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記事No.3569に関するスレッドです

差の認識 3 / peer
>ホルモンが先か、人が先か、はたまた・・・
>というところはやはり、鶏と卵のような、お話でしょか。。


い〜ゃあ。まぁ。つまり何を言っているのかというと
「自然は、よくしたもので・・・」なのですね。
自然がすべて上手く行くように創っています。
それを後付けで勝手に都合のいいように人間が、
これはこうだ。と説明つけたがる。
結局何をしているかと言えば、自然を自分の思うようにしたい。
のだろうなぁ〜ってことね。

それは
>世界の何かと辻褄を無理に合わせるとしたら、
>誤謬があるというより、なにかちぐはぐになるものかも知れません。


なのよね。
人間にできるのは「こうなっている」と仮定することのみなのね。
それはもう、お砂場で、限定された道具しかない。
しかし、どう使うかだけは、自由。みたいな、処の創作劇。
どうして砂場があるのか、この道具なのかは・・・わからない。

ヨービック・・ね。乳酸菌飲み物かしらん? おいしそう〜

No.3562 - 2011/07/20(Wed) 03:07:09

Re: 差の認識 3 / hato

> 自然がすべて上手く行くように創っています。
> それを後付けで勝手に都合のいいように人間が、
> これはこうだ。と説明つけたがる。
> 結局何をしているかと言えば、自然を自分の思うようにしたい。
> のだろうなぁ〜ってことね。



peerさん独自の観点や表現は、そのあたりに・・・?

人という事態は、そうした仕組みに成立している、というだけかも知れません。自分を外し、自然を外にみることができる、その、人を含めて、仕組みとしての有り様かも知れません。自分が特別にあるから、自分の行動や考えてることが、自然とは違うと思うのかも、知れません。けれどその思考だって、自分だって、なにかすらわからないのです。

前提不明な、そのあるわけでない都合の良し悪しと自我を含め、できることしかしていない、ということ。絶対、不自由です。そして尚、なぜ、そうなのか、を探求する人にとっては、あらゆる経緯があるだろうこと、でしょうか。

自然。通常は、森羅万象の営みを指してそのように表現されますね。けれど、もちろん人の有り様をしてそのままを、ありのまま自然、といえばなにか難しいでしょうね。自ずから、とは本来、やはり人が、それであることを得てのちに、隠されることなく表現できるように思います。


> それはもう、お砂場で、限定された道具しかない。
> しかし、どう使うかだけは、自由。みたいな、処の創作劇。
> どうして砂場があるのか、この道具なのかは・・・わからない。



どう使うかの自由、すら不自由なわけです。にも係らずも尚、人は世界を超えていく可能性があること。成されたとき、道具はある程度、適宜な居場所を見つけざるを得ないでしょう。それはでも、不自由ではないのです。言葉は言葉としての、適切な位置を得ると思います。

つい先日、ミスタードーナツが近くのスーパーに出張してたので、久しぶりに食べました。ドーナツすきです。画像は長崎バージョンで、ubik0101さんのミスドスイーツメニューです。

No.3563 - 2011/07/21(Thu) 01:01:11

Re: 差の認識 3 / peer
>> 結局何をしているかと言えば、自然を自分の思うようにしたい。
>> のだろうなぁ〜ってことね。


>peerさん独自の観点や表現は、そのあたりに・・・?
>人という事態は、そうした仕組みに成立している、というだけかも知れません。


そう。それで成立するのだろうな〜です。
「自分の思うようにしたい」というのは、どういう思いなのか・・・。
関わりたい・・・そういうコトなんじゃないかなっと。
貴女は貴女、私は私。様々な状況・事態があっても、距離を置く。
他人の事は、どうなろうと知らない。
面倒そうなコトには、関わらない。
ということだと、やはり〜・・・冷たいんじゃないかな。
自分の思うようにしたい。という言葉は、ヘンなんですけど。
だから、あらゆるモノゴトと関わりたい思いがある。と。
ただ、関わり方を知らない。それぞれ様々な関わる形がある。
というような。

え〜と。各地で台風の被害が出てますけど、そちらは・・・?

