ときに、因果、という言葉を聞くことがあります。ある結果は、ある原因によって起こる、ということのようです。それは、とある、もの、こと、を世界から切り取った、と仮定して思考されてるのではないでしょうか。それは、なんとなくですが切り取られない世界を背景にしてるようです。
そのようにして、その、もの、ことの、これも切り取られたとして仮定される原因とか結果を探るなら、すでに、なにか過去未来現在という限定された時間を前提にしてるのではないでしょうか。
すると当然、それは因果が働いてると思考されるのではないでしょうか。つまりその思考する人の因果に囚われた有り様を、そのままその思考が、表現してるだけです。
そして。とある、もの、こと、を仮に世界から切り取ったとして思考すると、そのずっと過去も、ずっと未来も、つまり最初の因も最終の果も、とても不明ではないでしょうか。
それに、なんだかの結果が起こってるとして原因は実は、不確定ではないのではないでしょうか。そこで・・・まったく無関係な、もの、こと、はないのですが・・・それに乗じて、ことさら関係ないことを因と見なして、ことさら関係ないことを果と見なすことも起こるようです。
それで、切り取って思考するという、そのこと、それが成立しない、ということを示しています。すると、もしかして、その思考の逆としての、すべては切り取ることのできない繋がってる、という思考も、それだけしかないなら単なる思考であり、世界を、そのように捉えてる、捉えられてる、のかもしれません。
続きます。
いつも、こんなに寒いのですか?と聞いたら・・・16年振りの雪だった、と近所の人が話してくれました。前日まで、わさわさ、だったブロッコリーの苗の葉が、つぐみ(たぶん)の大群に食べられてしまっていました。
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No.3142 - 2011/01/21(Fri) 09:15:19
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