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記事No.2484に関するスレッドです
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私と貴方
/ peer
引用
>hatoさんに・・・君は僕なんだよ。僕は君なんだよ・・・と言ってみました。それは、あまりに苦痛が押し寄せる気配があって、顔だけ笑ってしまうほどでした。
私の代わりに、お使いに行ってもらう。
それは可能ですが、お腹のすいた私の代わりに食事を
してきてもらっても、私のお腹は満腹には、なりません。
みたいな〜
No.2471 - 2010/03/29(Mon) 13:08:37
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Re: 私と貴方
/ ubik0101
引用
まあ、「ひとつ」というのは、単なる、素材、です。たとえば人や鳥や魚の身体は、炭素とか酸素とかでできてます。それは交換可能です。そして、やっぱり眼は世界を見るし、耳は聞くし、舌は味わいます。たとえば、喜びは、喜びで、砂糖は、砂糖の味です。脳は思考を知覚します。レンジは違ったりするでしょうが、同じようなことです。
また、たとえば、バッハも、モーツアルトも、アルバートアイラーも・・・空気の振動・・・その物理特性を活用して、作曲します。セザンヌも、ゴッホも、犬塚勉も・・・光を活用して・・・おなじ絵の具を使うこともできるでしょう。なんであれ、それは、ゆるやかに互いに関係がある素材であり「ひとつ」です。でも、できる音楽や、絵画は、おなじ素材であっても、違う、作品です。
その、違いは・・・美しさとか、喜びとか、静かさとか、神秘とか・・・なんだかの表現です。と、すると、その素材は、たとえば音、絵の具、でなくてはならない。ということはありません。言葉でも、沈黙でも、樹でも、身体の状態でも、花でも、青空でも、なんでもいいです。
それは、その素材でなくてはならない・・・その素材に、たとえば大理石に・・・たとえば青年ダビデが隠れてた・・・それを掘り起こした。とも言えますが・・・創ってる。のでもあります。
その、醸しだされる表現は、それ「ひとつ」が十全に機能しながら、「ひとつ」に依存しません。自己、はそのようです。泥沼に咲く蓮華。と、いう意味です。この世界に限定するとしても、どうしたって、悪いことをして悪い世界を創るより、善いことをして善い世界を創る。が、幸せです。
No.2472 - 2010/03/29(Mon) 15:15:40
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Re: 私と貴方
/ peer
引用
>眼は世界を見るし、耳は聞くし、舌は味わいます。たとえば、喜びは、喜びで、砂糖は、砂糖の味です。脳は思考を知覚します。
眼は脳を介して世界を見ているし、耳は脳を介して聞いているし、
舌は脳を介して味わいます。
脳の配列によっては、指先で味わう・匂いを感じる。
という人もいます。
また側頭葉が傷ついた人は、両親の顔写真をみて、
両親だと分かりますが、両親を見たときに感じる
感情が伴わないので、両親のコピー・・・替え玉を
見ているような、見た目はそっくりだが別人と判断する。
・・・
みたいなこともあります。
同じもので作られている、のではありますが物質界の原則
みたいなものは抜かすことができないかな・・とも思う。
のよね。。なかなか、どうも。
たったひとつのタマゴが、おなじ細胞が、色々な姿をする不思議。
No.2473 - 2010/03/30(Tue) 02:06:39
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Re: 私と貴方
/ ubik0101
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まあ。脳が原因になって、意識を発生させてるのか?意識が、脳という機関を通路にして世界に現れてるのか?と、思ったことがあります。どっちだとしても、これだ、とは言い切れないだろうし・・・どっちでなくても脳が変調すると、意識も変調するだろうし・・・なんにしても世界は美しく・・・♪ああ人生を忘れそう、このアジアの片隅で、です。
ところで、なんにしても、奇妙、そんな思考があります。たとえば「あらかじめ出来事は起こるように起きる?」・・・そうです。いいえ。どっちでもある。どっちでもない・・・これは、事実として、どのようにも出来事を、解釈できます。けど、どう言っても、総て誤り。ではないでしょうか。
たとえば、なにかの出来事は起こります。それで、とくに心理的思考とか、軋轢を起こさない・・・ならば、問題が解決された。ということも起こりません。さて、そこで。あらかじめ出来事は起きるように起きる。でしょうか?
