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記事No.2611に関するスレッドです
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みどりの庭から
/ hato
引用
夏も終盤です。
古い火鉢がいくつかあったので、睡蓮を活けるといいね、と話していました。
火鉢の中の古灰を出し、空っぽにしてから、赤玉土と水を入れ、小さな草を生けました。
No.2610 - 2010/08/28(Sat) 23:55:25
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Re: みどりの庭から
/ hato
引用
しばらく日をおいた睡蓮の鉢に、メダカを入れてみます。車で15分の野菜市場で、可愛いメダカを見つけました。数匹のメダカが入った袋は、水温を合わせる為に、小一時間、鉢中に浸しておきます。酸素補給のために、ホテイアオイも入れてみました。
No.2611 - 2010/08/28(Sat) 23:55:59
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Re: みどりの庭から
/ hato
引用
メダカには、「ヒカリ」「ブラウン」「楊貴妃」と三種があり、ubik0101さんは、「ブラウン」にひかれていたけれど、ヒカリとブラウンは、すでにわりと育ってるように見えました。この楊貴妃は、とてもとても小さいのに目が大きくて、腹のピンクと橙色も愛らしかったので、決めました。たぶん雄雌揃ってるだろうとのことです。
鉢に入れてみると、素早く泳ぎ回り、さまざま確認してる様子。
餌は市販のテトラキリミン。やりすぎは禁物、といわれてるけど、よく動いてるし・・・すぐ食べちゃうし・・・難しいところです。ボウフラやミジンコは、メダカたちが来てから、見かけなくなりました。バクテリアが頑張ってるのか、水がきれいです。
No.2612 - 2010/08/28(Sat) 23:56:40
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Re: みどりの庭から
/ hato
引用
睡蓮の葉に、アマガエルがちょこん、と乗ったりして・・・きれいな葉。ちょっと楽しくなります。「メダカまーだ、見てるーっ、」と呆れられてしまいます。
No.2613 - 2010/08/28(Sat) 23:58:02
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Re: みどりの庭から
/ hato
引用
今日はダーリン二度目の(今度は簡単な、)手術から戻る日。このメダカたち、ubik0101さん不在の数日にも結構大きくなってるようです。
とにかくよく動く、溌剌陽気なお姫さまたちです。
No.2614 - 2010/08/29(Sun) 00:00:53
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Re: みどりの庭から
/ peer
引用
また・・・入院していたのですか。
んんんーと。体は、ひとつの宇宙ですから。
切り刻むのは、よくないような気がする。
・・・おだいじに〜
No.2615 - 2010/08/29(Sun) 02:11:34
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Re: みどりの庭から
/ hato
引用
自我がわるい、とか、分別がわるい、怒りがわるい、と聞きます。また、意識が目覚めて、そのときは素晴らしかったのに元に戻ってしまった・・・さらに、意識が目覚めると・・・仕事ができない、係れない・・・とまで考えられたりするようです。
そうでなく、それはその自分を、了解、或いは意識としてきちんと理解していない、されていないために、そのような状態、表現に置かれるのかも知れません。たとえば理解されていないとは、無闇に人生を生きにくくし、それほどまで苦痛なことでもあるでしょう。
それは単に、世界からなにかを削除して、素晴らしくなろうとしてる・・・そんな状態かも知れません。イカをタコにしようとしたり、タコをイカにしようとしたり・・・そんな感じかも、知れません。
たとえば悲しみ、怒りをわるいとして取り除く必要が、あるでしょうか。笑いを取り除く必要が、あるでしょうか。それなら、なにかおかしなことかも知れません。
大事を取り違えているのかも、知れません。
そうした個別なことは、探求の動機にはなり得るけれども、まずは人が根本として、自分を取り違えたままでいること、それらを含めて理解されていないことが苦痛でしょう。
またそれは、生きるなかで、処置することがあればするだけとして・・・そこには問題もないでしょう。
ふと、そんなことを考えました。
それでは、迎えに行ってきます。
No.2616 - 2010/08/29(Sun) 08:52:09
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Re: みどりの庭から
/ peer
引用
>意識が目覚めて、そのときは素晴らしかったのに
>元に戻ってしまった・・・さらに、意識が目覚めると
>・・・仕事ができない、係れない・・・
>とまで考えられたりするようです。
目覚めも、どこまでも深まるものでしょうね。
深めていくという作業をしないと、戻ります。
最終地点ではなく、入り口を「覗いた」程度のことですから。
悪いとか良いとかの前に
自我がある、分別がある、怒りがある。
と認めると、先に進めるのかなぁ〜って。
「ある」ということから「ない」が見えたり。
最初に「ない」があると、そこ止まり。
そんなふうに感じます。
答がない、それは〜
「ゆらぎ」のようなもので。それが生命活動そのもので〜
No.2617 - 2010/08/30(Mon) 04:38:36
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Re: みどりの庭から
/ hato
引用
こんにちは。毎日暑いですね、夏バテせぬようご自愛ください。
山椒の苗は元気ですか?
