これは、なぜ、これ? 意識って何?知覚て何?自分て何?世界て何?その疑問は、とくに想定され得る思考、記憶の答えを探ってるわけではないです。思考の領域に逃避、その方向には行かないでしょう。
まずは、その疑問は、それが機能しながら、それに依存してない、その不思議、そのことの表明です。これに解などない、と言ってしまってはお終いです。それでも、とても本気の疑問です。
ところで、精神(記憶・過去)そのことには、「偏り」「違和感」「抵抗感」機能は装備されてないのかもしれません。 もしかして精神(記憶・過去)ということで・・・知覚全体から離れてしまいます・・・ということを(あることがらに、ある意味を乗せる、変調)して理解してるのかもしれません。
ここで言う精神(記憶・過去)とは、いわゆる心理的思考、葛藤、つまりは自我の機能を差してるのでしょうか。ならば、ですが。その初めから、精神は記憶・過去なんでしょうか?そうだとしたら、それは始まりようがありますか?また自我そのこととは何でしょうか?という疑問が生じます。
こちらは・・・どういう意味にしても、思考領域に入ること、それに問題が感じられません。心理的思考を拒む必要が、とくにないのです。そのことによって、いわゆる中心がつくられるとは感じられません。そんな日常です。
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No.3501 - 2011/06/03(Fri) 22:27:16
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