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記事No.2983に関するスレッドです

(No Subject) / あちこち
あさ、布団の中で、さっと起きて何かがしたい感じがする。
ぬくぬくと寝ていたい感じもする。

どちらが素直な気持ちだろう。

葛藤しているのが素直な気持ちだろうか?

葛藤なしに、単に二つのの感じがあるというだけのことか?

No.2865 - 2010/11/10(Wed) 08:20:30

Re: / ubik0101
おそらく、いく種類か、思考、と呼ばれてることがあります。いわゆる心理的な思考、葛藤、自我の機能、これを命名して、思考、と呼ぶ場合があります。また。そのようでない、たとえば実用的な、物理的な、数学的な、思考、があります。それは、実は、葛藤の範疇にない、と見なされるだけで、大差なし、の場合があります。

たとえば、実用的な、物理的な、数学的な思考も、それを基にして、葛藤、自我の機能を引き起こすからです。なんでもいいのですが・・・たとえば世界は閉じてると・・・僕・・・。いや。世界は開いてると・・・俺。どっちが正しい?また、この発明・発見をしたのは、私だ。いや、僕だ。とかあり得るでしょう。これは、思考が、思考者をつくってる場合かもしれません。それでも、それが事実を明確にするための真摯で正確な、検討、ということもあります。

と、いうことを思考してるとしても・・・それが事実であれ、空想であれ・・・とくに思考者をつくらない、思考、があります。ここで思考者とは、葛藤者、自我に束縛されてる者、という意味です。まあ、なんと呼ぼうといいのですが・・・思考者が、いるとか、いないとかも、とある表現なのですが・・・思考者がいない、思考です。

このような思考・・・ならば思考は思考を見ません。これを逆に言うと、思考は思考を見る、そんな思考は、その思考には関係なく、思考者がいる、というだけです。たとえなんだかの、思考、がなくても、思考者がいるなら、思考者はいる、のです。つまり、思考が問題なのではなく、思考する人が、どのような有り様であるのか?が問題といえば問題なだけです。

それは、その人の行動によって、その発言によって、その思考によって、その人が、どんな有り様なのか・・・検討対象になるのかもしれませんが、それは・・・カエルが鳴くから、明日は雨・・・という程度の域をでません。正確な判断になり得ません。

ここまでは、言葉による思考です。あと、言葉によらない思考があります。たとえば、あちこちさんの投稿を読んで・・・その瞬間・・・言葉にならない思考が知覚されます。それを解凍して言葉にしてるのが、この投稿文です。また。朝、眼が覚めてる、と思考しないでも、眼が覚めてるのは、事実、です。それは知覚でもありますが、思考とも言えない思考です。

たとえば朝、眼を覚まして、歯を磨いて、作業服に着替えて、軍手をして、スコップを持って庭の裏に作った、畑を耕します。そして青梗菜とか、人参とか、種を蒔いて、水を撒きます。それは。ふたつの感じは、ない、です。

ふたつの感じが、ある、それでも問題ない、というのは、また別の話です。

No.2867 - 2010/11/10(Wed) 11:24:11

Re: / あちこち
ふたつの感じがある場合の話。
夜の虎さんの場合にも、時には、ありうること?

No.2889 - 2010/11/15(Mon) 08:12:03

Re: / あちこち
二つの感じは、違う人がそれぞれ持つ場合もある。
さて、どう関わるか?

No.2900 - 2010/11/17(Wed) 08:20:25

Re: / ubik0101
ま。優先順位の違い・・・それだけのことでしょう。

ところで久し振りの禅問答・・・とても、うろ覚えですが・・・ある修行者が「自分て何ですか?真理て何ですか?」とかいう質問をしました。すると、馬祖という禅師が「太平洋の水を一気に飲んだら教えよう」と、答えました。

さて、なんと返事しますか?

No.2902 - 2010/11/17(Wed) 09:49:52

Re: / あちこち
優先順位は、どう働くのでしょう?
No.2923 - 2010/11/25(Thu) 10:03:36

Re: / ubik0101
それは、自己都合、でしょう。それだけで、ほかの人との関係では、軋轢や葛藤は起こり得るでしょう。でも、ある場面で・・・ほかの人との優先順位が同じ、意見が同じならば、とくに問題としては意識されないでしょう。

また、なりゆきで、相手の都合に合わせるともなく合わせれば・・・また約束とか常識とか・・・それで不満がなければ・・・問題としては意識されないでしょう。しかし、それで一生過ごせたとしても、問題が解決された、ということではないです。ほかの場面では、ほかの人と意見や優先順位が違う、ということもあり得ます。

それで問題の根っこの自己都合・・・正確には、自我都合・・・それを解決せねば、解決されないでしょう。それは・・・損得とか、偽善とか、嫉妬とか、欲望とか、善悪とか、正誤とか・・・それを太平洋を一気に飲むように、一挙に解決されるのでないなら、かなり困難です。

