>そんな時、人は空想の機能を使って学ぼうとするのでしょう。
たしかに。シュミレーションして、学ぼうとすることとも言えます。空想。 そのためには・・・たとえばビルの中で、ビデオ画像を見ながら、ジェット機の操縦桿を操作する訓練をしても・・・なんの実感も効果もないので・・・そうしてる自分を騙してでも、空想なのに、それが事実だと思いこまなくては、真剣になれません。
たとえば・・・ほかの人が、そう思ってもないことを、そう思ってると勝手に空想して・・・それに対して反対したり賛成したり・・・つまり自分が自分と分裂して闘ったり仲良くしたりします。でも、それに対応しての・・・そうじゃないよ。それは、総て自分。みんな一体だよ・・・としても、それも空想・・・を事実と見なします。
でも、うまくいけば。思考の限界には矛盾があって・・・たとえば、総て自分。という意見には、その類似なことと、反対のことと、無関係なことがあって・・・それに思いあたって、思考が思考を保持できなくなって、思考が消滅したりします。
そこで現実に直面したりします。けどそれも空想で・・・現実に現実逃避・・・つまり現実に依存してる。だけかもしれません。そいうことは、もともと、そんな、その空想してる主体を、ある、と空想してなければ、総てが成立しない・・・です。その主体を、ない、と空想することもできます。
そこで・・・自我は虚構・・・空想だと了解されればどんな空想にも依存する必要がなくなる・・・ついでに空想による、ほかの人との軋轢や葛藤は不要になります。それまでに・・・いい加減な段階で納得なんかしないで、どこまでも、たとえば自分を探求する・・・その自分は世界によって、つくられてた・・・その総てが役に立つ・・・とてもうまく出来ています。
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No.2325 - 2009/11/11(Wed) 13:20:36
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