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記事No.3419に関するスレッドです

反応パート5 / ubik0101
これも、どこかで話しましたが・・・2人が、おなじ庭で、 おなじ花を植える作業をしています。それに専念しています。でも一人はピアノ演奏者です。一人は飛行機の操縦者です。

それぞれ、ただ花を植えながら、自分の技術などについては、無思考です。 けれど一人は、ひとたびピアノの前に座れば、聴衆を魅了します。一人は大勢の乗客を乗せて高度一万メートルを飛行します。

これは技術のことですが、それでも、人のために全力であること、真実や善や美の追究、であること、その気持ちは・・・なにか行動、発言、思考、知覚、することによって、仮の中心・・・自我・・・が作られる・・・反応、それだけのこと、とは違います。

その、仮の主体、自我が、真摯であること、ほかの人を喜ばせること、良いこと、を望むのです。その、気持、それは技術の種類、また技術の巧拙にはかかわらないけど、ただ生活のための技術に埋没しない、社会の利益追求の有り様に負けない強い意志は、たぶんに必要です。

ところで、人が自分を探求するための思考は、その技術のようなものかもしれません。いろいろ人は思考するのですが、たとえば素直さ・・・正確なこと、真摯なこと・・・公平さ、注意深さ、などの良い特質は、その意志、によって獲得されることです。

No.3415 - 2011/05/16(Mon) 08:54:10

Re: 反応パート5 / ubik0101
もしそれを獲得するなら、それはその人が、意識しないでも、働いています。たとえば自分が素直だと思考しても、それは変わらず・・・(もし素直な人が、自分を素直と思考するのが変だと言うなら、そう言う人は、そうでないというだけです)・・・自分が素直だと思考しないでも、素直さは変わりません。

つまり、そのことの思考の有無には左右されません。でなくて、どうして、その人が素直であることができるでしょう。 つまり人は思考しながら、思考に。思考してないでいながら、思考してないに。依存しません。(ここで思考は正確に機能を始めます)。思考からの解放です。

そんなことに気がつくということは、人は、たとえば「見るものは見られるもの」「意識はその内容」の範疇にはないということです。

これは実は、自我は虚構、と知るときに、ほとんど瞬間に了解されることです。つまりは、自我の死、自我の削除ではなく、自我の完成です。ここでは、おおく持つ者は、よりおおく与えられます。ここに、まず自我を知ることの意味があります。それは、単なる反応から生じることではありません。

たとえば嘘をつかないこと、人の間に紛れて生きていかないこと。公平であること。なにごとにも依存しないこと。などによって結果的に醸しだされることです。

それとは逆に、もし人がなにか取り繕ったり、誤魔化そうとするなら・・・そのことを自覚しようと、自覚しないでも・・・そうです。これは、たとえ、ほかに誰が、どう思おうと思わないでも、知らなくても・・・それはそのまま、まったく正確に機能します。

午前5時頃の田圃の朝日。走る車の中からの撮影です。

No.3416 - 2011/05/16(Mon) 09:05:09

Re: 反応パート5 / hato

その朝の、香り撫子。(かおりなでしこ)

まあるいポットから出して植えたので、こうなったんですって。なんてかわいい。ピンクの花びらが、目みたいでしょ。

さっそく、ふたりの携帯待ち受けになりました。

No.3417 - 2011/05/16(Mon) 23:24:54

Re: 反応パート5 / hato

宿根霞草。白とピンクの花が、春の賑わいです。

No.3418 - 2011/05/16(Mon) 23:26:16

Re: 反応パート5 / hato

今年は、庭表の3分の2、届くでしょうか。
ubik0101さんが日々雑草を抜いて、手塩にかけてる素敵な下草(したくさ)。

姫イワダレ草の花が、少しずつ開き始めました。

むかしむかしのゲストブック。障子の穴、のお話。
とてもとても、ピンときてしまった、あの、障子にあいた、穴の、ふしぎ。

そんなことを、思い出しました。

No.3419 - 2011/05/16(Mon) 23:39:55

Re: 反応パート5 / ubik0101
ついでに因果、自業自得について探ってみます。

(a)・・・まず、人が、とある状況とか状態だとかします。その原因を探ります。それは過去のなんだかが、影響を及ぼしてる、それで結果があると考えます。それは、そういう思考の形式に乗って、それぞれ個別の特定の(そのことを仮に世界から切り取ったとして)原因と結果。つまり因果、そして自分を勘定にいれるなら自業自得が思考されます。