それ、さえ、ない、のです。でないなら、世界の総活動、を理解してないゆえの、あるいは思考が徹底してないための、誤った見解かもしれません。「思ったことは起きる」も、似たようなことと踏んでいます。
>同じもので作られている、のではありますが物質界の原則
>みたいなものは抜かすことができないかな・・とも思う。
かなりの、うろ覚えですが、禅だと思いますが・・・総てが繋がってて、それぞれが独立。絶対平等と絶対差別、その円融?という考え?境地?もあるようです。
No.2474 - 2010/03/30(Tue) 11:32:19
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Re: 私と貴方
/ peer
引用
思いは、自分を変化させる力があります。
みな、ほとんど同じDNAを持ちながら個性がある。
それは環境によって生じる思いがDNAのどこかのスイッチを
ONにしたりOFFのままであったりするからのようですが。
覚醒しました。なんて場合もすでにDNAは変化しているんでしょうね。
仙人みたいな人は、固形物を食べなくても生きるようで。
脳も内臓なども、変化しているのかも。
同じ両親から生まれる遺伝子は70兆もの変化があるそうです。
70兆分の一の確率で「その人」が生じる。
そして、生じた時代や環境によって際限なく変化し続ける。
今は、そっちの方に興味が行ってます。
No.2475 - 2010/03/31(Wed) 00:39:33
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Re: 私と貴方
/ ubik0101
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そいうことの実証研究は、眼がくらむほど、困難だろうとは思います。が、たしかにスポーツで筋肉は発達するし、たぶん思考すればシナプスが発達したり、記憶すれば、なにか、どこかに変化があるのでしょう。ヨガとか禅の修行で、頭の形が変わった。という話を聞いたことはあります。
クリシュナムルティは、洞察が、脳を変えるかも?とか話してたようです。 まあ、ほんとかどうか疑問ですが「誰も変容しなかった」というのが遺言だったそうです。その言葉には、クリシュナムルティ自身も含めるのかな?含めないのかな?ですけど。脳の劣化ではボケることはある・・・ボケないこともある・・・逆もあるかもしれません。
No.2476 - 2010/03/31(Wed) 10:28:25
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Re: 私と貴方
/ peer
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ボケている人の脳は委縮していますね。
最近では、空間情報を脳だけでなく、細胞それ自体が
感知して、それに対して行為が起きている。
と言われます。
細胞が感知していることの総称として六感というのかも。
脳が関知する以前に、肌で違和感を感じていたりします。
体内で脳が作られる以前では、細胞(細胞膜)が、脳の働きを
しているとも、いわれます。
まっ。脳が認識できる範囲は、狭いし限界もありますね。
意識は自由自在です。しかし肉体の中に戻ると限界が生じる。
そこに、人として存在する理由がある〜と言いたい気がする。
No.2477 - 2010/03/31(Wed) 12:34:59
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Re: 私と貴方
/ ubik0101
引用
まあ。脳の損傷で、涅槃、みたいな体験をしたりして。ボケて、けっこう幸せだったりして。脳?が未発達でも、凄い計算?ができたり、作曲できたり、写真のような絵が描けたりすることもあるようです。
