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記事No.3200に関するスレッドです

絶対不自由 / ubik0101
あるとき、おそらく1000年くらいも前のことでしょうか。雪が降る空に向かって厖(ほう)居士が指を示しました。そして、「好雪片々不落別處」。世界が変わりました。それで、たとえば、この掲示板などでも、その話をしています。

もしそこで、居士が、空に指を示さなかったら、どうなんでしょう。おそらく、この、どうなんでしょう、ということさえ、起こり得ないのではないでしょうか。ここは、起こりえなかったことが起こった、あり得なかったかもしれない、世界なんでしょうか?

ふと思いついて、ビーフシチューをつくりました。と、いっても素材は(ビーフシチューのルー、大根、人参、じゃがいも、玉葱)つまり牛肉なし、です。大根カレーも、なかなかです。

No.3186 - 2011/02/03(Thu) 12:57:07

Re: 絶対不自由 / hato

そのビーフシチューを、ランチに頂きました。こってりしたシチューの地に、みずみずしい大根の、たっぷり汁が、ふしぎな風合いです。

疲れた夜には、白子と人参、葱のポン酢仕立て。酸化防止剤無添加ワインの赤が決まって、なんと美味しい。

ペコちゃんポコちゃんは、シールのなかのチョコレート。
さて絶対不自由。

・・・也か否か、お楽しみとっておきです。

No.3187 - 2011/02/03(Thu) 23:48:30

Re: 絶対不自由 / peer
ビーフシチューなんですね。。うむ。
和洋折衷の雰囲気〜
子供の頃は貧しかったからか、家で作ったシチューもカレーも
肉の代わりにチクワが入っていました。

>もしそこで、居士が、空に指を示さなかったら、どうなんでしょう。おそらく、この、どうなんでしょう、ということさえ、起こり得ないのではないでしょうか。ここは、起こりえなかったことが起こった、あり得なかったかもしれない、世界なんでしょうか?

起こることが決まっていた。というのは、ないですか?。
それでこそ絶対不自由。
そこで感じるのは、指をさしたのは、自己の意志ではなく。
居士がいて、雪が降っている。
その時に指をさすのは、もともと、決まっていた。
因があり結果がある。のであれば。

No.3189 - 2011/02/04(Fri) 02:09:52

Re: 絶対不自由 / ubik0101
peerさん

なんだか、総ては決まってるのかもしれません。と、いうアプローチもあるのかもしれません。しかし、それでは。たとえば、ちくわカレーは、peerさんの家で宇宙開闢から、56億年で現象するように決まってた、とか。すでに時間の要素が前提にされるかもしれません。また、運命とか、偶然とか、必然とか、個別の個人の要素が前提にされてるかもしれません。総ては決まってる、ということが事実かどうか、検討も、確認も困難に思います。

たとえば、総ては決まっていた、あるいは決まってない、ということが確認できたとして、その確認することも決まってた?という疑問が生じるかもしれません。たとえば自由意志があるとしても、そう思えるだけ、また、自由意志も、そういう決まったこと、となるのでしょうか。決まってた、決まってない、どちらも堅固に思えるだけの、実は、あやふやな空想なので採用しない、その隙間が現実・・・それもまた、いいかもしれませんが・・・こう考えます。

たとえば自由意志があるとして、それを行使するとして、それは、自由意志が行使できるように、この世界が出来てるから、行使できるのではないでしょうか。つまり、なんであれ、それが出来るようにできてるから、出来るだけ・・・ほかの言い方では、選択してる、そのことは選択させられてるだけ・・・ではないでしょうか。

たとえば空に指を示すことは、空に指を示すことができるように、世界ができてるから、できるだけ、です。「好雪片々不落別處」と言えるように、世界ができてるから、出来るだけです。それは、また、空に指を示さないことも、「好雪片々不落別處」と言わないことも、そう世界ができてるから、出来るだけです。

てくてく歩いてて喫茶店に寄ることも、通り過ぎることも、歩くことも、見ることも、聞くことも・・・歩かないことも、見ないことも、聞かないことも・・・なにか出来ることも、できないことも、そのようにできてるだけです。こう思考しないことも、することも、そうできるように世界ができてるから、こう思考できるだけです。

とくに時間の要素を持ち込むまでもなく、この個別の個人の要素を持ち込むまでもなく・・・つまり、どんなことも自由、それこそが、どうしても不自由・・・です。それで、絶対不自由、と呼びます。ならば、その、無限とも言える銀河、質量、時間、空間の重さは、どうしたことなのでしょう。

