇ってみました。お久しぶりです。

秋の海…いいですね。
こちらでは、ようやく夏の無限草刈りの日々から解放されたと思ったら、今度は秋の山から落ちてくるこれまた無数の木の葉をかき集めてまた山に返す、という日課を送る日々です。

あのブログ「自分で自分を閲覧した読書感想文もしくは備忘録」と成り果てているので何だかなあ、ですけど。まあ、それはそれで。

No.2275 - 2009/10/31(Sat) 23:14:46

Re: 総て自分 / hato

> 今日はハロウィン、死者が蘇ってオッケーの日、ということで都合良くケルト人の習慣を取り入れて掲示板に蘇ってみました。お久しぶりです。

相変わらず、かっこい〜! ですね〜。

> 秋の海…いいですね。
> こちらでは、ようやく夏の無限草刈りの日々から解放されたと思ったら、今度は秋の山から落ちてくるこれまた無数の木の葉をかき集めてまた山に返す、という日課を送る日々です。


ここ、神奈川のとある丘の、小さなアパートからの景色と風物は、ちょっとした妙味もあり・・一年の生活のあれこれに色を添え、充分に愉しませて頂きました。
来年は、静岡かな〜、と思っています。ルンルンノンノンに、猫のナナもお仲間入りです。ubik0101さんと、犬も飼ってみよう?!なんて話していますが、まずは、そのまんま状態の土地と古すぎる家屋。

一体どう〜、なるんでしょう!??

なところで、
こちらも楽な作業ではなさそうです。ぜひ、図書館さんにもお知恵を拝借いただければ幸いです。ubik0101さんより、開墾する畑を一枚ご用意して待っています、とのことですので・・(会いたいな〜。なんですよ)


> あのブログ「自分で自分を閲覧した読書感想文もしくは備忘録」と成り果てているので何だかなあ、ですけど。まあ、それはそれで。

とんでもありません。読まれた人が、なんだそれは?というところに導かれていくのでは、と思います。提起できるなら幸いです。いつも、誠にありがとうございます。

昨日の画像のつづき、
ubik0101さんもどこかに・・

No.2276 - 2009/11/01(Sun) 12:51:22

Re: 総て自分 / ubik0101
>こちらでは、ようやく夏の無限草刈りの日々から解放されたと思ったら、今度は秋の山から落ちてくるこれまた無数の木の葉をかき集めてまた山に返す、という日課を送る日々です。

こっちは、大歓迎です。はらはら舞い落ちる姿とか・・・この部屋のベランダにも、ドングリの樹の葉とか実とかが、わさわさ積み重なってて・・・そういうのが好きなんです。そいえば、去年、そのあたりの落ち葉をかき集めて、玄関に敷いてみたことがあります。

ブログ 。なんか凄いぞ。と思いつつ、読ませて貰っています。それを自分の経緯に翻訳して、おお、こういう意味なのか!です。

そいえば、どういう文脈で言われたのか知らないけど、「非難も正当化もない観察」て、「観察しない」て、ことだ。「自己想起する」て、「自己想起しない」ことだ。たとえばクリシュナムルティとか、グルジェフとか、そいうの解ってて、「観察」とか「想起」とか提唱したわけではなさそうだけど?、世界って、うまくできてるな、です。

No.2277 - 2009/11/01(Sun) 13:38:58

Re: 総て自分 / hato

> そいえば、どういう文脈で言われたのか知らないけど、「非難も正当化もない観察」て、「観察しない」て、ことだ。「自己想起する」て、「自己想起しない」ことだ。たとえばクリシュナムルティとか、グルジェフとか、そいうの解ってて、「観察」とか「想起」とか提唱したわけではなさそうだけど?、世界って、うまくできてるな、です。

突然ですけど、

い・ち・ど・く・しゃ・さ〜〜〜ん。。。(^0^)

読んでおられないと思いますけど、
ちょっと呼んでみたく、なりました。

No.2278 - 2009/11/01(Sun) 13:50:53

Re: 総て自分 / 図書館閲覧者
ubikさん

> こっちは、大歓迎です。

まあ。伸びてきたひげは剃り、抜けた髪の毛が落ちていれば片付ける、てな感じでしょうか。
もちろん、ひげを伸ばしても特に問題はありません。

> たとえばクリシュナムルティとか、グルジェフとか、そいうの解ってて、「観察」とか「想起」とか提唱したわけではなさそうだけど?、世界って、うまくできてるな、です。