そうですね、
昨日ここで表現したかったことは、・・・
人は苦しみを除きたい、できるだけ避けたい・・・悲しんだり、痛んだり怒りたくない、嫌な感情を持ちたくない、ということ。生きているなら自然にそのようであることが探求、人生とは何、自分て、何だろう、と考える糧になりますね。または、この世界を生きやすくする技術、術が見出されたりするでしょう。
それで、なにかそうではないことがふと、起きて、あ、自分は苦しみや喜びに捕らわれてた自分じゃなかった・・・・と、それは、人が総じて世界としての閾値に相当してる状態として、けれどまた、折々の事情に沿って思考や感情が起きてくる・・・或いは、どうしようもない生活に追われてる・・・それを戻ってしまう、と表現する・・・そんなことも、あるのかも知れません。戻る、というのは、状態を理解されなかった故の、停滞を指す場合もあるようです。
人が目覚めて生きる、それは、痛みや苦しみ、喜びや怒り、諸々の状態が失われることではありません。なのでここで、正しい飛躍が必要、といいます。ここが理解されないと、世界の諸事情・・・その欲望、その執着・・が(問題として、)勝るのです。勝る、という意味は、あってはならない、ということではなく、本来、あってもとくに問題ではないものが問題となる、のです。素材が適材適所にあることができない、ということです。
けれど、たとえばその、生(と表現するとして、)を、傾向はあるとしても、なにか個別の状態でもって限定することはできません。こうなったら、こうなる。そうなったら、そうなる。ということを不用意に一般化することは、誤解を招きやすいでしょう。
大事なことは、意識としての自分が、それ、を了解、ことに理解できないと、人は根本的に、落ち着くことができない、ということです。これが苦しみです。変化を理解できない場合に、落ち着かなさは日々の生活を、ことさら生きにくいものにするでしょう。
それは、生老病死、この人生事態と機能から派生する何某、でない、人の、根源的な苦しみです。
この世界に人は本来、関わりながら、拘わりません。どんな状況であれ、怒りであれ、喜びも苦しみも・・・・なので正にそのとき、その状況にあり、状態であることができます。でも拘わらないのです。情けなくたって、身悶えしたって、怒ろうが騒ごうが静かであろうが、それでも、関わりながら、拘わることができません。
> 答がない、それは〜
> 「ゆらぎ」のようなもので。それが生命活動そのもので〜
この不思議。たとえばそれは、世界は決着しない、ながらにして必ず決着してる、ことがその腑に落ちてる、ということでもあります。
No.2618 - 2010/08/30(Mon) 14:26:18
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Re: みどりの庭から
/ hato
引用
長くなりました。
ubik0101さん、今回は早めの退院で、少々痛むようでつらいですが、話したり、朝からご飯もちゃんと食べて、庭を見廻ったり鳥と遊んだり、メダカを見て喜んだりしています。
ナナ。暑いけど頑張ろうね。
庭作業していると、嬉しいのか、労いにきてくれるのが素敵です。
No.2619 - 2010/08/30(Mon) 14:28:22
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Re: みどりの庭から
/ 図書館閲覧者
引用
>ubik0101さん、今回は早めの退院で、少々痛むようで
そりゃ大変!お疲れさまです。
手の打てることは、手を打って
食べるモノは、食べて
できる用心は、できる範囲でやって
そのあとは
身体のことは身体に任せてゆくしかないですね。
お互い外仕事も多そうですし
熱中症にならないよう気を付けましょう。
No.2620 - 2010/08/31(Tue) 11:18:47
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Re: みどりの庭から
/ ubik0101&hato
引用
