[ 掲示板に戻る ]

記事No.2551に関するスレッドです

世界の機能 / ubik0101

どこかのスーパーで、ある女が、とある母と子供に近づいて・・・「可愛いですね」と言いながら、その子供を抱き上げて・・・片手で足の骨を折った。と、ラジオが話していました。その女は、幸せそうな家族が羨ましかったから、と供述したそうです。

このことに、さまざまな解釈ができるでしょう。たとえば、羨ましいことと、ほかの、ありとあらゆること・・・怒るとか、憎むとか、暴力とか・・・特定のこととは、直接的には無関係。なのに、なんであれ、特定なことと、特定なことを、濃く結びつけて意識できるようにするのは、自我の機能。と見なすこともできるでしょう。

そうだとして、しかし、そこでは、その母と子供を幸せでなくしたい、というのが目的ならば、どんな特定なことでなくてもいい。つまり、なんでも構わない。つまりは、どんな特定なことでも、同じ効果がある、とも言えるのでしょう。

なんだか、とりとめのない話に
なりそうですが続きます。

hatoさんと、昨日海に行って釣れた、鯔(約50センチ)です。海に帰しました。ハゼもリリース、海タナゴはムニエルで頂きました。今日もこれから、行ってきます。

No.2540 - 2010/06/28(Mon) 15:05:17

Re: 世界の機能 / ubik0101

どんな特定のことでもない、なんでもいい、そうならば、なにか特定なことが、たとえば怒りの、憎しみの、暴力の・・・まさにその渦中にありながら、それが・・・自我の機能・・・とは自覚できないかもしれません。

また。たとえば怒りが、憎しみが、暴力が、葛藤や軋轢や苦悩が、つまり、なにか自覚できる特定なことが自我、だとすると、 その自覚できる特定なこと、つまり自我の現れを、自我と命名してるだけで、そんなことを起こさせる原因、自我を、カモフラージュすることにもなります。

つまり、現れとしては特定のことではなくても、特定のことでも、自覚できなくても自我ならば、なんであれ自我、ということです。もし、どのように自覚したと思ったとしても、実際は、自我は自覚できないのです。自我が虚構だと体験して、日常が自我だった、と了解できるだけではないでしょうか。

たとえば、暴力事件を起こして逮捕されても。子供が転んで、それを咄嗟に助け起こして、にっこり笑いかけたとしても。その女が母と子供と出会わなくて、なにも起こらなかったとしても。なにか映画でも見て感動していても、自我ならば、その自我としての有り様が変わるわけではない、です。

続きます。

No.2541 - 2010/06/29(Tue) 21:03:20

Re: 世界の機能 / ubik0101

そして、また、まったく誰かを羨ましいと思うことがなくても、静かな慎ましい生活をしてても、自我なら、自我な有り様が変わるわけでもないです。

もちろん、 ラジオの話ですが、「可愛いですね」と言いながら子供の足を折ったので、言葉と行動は矛盾しています。そこに問題はあるでしょう。けど、憎いと話しかけて、憎いと思考して、子供の足を折ったなら、それなりに矛盾はないかもしれません。

そこで、矛盾があっても、なくても、その現れと、人の有り様には、これだから、これなんだ、という特定の関係はないのかもしれません。もしかして、人の行動、言葉、思考と、その人の自我な有り様は、なんの直接的な関係はないかもしれません。

それでも、自我ならば、自我。そうでないならば、そうでないのです。 そうならばですが、たとえば憎しむから、怒るから、騒がしいから、苦悩があるから・・・だから自我だ。たとえば慈しむから、優しいから、平穏だから、苦悩がないから・・・だから自我ではない。ということは言えないです。

もしそのような、なんだかの特定なことを、なんだかの特定なことに結びつけて根拠にするなら、なにか問題は、あるかもしれません。

続きます。

あまがえるか、シュレーゲルあおがえる、だと思います。常緑ヤマボウシの葉に乗っていました。

No.2542 - 2010/07/01(Thu) 22:12:16

Re: 世界の機能 / ubik0101
ところで。ある女よりも、母と子供が、いわゆる幸せかどうかは、無関係です。幸不幸の定義はともかくとして、いろいろ条件を較べるとして、ある女のほうが幸福なのかもしれません。

つまりは、相手がどうであれ、そのように直接に関係ないことを無理に較べて、幸不幸を空想する、それが問題。そのようにして、その母と子供の幸福を、そして自分の不幸を空想、捏造してる、それに執着させられてる、とも言えます。