No.3564 - 2011/07/21(Thu) 02:24:43

Re: 差の認識 3 / hato

> 「自分の思うようにしたい」というのは、どういう思いなのか・・・。
> 関わりたい・・・そういうコトなんじゃないかなっと。



関わりたい、という思い、その欲望が、世界と人の、機能としての接触作用に要因したとして、けれども、思うようにしたい、とは違いますね。そこは、機能に逃げず正直に、素直にみていく必要があるかも知れません。


> 貴女は貴女、私は私。様々な状況・事態があっても、距離を置く。
> 他人の事は、どうなろうと知らない。
> 面倒そうなコトには、関わらない。
> ということだと、やはり〜・・・冷たいんじゃないかな。



面倒そうだから、関わらない、という・・・だから、・・・する、しない、という下りがあるとき、自分に囚われた思考といえますね。あるわけでもなさそうな、理由が前提にされるでしょう。人がそれであるとは、とくにその辺が問題になるでもなく、関わる、或いは、関わらない、だけです。

冷たいか暖かいか。感覚とは知覚であり、たとえば感覚、たとえば感情。それをもって人や、ものごとの状態のよしあしを判断するのは、ある意味、困難かも知れません。人がそれであるとき、道具は道具としての位置に置かれるでしょう。思うこと然り、感じること然り。そして、この位置とはもしかすると、他人から冷たいとみられることも、多いかも知れません。無関係に関係し、関わっても拘わらず、ということなのです。といって、冷たそうな関係が総て、そうであるとも限りません。単に冷酷な人なのかも知れません。そうした観点からものごとは、測れないとしか、いえないでしょう。


> 自分の思うようにしたい。という言葉は、ヘンなんですけど。
> だから、あらゆるモノゴトと関わりたい思いがある。と。
> ただ、関わり方を知らない。それぞれ様々な関わる形がある。
> というような。



なぜ、あらゆる物事と関わりたいと思うのでしょうね。peerさんはやはり、愛 を表現したいのかも知れません、と思います。peerさんのなかで整理されたら、また聞かせてください。


> え〜と。各地で台風の被害が出てますけど、そちらは・・・?

いつもご心配、ありがとうございます。peerさんも、大事ないように、と思います。

hato

トマトが、大量の水を吸って、実が割れてしまいました。ホームセンターに行ったら、トマトと茄子の苗が98円で売ってたので、3本買いました。

ubik0101

画像は、長崎ミスドメニュー2です。美味しそうな、ドーナツ。

No.3565 - 2011/07/21(Thu) 23:39:43

Re: 差の認識 3 / peer
トマトには、あまり水を与えないほうがいいらしい。
そうすると、身がしまって、甘みも強くなるんですよね。
そんな水の豊かではない土地の植物ではないのでしょうか。

さてと。。。冷たい。温かい。
これは感じるものだと思いますね。体感できます。
熱を放射しているみたいに温かい状態があったり
ひんやりと冷えた重〜い状態は、感知できますから。
つまり、心理的なものではないようです。

そして作用と反作用があり。
人に対して冷たい時は、自分に対して冷たい仕打ちをしている。
人を傷つけると同時に自分をも傷つける。
それも、体感できるんですよね。
全ては同時ですから〜「あっ冷たくしてる」と感じ取れるんですが
そこをシャットアウトしていると、反対に相手が冷たい態度でいる
と錯覚してしまう。なんてことになるような。

むかしむかし、小さな姪(一人っ子)が、寝床から起きてきて
「お父さんもお母さんも死んでしまったら、私はひとりぽっち」
なんて言い出しましてね。切なそうに泣くんです。
なんでそんなことを思いついたのか、分かりませんが。
ヘンな夢でも見たのか・・・
「大丈夫。二人が死んでも、伯父さんも叔母さんも
ほかに沢山、お前を愛して、見守る人がいる〜から」
くらいしか、言えませんでした。