No.3190 - 2011/02/04(Fri) 08:47:52

Re: 絶対不自由 / peer
>空に指を示すことは、空に指を示すことができるように、
>世界ができてるから、できるだけ、です。


そうです。だから「決まっている」こと、なのでは?
そのように出来ていなければ、出来ない事ですから。
瞬間の偶然ととることも、必然ととることも、できる。
しかし出来ていなければ、自由意思は存在しない。
空を指したいと思っても(自由意思)、そう出来ていなければ・・・。

「好雪片々不落別處」と言えたのは、その瞬間、言えるタイミングがあった。
雪が降っていなかったら、言わなかった。
相手がいなければ、言えなかった。
言える時と場所と相手がいて初めて行われた。ありがたい。

>無限とも言える銀河、質量、時間、空間の重さは、どうしたことなのでしょう。

さあ。これで遊びなさい。ということかも。
わたしらは、そのようなココで生まれた小さな子供。
限定した遊び方しか、、、していない。モッタイナイ。

No.3192 - 2011/02/04(Fri) 14:14:24

Re: 絶対不自由 / ubik0101
続きです。

くり返します。もしかして、この世界は、とても儚い、あやうい、かすかな、ことなのではないでしょうか。たった、指一本で変わってしまうのですから、羽毛のように軽いのではないでしょうか。そう、感じないでしょうか。それが人の日常ではないでしょうか。この軽さは、どうしたことなのでしょう。

そうでなく、絶対不自由から始めるなら、この世界の範疇から始めるなら、どう探っても、運命も、偶然も、必然も、因も、果も、それを繋ぐとされる縁も、自由意志も、どうにも重く、その範疇にしかないのではないでしょうか。それで、どうして世界は絶対不自由なのかと、疑問を発するところ、それは、なんでしょう。

No.3194 - 2011/02/04(Fri) 20:39:24

Re: 絶対不自由 / hato

シールのなかの、チョコレート。

それは・・・

No.3195 - 2011/02/04(Fri) 21:06:01

Re: 絶対不自由 / peer
>指一本で変わってしまうのですから、羽毛のように軽い
>のではないでしょうか。


これを「変わった」「軽い」と感じるのはどうして〜?
たとえば私ごときが指一本、指示しても、なんともならず。
誰にも無視され、世界は微動だにせず。とても重い。
どうよ? 居士ゆえに、、、なんでしょ?。

>それで、どうして世界は絶対不自由なのかと、疑問を発するところ、
>それは、なんでしょう。


・・・あまり疑問は発しないですが。
絶対不自由にしているのは、当の人間でしょ。
肉体が自分である。と思えば、束縛されまくり〜で。

・・・でなければならない。
・・・であるべきだ。
・・・みんな、そう言っている。
こんな観念に縛られて、その不自由さに気づかない。のです。

No.3196 - 2011/02/05(Sat) 02:04:45

Re: 絶対不自由 / ubik0101
>>これを「変わった」「軽い」と感じるのはどうして〜?
>たとえば私ごときが指一本、指示しても、なんともならず。
>誰にも無視され、世界は微動だにせず。とても重い。
>どうよ? 居士ゆえに、、、なんでしょ?。


どうして〜?、の理由がない、です。どれも、とても説明になりますが。いかなる判断としての概念も観念もない日常、ということです。たとえば家から歩いて、空を見上げるだけで、犬を連れた人と挨拶するだけで、世界が変わります。

バタフライ効果を指摘する必要もなく、ことさらに世界を対象にせず、見る聞く歩く、そのこと事態が、軽いのです。たとえば、どこか掲示板に投稿する、投稿しない、なにか思考する、その呼吸そのこと事態が、すでに変化です。

ことさら世界を対象に、つまり外に見ることなく、中に見ることなく、 たとえば世界の歴史を変えたと見なされる科学者、哲学者、賢者、と自分を比較の対象にせず・・・ この個人としての自分を評価せず・・・判断としての否定にも組みせず、肯定にも組みせず、です。

これは、そのような、いかなる概念とか観念とかが削除されてる、否定されてる、横にどけてる、それは意識にない、念頭にない、という意味ではないです。

たとえば過去も未来も現在も、掴まない、掴めない・・・なにかが・・・たとえば喜び、怒り・・・思考としての、あってもいい、なくてもいい、ではなく・・・それを生きてる、です。 そのようにしか人は、あり得ないのではないでしょうか。