「グルジェフもの」って読んだことがありません。
「観察」「想起」もし解ってて言っているのであれば「公案(自己に気付かせるための問題)」に成り得るのでしょうけれど。
でも、その気になったら衣食住、あらゆる言葉、世界の全てが公案ですね。
確かに良くできていると思います。


hatoさん

>来年は、静岡かな〜、と思っています。

お〜、静岡ですか。
ここ2年程は行っていませんが、以前は浜松・掛川に時々行っていましたよ。茶畑にそびえ立つ霜よけ用の巨大扇風機にビックリしました。

…畑…以前、福井に居たとき畝作りで地獄を見た記憶が蘇りました…
開墾…

No.2279 - 2009/11/01(Sun) 19:15:31

Re: 総て自分 / hato

> お〜、静岡ですか。
> ここ2年程は行っていませんが、以前は浜松・掛川に時々行っていましたよ。茶畑にそびえ立つ霜よけ用の巨大扇風機にビックリしました。



なんと素敵な・・・たぶんかなりお近くでございます。話が早くてラッキーでございます。


> …畑…以前、福井に居たとき畝作りで地獄を見た記憶が蘇りました…
> 開墾…



ななんと、素敵な・・・
言葉になりませんところを言葉にして宅のが申しますに、


「じゃあ、もうひと肌脱げるはずだ。。。」ubik0101
「えー・・いいんですか〜遠いのに〜。」hato


な〜んて。。
でも、ぜひお越し下さいね。ほとんど本気で待ってます。

長崎で、3人で歩いたあたり、浜の町のアーケードです。

No.2280 - 2009/11/01(Sun) 23:14:41

Re: 総て自分 / 図書館閲覧者
むむむ。

今の勤めに合わせた生活スタイルに入ってから、自宅を起点に約半径200キロ・車で半日程度の移動距離内でしか動けない状態になってしまっております。

半径200キロ内の引きこもり人生です。(泣)

山口県辺りまで下ってきてくれたら、九州から日帰りで開墾しに行けるんですが。

浜の町アーケード。
そうそう、あの日ubikさんちから帰る車の中で例の秋葉原の事件を聞いてびっくりしたのでした。

No.2281 - 2009/11/02(Mon) 21:14:23

Re: 総て自分 / hato

> 半径200キロ内の引きこもり人生です。(泣)
> 山口県辺りまで下ってきてくれたら、九州から日帰りで開墾しに行けるんですが。


なんとなんと・・・(大泣です。)

今日、大学構内の売店で、自然農法の雑誌を見つけました。ubik0101さんはこっち方面でいきそうです。なので、畝もきっと、なんとかなるでしょう。

そうですね、なにより本当にご多忙かと思います。それで、車を3時間飛ばして来て下さったのでした。
懐かしい九州と図書館さん。余裕ができたら、こちらこそ車を飛ばしてお伺いしたい、と思っています。


> 浜の町アーケード。
> そうそう、あの日ubikさんちから帰る車の中で例の秋葉原の事件を聞いてびっくりしたのでした。



そうでしたね。

あの翌日・・だったか、長崎の港から高速船に乗って島に行ったのですが、船中のラジオで流れていて知りました。

世界はなんでもどうでも・・としても・・
その、苦渋、苦悩、故の意識の矛先が、図書館さんが言われるように、「自分て何?」に向いたなら。それでもかなりの紆余曲折は免れないとしても、人は自分自身を救う可能性があるでしょうね。その問いに入れるなら、まずは非常に幸いかと思います。

そこを大事と見ることができないことが、ある意味ですが、熟していない悲劇といえるかも知れません。


長崎は伊王島の景色です。

関係ないけどubik0101さんはただ今、ヒゲをちょっぴりの伸ばして、茶髪に赤のユニクロシャツ重ね着で、ちょっと(だけ)イカしたしょーワルおやじ。

な感じになってます。

(この描写で、「うん。とくに問題なし。」とのことです)

No.2282 - 2009/11/02(Mon) 23:39:50

Re: 総て自分 / 図書館閲覧者
>余裕ができたら、こちらこそ車を飛ばしてお伺いしたい、と思っています。

はい、是非。

>ubik0101さんはただ今、ヒゲをちょっぴりの伸ばして、茶髪に赤のユニクロシャツ重ね着で、ちょっと(だけ)イカしたしょーワルおやじ。な感じになってます。

おお!!
そりゃ、コーディネーターが優秀なんですよ。^^

No.2283 - 2009/11/03(Tue) 09:21:53

Re: 総て自分 / (  )将臣(   )
アクセス解析すれば分かるだろうが、
しばらく忘れてここをチェックしてませんでした。


たためる上着が全部自分?


