[ 掲示板に戻る ]

記事No.3165に関するスレッドです

雪にもイロイロと / peer
>>いちいち「原因は?」なんて考えるのは労力絶大〜

>ならば、いつでも、どこでも、そのほかの今を望むことはない・・・
>そんな意味で「いい雪です。ほかの所に落ちません」。
>も、ありそうです。


この「いい雪」という表現が気になるのよね。
「いい雪」と「ほかの所に落ちない」は・・・
どう繋がるのかしら? なんて。
なので私は、落ちる場所が決まっているから
後の事は心配しなくてもイイんだよ。
と受け取ったワケなのね。
禅の公案というのは
答えは、ない。
どう受け取るのか。
その人にお任せ。と思うんです。
ココロと言うと、わからないとなりますが
現在の姿が、現れるようなこと、かなと。

No.3158 - 2011/01/26(Wed) 02:52:19

Re: 雪にもイロイロと / ubik0101
ちらほら雪は。もの凄い横殴りの吹雪などでない、風流な雪、くらいの印象でした。でもpeerさんの指摘で。霰(あられ)雹(ひょう)そんな逆境でも、たとえば貧しくても、仕事がなくても、いい雪・・・日々是好日・・・の響きがあるのかもしれない、と思いました。

そうだとすると、いい雪だと言われて、全禅客は《風流ですね、幸せですね。そんな所に落ちるんですか?》なんて意地悪な質問をした、とも取れるかもしれません。それで。いいえ。全さんなら・・・この痛みに、衆人環視の中で嫌なめにあった、逆境に・・・どう反応しますか?という厖(ほう)居士、いきなりの平手打ち、とも読めるかもしれません。

それで感じた恥を取り繕うために「そんなに、あわてないで」などと言うなら、人を酷い眼にあわせる閻魔様に捕まると困ったことになる・・・では、どうすればいいか・・・無為自然・・・災難にあったら災難にあえばいい、死ぬときにはCENSOREDばいい、とも読めば読めてしまいそうです。

たしかに公案は、その人、その人の有り様の反映も起きるでしょう。すでに、了解してるけれど、認識してないことを、意識に教える働きもあるのでしょう。そして、どうであれ読み取ったら、忘れる、超える、という働きもあるようです。

たとえば因果は自分。として、降る雪は、私です。寒いも、痛いも、美しいも、私です。まあ・・・(雪は私、でも私は雪ではない、は度外視するとして)・・・それを映す心なんかないのです。ここは、自我も、自己も失ったところです。

つまり因果だけ、です(そう思ったら、そう実感してしまいます)。起こってることが、私、です。また、落ちるところは決まってると読んで。さて、そこも忘れる・・・もしかして、それが二回目の平手打ち、なのかもしれません。

そうだ、掘り起こした石(なぜ、こんなに都合よくあるんだろう)で、ロックガーデンをつくろう、です。

No.3159 - 2011/01/26(Wed) 13:26:25

Re: 雪にもイロイロと / hato

よい雪は別所に落ちず。

ここ、にも、そこ、にも、あそこ、にも。

ほかのどこかに落ちません。

一切は、その世界。

一切は、不可 思議にて尚、その雪は

ただ雪です。

そして尚、雪です。


温暖な静岡も、大変に冷える1月。身に滲みる寒さです。ストーブの灯が冬のにおい。ubik0101さんはキュと顔をほころばせて「ちゃっぶい、ちゃっぶい」ていいます。浜松では今日再び、雪が降ったそうです。

すこし前の雪の日、凍った路面を長く登り、とある1000年杉を見にでかけました。

No.3160 - 2011/01/26(Wed) 21:37:46

Re: 雪にもイロイロと / hato

周囲10メートルだそうです。

No.3161 - 2011/01/26(Wed) 21:51:36

Re: 雪にもイロイロと / ubik0101

説明書きです。

No.3162 - 2011/01/26(Wed) 21:54:49

Re: 雪にもイロイロと / peer
ubik0101さん。

ううーーむ。なんにしても平手打ちは私としては
できない・・・ですね。
伝える方法は様々にあると思うし。
禅宗は、手荒い事が好きなのかしら?

まっ。雪は。となろうと
杖は、となろうと
すべて自分のこととして。
なので、それを外すと平手打ちですか〜

hatoさん

うわぁー。すごい表情を見せてますね1000年杉。
東京も、いつになく寒いです。
いつ雪が降ってもおかしくない・・・けど、まだです。

No.3163 - 2011/01/27(Thu) 03:33:21

Re: 雪にもイロイロと / ubik0101
> 禅宗は、手荒い事が好きなのかしら?

