| peerさん
そもそも、のどかで平等そうな風景に思える原始時代の物々交換というのが、取引、商売なのでしょう。それはやはり自分のものとか、ほかの人のものとか、分けようもないことを分ける気持、愚かな意識が思いついたのかもしれません。
そこから労働の対価とか、権利とか、支配とか、敵と仲間とか、ありもしない空想に囚われるようになったのかもしれません。お金も、法律も、社会常識も、便利なんですが、自分たちでつくった仕組みに縛られる・・・そこで軋轢や葛藤が起こり・・・その見えることを通じて、その、そもそもの愚かさを成り立たせてる見えない中心、自我を学ぶ。そのためには、いい仕組みなのかもしれません。
でも、もうそれはいいんだ。そうでなくても、できるんだ。生きていけるんだ。人が成長しさえば、いいんだ。これに、みんなが気がついていてるけど・・・できない・・・それが不満として現れてることもあるようです。
ところで、これは去年の秋に種を蒔いて、 そのまま成長して草丈が1mちょっとある春菊、 この雨上がりに咲いています。
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No.3372 - 2011/04/28(Thu) 09:53:04 |