荒しは自他を区別できないので、結局「5戒」など他人のネタで盆踊り、自分というものが認識出来ないのだろうね。

No.2284 - 2009/11/08(Sun) 19:59:31

Re: 総て自分 / (  )将臣(   )
このままでは、ただの「瞑想中毒」というか、ハンニャ心経系の「何でもあり、何でも無い」という思想を、違う方向へと持っていったような感じだな。

ただ「あれでもないがこれでもない、結局どれでも無いのだから、何でも無いのだ」と、うにゃうにゃ言っているだけで、何か行動したい事が無いのだろう。

全体にズルズルなのだ。ウナギのように、把握されない事をもって、完全に精神的逃げ場を作り、完全に奇麗事が無限に言えるような場所にいようとしている。

つまり義憤にかりたてられることが無いのだろう。

誰かが義憤等を感じるようになった原因である性質がある意味正しいものであるか、究極的には誰にも分からないが、だからと言って、そのような「自分自身の(何らかの)とっかかり」が殆ど無い世界からいきなり欲張って全てであろうとすると、逆に何ものにもなれないように思う。

キリスト教などにも当然問題があると俺は思うが、
しかしあのような文化圏で育つと
「宗教的な奇麗事がその口できけるかどうかは、おまえの度胸で証明してもらおう、お前が信じている奇麗事を他人に信じさせたければ、行動で示して貰おう」
というノリを学ぶ。
あっちの貴族階級は戦士階級だ。


そういう「勇気ある行動で己の価値感を示す」部分がさっぱり今のこの国には無いようだ。

どれだけ勇気がなくても善人でいられるか、そのための弁解など誰だって無限に作る事が出来るだろうと思う。

つまりいくらでも哲学臭い事や奇麗事臭い事は無限大に言っていられるが、たとえ口だけの世界でも「自分が信じる理念を本当に自分のものとした」事の証明に、異論と噛み合うようにぶつかる(他人が何を問題視しているか理解する)という事が出来なくなっているように思う。

つまり俺は別に、君が同意できるか出来ないかよりも、反対なのか賛成なのか「責任の在り処を曖昧にせず、一旦価値感を明確にしたらその価値感を死守する事によって、語り手事態の価値感や性癖を、もっと明確にして欲しい」と言っているのだ。
君らがいくら無に帰したと思っていても、己自身の性癖のようなものが必ず何かあるのだ。だがそこを明確にしたくないのでは無いか。

俺が何を問題視しているかを、たとえ分かっていても理解したくない人間が多いのだ。理解したくないから、当然理解出来ない。まず納得できるかどうかよりも、何を問題視しているのか理解すべきだと思う。その事で、君らの性癖や価値感の限界も示すべきだと思う。
無限大に奇麗事をいえない「他人の反論から試される」世界へと自分を持ち出し「個として」「俺は思想的にこの立場にある」と明確にしてから意見できなければ、全く何の奇麗事としての価値も無いのだ。

このままでは会話として結局なりたたない「何でもあり、あれもこれもあり」の茶のみ話でしか、他人と意見をかわす事ができなくなるのではないか、と思う。


ここのような瞑想ごっこでは、発言者が、何か「行動しなければならない瞬間」というのが「永遠にやってこない」のでは無いかと思う。

つまり発言者自身の性質や性癖やその性癖や価値感にともなう「限界」(つまり発言者自身)というのが見えて来ない。
それはたとえ謙虚な(無私の精神の)ようでも、それは「無限に自己を拡張して」考えていられる領域なのだ。その属性を持たないのに全て自分、と思う事は、たとえば「あの人には〜の長所があるが、自分にはその長所が無い」というような場合に、何も学ばずただの「上辺の摸倣(特定の他人の服装等を摸倣する事など)」や「空想上のなりきり」等によって、「即、充足」してしまうように思う。
結局異なる他人や異なる意見に対する恐怖や嫉妬や羨望を感じたくないから自他一体だ、というのではどうしょうもないのだ。
いきなり無を念じて己イコール宇宙のすべてだと思うよりも、もっと自分の意見や考え方が、自分個人やそこの群れの性癖に沿ったものであり、それゆえの限界もある偏った思想であるという事を認識すべきだと思う。つまり、俺の場合、俺自身の性質によって思想が色付けされてしまうという事はある程度自覚している。