関わりたい。それは生る物の根本じゃないかなぁ。
それがあるから、自分が生まれる前の世界、死んでからの世界・・
なんてものに思いを馳せるのかなぁと思うんですね。
元々の命がひとつ。
そこから分かれて、いま、ここに。ひとり。
結びつきたい、関わりたい。引力が働いて。
そんな願いもありそうな。

No.3566 - 2011/07/22(Fri) 04:09:05

Re: 差の認識 3 / hato

こうして話すのは、自分には真剣に楽しくて、互いに役立つこともあるのではと思います。もちろん、いっぺんにはなかなかわかりにくい話ですが、それでもよいのでしょう。きっと何度も同じことを、言葉を変えて言ってみます。

体感、感覚、それをある意味統括する、意識への強い依存。人がここを抜けることは、簡単ではないでしょう。なぜなら、それは文字通り、心身に滲み入るところだから、なのかも知れません。けれどそれは、道具です。

人は道具を使いますが、その道具は人では、ありません。


> それも、体感できるんですよね。
> 全ては同時ですから〜「あっ冷たくしてる」と感じ取れるんですが
> そこをシャットアウトしていると、反対に相手が冷たい態度でいる
> と錯覚してしまう。なんてことになるような。



こうした学びもありますね。けど、知覚過敏に陥らぬよう、この辺りはさっさと駒を進めるのが、肝要でしょうか。


> 関わりたい。それは生る物の根本じゃないかなぁ。
> それがあるから、自分が生まれる前の世界、死んでからの世界・・
> なんてものに思いを馳せるのかなぁと思うんですね。
> 元々の命がひとつ。
> そこから分かれて、いま、ここに。ひとり。
> 結びつきたい、関わりたい。引力が働いて。
> そんな願いもありそうな。



ひとつであるものが、別々に分かれ、元に戻る・・・との物語は、どこからくるのでしょう。意識とは機能として焦点を当てるために、ひとつ、とみてしまうだけかも知れません。あるいは自我という、あるというわけでもない、とある分離状態がみる、夢、かも知れません。


長崎の思い出メニューから、モーニングセット。椅子やテーブル、天井のランプが懐かしい、昭和初期の感じのある喫茶店でした。長崎にいる間、2度ほど連れていってもらいました。

No.3567 - 2011/07/23(Sat) 00:02:06

Re: 差の認識 3 / hato

自己とは必ず、世界を超えるものであり、といってそのとき、世界を自分から分離させる、自我(エゴ)だ・・・とは、なりません。不可逆、の話です。

長崎シリーズは、西瓜です。ひとりで、半分の西瓜をペロリのニコニコダーリンから貰った画像です。そういえば今日は良心市で、500円の西瓜を買ったそうで、あした頂くのが楽しみ〜。。

No.3569 - 2011/07/24(Sun) 00:39:15

Re: 差の認識 3 / peer
>体感、感覚、それをある意味統括する、意識への強い依存。

えーと。
氷の近くに手をかざすと、冷たい冷気を感じます。
火の傍にいると、燃えるように熱いですよね。
そんなふうに存在を熱で感じる人もいるし
波動のようにピリピリとしたり澄んだ透明感などのように
重さのようなものとして感じる人もいるようです。
そういう普通の感覚は「気のせい」と片付けて
わざわざ意識しない人もいる。まぁ。そういう話です。

>自己とは必ず、世界を超えるものであり

えーと。えーと・・・。
世界は超えられるようなものなのかしら?
世界は私で、私は世界〜感覚ってありますが。
自己と世界が、ぴったりと一致して相対がない。みたいな。
つまりは、超えるとか超えないとかと分けられないもの。
のような気がする。

No.3570 - 2011/07/27(Wed) 02:50:20