続きます。

No.3197 - 2011/02/05(Sat) 09:10:18

Re: 絶対不自由 / ubik0101
>・・・あまり疑問は発しないですが。
>絶対不自由にしているのは、当の人間でしょ。
>肉体が自分である。と思えば、束縛されまくり〜で。
>・・・でなければならない。
>・・・であるべきだ。
>・・・みんな、そう言っている。
>こんな観念に縛られて、その不自由さに気づかない。のです。


いろんな経緯はあるでしょう。ただ自分は、まったく、自我がない、ということを気付きもしてない頃、絶対不自由に、気がつきました。なんどか言いましたが、俺は自由だ。どこでも走れる。という機関車が、ふと下を見たら、レールが敷いてあった。

どうやっても、楽しくても、悲しくても、その上しか走ってない。これは、絶望と呼べないほどの悲惨な絶望でした。それが、なにもかも、かなぐり捨てた否定の道のあげくにあった、その底にあった、ことでした。とても世界は重く、のしかかっていました。数年間、そこをさまよいました。

それで、なんの切っ掛けもなく、あの体験が起こりました。絶対不自由が逆転したのです。それは、自我があるとかないとかでは、説明できませんでした。自我がない、それと、どんなことでもない、意識の、世界の範疇にあるとは言えない、自己、その了解・・・それを失うこと・・・が必要でした。

No.3198 - 2011/02/05(Sat) 09:44:58

Re: 絶対不自由 / アバターラ
悩み自体が具体的でないので、あの体験があまり意味を持ちませんか。
No.3199 - 2011/02/06(Sun) 10:27:13

Re: 絶対不自由 / ubik0101
ここでアバターラさんが言う、「悩み」とは・・・絶対不自由を指すのでしょうか。それを関知しないで、他人事にするなら、具体的なことではないでしょう。

あるいは・・・「悩み」とは・・・いわゆる葛藤とか、軋轢、とかを指すのでしょうか。それも傍観して、他人事にするなら、そもそも具体的ではなく、「悩み」でさえないのではありませんか。

そのように、なんであれ他人事とするなら「具体的なことではないので」、とか思考できる・・・その、そのことも無意味とは言えないでしょうが・・・こともありそうです。

また「あの体験があまり意味を持ちませんか」。ですけど・・・あの体験なしに開設もあり得なかった、このhpとか掲示板とかが・・・凄く意味があるんだとか、あまり意味を持たない・・・とか感じることはないです。

なにか質問、疑問とかがありましたら、その趣旨を明確に具体的にしていただければ、話が早いと思います。

そんな能力はないと思うのですが・・・いつもナナ(猫)が昼寝してる日溜まりの草むらに『昼ご飯だよ』と、呼びに行ったら、なにかの羽(ヒヨドリ?)が散乱していました。

No.3200 - 2011/02/06(Sun) 11:57:57

Re: 絶対不自由 / ubik0101
続きです。

この世界の、なにか個別な、もの、こと、に縛られてる自我という・・・また・・・この世界の範疇にあるわけではない自己という、拠り所を失って・・・ある、のは、つまり機能してるのは・・・なんと呼んでもいいのですが、現象/事象/因果/知覚とその対象・意識とその対象(一切)、だけです。しかしこれも実は、姿勢として無我を前提にしています。無我を拠り所にしています。

ところで。この世界は。なにか、もの、こと、を無理に拠り所にしようとすれば、掴もうとすれば・・・無理に拠り所にしよう、掴もうとするという機能が働くだけです。そして、拠り所にしないことも、拠り所にできない、ということがあります。つまりニュートラル、です。

けど。ここから、どこにもギアは繋がっています。この意味では、自我も、無我も、自己も、それは世界の機能です。なんの問題もないです。そんな世界の機能を拒むと、それを拒む、ということが状態として生じるだけです。 もし自我が、なにかを守るように、無我が、なにか、因果とか知覚とかを擁護するように機能するなら、とくに用はありません。

No.3201 - 2011/02/07(Mon) 11:38:59

Re: 絶対不自由 / ubik0101
続きです。

この世界のどこに、自我があります?どこに、無我があります?どこに、因果があります?どこに、自己があります。どこに、いまここがあります?どこに、無選択があります?どこに、知覚からの直接行動があります?どこに、意味があります?どこに、無意味があります?なにか、そんな依存できる特定の、個別のことがあるでしょうか?

