少し涼しくなってきましたね。 私も独立して早2年が経過しようとしています。
昔から感じていたことですが、なぜ多くの人が隙間であれ、気づきであれ何らかの状態を問題にしてしまうのだろう。
それは何かの状態ではない。 全ての状態が含まれるけれど。
しかし言葉にすると今ここ、その時其処、そう言って時間軸と空間軸に位置づけられた描写となる事が避けられないから、何かの状態、対象みたいに錯覚してしまう。そこには観察者がある。
私は世界が生まれる以前に顕れるものと、世界が生まれた後に発生するものがある。
でもそれらすべてを超えている言葉の届かないものがある、しかしそれは何も排除しない。
最近損得、原因結果に意識を結びつき過ぎていたら、ふとグーグルで検索した目にとまった雄大の文字、この懐かしい板でした。
あと10年くらい生きて義務を果たしたら、生きるのやめたい、やめてもいいな、なんて思う今日この頃。
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No.2701 - 2010/10/09(Sat) 21:43:02
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