これは原因と結果、それを繋ぐ時間という思考の形式なので、その形式に乗ってれば、なんであれ因果、自業自得、と見なされる傾向にあります。過去に原因がある結果、そして今を原因とする未来の結果。ここから空想の自業自得も思考されます。たとえば、「先祖の祟り」「思うことは実現する」とかが主張されます。

とくに関係ないことを原因と結果の関係とみなすことも行われれているのです。それは無理に関係ない、個別の特定なことを原因と結果として関係づけるのですが、ここは、それができる、まったく絶対に関係ないことは、とくに思考できない、世界ではあります。

また。ここで面白いのは、たとえば・・・なにか悪いことが起こった、それは、過去の悪い行動が原因だ。なにか期待したら、それが実現した。これが空想に基づいていても、個別の、特定のこととしては、なにかの出来事は事実として起こり得ます。

続きます。

No.3421 - 2011/05/17(Tue) 21:15:30

Re: 反応パート5 / ubik0101
でも、それは常にそうだ、とは言えないので、原因と結果を濃く結びつける、縁、の概念を要します。これらは思考としての、因果、自業自得です。 勝手に関係の薄いことを、関係の濃いこととして関係づけた思考です。これは自我による、とある世界解釈です。

ここでは、およそ思考が空想と事実を区別できないことに気がついていません。その愚かさによって、思考が人を養育しています。倒錯、執着、顛倒とも呼べます。

(b)・・・さらにたとえば、個別の特定なことではなく・・・喜びも、悲しみも、怒りも、偽善も、嫉妬も、良いも、悪いも、生も死も、ありとあらゆることが一度に機能したら、どうでしょう。これは原因と結果が意味を失います。ここでは、それを覚醒体験・・・世界の総活動とか、中道とか、縁起とか・・・呼んでいます。

ここで、人の行動、発言、思考(その原因は思考だけではありません)、知覚によって・・・そうする人・・・自我・・・が創られる、という了解がなされます。これは個別の、特定なことがないのですから、自我、また自意識の居場所がありません。無我です。ほかの言い方では、世界に自我を創ってもらう必要がなくなります。

ここで人は思考の領域から、知覚の領域にシフトするとも言えます。ここでは騒がしい思考の、意識の問題はないので、平穏、楽です。しかしそれに囚われると、対立しようのない、自我と無我の比較が始まります。それは思考の解釈です。世界の総活動、縁起、そのことではありません。

続きます。

No.3422 - 2011/05/17(Tue) 21:33:21

Re: 反応パート5 / ubik0101
ここで実験です。たとえば、街や樹や鳥や空を・・・見たり聞いたりすることを・・・知覚するという言い方をします。この「知覚」を「自覚」、と言い換えて、見たり聞いたりしてみましょう。

つまり、たとえば樹を自覚する、パソコンの画面を自覚する、冷蔵庫の唸る音を自覚する、座ってる椅子のシートを自覚する・・・です。

どうでしょう。そこで見えたり聞こえたり触ったりしてるのは、街や樹や鳥や空や椅子ですが・・・それを見たり聞いたり触ったりしてる自分は見えない聞けない触れない、のではないでしょうか。

あるいは世界と自分は、素通しではないでしょうか。これが日常。そのように知覚は機能してるのではないでしょうか。

続きます。

No.3423 - 2011/05/19(Thu) 08:38:33

Re: 反応パート5 / ubik0101
そうでないなら・・・あるいは、樹を見てるのが、自分。どこかの電車の走る音を聞いてるのが、自分。椅子に座ってるのが、自分。ではないでしょうか。つまり、行動、発言、思考、知覚によって、反応、して創られてるのが自分、です。

あらゆることに先だって、自分、ということがあって行動、発言、思考、知覚してるのではありません。それで、その度、その度に創られる自分、つまり自我は、支離滅裂です。

ここで、たとえば人間関係で、嘘を言わない、ということだけでも意志が必要で、それが自我の完成に向けての姿勢になり得ます。くり返します。世界に創ってもらってる自我が、公平なこと、良いこと、人のためになることを望み得るのです。

そして、そのような自分を創り得ます。そしてそれが完成すると、怠惰、偽善、嫉妬、悪、怒り、悲しみ・・・さえ役に立った・・・ありとあらゆることの活動が、中道、縁起なのですから・・・を了解します。それは、自我のまま、そうだというわけではありません。

続きます。

No.3424 - 2011/05/19(Thu) 11:45:37

Re: 反応パート5 / hato

斑入りの、萱(かや)。健在です。寒肥を貰って、斑がはっきり出たそうです。

姫イワダレ草を背景に、この萱の葉。繊細で美しいと思います。これから夏まで大きく育って、秋には素敵なススキの穂が見られます。

No.3425 - 2011/05/19(Thu) 22:36:05