その言い方はともかく、自己を知る。これが最優先です。そのために軋轢や葛藤が起こるなら、いくらでも起こればいいです。それに、実際、自己を知る、そのためにしか・・・たとえば自我都合にしても・・・その、わたしは誰?であり・・・それから逃げるとしても、その、わたしは誰?であり・・・問題は起こらないと言えます。

No.2925 - 2010/11/25(Thu) 12:25:20

Re: / あちこち
話は、元に戻って、素直な気持ち?はどうなのでしょう。
No.2941 - 2010/11/30(Tue) 19:42:51

Re: / ubik0101
ふたつの感じは、ない、です。つまり、ひとつの気持も、ない、です。

もし・・・なんだかの、たとえば「さっと起きて何かがしたい」ひとつの気持があるなら・・・その裏というか奥というか影には・・・それと反対の気持ちと、それと類似の気持と、それと無関係な気持・・・つまり、あらゆる気持、があるかもしれません。たとえば「ぬくぬくと寝ていたい」「あと10分だけ寝よう」「ああでもないこうでもない」があるかもしれません。それだと、気持が気持と、せめぎ合います。でしょ?

No.2942 - 2010/11/30(Tue) 20:40:18

Re: / あちこち
> 二つの感じは、違う人がそれぞれ持つ場合もある。
> さて、どう関わるか?


ここも、お忘れなく。

No.2943 - 2010/11/30(Tue) 21:01:10

Re: / ubik0101
一人は「さっと起きて何かがしたい」なら、そうすればいいし、も一人は「ぬくぬくと寝ていたい」なら、そうすればいいです。
No.2944 - 2010/11/30(Tue) 21:36:57

Re: / あちこち
> > さて、どう関わるか?

ここがまだ検討されていませんか。二人ならできることもあるでしょうし、話しかけなどはあるのでしょうか?

No.2948 - 2010/12/01(Wed) 08:37:48

Re: / ubik0101
それぞれの人が、おなじ家にいても、おなじ時代に暮らしても、それぞれのことをする、これは無関係、ということではないです。関係だと、意識しなくても、関係なんです。とりあえずこれを、ここで便宜上、静かな関係、と呼んでおきます。

だけど、たとえば、おなじことをしたい、という思いが予め前提にあって、たとえば一人は「ぬくぬくと寝ていたい」。で、も一人は「さっと起きて何かがしたい」とかの違う行動があって、おなじことができないことに不満があるなら、それは意識できるようになった関係づけです。騒がしい関係です。検討の材料にはなるでしょう。

それは、おおくの場合は・・・公平さとか、正しさを求めてるのであり・・・そこに実は取引とか損得が隠れてるかもしれません。その不満の原因は、相手にあるか、自分にあるかなどと原因を探っても・・・相手を矯正しようとしたり、自分を矯正しようとしたりすることに、なりやりやすいでしょう。それでは不満は解消しないでしょう。

これは、なんであれ、静かな関係に、騒がしい関係を、ことさら発生させて、それに便乗して、自分が自分を自覚したい、という自我の機能です。と、いうのも自我そのことは、自覚できない・・・それが行動、発言、思考に現れた・・・その軋轢や葛藤とかによって、自覚できる気がするからです。そんな気がするだけです。

それに関係が騒げば、興奮が生じて、生きてる感じ、がするのかもしれません。そんな効果もあるのでしょう。でも、そいうことに問題があるとして、その根っこは、自我、にあります。それが、虚構、だと言うこと、これを明らかにすれば、ほとんどの問題は解決です。

けど、これは辿り着く道はないのです。でも、自我を解決する、その効果を期待したわけではないけれど・・・なにかを検討するとしても、その自分が、その自分を検討する・・・それは自我でなければ、ほとんど不可能・・・それは役に立った。ほとんど本能の衝動、それが、否定の道・・・わたしは誰?・・・です。

No.2950 - 2010/12/01(Wed) 11:08:38

Re: / あちこち
二人でしたいというのと、二人だとできるというのと、話をいっしょにしてはまずいのでしょう。
No.2963 - 2010/12/03(Fri) 07:57:10

Re: / ubik0101
もっと単純には。それは、できることと、できると思うこと、とか・・・できないことと、できないと思うこと、とか・・・その組み合わせの・・・愚かな混同ではないでしょうか。

これは世界に人が、たった一人で生きてるなら、事実そうであっても問題として意識されないでしょう。人と人の間において、問題になるのでしょう。

なので。そんな、ほかの人の愚かな様子は観察しやすいのです。が、そんなことを観察してる・・・その自分を度外視しては、無意味・・・と気がついて。その自分についての検討に向かったのです。

No.2966 - 2010/12/03(Fri) 21:39:15

Re: / あちこち
最初に戻って、もう一つ残っていました。

>>>葛藤なしに、単に二つのの感じがあるというだけのことか?

>>ふたつの感じが、ある、それでも問題ない、というのは、また別の話です。

そうすると、直接には、素直な気持ちは、どうなるのでしょう?