そこで脳の機能を、細胞にも見出すと。ついでに水などの分子や、水素や炭素などの原子や、電子も、素粒子も、個性があって。それが空間に影響をあたえる、 いや空間に機能があるなんて、話になったりするかも・・・です。
>意識は自由自在です。しかし肉体の中に戻ると限界が生じる。
>そこに、人として存在する理由がある〜と言いたい気がする。
うーん。その内容に依存しない意識?なのに、限界が設定されると、たとえば大リーグ養成ギブスを着けると、剛速球。もしかして消える魔球が投げられる、ような効果がある、みたいなことでしょうか。
それとも、うろ覚えですが、なんとか居士が言った「わたしにも神通力があります。それは山で薪を背負い、桶で水を運ぶことです」。みたいなことでしょうか。
No.2478 - 2010/03/31(Wed) 14:30:28
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Re: 私と貴方
/ peer
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神通力は、よくわかりませんが。
細胞一個の微生物も、カビも大腸菌も植物も動物も
まったく同じ遺伝子の原理を使って生きている
ということが分かったのは、ほんの40年前。
ですからねぇ。まだまだ解明されていないことが多い。
まっ。これがですよ。知らない内に活動してくれていて
あたしらの体は、出来上がってる。一日に数千億の赤血球は
壊れて。同じ数の赤血球が作られている。
ものすごいスピードで入れ替わっているんですね。
それだけでも、すごいものだと感心しますわ。
それを思うと意識というものも、ひとつのもの。
でもなく、沢山の合成物かも。と思う。
No.2479 - 2010/04/01(Thu) 00:11:22
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Re: 私と貴方
/ ubik0101
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そいえば、脳細胞は、毎日10万個ほど壊れ続けて、そのことによって、思考することが可能なのかもしれません。なんて思って、これは凄っ。と感じたことがあります。
また。なにか真理を見たとしても、人は、さらに探求してないと安定しないようです。自我、意識とかの始まりの探求、基本研究から学ぶことが多々、な感じです。けど、どうも、世界は、真善美になりたがってる、ようにも感じられます。
たとえば・・・♪強ければ、それでいいんだ♪力さえあれば、いいんだ♪ひねくれて星を睨んだ僕なのさ(タイガーマスク)・・・という歌を聴いて、どうして、ひねくれた人が、ひねくれた、と認識できたんだろう?という疑問が生じましたが・・・孤独なら、孤独という認識もない、幸せなら、幸せと意識もしない・・・ということは人の状態と認識の関係です。それはAはAで片がつきます。けど、これはどうも、嘘とか、悪意とかでは意味が無く。善いことしか・・・これから・・・が成立しないようです。
hatoさんが、ここのところ頑張ってきた仕事は、昨日で終了です。ご苦労様でした。同僚からの、贈り物、を貰って帰りました。これから一緒に、すこしづつ、脳天気に、静岡の、農天気に向かって、引っ越し準備です。
No.2481 - 2010/04/01(Thu) 11:10:06
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Re: 私と貴方
/ peer
引用
そう、毎日壊れてますね〜
人間はお腹の中に居る時に、生物の進化を一通りするようです。
生まれるまでに1000億個のニューロンは死滅し
1000億個のニューロンが残ります。
計2000億個のニューロンが作られるのに半分は人としてはいらないモノ。
だから排除される。ほんとに・・・ご苦労なことです。
>ひねくれた人が、ひねくれた、と認識できたんだろう?