その、ない、ということが理解されるということは、それが個別のこととしてではなく、意識の対象にはなってはないけど、機能してるということです。それが、理解して失う、けど、なくなることは何もない、ということです。でなければ、いつだって、なんだって拠り所になる可能性があるでしょう。

くり返します。理解して失う・・・ならば、なにかが機能してても・・・見る、聞く、話す・・・怒り、悲しみ、喜び・・・なにかの思考・・・事象/現象/因果/知覚とその対象・意識とその対象(一切)・・・自我、無我、自己・・・なにも拠り所として掴むことができないのではないでしょうか。

そんな機能が、世界、です。その世界も、世界を個別のこととして掴むことはなく・・・とても説明すれば、世界は世界を忘れてる、のです。どれが機能しても、どれも拠り所にはならない・・・それを、無常、と呼ぶのではないでしょうか。つまり、人を解脱させる機能が、世界、その活動です。

No.3202 - 2011/02/07(Mon) 11:41:28

Re: 絶対不自由 / peer
それを突破させるのが「死」じゃないかしら。
でも「死を怖れて」近づかないから、不自由を不自由に当てない。
魚は、水の中に居ます。どこにでも行きます。なんでもします。
自由にエサを食べたり自由に子孫を増やしたり、自由に。
でも、水の中に居てこその自由。
魚はたぶん水を意識していない。
水から出たら、ちょっとはねてみて、それから・・・
人も、この地球上にいれば、自由でしょう。
それこそ、自我の束縛を受けないとすれば、自由で。
肉体が自分だということなら、地球上においてのみ。
自由であるから人は地球上に居ることを意識しない。

No.3203 - 2011/02/07(Mon) 14:31:30

Re: 絶対不自由 / ubik0101
まあ、ふつうは。なぜ世界の自由が、実は不自由なんだろう?と疑問を発する、そのことは、不自由からは外れてる・・・世界から外れてる・・・でなければ疑問を感じない・・・です。

でも、こいうことは、自我を失い、無我を失い、自己を失い、まったく日常に埋没しないと・・・世界が幻のように儚いことであり、それには依存できない・・・世界が何だろうと無問題・・・ということが明確には判らない・・・変なもんです。

なにかの新芽が、朽ちかけた切り株から出ていました。

No.3204 - 2011/02/07(Mon) 22:46:14

Re: 絶対不自由 / peer
まぁ。それにしても。それは、人の頭の中だけで起きている事としての、それとどう違うのかしら?
Aという認識からBという認識へ変わったとしても、似たようなモノかもしれないと思うのですが。
この世に存在しているということは、依存しようとしなくても世界に依存している。。のでは?

No.3205 - 2011/02/08(Tue) 03:42:54

Re: 絶対不自由 / ubik0101
ま、逆に。世界は人の頭の中では不自由なのかもしれません。と、言っても・・・頭がなければ、自由。というわけでもないでしょう。そんなことなら不自由なのに、それに気がつかなければ、自由。としてるようなことでしょう。それでは解決ではないです。これも直接に辿る道はないのですが、説明を試みてみます。

なんであれ自分には見えないなら、ない、わけではないでしょう。また。ないことは見えない(その、ない、ことの確認もしてない、つまり空想なのに、それに気がつかない)で・・・見えるなら、どんなことも、ある。というわけでもないでしょう。つまり、これはあるよ。というだけの知覚。じゃ、それ以外は、ないんだね。という意識に依存することはできない、です。

また、たとえば。ご飯を食べてるのに、ご飯に依存しないとか、ありえないのでは?世界に生きてながら、世界に依存しないなんて、ありえないのでは?とか、この世界の範疇、不自由から始めたら、どうあっても、この世界の範疇、不自由、です。 そのように特定された、固い、重い、思考される世界では・・・ほかの世界を思うなら、もうアウトですが・・・自由が、不自由として現れています。

No.3206 - 2011/02/08(Tue) 09:32:44

Re: 絶対不自由 / アバターラ
絶望・・・自由、不自由に関して、自分がこうなりたい、こうしてもらいたいと、よりよい状態を期待し、その実現を願う・・・その希望を失いそうになる、なくなりそうな感じ、
絶望、それを悩みという言葉で表現した。
さて、自由、不自由に関する、その絶望が、具体的にどんなものか、なぜそれが問題になったのか、はっきりさせないと、あの体験が、あまり意味を持たないでしょう。