ふー。たびたび心配かけてます。でも、まあ。なんだか冷房で冷えすぎた病院のベッドで寝違えたのか、それが手術よりも、辛い状態・・・というくらいで大丈夫、です。
もうすぐ冬野菜の苗を植えるための、新しい畝を作るために。hatoさんの父が手伝いに駆けつけてくれる予定です。ぜひ大好物の芽キャベツを収穫できるといいな、と思っています。
ubik“満身創痍”0101
満身創痍 ↑ て、ずーといいたくてたまらなかったんですから、大喜びなんですよ。
今回お世話になった病院、不謹慎ですが、わたしはなんか気に入ってしまって、ubik0101さんの呆れ視線をよそに、楽しく脳天気に通ってしまいました。
あとは身体に任せて・・・ほんとですね。いつも、ありがとうございます。
hato
病院食です。エビフライもありました。
No.2621 - 2010/08/31(Tue) 14:27:38
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Re: みどりの庭から
/ のり
引用
こんにちは。
ひゃあ〜いろいろありますね!
私も先日、身体の反逆に遭い、死ぬ思いをしました。
たまには身体にも感謝しなくては、と通り過ぎてから
反省です。
ウビさん、程ほどに程ほどにご自愛ですね(自?)。
> 意識が目覚めて、そのときは素晴らしかったのに元に戻ってしまった・・・さらに、意識が目覚めると・・・仕事ができない、係れない・・・とまで考えられたりするようです。
→あっ、hatoさん、これ、私かもです。
教わりました目開け瞑想をしてから六識のこの世界から透明な変な空間?に移行します。
というより最近はその空間に居る方が多いかも?です。
ずっと居て、大丈夫でしょうか?hatoさん、ずっとここに居るのでしょうか?
結構、波動が高いみたいです(品がなくって、ごめんなさい)。
> そうでなく、それはその自分を、了解、或いは意識としてきちんと理解していない、されていないために、そのような状態、表現に置かれるのかも知れません。
→ここもう少し、聞きたいです。どのように理解・了解でしょう?できましたらお願いします。
No.2622 - 2010/08/31(Tue) 15:52:10
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Re: みどりの庭から
/ hato
引用
こんばんは。まだまだ、暑いですね、のりさんも体調崩されたのでしょうか。充分お大事にしてください。返信、ありがとうございます。
自分はとくに、透明な世界、を意識することはありませんが、どういうわけか、それがどういうことかについての理解を得るとの感じです。
その理解・・・宙が拓かれる凝視、或いは刹那の静止、に閃き落ちながら、思考に変換し、される作業を・・・見る
、との感じです。
もし、その透明が意識されるところ、を突き抜ける、としたら、その了解は自然に訪れるかも知れません。そうしたことを忘れるほどに、突き抜けるのです。その状態が社会生活、ことに経済的なことに関わることが難しいことが、とてもよくわかります。けれどもし、人が望むなら、そこで終わりでもないようです。
探求の際は、苦痛に突っ込んでいく、ことがある程度否めないでしょう。そして、けれどこの段に於いてはまたある程度、苦痛は警告として見ることができます。
たとえば、それまでの自我、ではないものを見た。そこで社会とのギャップが大きく感じる・・感じてよいのですが、それがなにかとても不具合、苦痛であるとき、その自分(この場合は無我、)がどこかまだ、突出している、ということであるかも知れません。無我の状態に傾倒する必要が、ないよ、てことです。
自分の突出してしまう状態を理解されると・・・すなわち、無我に秀でてる状態が失われる・・・忘れ去られる・・・まですすむと、そのとき、ubik0101さんが言うところの、無自覚の知恵、となることができるでしょう。そのあれこれを忘れても、まったく大丈夫でしょう。普通に生活しながら・・・でも、以前の苦痛なままの、無知な状態でなくして、図書館さんが言うように、できることをする、・・・・との、感じでしょうか。