No.2970 - 2010/12/04(Sat) 07:47:33

Re: / ubik0101
なんであれ、なにかの気持があるとして。その気持に隠れた・・・どんな、ほかの気持がなく・・・その気持だけがあります。これは、それを観察する者を要しません。

(a)その気持は、関係によって起こる反応です。つまり、その気持の初源は、その気持ではないのです。

(b)けど、その気持は・・・それと類似の。反対の。無関係の。なにか別の、気持として、立ち上がった気持ではなく・・・その気持そのこと、として立ち上がったことです。

どんなことであれ、この逆説のようなあり方です。これが、この世界に生きていながら、人が、この世界に依存できない、仕組み、そのことです。

これは。ほかの言い方では。怒りだって、悲しみだって、世界の機能なんです。とか。いわゆる心理的な思考とか、過去、とか・・・既知・・・と言われてること、そのことが・・・未知・・・なんです。とか。とか言えます。

No.2971 - 2010/12/04(Sat) 08:36:55

Re: / あちこち
取り上げるのは、素直ではない気持ちの方でしたか。
素直な気持ちも、また、そうではない方に変化するかもしれませんから?

No.2976 - 2010/12/06(Mon) 17:10:17

Re: / ubik0101
いいえ。ところで、えー、あちこちさんに、これまでubik0101が話したことが聞こえてないのかな・・・《困った、な》・・・と、いうのが、ここでの素直な気持ちです。で、これを検討しますか?
No.2977 - 2010/12/06(Mon) 19:45:46

Re: / peer
ふたつの気持ちって、本音の自分とタテマエの自分がある
というのと同じような気がしますが。どうでしょう?

No.2979 - 2010/12/08(Wed) 12:54:40

Re: / ubik0101
ほかの人から見た自分とか、こうありたいという自分・・・それが建て前の自分なんでしょうか。それは、自分が、本音の自分を自分に隠すことによって生じるのかもしれません。また本音も、建て前を隠すことによって起こるのかもしれません。

そうでないなら、建て前も、本音、ということもないのです。ひとつの気持もないです。なにかひとつの気持が生起するのは、そこに・・・たとえばpeerさんの投稿を見て、こんな思考をしてるのですから・・・関係の新展開とかを要するのでしょう。

ところで、それにしても。とある気持が、ほかの気持に変わる。たとえば慈しみが・・・しだいに連続して・・・憎しみに変わる。。ということは、可能なのだろうか?と思います。

その、それぞれの気持は、それぞれ生起することで、不連続なのではないでしょうか。なのに、自分、というか、世界、が継続してるから、なにか連続してるとして感じる。ということではないでしょうか。これ、けっこう面白いかもしれません。

No.2980 - 2010/12/08(Wed) 20:11:36

Re: / peer
まっ。建前の自分も本音の自分も、どちらも、思考みたいなもの。
なんとなく「本音の自分」なんていうと、それが本物の自分だと
錯覚するかもしれません。
精神構造とでも、言いますか。
生きていく上で学んだソーシャルスキルを持った自分と、
それを否定し引きずられまいとする自分というものが、
必然的に発生する。
それを健全という場合もあります。
どちらの気持ちを採るかと悩むと葛藤になります。
一方方向だけを突き進むことは、まず、危険ですし。
ブレーキとアクセルがあって、それが両輪になってこそ、
危険を回避しながら前進する。
心はそういう構造になっているんじゃないかしら?

仕事があるのに「ぬくぬくしていたい」という方を採用すると
クビになったり減俸があったり、立場を悪くします。
しかし「ぬくぬくしていたい」気持ちも、大事なのです。
もしかしたら疲れきっているのかもしれないし、
その仕事がイヤになってるのかもしれない。
としたら、それは解決すべき問題でしょうから。

No.2981 - 2010/12/09(Thu) 02:05:49

Re: / ubik0101
>心はそういう構造になっているんじゃないかしら?

たとえば、なにか辛い生活をしながらも自分を、ひとかどの人と思っていたい・・・そんな立場が危うくならないために、本音を、ほかの人や自分にさえ隠したりすることも。また、嘘の本音を捏造することもありそうです。

そうすれば自分を検討できないから大丈夫。また、おなじような本音や、おなじように隠してる仲間がいるから大丈夫。というのも健全というよりは、愚かに生きるための空想でしょう。この意味で、心、は空想です。なくていいです。

そんな建て前も本音も、両輪だとしても、正誤とか優劣とかが隠れてて、バランスが崩れて大変かもしれません。また、隠しきれないでしょう。 仕事を変わりたいなら、たとえば「ぬくぬくしていたい」ではなく、仕事を変わりたいと思考するだけです。

ほかの誰かのことは、ともかく。どんなことも人との関係も、仕事も、隠し事がないという意味で、プライベートです。これは、どんなことも、プライベートがない、と言ってもおなじです。

ブロッコリの葉、虫食いです。

No.2983 - 2010/12/09(Thu) 15:41:22