>という疑問が生じましたが・・・孤独なら、孤独という認識もない、
>幸せなら、幸せと意識もしない・・・
ひねくれていない人は、ひねくれる、ということを認識できない。
孤独ではない人に、孤独は認識できない。でしょ。
ひねくれているから、ひねくれるのは損だと身にしみる。
孤独だから、孤独になりたくないとか思うのでしょう。
孤独だから、孤独な人の寂しさが分かる。
悪事をするから、悪事の痛みが実感できる。
そうですか。退職ですか。
見送られて退職した人は、hatoさんの、ちょっとした
寂しい気持ちが理解できる・・・と思いますが。
うん。。。そんなことも、ないのかな。
御苦労さまでした〜
No.2482 - 2010/04/02(Fri) 01:33:23
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Re: 私と貴方
/ hato
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総てを孕んでいる、この日常、それ、に人が真に触れたとき、経験値からくる 自分固有の認識 を超えることができるでしょう。総てが稼動している故のそれ、ということ、ここはある意味、意識、の必要が、ない、とも言えます。それは隠されている、ということではありません。
そのとき、
ことさら、総てがある、なし、そう、である必要、がなしに、理解できることが在る、ということです。でなければ、総てを擬似体験するために、イタコになったり、いつまでも世界を調べたり、できるとして何回も生まれたり・・・することが必要、になってしまうかも知れません。
そのとき、
世界を鏡としてだけ、生きる必要がないでしょう。総ては自分、である必要がない、なぜならその理解は、知覚に依存できないからです。
愛としての共感、慈しみがあり、それ故に理解が可能になりながら、この世界、ことさら自他の分離、融合の必要がないようです。
あるとして、
どうしても、正当に、そこ、に達する、必要がある、だけです。そして尚、日常のなかで、生き・・・笑い、苦しみ、嘆き、楽しみ、味わい・・・けれどそのとき、それがそう、である必要がないこと、これが必然です。
peerさん。労いありがとうございます。
そうですね・・・なんでしょう、できることはしたのかな、
今のとこ、まだ、ぽけ、としてます。
最後まであがいた取組報告書、刊行されたら送ってくれるようです。
No.2484 - 2010/04/02(Fri) 20:46:15
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Re: 私と貴方
/ ubik0101
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>ひねくれていない人は、ひねくれる、ということを認識できない。
>孤独ではない人に、孤独は認識できない。でしょ。
それは、面白い問題です。とりあえず極端を思考してみます。まったく宇宙に自分しかいないなら、孤独、も意識されないでしょう。そして、いつも誰かと一緒なら、孤独、も認識されないでしょう。
つまり、どっちの極端も、孤独、を認識できないです。そして、どっちの極端も、どう呼ぶのかは知りませんが・・・孤独でない・・・を認識困難なのです。
ふつう現実には、どっちにしても、そんな極端な片方だけの状況はありえないでしょう。状況も変化するし、比較できるでしょう。けど、だからと言って、孤独にしても、ひねくれてない、にしても認識できるけど、それは程度の差なんだ。環境と、感受性に依るんだ。ということで決着させる訳にはいかない問題でもあると思います。
続きます。
No.2485 - 2010/04/02(Fri) 20:47:50
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Re: 私と貴方
/ ubik0101
引用
たとえば、なんだかの性格とか、状態の自分なのに、そのことに気がついてないことがあります。意地悪でないとか、優しくないとか、ひねくれてない、とか・・・(意地悪とか、優しいとか、ひねくれてる、とか)・・・自我とか、無我とか・・・でも、それに気がついたら・・・
そう、でない(ある)とは、思いもしてなかった。けど、そう、だった(でなかった)
・・・という二重否定のような形式で認識が起こります。
この基本は学生時代に、かなり集中して見つけたのですが。これは、そう、であって、そう、と気がつかない自分の状態を探って、そう、と認識するための、思考の領域を広げてくれたと思います。
その、発展、応用としては・・・ひねくれてても、それに気がついてなければ、ひねくれてないわけではないのです・・・とか。知らないと思ってもいないことが、知っていることではありません・・・とか、なります。
で、たとえば。誰かは、自分は、嘘つきだ。孤独だ。ひねくれて星を睨んだ。とかいう認識は、やはり、なんだかの比較が必要なんですが。自分は素直だ、という認識は、なんだかの比較では正当性がなく、世界の総てが活動しなければ、つまりは、なにか特定の理由があるわけではないために、まったくの無理由でなければ、正当性がない・・・AはA・・・世界は、そのように、善いことを望んでる、そんな気がします。
No.2486 - 2010/04/02(Fri) 20:50:37
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Re: 私と貴方
/ peer
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どうせ人(無明)の言うことですからね。
「私は、ひねくれている」と言うには、言いたい
事情があるんだろうな〜と思いますよ。
この場合、本当にひねくれているか、いないかは関係なくて。
ひねくれているかどうか分からない人だって
その程度の発言はします。。。たぶん。
「ひねくれている」と言うことで、何か、得るものがある。
あるいは、何か得たいのでしょう。
No.2487 - 2010/04/04(Sun) 01:13:45