しかし、そのように較べることで、幸不幸の定義を、探ることもできるように世界は、できています。 また、空想と事実を混同してはならない、判断は総て空想、とかを学ぶことも。 そして、そのように空想してる自分、その、それは何?を探れるように、世界はできています。なのに比較するだけに止まってる。やれる限りをやらない中途半端が問題。とも言えるでしょう。

ほかのこと。たとえば、善良な人を、偽善者と見なして、それは事実でないとしても、そこから偽善とかいうことを学ぶことができるようにもなっています。また善悪なども。とくに問題ないところに自分で問題をつくり、自分で探るようにできてる。という、そのことも学べるようになってるとも言えます。

そのような世界の機能に巻き込まれ、それに依存させられ、使われるのではなく・・・それを逆手にとって・・・それを人が使うようにも世界は、できています。そして、世界は総ての意味があるゆえに無意味、を理解したりもできます。

続きます。

No.2543 - 2010/07/03(Sat) 15:37:50

Re: 世界の機能 / ubik0101
そのようにして、さまざま学ぶとしても。たとえば、怒りとか、妬みとか、葛藤とか、自我の機能を理解し尽くした、それを対象にしてるのだから、また、そういうことを対象にさえしない自分は、自我ではない。と見なしても、その人が、自我な有り様でない、ということにはならないのです。自我は虚構、という体験がなければ・・・どうあっても自我な有り様かもしれません。そして、どんな体験だとしても、その理解が素直・・・真摯で正確・・・でなければ、問題です。

ところで思い出せば、ubik0101もですが、なにを求めてるかも知らないで探求してて。どんな出来事も優劣ないとか、自分とは無規定だ、人とは世界だ、とか見ていても、そのときは、そう見てるのが自我だとは気が付いてもいませんでした。自我だとも、自我でないとも思ってなくても、自我だったんです。

このようなので、自我を見破りたい(それは起きること、です)を望むとしても。あのようだから、このようだ、という直接の道筋がないという困難があるともいえます。くり返しますが、ほかの人の、また自分の自我の機能の理解と、自我は虚構、を見破るということは違います。

しかし、また、自我であれば、なんであれ自我。でないなら、どうして人が、自我を見破るとことができるでしょう。なにか特定のことが自我なら、限りないモグラ叩きになり、これでは見破る、のは不可能かもしれません。 しかも、その自我は虚構、つまり・・・ない・・・のです。

では、どうすればいいのか。それは、なにがなんだか分からない、見たこともない、自己、を求めること、です。それが、たとえば「自分自身を知れ」です。それを、どうしようもなくある衝動というか、情熱というか、そのためだけに。生活として、人生として、生きるのです。

続きます。


まったく無農薬。雑草に埋もれて育ってる、野菜です。味もなかなかです。hatoさんも、大喜び。知人に画像を送ったり、しています。

No.2544 - 2010/07/03(Sat) 15:54:01

Re: 世界の機能 / hato

常緑ヤマボウシにくっついていたアオガエルを見て喜んでいたら、昨日の朝、テラスのテーブルの上の、小さな草に、小さなアマガエルがいました。

今朝もまた、テーブルの上の風知草にちょこんと乗っていましたが、そのうち降り出した雨に誘われて、みどりの野原に戻っていきました。

No.2545 - 2010/07/03(Sat) 16:05:23

Re: 世界の機能 / hato

名前を、カエルのエルちゃん。と名付けました。
また遊びにきてね。

No.2546 - 2010/07/03(Sat) 16:07:25

Re: 世界の機能 / ubik0101
そのためには、どうあれば、いいのでしょう。たとえば・・・嫁いだり娶ったり、遊んだり食べたり学んだり、成功したり失敗したり・・・どんなことも人が生きてなければできないことかもしれません。なにかを慈しむことも、怒ることも、絶望することも、そしてCENSOREDすることだって、人が生きてなくてはできません。 しかし、それで、いいでしょうか。

それが人生の目的だと、納得できるでしょうか。 たとえば・・・私は嘘をつくために生まれました・・・私の人生の目的はCENSOREDすることです・・・とは、どうあっても変、ではないでしょうか。 そんなことに留まってはいけません。

そのように「自分自身を知れ」は、どんな特定なことでもないです。それでも、もし、なにか特定なことをして、自分のためにするというなら、ほんとうに、その自分、その自分のためにするのです。なら、 どの特定なことも、なんであれ、その自分のためにする。ということとは、違う、のではないでしょうか 。

