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記事No.2449に関するスレッドです

思考実験 / ubik0101
あなたは、あなた自身を感じるでしょうか。わたしは、自分自身を感じることが、できません。ただ、風が吹き、鳥が鳴いています。この不思議な世界は、まるで飛び出す絵本のようです。

それは、また、眼が見ようと意図して見てるのではありません。耳が聞こうと意図して聞いてるのではありません。この明るい世界は素通しです。そこで見えない暗い身体の中に注意を向けると、呼吸、あるいは、すこしの腹痛が、知覚されます。

それで、ふと、思います。そのような世界や身体など。そのような知覚されることを、知覚することによって、この知覚されない自分は、知覚されない自分として、現れずに了解されるのではないでしょうか。もし世界が、とどまることがなく変化するのでないなら、そのようなこともないでしょう。

その、知覚にとってですが、自分は、ない、です。自覚されません。ない、のですから、たとえば、なんであれ、どうやっても、その、ない、を守ることなどできません・・・と、言う前に、ない、は失うことも、できないでのす。ない、は 創ることも、壊すことも不可能です。それが、ない、です。

それは、見るにしても、聞くにしても。苦しむにしても、楽しむにしても、怒るにしても、なにかを思考するにしても、それらは常にとどまることがなく機能しています。そのことが、その、ない、を現してるのではないでしょうか。

そして、おなじように、見るにしても、聞くにしても。苦しむにしても、楽しむにしても、怒るにしても、なにかを思考するにしても、つまり、この知覚できる、世界の裏側も、ない、です。

たぶん、続きます。

No.2439 - 2010/03/12(Fri) 09:25:45

Re: 思考実験 / ubik0101
ところで。繰り返しますが・・・自我の仕組みとは・・・自分があって、なにかを行動したり、思考したりするのではありません。なにかを行動したり、思考したりすることで・・・予め・・・そうしてる主体、中心、自分が自分と思う自分、つまり自我、が、まるで時間を遡って、仮に設定されるだけです。 その自我は虚構です。ない、です。

これは、こう、だということを、こう、だと見たことです。まあ。自分が、ない、という了解の体験は、様々なようですが。それでも、なにかが、ない、ということではなく・・・「ない」・・・というそのことは、どういう意味なんでしょう。それが明確でなくて、どうして、たとえば自分が、ない、などと言えるのでしょう。

たとえば時間が、恐怖が、執着が、葛藤が、思考が、ない、と言っても、その、ない、ってどういう意味なんでしょう。また、ある、と言っても、その、ある、というのは、どういう意味なんでしょう。

続きます。

No.2440 - 2010/03/14(Sun) 12:26:09

Re: 思考実験 / ubik0101
それが明確でなくて、なにかが、ある、ない、としても、なんとなく納得してるだけ、つまりは曖昧、または混乱かもしれません。そしてまた、たとえば自我が、時間が、恐怖が、執着が、葛藤が、思考が、どういうことか理解しなければ、それも曖昧、混乱かもしれません。

それで、なんとなく人は、知覚できることは、ある。知覚できないことは、ない。と暫定的に判断してるのかも知れません。と、すると、なにか対象を、あるない、と判断する自分は、ある、になるかもしれません。

ない、を確認したい、自覚しようとすることが、ある、になってしまうかもしれません。これは明らかに実感だとしても、あるない、の意味としては暫定的な、曖昧な判断ではないでしょうか。

hatoさん、おすすめの画像です。

続きます。

No.2441 - 2010/03/14(Sun) 12:58:19

Re: 思考実験 / ubik0101
ところで、なにかを行動したり、発言したり、思考したりする・・・ほかの言い方では、知覚、感情、思考する・・・その自分、を確認したい、自覚したい、その運動が、ほかの人との争い、つまり軋轢・・・自分との争い、つまり葛藤。それが自我、と呼ばれることがあります。

そのために、なんでもない平穏な日常に波乱、怒りや不満、興奮を起こして・・・それは心理的思考とか、葛藤とか呼ばれることもあるようですが・・・それを起こしてる、その、中心の、この俺、私、自分を自覚しようとすることです。これは自分が、 ない、なんて思っても、ない、ことで、どういうわけか、自分が、ある、として混乱してしまうことかもしれません。