だが、本当は自分の性質に沿って色付けされ偏ったものであるのに、その自覚無く「普遍的な真理に近づいたものである」と最初から錯覚してしまえば、その偏りを認識しないまま終わるだろう。

つまりそうなると、他が認識出来ない、大文字の他がいない、そういう断念を知らない「結局貪欲なだけの、自分の空想=全宇宙を自分が飲み込む願望があるだけの」精神状態になって終わると思う。
つまり、己の精神的な程度その他を現実に他人とぶつかって試すというような事もなく、結局自己肥大的な全能幻想となって終わりでは無いかと思う。

「どうして自分は悪を前に何もしなかったか」
という理由づけのために、全ての「善も悪も無い」「自分も他人も無い」「何もしないでもすべて私と同等で平等で一つだと思っていたい」という願望を満たすためのヘリクツはあるようだ。

「あの人には出来るのになぜ私には出来ないのか」
という部分でもっと自分の性癖やそれにともなう違いについて悩む事が出来なければ、「全部畳み込んで衣装のように全てをワタシの属性に出来る」「あの人が殺人恐喝されて相手を嫌っているようでも実は全部ワタシなのだから、嫌いと言ってもワタシが考えているように無理心中したいはずだ、繋がっていたいはずだ」というような異常者の貪欲さをも正当化するようになるだけだろう。

ある程度ものの考え方として「劣悪なもの」を淘汰できなければ、文化が成熟しないと思う。「何が劣悪であるか」そこを見究めなければ「ただ繋がっている一つ」というだけでは、劣悪な芸も優秀な芸も同じように一つだ、というやり方になる。そのままでは、芸術や哲学を巡る精神も、ただ腐敗していく。

まず自分だの自我だのいいかたを変えても、問題が出るのは、他人の生命などを奪う側がそういう主張をしだす事だ。

俺はニホンの精神世界の連中から執拗に「殺人の何が悪い、殺人鬼だけが神だ」と恐喝されている。(ここも当然チェックされている)。

また、ファンは自分こそが「愛されている相手そのもの」であると思い込み、オリジナルをCENSORED(またはCENSORED妄想をする、何か盗む)事でその相手と(たとえ通りすがりであれ)無理に一体になりたがる。

作品であれば、普遍性を具えていなければならない。しかし、(すばらしい)普遍性を具えているという事と、(なさけない)盗作であるという事は別だ。

しかしそのあたりをごちゃごちゃにしたがる人間が多い。

言葉は、常に借り物だ。自分勝手に言葉の意味や似非文化まで作って「自分で考えた意見だ」と言ってしまえば、たとえ読む側に理解力があっても何一つ通じないだろう。

だが最初から胎内に飲み込まれた「いわゆるオタク」人種のように、「何も違和感を知らないまま、全体や群れや家や胎内に呑み込まれた幼児のような精神状態」で「他人(個)」へと向かって言葉を発しても、架け橋としての会話にならないという事だ。

まず最初から一体という感覚で語るよりも、いかに架け橋を作るかという技術から学ばないといけないのだろうと思う。

自他の違いを識別した上でなければ、逆に価値感の違いも(埋まるものであったとしても)埋まらない。

法的な問題は兎も角、己の性癖が変えられないなら、それはそれで他人がどう言っても変わらないものだろうとは思う。
ただ俺が問題視しているのは、どう意見が違っているのかを殆どが理解できない(したくない)ため、(最初から自分と大差ない価値感の中で生きていてくれているはずだと自他一体幻想持ち連中が思っていたいため、)違う意見そのものが認識できないということだ。
それがたとえ(殺人禁止などの)社会の常識であっても、その事すら最初から知らないかのように、まるで俺自身の性癖の問題であるかのようにして(特殊な性癖持ちのオタク犯罪者連中が)批判してくるのだ。