なにか特定のことによって、その自分の満足のために、その自分の都合のために・・・そんなことは、自我は虚構・・・ない・・・のですから、できないのですが・・・できるつもりで生きていてはなりません。また、たとえ世界のあらゆることを知っても、その自分、を知らなければ、何か知ったと言えるでしょう。

などという理由や説明など、どうでもいいのです。「自分自身を知れ」「わたしは誰?」「なぜ、この自分は、この自分?」は、その方法など要りません。誰かに教えてもらうことでもありません。たった一人で、命がけで、求めるのです。この日常から、虚空から、掴み取るように掴み取るんです。そう、実際に、生きるんです。

続きます。

このように雑草の中に埋もれ、雑草に支えられて、実ってる、プチトマトです。

No.2547 - 2010/07/05(Mon) 22:26:33

Re: 世界の機能 / ubik0101
ところで、ある女の言動について、ほかの解釈もできます。自分は特別だ。という、あまりに当然なので無意識に隠れた前提があって。それが幸せそうな母と子供によって侵害される恐れがあるので、その特別感の裏返しとして、その補償として、その影として・・・とある母と子供を、羨ましく感じるのかもしれません。また、特別感を通じて、自我が、これを助けてください、助けてくださいと、その人に、隠れながら現れてるのかもしれません。

そうだとして、しかし特別でありたい・・・優れていたい、自分の都合で生きたい・・・ことには、理由が見つからないかもしれません。そして、理由がない、ということは、最強の理由になり得ます。なんでもいいのですが、たとえば魚釣りで、太いラインを使うとします。そして、これで大きな魚が掛かっても大丈夫。ということで、なにか特別感を持ったとします。

そしてまた、細いラインを使うとします。そして、これで大きいな魚が掛かったとして、技術で釣り上げる。ということで、なにか特別感を持ったとします。また、ほどほどなラインを使うとします。そして、魚にマッチした道具で釣る。と、いうことで、なにか特別感を持ったとします。小さな魚を釣るということに特別感を持つこともできるでしょう。

で、この特別感は、理由が見つかるでしょうか。その、なんであれ特別感があるのだとしたら、これだから特別感があるという、特定の理由がないということであり、そんな理由がない特別感は最強の愚かな理由になるのではないでしょうか。なぜなら、なにか特定の理由があれば、それが正しいかどうか、批判したり検討したりできるからです。

続きます。

JAで見つけたレシピです。とても美味、と感じました。

No.2548 - 2010/07/07(Wed) 14:17:02

Re: 世界の機能 / ubik0101
それは、たとえば地域とか文化とか家柄とか性別とか教育とか知識とか無知とか容姿とか性格とか趣味・・・とか、なんであれ、ありとあらゆること・・・それらからの展開・・・も含めて、おなじように理由のある特別感は、実際には、理由が見つからない特別感、ではないでしょうか。そして、特別感そのことも、その理由は見えないかもしれません。

そんな特別感は、とても変なことです。 それが変なのは、それが、ほかの、たとえば地域とか文化とか特定なことに依存してて、それを感じるのが自分自身、ではないのに、自分自身だとして成立してるからでもあります。そのことに気が付いても、そのときは、どうにもならないかもしれません。しかし、特別感には理由がない、は思考することで学ぶことができるのです。

そして、それは、自分の行動、発言、思考を見て、どれもこれも、その前提を探ろう、掘り下げよう、自分の中心に向かおう、という決意、熱意、衝動がそうさせるのですが・・・それは、自分が、そう生きてる、その日常にあってしか行えないでしょう。もし、ほかの誰かのなんだかんだを思考するなら、そうしてる、その自分の奥を研究するのです。

その自分の行動、発言、思考の裏、隠れた前提を明るみに引き出すのです。すると、その隠れた前提には、正当性がないことを見るかも知れません。すると、その前提によってなりたってる行動、発言、思考は、静まるでしょう。理解することは、得ることではなく、失うことに似ています。

続きます。

No.2549 - 2010/07/09(Fri) 17:43:48

Re: 世界の機能 / ubik0101
そんな、自分の中心に向かう、衝動、情熱、それが否定の道です。それはありとあらゆることからの・・・否定することによっての拠り所、立場を持たない・・・非同一化の道、でもあります。

