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記事No.3541に関するスレッドです

差の認識 / ubik0101
いつの頃までのことだったのでしょう・・・世界は確固としたもので、たとえ自分が死んだ後でも、存続するのだと感じていたと思います。たとえば石器時代とか弥生時代とかを経て現代に至っています。そんな、知覚できない知りようがない過去によって、現代があるなら、まだ知りようのないけど未来だってあるのでしょう。

そして誰か、ソクラテスや宮沢賢治が死んでも、自分は生きています。この世界のどこかで、人は、ぽっと生じては、ぽっと消えていく、そんな雰囲気に取り巻かれて生活していたと思います。 つまり人が生きることよりも世界のほうが、どっしりと基礎にあると感じていました。

それは、でも、ほかの誰かが死んでも自分は生きてる、また自分が死んでも誰かは生きてるでしょう。と、そう思ってる自分が、とりあえずは生きてるというだけのことで、とくに世界の確固なことの根拠にはならないのです。が、なんとなく世界は不可侵の圧倒的な存在感がありました。

続きます。

No.3531 - 2011/07/06(Wed) 09:02:48

Re: 差の認識 / ubik0101
それはまず、知覚には限界があることによって、そうなのかもしれません。たとえばニュースとかを見ると、それまで名前も知らなかった外国で、知らなかった出来事が起こってたりします。見たり聞こえたりできなかったことが、見たり聞いたりできるようになったりします。そのことに気がついてる意識は自らの届く範囲の限界を感じます。

つまり、限界があるからには、その外が見えないけど・・・過去、未来という時間的にも、地理としての空間的にも・・・意識の外の世界があるんだろう、と感じていたのかもしれません。そうならば、自分が知り得る知覚できる範囲と、知り得ない、知覚できない範囲の世界があるのです。そいうことが、知覚してる自分がいなくても、世界はあるんだろう。と感じさせてたのかもしれません。

続きます。

No.3532 - 2011/07/06(Wed) 09:05:44

Re: 差の認識 / peer
ソクラテスや宮沢賢治は記録が残っているから、今も生きているように実感されます。
記録がない膨大な様々な人々・先人が、そのように生きているのを実感します。

No.3533 - 2011/07/07(Thu) 11:36:36

Re: 差の認識 / ubik0101
それで・・・知りようのない過去、未来に挟まれた、いま経験して知ることのできる、この時間。そして・・・意識の届かない知りようのない世界に囲まれた、知ることのできてる、この空間。また、知りようもない人に囲まれた、知ることのできてる自分が生きてる、そんな感じがしてたのでしょう。

そんなこともあって未知な過去や未来を知りたい、どこか遠くの未知な世界を知りたい、ほかの人のことを知りたい、そこに浪漫、好奇心を感じて、なにか科学を、数学を学びたい・・・とか思うこともあるのかもしれません。

けど、そんな気持には、この意識の範囲の中の、つまり自分の周囲の時間空間は知ってる、ということが前提にされて・・・その以前に、あるいは自分を知らないとは気づいてもいない自分・・・それが疑われてないので、自分を知ってると暗黙に誤解してることにも気がついてない自分・・・そんな有り様が、探求が意識の外に向かうあり方を成立させてるのかもしれません。

続きます。

No.3534 - 2011/07/07(Thu) 12:43:01

Re: 差の認識 / ubik0101
そこで、その自分なんですが、たとえば「自分のことは自分で判る」。というのが、どうも怪しい・・・心理的な意味の自分の気質とか性格を知るのだって、客観的な判断を要しますが、それができない。なぜできないのかも解らない、そんなもどかしさを、誰しも感じたことがあるのではないでしょうか。

そいうこともあって、自分の知らない・・・時間、空間、技術、知識、ほかの人・・・意識の外の未知を探索したい、という方向には行きませんでした。ただ自分のことを知りたい、ほとんどそのことしか人生がありませんでした。

また、おそらくは、その知りようのない意識の届かない過去や未来、知りようもない世界。を既存のこととして、いわゆる世間、社会常識、伝統、人間関係など、概念にすぎないことが、事実と見なされる、ということもありそうです。けど、そういうことを容認することにも向かいませんでした。

たぶん
ゆっくり、続きます。

No.3535 - 2011/07/07(Thu) 12:47:03

Re: 差の認識 / ubik0101
> ソクラテスや宮沢賢治は記録が残っているから、今も生きているように実感されます。
> 記録がない膨大な様々な人々・先人が、そのように生きているのを実感します。


そこで。peer・・・凝視って意味のようですが・・・さんは、自分が生きてるのを、実感しますか?

