いつの頃までのことだったのでしょう・・・世界は確固としたもので、たとえ自分が死んだ後でも、存続するのだと感じていたと思います。たとえば石器時代とか弥生時代とかを経て現代に至っています。そんな、知覚できない知りようがない過去によって、現代があるなら、まだ知りようのないけど未来だってあるのでしょう。
そして誰か、ソクラテスや宮沢賢治が死んでも、自分は生きています。この世界のどこかで、人は、ぽっと生じては、ぽっと消えていく、そんな雰囲気に取り巻かれて生活していたと思います。 つまり人が生きることよりも世界のほうが、どっしりと基礎にあると感じていました。
それは、でも、ほかの誰かが死んでも自分は生きてる、また自分が死んでも誰かは生きてるでしょう。と、そう思ってる自分が、とりあえずは生きてるというだけのことで、とくに世界の確固なことの根拠にはならないのです。が、なんとなく世界は不可侵の圧倒的な存在感がありました。
続きます。
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No.3531 - 2011/07/06(Wed) 09:02:48
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