>たとえば親や友人の言うこと、また、なんだかの知識から・・・ >つまり自分の外から自分が見れない・・・ >その何が何だか判らないままの自分、それはなくしちゃいけない >ような気がして、それを守るために、世間が嫌いとか、 >常識が嫌いとか、けっこう軋轢がありました。 >でも、ほかの人と価値観が違うというより、価値観そのことが >持てない、なので何かを立場にして社会に反抗する >こともできない・・・もとより価値観とかは初めからあるわけ >ではないし学ばなくてはならないのでしょうし・・・ >支離滅裂・・・でした。
全体的に感じることは。守るという感覚は。 価値観とか世界観への違和感ではなく 「そこに愛はあるか」ということへの違和感。 なのではないかと〜感じます。 人がどんな価値観を持っても良くも悪くもない。 ただ、そこに愛があるかどうか。 愛は、教えられるものではなく、もともとある。 だから学ぶようなモノでないワケで〜 誰もが、それを指標とする。真理。表現は様々で。 その様々に惑わされてしまうかどうか。かなと。
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No.3547 - 2011/07/11(Mon) 12:17:28
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