その違う意見に納得するかしないかという事では無く、まず他や社会の法すら殆ど認識できない無限の内面世界を作る事が問題だと俺はここで言っている。

その「異なる意見があるという事すら理解出来ない」今の国全体の状態は、最近の娯楽が全て受身的映像的である事のせいか、また思想すら服のように借り物であって本当の内的必然性に支えられていない一種の奇麗事(ハラ芸のまま)である事からなのか、最初からこの国が「議論を知らない」国民性であるためなのか、更に互いの意見(の違い)に対する無理解の程度が酷くなっているように思う。

No.2285 - 2009/11/08(Sun) 20:31:22

Re: 総て自分 / (  )将臣(   )
>「非難も正当化もない観察」て、「観察しない」て、ことだ。「自己想起する」て、「自己想起しない」こと


「殺人」「なりすまし(自他未分化、コスプレ)」「殺人事件などに関しても、2、3歳の幼児への性犯罪正当化などを俺が問題視している現状を示しても、

「批判する人間」に対して「批判するな」
「自分を想起しなければ、異なる価値感を持つ殺人犯の精神世界(ようするに批判を嫌うカルト宗教同類)を批判しないだろう」というような人間は、
逆に自分こそがその相手が生きる権利すら否定し、相手が生きようとする事を批判し、逆に子殺しなどで執拗に食い下がってくるような、加害者どもの異常性癖を正当化している事を自覚すべきでは無いかと思う。



「何が優れたものか何が劣悪なものか」当然観察者や観客には分かっているという証拠は無く、愛憎や嫉妬心や利害関係などから、己の感じた事すら正直に言わず、相手に伝える時には、わざとゆがめて意見を語る人間も多くあるだろう。

だが、いつまでも、優劣を区別しようとする事そのものを否定してはならないだろうと思う。

「正しく分別しようする所」に当然芸術的価値も精神的に優れたものも存在する事が出来る。

悪なら悪で、「人間の進化を妨げるようなくだらない悪」「英雄性不足の悪」であれば、いくら下らない殺人や暴力等によって精神的偉大さに対抗しよう(他人の属性を殺人や通り魔的な無理心中によって得ようとしても)「悪(自称神の事もあるだろうが)としての魅力や良さすら、CENSORED一体になりたがる犯罪者(どんな凡人やただの異常者であれ、自称カミの事もある)は獲得出来無い」という事だ。

つまり善悪ばかりでは無く、「偉大であるか卑小であるかなどの区別」というものがある。


本当に世界が上手くできているというだけで何もしない自分を正当化したいのであれば、それは何も魂を持たない奴隷同然であり、何も価値感を証明せずとも、「この宇宙に属している」(いわば家に属している)だけで良く、行動や度胸で己自身の価値感(精神的な優劣等)を証明しないでも、それどころかどれだけ示した本性が邪悪であっても、通り魔的な無理一体幻想で、社会的に受け入れられ、認められると勘違いしたままで済むということだ。

「出来の悪い芸(芸術)だと思っても批判するな、それは見る人間の考え方の癖だ、性癖だ」というだけでは平等幻想どまりで、劣悪なものを生かす行き止まりの、結局、そのような思想こそが、この国の自滅用の感性というようなものだろう。

ようするに「他人の批判が正しいか否か」よりも、そのような異なる意見や批判があるということすら認識出来ない、またそれどころか一般社会の法的善悪すら知らず、特定個人の価値感や趣味の問題へとすりかえたがる(反論そのものを責める、甘やかされたいいっぱなし垂れ流しの)状態では、まだ発言者が精神面で人間になる以前だという事。

もちろん荒しがHN変えして揚げ足をとるのは、まともな批判や反論として相手にすべきでは無い

何度も言うが、個々人が現時点で持っている性癖や価値感をもっと自覚し、明確にすべきだという事だ。何も自分には個としての「性癖」が無い、従順では無い会員からは、抵抗を削ぐべきだ、というのは、殆どカルトの責任逃れにすぎない。何らかの性癖や性質が、ある集団にある程度共通する傾向であるとしても、そうなった「責任は個々に」ある。

発言者が己の性癖によって限定されているという事実が自覚できなければ、永遠に普遍的な価値感や、他人の心に気づくことや、それ以前の社会性へと近づく事も出来ないだろう。

つまり「ワタシは笑っているのに、アナタはおこっている。ワラッテイル私しかこの宇宙に存在しない。アナタの怒りは間違っている」と言っても、何で笑っているか次第ではそのような邪悪な自己正当化など通用しない。

もし、痴女が「無理心中おっかけ・殺人」を美化し、自己正当化しつつ、その加害者(またはその思想に影で同調するストーカー集団)が笑っているようであれば、一体誰が邪悪なのか?