そんな軋轢や葛藤は空想が原因で、つまりは自作自演の対立なので、世界との、自分との分離、とも説明されることもあります。また、分離がないなら、世界と自分は一体とか、ひとつ、とか説明されることもあります・・・けど。それだけのために、自我は機能するわけではありません。

続きます。

No.2442 - 2010/03/16(Tue) 09:20:19

Re: 思考実験 / ubik0101
また実際に、軋轢や葛藤など、あろうがなかろうが、まったく度外視して・・・花も嵐も踏み越えて・・・ひたすら自分を探求する・・・ubik0101は、そのようでしたが・・・それが人には可能です。つまり、現れた自我の機能が有問題、そういうことがなければ無問題というわけではないのです。

この世界は、そのようにして、ない、自我から、ある、自己を創ってるのです。無から有を創ってるのです。もし初めから人が自己であれば、生まれる必要さえない、です。

この、ない、が、ある、振りをすること・・・自我・・・それが、実際に、ある・・・自己・・・になる。そのために、ささいな葛藤や、軋轢や、平穏や、努力も・・・なにがなんでも命がけの怠惰や、どろどろの混乱、そして血と涙と汗の絶望も、機能します。この世界の総てが機能します。 この意味で、無駄なことなんか、なにもありません。

続きます。

No.2443 - 2010/03/16(Tue) 09:23:51

Re: 思考実験 / ubik0101
が・・・また。そのままでいいんだよ。初めから人は、ほんとうの自分です。そのことに気が付けばいいんだよ。それだから、すぐには気が付かなくてもいいんだよ。とかいう主張もあるようです。これは片方だけではカバーする領域が不足で・・・両方あっても、説明概念でしかありません。

そんなことより、人が、自己かどうか、それだけです。それは意識ではありません。どんな言い方をするとしても、純粋な意識とか、おおいなる意識の断片とかではありません。

ところで日常。とくに葛藤がなく、軋轢がなく・・・つまり平穏で、苦痛が無く、幸せでも、これが自我だという自我の機能が作動してなくても・・・自我なら、自我です。つまり無自覚でも、自我です。

もし、これが自我だと、自覚できるなら、自我でないことを、自我と判断してる可能性があります。軋轢や葛藤や苦痛や思考や恐怖など、自我の機能になり得ることを、自我と判断してる可能性があります。自我ならば、なにか問題があろうとなかろうと、自我です。それだけのことです。

そのくらい自我は掴み所がなく、根深い必要があります。でなくて、自我から解放されたら、どうして、それと自覚しないでも、自我でない、という了解ができるようになるでしょう。

続きます。

No.2444 - 2010/03/17(Wed) 13:06:45

Re: 思考実験 / ubik0101
また。たとえば、葛藤や軋轢は、既知のことだという主張があります。心理的思考は、過去であり、既知のことだという主張があります。違います。怒りや、苦痛、過去さえ、未知なのです。自我さえ、未知なのです。それ、が、そう、である必要など、まったくないです。自我が、自我である必要などないのに、自我なんです。 既知と未知の分離は妄想です。

また、たとえば命名が、問題。という意見もあるようです。たとえばそれは、怒りにしても、苦痛にしても、とくに幸せは、そのときには気が付かない、気が付くのは幸せと命名してるからで、それは幸せを自分の外に見てるから、という意見もあります。けど。そういう分離さえ、世界の機能です。執着さえ、依存さえ、倒錯さえ、世界の機能です。

そんな怒りにしても、苦痛にしても、幸せにしても、あろうがなかろうが構いません。厭うべきも、好むべきも、ありようがありません。

ほかの言い方では、そんなことによって、すでに自分が自分だと思う自分を、作ってもらう必要がありません・・・それは、そういうことに執着、依存、倒錯できなくなってるということです。

ならば、自我=無我。自我もなければ無我もない。自我もあれば、無我もある。執着しないことに執着しない。何とでも言えるのですが・・・それはなんであれ、くり返しますが、世界の機能であり、厭うべきも、好むべきもないのです。