んー、そんな疑問を感じたことはないです。でも、自分の腕を切るとか、門を閉めるとき足が挟まって骨が折れたとか・・・あんまり詳しくはないですが・・・そんな話はあるようです。そ、いえば読んでて、、、何度か、中央公論の「禅語録」を力一杯に床に投げつけたことがあります。

No.3164 - 2011/01/27(Thu) 19:26:04

Re: 雪にもイロイロと / hato

> うわぁー。すごい表情を見せてますね1000年杉。
> 東京も、いつになく寒いです。
> いつ雪が降ってもおかしくない・・・けど、まだです。



そうでしたか。東京はいつも、春までには1、2度降りますよね。静岡では少し前、ほんのちらほら・・の雪でしたが、結構な騒ぎになっていました。車が渋滞して20分が2時間だったとか。慣れていないんですね。

夕方、庭の空を見上げると、鳶が北の山に帰っていくのが見えます。少しずつ、あちこち群れをなして、たくさんの鳶です。空が広いので目に付くのでしょうが、ときどき輪を描きながら、おつかれさ〜ん、な感じでゆっくり仲間と一緒に帰っていきます。「わぁ〜い!」と手を振って、

「ま〜た、あしたね〜!」

今年は海はまだですが、そういえば、カモメの大群が船のあとをついていくのを見ました。

No.3165 - 2011/01/27(Thu) 22:20:12

Re: 雪にもイロイロと / peer
>んー、そんな疑問を感じたことはないです。でも、自分の腕を切るとか、門を閉めるとき足が挟まって骨が折れたとか・・・

ほーほー。なるほど。
禅宗って武士の仏教イメージというか〜自力ですからねぇ。
ちょっとキツイモノがあるのかも。です。
法門無尽といいますから、お好きな方からどうぞ。かな。

渡り鳥が一斉に飛び立つのを観ると
うん。何万羽も一斉に、、、なのに、ぶつかりあわない。
あれも、面白い風景ですね。

No.3166 - 2011/01/28(Fri) 05:02:53

Re: 雪にもイロイロと / ubik0101
ノンノンが、やっと飛び始めた頃に、ルンルンと空中で衝突したことがあります。えー、鳥なのに?と思いましたが、学習能力はあるようです。

とくにノンノンは、よくペンとか眼鏡を、噛んで運んだり頭で押したりして、テーブルの縁から下に落として、なぜなんだろう?と首を傾げて落ちた物を見ています。

それで、「あのね。落としてから考えるより、考えてから落としなさい」と言い聞かせます。すると、あんまり落とさなくなりました。きっとペンや眼鏡は鳥のようには飛ばないことを理解したのかもしれません。

ところで思いついて、不昧因果、をグーグル検索してみました。どうも、因果、とは仏教の基本概念で、なんでもそれから外れることはないそうです。たしかに因果は因果を眩まさず、因果は因果に落ちはしないけれど・・・世界の総活動/中道/縁起を誤解した、因果、という・・・それは無我を強調しますが・・・そんな思考を、さらに演繹したり帰納したりしても、どうかな、と感じます。

ケイタイをかまえると気がついて、何?何?といって近づいてくるので、なかなか撮れないのですが・・・ブランコの鎖を首の後ろに廻して・・・自分の足では届かないところを掻いています。

No.3167 - 2011/01/28(Fri) 13:03:28

Re: 雪にもイロイロと / hato

カモメの大群に続いてこちらは鵜の大群。驚愕ものです。ubik0101さんとふたり、しばし佇み、眺めたのでした。

No.3168 - 2011/01/28(Fri) 21:10:23

Re: 雪にもイロイロと / hato

拡大してみると、雰囲気が伝わるかも知れません。

No.3169 - 2011/01/28(Fri) 21:12:00

Re: 雪にもイロイロと / hato

ひょっとして一万羽くらいはいたでしょうか。圧巻でした。

No.3170 - 2011/01/28(Fri) 21:15:51

Re: 雪にもイロイロと / peer
因果で言うと
ノンノンは無邪気が「因」でしょう。
「果」としてインコの形(色)をして無邪気さを表現している。
のでは?
そんな気がします〜

No.3171 - 2011/01/30(Sun) 03:25:53

Re: 雪にもイロイロと / ubik0101
ノンノン、今朝は、テーブルから時計を落としました。そこで「ノンちゃん、時計は飛ばないんだよ」と言い聞かせてみました。

ところで。たとえば因果という、未知の何かがあって、それは、あんなことだ、こういうことだ、どういうことだと探る・・・そんなことをしてる、その自分は勘定にいれてない・・・しかし、そのことは実は自分を不可侵なこととしてみなしてる・・・つまり、そこで思考されてる因果の外にいる ・・・ それは見る中心ができている・・・因果を対象にしてる、私、がいる。 つまり因果と、自分との分離です。それが問題と言えば問題です。

そして、そんな因果と自分を別のこととして見ることも、ひねくれてるけど、因果と言えば因果なんです。それで、そのように生きていながら、そのように生きてることに、なかなか気がつかない原因かもしれません。でも、そうだということは・・・見えない香りのように・・・なんとなく雰囲気として漂っています。なので、そのことに、ふと、気がつくこともありそうです。うまくいくと、因果が、私、です。それに決着すれば、因果の概念が消えてなくなります。