もしかして、たとえば羨ましさは、特別感の裏返し、その補償、その影。というのも、勝手な思考による結びつけかもしれませんが、それでも頑張るんです。もしかして・・・という、とても微細な思考も捉えるのです。

もちろん同一化してることを、理解しないで、どうして否定することができるでしょう。 つまりは否定の道は、理解の道、でもあります。

そして、もし嘘、ということが問題になるなら、その誰かや世間の嘘な有り様を嫌うだけではなく、自分の嘘も、なにかに逃げることなく、拠り所なく・・・実際に捨てる。その生活にあって、そうするのです。

そのようにして自分の中心に向かうなら・・・また理由には、 なにか、ひとつ理由があっても、それに類似の、反対の、無関係の理由を、次々に捏造する。したがって総て嘘・・・そんな有り様もあります。が、そんなことはできなくなります。

そして、探求は、たとえば、いまは嘘をついてないけど。嘘をつく可能性はあるかもしれません。その可能性も解決しよう、と。ほとんど自分の無意識に及ぶでしょう。

続きます。

もしかして、えんまこおろぎの幼虫かもしれません。

No.2550 - 2010/07/09(Fri) 17:45:05

Re: 世界の機能 / ubik0101
ところで、ある女の有り様は、さらに、ほかの解釈もできます。たとえば、羨ましいという感情に、倒錯してる、執着してる、束縛されてるのでしょう。 知覚からではなく、羨ましいという思いからの行動なので、知覚からの直接行動ではないでしょう。 無選択ではないでしょう。

ほかの人を幸せとか空想、なので現実に生きていないでしょう。そして、羨ましいということは、ほかの人との関係に依存してるでしょう。 分離してるのでしょう。 羨ましいとかの不満を解消するために行動したのですから、それを探求するのではなく、自己満足であり、その不満の報いを受けてしまっているでしょう。

まだあるでしょうが、それら総てが自我の特質ではないでしょうか。なら、その個別の反対のことを持ってして解決できるのではないです。たとえば、束縛からの解放。無選択。知覚からの直接行動。一体感。など・・・その個別のことをもって自我の解決とする、とは言えないです。そいうのを掴んでは誤るかもしれません。

また、ある女が、羨ましさと暴力、そんな直接には関係ないことを結びつけたのは、依存関係の、無知の表現。つまり、その理解のなさゆえの依存関係の代用としての混乱した関係の認識、とも言えます。また特別感は、自分が、自分で自分を自覚したいことの代用、無知の表現、とも言えます。もし自我の解決なら、その自我の特質の有り様の総ての、無知の、解決のはずです。

続きます。

いつの間に、雑草の中で、きゅうりが大きく育っていました。

No.2551 - 2010/07/16(Fri) 22:47:54

Re: 世界の機能 / peer
みごとなキュウリですね。
No.2552 - 2010/07/20(Tue) 01:41:53

Re: 世界の機能 / ubik0101&hato

> みごとなキュウリですね。

四つ葉の苦労婆には、「ここらではすーぐこうなっちゃうだよ、ちょっとでかすぎだねー!」と叫ばれました。意外とみずみずしくて、食べられないことはないようです。

昨日から、こちらも夏本番となりましたが、扇風機を工夫すると結構過ごせるかも〜、な感じです。ナナ(猫)から「おあおおー」(おはよう)と挨拶して貰いつつ、ubik0101さんと、緑の作業して、掃除して、ルンルンノンノンと遊んで、買い物行って、魚釣りして、ご飯作って、食べて、話して、喧嘩して、仲直りして、寝転がって・・・田舎生活、なんとかやっております。

hato

そいえば二人ともツクシが大好きで、もし静岡になかったら、どうしよう。スギナを神奈川から移植しようか?と話してたんですが、こっちにもたくさん生えてました。農家にとっては、とても困る強い雑草、だそうです。

んなところで、いつも朝は6時前に起きて、数時間、庭作業です。日中は休んで、夕方また数時間の作業です。知らなかったけど、農家でも、そうするそうです。とても日焼けしました。どいうわけか・・・ちょっと胸の1文字の傷はカユイけど・・・まったく筋肉痛にもならないのです。

いまのところは、かもしれないけど無農薬でも、とくに野菜が虫の被害を受けることもなくて。このスイカも雑草に守られて育っています。収穫は、あと一月後。と四つ葉の苦労婆の一人が教えてくれました。

ubik0101

No.2553 - 2010/07/20(Tue) 14:01:37