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記事No.3184に関するスレッドです

(No Subject) / peer
>あのとき、ああすればよかった。《過去》。
>そうしたら、こうでは、なかった。《現在》。
>そうだとしたら、どうなるだろう。《未来》。
>そんな・・・過去、現在、未来・・・それは空想の時間旅行です。
>そのことは、自分が自分と分離してる、
>そのことが可能にしているのではないでしょうか。


《過去》こうしたら《現在》こうではなかった・・・かどうか
分かったもんじゃないのに、そんなふうに考えるんですよね。
何か、落ち着く場所を求めてのことでしょうか。
これを「反省することで未来は変わる」と観る人もいますが。
このクセがあったら、、、変わらないと思う。
終わってしまったコトは、どうとでも言えるし思えるし。
今に不満がある。それだけのことなんですから。

コトガラには、真の意味はなくて、どう解釈するか
しか人には与えられていないのかも。
解釈によっては、様々に受けて採れてしまう。
因果も、その筋の話じゃないかな〜。

原因があって結果がある。も、それだけのこと。
種がなければ、根も葉も出ない。ワケです。から。
そのことに、意味づけして、浮いたり沈んだり。
自分がどんな種なのか、知らないから因を知りたがる。
ということかも知れない。

>世間話としても。ことさら関係ないこと(因)、たとえば
>「天変地異やら暴動」を、ことさら「変革の時」という
>(果)と関係づける、ことはないです。


これは〜因果の話とは、別のことで。
世間は無常な物で、様々に変化しております。
小さな対岸の波も、折り返して高波になることもある。
変化を、ある意味、、楽しんでいるトコロもある。

No.3178 - 2011/02/02(Wed) 02:32:58

Re: / アバターラ
降っている雪が、形は変わるが、積もる雪となる場合。
そこに同じものであるということを認めるので、
だから、その変化を説明するのに、原因、結果を求めるのでしょう。
あるいはその変化を説明するのに、相互関係を求める。

No.3179 - 2011/02/02(Wed) 11:42:09

Re: / peer
降っている雪と、積もった雪が「同じ」と
継続させようとするのが思考の仕事なのでしょう。
同じくさせる必要がどこにあるのか?
それは、どこにもないのに思考は維持したがる性格があるようです。
ただ。人が生活していくことにおいて、先回りして準備する
思考の性格が活用されます。
いつも言われることですが、それにも、囚われず。が肝心要で。
先回りして準備したことを無駄にしたくない・・・(執着)
現実を準備したコトに合わせたくなる。そこが、問題になってしまうのでしょう。

No.3180 - 2011/02/02(Wed) 12:03:36

Re: / アバターラ
継続は、変化を認めるときに、ひとりでにあるのでしょう。
ほら、ほら、食べないとご飯が冷えるよ。
そのとき、同じご飯であることは、前提になっている。

No.3181 - 2011/02/02(Wed) 12:51:16

Re: / ubik0101
たとえば・・・過去を変えることができるなら、因果は成立しないでしょう。そしてまた、未来を変えることできないなら、因果は成立しないでしょう。

このように、思考を知覚している・・・そこでは部屋の空気やテーブルや椅子は眼には見えてはいても、それを意識は見ていません・・・ふと、その思考が終わります。そこで窓の外を見ます。

その瞬間に、知覚は、風景で一杯に塗り変えられ・・・冬の青い空・・・庭・・・その思考の余韻も、速やかに消えていきます。

その風景には因果の概念は、探すまでもなく、ありません。その、ないことにおいて・・・ざわめく樹、鳥の鳴き声・・・この、とんでもない世界・・・これは何なんだろう・・・ここに理解が起きるようです。

No.3182 - 2011/02/02(Wed) 13:33:13

Re: / peer
>ほら、ほら、食べないとご飯が冷えるよ。
>そのとき、同じご飯であることは、前提になっている。


そうですね。
そして、「自分の都合」の範囲内の変化を観ています。
都合の範囲以上の変化を、人は認めたくないかも、です。
雪、と観れば雪にこだわり。
ご飯、と観ればご飯にこだわり。
ソコしか見ませんが、ソコは世界の、ほんの一部。

そこでubik0101さんの言う、
その風景には因果の概念は、探すまでもなく
・・・となります、か。

No.3183 - 2011/02/02(Wed) 13:47:56

Re: / hato

そして、そのとある森では、滝が凍っていました。

No.3184 - 2011/02/02(Wed) 19:39:34

Re: / アバターラ
> ソコしか見ませんが、ソコは世界の、ほんの一部。

ものを買うとき、ものは移動しますが、買おうとしたのと、別のものかどうかを気にし、ある意味、確認します。
賞味期限がくるとき、ある意味、同じものが変化したのであって、別のものだとはみなしていない。
そういうものの世界のことであるにすぎない。
この世界があるので、思うこともそれに合っている。

それしか見ない世界というのは、都合よく、動かそうとして、思っている世界のことなのでしょう。
その場合はその都合のいい世界と動かそうとして思うことは合っていない。
そのとき、ものの因果は合わず、消えるが、思うことにはその因果があるということ。

No.3185 - 2011/02/03(Thu) 08:40:26

Re: / peer
>それしか見ない世界というのは、都合よく、動かそうとして、
>思っている世界のことなのでしょう。


自分の見えるモノが、すべてであると思うのでしょう。
見えるモノの世界は、見えないモノの力に支えられて、
そこに存在している。ということもありますが。
見えないモノ。その一つが因果の法則とも言えます。
そこが見えないので、自分の都合でモノゴトをみてしまう
ということが、起きてくるのかも知れません。

No.3188 - 2011/02/04(Fri) 01:57:50

Re: / アバターラ
変化の中で、
変わらないものがあるのだとか、
変わらないものはないのだとか、
それにこだわるのも、
こだわらないでいいのだというのも、
この文化圏の病なのかな。

No.3191 - 2011/02/04(Fri) 10:55:18

Re: / peer
>変わらないものがあるのだとか、
>変わらないものはないのだとか、


非常に〜科学的だと思います。
物質世界の法則を忠実に科学したんじゃないかしら?
モノは誕生したとたんに崩壊へ動いて行きます。
壊れない・変化しない物質は、なにひとつない。でしょ?
変わらないモノとは、その法則のこと・・かな。
法則から逃れられるモノは、、ないと言えそうです。

No.3193 - 2011/02/04(Fri) 14:23:37