ところで、爪を網戸に引っかけて、助けを呼ぶ、ナナです。

No.3172 - 2011/01/30(Sun) 10:50:42

Re: 雪にもイロイロと / hato

真っ白な鷺の集団を見つけて、とても驚いたこともありました。100羽、200羽・・・はいたでしょうか。同じねぐらに帰るのを見ました。

No.3173 - 2011/01/31(Mon) 21:46:48

Re: 雪にもイロイロと / hato

> それで、「あのね。落としてから考えるより、考えてから落としなさい」と言い聞かせます。すると、あんまり落とさなくなりました。きっとペンや眼鏡は鳥のようには飛ばないことを理解したのかもしれません。


すると、あんまり落とさなくなった・・は、・・・したからそうなった・・・というわけではありませんよ、念のため。

因果。作用が織り成されるところでの果実。けれど人は、現在、過去、未来を、一本に繋げる物語を愛しており、なにより世界に一縷の縁を見出したい・・のかも知れません。その人がなにより、そこはかとなくあるからこそ、そのように見て信じることもできるでしょう。人はどうしても、なにか誰かを縁にして、世界を拠り所にしていたいものかも・・・知れません。


好雪片々・・・それは、ふと瞬いた銀白色の粒子のよう・・・どこに落ちるともなく消え行く雪の結晶です。どこに落ちるでもなく、ただそのようにあります。

ここのところすっかりお兄さんになって、遊ぶより給餌行動に忙しい、ルンルンです。

No.3174 - 2011/01/31(Mon) 22:26:41

Re: 雪にもイロイロと / peer
>たとえば因果という、未知の何かがあって、それは、
>あんなことだ、こういうことだ、どういうことだ
>と探る・・・そんなことをしてる、その自分は
>勘定にいれてない・・・


因果は、自分(自我意識)とは無関係・・・かもです。
物を落とせば、地に落ちる。そんな単純なモノで
そして人間が、あーのこーのと言う事も、確認することも
難しいんじゃないかしら?

作用と反作用の法則。因果の法則。
循環の法則。自然の法則。愛の法則。
宇宙は意外と秩序があるようで〜。
分かるのは、自分のした事は、自分に戻る〜と。
まっ。。因を作らないこと、しか、ないかも。
それだけは自分の責任になりそうですし。

どこに落ちるともなく落ちる雪は、今年は・・・
四メートル越え〜とかで、困っている人も多いようです。
いや〜ホントに。あちこちで天変地異やら暴動やら。
変革の時というのは、どうもホンキらしい。

No.3175 - 2011/02/01(Tue) 01:58:17

Re: 雪にもイロイロと / ubik0101
>因果は、自分(自我意識)とは無関係・・・かもです。

うーん、あのとき、ああすればよかった。《過去》。そうしたら、こうでは、なかった。《現在》。そうだとしたら、どうなるだろう。《未来》。そんな・・・過去、現在、未来・・・それは空想の時間旅行です。そのことは、自分が自分と分離してる、そのことが可能にしているのではないでしょうか。ふつうは、そんなことを自我意識と呼ぶようです。

そいう人の心理的な有り様に注目すると、とくに問題とも思われない技術的な、実用的な時間の思考とは区別したりする必要も起きるのでしょう。そんなことは、(苦痛をともなう、あるいは苦痛とも自覚しない)騒がしい、なにか個別の原因と結果を求める誤解された因果を生きてるゆえに起きることかもしれません。それは世界が、人に因果を通じての自我の理解を望んでることの現れ、かもしれません。

とくに、その経路でなくてもいいのですが、因果を理解することで自分との分離を解決し、心理的な時間旅行の愚かさ、迷いを終わらせることができる。という、説明、はできるのかもしれません。また、ふらふら心理的な時間旅行をしてる人に対してですが、いまここ、が提唱されたりもするでしょう。

>そして人間が、あーのこーのと言う事も、確認することも
>難しいんじゃないかしら?


とあることを世界の総活動から切り取ったと仮定して思考したことが概念としての因果ですが・・・世界の総活動に触れることで自我がないとかを了解すれば・・・すでに、それを飛び越えてるのです。そのことの説明、確認として、因果の概念は役立つといえるだけのこと、でもあります。

そして、なにかとあることは原因があって結果があるという因果の概念は不完全だから機能できるし・・・それが消えてから・・・思考には世界の総活動は理解できないのですし・・・その概念が消えた、そのことが、その通り正しいと、了解できるのではないでしょうか。たとえばジグソーパズルは未完だから遊びとして機能できる。完成したら天袋直行・・・のように、です。

>いや〜ホントに。あちこちで天変地異やら暴動やら。
>というのは、どうもホンキらしい。


まあ、世間話としても。ことさら関係ないこと(因)、たとえば「天変地異やら暴動」を、ことさら「変革の時」という(果)と関係づける、ことはないです。うろ覚えで、しかも誰が言った言葉かを忘れましたが、「道は眼の前にあります」で、充分と感じます。

No.3176 - 2011/02/01(Tue) 15:58:07

Re: 雪にもイロイロと / hato

とある清水が、綺麗に氷を張っていました。切れそうに冷たい水が、それでもほんのすこし、春の兆しです。

No.3177 - 2011/02/01(Tue) 21:57:15