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記事No.3351に関するスレッドです

反応 / ubik0101
この庭の小さな丸い花壇です。桜と桃の花が舞い散る中、ビオラが咲いています。
No.3351 - 2011/04/17(Sun) 21:18:54

Re: 反応 / ubik0101
その石の一つに。なにか小さな虫がいるようです。
No.3352 - 2011/04/17(Sun) 21:23:19

Re: 反応 / ubik0101
そっと近づいてみると・・・ナナホシテントウ虫が、お尻を左右に振って、交尾していました。

いい天気です。空には交差した飛行機雲・・・福島では原発が事故で大変・・・どこかには、なにか悩みを抱えた人も、喜びに満ちた人も、いま生まれた人も、死にゆく人もいるでしょう。

とりとめもなく
また表現困難な主題かもしれませんが、
続くと思います。

No.3353 - 2011/04/17(Sun) 21:40:18

Re: 反応 / ubik0101
それで、たぶんナナホシテントウ虫が増えるのでしょう。そして、この庭で、そのそれぞれ一匹が、どこか見る人もいない草むらで、いまはまだ発生してない、もっと小さい数千匹のアブラ虫を食べ、昼に夜に、さまざまな生死の物語が起こるのでしょう。

と、このようなことは、事実ありえるのですが、空想なんです。その空想による、草むら、テントウ虫、アブラ虫・・・などは、ひと繋がりで・・・それぞれ個別の独立したもの、こと、としては・・・識別でき得ないようです。また思考そのことも、個別のこととしては生起できないようです。

つまり思考すると言うことは繋がる、繋げる。ということだ、「総てはひとつ」ということは、そいう思考の機能かもしれないな・・・と思います。ここで、その思考は持続できず、消え去っていきます。

というのも、思考は繋がってる、繋げてる、という気持で見るならば、空想ではない実際に目に見える現実の世界が、そのように見えることは、否定できないからです。けれど、その裏の、総ては個別の独立したもの、ことだ、も思考であれ、現実であれ、成立するまでもないからです。それで、なんであれ思考の意味がなくなるのです。

かなり疑問を残しながらも・・・続けられたら、続きます。

ところで今朝、肩に乗ったノンノンと一緒に、裏庭を見てると・・・窓のすぐ下に・・・あれ・・・なんだろう。ハトより大きくて、細く長い嘴で草の根のあたりを突きながら探り歩いている鳥がいます。頭が横縞、身体が縦縞、初めて見ます。そっとhatoさんを呼びました。もしかして、ヤマシギの幼鳥かもしれません。

No.3355 - 2011/04/19(Tue) 23:35:22

Re: 反応 / ubik0101
つまり、そういうことだ。と思って見ると、そう見える。ということです。たとえば、もの、ことは、ひと繋がりだ。また、個別の独自のこと。そんな気分が、そう思考する人の回りを囲ってるだけ・・・それを感じてるだけ・・・です。それに気がついたら、もう思考は持続できません。その展開を失い、つまり消えてしまいます。

その思考が消えてる・・・カーテンを開けると今日は柔らかに雨・・・空気・・・世界がしっとりしています。そこ。ここで、すこし探ってみます。・・・たとえば「時間はない、それは、ものの運動からの抽象だ」という意見があります。

けど。それは解釈です。説明です。思考です。事実ではないです。現実には、時間があるも、ないも、ないのではないでしょうか。それは、時間があるもないも含んで、なんの思考の展開もなく、ビオラの花壇・・・楓の若葉・・・目前に見えています。ここで、いましかない、事実しかない、あるのは現実、というなら、それも思考の演繹です。

つまり、「時間はない」は説明であり、事実ではありません(どこかに、時間はある、を隠し持って比較しています)。それを事実と思っては困ります。(たぶん誰かが発見した時間はない・・・それが真実に思えても、追従してはいけません。なんだかの至高体験、神秘体験も、知識があってのそれは、その知識によって解釈される恐れがあります)。たとえば「時間がないから、いまは永遠だ」、という意見もありますが、それは思考による演繹です。

ということも失っている、ここ。思考が展開してない・・・それは意識から、知覚にシフトしたのではないでしょうか。では、なにがシフトしたのか?それは、まったく知覚できないのです。このように、なにが、こう思考してるのか?まったく知覚できないのです。雨が強くなり、どこかでカエルが鳴きはじめました。

続きます。

No.3356 - 2011/04/23(Sat) 07:38:13