あったり無かったりするものを問題にしてもなあ。
あったり無かったりするから問題になるのだろうけど。
覚醒した人はいない、覚醒したなら個人、身体という境界など意味を持たなくなるだろう。
身体というハードに覚醒というソフトを載せた人と、自我というソフトを載せた人が、個という単位で関係し合い世界を構成し時間とともに変化していく、そういったイメージを持つことは容易い。
覚醒した身体だと対象化することに意味があるのは、私とそれ以外の関係に生きる人にとっては価値があるかな。
起こることは起こる、皮膚の境界を越えて感覚の境界を越えて、その時彼は云う何も起こっていないと。
外側と内側の区別に何の意味があろうか、意味は区別する言葉が作る泡のようなものだ。夢のようなものだ。
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No.2702 - 2010/10/09(Sat) 22:33:35
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