ほかの言い方では、まったく自分の行動、発言、思考を正当化するのです。それで、行動、発言、思考が互いに矛盾せず、人は、悪を行わず、善を行います。

その日常が神秘です。そこでは、知ってることなど、なにもありません。それで問題なく、御飯を食べることも、思考することもできます。自我の研究は、趣味になり得ます。

続きます。

No.2445 - 2010/03/17(Wed) 13:24:18

Re: 思考実験 / ubik0101
たしかに自我は、さまざまな葛藤、軋轢、などとして現れやすいのです。どんな、もの、ことだって、そのために使われ得るでしょう。それは世界の断片を、そのために巻き込んでるだけでしょう。と、いうことは、どんな、もの、こと、だって・・・その現象・・・どの現象も・・・そのものとしての自我ではない。ということです。

そういう、もの、こと、を巻き込んで、ない、が、ある、振りをしてるだけです。暴風雨の中心は青空。台風の眼のようなことです。それが自我の機能です。ここからも、怒りや苦痛だけが問題というわけではなく、ただ、自我ということが、問題なら問題で。それは自己でないのに、その振りをしてる、ということが問題なだけです。ある、でない、ことが問題です。

ここで、思考実験、です。たとえば、死んだら、どうなるでしょう。私は、俺は、僕は、消えて無くなるだけです。こう答えるのは、自我です。そうです、自我は、ない、のですから、暴風雨がおさまると、ない、中心も無くなります。そう答えるしかありません。これが辛いのです。隣人が、友人が、そうしなくてもいいのに、消えて無くなるだけだからです。

続きます。

この季節ならではの、甘く上品な香りと味・・・木の芽として売ってるような葉っぱになったものとは、どこか違うと思います。 山椒の芽。あまり大きくならない間なら、枝から摘んでも、また同じ所から生えてきます。

No.2446 - 2010/03/18(Thu) 17:11:34

Re: 思考実験 / ubik0101
ああ、違うんだ。輪廻するんです。それは、なんか自分という、カタマリ、が生まれ変わり死に変わるわけではないのです・・・これは悟らなきゃわからないんだ・・・けれど、わたし達の営為が世界を変えてるんです。自業自得なんだ。そうだな・・・ここから倫理が生まれるんです。これは大変なことなんだ。 わたしは、地獄に墜ちるに決まってるんです。

そんなことを言うのは、もしかして、愚か者さん?その変わり続ける世界のどこかに子供が生まれて。たとえば・・・あちこちに熱帯低気圧が発生して、つまり、ない、が、ない、に、輪廻するんです。どの中心も、ない、ですから、輪廻するとかしないとかは無意味です。私が、ない、のに、どうやって地獄に堕ちれます?ま、きっと好々爺にはなるでしょう。

また。輪廻があるから、悪いことをせず、善いことをしよう、ではありません。 この、ただ消えて無くなるだけかもしれない、からっぽの、ただ生きてるだけの私、僕、俺、それでも、というか、それだからというか、つまり理由なく、根拠なく、悪いことをせず、善いことをするのです。これも天上天下唯我独尊、です。

では、ここで、自己、に聞いてみましょう。死んだら、どうなるでしょう?それは簡単です。ただ消えて無くなるだけです。えー。それだと自我と、おんなじじゃありませんか。うん。この同じだけど、違います。が、判らねばなりません。

続きます。

No.2447 - 2010/03/19(Fri) 21:16:26

Re: 思考実験 / peer
まあ。なんだか分かりませんが。
自我は、そういうシステムがあり、稼働するプログラム。
じゃないかなぁ〜という感じがしています。
そういう意味で、あるような、ないようなもの。
となりそうですが〜(^^)

そろそろ春ですねぇ。
・・・花粉症が、教えてくれています。

No.2448 - 2010/03/22(Mon) 00:37:49

Re: 思考実験 / ubik0101
ま。あるような、ないような、というのは、この世界で・・・半存在・・・そして自我の正体は、その中心が過去の、ただ、ぽっかりと空っぽ。ない。 って感じで、す。

それと、思考するなら、アフォリズムのような、真理の断片ではなく、それを総合的に繋げることができれば・・・とても正確な思考が必要ですが・・・見えてくることがあるし・・・この意味でも思考実験で、す。

そうですね。そろそろ春ですね。スミレ、の花が咲いています。

No.2449 - 2010/03/22(Mon) 09:47:05