ここに別段、無理がないのです。できない(自分の有り様としてできない)ことには自然と、手をつける必要もない状態と、言えるでしょうか。普通、ということ。ここに不可思議が働くことができます。
このとき、世界と自己はその不思議さ、妙味を充分に披瀝しながら、人は生き、また、切磋琢磨していける状態です。
No.2623 - 2010/08/31(Tue) 21:52:44
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Re: みどりの庭から
/ のり
引用
hatoさん、お返事ありがとうございます。
> のりさんも体調崩されたのでしょうか。
→アハハ!ただの“こむら返り”なんです。稽古が終わってマッサージもせずにビールを呑んで一人、うたた寝態勢に入った途端、左足がつって、それが徐々に右足へ,身体中に広がって30分間悶絶、苦闘でした。足の親指の筋を伸ばすため四つん這いになり、身体は固まって動けず冷えて行くし、脂汗はダラダラ流れるし、死ぬ思いでした。
仲間達が入ってきて大笑いしながらマッサージしてくれて解放されました。アハハ!
> その理解・・・宙が拓かれる凝視、或いは刹那の静止、に閃き落ちながら、思考に変換し、される作業を・・・見る
> 、との感じです。
→ぐわぁ〜凄い表現力!センスといい迫力・気品に圧倒されてしまいます。私の文章が小学生並みなのが恥ずかしい!
>その透明が意識されるところ、を突き抜ける、としたら、その了解は自然に訪れるかも知れません。そうしたことを忘れるほどに、突き抜けるのです。
→“突き抜ける”っていいですね!やってみます!
苦痛って私にとっては最近、飛躍へのバネの感じです。これが起きないと、ボーッとして過ぎちゃう気がします。まだまだ濁りがありますね、って気づかせてくれる感じです。
>意識が目覚めて、そのときは素晴らしかったのに
>元に戻ってしまった・・・さらに、意識が目覚めると
>・・・仕事ができない、係れない・・・
→目開け瞑想を続けるうちに意識が変容して慣れるまでは時間がかかりました。その事かな?っと勝手に思ってしまいました。自分なりに理解・了解しているつもりなのですが、何も確かめる術がなく質問させて頂きました。すみません。
目開け瞑想、目医者さんでドライアイ、と診断されてしまいました〜。アハハ!
では。
No.2625 - 2010/09/01(Wed) 17:53:59
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Re: みどりの庭から
/ hato
引用
とんでも、ありません。こちらこそ、判りにくくなること、ごめんなさい。いつもありがとうございます。
その項での自分の投稿はどちらかといえば、意識が目覚めると、一般的に、社会生活が困難といわれることをを例として取り上げていましたが、なにより、状態を理解されることが道を拓いてくれる・・ことを表現したかったのでした。のりさん個人の現状には適切でないこともあると思います。
なにか変化があって、状態を上手く理解できず放置して、「変容すると、仕事は無理なのだ。でも周りが助けてくれるのだ。」と言うなら、変な感じです。それはまだ、自分は尋常でなく特別なのかも知れません。
素晴らしい変化、それを一旦、余すところなく、失う、ことは、とても微妙なことが多く、誰にとっても簡単ではないのでしょう。たとえば、特別、その愉悦とは、本当に危ういところがあるけれども、不思議に導くことに貢献する、大事な要素にもなり得るからでしょう。それも上手に理解されて、たとえば上記での苦痛のように、ツールとして、あることができるように思います。
生活の得手不得手に関わらず、人の変容に係る特別な状態があるとき、それは必ず、理解されて初めて、無自覚の英知に転換される、ということ。状態を突き抜けることは、理解に貢献するとの感じです。
理解し失う、突き抜ける。
尋常でない状態が理解されて・・・日常。その謎。ただの人です。
夏休みも終わりましたね。
晩から朝にかけて、すこし涼しい気配です。
No.2628 - 2010/09/02(Thu) 07:42:06