結局「批判を批判であるというだけで批判している」自覚も無い「いきなり無=ワタシの妄想が全宇宙」型の人間達は、

他人を批判している事すら、さっぱり自覚していないのだ。


「己だけの幸福感(快楽犯罪を含む)」を「ただ万人に通用する前向きなもの」と考えているだけでは、その人は「己の幸福感(快)が宇宙の善悪の基準である」と考えるばかりで、他人の不快感の原因を知りたがらない、結局邪悪な人間だということだ。

自他一体妄想を散々やりながら「犯罪者はそこに含まない」、といきなり付け足してもそんな非論理的な、一貫性の無い思想には、説得力も信憑性も無い。

当然正しい事を言っても不快がる人間はいるわけだが、まず他人の不快感を「それを問題視する側の問題」にしたがる人間は、社会的な精神を持たない。

(まともな)警察は、何も己の欠点を投影した人間を逮捕したいわけでは無いだろうし、地域を見回る役員だって己の欠点を犯罪者に投影して、犯罪者の存在を問題視いるわけでは無い。

しかし互いに「ワラッテイルほうがエゴイスト、オコッテイウほうがエゴイスト」と言い合っても、何を問題視しているかを明確にしないかぎり、何一つ問題は解決しない。だが、


もし「怒っているほうがエゴイスト」「何か犯罪者を問題視(批判)するほうが悪い」とある人間が思っている場合、そいつらは大抵、何でも笑顔となあなあまあまあ(見て見ぬふり)芸で、犯罪を自己正当化する性癖持ちだと言える。

No.2286 - 2009/11/08(Sun) 21:46:53

Re: 総て自分 / ubik0101
まあ。いろんな意見や主張あるとしても、とくにないとしても・・・自分て、何?これを明らかにしなければ、なんにしても、不明確ではないでしょうか。

また。たとえ世界の総てを知っても・・・自分て、何?を明らかにしなければ、意味があるでしょうか・・・ここでは、そんなことを話しています。

No.2288 - 2009/11/09(Mon) 10:28:01

Re: 総て自分 / (  )将臣(   )
だから君らが「自分の意見をあきらかにしてない」だろ?

俺がAの意見についてどうこう言っても別の奴が出てきたり、そういうのも甘やかしだよ。


「批判が悪だ」というのは「同意のほかは悪だ」といってるのだから、結局全員同じ流れでヘラヘラ笑って何も行動するなというんだろ。カルトの洗脳と同じだよ。

No.2291 - 2009/11/09(Mon) 17:46:19

Re: 総て自分 / hato

> だから君らが「自分の意見をあきらかにしてない」だろ?
> 自
> 俺がAの意見についてどうこう言っても別の奴が出てきたり、そういうのも甘やかしだよ。



明らかです。わりと、というよりは非常に明確です。


> 「批判が悪だ」というのは「同意のほかは悪だ」といってるのだから、結局全員同じ流れでヘラヘラ笑って何も行動するなというんだろ。カルトの洗脳と同じだよ。


将臣さん。

誰にとっても、「人が何を言いたいのか、」が、基本的なところで解っていない人と、対話することは難しいでしょう。
将臣さんは、まず初めに、自他、ということを、将臣さん自身の中において、きちんと明確にすることが必要でしょう。

そこが将臣さんのなかで整理がついていないために、人が何について言及しているのかを、正確に読み取る、或いは読み取ろうとすることができないのかも知れません。

なぜなら、それこそ、自他の区別が曖昧故に、湧き起こる想像が、他人が述べることに無闇に投影され、混ざってしまっているからです。こうした状況はとても、対話として成立させるには困難です。

人のことは、いいのです。まずは。
その、整理のついていない自分、ではありませんか?

No.2296 - 2009/11/09(Mon) 21:39:26

Re: 総て自分 / (  )将臣(   )
お前何「自我」の意見で入ってきてるの?


君らが自他の区別がついてないから「全部自分」といってるんだろ、

洋服も自分なんだろ、アホか。

No.2298 - 2009/11/09(Mon) 23:08:21

Re: 総て自分 / hato

なんにしても、その自分。

を探求することが難しいなら、残念なことですが。

No.2303 - 2009/11/09(Mon) 23:23:27