No.3536 - 2011/07/07(Thu) 12:55:46

Re: 差の認識 / peer
生きているかどうか・・・どうでしょうね。
それはそれとして。ソクラテスやイエスの言葉などは
自分で書き遺したのでなく、弟子とかが遺したのよね。
遺したい。遺さねば・・・という思いがありますね。
宮沢賢治は、自分で遺したかったのか、伝えたい強い
苦しいほどの想いがあるのを、感じます。
現代はブログなどで、誰でも自分の想いを伝えられる。
人間って〜なにか共有したい想いというものがある。
それに支えられる。生きていることを表現したい・・・?

No.3540 - 2011/07/08(Fri) 11:49:23

Re: 差の認識 / ubik0101
て、いうか。なにか言葉にするってことは、その一連の文書に、そうする動機も、おおむねですが完結されています。

なので、その投稿のほかに、なにか理由を探しても・・・ひとつふたつの個別のこととしては・・・見つからないようです。

たとえば思いを誰かに伝えたい、とか。生きてる表現、とかが動機だとしたら、それはそのまま、そう表現されるでしょう。

それに、なんでもプライベートなので、誰にも見せない秘かな日記だとしても、掲示板とかで公開しても、それで変わるようなことはないはずです。

でも気持としては・・・《ね、こんなこと見つけました。どう、面白い?》というのが、ほのかにあるように思います。

植木鉢で育ってる、ペピーノです。

No.3541 - 2011/07/08(Fri) 17:26:35

Re: 差の認識 / peer
>「自分のことは自分で判る」。というのが、どうも怪しい・・・

まぁ。そこで、そうなる。
「自分」と言うのは、何もなしでは何もない。
箱庭療法とか絵画療法・音楽療法。
なにか表現しながら、自分を見る。
ということが必要なようで。
誰かに伝えたいの根本は、自分に。だろうな〜って。

No.3542 - 2011/07/09(Sat) 09:38:08

Re: 差の認識 / ubik0101
たしかに子供の頃からそうだったのですが、たとえば親や友人の言うこと、また、なんだかの知識から・・・つまり自分の外から自分が見れない・・・そんな状態だとの認識のないまま、訳が分からまいまま生きていました。

そして、その何が何だか判らないままの自分、それはなくしちゃいけないような気がして、それを守るために、世間が嫌いとか、常識が嫌いとか、けっこう軋轢がありました。

でも、ほかの人と価値観が違うというより、価値観そのことが持てない、なので何かを立場にして社会に反抗することもできない・・・もとより価値観とかは初めからあるわけではないし学ばなくてはならないのでしょうし・・・支離滅裂・・・でした。

それで。どんなことでもない自分は、どんなことでもない自分だと表現してもそれが確定はできませんでした。たまたまですが詩を書いたり絵を描いたりしました。とくに絵は、どう描いても自画像にしかならない、とかに気がついたり、でした。

まあ、どんなことでもない自分を忘れるというか、自分を他から見るというか、自分が分裂するというか、そいうことは、けっこう思い切りというか、技術がいるようです。

ほかの人は、たやすくそうしてるように見えても、それは、みんなが互いにそう見えるだけ、ということもあるかもしれません。また、そこで終わるわけにもいかないのですが、どうやったって自分を学んでることでしょうし、そんなことも無駄ではないです。

今晩は、竹輪カレー、にしました。

No.3543 - 2011/07/09(Sat) 19:57:14

Re: 差の認識 / hato

peerさんの、「竹輪カレー」を思い出して作ってくれたみたいです。懐かしい、うまっ。なカレー。いずれにしてもカレー、いけますね。暑い夏に熱いカレーです。

No.3544 - 2011/07/09(Sat) 23:38:00

Re: 差の認識 / peer
おおっ。竹輪カレーですか。うん、美味しそう〜
かなり竹輪そのものが好きですっ。
焼いてそのままワサビ醤油をつけてアツアツを食べたり。
カレーね、昨日も今日も、昼はカレー食べました。
な〜んかカレーだけは、毎日食べても飽きません。

No.3545 - 2011/07/10(Sun) 02:45:22

Re: 差の認識 / hato

ねえ、ほんとに。我が家も3日続けてカレーでした。上の画像みたら、また食べられます。焼茄子をたっぷり入れた、野菜カレーもすきです。

暑い夏が到来。今年は蝉の声が少ない気がしますが、昨日、夏の入道雲を見ました。夜は、北斗七星展開の、夏の夜空を見ます。

暑い夏といえば、長崎からもう一枚。ubik0101さんが、お気に入りの花屋さんを撮りました。この花屋さんは、長崎に行った折、わたしも見にいきました。図書館さんと3人で行った、中華街のそばにありました。

ちょっと、素敵な風景です。

No.3546 - 2011/07/10(Sun) 23:11:32