| それで、一対一に対応してないことを探るのは、理論的には説明は困難な感じもします。なんだか、またも取り留めのない話になるかもしれません。が、このことからも見えてくることがありそうです。
たとえば自我は、世界との、自分との分離、孤立化、だと説明されることがあります。そうだとするなら、自我が解決されたら・・・その逆・・・真理は、切れ目のない、ひと繋がりの世界、ということに決着しやすいでしょう。
また自我は、騒がしい心理的な思考だ、と説明されることがあります。そうだとするなら、自我が解決されたら・・・その逆・・・そんな思考がないことが、波風の起きない平穏なことが、自我からの解放だと思われやすいでしょう。
ほとんど同様なことですが、自我は、空想の過去、未来、現在に迷ってることだ、目標が設定されてることが迷いだ、と説明されることがあります。そうだとすると、自我が解決されたら・・・その逆・・・たとえば、いまここ、知覚からの直接行動、ありのまま、時間のないこと、などが真実だと思われやすいでしょう。
続きます。
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No.3263 - 2011/02/22(Tue) 13:09:40 |