No.3211 - 2011/02/09(Wed) 11:47:55

Re: 絶対不自由 / peer
そこは、じつは、はっきりしているのでは?
ubik0101さん曰く
不自由を見るためには自由の場を作らなければならない。
ってことじゃないですか?
そして、その場を得たので、見えた。っと。

No.3212 - 2011/02/09(Wed) 13:08:02

Re: 絶対不自由 / ubik0101
ん?すでに話しています。否定の道は、わたしは誰?です。そこで否定することが見つからなくなったところで・・・そうなろうとしてではなく・・・また、なにか哲学の課題として問題になったのではなく・・・この自分、その生活が・・・絶対不自由です。

でもなお、アバターラさんが、そう言う理由は。ubik0101には見落としがある。アバターラさんは、絶対不自由を経緯して、それをはっきりさせた。ので・・・どんなアバターラさんの、あの体験か知りませんが・・・意味があるということでしょうか。それは何でしょう?

No.3214 - 2011/02/09(Wed) 13:33:55

Re: 絶対不自由 / アバターラ
> さて、自由、不自由に関する、その絶望が、具体的にどんなものか、なぜそれが問題になったのか、はっきりさせないと、あの体験が、あまり意味を持たないでしょう。

あの体験自体の意味を聞いているのではありません。

どう希望し、絶望したのか、具体的にどんなものか、なぜ問題になったのか、そこを話さないと、二つのものの関連としては、意味がないでしょうということ。

No.3215 - 2011/02/09(Wed) 16:34:39

Re: 絶対不自由 / ubik0101
わたしは誰?の衝動は、ものごころが生じた頃に始まったのですが、希望なんですか?なにか、家とか車とか地位とか名誉とか、なにかと比較できる、とあること、また人の状態、境地とかを求めることではなかったので・・・そもそも、なにかを求めてることも否定する、否定の道なので・・・それが希望とは、思ってもいませんでした。

そして絶対不自由は、その否定の道のあげくに、自分がそうなっていた。ということです。道を歩いたら行き着いた、ということで、あれかこれかというように、希望と絶望という較べられるような「二つのものの関連」として、意味を読みとるのは困難です。

まあ、自分の中心を見たいという衝動を、あえて希望と命名しても・・・もし中心が見えてたら、絶対不自由に行き着かなかったかもしれませんが・・・自分の中心が見えない、という理由で絶望したわけではないと思います。

それでもなお、わたしは誰?を希望と命名して、絶対不自由を、絶望と命名して。あたかも葛藤、自我の機能のように比較するとして・・・その希望は絶望だった・・・とか命名しても。そこに意味があるとは思えないです。

No.3217 - 2011/02/09(Wed) 22:27:52

Re: 絶対不自由 / アバターラ
わかりました。
自由、不自由に関して、悲惨な絶望、世界が重くのしかかる、さまようとは言っても、具体的に、どういうことというのは、まったくないので、その領域内では返事がない、できないということ。
実際は、自由、不自由についての抽象的な世界での、抽象的思索だけがあったということ。
そこは答えられる。

No.3218 - 2011/02/10(Thu) 11:17:20

Re: 絶対不自由 / ubik0101
アバターラさんが、それを経緯したこともなく、抽象と考えてるのは、判りました。
No.3219 - 2011/02/10(Thu) 11:44:13

Re: 絶対不自由 / アバターラ
一部分、その場合、そうです。

>>あの体験自体の意味を聞いているのではありません。

>>どう希望し、絶望したのか、具体的にどんなものか、なぜ問題になったのか、そこを話さないと、二つのものの関連としては、意味がないでしょうということ。

絶望が具体的な世界のものであれ、抽象的な思索の世界の絶望であれ。
具体的なものがあれば、関連、経緯として話せるでしょうということ。それなら、関連、経緯が、意味があります。
抽象的なものなら、具体的には話せない、具体的な関連、経緯は話せない、ないということ。

そして、私には、関連があること、つまり、経緯、いきさつ、細かい事情を経ることの必要は、必ずしもないということがあります。
その点は、いかがですか?

No.3220 - 2011/02/10(Thu) 14:20:28